January 25, 2006

日本も南北に分断されていたかも??

スリランカと言えば、『モルディブへ行くときに経由していく国』くらいの認識しかない。

慶長さんのブログの記事、『憎しみは憎しみによって止まず、愛によって止む。』 によると、1951年のサンフランシスコ平和会議の際、日本に独立が認められたのは、当時のスリランカの首相がこの仏陀の教えを引用し、強く日本の独立を擁護してくださったかららしい。その結果、日本は北方領土と沖縄を失ったかわりに、南北に分断されることもなく今日に至っている。

わたしの子どもの頃にはロシアが攻めてきたら北海道が占領される、という意識があり、本土というのはあくまでも本州のことだったし、本土は北海道を見捨てる、という意識すらあったような記憶がある。北海道というのは、日本でありながら本土とは別の存在として想い描くことができるくらい、わたしが郷土愛を感じることができるめずらしい島である。

何となくそういうことを思い出した。

そうやって考えると、何となく儚いものを感じたりする。もし、あの時に例の如く、関が原あたりで日本が南北に分断されていたとすれば、ベトナム戦争や朝鮮戦争のように再び戦地になっていた可能性もあったのだと思うと、もともと日本には何の関係もないイデオロギー的対立により、日本人同士が互いに憎しみ合い、別の政権の下、まったく異なる国となっていた可能性も高い。

独立・・・に何の価値があったのだろう、と、何となく考えた。

投稿者 Blue Wind : January 25, 2006 05:03 AM | トラックバック
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