January 21, 2006

同じ著者なのか・・・

今日、買ってきた本4冊。


安野 光雅
カラー版 絵の教室


中原 中也, 吉田 熈生
中原中也全詩歌集〈上〉

中原 中也, 吉田 熈生
中原中也全詩歌集〈下〉

中原 中也
中原中也全訳詩集

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本当は別の本を探していたのだが、結局、見つからず、同じ著者の別本を少し立ち読み。何となくイメージしていたのとは違ったため、その本を探すのはやめた。ブログの書評を読んで、タイトルだけで面白そうと思ったんだけど、実際に手に取ると興味をなくすケースが多いことを思い出す。


林 文子
失礼ながら、その売り方ではモノは売れません

そうそう・・・この本だ。密林に記録が残っていた。

「その売り方ではモノは売れません」では素通りしてしまいそうだけど、「失礼ながら・・」と始まるところがミソ。そのまま密林で買う気はしなかったけど、買い物のついでに本屋へ行かせるくらいのパワーはあるなぁ・・・
何となく言われると気になってしまう言い方ってある。

で、そのパワーがどこへ結びついたかというと、結局、安野さんの著書と中原中也。 安野さんの絵本は家にも何冊かあるけど、新書というので買ってみた。

パラパラとめくりながら、クールベの写実主義のところを読み、あの時代の写実主義はカメラが発明される以前の感覚で、実際に目の前にある風景を描いているわけではない、というところに目が行く。それ以前は光といえば宗教的な意味を持っており、写実的な光とは異なるというフレーズから始まり、そこから決別しクールベが進んだ道が写実主義。

つまり、見たことのないものは描かない、この世に存在しないものは描かない、という意味でのリアリズム。・・・ってことは実際にない場面を描いても写実だし、家の中で風景を描いても写実だし、イメージだけで描いてもこの世に存在するものを描けば写実。

それってちょっと違うのではないかと思ったけど、それってちょっと違うと思うのはカメラに慣れてしまったからそのように感じるだけなのかもしれない。光が的確に方向性や角度すら正しく描かれていないと何となく写実でないような気がしてしまうというのは一種の現代病なのかも。

中也の3冊は文庫。未刊詩がたくさん載っていたので。

密林で検索したおかげで、安野さんの著書だと気づかないで買った本がほかにもあることに気がつく。絵本もそうだし、短歌の本もある。


安野 光雅
片想い百人一首

おそらくは未読のままどこかに埋もれているはず・・・

投稿者 Blue Wind : January 21, 2006 02:05 AM | トラックバック
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