December 30, 2005

『ジンメル・つながりの哲学』 菅野 仁著


菅野 仁
ジンメル・つながりの哲学

*******

本屋へ行き、つくば市の周辺地域まで載っている広域地図はないかと探していたら、どういうわけか本屋を一周し、通り過ぎようと思ったとき”ジンメル”という言葉が脳裡に焼きつく。

はてはて・・・
遠い記憶の中からその言葉、あるいはどこかで聞いたような名前。通り過ぎた本棚の中から再び探す。どこかにあったんだけど・・と探すとこれがなかなか見つからない。でも、たしかにわたしは見た、と思いながら過ぎた視線を思い出しながら探す。

つまり、夥しく並んだ本の中から、一瞬にしてその言葉だけがわたしの脳裡に入ってきたのだが、それがどこにあるかまでは定かではない。それくらいランダムに視線を流していた、という記憶しかない。

自分の視線を思い出しながら逆行していくと、目の前にあった。

もしかすると、Zimmerのことだろうか・・・
その名前だったら、大昔よく見た記憶があるし、”ジンマー”と呼んでいた記憶がある。
社会学なのか哲学なのか・・・
社会心理学の文献の中でよく出てきた名前なのかもしれないし、もしかすると文献はいくつか読んだのかもしれないし、探せば今でもあるのかもしれないし、それでいてほとんど記憶の彼方。ただ、何となく思い出したのは、Zimmerが好きだった先生がいたということ。

考えてみれば、わたしは”社会”という言葉が苦手だ。政治だの歴史だの人間が集団で何かをやらかすということに対し、どこか引いてしまう。制度改革だの消費税だの、ひたすらブロックすることしか思いつかない。つまり、消極的な攻防戦ということでは、消費を控えるとか・・・慎ましやかな抵抗にすぎないが、口に出して抗議するよりもマシだろう。

税金を払いたくなかったら、働かない・・・とかね。買わない、働かない。第3セクターが気に入らないとなれば、TXにも乗らない。ここまでになると単なる天邪鬼に近い発想。郵便局が気に入らないとなれば、使わない、とか。

社会問題というと何やらおおげさな気がするけど、おそらくはそのほとんどが生活に密着していることが多い。年金や保険、少子化、教育、女性の就業とか? あるいは不景気もその一つなんでしょうし、環境問題、リサイクル、ゴミ処理、その他諸々。

で、エゴがどうたらこうたら、ということになる。
で、ひたすら、うんざりする、と。

文化、という言葉はまだマシだ。過酷な自然状況の中で、それに適応し生き抜くための知恵。

***

それにしても、仕事って何なのかと思ってしまう。
とりあえず、土地を探したり、事業計画を立ててはいるのだが、本屋へ行けばジンメル、土地探しに出かけては歌を詠み、お昼に話題のラーメン屋とか?

ふざけているわけではないんだけど、どんなことも生活になってしまうと今までと違ったことはできないような気がしてしまう。まあ、気長にやろう。

書評は、また。

投稿者 Blue Wind : 03:24 PM | コメント (0) | トラックバック

December 29, 2005

期待はずれ

あーだるだる。本当に寒い。

今、読みたい本が3冊ある。そして、読まなければならない、あるいは読んだ方がよいと思われる本が思いつくだけで3冊ある。近頃、視力の変化のせいで運転していてもパソコンの画面を眺めていても、当然本を読んでいても疲れやすい。こういうときには、どういうわけか思考が停止しがち。

それでも土地探しと称して、市内や市外をあちこち放浪してまわるのはそれなりにストレス発散となり、娘が冬休みだというのに塾へ行きたがるので、毎朝、逆に起こされてしまっている。だって、受かったのになんで?って思いませんか・・?

ほんと、いやなのよ・・・・せっかくの休みだというのに、朝から弁当をつくったり、送って行ったり。寒いし・・・

***

今日が仕事納めだというので、お昼に戻ってきたダンナと一緒にドライブ。途中でラーメン屋に寄ることにして、その先まで土地を探しに。いや・・・土地はたくさんあるのだけど、雰囲気というか、なんというか、やはり気に入ったところでないと。ただドライブして、土地を見に行くことに意義がある。ここなら・・と思っても、ナビを眺めながら自宅までの距離を測ると、とてもとても毎日通勤するのはつらいだろうと思ってしまう。そして、今すぐ何かをしなければならないわけでもないので、開業自体をもっと先にしようかとか、のらくら考え始めてしまう。特に今の生活に不満があるわけでもなく、案外、今の生活を気に入っているために、これを無理にねじまげるにはパワーが足りないような気もする。

そして、並んで待ってラーメンを食べたのだけど、なんとなく期待はずれだった。そこで、その辺の土地はやめようということになる。因果関係は何もないにもかかわらず、こういうのは気分の問題としか語れない。

投稿者 Blue Wind : 10:40 PM | コメント (0) | トラックバック

December 28, 2005

小野小町の里

小野小町の里へ行って来た。特に行こうと思っていたわけではなく、例の如く、土地を探しにクルマを走らせているうちに、不意にたどりついたと言ったほうが近い。おそらくはあの辺にあるのだろうと脳の中の地図には記してあったけれど、自分が走っているのがそれだとは不思議な感じ。

つくばから筑波山へ行くというと、筑波山神社や温泉街を思い浮かべてしまうけど、新治村から筑波山へというと、筑波山そのものが存在するだけなのでどこからどこまでが筑波山なのか皆目わからないうちに壁のような山がそこに立ちはだかり、いつの間にか山の中に入っているといった印象。

駐車場には4台のクルマが停まっていたが、おそらくは従業員の人たちのものではないかと・・・一応は観光ルートなので、道路は広く、景観も素晴らしい。途中ですれちがったのは降りてきたバイクが1台。あとから来たのはNTTの会社の人たち。仕事の途中で昼食を食べるところを探していたようだけど、あいにく小町の里の蕎麦屋は休み。いつオープンしているのか・・・謎。

それでも低い山壁から厚い雲が立ち昇る姿は圧倒される。山へ行けば大抵は下界を眺めたくなるけれども、小町の里は突然山が始まっているため、つまり崖が壁のように続いているため、遠くから見れば山であり、近くから眺めれば崖であり、山に寄り添うように家が並んでいるせいか、山を越えて雲が空へ昇って行くように見える。

そのうちの1件の家のベランダに干された洗濯物が旗のように風になびいている。それにつられて風の方向を見ると黄金色の大地。ずいぶん遠くへ来てしまった気もするが、それでいてクルマで5分も走れば下界。観光マップに沿ってあちこち観光しようかと思ったけどやめた。

***

そこから300mほど行ったら小野小町の墓がある。よせばいいのに知らないでクルマのまま細い私道を登って行ったら停める場所がなく、そのままバックで降りた。私道だと気がついたのは停める場所がなく、その先が民家の門だったからで、もう一度歩いて登って行ったらまるで小さな神社のようだった。でも、お墓。そのお墓が山の中腹に存在しているため、最初お墓であることに気がつかなかった。静かだけど、昼間でも薄暗く、小野家の敷地内にある。

そこで不意に思ったんだけど、もしかすると、ここの小野小町は六歌仙の中の小野小町とは違う人だったのではないかと。小野家に保護されて、69歳で亡くなった小野小町は六歌仙の中の小野小町ではなく、小野家に身を寄せていた、あるいは小野家の人だったから小野小町と呼ばれていたのではないかと。まあ、小野小町には違いないだろうけど・・・だとしても。

いや・・・仮に本物だったとしても、巷で伝えられている小野小町とはイメージが異なる。新治村自体がのどかで牧歌的なせいか、悲恋などまるで似合わないし、逆に晩年をそういうのどかなところですごしたとすれば案外幸せだったのではないかと。

死んでからも歌を詠んでいたとか、悲恋とか、そっちのほうが後世になってからおもしろおかしく誰かが語り始めたと思ったほうが説得力があるくらい平和な景色。

なんか、こう、昔ながらの農村、万葉の時代から続いているようななだらかな景色、バリ島のウブドを連想してしまうほど古の今。

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December 27, 2005

【今日の短歌】 焦げ茶山こえゆく雲はしらじらと身を倒さるる雲の流れに

水車小屋こおり張りつきまわりたる苔むす巨木、小町の里は
山肌に身を寄せたるや墓の主まつるまつらん空ゆく雲は
焦げ茶山こえゆく雲はしらじらと身を倒さるる雲の流れに
禿山の正体を知る砂埃浴びつつ走る真っ青な空

投稿者 Blue Wind : 11:07 PM | コメント (0) | トラックバック

December 25, 2005

農道を抜けたら、クリスマス

今年のクリスマスは、少しもこころがはずまない。子どもの頃から、この季節には何かしら明るいムードがあふれ、寒さと明るさが混在した不思議な世界が訪れる。ところが、今年はこころがはずまないどころか、ライトアップされた街の装いすらどこか虚しく感じられる。

美しくライトアップされた街並みやショッピング・センター。ショップもクリスマス・ギフトが並び、キャロルスやケーキ?

予約してあったケーキを受け取りに行った。なんと警備員がいる。最初、交通事故かと思った。ウィンカーを出すと、道へ出るクルマと入れ違いに駐車場に誘導される。あとになって気がついたけど、たしかにひっきりなしにクルマがやってくるため、係りの誘導がなければクルマが出入りできないためにパニックになっていただろう。

クリスマスらしさといえばそれくらいのもので、あとはいたって普通の日常が続く。

***

クリスマス・イブだというのに不動産屋へドライブ。イブであるという前に土曜日であり、夫婦で揃って出かけられる日というのは限られてしまうため仕方がない。わが家の近所の不動産屋はすでに合格の決まった学生たちが部屋を探しにきているため今の時期は忙しい。このため、センターまで。

おそらくは、家を建てる土地を探しにきた人たちが数組。あるいはファミリー向けの賃貸か。

わたしたちは不動産屋が手馴れた手つきで条件に合う物件を探すのを眺め、いくつかピックアップしてくれた資料を眺め、コピーを貰って店を出た。そういえば、賃貸だったらいちいち不動産屋さんが現地まで案内してくれたなぁ・・などと思いながら、土地には鍵がないため自分たちで周る。

わたしは、この2ヶ月くらいあちこち土地を眺め、資料を探しているために、近頃では少し飽きてしまってきている。

ダンナが知り合いの大工さんが建てたという医院を見に行きたいというので延々と渋滞の道をドライブ。電柱の案内を便りにようやく現地にたどりつく。いつもなら30分くらいで行けるはずなのに渋滞と複雑な道に翻弄されため1時間半かかってしまった。印象としてはごく普通の住宅という感じ。

で、それからだもの・・・土地を見に行ったのは。

***

なんか、こう、次第に無関心になっていく。ダンナの職場が変わるというだけのことで、次第に興味が消えていく。ある意味、例の如く家計簿を買ってきたため、とりあえず家計を維持するに必要な額を説明し、それを圧迫しない程度であればどうでもいい、というのが無関心の理由。

もともとが都会の人であるため、彼が農村の感覚にどの程度適応できるのか懐疑的であるというのもその理由の一つ。引っ越すつもりはない。

ただ、家に近い道でありながら、何年もその分岐点にある道の前を通りながら、一度も通ったことのない道を通りわが家のほうに戻ってきたとき、何かどこか不思議な見知らぬ世界を感じた。戻ってくる途中、カーナビを眺めながら聞きなれた地名でありながら見知らぬ隣地を通り抜け、途中で昔ながらの商店街や江戸時代からありそうな旅館が建っているのを眺め、今でも近所にこういう世界があることを初めて知る。

農村から農道を通り、見慣れた世界へ戻ってきた、というだけのことなんだけど、タイムスリップしたような光景を抜けてきたせいか、あるいはケーキ屋の前に3人の警備員がいたせいか、どこからともなく集まってくるクルマや人が一体どこから来ているのかとても不思議な気がした。

***

昭和初期から続いているような街並みの一画に、平凡な医院。
ひたすら駅前のマンションが並ぶような光景にも飽き飽きだけど、どこかひなびた商店街のわびしさにもいささか寂しいものを感じ、そこから農村を抜けて、賑やかな通りに出ると、そこさえもどこか寂しい街並みに見えてしまう。

そこで、訪問診療とか?

なんて言ったらよいのかわからない。ただ、なんと言うか、近くて遠い世界を潜り抜けて家に戻ってきたという寡黙さはあり、家の中には友達の家から戻ってきた娘が1人でゲームをしており、オトとマリはお腹をすかせてはしゃぎまくるし、果たしてそういう生活がこの先待っているのかと思うと、どこか無関心にもなるのも仕方がない。

でも、まあ、年を取るというのはそういうことで、こういう平凡さのために、あの激務があったのかと思うと、医者というのは不思議な人種という気がしてしまう。

***

まあ、なんでもいいや。

メリー・クリスマス!

投稿者 Blue Wind : 02:24 AM | コメント (0) | トラックバック

December 24, 2005

我の強さ

ボウリング。
今年はプロ・ショップ杯に出なかったので、理由を訊かれたそう。ジュニアで参加する子は少ないので残念がられる。入試の日と重なっていては仕方がない。夏休みの大会にも参加できなかった。

が、しかし・・・
受かったとなると、次にはプロボウラーを目指すとちびが言う。
すると、コーチは喜び、「女の子はスポンサーがつきやすいですからね」と語る。
男の子はスポンサーがつかないので、途中で辞めてしまうことが多い。

その話をダンナから聞き、一瞬ひく。

スポンサー?
まるで運動選手のようだ。
・・・・・・・・・・・・あー、プロ、ってことは?
プロ、か。

プロになると遠征やら大会やら何かと費用がかさむ。だから、スポンサーがついて、例の如く会社のロゴ入りシャツを着て、とか?
いや〜、まいった、まいった。
自分がそういう世界に縁がないものだからピンと来ない。

学校は?
絵は?
いろんなことが走馬灯のように脳裡をよぎる。

***

新年の旗持ち当番はわたしかららしい。
近所の人が犬の散歩のついでにやってくる。そういえば、運動会のときに話して以来だ。あのときには学校の様子を訊いてもあまり詳しくは教えてくれなかった。それでいて、娘の学校が決まったらいろいろ本音で話してくれる。今さら聞いてもあまり意味がないと思ったけど、意味がないからこそ話しやすいのかもしれない。

我が強い、か。
そういう印象はなかったけれども、そうなのかもしれない。で、女の子同士で年中すったもんだしているそう。しかも、習熟度にかなりの差があるため、学校だけでは不安、とか。
娘の学校ではない。
でも、わたしにはよくわからなかったけど、気配とか雰囲気のようなものを子どもは察知する。
そういう中で鍛えられるのもわるくないかも。

そうなんだよなぁ・・・自然と鍛えられる。
まずは他人の意見などどうでもいい、という性格に育つ。

まあ、長い人生を考えると、それは悪い習癖であり、できれば子どもの頃に退治してしまったほうがいい。周囲との折り合いが悪くなる。それでいて、我の強い子たちといるほうがある意味鍛えられることも多い。

きれる、ってどういうことかというと、自分の我をおさえきれなくなること。

***

晩、戻ってくるなり姑さんから電話。
我の強さっていうのはもしかすると死ぬまでなおらないのかも、とちらっと思う。いつものことなので、さらりとかわす。一度吐き出すとおちつく。そろそろまた鬱の出る季節。

気がつけば、クリスマス・イブ。

投稿者 Blue Wind : 03:18 AM | コメント (0) | トラックバック

December 23, 2005

表現と子ども

それが素晴らしいかどうかは別として、そこには現実的な選択肢があり、それを追求することはあっけないほどマニュアルに書かれているとおりにやるようなもの。

***

去年の今頃は子犬のマリアが瀕死の状態。そして、死んだ。
今年は再び子犬のマリアがやってきて、あっという間に成長。そして、オトとマリ、2匹の犬を同時に抱っこ。
重い日常。

オトはマリの死を覚えているようで、彼にとっては最初のマリと2匹めのマリとは別の犬として明確に存在している。マリの死はオトにも悲しい出来事として存在し、子どもの頃の脚の怪我と同様に彼の記憶の中では生き続けている。

どうしてそういうことがわかるのかといえば、オトには表情という表現能力があり、語りかければ時に笑い、時に悲しそうな顔になり、お腹がすけば舌を出し、マリが庭から脱走すればうれしそうな笑みを浮かべてわたしのほうを見る。

2匹目のマリアはおとなしそうな顔をしているけれども、これが大変なやんちゃな子犬で、すぐに庭から脱走するし、家の中のものを齧ってしまう。脚の悪かったオトとは違い、3ヶ月にもなればさっさと階段を駆け上がり、カンガルーのように2本足で立ってジャンプをするのも得意。このため、昼寝の時間にはさっさと2階で寝ている。

犬の成長を眺めていると、1年があまりにも長く感じられる。

ちなみに、マリはサティが好きらしい。これをかけると、すやすやと気持ち良さそうな表情を浮かべて寝てしまう。

***

今年の冬休みは・・・・冬期講習。クリスマスから始まる。毎日お弁当。

学校はなにやら仕事のようなもので、お休みになりほっとしている。その反面、塾は楽しいとばかりにお弁当を持って通う。通常のコースだけではなく、皆と一緒にお弁当を食べたいからと単科まで申し込まされた。一体、受験って何なのかと思ってしまう。彼らにとっては一つのイベントらしい。

***

美術教室のほうは、このところ工作教室になっている。この前はケーキ、その前はリース。来年は隔週で凧を作るそう。自分でデザインし、設計。

一つには現実があり、おとなの目から見れば、過酷な現実。それでいて子どもたちは案外それを楽しんでいる。

そうだなぁ・・・まだ娘には早すぎるとは思うけれども、「職業に生きる」と言い出した娘に対し、「絵の先生なら子どもを育てながらできるわね」と話す。あえて早すぎる今、何かを言っても先のことなどわからない。それでいて、もし職業を持ちたいのであれば、自由な時間を持てるものでなければ続けられないと娘に話す。

わたしは孫の世話をするつもりはない。
子どもの世話を他人に押し付けるような娘に育てた覚えはない。

それだけだな・・・
あとは娘の自由。

子どもの頃から絵が好きで、絵の勉強をするのならそれはそれでかまわない。むしろ親の楽しみでもある。芸大に行きたいのなら勉強はこんな感じ、実技はデッサン科で。でも、その先のことはまるでわからない。途中で進路が変わる可能性も高い。

それでも自分のアトリエを持ち、子どもに絵を教えてもいい。
が、しかし、不意に気がついたのだけど、子どもの相手が苦手な人たちのほうが多い。理由はわがままだから。それと、子ども特有のプライドの高さにとまどうからだろう。描いた絵を批判されると、おとなが想像する以上に傷つく。これは不思議。ほかのことではよくあることなのに、表現するものに対し、朱が入るということが子どもにとっては何よりも苦痛の種となる。

大変。

投稿者 Blue Wind : 04:39 AM | コメント (0) | トラックバック

December 22, 2005

サティ

強い西風。
嵐のよう。
窓やドアが音を立てる。



島田璃里, サティ, アントルモン(フィリップ)
きみが欲しい〜サティ名曲集


大昔の無声映画やフィギュア・スケートを彷彿するサティ。

投稿者 Blue Wind : 05:29 PM | コメント (0) | トラックバック

December 20, 2005

頭痛

今日は朝から酷い頭痛がする。
肩こりからきているのだろうか。
それとも、目?
今の眼鏡が合わなくなってきているため、近頃運転していてもつらい。老眼というのは不思議な世界。それでいて装着型の老眼鏡を姑さんがわざわざ送ってくれたけど、それをつけて文字を読むと逆に吐き気がしてしまうので、老眼鏡を使うほど進行しているわけでもなさそう。そういう中途半端な年頃というのが一番しんどいという話をきいたことがあるけど、わたしもそういう年頃になったわけだ。

入試のときにわたしのお古を着せたせいか、近頃わたしの服を勝手に娘が着ている。よく見たら20年くらい前のジャケットだったりして、どこから探してきたのかと思ってしまう。結局、わたしは昔から好みがはっきりしているため、買い換えても似たような服ばかりになってしまうせいか、新しいものと古いものとの区分がつきにくい。実際、本や服は腐るものでもないし、そのまま放置しておいたら時間だけが経過していたというのに近い。10年なんてあっという間だ。

***

それにしても、受かったら娘が急に勉強するようになった。だったら受かる前にもっと勉強しておいたらいいのに、あほかと思ってしまう。

うちのおちびなんてどこにも受からないと言っていたクラスメートが約1名。今頃壮絶なプレッシャー。こうさ・・・最初から勉強ができるというスタンスと、うちのおちびみたいに今年の夏頃から急速に伸びてきたタイプとでは、追い込み型のほうがはるかに精神的に楽。娘曰く、見返してやって気分がよいそう。

というわけで、気分がよいため、ウキウキしながら勉強している。で、中学に入ったらバレーボールをやるそう。(なんでもやってくれ・・・)

で、高校受験がない分、今度は美術のほうもデッサン科に入れて、冗談抜きにこのところずっと芸大が東大に吸収されて東京大学芸術学部になるという噂も流れる昨今、そうなってもあわてない程度には勉強をがんばる、と。将来は画家とか美術の先生になりたいそうだから、・・・・・・・とは言うものの、最初から「先生」になりたいというのはどうなんでしょう。わたし的にはよろしくないと思うのですが。

投稿者 Blue Wind : 03:21 PM | コメント (0) | トラックバック

December 17, 2005

【今日の短歌】 送り出す未来の一歩軌道には月のめぐりぬ空青くあり

現実の終わりの日には始まりの交差するみち子らゆきすぎる
送り出す未来の一歩軌道には月のめぐりぬ空青くあり
靄の中みえぬかたちの子らの夢運びぬ風は吹きぬけてゆく

投稿者 Blue Wind : 12:13 AM | コメント (0) | トラックバック

December 16, 2005

季節はずれな蚊帳の外

ほっとしたのもつかのま、入学手続きに行ったらさっそく入学までの課題を渡されてしまいました。算数のプリントと生活の記録。推薦で受かった子は試験が終わると何もしないことが多いので、2月までがんばった子と差がついてしまう。それを防止するために入学前に事前授業というのがあるそうです。(さすが・・)

算数のプリントはともかく生活の記録というのは困った。読書の記録と新聞の感想。うち、小学生新聞は取っているけど、普通の新聞は断っているし、うちの娘ときた日には活字が好きではない。つまり、あまり本を読まない。家の中は本だらけなんだけど・・・

とりあえず、教育委員会のほうに就学届けというのを出しに行き、そのとたんうれしさよりも疲れのほうがどっと出る。

それとね・・・なんというか、いちはやく決まってしまったので間が抜けていて、周囲と歩調がずれてしまったがゆえにピンとこない。受験というのは落ちたり受かったりするから値打ちがあるような気がする。話題になるから。

そろそろ受験だから大変なんだろうな・・・という周囲の空気をよそに、季節外れ、蚊帳の外、みたいな雰囲気はそれなりに居心地が悪いです。

投稿者 Blue Wind : 11:47 PM | コメント (0) | トラックバック

December 15, 2005

とりあえず、受かったようで・・・

案の定、TXが開通したせいか例年よりも20人くらい志願者が増えている。一般入試の難易度も今年は少し難しく設定しているという噂があるのだけど、本当だろうか。受かるだろうと思っていても、こればかりはわからない。

が、しかし、受かった。
めでたし、めでたし。

投稿者 Blue Wind : 01:01 PM | コメント (0) | トラックバック

December 14, 2005

受験の話ばかり・・・だ。

新しいマウスとマウスパッドにもようやく慣れ始め、今日は何年かぶりに家計簿を買い、ついでに小説を1冊。(読んだら感想を書こう。読み終わらないかも・・)

娘の試験の発表日を控え、結果が郵送で送られてくるため、うっかり留守にしていたり、寝ていて気がつかない(こらっ)ということがあれば翌日になるまでわからなくなる。結果がわからないというのはすっきりしないだろうと思いつつ、あさってには結果がわかるのだからあせる必要性もない。でも、落ち着かない。ある意味、試験の前日はなんとなくピンボケしていたけど、いざ結果となると落ち着かない。

こういう落ち着かないときにかぎって、友達から電話がかかってくる。大抵は独身、子なし、逆に中高生になってヒマにしている人が多いせいか、はたまたTXが開通したために東京まで簡単に行けると思われてしまったせいか、このところ連日そういう感じ。いまだにOLや学生ならともかく、いきなり週末に赤坂に誘われても行けないって。まあ、それでも娘が中学生になれば少しは変わるかもしれない。

ダンナはダンナでこの年末は忙しい。今日も突然の誘いがあって出かけた。案の定、大学へ戻らないかという話。ちょうど結核になって3年。すっかり体調も戻り、・・・・となるとまたあの激務?

内心、開業の話は消えるかと思ったけど、あっさり戻る話は断ったと言われ、少しがっかり。しかも、子どもの受験の話題。プレッシャー。

あっちでもこっちでも受験の話題。
そういう年頃なのかも。(誰が?)

投稿者 Blue Wind : 01:47 AM | コメント (0) | トラックバック

December 13, 2005

小分け

娘はすこぶる機嫌がよく、入試の日ですら楽しかったらしい。会場を案内してもらった生徒と話しながら、その人がとてもやさしかったのでますますその学校へ入学したいと思うようになったらしい。試験の面接でもそのように答えたと言っていた。落ちてもまた一般入試で受けるそう。

というわけで、受かっていたらよいのだけど。

開業の話もふりだしに戻り、特に慌てて何かをする必要性もないことを思い出したせいか、ダンナもとてもリラックスしている。わたしは医療事務のインターネット講座を申し込み、スタンバイしている。

土地を買って、建物を建てて、人を雇って、借金だらけ。

そういうストレスの高い生活はイヤ。

こういうとき、父ならどうするか想い描く。おそらくはポイっと捨てて布団を被って寝ているだろう。一日中誰にも会わず布団を被って寝ているかと思えば散歩に出かけたりスポーツ紙を読んだり。それで不意に思い立ったようにどこかに電話していた。

それで、父ならこういう場合どうするかを考える。おそらくはチャラにして、二束三文の土地にユニットハウス。そんなところで商売になるとは思えないところで何かを始めるような気がする。試用期間というか、ダメだとなればあっさり撤退。そして、違う方法を考える。

茨城県は医師の少なさでは全国ワースト2位。

わが家の周辺を眺めると、決して不足しているような気はしないのだけど。

そこでユニットハウスとかエアロハウスなどをあちこちに建て、毎週診療日を決めてまわるとかね・・・お天気がよければオト・マリを連れてドライブがてら仕事。最新式のポータブルのエコーを載せて訪問診療。まあ、わたしは何もできないけれども、悪名高いレセプトの計算くらいできれば何とかなるだろう。

レントゲン?
要らないよ・・・そんなもの。わたしはずっとそうやってダンナに言っている。ほとんど使わないし、肺がんが見つかる確率も低い。いざ見つかったとしても入院の摘要となれば病院に送らなければならないし、結核にしても呼吸器の専門医でなければ診れない。そんなことより、自分の領域をきちんとしていたほうがいい。

最初の計画の費用をこじんまりと振り分ければ、7つの小さなクリニックを建て、毎日ラウンドしてもまだ余る。

それにしても、世の中は介護施設ブーム。産科が倒産しやすいのはわかる気がする。少子高齢化の影響だけではなく、産科となると24時間体制の上に、施設に莫大な費用がかかる。今はとても贅沢になったせいか、どうせ出産するなら設備が整い、食事の美味しいところ、とかね。ちょっと考えただけでやっていけそうにない。小児科も保険の点数が低い。そういう世相を反映してか、産科や小児科を希望する医師が減り、それでは困るとなると今度は点数が引き上げられる。

医療費が増大したため介護施設が増える。介護施設というのは医療を行わない。高齢者の医療費は定額となりつつあり、医療を行うほどに損な仕組み。えぐい。

年金がどうたらこうたらとか、医療費がどうたらこうたらとか、一歩外へ出てしまえば意味のない世間話の一つにすぎなくなってしまう。雇用がどうたらこうたら、税金がどうたらこうたら。なんか、こう、勝手にやってくれ、という気分。

文明に汚染されすぎているのかも。上下水道が整っていないところで開業できない、とかね。調剤をどうするか、とかね。だるだる。何もないところでも何とかするのが医者ってもんだろう。次々と開発される新薬や医療機器。錠剤をわざわざ昼・夜など袋に入れて小分けする時代らしい。そうしないと自分が薬を飲んだかどうか思いだせない年寄りが多いからというが・・・自分が何の薬を飲んでいるかも知らないのかもしれないという危惧が走る。

投稿者 Blue Wind : 01:33 AM | コメント (0) | トラックバック

December 11, 2005

それでもやりたいのだから・・・仕方がない。

明日でアメブロガーになってまる1年が経つ。単なる発作でつくり、わたしくらいあちこちジャンルを移動しているブロガーもめずらしいような気がしている。ジャンルの決定もそのときの気の向くまま。

アントレプレナーは起業家のためのカテゴリーらしい。もしかすると自分のブログの趣旨とはまるで方向性が違うようでありながら、わりにマイペースなところらしく、案外、居心地はよい。要するに、近隣をまるで気にせず暮らしていける場所のようなもので、そういうのが苦手な人もいれば、そういうところのほうが気楽でいいという人もいる、というだけのことで、わたし自身は周囲をまるで気にしない性格だから、放っておいてくれるようなこのダラダラとした自由な空気がこのジャンルの良さでもある。

開業に関してはまたふりだしに戻り、土地探しから始めている。
家を建てるのとは違う。

不動産屋さんが、「独立したい人は収入が半分になってもやりたいんですからね」と言う。投資というのはそういうもの。大抵は40代にもなると生活もできあがっているし、悪くないサラリーを貰うようになっているせいか、逆に冒険をしなくなる。

念のため、その話をダンナにしてみる。年収が半分になってもやりたいのかどうか。
愚かな質問だとは思ったけど、それでもやりたいのだから仕方がない。
逆に、わたしのほうがどうなのか問われたが、わたしとしてはそうやって言われるとますます開業するしかないような気がしてしまう。理由は、おもしろいから。

そうだな・・・
いろいろ父が言っていた意味が次第に理解できるようになる。父の場合は、半分どころか最初は雀の涙。赤字のところの経営を引き継ぐというのはそういうことで、それでもやってみたい仕事だったのだろう。わたしはまだ今の娘くらいの年頃で詳しいことはまるで知らない。

神戸の震災で家が焼けた後、家が建つまでの間、自分で仮設住宅を買って(供給されたものではない)、おじいさん(義父)が開業し始めたとき、何もそんなに無理してまで働くこともないのにと思った。それこそもったいないというか、何も働く必要などないのではないか、というか。すでに充分に高齢だし、しかもその後すぐに癌が見つかっている。むしろ何もしないでいてくれたほうが家族にはありがたかったかもしれない。

が、しかし・・・・
昔の人は強いというか、それでも自分がやりたかったのだから仕方がない。

そんなことをいろいろ考えながら、明日は娘の試験でもある。
木曜日くらいから風邪が酷くなり、入試まで学校を休ませようと思ったけど、娘が家庭科の宿題があるから学校へ行かなければならないと言う。愚かだと思ったけど、送って行く。案の定、今日の朝は微熱。やばいと思ったけど、本人が明日は面接があるのでお風呂に入りたいというので、昼過ぎに風呂。これも愚かだと思ったけど、本人が言うのだから仕方がない。そこを無理にこきたないまま送り出せば、気分がすっきりしないので試験のノリも悪くなると思ったから。それならば、落ちても風邪のせいにできるので、あっさり風呂を沸かした。

その後、不思議なことに娘の熱が下がる。
やっぱ、気分の問題なんだろうか。

それからおもむろに娘に何を着て行くのか問う。
おばあちゃんが送ってきてくれた服、と言うから油断していたら、どうもスカートの丈が短すぎる気がする。あっという間に成長しているせいか、いつの間にか足のサイズもわたしより大きくなっているし、ちょっと試験の面接には向かない気がした。3ヶ月前ならちょうどよかったのだけど・・・

そこで仕方がないので、わたしの古い服を取り出し、娘に着せた。娘には大きいのではないかと思ったら逆にスカートがきついというので、少しホックの位置をずらした。わたしより細いように思っていたら・・・いつの間に。

まあ、ありあわせのものでカバー。

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December 08, 2005

【今日の短歌】 今宵にはドアには吾子のつくりたるリースがひとつ。新年を待つ。

冬薔薇の濃く色づきし陽だまりの白い空気と白いガラスと
大判のまな板を置く調理場の横にはドーナツ固まり候
コーヒーの温かいうち召し上がれ。冷えた指には熱きカップを。
寒々と椿色した薔薇の花蕾のままでクリスマス待つ
去年の冬、椿ツリーが咲きました。今年は薔薇が背筋をのばし。

今宵にはドアには吾子のつくりたるリースがひとつ。新年を待つ。

投稿者 Blue Wind : 01:52 PM | コメント (0) | トラックバック

聴診器一つ

ボチェッリ(アンドレア), サンタ・チェチーリア国立アカデミー合唱団, サンタ・チェチーリア国立アカデミー管弦楽団, メルクリオ, カッチーニ, チョン・ミュンフン, マスカーニ, バッハ, グノー, シューベルト
セイクリッド・アリアズ〜アヴェ・マリア

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ボチェッリを聴きながら、なんで税金のことを調べているのだろう・・・

税金のことだけではなく、このところの開業ブームに加え、医療制度改革についても苦情タラタラ。わたしは別に慢性疾患の患者ではないため医療費というのは母のためにあると思っている。が、しかし、母に支払った保険料の明細が送付されてくるのを眺めると、医療費というのがあまりにも高くて驚く。それでいて、病院はどこも赤字。国も赤字。

わけわからん。

わけわからん。

一つわかったのは、慢性疾患の患者さんが言うには、病院が外来患者を診なくなることにより医療費の支払いが倍になったということ。病院だと医院より安い。特に一つの病院であちこちの科を回っても診察料は加算されない。ところが、医院を別々に回るとその都度初診料が加算されてしまう。

医療費の値上げは難しい。国は赤字。個人負担を増額するとなったら国会が大荒れ。病院は赤字。

なんでこんなに高いのだろう。
医業収入のうち、3割は薬、3割は人件費や医療機器などの経費。残りが儲け。そこから税金。そのくせ、医療用となると机まで倍の値段。信じられない。

癒着とは違うんだろうけど、世の中の暗黙のコンセというのがあり、どうも医療関係となるとぼられる仕組み。何でも高い。ふっかけられる。最後には税金でまかなってもらうしかないのだろうか。

医者は忙しいし、いざ開業するとなったら業者にぼられて、しかもこんな時代だから経営も大変。普通の企業だったら社長は社長、金のことはわからん、では通用しないと思うんだけど・・・

院長が、聴診器一つでやれ、と言っていた意味を理解。医者が1人で、聴診器一つでやっているのが一番楽なんだろうな。

投稿者 Blue Wind : 12:46 PM | コメント (0) | トラックバック

引き算的発想

それにしても税金だらけ。
あまりの種類の多さにうんざりし始めている。
毎年確定申告しているとはいえ、サラリーマンは簡単。所得税を計算し、そこから源泉徴収されている分を引く。医療費控除もマニュアルを眺めながら、とりあえずややこしいものや紛らわしいものは袋の中に入れてそのまま計算して提出。今までそれでクレームがきたことはない。

だけど、事業主となると非常にややこしい。固定資産税、不動産取得税、事業税、消費税、所得税、その他諸々。

うちのダンナは賃貸が嫌い。だけど、また一つ別の医療モールの話。それとは別に、リースバック。

リースバックというのは自分の建物を買い取ってもらい、それをリースするという方法。非常にバカらしいと思っていたけど、いろいろ税金のことを調べているうちに、固定資産税を支払わなくてもよい、リース料はまるまる必要経費になる等のメリットがある。

が、しかし・・・・

一つの目安として、20年ローンを組んだ場合を想定すると、2000万円を借金すると10万円前後。5000万円でもせいぜい25万円程度の支払いとなる。この際、利息や固定資産税は控除の対象となるし、建物も減価償却の対象となる。そのくせ土地の賃料を考えてもせいぜい35万円というのが相場ではないかと思うようなところでも50万円の家賃を取る。それがモールやリースバック。15万円以上の差額が誰かの儲けになる。しかも、数十年に渡って・・・

このように脈々として、それで誰かが儲けたとしても、今度はその人が税金を支払わなければならない、といったサイクルは続くわけで、不景気というのは誰も何もしない、ということを意味するということを知る。要するに儲けなければ多額に納税する必要性はないわけで、国のために働くのなら働かないほうがマシ、というのが実は不景気の源泉のような気がしてしまう。

一つ付け加えるのであれば、開業費に関して。個人事業主の場合には人件費や維持費といった経費も、開業前に支払った分も控除の対象になる。ところが、法人だと控除の対象にはならない。これから1年をかけて準備しようとしているのに、前年にかかった費用は丸損ですと言われたら無理に年内にと思ってしまった。が、しかし、法人ではないので経費にはなるらしい。

それにしてもバカらしい。同じ金額が動くだけなのに、リースは非常に事業には向いていることを知る。「資産−負債=資本」というのが基本だから、負債が少ないほうが資本率がアップするというのがその理由。土地を買うのは損。土地が担保になるというのは幻想。

夫が給与所得者だと妻は働かないと損という気になる。逆に、夫が事業主だと働いてもつまらないという気になる。世の中には子どもの教育などもっと大切なことがあるだろうという気がしてくるから不思議。どこにその差があるのかといえば、給与所得者なら足し算の世界なんだけど、事業主は引き算の世界だから。働けば働くほど損ということも・・・ある。

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December 04, 2005

「1円でも金を賭けろ」

父の言っていたことを思い出す。

「1円でもいいから金を賭けろ」

つまり、「1円でも金を賭けろ」というのは、千円のチョコを賭けても人は本気にはならないくせに、1円でもお金がかかってくるとぐっとまじめになってしまうかららしい。千円のチョコを損しても気にならないけど、1円でも損するとなるとものすごく損した気分になる。

ギャンブルは法律で禁止されているはずだけど、家庭内でやる分には関係ないらしく、お正月はお年玉の争奪戦が恒例の行事だった。大抵は勝っても負けても最後には親がペイしてくれるので金額の問題ではない。でも、子どもといえどもタダ差し上げていてはつまらないとばかりに、わたしはカードを子どもの頃から鍛えられた。

なんで急にそういうことを思い出したかというと、「仕事だと思っていますから」というのが一つの殺し文句になることに気がついたからである。

大抵ね・・・正直に語れば、主婦が何か言ってもまじめに相手にされない。そのくせ、それで食べている人たちがいかにも感心するような仕事をしてくれるかといえば、職人はすごいと思うけれども、それ以外はなんと言ったらよいのだろう・・・あまり学ぶ点はないと感じてしまう。

でね、「わたしもこれが仕事だと思っていますから」と言うと、案外、まじめに受け取ってくれることに気がついたから。つまり、単なる客として存在しているのではなく、ビジネスとして考えているのですよ、ということを伝えると、引いてくれるんだよね・・・うまく説明できないけど。相手と対等になる。そちらもそれがお仕事かもしれませんが、こちらもこれが仕事なのであしからず、というか。

仕事、というのは便利な言葉。

投稿者 Blue Wind : 01:10 AM | コメント (0) | トラックバック

三味線男

近頃、わたしは次第にあらゆることがどうでもいいような気分に陥っている。その理由の一つは三味線男。

三味線男というネーミングはわたしが勝手につけたもの。実際には見たことはない。近所の公園で三味線の練習をしているらしい。まあ、貯水池を背景に公園でまじめに三味線の練習をしているのを見て、勝手におちびが憧れている。

なんか、次第に夢も希望も消えて行った。

S君の場合はまだましだった。おちびの初恋。で、数年の月日が流れ、今度は三味線男。ぐわっ。

娘の親友の好きな人はカメラマンのあひるさん。本名は知らない。

わたしのため息をよそに、ダンナはけらけら喜んでいる。

「案外、いいやつかもしれないよ?」(うひゃひゃ←という具合)

なんて言ったらいいのかわからない。そこでその話を姑さんにしたら、彼女もけらけら喜んでいる。なんて言ったらいいのだろう。次第に姑さんの気持ちがわかりつつある今日この頃。一生懸命に子どもを育て、子どものためにと働き、・・・・・・・いざ結婚というか、蓋をあけると?

何が気に入らないというわけではない。ただなんというか、わたしの苦労が三味線男とその子孫へ、と思うとなんか悔しくなる。ましてや大事な一人娘・・・そういうことを想い描くと次第にあらゆることが虚しい気分になる。

そこで、わたしは三味線男と同居するくらいなら老後はひとりでオト・マリと暮らしているほうがましだという気分に陥る。ところがどうだろう。マリが生理になり、犬の生理なんてまるで知らないから慌てたら、今度はオトが発情し、マリの後をつけまわしている。いくら本能とはいえ、あまりにも露骨。そうなると、わたしの傍には来ない。

なんか、犬にも裏切られた気分。

オトがうるさいから、マリをケージに入れた。・・・・・・完璧箱入り娘。語源を知る。

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December 02, 2005

【今日の短歌】 感覚がくるくるまわるかざぐるま誰か止めてよ木枯らしのふゆ

からくりがひっくりかえってガラス窓のぞいているか木枯らしのみち
ほんまつがてんとうしちゃう世の中はさかだちするよ洪水の水
感覚がくるくるまわるかざぐるま誰か止めてよ木枯らしのふゆ

働いてせっせと育つ子のためにくるくるまわる金ぐるまかな
天国は遠くなったか長生きはいつはつるとも孫の数減る

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December 01, 2005

ふふ。

耐震設計上、ひじょうに危険な建築物に住む住人に対して避難勧告に近いものがあることに驚く。おまけに家賃補助とか自己破産とか? 地震が来たわけでもないのに、地震が来た時と同じ扱いになっている? 家屋は倒壊するだけじゃなく、燃えるんだよなぁ・・・と考えつつ、それなら木造住宅に住んでいる人たちすべてに家賃補助や避難勧告を出してほしいと思っちまう。

それはそれとして、このところずっと忙しかった。ブログを更新する意欲が欠如する。それどころじゃない、というか・・・

でも、よく考えたら、ヒマだからブログを書いているわけでもなさそうな人たちもたくさんいるし、忙しくても書いている人たちも多い。

独立開業する上で一番めんどーなのが雇用の問題なんだろうな。今日、とらばーゆを買ってきた。別に自分がそれを眺めて就職しようというわけじゃない。そうではなく、サラリーの相場を知りたかったし、自分が仕事を探すのならどういう感じで探すのかな、とかいろいろ考えて。サラリーが高いということはどうせ忙しい職場なのだろうし、安いということはヒマな職場ということなのだろうし、サラリーだけではなく勤務時間や勤務地などを眺めて決めたり?

こうさ・・・自分がヒマになり、子育てがひと段落して働くとしたら忙しい職場は嫌だし、ヒマな時間帯だけ働きたいとなるほうが普通。それでいて、世の中はそんなに甘くない。これが独身だったらそれなりに忙しくてもサラリーもよく、社会保険も充実しているところでないと困る。どうせ雇うならやる気のある人のほうがいいけど、そういう人でも結婚や出産などで辞めてしまう。中高年になると病気や体調が原因で仕事を辞めてしまう。あるいは子どもにお金がかからなくなったら辞めてしまったり。

それとは別に、お金の匂いがするところにお金が集まるようになっていることを知る。銀行の紹介の人たちと会って話しているうちに、次第に事業計画や資金援助だのといううたい文句にはウンザリし始める。あっさり語れば、要らん。(いや、援助はしてほしい・・・が)

多額に借金して、その借金を返済するために運転資金を借りる。・・・・・・・バカみたい。(政府や役人ほどじゃないか・・・)

次第にいろいろなことがだるだるになり始め、「そんなに借金したらやっていけないです」ととんちんかんなことを言い始めたわたし。だって、感性が違うのだもの。いやになっちまう。損益分岐点がどうたらこうたら。あっさり語れば、わたしは気が短いから赤字が累積しているのを黙って待っていられない。業績が悪いとなると銀行が後からではお金を出してくれないことくらいわたしにだってわかるさ。が、しかし、業績の問題より多額な借金のほうが遥かに頭痛の種。借金して、あんたたちに儲けさせるつもりはない、とわたしの顔に書いてあったのだろう。

ふふ。

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