November 17, 2005

やっぱ、これは”仕事”らしい・・・

よくわからないけど、一応、開業形態によって何がどういう風に違うのかダンナに説明する。

たとえば、テナント開業なら、診察室と待合室だけあればよく、ショッピングセンターとかね・・・そういうところで買い物や銀行へ行くような感覚でクリニックを利用する人たちのために施設を提供する。これに対して、訪問診療までするような地域医療を主体とするならそれこそ無医村に近いところで、ある程度内科も外科も小児科もなんでもできるような医者が求められるため、医療機器も必要となってくる。場合によっては簡単に入院できるような施設も必要。

うちのダンナがやりたいのは後者の無医村型。だから何かどこかがヘン。それをやりたいのならこんなタウンでやるべきではない。最初からそうだったわけではなく、どういうわけか土地を買ったときにはコンビニくらいしかなかったのに家が完成する頃には一斉に開けてしまっただけなんだけど・・・

そういうのをやりたいのなら、今は自分の診療所まで通勤している医者のほうが多い。つまり、地域医療を手がけたいのなら医者が不足している地域でやるべきだ。それでいてね・・・そういう地域に住むということは主婦が大変。

つくばが計画されたばかりの頃にはスーパーすらなく、農家の朝市で野菜を買っていたという。つまりは、そういう地域に住むということはスーパーまで毎日何キロも車を走らせないとならないとか。幼稚園も学校も遠いし、親が子どもたちの送迎に明け暮れる。昔はそういうのも平気だったけど、次第にわたしもだるだるになり、便利な生活のほうがよくなってきてしまう。若くて体力がある頃でないとできないことが山ほどあることに今頃になって気づく。

あっさり語れば、今さら近所にスーパーもないような生活には耐えられそうにない。それでいてダンナにしてみれば、ショッピングセンターの中で診察しているだけの開業というのもおそろしく退屈らしい。ひとくちで開業といってもいろいろあって、自分のやりたいことと生活スタイルが合致していれば何も問題がないのに、なかなかそういうわけにはいかない。ましてや老人病院や介護施設というのは少なくても50歳を過ぎてからでないと嫌なのだそう。それこそ60歳を過ぎてやればいい、という発想しかない。つまりは若い人たちがそんなのをやる気になるはずもなく、年寄りのことなんてわからないし・・・興味もないのが普通。

なんか中途半端な気持ちのままいろいろ経営試算というのを打ち出してみる。そんなことをやっていたら、それは立派な仕事だと言われた。税務署もそう思ってくれるだろうか。よーわからんね・・・世の中ってやつは。

・・・・・・・・・なんとなくわかった。都会なら人材も多いし、店も多いし、ある程度自分でやらなくても何も困らない。でも、田舎の主婦はそういうわけにはいかないのです。なんでもできないと困るようになっているのかも。

でもさ・・・でもさ・・・・でもさ・・・・・感性が違う。何もやらないのではなく、なんでやらないとダメなのか、そこのところがわたしにはよく理解できないために、なんか感性が違う。なんか田舎と都会の微妙なニュアンスの違いってそういうささやかなところにあるような気がする。

投稿者 Blue Wind : 12:50 PM | コメント (0) | トラックバック

November 16, 2005

さまざまな推薦

わたし個人としては、学校とか組織とか、その手の類が嫌いなんだろう。そういうことを昨日小学校へ面談に行って感じた。娘はどうにか推薦をもらえることになり、わたしが考えているよりおおげさなために学校推薦なんて受けない方が気楽だという娘の気持ちがわかる。塾推薦のほうが遥かに気楽。

塾の成績の良い子でも学校の成績が悪く、学校推薦が受けられないという話はよくあるし、逆にうちの娘みたいに算数1からのリカバリーで成績がパッとしなくても真面目なタイプは推薦の対象となる。世の中はややこしい。両方受けられるというのは、本人のがんばり。赤ちゃんの頃から、スプーンの持ち方一つ教えたことがないのに、よくがんばっていると感心してしまう。(こらっ)

親からみても、宿題一つ忘れたことがないし、学校から帰ってきたらさっさと終わらせる。それでも低学年の頃は忘れ物が多く、先生にも叱られていた。(・・・・・・・・・・それはわたしの責任なんだけど。)

つまり、親がぐーたらなほうが子どもはしっかりする、といった典型かもしれない。

が、しかし、わたしは母が仕事をしていたので、自分のことは自分でやる、というのが一つのルールだったために、娘なんて手間ひまかけられて育っているほうだと思ってしまうけど、世の中の母親はもっと大変なのが普通らしい。

家庭内のルールと社会のルールが違うとややこしい。

どちらを優先させるかと言えば、家庭内のルール。だって生活が違うから仕方ない。そうやって育ってきてしまったから、それが当たり前だと思ってしまう。学校の先生なんてサラリーマンだから、それ以外の生活なんて知らないし、ましてや公務員だとなおさらかも、とうがった見方をしてしまう。

とりあえず、わたしが特に何もしなくても娘はしっかり育ったらしく、あの性格なら厳しい校風にも耐えられるだろうというのが推薦の理由らしい。ただし、お休みの連絡などが午後になったり遅れがちなので、親が叱られる可能性は高い。が、しかし、親が原因で娘が退学になったり、先生に叱られるのはヘンだ。親が学校へ通っているわけではない。とにかく、子どもと年寄りは本人の意思より保護者の意思のほうが重要という世の中。だから、日本の子どもと年寄りは頼りないのかもしれない。

いずれにせよ、わたしだったらあんな学校には行かないけど、娘が自分で行きたいというのだから仕方がない。親子でも性格が違うのは当たり前だし、兄弟でも違う。まあ、わたしが通うわけじゃないですからね・・・どうでもいいというのが本音。中学受験は親8割と言われているのに、こんなんで本当に受かるのだろうか?

普通は逆だと思うんだけどね・・・親は面倒だから厳しい学校に通わせるのは気がすすまない。なのに、娘が自分でそういう学校へ行きたいというのだから仕方がない。

先生に、落ちたらあちこち受けさせて・・・と言ったら、中には調査書の必要な学校もあり、そうなると今から準備しないと間に合わなくなる言われた。いまどき調査書が必要な学校なんて・・・時代遅れもいいところ。

あまりにも面倒なので、娘に訊いたら、そこは受験しないことにした、で終わった。まあ、推薦で落ちたら、の話だし、落ちることもあるだろうけど、そうなったらまた一般入試で受けなおしたらいいだけのことだし、いざとなっても中学は公立の学校があるから何も困らない。

いろんな推薦があるけれど、学校推薦が一番手続きがかったるい。しかも、あまり値打ちがないらしい。・・・・・・・世の中どーなっているんだろう。

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November 13, 2005

単なるやりくり

娘が生まれて以来、ずっとお母さんをしてきたので(今でもそうだけど、もちろん)、このところ事業計画書を書いたり、融資のことを調べたり、あれにこれに仕事もどきをしていることが楽しくてたまらない。実際にサラリーを貰って働いているわけではないけれども、世の中はこういうことをしながら賃金を稼いでいる人たちがたくさんいるのだと思うと不思議な気分になる。

わたしというのは器用な人らしく(貧乏器用かも・・)、旅行の手配から何から何まで自分でやる。そういうことを他人に頼むから余分な費用がかかる。世の中はヒマだったら自分でやっていたらお金のかからないことがたくさんあり、それを誰かに頼むからお金がかかる。近頃では子育てまで他人にまかせる時代らしく、保育料なんていったら、何のために働いているのかわからない人たちがたくさんいることもわたしは知っている。

これだけ働いたら100万円なのか・・・と思うと不思議な気分になる。たったこれだけのことで・・・あほらしくてやってられない。

介護のことでも制度のことでも知っている人に相談したらタダで教えてくれる。役所に訊くと、サラリーを貰って働いている人が仕事として教えてくれる。その差はどこにあるのだろう?

誰かが言っていたけど、友達はタダなんだよ、と。

電子カルテ、レセコン。
もしかすると自分でつくったら1000万円以上浮く?

インフルエンザの予防接種、タダで受けてきました。
自由診療だからなぁ・・・

自分でエクセルで事業計画書をつくったら、おそらくはそれがまた誰かの資料になるんだろうな。もちろん、タダだよ。プロの仕事ではないけれども、参考資料はタダで差し上げます。あれこれやりながら工夫して、やりくり上手になろう。

投稿者 Blue Wind : 12:55 AM | コメント (0) | トラックバック

November 11, 2005

さてさて・・・

毎年、確定申告はわたしがやる。基本が給与所得者の申告だから至って簡単。が、しかし、事業収入となると、税金の支払いが大きくなる上に、勝手に天引きしてくれるわけでもないため、収入に対する利益の低さに圧倒されている。会社じゃないからなおさらかな。かといって個人経営の診療所を法人にすると、役員が5人必要なことになり、完全に個人商店でもないがゆえに難しいことも。

ダンナがもらってきた知り合いのクリニックの開業時の参考資料を眺めながら、このところわたし的経営試算をパチパチ打っている。当然、家計のやりくりもふまえて。単なる個人ショップなのにこの借入額の大きさ。それでいて、基本が非営利の世界だからきつい。人件費も普通の企業よりも高い。優遇税制といっても話にならない。だって、最初から高額な医療機器に資金を投下すると、あっさり必要経費だけで優遇されるべき控除の額を軽く上回る。

結局、収入が増えれば人件費が増え、医療機器が増え、経常利益自体はあまり増えない。病院ならば人間ドックなどの健診などの自由診療が多ければ、とかく赤字になりがちな病床に予算が使える。たくさんの職員がいて、充分なケアをしようと思ったら病院は赤字。その赤字をどこで補うか?結局、自由診療で稼ぐしかない。医療機器はおそろしいほど高額だし、診療に力を入れているところが経営難になることは容易に理解できる。それでいて、買いたいんだろうな・・・その手の代物を。

さてさて・・・
本気でさてさて・・・

投稿者 Blue Wind : 02:55 AM | コメント (0) | トラックバック

November 07, 2005

【短歌】 寒々と表札のない医院前小声の似合う木枯らしの吹く

寒々と表札のない医院前小声の似合う木枯らしの吹く
バラックを料亭にして医院かな人の気配のながながき道
ガレージのいくつ続くか門塀のあかり目で追う人のなき道

投稿者 Blue Wind : 05:24 AM | コメント (0) | トラックバック

November 04, 2005

つくば雑感 その1

昨日、初めてひたちのうしく駅へ行った。できたことは知っていたけど、駅前まで行ったことがない。

一体、いくつの駅ができたのだろう。利用圏内として考えられる駅は、とりあえず常磐線で3つ、つくばエキスプレスで3つ。合計6つの駅がある。どこの駅が近いかというより、どこの駅へのアクセスがよいかのほうが大事。それでいて、わが家は筑波大に近いので、どこも似たようなもののような気がする。

10年前までは、せいぜい土浦駅か荒川沖駅へバスが出ている程度で、そのうちひたちのうしく駅ができ、今は常磐線ならそこが一番アクセスがよいのかもしれない。娘を乗せて、友達と待ち合わせをしているため、送って行ったら早く着きすぎてしまった。駅前のバス停を見たら、つくばセンター行きのバスが停まっていた。帰りは気がつけば筑波大学中央行きのバスが目の前を走っていたし・・・

つくばエキスプレスは残念ながら駅前は相変わらずガランドウのところが多く、つくば駅を除いて利用者は少ないような気がする。

研究学園駅は一体開発が進められているため、駅前はちらほら分譲住宅や土地の販売が始まっている。3年くらいしたら賑やかになるかも。つくば駅はあっという間にマンションが建ち並び、いささか街の景観が悪化したような気がする。が、しかし、万博記念公園駅のように駅前が駐車場だらけというのに比べればマシかも。

万博記念公園駅は一体開発に乗らない地主が多い。かつて一体開発に乗り土地を手放したとたんに地価が高騰してしまったときのトラウマがあり、今回は駅前の地主が一斉に駐車場にしてしまったらしい。でも、そのほうが実はありがたい。結局、利用するなら駐車場のある駅でないと困る。

それにしても、約束の時間の30分前に着いてしまい、最初は娘だけ降ろしたのだけど心配になり駅前の待機場にクルマを入れて迎えに行った。小学生が駅にひとりでいるなんて気持ち悪い。頃合を見計らい娘が大丈夫だと言うので送り出す。相手の子の親が同伴してくれるものと思っていたから・・・

ところが、小学生同士で電車に乗り、・・・まあ、そこまではいいんですけどね・・・、次は模試会場までのバスがわからなかったのでふたりでタクシーに乗ったらしい。前日、「帰りにデニーズに行ってもいい?」と娘が訊くので「いいよ」と答えた。これも相手の家の親の気遣いだと思ったから。よくあることだし・・・ が、しかし、小学生ふたりでデニーズでランチを食べてきたらしい。よく追い出されなかったと思う。正直、ぶったまげたけどね。

そういう年頃なんだろうと思いつつ、先が思いやられる。娘にバスや電車で通学したいかどうか尋ねたら、飽きるからいいというお答え。毎日となるとつらい。やはりスクールバスのほうがいいと言うので、少し安心した。

投稿者 Blue Wind : 06:11 AM | コメント (0) | トラックバック

November 03, 2005

潜伏したい

あーーー、つかれた。
別に何をしているわけでもなく、要するに疲れる。他愛もなくやることも多いし・・・このところ電話も多い。娘の受験日も近づくし、不動産屋からは電話がかかってくるし、学校の先生からも電話があるし、なんか疲れる。

ビタミンが不足しているのだろうか。なんか、疲れる。

まずは学校からの電話。これは先日娘にいわゆる「推薦書の依頼」を書いてもたせたので、先生からの確認の電話。「受かったらそこへ行かなければならないんですよ」というダメ押しのセリフ。塾の先生からも何度も言われてきたし、わたしですら娘に何度も訊いたし、それでいて娘の意思が固いので、今さら親が言っても始まらない。

まあ、夏前までは大学までエスカレーター式に行ってくれたらいいや的学校を志望していたため、この180度にも近い方向転換に誰しも疑問を抱いても無理はない。それでも親バカだから娘が行きたいとなれば推薦書を依頼するという・・・本当のところ、間際まで確定しないと塾の先生にも言われているため、そろそろ出願日も迫っているし、遅くても来週中には返事が来るかもしれない。

娘に言ったら、推薦を受けるほうが、「プレッシャー」と一言。(落ちてもいいのよん♪)

それでいて、そこの中学の教科書ガイドをすでに買ってある。12月に入学が決まったら、さっそく始めよう、と。ダンナに言わせると、「受験が終わったら思いっきり遊んでいいんだよ、だからあと1ヶ月がんばれ」となる。あほなおやじ。受験なんてものは単なる通過地点なんだから、スタート地点であってゴールではない。受かったら受かったあとのことを考えるくらいでちょうどいい。イメージ効果もアップするし・・・ 自分がそこの学校に受かったことをイメージするのは非常に効果的だ。本人も中3の英語のテキストを読んで、まるでわからないとのほほんと言っていた。当たり前だろう・・・英会話ですら小2でリタイアしているというのに。でも、あまりややこしいことは考えないというのは素晴らしい。ああいうタイプが一番つよいのかも・・・

だいたい、算数1からのリカバリーだからね・・・一時は計算も満足にできないし、もうダメだと諦めのよいわたしは諦めていた。そこからぼちぼちやりながらいきなり塾。それが推薦もらえるようなラインまでもってきたのだから、本人の努力を褒めてやらねば。

が、しかし・・・大抵は、「それ、どこの塾?」と訊かれる。世の中ってそういうものなのね。

というわけで、わたしが受験するわけでもないのに、それにまだ受かったわけでもないのに問い合わせがある。特に、娘より下の学年の保護者から。受験まで持ってきただけでも値打ちがあるらしい。別に難関校を受験するわけでもないのに・・・やっぱ、それが本音なんだろう。どうやったら子どもをやる気にさせるか?とか。

不動産屋さんからは例の如く押さえている土地をどうするのか、という問い合わせ。ダンナはそこで開業するつもりになっているのに、たとえば、銀行やメーカーは「土地探しからお手伝いします」の世界だから、余計に話がややこしくなる。不動産屋さんは土地が売れればいいだけだけど、銀行はそこでやって成功するかどうかを気にするし、正直、値段が高い。つくばなんてちょっと離れただけで土地の値段が3分の1以下になるため、メーカーは広い土地を安く買い、大きな建物を建てたほうが儲かるし、真っ向から意見が食い違う。

あっちにいい顔、こっちにいい顔するわけではないけれども、次第にあっちからもこっちからもいろいろ言われ、近頃ではストレスだけがたまっていく。他人は関係ないとばかりに自分のことだけを考えているほうが最終的にはうまく行くような気がするほど。

が、しかし・・・・・わたしが働くわけじゃないよ?

結局、仕事の話から次第に子どもの受験の話に流れていくと、大抵は奥さんは子育てに専念してほしい、となるらしい。正直、受付とか経理とかさ・・・そういうのは人を雇えばいいじゃん。ところが、子どものこととなるとそういうわけにはいかない。本当に手のかかるうちは保育園でも平気なくせに、受験の頃となると真面目になる。それって逆だと思うんだけど、あえて何も言わない。言っても無理だもの。そういう手のかかるうちにケアするかしないかで、のちのちが違う。言葉が通じるようになってから正論を言っても通じないのだわ・・・たぶん。

投稿者 Blue Wind : 02:11 AM | コメント (0) | トラックバック

November 02, 2005

明々白々な能力差

医療の世界ほど仕事ができる・できないがはっきりした世界はないのかもしれない。どこにラインがあるのか、働いたことがないわたしには理解できないけど、明々白々に違うそう。

たとえば大学病院なら、自分についている職員全員を引き抜いて開業してしまうし、事務の果てまで仕事のできる人を連れて行ってしまうし、医者一人が開業するとなるとごっそりできる職員が減るので大変になるらしい。民間の病院では院長の方針がすべてなので、給与の果てまで個人差があり、職員同士でその手の話をすることはまずないと言う。一律で給与が定められているのではないことくらいはわかる。

でもね・・・話を聞いていると他愛ないことなのよね。

たとえば、ミスをした場合。内視鏡を洗浄する際、マニュアルがあり、慣れている人や覚えのよい人はミスはしないし、しても認めて謝る。ところが、うっかりミスで、洗浄していない内視鏡を間違えてセットしてしまったときなど、汚れているのだから大抵は洗っていないことくらい誰でもわかるじゃないですか。(たぶん) ところが、「私は確かに洗いました」とかさ、ミスを認めない。中年の看護師さんに多いらしい・・・この手のタイプ。もっと恐ろしいことに、汚れた部分を拭いただけで医者に使わせようとする。こうなると論外。

ある程度仕事ができるようになる頃が一番怖いそう。たとえば、本来なら看護師は注射をしてはいけない。点滴もダメ。ただし、採血はよい。その昔、義父もそれで大変なことになったことがあり、看護師さんが子どもに間違えてインシュリンを打ってしまい、危うく死なせてしまうところだった。明らかに看護師さんのミスなんだけど、本来なら医者でないと注射してはいけないわけで、開業医だと看護師さんが注射しているところもめずらしくないし・・・ でも、その事件以来、義父は自分でやるようになったそう。当たり前と言えば当たり前なんだけど、職場の方針でその当たり前が違うから、それを理解してもらうまでが大変。

で、本来ならダンナが職員の給与の支払いから税務まで独りでやるべきなんだけど、あの人が源泉徴収を計算したり、確定申告を自分でやるとは思えない。どうせ税理士を頼むんだから・・と思っても、誰がいちいちそういう雑用をするのだろうか? ⇒ あたし・・・

でも、本来なら職場のことまでいちいち奥さんに口を出されたらやってられないよね。そこで釘を刺されたのが、職員の採用と給与に関しては一切ダンナが決めたいということ。相性というのがあって、まだ先のことなのに、今から引き抜きを考えているから。1人仕事のできる看護師さんを引き抜いて、あとは手伝いの看護師さんを雇えばいい、というのが基本。サラリーも当然違う。

何をもってして仕事ができる・できないを決定するのかはわからないけど、うっかりミスが文字通り命取りになりかねない世界。そうなると表面上のことだけではなく、感性というか人柄というか、相性もあるだろうし、自分のやり方や方針をきちんと理解し守れる人でないと困る。

なんか、考えただけでストレスでダウンしそうだ・・・


トラステへのトラバ ⇒ 「採用したい人、採用したくない人」

投稿者 Blue Wind : 03:40 AM | コメント (0) | トラックバック

November 01, 2005

なるほど・・・

ものごとは本音で考えないと。
そうやって言われてみると・・・・

学校説明会へ行き、一番印象に残っている言葉が、「校長も教頭も全部わが子はうちの学校に入れています。自分の子を入れたいような学校にしようということでやってきました」という何気ないセリフ。

改めて考えると、教師の本音なんだろうな。世の中で一番学歴やら教育にうるさいのが教師であり、教師の子どもがアホだと医者の子どころの騒ぎではない。自分の子どもの教育もできない人間が他人の子を教育できるのだろうか、というシビアな目は絶えない。

が、しかし・・・・そうやって考えると、自分は私立の学校の教師をしているくせに子どもは国立に入れて、とかね。そういう感性もわからなくはない。というか、親子で同じ学校にいるのは大変とばかりに子どもは違う学校へ入れることも多い。

うちの親を移すときにも姑さんに言うときにも、「院長でも自分の親を入れているから」ということを盛んにダンナが繰り返す。それにどんな意味があるのかいまいちピンとこなかったけど、おそらくはそういうことなのかもしれない。そうなんだよね・・・本音だから。

なるほど・・・

投稿者 Blue Wind : 03:32 PM | コメント (0) | トラックバック

本音の学校

先日、親子で学校説明会に参加した。わたしなどは先生の話を聞いているだけで窒息しそうになり、厳しい校則やひたすら勉強だけやらせるビシッとした校風に今からうんざりしている。娘がなんであんなところに入りたいのか理解に苦しんだ。いまどき授業の妨げとなるという理由でケイタイまで禁止している学校なんてあるのだろうか?

わたしたちが夫婦で4人の先生の話を聞いている間、娘は体験授業で英語と理科を受けていたらしい。授業が終わり、「もう3人友達できたよ」とうれしそうに語る娘を見ていると、学校なんだから授業が楽しくて、気の合う友達が多いほうがよいに決まっていると思う。少なくても授業のレベルでは今の小学校よりも上なんだろう。・・・・・・まるで予備校みたい。

娘がどうしてそこの学校へ行きたいかと言えば、嘘がないかららしい。塾へ行くより楽だとか、スクールバスで通学できるからとか、非常にわかりやすい。ほかの学校との比較によれば、今流行の海外での授業や国際化といった風潮にはほど遠い。アートに力を入れているわけでもなく、要するに学校とは勉強する場所であるという割りきりの下、勉強に集中できる雰囲気をつくることが大事とまで言い切っている。

で、やりたい子は自分でやる。

海外へ行きたいと思えば自分で行けばいいし、絵の勉強をやりたいのなら専門の場所でやればいい。そういう子がいないかと言えば決してそういうわけではなく、要するに学校とは勉強をする場所であり、勉強は学校でやり、それ以外のことをやりたいときには各人が自分の時間でやる、といったほうが確かに合理的なのかもしれない。

ゆとり教育なんて嘘だもの。実際には親がせっせとやらせている子は昔ながらに学校での成績も先生からの受けもよく、えこひいきとは違うのでしょうけど、先生の独裁体制は続いている。専門とはほど遠いところで何から何まで担任が受け持つ小学校ではなおさら逃げ場がない。そういう独裁体制が嫌な子は、塾へ通ったり習い事をしたり、個々のプライドをキープするだけで必死。そのため、勉強ができすぎる子はどういうわけか都内の塾まで通学していたり、保健室で授業を受けていたり、非常にややこしい。テストが100点ばかりでも授業態度が悪いということで成績も落とされる。

いたちごっこ。

昔からあるんだよね・・・点数だけの評価なら数字がはっきりするから納得もいく。ところが、その子の性格や性質、才能といったことになると極めて独裁や教師の価値観、社会の既成概念により規定されてしまいやすい。もともとが客観的な評価など無理だろう。

というわけで、なるべくならわかりやすい校風のほうが嘘がないから気楽なのだそう。それに、嫌なら中退して公立へ行けばいい。どうしても合う・合わないがあるから、我慢してまで通う必要性もない。公立へ行って、結局受験のために塾へ通うのなら、最初から学校が塾としての役割を果たしているほうが確かに公平かもしれない。

学校って何のために通うのかわからなくなるけど、あっさり勉強するところですと言われたほうがさっぱりするのも事実。うちのダンナに言わせると、勉強は学校でやり、それ以外の時間は遊んだり、絵の勉強をしたり、そっちのほうが当たり前らしい。そうやって言われるとそうなんだけど、そうなると今までの小学校生活って何だったのだろう?

投稿者 Blue Wind : 01:27 AM | コメント (0) | トラックバック