October 31, 2005

震度3 またまた震源地付近

震度3で揺れ具合は大したことはないけど、なんせ震源地から近いと音がものすごいです。
活断層はないという話なんですが、それにしても近頃地震が多い。

投稿者 Blue Wind : 03:09 AM | コメント (0) | トラックバック

楽しまなくっちゃ

最初はジェットコースターに乗っているような気分だったけど、次第にわたしは成り行きに慣れ始め、脱サラというのは気持ちの上で大変なことなんだなぁ・・と何となく感じている。親が商売をしていたのだから、そりゃ業績の良いときもあれば不作の時もあることはうすうす・・・特にわたしの父のように若い頃に3回も失敗しているとなおさら・・・まあ、失敗しても若い頃なら親や兄弟がいるため食べるだけなら困らないのかもしれない。

銀行からの借り入れなしで虎の子を使い果たし、親からの借金でしのいできた先生も今は元を取り戻しつつあるし、奥さんがサインしていないからね・・・本当に困れば店(クリニック)を閉鎖して勤務医に戻れば食べるには困らないし、それを考えると気楽なのかもしれない。考えようによっては借金がないというのは強い。

うちのダンナみたいな性格は、親がとりあえず店を残しておいてくれたらいつでも開業できるし、それを考えたら非常に楽だったはずなのに、開業するのが嫌でつくばで暮らしている。なのに、今度は開業すると言う。非常にわがままなんだけど、誰に迷惑をかけているわけでもないし、今さら神戸へ戻るつもりもない。

どうせやるなら楽しまなくちゃと思ってあれこれ検索。

神戸で開業している歯科医院の写真を眺めながら、お洒落だなぁ・・と感心する。それとか、建築の賞を取った作品とか。内装だけを比較するだけでも何かどこかが違う。美容院などの設計はどこもお洒落だし、わたしが建築家ならそういう仕事だけやりたいほど。

知り合いの美容師さんが鏡一枚に100万円使いたい気持ちが少し理解できた。おそろしいほどバカらしい気もするけど、どうせやるならそういう店をつくりたいと思うほうが自然な発想なのだと思った。若いし・・・

ただし、銀行に、「どうして茨城でそういう店を開くのですか?」と質問されたそう。

ぐわっ。
都会と田舎の違いってそういう風。

それと、診療科目によるのかもしれない。今はどこも歯医者はお洒落だけど、医者は単に目立つような建物が多いだけでお洒落とはほど遠い。単にわたしの主観によるものかもしれないけど・・・(汗

果たしてそういう医院をつくったとして、田舎の人たちにそれが受け入れられるかどうか?・・・・というわけで、土地柄というのも考慮しなければならない。

でも、今後20年くらいはそこが職場になるわけで、そうなるとかなりの長い時間を過ごすことになる。

趣味の良さって何なのかよくわからないけど、センスの問題も大きいような気がする。たとえば個人の診療所でも予算があれば大理石を敷きたい、というのはわがままなのだろうか。それがホテルなどだと高級感を出すためにごく普通の仕様なのかもしれないけど、病院や医院となるとどうもイメージが違う。そこで諦めたけど、せめて床は白にするとかね・・・淡いピンクのマーブル模様とかね・・・

カウンター一つ取っても医院と美容院は違う。それでいて今は病院もホテルも似たような受付になっているところが多い。昔は薬局が受付を兼ねていたために用心のために小窓があるだけの受付も多かった。今はそういう閉鎖的な受付は少ない。医薬分業の時代になったせいかもしれないけど、劇薬を置いてあるところは大変。処方箋を書いているだけのほうが安全には違いない。金を盗られるならどうせつり銭くらいのものだろうけど、薬となるとにっちもさっちも。管理が大変なものは扱わないに限る・・・・(せこい)

最初は1台でも多く駐車場を確保しようと思ったけど、次第に発想が変わり、待合室の前にサービスヤードをつくって喫煙所にしようとか。まあ、そういうのは今は入り口の前に灰皿を置いてあるだけのところが多いけど。建物を敷地一杯に建ててしまった場合、正直な話、医院というのは119の9の部分が玄関前のアプローチみたいなもので、入りやすければよいというものでもないため、入り口に困る。

基本的な設備はどこも同じなんだけど、次第にわたしの気分はそういう標準仕様から離れていき、大抵はその手の部分は設計の人に任せてしまうのかもしれないけど、かなり細部に至るまで指示できそうな気がしている。ダメなら内装は美容院の設計を手がけているところに頼むとかね・・・そっちのほうが医療として頼むよりも安くやってもらえそうな気がする。どういうわけか、医療とつくだけで何でも高い。業者にぼられるのはイヤ。

・・・・・・・・・・・と、ここまで打ったら地震。おおお・・・こわっ。

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October 30, 2005

【今日の短歌】 半袖で秋の終わりを迎えればざくろの実生り色水の味

りりりりりん。待てば鳴かねど秋虫の透きとおる夜は気長伸びゆく
半袖で秋の終わりを迎えればざくろの実生り色水の味
バグダッド、シンドバッドの冒険はざくろのようなルビーを拾う
冒険は果てることなくつづく旅少年の夢弧を描きたる
太陽はめぐりゆけどもかたちには東へ西へ空の旅路か

投稿者 Blue Wind : 03:52 AM | コメント (0) | トラックバック

October 29, 2005

将来の夢

娘に言わせると、うちのダンナは平凡の代名詞らしい。まあ、そうやって言われてみると、そうかもしれない。可もなく不可もなくどこにでもいるような医者であり、どこにでもいるような父親であり、娘には甘い。大金持ちにもなれそうにないかわりにお金に困る生活でもなく、そうやって言われると言い返せないことに気づく。

問題は、父親のようになりたくないし、父親と比較されるのが嫌ということ。

なんかね・・・・・・娘の夢はお絵かきさんになること。将来は有名な画家になるのが夢らしい。

そのくせ思うんだけど、世の中に少しくらい絵の上手な子はたくさん存在し、うちの娘程度には勉強のできる子もあまた存在し、器量もまあまあ・・・という子もたくさん存在する。そのように考えると、うちの娘は実に平凡な子であり、それでいて父親と比較されるのが嫌だと言う。似ていると言われても嫌なんだから・・・

で、世間の常識から言って、そういう平凡な人だからこそ試験の面接にもお父さんに行ってもらうほうがいいし、彼なら何とかしてくれるのではないかと。ところが、お父さんは何を言うかわからないから、わたしに行ってほしいと言う。そりゃ逆だと思うのね・・・なんか、感性が違う。そりゃ娘の世界の出来事にいちいち学校へ行くというのならわたしのほうが説明しやすいような気がすることもあるけれど、試験の面接というのはオフィーシャルな部分があるのだから、お父さんのほうがよいような気がする。

うちのダンナはとても平凡な人なので、将来は娘を東大に入れようと思っている。その理由は、昔と違って可愛い子でも東大へ行っているから。(あのなぁ・・・)そこで、「器量が悪いから東大へ入ったと思われるわよ」と言い返してやったら、「そりゃ最悪のパターンだ」と言ってがっかりしていた。

こう、なんと言うか、そういうところが至って平凡と言うか・・・

ひとり娘だし、才色兼備でピカピカに成長することしか思い描いていないところがすごすぎる。が、しかし・・・獣医にでもなって平凡にたくましく生きていくほうが想像しやすい。

ぷわ〜っと派手な世界ではないなぁ・・・やっぱ、理系では華やかな学生生活は望めない?せっかく一度しかない人生なのになんで勉強していないとダメなんだろう・・・番茶も出花の年頃に。

なんか、夢も希望もなくなる娘の気持ちが少し理解できた。

投稿者 Blue Wind : 03:01 AM | コメント (0) | トラックバック

【短歌】 英雄は黒黒として聳え立つ鋭利な刃物つきたてている

君死して今何のため嫌われて呪われて肉まつられ拝み
あのように生きるがよしと子らなどに言えるわけなく苛立ちの杜
国のため生きるがよしと蓮っ葉に砕け散ったか野の向こうには

英雄は黒黒として聳え立つ鋭利な刃物つきたてている

野の花よ、森の木霊のいくせんの声にも似たり、風の向こうは
苛立ちは武勲の文字をかろがろと祭ってみては死に絶える、人

公務員減らして増える軍事費に騙されてみて科学立国

軍隊は政府の犬と書いていたあの本の意味老眼で知る

オトくんは勇敢に吠え勇ましく玄関の前飛び出してゆく
マリちゃんは好奇心ゆえドアの横身を滑らせてしっぽふりふり

虚しさをすこし感じるドアの前くらがりの中犬だけ吠える

憤り、遠のいてみて無邪気さが胸につかえた小骨の罪に

英雄に天国はなし英霊は小骨のようにたたずんでいる

投稿者 Blue Wind : 02:07 AM | コメント (0) | トラックバック

October 28, 2005

震度1 真下

午後8時、ドンという音。
揺れるかと思ったけど、ほとんど揺れなかった。このため、テレビではわからないので、地震速報を検索する。

Hi-net 高感度地震観測網

茨城県南西部
マグニチュード 3.7
深さ 72km

音だけするというのもなぁ・・・ローカルすぎて気持ち悪い。

投稿者 Blue Wind : 08:32 PM | コメント (0) | トラックバック

嫌い。

首相の靖国神社の参拝などというものは、言わば帝国主義の末路であり、今日まで帝国主義的精神が続いていると思われても仕方がない。それが天皇による独裁なのか、事実は軍部による独裁なのか、もはやわたしにはどうでもいいことである。

軍人がたくさん死んだという理由で、彼らを神として祭るというのは滑稽である。言わば、そういう類のものは戦没者の霊を慰めるものであり、慰霊碑であり、彼らの安らかな眠りを妨げるものであってはならない。今日に至るまで戦争のない時代はなく、考えてみれば、そのどの時代にもたくさんの人たちが犠牲となっており、靖国を参拝するのであれば、戦没者のすべてをそこに安置すべきであろう。そして、軍人を祭る墓を政治家が参拝するというのは、宗教というよりもむしろ皇帝を仰ぐような感覚にも似ているような気がするが、どうなんだろう。

少なくてもわたくしは軍人ではないので、軍人の墓は参拝しない。もちろん、それが家族や友人の墓というのであれば話は違うが。

宗教ってなんぞやと問われたら、素直に考えて、死後の世界のことである。要するに、死んだら神のみもとに行きたい。それだけ。天国の階段をのぼり、安らかに眠ること。オトやマリもいっしょ。いつまでも幸せに暮らす。そんな感じ。何よりもイエスに会いたい。

死んだらどこへ行きたいか?
おそらくは、そういうことの違いなんだと思う。
わたしは、靖国神社の大きな鳥居にとどまるよりも天国への階段をのぼりたい。

だからといって、他人の行動までいちいち気にしていたら生きていけそうにない。かといって、死んでまで軍人的な人たちの近くに近寄りたいとも思わない。嫌い。

投稿者 Blue Wind : 03:51 AM | コメント (0) | トラックバック

October 27, 2005

不透明な透明

それにしても見事だ。
どうやって考えても、家と学校と教会しか出没スポットがない。それ以外に思いつくところと言えば、教会以外唯一彼女の勤め先だった日赤くらいのもので、それすら学校の隣。お子さんに母親のことを尋ねられてもわたしが知っている以上のことを誰かが言うとは思えない。

離婚して実家に戻り、教会の事務をしているだけではとても子どもを引き取って育てるということも無理だろう。で、子どもは姑さんが世話している、と。

あー、おそろしい。とても他人事とは思えない。

が、しかし・・・・考えてみれば、孫は孫だからそれなりに可愛がってくれているのだろうし、父親は医者だし娘が生活に困ることはない。自分ひとりが生きていくだけなら、細々と。

なんかなぁ・・・・そうやってさばさばと割り切ってしまえば、他人が考えるほど彼女が不幸だったとは思えない。

----お母さん、どんな人?

そうやって尋ねられても、教会へ行きなさい、で終わり。ほかに何を言っていいのかわからない。とても真面目な人、としか答えられない。少なくてもほかの面をわたしは知らない。

なんか、不思議。入学式の電車の中から一緒で、その後気がつけば、クラブも学科も同じ。それでいて細かくはまるで正反対。

彼女が幸せだったかどうかはわからないけど、とりあえず不幸でもなさそう。ある意味、幸せな人生かも。

投稿者 Blue Wind : 01:37 PM | コメント (0) | トラックバック

【今日の短歌】 時間すら凍ってしまった箱の中開いてみれば青白き空

濃厚な冬の気配のしのびよるクリスマスにもまだ遠い秋
ふと開くヨブ記の文字にみことばは彼女の記憶、静かに遠く。
時間すら凍ってしまった箱の中開いてみれば青白き空

投稿者 Blue Wind : 12:31 PM | コメント (0) | トラックバック

楽天家

いまいちさえない娘の成績。本人もそれなりに自覚しているのか、塾の面談の前に牽制されてしまった。それでも無事に追い出されることもなく続いているほうが見事!さすがわが子!!小指1本引っ掛けて、なんとかクリアしてほしい。

・・・・・・・・で、なんで第一志望が進学校なんだろう?

茨城の伝統から言って、あいかわらず県立が強い。が、しかし、全員が合格するわけではなく、すべりどめと言われている私立へ入る子も多い。それならば中学から、というわけで、地元だから入れてくれるだろう的甘さの中、娘の受験に突入することになった。

塾の先生と面談し、かなり勉強でも生活指導でも厳しい学校なので、せっかく受かっても中退してしまう子も多いという話を聞きながら、そこへ行きたいのは親ではなく娘なのだと念を押す。親のほうはちゃらんぽらんなので、中退して県立へ行ってもいいし・・と暢気。それどころか敗者復活戦的に全部の試験を受けたら最終的に無試験で入れてくれそうな学校もあるゆえ、そちらを受けさせようかとも思っている。それでいて、娘の第一志望は変わらない。ある意味、謙虚。おのれを知っているせいかもしれない。

大体、わたしはアバウトなので、同じ学校の中で東大へ行く子がいたり、医学部へ行く子がいたり、それでいていてそういう中でわが子の成績が最下位に近いものであったとしても嘆かないことにした。そういう学校でも美大へ行ったり、女子大へ行ったり、すみっこのほうに何となく座っているだけでもいいではないか。

よく考えたら、わたしにはそういうタイプの友達が多い。彼女たちが不幸にしているかと言えば、決してそんなこともない。

問題は、受かるのだろうか・・・ということ。小指1本引っ掛けて、何とか合格最低点すれすれでも、受かってしまえば合格には違いない。特待生を狙えと言っているわけではないのだから、何とかなるだろう。甘いかな。

投稿者 Blue Wind : 02:27 AM | コメント (0) | トラックバック

October 26, 2005

頃合

学生時代のネットワークって何かと思えば、結局、教会つながりなのだと。もう長年会うこともなく、話す機会もめずらしくなりつつあるのに、おそらくはこのダラダラとした関係が死後にまで続いていくのかもしれない。というのは、死後半年が経過し、すでに音信も途絶え、最後に会ったのはおそらくはわたしの結婚式で、御聖堂だった、という希薄で濃厚なつながりが死後にまで続いていく。

たまに会って話すことと言えば、大抵は子どもに洗礼を受けさせるか、とか。わたし自身は洗礼も受けていないくせに、そういう愚痴がダラダラ続く。子どもの頃、あるいは学生時代に洗礼を受けた人たちはともかく、わたしのように、そのうち勉強会に参加して、と思いながらもダラダラしている人間にとっては、近頃少しずつ老眼が始まったような気がするゆえか、そろそろ真面目に、と考える年頃でもあり、今後ますます年寄りに近づくにつれ、この手の話が濃厚にわが身にふりかかることは想像に難くない。

おそらくは賀状一つとっても、カトリックやプロテスタントという枠をこえて、この狭い日本の土壌で細々とつながる糸によりつながれている。

ダンナがそろそろ開業すると言い出すのと同じくらいわたしがそろそろ受洗すると言い出すのはごく自然の成り行きであり、彼も昔は開業医になることなど希望していなかったにもかかわらず、ある程度の年齢に達するとごく自然の成り行きでそうなるように、わたしも昔は自分が洗礼を受けるということを希望していなかったにもかかわらずごく自然の成り行きでそういう気分になっている。

誰かの一生を振り返るとそれはとても儚く短い。

おそらくは、よくある出来事なんだろう。せっかく結婚して、子どもも生まれて、それでいてうまくいかなかった。おそらくはあまりにもよくある出来事なんでしょうけど、学生時代から信仰どっぷりの人にとって、それが二重の苦しみとして存在していることを考えると、複雑な気分に陥る。

わからないけどね・・・おそらくは彼女がカトリックの信者でなければ、もっとあっさり離婚していたような気がするけど、どうなんだろう。わが子とも会えず、母親のことを知らない娘。おそらくは淡々と実家に戻って、毎日教会へ通っていた彼女を想像するのは簡単すぎて複雑な気分に陥る。

おそらくは、ほとんど自分の感情を表すことなく、複雑な状況で生きているにもかかわらず、彼女は淡々と教会へ通う日々を過ごしていた。教会には教会の行事があり、たまに教会のコンサートがある日には友達を誘ったり、そういう静かな生活を過ごしていたことは想像に難くない。

大抵の友達は子育てに忙しく、月並みな生活。他愛もなく続くおしゃべり。その向こうにはほとんど表情を変えず微笑む彼女が座っていたことは想像に難くない。そして、彼女は毎日教会へ通っていた。

大して真面目な信者でもなく、いまだに洗礼も受けていないくせに、月並みな生活をしているくせに、わたしは少しも自分が不幸であるとは感じない。そのくせ、そういういい加減な人間に限って、そのうち受洗して・・・とあいかわらず。それでいて、わたしは少しも自分が不幸であるとは思っていない。そのうち、そのうち、と思いながらも神さまは近づくだけで、遠ざかることはない。それはいつかは誰でも死ぬわけだから、ごく自然の成り行きであり、おそらくは生まれたときから決まっていたことのような気がするくらい当たり前の出来事のよう。

若い頃は、気がつかない。ある意味、生きることに一生懸命で、そのために努力しているからかもしれない。でも、ある程度年をとってしまうと、やがては誰でも死ぬという事実を思い出すようになる。おそらくは、それからでも充分な気がするほどだ。おそらくは、それからでも充分なのかもしれない。

投稿者 Blue Wind : 02:42 AM | コメント (0) | トラックバック

短い日

大学時代の友人が亡くなったという話を電話で知る。詳しいことはわからない。誰も知らない。ただ、風の便りに、彼女が結婚後間もなく別居し、お嬢さんを残してご実家へ戻られたこと、そして最近になって離婚したことなどを知る。そして、教会の事務の仕事に就いていた。密葬で亡くなったことも伏せられていたけど、たまたま同じ教会の友人が葬儀を知り、参列。来月は追悼ミサ。こうやって書いてしまうと、一生はあっけない。

投稿者 Blue Wind : 01:15 AM | コメント (0) | トラックバック

October 20, 2005

「頭スカスカ女」

また、イエスは言われた。「神の国は次のようなものである。人が土に種を蒔いて、夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。土はひとりでに実を結ばせるのであり、まず茎、次に穂、そしてその穂には豊かな実ができる。実が熟すと、早速、鎌を入れる。収穫の時が来たからである。」

投稿者 Blue Wind : 03:30 PM | コメント (0) | トラックバック

【短歌】 うねうねとすすんでゆくか風のみち ほむらの尾花ゆれて秋そら

うねうねとすすんでゆくか風のみち ほむらの尾花ゆれて秋そら
台風のおきみやげかなゆうやけがうつくしすぎて大地もゆらす
あわだちそうせいたかのっぽにゆれる原すすんでゆくかつめたい足音(あおと)

情報がたちまち秋を覆うよう電話の音がおおげさに鳴る
ゆうやけがおおげさなほどうつくしくガラスのなかにいくつも融ける
おなじそらいくつも浮ぶガラス戸はもどかしいのかうつくしいのか

おなじ席ずっと座ってゆうやけは吾子の通い路つくろっている

投稿者 Blue Wind : 02:18 AM | コメント (0) | トラックバック

青で歌集

短歌はどうしたって?
なんで誰も訊いてくれないのだろう・・・(汗

短歌を詠み始めたのも、最初はちょっとやってみよっかなーという・・・・それだけ。自己中は他人のことはあまり気にしない。インターネット歌人がどうたらこうたらなんて、たまたまそういう流行や風潮に重なっただけなのだろう。

題詠マラソンも今年はキャンセル。

別に理由はない。ただ、忙しくなったということと、気分ということと、出版って大変なんだなぁ・・と思ったのと、商業出版系のノリにはどうもついていけそうになく、それでいて出版社の苦労を知るにつれて、やはりこれは遊びではないことを知り、そのすべてが鬱につながりそうなのであっさりリタイアすることにした。

そのうち歌集を出すとして、自費で出すとなるとタダではない。かといって出版社へ原稿を持って行くような性格でもないし、歌集なんて売れないと思っているから諦めがよい。

主婦の趣味の領域として考えた場合、あまりにも高額すぎる出費。ダンナは出してもよいと言っているが、わたしとしては気が進まない。だって財布を握っているのはわたしだもの。やだ。

けち!>あたし・・・

というわけで、診療所が完成し、青色で給料を貰うようになったら、好きにやらせてもらおうかと。別に、自分で働いた金を何に使おうがわたしの勝手ではないかと思うんだけど・・・ほんで、入り口に置いて勝手に誰かに持っていってもらう。誰も貰ってくれないかもしれないけど・・・まあ、それでも道楽だから。

そうやって考えたら一気にさっぱりしてしまった。

投稿者 Blue Wind : 01:57 AM | コメント (0) | トラックバック

October 19, 2005

震度4 (長い揺れ)

先日の地震より、大きく感じた。同じ震度4とは思えない。
ただし、音はあまりなく、まだ揺れているのか・・という印象。
1分は長い。
海底。

投稿者 Blue Wind : 09:10 PM | コメント (0) | トラックバック

コンセプト

開業するタイプの先生にもいろいろあって、コンセプトが違うから悩む。

たとえば、ある先生は教授と喧嘩して、要するに自分の研究室をそのままつくりたかっただけ、とか。そうなると私財を投げ打ってでもいいわけ。採算を度外してやりたいことをやっている。広いスペース、最新の設備、そこに大学病院から自分の患者さんを連れてきて、学会発表やら講演やら独立独歩でやっていきたかった。

別の先生は臨床的側面を大切にしている。そこの診療所の図面を設計士さんに見せたら、この動線では相当従業員数がいないと大変になるだろうと言われてしまった。要するに、トイレも奥だし、診察室と検査室が別れているから初診の患者さんやお年寄りは看護師さんがいないとどこへ行っていいのかわからない。

で、その理由を先生に訊いたら、そうしないと看護師さんが飽きてしまうからだそう。

そりゃそうだよね・・・医者の手伝いをしているだけというのでは退屈してしまう。患者さんの世話をしていたり、世間話をしたり、移動が困難なお年寄りを誘導したり、そういう意味でのコミュニケーションがないと看護師はつまらない。

というわけで、そこの診療所はいつも患者さんと看護師さんが賑やかにおしゃべりしている。それが医院の活気なのかもしれないし、おそらくは動線として考えたら実に効率が悪い設計だけど、コンセプトとしてはそのほうが楽しい職場なのかもしれない。

それとか、なんで医者が1人しかいないのに1診、2診という具合に診察室が余分にあるのだろうか・・とか。これは実に不経済なんだけど、先輩が後輩の面倒をみるという伝統により、使わなくてもそういうスペースを確保している先生が多い。別にどこかの住宅メーカーの図面のように親子でやっているからという意味ではない。ささやかなことなんだけど、院長室を医局と呼んでみたり、最初から心構えが違う。

今の職場、働きやすそうだし、サラリーも悪くないし、特に何に不満がある生活でもない。それでいて言葉にはならない退屈さがあるらしい。要するに、自分の持ち場があり、勤務時間帯があり、決まったことを決まったようにやっていればクレームは発生しない。わりに良い先生が多いから、人間関係にトラブルがあるというわけでもない。

それでいてなんで?

おそらくは、人生観というか医師像というか、医療に対するイメージとか、自分が何をやりたいかとか、おそらくは言葉にはしにくい部分のデリケートな問題なのかも。

そこのところを理解してもらわないと、数字の話をしていてもさっぱり先に進まない・・・

投稿者 Blue Wind : 01:51 PM | コメント (0) | トラックバック

疾病管理

たまに世の中がむちゃくちゃだと思うことがある。

わたしは仕事をしていないので、市役所から健診のお知らせがくる。が、しかし、わたしはその手の類が嫌いなので一度行ったことがあるだけで毎年無視している。

ところが、お勤めしているとすっぽかすわけにはいかないらしい。健診や人間ドックが義務付けられ、それが事業所のほうに通知されるそう。まあ、食品関係の仕事をしている人がなにがしかの伝染病にでも感染していたら大変になる等、それっぽい理由はあるのだけど、そうやって健康まで誰かに管理されながら生きていかなければならない。

胃カメラや超音波など検査の類は最低でも1ヶ月以上待たされる。大抵は健診で引っかかっての2次検査だし、大したことがない場合が多い。でも、イヤだよなぁ・・・もしも癌だったらどうしようとか。わたしだったら癌だとしても検査なんてしたくはないが。もっとイヤなのは、その結果を事業所のほうに報告しなければならないそう。

世の中、自分の病気を他人に知られたくない人のほうが多いような気がするんだけど、どうなんだろう。おそらくは社会保障の関係なんでしょうけど、むちゃくちゃ。が、しかし、病気になっても給与が保障されているほうがいいよね。

むずかしいよなぁ・・・
何がむずかしいと言って、おそらくは疾病によっては生命保険にも入れない、銀行からの借り入れもできない、退職を余儀なくされる等、いろいろな弊害がある。それでいて、事業所に通知される側は社会保障が受けられる。

サラリーに変化はないとして、あなたはどちらの立場を選択しますか〜?(って気分)

投稿者 Blue Wind : 01:06 PM | コメント (0) | トラックバック

October 18, 2005

ゆとり教育による高学歴化の加速

わたし個人としてはゆとり教育には反対なのだけど、その一方で今は大学院へ進学するのも当たり前みたいな風潮があることも否めない。考えようによってはどこかに雇用されようと思って生きるのならば資格や学歴が勝負なのかもしれないし、逆に自分で起業しようというタイプはそんなものがあまり役に立たないことを知っている。

たとえば事業計画書を書きながら、専従者という項目があるのだけど、これは家族のこと。家族経営のところで雇用されても出世は望めない。親族経営のところはそんな感じ。

経営に慣れている先生に相談すると、いつも患者さんが多いか少ないかで話を分ける。

具体的に語れば、患者さんが少なければ、看護師さんを雇うほうがいい。理由は看護師は受付も事務もできるけど、事務は看護師の仕事ができないから。この理屈により、事務より看護師のサラリーは高い。

ところが、患者さんが増えたら、事務を増やしたほうがいい。増えるのは事務仕事ばかりだし、事務を雇うほうが人件費が安くすむ。

患者さんが少なかったら院内薬局がいい。ところが増えて薬剤師を雇うのなら院外薬局がいい。理由は薬剤師は看護師も仕事も事務もしない上に薬の単価は低い。つまり赤字。

という具合に、どこかに勤めることを前提として考えると、学歴や資格によってサラリーは歴然としてきてしまうし、雇用に必要な人数は限られているため競争になる。

ところが自分で起業すれば、この前美容師さんと話していて、医師も美容師も変わらないなぁ・・というのが率直な感想。簿記だの英会話だのといった問題は就職試験の際の面接で必要となるだけなのかも。

かと思えば、知り合いの薬剤師さんがヒマにしているので調剤をやってくれないかと思ったら、ようやく今ほかに薬剤師と事務の人を雇って店から解放されたのにしばらくは働きたくないというお返事。そりゃそうだろうな・・と、一応は受験生の子を持つ母としてはいたく共感してしまう。家で子育てに専念しているほうが楽に違いない。

知識偏重主義とか偏差値とかややこしいことを言われたとしても、とりあえずなにがしかの資格などを得るにはある程度勉強しなければならないのも事実。それでいて、そういう知識は他人に雇われるための証明書みたいなもの。25歳で1億円を借金した美容師さんは今度は犬好きが高じてトリマーの店をやるそう。おしゃれだからね・・・医者が今から獣医になろうと思ったら大変だけど、その点フットワークが軽いからうらやましい。美容業界で成功した人がトリマーになったらそりゃ流行りそう。残念ながら我が家の愛犬はミニチュアピンシャなのでトリミングは必要ないのだけど・・・

ゆとり教育の弊害で、学力低下は懸念されるけれども、一方で勉強する子は勝手にやるし、しない子はまるでしない。まるで勉強しなくても困らない人たちも世の中には案外多い。

人生観だよなぁ・・・
老後に50万円の資本金で自分の店・・・
それを考えたら、何のために大学院まで行くのかわからん。わたしは研究が好きだったから・・・

投稿者 Blue Wind : 02:47 PM | コメント (0) | トラックバック

透明人間化

ちょっと土地でも買っておこうかなぁ・・といういつも甘さから始まり、3週間が経過したような気がする。ちょっと思っただけ。何に使うかわからないけど、将来的に姑さんが住むかもしれないし、家から近ければ娘が住むかもしれないし、はたまたダンナが開業するかもしれないし、あるいは老後にアパートの管理人でもしようかとか、その程度の発想しかない。

そういうちょっとした思いつきがいつもわたしの人生を変えてしまう。(おおげさ!)

それをダンナに言ったら、あそこだったら開業してもいいかなと言う。そこで不動産屋へ行く。すると住宅ローンではありませんと言われてしまい、いくつか銀行を回ることになる。その翌日には院長から隣の土地も買っておけと言われ、その翌日には電話帳を眺めながらプレハブみたいなものなら・・と建設屋に電話する。

ここまでになると、何かが自動的に動き始め、土地が決まっていないのなら、と老健施設やらグループホームやら銀行からのプッシュが入る。銀行、メーカー、コンサルタント。

そこであちこち相談し始める。するとめちゃくちゃだからね・・・この同窓会のネットワークは。週に2日ずつ休診日にバイトすれば通常の銀行ローンなら支払えるだろう。私大のネットワークは体育会のようなもの。困った時には上に相談すれば、どうにかなってしまう。何気なく使う言葉だけど、それが医局なのだそう。

何かの本に国立大出身の医者は親からの借り入れが多いけど、私大出身の医者は銀行からの借り入れが多いと書いてあった。その理由までは書いていないけど、実は医局があるかどうかの問題なのかもしれない。

イメージとしては逆でしょ?親に頼るのが国立で、親に頼らないのが私立なんて・・・

つまり、伝統的に先輩が後輩の面倒をみる。研修医の時代から始まり、そういうたて構造がずっと続いていく。そして、自分が何とか生きていけるようになったらまた後輩の面倒をみていく。

というわけで、わたしがのんびり本でも読みながら事業計画書を書こうと思っていたら、苛々して業者さんから電話が入ってしまう。これからあちこち診療所を見学させてもらってから、と思ったのに。

のろのろ、もたもたしながら自動的に進んでいってしまう。

こうさ・・・1人で考えているだけなら、1人で勝手に落ち込み、1人で勝手にウキウキしているだけど、一度何かが動き出してしまったら大工さんが家を建てていくのを黙って眺めているしかない。銀行が判を押してしまったら自動的に電子文字が動き出す。

なんか、こうね・・・ぼぉ〜っとしているうちに世の中が動き出す。ささやかな日々。

投稿者 Blue Wind : 12:11 AM | コメント (0) | トラックバック

October 16, 2005

むちゃくちゃ

開業マニュアルなどを眺め、統計データを参考にしながら数字を計算しているあたし・・・
その目の前で、ダンナがかつての上司だった先生に電話している。
途中で電話を代わり、数字のことを訊こうと思ったら、そういうことはまるでわからないと言われてしまった。

だってね・・・何も考えていないってすごいとしか思えない。100坪借りて、最初から従業員を10人置いて、患者さんが一日2,3人の状態が2,3年続いていたのだから、いかに何も考えていないのかわかる。しかも、テナント開業だから借入金なし。足りないところは親からの借金。おそらくは今までのたくわえなど一気に消えてしまったに違いない。まあ、今は糖尿病以外の患者さんはほかへ行ってほしいという調子。忙しいのだろう。

ほかにも3億円を借りて、1年で返済してしまったという伝説のある先生もいる。その先生の場合、家がないから行方不明になったと皆に言われていた。が、しかし、独身なので医局のソファで寝ていたそう。医局というか、院長室というかわからないけど、伝統的に医局と呼ぶことが多い。お風呂もない。トイレだけは医院だからたくさんあるらしいが、それにしても・・・

むちゃくちゃ。

投稿者 Blue Wind : 11:16 PM | コメント (0) | トラックバック

震度4 (強烈な轟音)

また地震。
4時頃、強烈な音がして、地面が揺れる前の地響きの煩さに震源地が近いことを知る。ダンナが立ち上がり、テレビのスイッチを入れると、地震の速報。

近頃思うのだけど、あまりにも慣れすぎると、テレビを観なくても震度と震源地が予測できるような気がしてしまう。少なくても轟音のする時はね・・・

その後わたしがテレビを観ながらやることと言えば、X印の位置を眺めて、霞ヶ浦から見てどの辺が震源地なのかを確認するだけ。

こんなんでいいのだろうか・・・

投稿者 Blue Wind : 10:43 PM | コメント (0) | トラックバック

未来があるのなら

まあ、いいや。
学校や病院のほとんどが赤字で、それでも非営利団体として存在しているし、それでもダメならコンサルタントがいて経営を立て直す。それでいて開業コンサルタントのブログを読んでひっくりかえってしまう。「経営がそろそろ順調になり院長室に美術品を飾りたくなるでしょうが、これは経費として認められません」だって。世の中どーなっているんだか・・・・

なんでもお金に換算しないと気がすまないのかも。何かどこか感性が違うと思いながらも、娘の受験は近づき、そろそろ推薦がどうたらこうたらと担任からも塾の先生からもアプローチがある。いつの間にかそういう時期。肝心の娘はだるだるのまま受験に突入しそうだが、正直、受かればどこでもいい、というのも本音。彼女が落ちても食べていけないわけでもないし、そうなったらそうなったで高校で美術科へ進学してもいいし、将来のことなどわからない。

宗教、アート、学問。和歌。わからんちんだらけの世の中。何でもやりようだし、何でも考えようだし、一気に一発逆転とか?お仕事しちゃうぞ〜っとか?なんか怒る人たちが多そうな気が・・・

そんなことよりもわたしは茨城空港が開港したら、沖縄に保養所を建てることを想い描いている。沖縄には行ったことがない。それでもそれが別荘なのか、老健施設なのか、今風のケアハウスなのか、リゾートなのかわからない。ダイニングで落陽が見えなければ建てる意味はないとか、あれにこれにとわがままを言いながら、好き勝手。1週間や1ヶ月単位で入居できるようにする。一生そこに住むのは悩むけど、短期間なら行ってみたい、でも医者がいないと不安とかね・・・世の中の年寄りはみんなそんな風だもの。

まあ、いいや。
要するに、そうやって自分のやりたいことを事業計画書に書けばいいということは学んだので、それはそれで将来の楽しみにとっておこう。何がなんでも沖縄でないとダメということではないし、海外でもいい。単に話がややこしくなるだけのことだけど、バリ島なんて観察していたらかなりアバウトだし、老後の楽しみとして考えれば特に誰に迷惑をかけるわけでもない。

投稿者 Blue Wind : 01:49 AM | コメント (0) | トラックバック

October 15, 2005

夫人

だんだんうちのダンナの気持ちが理解できるようになってくる。要するに、生涯白衣を着て診察室に座っているためには自分の診察室をつくらなければならない。それはリストラとかポストというニュアンスとは違う。

例えばね・・・老健施設の院長とか、保健センターの所長とかさ。誰もやりたがらないような仕事はある、爺さんになっても。

なんでやりたくないかって?

だって誰でもできるような仕事だから・・・デスクワークのほうが多いし、若くて、技術を磨きたい、最先端の医療をやりたい、という医師がそういう仕事を好まないのは当たり前。

が、しかし・・・・だんだん年を取ると、体力も衰えるし、新しい技術を習得するのも困難になってくるし、とても若い医師にはかなわなくなる。そうなると病院経営とか福祉とかさ、人を雇って借金してマネージメントをして、となると何のために医者になったのかわからないでしょ?

個人でやっていれば個人事業主、法人にすれば役員報酬、の世界。例えば、専従者ということで考えると、白色なら86万円の控除があるだけ、青色ならクリニックで30万円くらいまでの給料、それを法人にすると理事、という具合にわたしは出世する。ダンナのサラリーだけを考えたらさほど差がない。だって儲かっても税金だもの。

だからさ・・・・「奥さんはどのようにお考えですか」という具合に、何の資格もないわたくしに問い合わせがくる。

ここで、上品に育てられたわたしは、「主人が働いてくれたら充分です」と答えればよいことを知っている。

ところが、世の中の風潮を考えたら逆だもの。家で遊んでいると何もしないとか能無し扱いをされてしまう。なんせ「くたばれ専業主婦」の世界ですからね。

で、ダンナがどういう風に考えているかというと、デスクワークにまわるより、診察室に座って患者さんを診察していたいと言う。

そこで、誘惑が入る。

院長夫人とか、所長夫人とかさ。小さな診療所の受付に座って青色で働くか、病院建てて役員報酬の世界を選択するか、とか。

・・・・・・・・・・マネージメントは好きだけど、借金を背負わされて借金返済のために働かされるのはお断り。内科の診療報酬リストを眺め、その範囲内で計算すればどの程度の規模でやったほうがよいのかわかる。町医者で顔の見える診療のほうが人間的。

ラテーノは働かない。

投稿者 Blue Wind : 12:15 PM | コメント (0) | トラックバック

October 14, 2005

自由業

世の中はいたちごっこということを知る。

少子化をどうするかって?
そりゃ農家みたいに相続税を取られると困るとなったら今でも子沢山だし、サラリーマンだったら子どもの数が多くなると教育費がおっそろしいほどかかるから子どもの数は減る一方なんだろうし、ライフスタイルによって、あるいは税法によって何かどこかが変わってくるのは仕方がないのかもしれない。

それにしても開業なんてしても儲からんね・・・医療というのは非営利活動の一つらしい。点数で収入が決められているし、法律もややこしいし、節税しようと思ったら機械を借りるか、人を雇うしかない。しかも風邪ひいたくらいで大病院へ行っちゃうような世相だから、開業医なんて寝たきりの年寄りを回らないと儲からない仕組みになっている。

勤務医よりマシになることと言えば、お昼休みが長くなることかも。その時間に訪問診療を入れるとなったら、逆に貧乏ひまなしになる。高いテナント料を払うような仕事じゃないなぁ・・・バカらしい。大家のために働いているようなものになる。

2,3年働いて、海外で遊んでいる人の気持ちがわかる・・・

投稿者 Blue Wind : 08:53 AM | コメント (0) | トラックバック

October 13, 2005

シビアに、クールに

おおよそ自分の人生を振り返ると、ほとんどの時間を本を読んで過ごしてきたような気がする。のこりの時間に友達と遊んだり、恋愛があったり、結婚があったり。それ以外のことはわたしにはどこか無縁の出来事としてややこしいことは考えない。

政府が緊急援助に2千万ドルを放出しようがどうしようが、自分の懐が痛むわけでもない。税金の計算も誰かがやってくれるし、足りない分をわたしが計算するため、うちのダンナに至っては自分の収入がどうなっているのかも知らないのかもしれないとたまに思う。

興味がないってすごいなぁ・・・というか。

だいたい、うちの近所に至っては公務員社会だから、教育や環境のことには非常にナーバスだけど、それ以外のことにはあまり興味がないような気がすることもある。政府管轄の役人というのは宇宙プロジェクトやその他諸々スケールが違うため、地元の商工会がどういう具合になっているのかも知らない人たちが多いかもしれない。

開業医か。

今までだったらややこしいことは他人任せで、医療だけやっていればよかったけれど、自分でやるとなるとそれは一つの経営だから、人を雇ったり、給料を払ったり、銀行と相談したり、事業計画書を書いたり、まったくもってして不必要なことに時間を割かれてしまう。だから、銀行にも言われてしまうわけだ・・・これから先ずっとそれをやっていかなければならないんですよ、と。

たまに思うんだけど、医者としての能力と経営者としての能力は別かもしれない、と。

だったら、わたしはそういう付き合いが嫌いかどうかを考えると、好きなんだよね・・・実は、あーでもない、こーでもない、と政府や役人の悪口を言っているのは楽しい。正直に語れば医者の悪口はもっと好きだ。うちのダンナよりも地元の医者のことについては詳しいことにも気づく。本音を語れば、あの先生の研究領域がどうたらこうたらより、子どもの具合が悪くなったときにはあっち、年寄りだったらこっち、という具合に、そういうのはたいていの場合口コミで伝わるため、一番詳しいのは看護婦さんとばかりに情報網がはりめぐらされる。

というわけで、うちのダンナが開業した場合、何を言われるかわかっているため、あなたはこれをやりなさい、これはやめておきなさい、こういう患者さんが来たときにはこうするああするどこの病院へ送る、という話を言ったら強烈に怒っていた。

が、しかし・・・・女房に何か言われて今から怒っているくらいなら開業なんてやめたほうがよいのでは?

プライド高いからね・・・・むずかしい。だからコンサルタントを頼んで、ややこしいところは業者に頼んだほうが、ってなるのかも。医者の世界の付き合いと、いざ開業してからのクールさは別問題のような気がするけど、どうなんでしょう・・・

投稿者 Blue Wind : 10:57 AM | コメント (0) | トラックバック

October 12, 2005

カット

25歳で銀行に1億円を借金しに行くパワーってすごいと思う。今日、久しぶりに美容院へ行き、髪の毛を切ってもらいながら予定時間をオーバーして話し込んでしまった。店の客が一杯にならなかったら娘のお迎えを忘れてしまっていたところだ。

美容業界で3ヶ月でデビューとか、賞を取るとか、それにどういう意味があるのかわからない。そういう点では銀行もわたしと同じレベルらしい。

で、何を聞いたかというと、事業計画書について。あれこれ具体的な数字が必要なのかと思ったらそうではないらしい。鏡一つが100万円すると聞き、正直驚いてしまった。つまり、自分のやりたいことをするためにはお金が要る。どうして要るのかを説明しなければならない。その前に何がやりたいかを説明する。・・・・・というわけで、わたしが話しているようなことをそのまま書けばいいらしいことを知る。

ついでに付け加えれば、一枚100万円の鏡も70万円の椅子もすべてリースで、そうしないと固定資産税を取られるとか、国税局が5年おきに調査に来るとか、あれにこれにと具体的な話まで。わたしの髪に一つ鋏を入れ、説明が始まり、また鋏が入り、説明が入る。手早くやれば5分で終わるだろうな・・・というところを1時間かけてわたしの髪は次第に短くなっていった。

投稿者 Blue Wind : 11:55 PM | コメント (0) | トラックバック

October 10, 2005

自己中

むずかしい。
ひじょうにむずかしい。

訪問診療に関してはニーズが多い。おそらくは訪問看護についてもそうなのだろう。でも、あちこちでそういうサービスが始まっては結局やめてしまうところが多い。理由はトラブルの原因になりやすいからかもしれない。

仮に1人で開業していたとして、あるいは大学病院などに勤めていたとして、患者さんが亡くなった、あるいは亡くなるという連絡を受けても医師がほかの患者さんを放っておいてそちらへ行くということはめったにないだろう。非番でなければ不可能に近い。

これがね・・・とてもトラブルの原因になる。

看護師さんが訪問看護に出かけると1日4500円。大抵の場合、人件費を考えると赤字だろう。院内のように忙しくて1人でたくさん受け持ちの患者さんがいて、というのなら別かもしれないけど、臨終に立ち会うとなったら大赤字。でも、長い間お世話していると情が移る。せめて死亡確認くらい・・と思って病院に連絡しても、大抵は死んだら同じとばかりに断られることが多い。

つまり、あなたにとって大切な誰かがほかの人にとっても大切な誰かであるとは限らない。

まだ息があるのなら病院へ。それなら治療をして、亡くなったら死亡診断書を書いて、とスムーズに進行。ところが、死亡確認だけとなると嫌がる医者が多い。特に夜中は。本人が畳の上で死にたい、家で死にたい、過度な治療を望まない、という場合、なんで死ぬために病院へ行かないといけないのか理解に苦しむ。

昔はかかりつけの医者というのがいて、大抵は何かあると往診に来てくれたものだった。特に寝たきりになり、通院ができなくなったときには、医者が行くのが当たり前だった。今は何かあるとすぐに病院だし、寝たきりになっても病院だし、自宅で亡くなることが減ったせいかもしれない。

在宅療法をやるのなら、訪問診療や往診は1人で行くとダンナが言う。システムとしての訪問看護というのはかなり面倒なのかもしれない。長年主治医をしていたり、ずっと診て来た患者さんは彼にとっては特別で、それはあくまでも個人的なつながりらしい。ほかの人にはほかの人たちの個人的なつながりがあるけれども、それは彼には関係がない。それが原因でヒステリックにせっつかれたあげく悪口を言われるくらいなら自分1人の方が遥かに気楽なんだろう。

そうなんだよね・・・良識の範囲内で行動規範のように行動するのと、自分の個人的な気持ちで行動するのとでは何かどこかが違う。

とりあえず午前中は内科一般と専門外来、午後は休診にして訪問診療をやる日を決めるとかね・・・儲かったら自分のためのケアハウスを建てよう。ここなら老後住みついてもいいかな・・と思うようなハウスを。カタログを眺めて文句を言うなら、つくっちまおう。がんばろう。

投稿者 Blue Wind : 12:08 AM | コメント (0) | トラックバック

October 07, 2005

訪問医療でやってけるのに・・

医師会のページにいきなり「医療を金儲けの道具にするハイエナ」という表現を見つけてひっくり返ってしまった。わたしはわたしで、ダンナが開業しようかなと言い出したとたんに世の中が一斉に動き出すかのように流れが変わることに驚く。

ほんでおっそろしいほど借金を背負わされて、患者さんが来るか来ないか怯えているような日々が始まる。

あーやだやだ。あーやだやだ。

急に何もかもバカらしくなり、クリニックは訪問医療だけしていても充分やっていけるのに・・と何となく考える。それでは儲からない人たちが世の中には多いということに気づく。

なんか、疲れたよ。

投稿者 Blue Wind : 10:08 AM | コメント (0) | トラックバック

October 06, 2005

手堅く行こう

たまに誰かに騙されているのではないかと思うことがある。今回もどうもそういう雰囲気。なんであんなに医療モールができるのだろうとか、開業コンサルタントがたくさんいるのだろうとか、銀行がすぐに家に来ると言い出すのだろうかとか。

わたしが、「診療所を建てたいのですが・・」と問い合わせをすると、パッとどこからともなく電話が入る。銀行、設計事務所など。単に電話帳を見て電話しているだけなのに、疑いもしないのだろうかと不思議な気分になる。まあ、考えてみれば、わたしは1人で家の中でぼぉ〜っとしていることが多いけど、うちのダンナは働いているわけで、そのほとんどが地元の人たちを相手にしている。ということは、どこへ行っても知り合いだらけ、という恐ろしさに今頃気づいてしまった。

というわけで、税理士も決まらないうちから銀行へ行くことになり、とりあえずは手ぶらでもかまわないらしい。事業計画書は後日でもよいという・・・

あまりにも不安に陥ったわたしは、院長に相談した。そこで開業したい場所を説明したら、隣の土地もついで買っておけと言われてしまった。駐車場10台でも足りないらしい。つくばはクルマ社会なので、例えば職員の駐車場を別の場所を借りて、という方法ではいまどき看護師さんも来てくれないそう。よく考えてみれば、雨の中を歩かなければならないような職場なんていやだ。ただでさえ忙しい仕事だと言うのに。そうやって考えてみれば、何となく何をすればよいか見えてくるから不思議。

が、しかし・・・・次第に借金の額が増える。(まだ銀行にも行ってないけど・・)
が、しかし・・・最初は機械など何も入れず、聴診器一つでやれと院長からアドバイスされては仕方がない。要するに、危ないところは速やかに病院へまかせ、開業医はかかりつけの医者としての仕事に専念する、というのが開業の基本。だから、機械は後でもかまわないそう。だから、土地を先に買うことのほうが大切。それくらい駐車場がないとどうにもならない土地柄だからなのかもしれない。

しかも、もっと失敗するのが嫌いなわたしは、開院の前に勤務医を続けながら長年主治医をしている患者さんなどを優先的に夜間や土曜日の午後などに診察をする、というアイデアを思いついてしまった。本格的な開院ではないので、予約だけ。だから、わたしだけが受付に座っていればいい。病院からお給料は入るし、今、ほかの医院で診察している患者さんなどは案外近くなって喜ぶかもしれない。誰も来なくてももともとだし、夜間や休日に診察してくれるとなると開院前だというのに患者さんが来るような気がする。

で、機械を入れたり、人を雇ったりするのはフルタイム診察を行うようになってから。結局はそういう支払いが大きいわけで、最初のうちなんて多いところで一日8人とかね・・・店を開けている時間が長いほど赤字になってしまう。で、2年をすぎ、3年目になると急に患者さんが増えるそう。大抵はどういうわけかそういうパターンがあるらしく、そこをどうやってうまく切り抜けるか。

わたしなんて気が短いから気をつけないと。「こんなんだったら開業なんてしなかったらよかった!」とか、絶対言いそう。もう、自分のことがわかってるもの。

手堅く行こう・・・

投稿者 Blue Wind : 12:57 PM | コメント (0) | トラックバック

October 02, 2005

1週間が1000日のよう

わたしは相当気が短い。この1週間がまるで1000日のよう。

投稿者 Blue Wind : 01:11 PM | コメント (0) | トラックバック

今から悩む

朝からわたしはダンナに酷いことを言っている。が、喧嘩しているわけではない。というか、

----開業医の先生の専門が何科か知ってる患者さんなんてどのくらいいると思う? 機械なんて入れても、使わないんじゃない? それより患者さんが来ないと(院内で)待っているならキャンピングカーを買ってこちらから往診に行く方が儲かるかもよ? 病院じゃないのよ? 開業医よ? 本当に開業するの? せっかくドッグランにしてもわたしがいなかったら誰がオトやマリを庭で遊ばせるの?

という具合に、痛いところを突いているのである。全部、タラ、レバの話なので、悪いほうへと気分を導いている。つまり、自分が不安なのでやつあたりしているだけなのかもしれない。そりゃ最初から患者さんがどんどん来て儲かるのならわたしは店など近寄らない。

が、しかし・・・
儲からなかったら人件費を節約するしかないではないか。それでいてわたしは自分が素人だということを熟知しているため、結局はできることしかできない。でも、姑さんでも40年以上やっていたのだから何とかなるだろう、と思ってしまう。

----おふくろがいると、若い子なんて嫌がって逃げるんじゃない?

アンタは若くないけど逃げるじゃないか、と内心思ってしまう。とにかく姑さんは昔の開業医の奥さんだから店や家のことを何から何まで仕切っていたため、息子の診察にまで口出しする。実はそれが嫌で開業したくなかったのだということも知っている。

無責任に考えれば、いまどき開業医の奥さんが受付に座っているところなんてないよなぁ・・と思う。知り合いの先生のところも奥さんは一切何も店のことはタッチしていない。本人はやりたいし、親からもやれと叱咤されたそう。ところがご主人のほうが徹底的にそれが嫌で、自分の思う通りにやっている。奥さんのほうは店が心配で5分おきに覗きに来ていたそう。

今までそういうことは他人事だった。だけど、いきなり娘の受験のことなんて吹っ飛ぶくらいテンションが高くなる。娘は中学受験を失敗しても行く中学がなくなるわけではない。が、しかし、昔は姑さんに店を手伝うように言われても嫌でたまらなかったのに、家計が絡むと黙ってはいられなくなる。

医師会のホームページを眺めながら次第に腹が立ってくる。地域医療、ホームドクター、校医、予防接種、訪問介護の問題、その他諸々。いや・・・それが仕事なんだし、正直、医者なんてものはビジネスマンではなく公務員のようなもので、経済観念の薄い人が多い。それでいてプライドが高い。わたしが怒っても意味はないのはわかってはいるが、なんか言わずにはいられない。

世の中で一番うるさい患者が姑さんだとすると、彼女のニーズに応えることは即ビジネスになる。わがままだもの。大抵はビジネスだと思えば何を言われても腹が立たなくなる。

まあ、いいか。わたしの仕事ではない。

が、しかし、次第に苛々してくる。患者が来ないのならこちらから行け、とかね・・・そのほうが喜ばれるもの。うちのダンナのことは知らなくても娘のことは知っている人が多い。それがご近所ってものでしょう。まあ、それでいて店と自宅は離れているのでいざとなったらわたしは布団を被って寝ていよう。

おちびの受験のこともあるし、なんか近頃それどころではない。こんなんでいいのだろうか・・・ためいき。

何もしていないのに今からこうだもの。先が思いやられる。

投稿者 Blue Wind : 11:08 AM | コメント (0) | トラックバック

不安

何かをするのなら若いうちがいい。

次第に親の苦労が理解できるようになる。どうしてあんなにがむしゃらだったのか・・・要するに、借金があったからだ。一度借金をして商売を始めてしまったら、儲かろうが儲かるまいが途中で放り出すわけにはいかない。結局、放り出されたのはわたしだったが。

そうだな・・・母に商売を教えたのは父だ。理由は簡単。母に収入があれば勝負ができる。やっぱ、現実を考えないと。生きていくにはそれなりに生活費というものがかかり、商売のことだけを考えるわけにはいかない。が、しかし、父はいつも前へ行くタイプだった。

父はサラリーマンを嫌っていたけど、考えようによってはこんな気楽な生活はない。悪くないサラリーを貰って、安定した生活しているせいか、なおさらそんなことを考えてしまう。ややこしいことは他人に任せ、医者は医療に専念していられる。わたしだって、育児に専念できる。

不安で一杯になりながら、それでも動いているのはわたしだ。

娘が、イメージキャラを描いてくれた。うさぎの看護婦さん。可愛い。

医療モールは断った。結局は自分の資産にはならないかららしい。それと場所から言って、おそらくは大通りに面したところかもしれない。確認していないけど。あの辺りはすでに開業医も多い。うちの近所にもすでに医療モールが一つオープンしたけど、あまり流行っていないよう。まだ始まったばかりだからそれが普通なのかもしれない。それでいて都会と違って、この辺は大通りに面しているとクルマが入りにくいため立地としてはよさそうで悪い。おそらくは計画したのはあまり地元のことに詳しくない人なのだろう。

院内薬局はやりたくないというので、知り合いの薬剤師さんに声をかける。隣の土地で調剤薬局をやってほしいから。このため土地を押さえるために不動産屋さんに声をかける。どれか一つがうまく行かなければ辞めればいい。銀行へは不動産屋さんのほうから話してくれるそう。ということは一度窓口へ行って相談してしまったらすべてが動き出してしまう。

あまりにも不安になり、姑さんにも相談した。とりあえず、土地だけは買っておけという。・・・・・・土地だけ買ってアパートでも建てようかな、という誘惑が心をよぎる。大して儲からないまでも自動的に資産にはなる。このままの生活を続けながら、アパートの管理人さんをするのも悪くない。たぶん。

いかんいかん。そういうつもりではないのだ。

軽く言うな。そろそろ開業しようかな、などと。これから娘に金がかかるという時に。それでも動いているのはわたしだ。この自己矛盾に満ちた気分をうまく説明できない。

一番楽な方法は家を売って開業予定地に併用住宅を建ててしまうこと。そうすれば資金面でずいぶん楽になる。でも、せっかくオトくんやマリのためにドッグランをつくったのに、庭も駐車場になってしまう。それではあまりにもせつない。われながらおバカだと思うのだけど、本末転倒になってはいけない。

事業計画書?

・・・・・・書いてますよ。そんなものは書いたことはない。でも、何となく作成している自分が怖い。要するにこうすればいくら儲かるかを計算し、赤字から黒字に転じるまでの道筋を銀行に説明するために必要らしい。ありがたいことにこの辺で倒産した開業医はいない。病院ですら赤字経営の噂は飛び交うものの潰れたという話はない。要するに、茨城県はあまりにも医者が少ないために潰すわけにはいかないのだろう。完全黒字で経常利益をあげるようなところはほとんどない。事業を拡大するつもりがないのなら、トントンでいいのよね。がっちり給料をせしめてしまうとか。(こらっ)

あっさり語れば、税金を払うのが嫌いな人たちが世の中には多すぎるだけなのかも。官か民か・・・う〜む・・・どっちが親身になってくれるんでしょうか。どっちもどっちのような・・・気のせいかな。

それにしてもいやな話ばかり。今は儲かって仕方がないようなところでもオープン当初は一日2,3人くらいしか患者さんが来なかったとか、多いところで8人だったとか。「へ?」って思ってしまったけど、それが普通なのかもしれない。それでもみんな生きている。

胃が痛い。銀行の人が融資を渋ってくれたらありがたい。今なら何も失わない。

投稿者 Blue Wind : 05:06 AM | コメント (0) | トラックバック