December 30, 2004

スマトラ沖の地震を知らずに過ごす

気が付けば雪が降り、テレビの画面はプーケット。今年の10大ニュースをアップするまで、わたしはスマトラ沖に地震が発生したことさえも知らなかった。

その間、何をしていたかというと、26日はクリスマスが終わり、マリのことでくよくよ過ごし、こういう時にはテポドンが飛んできても気が付かないだろうと思っていたら、ほんとにそうかもしれないと少しは反省している。

人間のエゴイズムに振り回され、赤ちゃんなのに母親から引き離されたあげく、感染症。しかも、医者もペットショップもそれを隠蔽しようとするし、一度ペットショップへ戻してしまったら殺されてしまう。そうやって考えたら、罪のないマリを守ってあげられるのはわたししかいないとばかりに、怒りのピークに達する。そして、マリの死を迎え・・・・脱力感。

そうなると、マリの話を書くのも聞くのも嫌で、ひたすら鬱々としながらも、平和な日常を過ごしていた。娘の塾の送り迎え、食事の支度、姑さんからの電話。年末だし冬休みだし、あれにこれにと時間ばかりが過ぎてゆく。

つまらないネタを探し、ブログをぱちぱち模様替え。
何となくケープパンワにでも行きたいような気分。ケープパンワはプーケットの南、コー・ピーピー、つまりピピ島にも近い。どうしてケープパンワなのかよくわからなかったけど、何となくスコールの海のあっけなさが恋しかったのかもしれない。
あっという間に黒い雲、黒い海、島さえも深い霧に包まれて見えなくなる。それでいて、あっという間にそれを潜れば何事もなかったかのようなビーチ。

恐ろしい数の人の死。
26日に地震が発生し、もう腐乱が始まり、身元の判別がつかなくなっている遺体。感染症の予防のためにすぐにも埋葬が始まると、さっきニュースで言っていた。8割が観光客だから、それこそ身元が判明するまでは恐ろしいほどの時間が必要なのだろう。灼熱の太陽は待ってくれない。

ツアーは中止、それでいて遺族を乗せて飛行機は飛ぶ。
津波が押し寄せてきたら、地元の人たちはひたすら逃げる。高いところへ登る。
どうしてプーケットのホテルはビーチまで遠いんだろうと思っていたら、そういうことだと今さらながら気づく。主要な建物は高台にある。ラグーン。
パトンビーチは海沿いにホテルが並び、みやげ物屋やレストランが通りを埋める。退廃的な雰囲気を求めて、世界中から若者が集まる。治安がよくないために、バリ島でいえばクタみたいなもので、安宿も多い。コテージというと聞こえがいい。

パトンビーチで過ごしている人たちは、スマトラ沖の地震のことを知っていたのだろうか。
たぶん、ほとんどの観光客の人たちは知らなかったかもしれない。

それでも、何も知らずに海の上でマリン・スポーツをしていた人たちは津波のことすら知らなかったらしい。島に滞在している人たちが知らないことを、わたしが知っているはずもない。テレビもニュースもないヴァカンス。

投稿者 Blue Wind : 01:35 AM | コメント (0) | トラックバック

December 29, 2004

また、うちのダンナをダシに使って『男の習性』などというネタを昼間書いていた。おちびを迎えに行く時間だったので、途中でローカルに保存し、そのままにしてある。

やっぱ、アップしないでおいてよかった〜♪

なんでかって?
わたしはお代官様だからである。

”お代官様”というセリフはカウンセラーに言われた。
心理屋の世界って、臨床系は身分が低い。あんなものはいまだに心理学ではないと思っている人もいるかもしれないし、実験実証主義においては常に基礎系が強い。はっきり言って、昔は視覚の研究くらいじゃなかったかな・・・日本の心理学界で国際的にレベルが高いと評価されていたのは。
論文を書くにしても、症例報告では学位は出ない。それくらい扱いが冷たい。

なのに、一般社会では、あっちが心理学って思われているんだなーって知ったのは主婦になってからである。

まず、考えてみよう。

知覚の恒常性。
どーして星が見えるんだ?
あんなものは見えなくてもいいはずだ。
まあ、大海原に船を出す人たちなら、星の運行は大切な羅針盤なのかもしれないし、それを考えると生きるに必要だから見えるのかもしれない。大抵の人たちは見えなくても歩ける。
夥しいほどの周波数の中で、人間が知覚できる範囲は狭い。つまりは、見えない世界(色)のほうが遥かに多いということになる。波長というのはそういうもので、どうして空が青いのかといえば、途中で長波長が吸収され、短波長である青しか地上にいるわたしたちには届かないから。

そのように理屈では理解しているにもかかわらず、宇宙から眺めても空は青いということを知る。ある日、NASAの写真をもらった。夕暮れ時の空。夕焼けの部分はきちんと茜色。あー、宇宙から眺めても同じなのかーと思ったら、わたしは何を理解しているのか、自分でもわからなくなった。

でも、青は地球のシンボルカラーなんだなーということくらいは理解できた。

でも、それだけではどーしてわたしが青が好きなのかわからない。
そーなってくると、色彩感情だの、因子分析だの、環境因子とわたしとの関係をこれまたわけのわからない尺度で数値化するらしい。

そもそも、知能検査だの心理テストだのペーパー系のテストは、誰かが考案したもの。それがどの程度有効かはそれなりの統計データが必要になってくる。つまりは、仕掛けがあり、どんなテストにもステレオタイプな人間なんて存在しないことをうかがわせるだけだ。

サーフィンしているうちに、宇宙の色についての研究があった。ベージュって表現しているからわからない。宇宙の色は色相環のど真ん中って言ってくれたら、何となくわかる。つまりは、黒ではないと言いたかっただけなのかもしれないけど、少なくても暗い世界ではないらしい。なのに、どーして暗いというイメージがあるのだろう。

本当は、誰か知っていたら、そういうことを教えてほしい。

こーさー、男の心理とか女の心理とかさー、そんなのどーでもいいじゃない?って思うのはあたしだけなんだろうか。それでいて、うちのダンナをネタにすると、ぽろぽろ出てくる出てくるわけのわからなさ。

こういうのを書くと、「りんちゅあ〜ん、わっかんな〜い」って酔っ払いにからまれるんだよね・・・

わたくしは歌人なのである。

そのうち筆名考えようかな・・・


青き星いつかはやがて砕け散り鳥は目指すよ夜明けのブルー

大昔に詠った歌。

投稿者 Blue Wind : 03:55 AM | コメント (0) | トラックバック

December 28, 2004

【今年の10大ニュース】

 1. マツケン・サンバ兇梁腑劵奪
 2. イラクでの日本人人質殺害事件
 3. ブッシュの再選
 4. イチローの記録達成
 5. アテネ五輪のマラソンでの走行妨害
 6. 台風被害と中越地震の連続災害
 7. 同級生殺害事件(子どもの犯罪)
 8. 渋谷で4人の女の子たちが誘拐・拉致
 9. 家に空き巣用シールが貼られていたのに気が付いた
10. 北朝鮮拉致被害者等の帰国と韓流ブーム


あくまでも自分にとってインパクトがあった順です。
一番衝撃的な出来事は、マツケン・サンバ兇鮟蕕瓩童た瞬間。

自衛隊のイラク派遣により、潜在的に保守化の傾向が強くなりつつあり、韓流ブームもマツケン・サンバ兇離劵奪箸盞茲靴洞然ではない。

世界を救うのはマツケンしかいないのだろうか?
なんてね・・
なんで、うちの娘まで歌ってるんだろう・・・


■関連

アーティスト: 松平健
タイトル: マツケンサンバII
タイトル: マツケンサンバII 振り付け完全マニュアルDVD

*トラックバック・ステーションへのトラバ。

投稿者 Blue Wind : 03:52 PM | コメント (0) | トラックバック

雨粒

アメブロにブログをつくって18日目。都会の雑踏に大粒の雨。

4年前なら、3日で放置していたと思う。

あの頃は、義理の姉のサイトや近所の人のサイトを眺めて、わたしもああいうサイトをつくろうと思っていた。庭の花やペットの写真、旅行先の風景、ささやかな日常、のんびりとした来訪者。HPをつくるということ自体に興味があるから、ビルダーなどを使って、サイトをデザインする。

わたしはもともと機械が好きではなかったので、マニュアルを買ってきてもすぐに放り出す。せっかくつくっても、せいぜい知り合いかチャット部屋で知り合った人にURLを教えたりするだけで、いつも決まった人たちしか来ない。退屈。


チャットで知り合った人のサイトは、一日5ヒット程度。なのに、次から次へとCGIを覚えたとか、こむずかしい業を覚えたとか、マメ。今は、無い。妹に携帯を勝手に使われたとか、買ったばかりのクルマの修理代とか、ぼやいているうちにいつしか消えていた。

そのうち、これは仕事用のサイトだとか、雑誌に紹介されたとか、が始まる。そうなるとサイトからBBSが消える。


最初、ガイアックスにサイトをつくったばかりの頃、どうして知らない来訪者が次から次へとやってくるのか不思議だった。コミュニティだから、日記をアップしたり、来訪するとログが残り、簡易リンクのようになるからだと知る。

そうなると、誰に対して書くのかが変わってくる。少し慣れてくると、BBSでやりとりした内容などをネタに、BBSだけでは書ききれなかったことを日記に書く。


ある日、突然、義理の姉がわたしの日記を読んで怒っていた。

知り合いしか来ないようなサイトと、一般の来訪者とのコミュニケーションを主体にしたサイトとではおのずとトーンが変わる。レスも変わるし、個人情報を出さないようになるし、テキストなんてものは如何ようにでも変容するために、当たり障りなくも書けるし、過激にも書ける。自分でも意識しないうちに、かなり書き方が変わっていたのだと思う。


ある日、浮気が原因で職場が変わったという人の話を書いたら、まったく予想外の人が怒ったことがある。いくらアンタのことを書いたわけではないと言っても無駄だった。わたしがその人のプライバシーについていささかも知るはずもないのに、その人の知り合いがうちのサイトの来訪者でもあり、たまにメールが着たりしていたから、誤解されたのかも。

わたしにしてみれば、誰と誰が知り合いなのかも知るわけがない。仕事仲間なら最初からそうだと言ってくれたらいいのに、こちらにとってはどちらも自分のサイトの来訪者にすぎない。


あっさり語ると、アメブロは枯れているから、気楽かも。

基本が一方通行テキスト社会だから、いくらコミュニケーションがあるといっても、コメントやトラックバックが基本。誰かが勝手に書いたものを勝手に読む。

同じ内容のミラーをいくつか違うサーバにつくっていると、来訪者のトーンによってこちらの気持ちが変わることに気が付く。

今までだったら、一度発信してしまったら受け手がそれに対してどのように思うかまでは責任は持てないにもかかわらず、すったもんだしたりすること然り。でも、アメブロだと、まるきり責任ない気がする。読者が1万人コンスタントにいる世界だと、その一人一人のリアクションを知ることは不可能。

自分のブログがそうなるとは言っていないけど、雰囲気ってあるでしょ?
それが楽しいかどうかまではわからないけど、ある意味、開放感はある。


それにしても、今日はちょっと重すぎ・・・アメブロ。
模様替えの日だったんでしょうか・・・ユーザーの。
ping送信も届いていないし・・・困った。

投稿者 Blue Wind : 02:16 AM | コメント (0) | トラックバック

December 27, 2004

日本人の活字好き

ネットで知り合った友達に、ご主人が元アメリカ兵という人がいる。彼女の話の中で、一番印象に残っているのが、「結婚したとき、家の中に一冊も本が無かった」という話。

これってすごいと思った。
まず、毎朝新聞を配達してくれる国が日本のほかにどこがあるのか、わたしはいまだに知らない。大抵の国では、新聞や雑誌はニューススタンドなどで購入するらしい。気が付いたら新聞よりも折込広告ののほうが遥かに重いなどと思いながら、いまだにほとんどの家庭では新聞を配達してもらっているのではないかしら?この国では・・・

海外のリゾートへ行くと、ホテルの中に図書室があり、英語が読めればそこで借りたほうがよいのかもしれないと思いつつ、つい成田で読みもしない本を買ったりする。何となく日本語に飢えてしまうからかもしれない。

ちなみに、読み終わった本をどうするのか尋ねたら、元アメリカ兵のご主人は雑誌にしろ新聞にしろペーパーバックにしろ、さっさとごみ箱に捨ててしまうらしい。

そうやって言われると、O・ヘンリーでさえ、シドニー・シェルダンでさえ、ペーパーバックだといかにも読み終わったら捨ててくださいとばかりに、表紙からして安っぽい。文庫本などがそれに相当するのかもしれないけど、ある程度古くならないと捨てないせいか、つい本が溜まってしまうわが家とは違う。

わたしの父などは活字に人生を求めるタイプではなかったので、たしかに人生を求めるなら競馬新聞やスワロフスキーのクリスタルのほうが眺めていて楽しかったもしれないと、今ごろになってわたしは彼を理解するようになった。

うちのダンナも、まず仕事以外で何かを読むという習慣がない。近頃、例外としてボウリングの本やらペットの躾の本をたまに買ってきて読んでいる。あと、空手。わたしにも読めというのだけれど、せいぜい犬の写真を眺めて終わり。

これに対して、わたしの母や叔母は活字中毒。ヒマさえあれば何か読んでいた。さすがに母は、今は何も読まなくなったけど。

プーケットへ行って、読めないタイ語を眺めていると、まるで活字を必要としないことに気が付いた。せいぜいカタコトのタイ語が通じたら喜ばねば。アレくらい読めないとまるで覚えようという気力が湧かないから救われる。

漢字が悪いのだと思う。中国語は聴いていてもまるでわからないけど、漢字を眺めていると少しわかったような気になってしまう。漢文を考えると、そういうものなのかも。

アルファベットはなお悪い。英語を知っていれば、もしかするとほかの言語のアルファベットの羅列も理解できるかも、という錯覚に陥る。ところが実際には、イタリアのホテルのレストランでフライドポテトをオーダーしたら、どうしても意味が通じず、フロントの人がやって来た。ポテイトーもパターテーもよく似たようなものじゃないかと思ったんだけど、彼らにしてみたら互いに意味不明の世界らしい。

という具合に、自分でキーボードを打つようになって以来、わたしの手は止まらない。

500冊発行して、200冊は歌壇に寄贈するとして、それでも完売という話の少ない歌集。200人以上の歌人が集まって、1500冊を売るのに苦労するアンソロジー・・・

それでいて、図書館へ行って、古い歌集を写本している歌人・・・


■関連書籍

著者: 飯島 淳秀, オー ヘンリー
タイトル: オー・ヘンリー傑作集〈1〉最後の一葉
著者: オー・ヘンリー, リスベート・ツヴェルガー, 矢川 澄子
タイトル: 賢者のおくりもの
著者: シドニー シェルダン, 天馬 龍行, 中山 和郎
タイトル: ゲームの達人
著者: シドニィ シェルダン, 天馬 龍行, 紀 泰隆
タイトル: 真夜中は別の顔〈上〉
著者: シドニィ シェルダン, 天馬 龍行, 紀 泰隆
タイトル: 真夜中は別の顔〈下〉
著者: 「地球の歩き方」編集室
タイトル: プーケット―サムイ島/ピピ島/クラビ
著者: 大山 由里香
タイトル: DVD付 大山由里香ボウリング・レッスン
著者: ティーピーエム
タイトル: 犬カフェ―犬と一緒にいけるカフェ&レストラン

投稿者 Blue Wind : 02:08 PM | コメント (0) | トラックバック

December 26, 2004

数値

今日で、アメブロに新しいブログをつくって16日目。ランキングの虚しさに気が付いてしまった。


その理由1: 更新もせず、アクセス数が毎日3ヒットくらいで、コメントもトラックバックもほとんど見当たらないのに、なんでランキングがUPしているんだろう?

不思議だ・・・

そういうサイトに癒しを感じてどうするんだろうと思いながらも、覗いている。


その理由2: ランキング上位のブログのアクセス数が軽く1万ヒット以上、多いと3万ヒット以上ある。

まるで桁が違うために、それを考えると、3ヒットも30ヒットも大した差がないことを知る。

固定読者が1万人以上いるってすごい。
かつて言われたのは、個人サイトなら一日50ヒットあれば成功、100ヒット以上あるということは値打ちがある、200以上になるとYAHOO?


その理由3: なんでこの16日間に1万以上の新規ブログが増えているのだろう?

新着あらしかもしれないと思いながら、まったく更新する意志もなさそうなブログが延々と現れる。分母は増えても分子は増えないがごとく、アクティブ・ユーザー数自体はどこのブログでもほとんど横ばい。


あれにこれにと考えると、サウンド系、書評系、ブログ系、平和系、短歌系、ジャンキー系、旅行系みたいに一人でいくつもブログをつくってその日の気分でアップし、それぞれに読者登録とトラックバックをしていたら、さぞかしランキングが上がりそうな気がする。

すぐにやめてしまったけど、かつて関心空間にコーナーをつくっていたときのことを考えれば、商品情報を発信するみたいなほうが簡単でアクセス数が稼げる。リアクションもある。トラックバックも飛ばしやすい。

でも、つまらんのよ・・・・自分が。

本やらCDやら、海外旅行へ行くのだったらどこのホテルが快適だとか、自分がネットで検索するのはおよそそういう話題だったりするのに、自分が情報を提供するのはやたらとかったるい。

気分転換に、つまらないネタを観察したり、駄文を書いているほうが面白い。

それにしても、1クリックでデザインを変えられるのは楽だけど、あまりにもスキンの種類が少ない。来年に入るまでクリスマス用のスキンを使おうと思ったけど、シンガポールのバーゲン・セールみたいだからやめた。

投稿者 Blue Wind : 10:52 PM | コメント (0) | トラックバック

December 25, 2004

過去から解放してくれて、ありがとう。

大きなありがとうから小さなありがとうまで、書き出したらキリがないのかもしれないけど、今年一番のありがとうは、名前も知らない人。たまたま母が最初に入った病室で向かい側にいた90歳のお祖母さんの付き添いのお嫁さん。

「お若いですねー、色白で綺麗で・・・」

一体誰のことを指して言っているのか、わからなかった。
しばらくして、うちの母のことを指して言っているのだと理解する。
わたしからしてみたら、変わり果てた母の姿で、叔母に言わせるともうお見舞いなども要らないそう。もう5年も意識がはっきりしないままで、首には孔、胃にも孔、という具合。脳の手術をしたためにおでこにも断層があるし、若き日の母のことを知る人たちからすれば、目も背けたくなるほどの変わりよう。

突然、母のことを褒められて、ぽかんとした。

何も知らないって、すごくありがたいと感じることがある。何となく過去から解放された気がしてうれしかった。どうしてありがとうなのかうまく伝えられないから、なおさらありがとう。


青き空いつもおそばにありがとう広がる笑顔子どもの未来

大昔に詠んだ歌。


* トラックバック・ステーションへのトラバ。

投稿者 Blue Wind : 01:02 AM | コメント (0) | トラックバック

December 22, 2004

雨風呂雑感

今日で、アメブロに新しいブログをつくって12日目。最初につくったきっかけがマリちゃんが入院してしまったせいの発作。鬱捨て場というわけではないけれども、ひたすらうつうつうつうつと、どうせ1クリックで削除できるんだから好きなことを書いてやろうというのが動機。

あっさり語るけど、甘かった。

その理由1: すぐにあたしだとバレてしまった。

もちろんアクセス数が低いために、ほかの自分のサイトやブログにリンクしたわけだから、当たり前と言えなくもないけど、少なくてもアメブロからはほかのわたしのサイトには飛べない。ネットは、実はおそろしいほど狭い世界なのかもしれないと思った。

その理由2: アメブロだからこそ、短歌に特化しなければならないのかも・・・

ランキングがあるからね・・・パッと見て、すべての人間がすべてのジャンルをクリアする必要性はない。だから、自分の専門やテーマがあって、ひたすらそれに関連した内容の記事を飛ばしたほうが固定客がつく。

その理由3: 読者が厳しい。

片岡義男さんのブログのコメント欄を眺めていて、そのように感じました。普通のサイトだったら、これってあらしじゃないの〜?って思ったりするのだけれど、削除しないところがプロなのかも。

その理由4: プロとアマの境界線がはっきりしない。

これって、きつい。自分の書いたものを出版して売ればれっきしとした商売だから、アマだとは言えない。それが売れるかどうかはともかくとして、近頃、ネットから活字へ回すのが流行っているらしく、下手に投稿して遊んでいると著作権を奪われてしまう。でも、自分で出せない、出しても売れない、ってなると載せてもらうほうが得か?

自分で有料サーバを借りて、サイトをつくっている分は気楽なのよね。だから、そちらでは写教聖書をやれても、アメブロやその他のサイトではできない。今は、聖書にも著作権があるから厳しい。

悩む・・・すこぶる悩む。

言い訳の問題なのかも。例えば、自分のサイトに短歌の感想を書いて勝手に引用してもそれは宣伝になるからどしどしやれという世論と、いや、短歌とはそういう世界ではないと思っている人たちと、インターネットはそのどちらの意見も受容してしまうほどの懐の深いメディア。

結局、自分のスタンスなんだろうな・・・
悩む。さてさて・・・・一体、気まぐれにネットを始めただけなのに、この先わたくしはどうなっていってしまうのだろう・・・すでに、自分のことなのに、どこか知らない自分が文字の世界に存在している気がする今日この頃・・・


それよか、マリちゃんを返してほしい。
やらなければならないことはある。でも、やりたくない。
少し眠ろうと思う。でも、テンションが高くて今は眠れそうにない。

なんか、疲れたな・・・
やっぱり、寝よう・・・

投稿者 Blue Wind : 12:45 PM | コメント (0) | トラックバック

December 16, 2004

雨風呂ミステリー

アメブロに新しいブログをつくって6日目。想像していた以上にミステリアスな世界。せつない。

★風マニア(ミラーだから・・・意味ないかも。しかもアクセス数にカウントされないみたい。)

その理由1: アクセス数の表示が人気blogランキングの週間OUTの増加数よりどうして少ないんだろう?

おかしい。どうやって考えてもおかしい。自分でアクセス解析がつけられないから、あくまでも推測だけど、放置サイトでもあるまいし、更新してこんなにリアクションのない世界はめずらしい。だって勘違いでなければ、昨日は50クリックは人気blogランキングから来訪しているはずなのに、アメブロのランキングのアクセス数を見たら21クリックしかない。

なんか、こう、ほんとは秘密にしておこうと思ったのに、せっせと自分のほかのサイトでもなりふりかまわずネタにした。ひとえにアクセスアップのためである。ってことは、そちらからもある程度はアクセスがあると思うよ。なのに、うちの娘でもできそうな単純計算の数字がヘン。


その理由2: アメブロでカウントされるアクセス数というのは、アメブロユーザーの来訪者数ということなんだろうか?

よく、アメブロのランキングはインチキ臭いという記事を目にする。
これね・・・もしかすると、アメブロ内のアクセス数でランキングが決まるとなると、理由がわかるのよね。いくらほかのサーバからアクセスしてくれる人が多くても、それがカウントされないのだもの・・・せっせとコメントを残したり、読者登録やお気に入り登録した人が圧倒的に強いに決まっている。

*単なる推測ですけど・・・


その理由3: 分母が増えてからランキングが移動する。

朝7時、娘にバームクーヘンを食べさせながら、パソコンの電源を入れ、自分のブログにアクセスする。すると、分母の数が増えているのに、ランキングは移動していない。そういうこともあるのかなぁ・・と思い、サーフィンしながら再び戻る。すると、7時半にはランキングが変わっていた。

*つまらないことなんだけどね・・・ランキングを見ながらがんばれと言われているようで、ついつい眺めてしまう。


その理由4: わたしは気がついてしまった・・・

「あれ・・・これ、あの人のブログじゃない?」って思うこと、ネットではよくありますよね・・・今度は女子大生してる・・・って思いながら、やはりサーフィンしてしまいました。

「こら、おやじ、懲りないなー」って思いながらも、無視することにしました。コメントもトラックバックも残さなければ平和。心の中で、応援しています。が、しかし、もし賞金を受け取るとなるとどうなるんだろう。お嬢さんの名前で口座をつくるとか?(他人事なので忘れよう)

*でも、気になる・・・でも、しょせんインスタント・ブログだからな・・・思い過ごしかもしれないし・・・どーでもいいや。

それにしても、今のブログのミラーのつもりでつくったんだけど、これを短歌のブログやほかのコミュニテイの記事にしても意味ないのよね。どーしよ・・・

毎日気分でサイトのデザインを変更するかもしれないし、変更が1クリックで終わるから、記事にカラーのタグを使うのをやめた。編集がめんどーになるから。

書いている途中でカテゴリーを変更したら、記事が消えたし・・・泣く。

投稿者 Blue Wind : 12:37 PM | コメント (0) | トラックバック

December 15, 2004

雨風呂に浸かって5日目

アメブロに新しいブログをつくって5日目。想像していた以上に孤独な世界だと思った。悲しい。

★風マニア(ミラーだから・・・意味ないかも)

その理由1: 新着記事が5分で消える。

これって酷くないか?
せっかく時間をかけて記事を書いても、それがトップページに表示される時間が5分しかない。毎日200〜300くらいのブログが開設されるために新設ブログのコーナーにもあっという間にリンクが消えてしまう。こんなんでどうやってアクセス数を稼げというのだろう?

*それで人気blogランキングに登録した。もっとほかにも検索エンジンに登録しようかと思うんだけど、意味ないかも。


その理由2: 毎朝7時半に更新されるランキング

新設したばかりだし、更新すればそれなりに上がる。そこまではいいんだけど、何の反応もない。そこでランキングをチェックすると、ほかのランキングから飛んで来てくれた来訪者の数とアクセス数が一致している。ということは、もしかすると、アメブロの中から飛んで来てくれた人はいない?

*いや・・・コメントが入っていたから、そういうことでもなさそう。


その理由3: 上位ブログを参考にしろという・・・

作家ブログはともかく、上位はどこかで見たようなサイトが多い。ということは、賞金狙いなのだろうか。しかも、ジャンルを「本・書籍」にしてしまったので、ジャンルのランキングに表示されることも難しい。せめて、邪魔とは言わないけど、同じジャンルランキング内にオフィーシャルをつくるというのは迷惑だからやめてほしい。

*もっとも、今のところ上位には縁がなさそうだけど。


その理由4: わたしは短歌のブログをつくりたかったのである。

どこのブログへ飛んでも似たようなデザインのブログばかりだし、カスタマイズできない。もっとポエムっぽくしようと思っても無理。しかも、どこのジャンルに置いてよいのかわからない。

*最初ね、作家陣がほかのブログよりも充実している気がしたから変だと思った。でも、そういうサイトにコメントしたり、トラックバックできるということが面白そうだったし、作歌の参考になるのではないかと思った。


その理由5: 検索にブログ名しか引っかからない。

検索の仕組みそのものを理解していないことはおいておいたとしても、ほかのブログ・サービスよりも検索にかかりにくいらしい。新着記事も5分で消え、アクセス数が少なければランクも上がらず、アメブロ内から飛んできてくれる来訪者が少ない上に、検索にもかかりにくいとなったら、どうやってこの孤独なブログを運営しろと言うのだろう。

ひたすら書いて書いて書きまくって賞金を狙うとか?

そういう人がまともに来訪してくれたとして、こんなに苦労して書いている記事を読んでくれるだろうか・・・虚しい。

*まあ、せっかくつくったのだから、気長に・・・やるしかないかも。

投稿者 Blue Wind : 01:37 PM | コメント (0) | トラックバック

December 04, 2004

幸と不幸のバランス

母の病室を行き来しながら、目に見える苦労というのは他人に説明する必要がないだけ幸せという気がしてしまう。病院の売店で買って大きな紙オムツのパックを抱えて歩いていたり、洗濯物の入った大きな紙袋をぶら下げて歩いていると、何となく同情の視線を感じたりする。
世の中には不幸つながりというのもあって、慢性病床に移って以来ほかの患者さんの家族というものに出くわしたことがないという不可思議さに比べて、急性期の病床ではいつも付き添いの人や見舞いの人たちがいるために、話し相手には不自由しない。ぽつりぽつりいろいろな人たちと会話をするうちに、どうして病院の待合室が老人ばかりになってしまうのか、次第に理解できるようになる。
動物病院へ行っても、次から次へと犬や猫が入ってくる。怪我や病気、妊娠、予防接種、来院する理由はそれぞれに違うけど、30分くらい待たされている間、話し相手には不自由しない。特にマリちゃんはまだ赤ちゃんなので、なおさらなのかも。
若い頃、スキーで骨折して、治って街中を片足をおおげさに引き摺りながら歩いていたときには、病人くさい自分が酷くみじめに思えたこともある。まだ包帯などを巻いているほうが救われる。同情の視線というより、好奇心で眺められているような気がしたからかもしれない。通院しているだけならまだしも、皆が元気な中に理由もなくみじめな自分が存在しているような気がしてつらかった記憶がある。
人とのつながりということを考えるとき、何となくこの二つの異次元が浮んで消える。不幸なら不幸な人たちの輪があるし、幸せなら幸せな人たちの輪がある。不幸であるにもかかわらず幸せの輪の中へ行こうとするときほどつらいものはない。それでいて、幸せな人は不幸の輪には入りにくい。どこで幸と不幸をわけるのかわからない。だから、目に見える不幸というのはわかりやすい分、気楽かもしれない。
その逆もある。世の中には目に見える幸せというのも存在しているらしい。
というわけで、常にバランスが大切なような気がする。他人に見える形で、幸と不幸のバランスがあるというほうが当たり前のような気がする。

母の世話をしながら、娘にややこしいことを説明する必要性がないことがありがたい。一人娘だし、いつかは娘の世話にならなくてはならない日が来る。これは同居するとかしないとかそういうことではなく、誰でも年を取れば、いつかはわたしの母のように自分では何もできなくなる日が来る可能性が高い。つまりは、親はいつまでも元気でいるわけではない、それどころか逆に誰かの世話にならなければならない時が来る。親離れを促すわけではないけれども、そういう当たり前のことが当たり前なものとして育っていってくれるってありがたい。しっかりしろとか、親に甘えるなとか、そういうつまらない意味での躾をする必要性がない。逆にこちらも子どものほうがそのようにあらゆることを自然体で受け止めてくれると子どもにしがみつく必要性がない。
核家族は気楽だけど、親子だけでは補いきれないものがあるような気もする。

投稿者 Blue Wind : 01:57 AM | コメント (0) | トラックバック

November 01, 2004

ラーメン屋

いまだにど〜っしてもできないことの一つに、ラーメン屋に一人で入るということがある。喫茶店やレストランなら一人でも平気。だけど、ラーメン屋だけはどうしても一人では入れない。
逆に、一人でどこへ行ってきたのかなーと思うと、うちのダンナの場合、大抵はラーメン屋かペット・ショップ。にんにくの匂いをさせていたり、オトくんの餌や名札を買ってきたり。歯医者や床屋などをのぞくと、大抵はそんな感じ。
そこのラーメンが美味しいとなると、クルマを飛ばして食べに行く。一人で行きたいから行くのではなく、ラーメンが好きだから行く。休みの日には娘を連れて行く。
家の近所にも学生街だから、ラーメン屋は多い。ラーメンならそこにもあるだろうと思うんだけど、不意に「その味」が恋しくなるらしい。今日はどこそこ、前はどこそこという具合に日替わり。私も一度は付き合いで連れて行かれる。
だけど、めったにないね・・・2回行きたいと思う店は。
大体が、私は食べるのが遅い。うちのダンナは速い。そうすると、ラーメン屋さんというのは下手をするとカウンターしかないとか、並んでいる人たちが多いとか、気になって仕方がない。隣が食べ終わっていると、なおさら・・・そうなると何となく堰かされているようで食べたような気がしない。
果たして、そういう場所に一人で行きたくなるだろうか?
たまにはお気に入りの店というのもあるけど、やはり一人では入れない。一人なら大抵はカウンターに座るのだろうけど、これがまた空しい。かといって、椅子席に一人で座るのも気が引ける。勇気を出して店の前まで行き、入り口からカウンターに座った人たちの後姿を眺めると、それだけで足がすくんでしまう。空いている時間や空いている店なら違うのかもしれないけど、それでも何となく気になる。
大体、ラーメン好きって何を考えているのかわからない。大抵は、黙ってカウンターに座り、注文し、黙々とパチンコ台に向かうように食べる。しかも、クルマで1時間もかけてそこへ行く。戻ってくると、うんちくが始まる。麺の太さ、だし、濃さ、その他諸々。そこのラーメン屋ならあたしの好みだと言ってダンナに連れて行かれて、美味しかったためしがない。逆に、これはこってりしすぎていて好き嫌いがあるなどと語っているようなところのほうが好きだったりする。そうなると、私でも美味しいと思うくらいだから、そこの店は私は一人では入れない店の一つになってしまう。この矛盾。

やっぱ、一人なら優雅にカフェか?
か、ファミレス・・・
か、家・・

投稿者 Blue Wind : 10:32 PM | コメント (0) | トラックバック

October 03, 2004

何となくエンジンのかからない秋

学校の先生と話すより、塾の先生と話すほうがいやされてしまう。謎。うまく説明できないけど、だから私立の中学を受験させると言っている人がいた。
学校へ行って、文部省の方針やカリキュラムの変更、その学校や先生の教育方針などを聞いてくるよりいやされる。学校より遥かに面倒見がよい気がするし、子どもを褒めてくれる、親の心配を解消してくれる。

娘を幼稚園へ入れたばかりの頃、なかなかバスに乗りたがらず心配になった。幼稚園の生活に慣れないのではないか、いじめられているのではないか、細かく気にすればきりがない。こういう場合、とにかくバスに乗せてくれと言われる。
ナーバスな人だとここで挫けてしまい、子どもを幼稚園へ行かせない。特に、年寄りのいる家庭に多いらしい。つまりは、泣くほどいやがっているのに無理やりというのは可哀想というのがその理由。親から見ても、そうやって感じるのだから、年寄りがいればなおさらなのかも。
後になって考えたら、親の不安が子どもに伝わるのかもしれないとか、大抵の子どもはそういうものだからとか、案外、過ぎてしまった出来事には寛大。単に、幼稚園はお母さんがいないから寂しかったらしい。こちらにしてみれば、幼稚園を変えようとか、娘を連れてほかの幼稚園を見学に行ったり、あれこれしていた気がするけど、娘はまるで覚えていない。

塾へ入れたのはよいけど、今まで学校の勉強しかしていないから、ざる。テストが終わったら、ざる。復習してくださいと塾から電話がかかってきた。
放課後練習があって、そのまま塾や習い事。学校の宿題もあるし、ヒマさえあれば友達のところに遊びに行ってしまうし、絵を描いている。ちょっときついなと思う。日曜日にも定例テストがあったり、普段の日でも補講とかね・・・ああこれが受験だということを思い出す。
学校だったらざるでもいいのよね。ところが、受験はそういうわけにはいかない。とりあえず、どこから出るのかわからないから、マルチに勉強する必要がある。しかも、学校で習っていないところからも平気で出る。
よく考えたら、娘は何も知らない。受験を理解していない、受験勉強を理解していない。中学の文化祭を観に行って、そのままそこへ入りたいと言っているだけ。そもそもが親からしても誘われ受験というか、知り合いの子がそこの中学に行っていることが多いために、何となく誘われる。
それと、幼稚園時代のママ友。不思議なことに皆して子どもを受験させることになっている。公立の小学校へ行くようになって、ものたりないらしい。うちの近所は研究関係者が多いから、案外、公立派が多い。すると、高校から入れる学校を受験させるのは愚かだときっぱり言われてしまう。それでいて、世代が下がると、今度は受験派も多くなる。そこできっぱりした人たちは、私立のほうがケアがいいからだと言い返す。
つまりはね・・・結局、大学へ行くようになってしまえば、おなじ。公立だろうと私立だろうと大差ない。何が違うかと言うと、親だと思う。話が合うとか合わないとか、要するに皆が騒いでいるのはそういうことらしい。本当に親の人生観が出てしまう気がするくらい子どもの学校選びって違う。
うちは一人娘だから、女子大でもどこでもいいんだよね・・・できれば美術方面に進学させたいけど、それもまた気まぐれな出来事かもしれないし・・・何が何でも進学校へ入れてという気力もないし、逆にそういう学校は娘には合わないと思う。そういう学校へ入れたいのであれば、むしろ公立へ行かせるべきかも・・つくばなら。
たしかに、どこを受験させるかでも、親の性格がある気がする。というわけで、誘われるということはそこの学校はうちの娘や私に向いているのかも。まるで知らん。

というわけで、あののんきな娘が本当に塾でやっていけるかどうか、そこのほうが気になる。が、しかし、皆、最初はこんなものらしいので、慣れるまでの辛抱だと先生に解説された。説得力があるのよね・・・子どもを見れば、何となく親がわかるのかも。やらせている人はもっと早くからやらせているし、親がのんきだったら子どもものんきだし、それでいて私などは逆にブレーキをかけられてしまう。我慢、我慢・・・ピアノの失敗を繰り返してはいけない。親が先走っても子どもには子どものペースがある。

ゆとり、か。
受験勉強なんて考えたら、きりないもんね。それでいて、何となくもの寂しいつくばの秋。がつがつやってきて、報われている人たちってどのくらいいるのだろう・・・わからん。

投稿者 Blue Wind : 03:25 AM | コメント (0) | トラックバック

September 24, 2004

いたれりつくせりの少子化社会

それにしても、親が買ったものではないらしいものが家にはごちゃごちゃある。アクセサリー、インスタント地球儀、おもちゃ、手帳、バッグ、ヘアピン、etc. 娘に訊いたら、『ちゃお』(少女マンガ)の付録らしい。そのほか、塾へ通わせる代わりにやっていた通信教育の教材のおまけや、塾でもらってきた本やらおまけやら、とにかくコーラを買っても付いてくるし、マックへ行ってもおもちゃが付いてくるし、わんわんらんどのドッグレースの景品やら、あれにこれにとつまらないものがたくさんある。
姑さんが娘の服を買いに行ったら、ちょうど娘のサイズだけが品不足で、これかわいいと思ったら予約が入っているとか、驚いていた。サイズが小さくなると結構あるらしいのだけれど、ちょうど娘の着るようなサイズだけが品切れが多いという話。
うちは娘とはさすがにサイズが違うけど、母親が小柄な人は、娘にお気に入りのジャケットを勝手に着ていかれたとか、バッグを取られたとか、ぼやいていた。わたしも、おちびに昔使っていた財布を取られた。取られたというのとは違うけど、ほしいと言われたら使っていないわけだし、どぞどぞ、となる。
ちなみに、ヴィトンの財布。
カードやら小銭を入れたら、すぐにいっぱいになり、もはやわたしには不要。古いし・・・
そうやって考えると、若い頃に使っていたものがたくさんある。すでに屋根裏部屋に置いてあるものも多い。こちらは、娘が生まれたらマザーバッグとかね・・・ライフ・スタイルに合わせて、ニーズが変化したために使っていない。しかも、それすら今は使わなくなったため、どういうわけかリュックとして娘が使っている・・・リサイクルは順調?
わたしはわたしで、いちいちヘアゴムを買いに行くのがめんどーなので、おちびのマンガの付録を使っている。だって、たくさんあるのだもの・・・驚くくらい。
なんか、こうね・・・自分が若い頃には、まだ高校生がブランドバッグなんて、とかそれらしいことを言う人たちがいた気がするんだけど、これが小学生となると逆に抵抗がない。不思議。
自分のものを買うときに、娘の分も買ってあげようかと思ったりするんだけど、娘に訊くと要らないと言う。なんて偉い子なんだろうと思ったら、違う。要するに、わたしのものはどうせ自分のものになると勝手に思っているために、わざわざ自分のものを買う必要はないらしい。逆に、もったいないとか、安いやつにしろ、とか言う。スーパーで買い物するときでも、娘に訊くと安いほうを選ぶ。イタリアの宿選びでも、結局、娘が言うには安いほうにしろと言うので、ほとんど娘が選んだ気がする。ちなみに二人でおそろいで使っているバッグは、ワイルドターキーのプレゼント。当たったわけではない。王冠を集めて送ると全員にくれる。なんで小学生がお酒の銘柄がプリントされたバッグを持っているのかわからないけれども、案外、便利。買ったら高そう。

一人娘なんてこんなものなのかもしれない。生まれてからおとなになるまで、あるいはおとなになっても競合相手がいないために、極めてのんき。そのくせ、オトくんには非常にやきもちをやく。人間が犬にやきもちをやいてどーするんだろうとたまに思ったりするけど、親の愛を独占して育ってきたために、オトくんのほうをかわいがると怒る。なんなんだ・・・

しみじみ思うわけですよ・・・ああ、今の時代は、本当に子どもの数が少ないんだなって。つくば市の小学校なんて、どこも1クラスくらいしかない。中学になると、3つくらいの小学校から来るというので、難しい年頃でもあるし、ケアのよい私立の中学が人気。今までは、私立の中学は2つくらいしかなかったのに、いきなり4つに増えた。茨城だから、そんなに入試が大変というわけでもなく、それでいて進学率が高いために人気なのかもしれない。予備校だの塾だの通うのなら、学校でやってくれるところのほうが学費が安いという説明もあるらしい。中には、スクールバスで通学し、1時間目が終わった後に、ゆったりティータイムがある学校もある。授業のカリキュラムが違うために可能なのかも。
塾へ入れただけでもいたれりつくせりだもの。こんなにしていただいてよいのだろうかと思ってしまう。中には、送迎バスがある塾もある。そうすると、子どもが乗るまで延々と待っているのを見かける。
小学校の運動会が今年から車の乗り入れが禁止になり、内心不満に思っていたら、どこかの市営バスのようなバスを2台借りて、結構、巡回の本数が多いので便利だった。時間が遅いと、ほとんど人が乗っていなかったり・・・快適。児童数が少ないし、帰りは子どもと一緒に乗ってきたり・・・
しかも、運動会の後に連休があるためにのんびりしている。その代わり、平日は運動会の練習が遅くまであるために親が小学校まで送迎したりする。この後、今度は合唱コンクールの練習が始まるために、また遅くなるらしいけど。その後に、塾だの習い事だのあるけど、文句言わないもの。理由は家にうだうだいるより、楽しいかららしい。その代わり、休日は一日中遊んでいる。

が、しかし・・・・この、いたれりつくせりの小学時代を経て大学へ行き、就職がない?わたしが年金をもらう年頃になったら、世の中の二人に一人が年寄りといううわさもある。
学生は就職難で、中高年のリストラ、自殺の時代に、子どもはいたれりつくせり。

・・・・・・・子育てしている幸せを感じる。

投稿者 Blue Wind : 12:07 AM | コメント (0) | トラックバック

September 23, 2004

固有名詞のない世界

独り言というのは難しい。またつまらない独り言をさしはさむから誤解か?読む人が読めばピンと来る。それでいて、知らない人には何のことかまったくわからない。そういうつまらない独り言を何故書くかといえば、そこに私の本音があるからである。
1年以上前に、「荒らしはやめてください」という内容のコメントをどこかのBBSに書いたらしい。「らしい」というのは、書いた本人はまるで忘れているからであり、IPアドレスを見ると、私のものらしいので、やはり私が書いたのだろう。
そこまではどうでもいい。大した内容でもない。それでいて、私は心の底からうんざりしている。そういうカキコを勝手に特定個人を攻撃する誹謗・中傷サイトに引用されているということに、いささか苛立ちの原因があるのであり、そのコメントを自分が特定の誰かに対して発したものであるならば、それはその時の自分の心境であり、それが終われば普通は自然と忘れてしまう。それでいて、それは今でも続いているらしい。
もはや自分とは何の関係もない出来事ではないだろうか?

つまりは、そういうグチが歌になり、それと同時にそれは今でも根が残っている。そういうものをどうして残しているのか知らないけれども、勝手に転載してアップしている。検索すれば出てくるだろう。そういうものを隠すために、あれこれハンドル名を変えたり、アドを残さないようにしたり、あれこれしたりする人は多い。が、しかし、すぐにわかる。通りすがり的に眺めればわからないのかもしれないけど、こちらはずいぶんとそのことで苦しめられたために、すぐにわかる。あ、あの人だ、くらいのものですけど、わかると言っても。
ああなると悪霊みたいなものだから・・・怨念、因縁、憎しみ。たかがネットなんだけどね・・・それでいて長くもなると、悪い見本。
悪霊を退治するには、エクソシストか成仏か。はたまた昼間の光に当てるか。
何でもいいから消えてほしい。それだけ。
やっている側は、これだけやられれば誰でもこうなると言いたいのかもしれない。たしかにその通りかもしれないとは思うけど、それを誰かにわかってもらおうとしすぎるからややこしくなるのであり、速攻で逃げ出した人たちにすればそれは理解不可能だ。
ちなみに、そこのサイトへたどりついたのは、ガイアックスのサイトだからだ。自分のサイトに来訪があればログが残る。そこから、訪問サイトへ行く。行ったら、そういうサイトだった、というだけのこと。

宗教というのを人間を通して観察すると、結局、何も変わらない気がした。言葉を通して何かを理解しようとすると、すごくややこしくなるけれど、人間や人間の精神、魂、行動、気持ち、その他諸々、結局、上位概念の行き着く先は同じなんだな、という気がした。
つまりは、言葉が難しい。言葉で理解しようとすれば迷路に入る。言葉がなけりゃみな同じ。

投稿者 Blue Wind : 01:50 AM | コメント (0) | トラックバック

September 04, 2004

否定のシステム

われながらなんてヒマなんだろうと思いながら、gaiax.comのアバターの宣伝を覗いてみる。自分がさっさとgooに引越しサイトをつくってしまったせいか、ほかの人たちの動向も気になる。すると、半日くらいの間に100人くらいの人たちがgooにサイトをつくっている。いくらインスタントとはいえ、多いと思う。
要するに、全廃を宣言されたため、サイトを続行する人たちは基本的に二者択一を迫られた形になる。もちろんほかのサーバへ移転する人もいれば、あっさり捨ててしまう人もいる。が、しかし・・・

それにしても、金銭徴収の仕方がどこかマニアック。8月のイタリアは70%オフが普通で、5ユーロで夏の衣類が買える。せいぜい700円くらい?それを考えると、私の勘違いでなければ、アバターの服が2ユーロ近くするというのはどうも納得がいかない。自分でさらさらイラストが描ける人ならばバカらしくてやってられないだろうと思いながら、gooのサイトのやけにデカイ広告バナーを眺める。

単に広告バナーのクリック数を増やしたいのであれば、広告バナーを選択性にしてしまえばよい。つまりは、自分のサイトにつけるバナーを自分で選ぶようにすれば、嫌でも見なければならない。大抵は目立たないタイプか、サイトに合ったものか、デザインが気に入ったものとか、あるいは自分のサイトのイメージを損なわないものを選ぶ気がするけど、とにかく目立てばよいとばかりに業者が向かう方向はポップアップとか、ますますクリックしたくなくなるバナーが多い。つまりは何が言いたいのかというと、もっと能動的な行動を喚起するような方略を取った方がアバターの服代より合理的な気がするということかも。

それと、ガイアックスのアバターというのは、発信する側のことしか考えていない。自分でイメージをつくって、それを誰かに押し付けるわけでしょ?何となくそれを押し付けられたほうはかなり迷惑という気がする。ジャンキーの場合は、むしろ受信中毒が多い気がするけど。つまりは、勝手に相手のイメージをつくってしまう。そして、自分の中のイメージとコミュニケートしているわけで、相手から情報を与えられすぎるとむしろそういう受信的イメージが破壊されてしまう。つまりは、それは一種の干渉刺激であり、妨害電子であり、これではよっぽどヘンな人しかそういうサイトをつくりたがらないような気がするけど、どうなんだろう。

が、しかし・・・
ガイアは退屈しない。もう飽きちゃったと思う頃に、突然ヘンなことをする。特に意識するわけでもなく、ガイアックス・ユーザは直リンが多いとか、マナーが悪いとか、ボロカスに言われているらしいけど、会員は会員で文句ばかり言っている。なんか、波があって、おもしろい。
今しばらくの間、ガイアックスがどーなるのっかなーなどと観察しているだけでも退屈しない。ガイアックスがどうなるのか、というよりも、皆がどーするのかを観察しているのが面白いのかも。

投稿者 Blue Wind : 12:39 PM | コメント (0) | トラックバック

発散

旅行から戻って来たら、サイトが消えていた。有料だけではなく、無料も。浦島花子のような気分。
調べてみたら、有料サーバのほうの更新手続きにミスがあり、アカウントが停止状態になっている。従って、そちらでアップした壁紙やらコンテンツやらを置いているガイアックスのサイトが放置状態になってしまった。
さらに・・・何となく様子がおかしい。ガイアックス・ログがgooばかり。ヘンだ。そこでいくつかサイトを回った結果、わかったのはガイアックスの無料サーバがなくなるということ。いきなり・・・
今はまだ使えるみたい。とりあえず、日記を保存しておこうと思ったら、8月分の日記がない。つまりは、2ヶ月くらい更新していなかったのであり、短歌のほうは短歌のサイトにアップしていただけだから、もうそれすら気が付かない。以前なら、毎日のように更新していた日記を更新していない、という事実すら自覚がない、ということに気が付いた。

旅行期間中はともかく、それ以前からだもの。まったく自覚のないままに放置サイトになっていたわけで、それでいて、サイトも見ないうちにサイトが消えている可能性が・・・
無料サーバだと、トップページとコンテンツがあれば、更新しなくてもサイト自体が消えるということはめずらしい。そういうめずらしいことが起こるのがガイアックスであり、すでに慣れてはいるとはいえ、いきなり・・・

すでに、移転している人たちが多いのだという事実にも気づく。
アバターのサイトの管理人をするつもりはない。今は、ブログの提供もおそろしいほど増えているために、そういう意味ではガイアックスは使い勝手がわるい。日記なら日記だけを更新していくブログのほうが気楽だ。それでいて、アバターへ切り替えるガイアックス。すこぶる明確。これまでのガイアックス特有のトラブルを考えると、最初からアバター派を集中豪雨化させたほうが言い訳がしやすい?

こーね・・・自分という人は、何か考えているようで実は何も考えていない。サイトとして再び来訪したくなるようなサイトをつくろうとか、アクセス数を増やそうとか、そういう意気込みもない。とりあえず、テキストサイトらしいので、テキストがあればよいのかもしれない。短歌や駄文を勝手に書いているだけ。

誰かが、ガイアックスは時代遅れのシステムだと語っていたので、それが世論になるまでにたくさんの必要がないのがウェブであり、たった3週間ネットに接続しなかっただけで浦島花子・・・

で、何か困ったかというと、特に何も困らなかった。
何も困らないにもかかわらず、サイトが復活したら懐かしい。うれしい。ほっとする。
電子の世界はあっという間に失われる世界だということに気づく。

それにしても、これだけは残しておいてほしいというログがどれくらいあるだろう?うちのサイトに・・・
よく考えたんだけど、ないような気がする。
以前なら、せめて短歌のログくらいは・・・という気持ちもあったのだけれども、近頃はそれすら失せている。

すべてがどうでもいいと思ってしまったら、消えてなくなるものは消えてなくなるわけで、それすらどうでもよいことのような気がしてしまう。問題は自分に蓄積されたものであり、何かを残すよりも、自分がその中から得たもののほうが大きい。無為に思える月日の中で、自分が得たものの大きさに気づく。
つまりは、つまらない自分を発散させることにより、見えない自分が戻ってくる。

投稿者 Blue Wind : 01:16 AM | コメント (3) | トラックバック

July 08, 2004

うまく行かないね

落ち着かない。
母の危篤はいつものことなんだけど、今回はなぜか落ち着かない。こちらのほうへ転院ということにしていたからなのかもしれないし、それによりまたあれこれ波紋が広がる。大した波紋ではないのだけれど、一度こちらへ来れば転院はない。そうなると、こちらでお葬式をすることになる。母の姉妹、つまり叔母たちは喜んでいる。ところが、弟や嫁さんにしてみれば、喜んでもいられないらしい。今までやってきたのだから、このまま葬式まで、のほうが私も気楽。が、しかし、弟が独身のうちは気楽だったけど、結婚したら嫁さんがいる。嫁さんがいるとなると、相談する。すると、何となくあちらの家族が関与することになりそう。そうなるとまた気を使う。ゆううつ。
母の家族だけで、というのは失礼なのだろうか?
付き合うとか付き合わないとか、世の中はややこしい。しめやかな気分が次第に遠のいていく。すると、あれにこれにと説明しなければならない。今までの家族の遍歴というものがまるで伝わらないために、疲れる。夫婦は他人だ。それでいて、他人の他人のそのまた他人がどうして母の葬式に関与しなければならないのかよくわからない。
あーわからない。
それでいて、それを主張するばかりでは、あたしはまるで意地悪な小姑のようではないか?
今までは嫁の立場で鬱憤がたまっていたけれども、今度は小姑の立場になってしまう。これがまたやたらとストレスになる。
姑さんに相談すると、あちらは先代の姑さんもおじいさんも他界して一人になってもまだ嫁・小姑の確執が続いている。それにはタッチしないことにしているので、法事のことなどは一切姑さんに任せている。直接お付き合いすると叱られるから。
世の中はどうしてこんなにややこしいのだろう。
私にも私なりに小姑がいるけど、姑さんが逆に何を言われても気にするなと言っている。なんかヘンだ。あなたの娘でしょう、って言いたいのだけれど、母子といえども、人生も価値観も嫁ぎ先も違うために意見が違うのは当然らしく、私はさらに他人なのだから、もっと通じない。

なんかね・・・
私だけではないのだろうし、世の中はそういうものだとわかっているにもかかわらず、非常に落ち着かない。父が亡くなったとき、弟が母の世話をすると言い切っていたではないか。だから、私は何もする必要はないし、母だって、婿の世話になるより息子の世話になっているほうがよいとずっと言っていたわけで、この点ですでに家族の話し合いは終わっている。なのに、なんであたしが嫁に何か言われないといけないのだろう?
嫁は離婚すれば他人だけど、娘は娘だから、私があれこれするのが当然らしい。
はあ?
たしかにそのとおりだけど、そうやって言われると釈然としないものを感じてしまう。その苦情が弟にいく。弟は、間に入ってどちらにも気を使う。
わかっちゃいるが、こちらもそうなると言わずにはいられない。だから、母はあなたと結婚するのをずっと反対していたのよ、って。そうなると、あちらから願い下げだから弟とも1度は別れたという話を持ち出す。だったら、そのままのほうがよかったわ、という気分になる。
これって放っておくと、泥沼ではないだろうか?

あほな嫁と付き合うよりも、母と娘と一緒に3人で散歩していた頃を思い出す。私にとってはおにばばあでも、娘にとってはやさしいおばあちゃんなんだなーと。平和。
それにしても、自分も嫁としては出来の悪いほうだけど、うちの弟の嫁はもっと悪いね。
いや・・・・それが普通なのかも。

なんでもいいから、母を引き取って知らん顔しているほうがマシなような・・・
あちらにしてみれば、母がこちらに来るより、今のままのほうがマシなのかも・・・

なんか、世の中というのは、このようにこころが欠如していく。それでいて、そんなことはないと言いたいだけの理由で、欺瞞が続く。

あー人生だなー。

エゼキエル書 24. 15-27 エゼキエルの妻の死

投稿者 Blue Wind : 01:19 AM | コメント (0) | トラックバック

June 29, 2004

わが心の郷愁

この数日ほど、右翼的気分に揺られているのを感じる。ふるき日本に対する郷愁というかノスタルジーというか、夏には蚊取り線香、盆踊り、みたいなレトロな世界に揺られている。それ自体は悪いことではないだろう。少しはゆとりというものが出てきたのかも。それがどうしてゆとりなのかはわからない。もしかすると、それは今でも当たり前なのかもしれないし、バリ島のホテルで蚊取り線香の匂いを嗅いだとき、不意に懐かしい気がしてしまったことを思うと、少なくても自分の生活には蚊取り線香は無くなってしまったことに気づいただけだ。

夏休み、イタリアへ行く。それは以前から決めていたことだ。ところが、それがとても自分を殺伐とした気分にさせている。基本的にペルージャ空港を往復するだけなので、その界隈を周遊するだけで精一杯だ。だって田舎だもの。
単にビーチを徘徊するだけなら、アジアのほうが安くて近くて綺麗だ。まさしくリゾート。わたしがイタリア人ならそちらのほうへ行くだろう。ところが、今年はどういうわけかヨーロッパへ行く。この矛盾に加えて、アッシジはともかくヴァチカン・・・
夏のくそ暑い中、暑っ苦しい話を聴きたいか?
いや、理由はそういうことではないのだろう。今回、レーガン元大統領が亡くなり、まあ、お葬式があった。そこに、法王とブッシュが一緒に並んでいるのを見たら、どことなく不愉快な気分になってしまう。仮に、僅かでもそういうことにより、イラクへの主権委譲が行われたとしても、それがあまりにも身勝手なものであるような気にさえなる。
爆弾落としておいて、勝手に国をめちゃくちゃにして、復興も何もあったもんじゃないぜ!
って言いたい。
それと同時に、民族としての怒りがふつふつと湧き上がる。戦争に負けたのは仕方がない。戦力が違う。そのことは冷静に受け止めてしかるべき。ところが、問題はそんなことではなく、本当に日本に主権が存在しているのか?という極めて基本的な疑惑がふつふつとこみ上げてきてしまった。
はっきり言うと、ヒラリー・クリントン気分。つまりは、共和党が嫌いなのである。民主主義、民主主義と喚きながら爆弾を投下する。元はと言えば、一つの国家だった国が身勝手なイデオロギー的対立により分断される。力がすべてという発想。もーね、憲法9条は素晴らしいし、戦争も自衛隊もうんざりだけど、それ以上に共和党が嫌い。今回、自衛隊が多国籍軍の中で働くことになった。できれば、アメリカをイラクから追い出してほしい。(ほえ?)

こーねー、ノスタルジーなのよ。ふるきよき日本に対するノスタルジー。シンガポールの戦争記念館で、日章旗を振り回している狂った日本兵の姿も見てきたし、おそらくは悪いことをたくさんしてきたのだと思うよ。それはそれで、その被害に遭ったアジアの人たちが本音の部分で日本人を嫌っていても仕方がないだろう。わたしだって、はっきり言えば、嫌いだ。つまりは、日の丸を日章旗に変えたその醜さが嫌いだ。
そして、それを通り過ぎて、今はなおそれ以前の日本に郷愁を感じている。
うちの国って、本当にそういう国なんだろうか?
単に、ちっぽけな島国ではないか。
こんなちっぽけな島国なんだから、そっとしておいてほしい。
どこか、そういうノスタルジックな気持ちがふつふつと湧いてきてしまっている。

もーねー、昔と違って、日本がどこにあるかと訊かれることも、中国人に間違えられることもめっきり無くなったし、日本円は強いので、そのまま通貨として使えたりするし、日本語を話せる人の数も増えた。そんなことを考えると、自分の郷愁がどこからきているのかわからない。
こーさー、アジアの端っこにちょこんとあって、大して資源も国土もない代わりに外敵もいないとかさぁ・・・経済大国と言われて、侵略戦争がどうたらこうたらなどと言われるような国ではなく・・・・なんというか、いたって田舎でローカルでのんびりやまとっぽく。そういう敷島が懐かしい。
神社があって、お寺があって、そういうちゃらんぽらんさも好きだ。そして、祭りとなると山車や御輿が出て・・・みたいなローカルさも好きだ。イタリアにとっては、キリスト教がすでにそういうローカルな祭りの世界だから、それに触発された部分があるのかも、逆に。

どこか遠い国で死ぬより、母国の土の上で死にたい。おそらくは、イタリアの教会を回ってくるのだろうけど、ヴァチカンはボイコット。インターナショナルに生きるより、敷島の人でありたい。かといって、もう自分はふるい村落共同体みたいなところでは生きられないだろう。窒息しそうになる。

郷愁・・・・

投稿者 Blue Wind : 09:44 AM | コメント (0) | トラックバック

June 14, 2004

子連れ旅行

暑い。すっかり日記をさぼっている。
ネタはたくさんあるのだけれど、案外、忙しいために更新しているヒマがない。夏休みの旅行は競争だからね・・・いつも間際になって申し込むから希望通りに行かなかったりする。オフ・シーズンとはそこが違う。
世の中すべてが個人旅行者の味方ではない。以前、格安航空券を申し込もうとしたら、まだ早すぎて値段が決まっていないと言われ、翌月申し込んだらすでに席がないと言われた。そのくせ、ツアーだったら間際になってもチケットが取れたりする。
というわけで、直接、航空会社に申し込む方が早い。今は、インターネットでも予約ができるし、会社によっては自分で座席を指定できる。
ところが、値段によって取れる席が決まっているために、同じエコノミーでも後ろの方だったり前の方だったり、微妙に何かが違う。しかも、今回はダンナと我らの旅程が違うために同じ手間が2倍かかる上に、行ってからの移動を考えると、電車を使うとか飛行機だけにするとか、とにかくあれにこれにとややこしい。つまりは、それだけで旅程がコントロールできなくなる。
一人だったら気楽。
ところが、おちびと一緒。
あまりにも小さければそれはそれで大変だし、今回のようにそれなりに大きくなったから自分の荷物くらいは自分で持てるし、それなりの知恵もあるだろうと高をくくっていたら、それがもっと困るということに気が付いた。

いきなりおちびから電話が掛かってきて、一人下校になってしまったから迎えに来てほしいという。塾や習い事の都合などで、そういうことはたまにあるから、そういう時には事前に子ども同士で調整するのが普通。ところが事情を訊いてみたら、トイレ、だって。つまりは、おちびがトイレへ行っている間に、友だちが勘違いして出発してしまったらしい。一言伝言しろ、と思ったけれども、急いでいたんだろう。何年も学校へ通っていればそういうこともある。
ところが、おちびを迎えに行ったついでに、帰りにスーパーに寄る。買い物をしているうちに、娘が一緒だということを忘れてしまい、さっさとレジを済ませて車に戻る。
うっ、ランドセルが・・・
慌てて、おちびを探す。
そうなるとスーパーって案外広いのね。なかなか見つからない。仕方がないから大声で呼んだら、彼女はのんびりゲータレードを手に持ちながらこちらへ歩いて来た。
こちらはさっさとレジを済ませてしまっている。手ぶら。娘を呼びに来ただけ。
あちらはゲータレードも一緒に買ってもらおうとこちらを探している。遅い・・・

この瞬間、思ったわけですよ・・・
外はどしゃぶり。
近所のスーパーだから、普通の日だったら勝手に歩いて帰ってくる。
ところが、どしゃぶり。傘も荷物も車の中。彼女は手ぶら。財布もない。
見知らぬ土地なら大変なことになる。
これを鉄道の旅などでやられたらどうにもならない。
次の電車が来るまで数時間後とか・・・
しかも、ほとんどがノンストップの国際列車だったらどうしようかと。
田舎のローカル電車は電車で、事情を駅員さんに説明して、そそくさと行動してくれるか疑問。第一、イタリア語、話せない。
パスポートもチケットも財布もわたしが持っていて、おちび一人を取り残したらもっと悲惨。

それで、すこぶる反省して、自分が相変わらず子連れで旅行している、しなければならない、という自覚がよみがえった。それに、日本にいてもほとんど生まれてから電車というものに乗ったことがないのですよ・・・うちの娘は。いつも移動は車か飛行機で、電車へ乗るということがめったにない。
つくばに住んでいるとそれが普通。帰省する人たちもほとんど車か飛行機を使う。その方が交通の便がよいから。いちいち鉄道を使うより、そのほうが簡単。成田へのアクセスもよく、バスも多い。
ローカルな交通事情は悪いのに、東京駅や羽田や成田への交通の便はよい。一体どうなっているんだか・・・それでも、日中は道路が混みあうから、都会へは行かない。それでも、来年の秋にはとうとう鉄道が開通するために事情が違ってくるかもしれない。

でも、今回、一つ謎が解けた。
海外へ行くと、どこへ行っても日本人ばかりと言う人たちがいる。その理由が何となくわかった。おそらくは、そういう人たちは律儀に年末年始とか、夏休みに旅行しているのだと思う。だから、仮に夏休みに都会へ旅行しようとすれば、ヨーロッパの人たちはバカンスで田舎へ行ってしまって、都会には観光客しかいなくなる。しかも、日本人の観光ルートはほとんど決まっているために、どこへ行っても日本人ばかりとなる。
でもねー、限られた休みにあちこちを回りたくなるのは人情かもしれん。そこの島にしか滞在しない、できない、というのなら別かもしれないけど、今回、自分のことだけではなく休みの短い人の予定まで合わせて考えているうちに自然と慌しい気持ちになってしまった。

パリ往復がこんなに大変で、いや、大変ではないのだけれど、それなりに大変になってしまい、ローカル空港にしてもオープンジョーにできたりできなかったり、飛んでいたりいなかったり、夏休みだから予約が一杯な路線もあるし、とにかくうまく行かない。
8月はセリエAもお休みだし、ローカル空港の往復なんていうのはめずらしいのかも。フィレンツェはどうやら人気らしく、うまく取れない。なんでペルージャ往復になってしまったんだろう・・・とは言うもの、これも経由地を指定しようとすると難しいのかもしれないし、日本の航空会社を使うと接続がうまく行かなかったり、料金が余分に掛かってしまったりややこしい。
フィレンツェがダメなら、ピサとかね・・・
リビエラを回るならかまわないのかもしれないけど、旅程が短かったらいやだよね。

いずれにせよ、子連れということを考えなければならない。子連れならローカル。どこの国も都会は子どもには不親切だし、厳しい。リゾートとか、子連れで旅行している人たちが多いところへ行かなければ・・・

投稿者 Blue Wind : 04:24 PM | コメント (0) | トラックバック

June 05, 2004

滞る日記

シモーヌ・ヴェイユ。すごい変わり者だったのだろうと思う。彼女に比べれば、わたしは非常にまともだと思う。世の中探せば上には上がいるわけで、そういう意味では安心感がある。ユダヤ人。それでいてジーザスとの出会い。彼女がユダヤ人でなければもっと普通っぽかったのかもしれない。とことんマイペース。そのうち読もうかとも思っているけれども、眠くなりそうな気がしなくもないのでそのままになっている。
今は、どういうわけかあれにこれにと急に忙しくなってしまったがゆえにのんびりネットをしていたり、本を読む時間すらない。つまりは、人付き合いをセーブするとか、庭を手抜きにしておくとか、何かどこかでセーブをしなければのんびりネットなどをしているヒマはないわけで、それがまとめて慌しくなったから、ひたすら眠い。

ダメだ。日記を更新しようと思ったけど、ひたすら眠い。
寝よう。

投稿者 Blue Wind : 02:04 AM | コメント (0) | トラックバック

May 28, 2004

介護施設

だんだん分かってきた。なんでこんなに世の中が年金だの介護だのと大騒ぎになるのか。今は、死ぬことよりも長生きすることを心配しているのよね。まだそういう実感がなかったけれども、母をこちらに引き取ろうと思ったら、とにかく手続きがややこしい。
まずは、地元民が優先になるために、住所をこちらに移さなければならない。あるいは扶養家族の手続きとか、健康保険を移すとか、普通の引越しであれば本人が転出届を出して、それをまた引越し先の役所に提出するだけの書類でも、本人は何もできないのだから誰かが代わりにやらなければならない。
クレジットカードの支払いというわけではないのだから、入院していればそれをまたさらに清算しなければならないし、そういう細かい手続きなどを含めて考えると、とにかく家族のいない人は大変だろう。家族がいたとしても、離れて住んでいたり、それこそ心筋梗塞のオペみたいに時間を争う場合でも家族の同意書がなければ何もできない。ましてや、誰かの命にかかわることだから、勝手に他人がどうこうなどとはできないわけで、誰が責任を持つかということすらわからなくなる。
それにしても介護保険は値打ちがある。10分の1だもんね。30万円かかっていた人でも全国一律3万になる。今までだったら、そこの行政によって福祉の格差が大きいのは当たり前で、どの程度差があるのかまではわからないけれども、親が暈けてそれが原因で引越しした人もいる。
が、しかし・・・・世の中、年寄りばかりになったとして、誰がこの予算を支払っていくのだろう。よーわからん。
だから、保険なのかもしれないし、これは年金どころの騒ぎじゃないだろう。数十年後は。
寝たきり老人が減ると、医療費が削減できるという話は本当なのだろうか。病気が治っても入院したら寝たきりになったり、暈けたり、そういう副作用のほうが大きかったり。母みたいに寝たきりだと逆に見張っている必要性はないけど、これが元気で暈けていると何をするかわからないから、介護の人が必要になる。年齢には関係ない。
どうも自分が長生きしない家系のせいか、そうやって誰かの世話になるという発想が欠如していたけれども、こればかりはわからないもんね。

手続きの代行業者と、入所料金などをカード払いにでもしないかぎり、安心して寝たきりになれない。が、しかし・・・高齢者で寝たきりの場合ってどうなっているんだろう。死んだ場合にはチャラになるんじゃなかったっけ?カードって。忘れた。そういう場合の保険料込みの会員カードでもあったら入っておこうかしら。ないだろうけど。

福祉が行政単位になっているからややこしい。母を移すだけでも大変。叔母をこちらで、といっても障害者手帳とか扶養義務者の住所とか、なまじか家族がいるだけややこしい。老人ホームへ入るわけじゃないんだからって思ってもややこしい。
これを何とかしてほしい。

投稿者 Blue Wind : 12:42 AM | コメント (0) | トラックバック

May 22, 2004

民族以上

のんびりと夏休みのバカンスの計画を考えていると、画面では北朝鮮の拉致被害者等の家族が日本に帰国するという報道。帰国するという言い方は適切ではないかもしれない。子どもたちは北朝鮮で生まれ、あちらの教育を受けている。日本語を話せるのだろうか。
それでも日本人の感覚からすると、親が日本人なんだから、子どもはどこで生まれても日本人という気がする。この感覚は国際社会においては当たり前ではないらしく、国籍マジック。アメリカ人や台湾人だと、どこで生まれたのかが重要らしい。つまりは、”民族”という意識が日本ではまだ生きているけれども、多民族国家、あるいは民族意識の欠如した社会では、民族や人種にかかわらず、その土地で生まれたかどうかで国籍が決まるらしい。
というわけで、二重国籍の取得者は多いし、永住権とか、夫婦でも国籍が違うとか。こんな狭い日本でもまだヨソモノがどうたらこうたらとか。何をもって自由な気風と語るかと言えば、ヨソモノの受け入れるキャパを指している気がするくらいだ。

イラクの人質事件といい、北朝鮮の拉致問題といい、結局、戦争をやっているんだから仕方がないという諦めもある。つまりは、普通の誘拐ではなく、いわゆる捕虜として連行されているわけで、日本からみれば、北朝鮮に残された家族というのは、いわば捕虜であり人質だから無事に救出しなければならない。
ところが、運命は皮肉で、曽我ひとみさんのご主人は元アメリカ兵。おそらくは朝鮮戦争の時に兵士としてやって来て、そのまま北朝鮮に亡命してしまったのだろうか。
これは、脱走兵というか、国に対する裏切りというか、グアムですら戦争が終わった後でもつかまらないようにジャングルで生きていた日本兵のことを考えると、それくらい恐ろしい出来事。だから、ジェンキンスさんが、アメリカが怖い、同盟国の日本が怖いのは当たり前の話であり、それこそ軍事裁判クラスの不祥事かもしれないし、今さらという気がしなくもないけど、現にアメリカはずっと戦争を続けている国だし信用できない。
本当に平和な世の中なら、どうして拉致被害者の人たちが自由に二つの国を行き来できないのか。
詳しいことは知らないけれども、一度、軍隊で”不適格者”のレッテルを貼られてしまうと大変らしい。戦時下になればどこでもそうなのかもしれない。非国民とかさ。愛国心とか、国への忠誠とか、移民の多い国だからこそアメリカのほうが厳しいのかも。
毎日、朝礼の時間に「君が代」を歌わされたらたまらんぜよ。かといって、今さら徹底的に「君が代」を排除する姿勢というのも大袈裟すぎ。
オリンピックで「君が代」が流れるとうれしい。昔の選手たちみたいに何が何でも国の名誉をかけて、というのも大袈裟すぎるような気がするけど、それでも日本の選手が勝てばうれしい。
もう、なんか、戦争後遺症というか、民族主義的な発想にもうんざりだけど、いざこのように日本人が拉致されたりすると、政府は働く。首相が行って直接話をしないと何も解決しない。かといって、今の状態では、北朝鮮から”将軍さま”がやって来たとしてもうれしくない。石をぶつけようとまでは思わないけど、どうせ国内でですら暗殺を恐れて生きているのかもしれないし、それでいて、北朝鮮の人たちのプライドを傷つけないためには、ってことなんだろうな。

なんかね・・・いい加減にしてほしい。
あたくしはバカンスの仕度に忙しいのである。
自由にあっちゃこっちゃと飛び回る。
ローマのスリ、怖い。
どこの国にも悪い人はいるし、素晴らしい人もいる。
アミハイだって詠っている。
戦争していることが恥なんだよ。

投稿者 Blue Wind : 11:14 PM | コメント (0) | トラックバック

May 07, 2004

学生街の暮らし

このところネタが欠如しているのと、ゴールデンウィーク中だったために、日記の更新をさぼっている。短歌というのはいわば言葉の反射神経のようなものなので、ちまちま詠んでは付け足す。そして、毎日のうだうだと共に聖書を開く。何が面白いかと言われれば、パッと開いたページから、その日の出来事やうだうだ、人生などを振りかえる。どうやって考えても、すべてが聖書にある。
というわけで、歌の時間は癒しの時間。聖書を写しているために重いかもしれないと思いながらも、密かなる楽しみのためにお休み中も続ける。主婦にとっては家族のいるお休みの日のほうが遥かに一人でいる時間が少ないためにどうしても後回しになるものは後回しにする。

それで思ったわけですよー、久しぶりにキリ番サイトのコラムなどを読みながら、どうして政治が面白くないのかわかってしまった。だって、しょせんは組織なんだよね・・・組織だから、自分の意見よりも組織の都合が優先される。政治というのは利権であり、「自分的にはAさんが好きだし、Bさんの言うことのほうが正しい気がする。しかし、会社や協会でこちらを支持するという以上そちらの政党や政治家に投票する。」
あっさり語るけど、個人の自由意志よりも組織の都合が優先されている。だから、つまらないから選挙にも行かない。選挙に行かないという良心的な行動もあるのかもしれないとすら思ってしまう。それくらい社会というのはややこしい。
そういう鬱憤を晴らすためにワイドショーがあるのかもしれないし、政治家の汚職ネタがあるのかもしれないし、社会ニュースが存在するのかもしれないと思うほどだ。ブログが流行ったというのもわかるよね。だって、個人の意見を個人として自由に発信できるわけだから。しかもネットだと匿名でもかまわない、というより、匿名が普通だから好き勝手に書ける。つまらん投票へ行くより面白い。戦争が始まって、報道規制。そういう中でも、現地からビシバシ情報を飛ばす人たちがいる。ニュースの原稿を読んでいる人たちが直接現地へ行ったわけでもないし、国会で答弁している人たちが直接現地へ行ったわけでもないケースも多いだろう。それを考えると生情報というのは信憑性はともかく面白い。
官邸(メルマガ)にメールする人が多いらしい。わたしも一度イラク戦争の時に送信した。掲載されても無記名。要するに意見は意見なのだから、誰でも気軽に書ける。組織で動くのとは違い、そちらのほうが世論に近い気がするけどどうなんだろう。こちらはこちらで、つまらんサイトのネタにする。そうやって情報や意見は循環し、いずれはどこかで統計的な数値として処理されることになるのだろう。
あれにこれにだからなぁ・・・それこそ社会はあれにこれに。あれにこれにとややこしく、トピックごとに投票制度を設けてほしいくらい。政党とか議員ではなく。そのほうがわかりやすい。すぐに、「今回の選挙の焦点は」などとくだらないことを解説する人間がいるために、そこに国民の意思があるかのような錯覚に陥ってしまう。結局、無党派層が重要となるのは番狂わせがあるからであり、大きく番狂わせがあるのはそうやって無党派の人たちが動いたときだから。でも、無党派と言われても・・・かく言う自分も基本的にノンポリティーク。夫婦といえども投票は別々。互いに興味なし。
あちらさんにはあちらさんの都合や意見があるのだろうし、こちらにもこちらの気分や都合がある。こうなると、まさしく投票も気分次第。だって、投票するより、サイトのネタにしているほうが面白いから。
大掛かりなトピック。例えば、消費税とか?
これもね・・・値上げの時には気分が悪かったけど、結局、これだけ物価が下がると消費税を取られているという意識が欠如してしまう。それと慣れなのかもしれない。スーパーの値段の表示も今月から税込み価格になり、どうしてそうなのか知らないけれど、もしかすると損かもしれないなどと思いながらも、そちらへの切り替えが始まっている。内税感覚なのかな。たばこやお酒みたいな感覚になり、麻痺してしまう。でも、税込み価格のほうがさっぱりしている。だって、支払う額は同じなのだから。中には消費税を支払う必要のないような店まで消費税を取っているのではないかというような気がすることもあるし、なんかね・・・
そういうつまらないことをいちいち気にするより、物価が下がったことを喜ぶ。なんせ、基本が学生、公務員、農家、の世界だから、世の中の経済状況があまり社会に反映されているという感じがしない。それよりもドラッグストアやコンビニすら過密でつぶれ、跡地に100円ショップや携帯屋。たしかに学生街では、うどんに1000円は支払わないだろうと思いながら、くるくる入れ替わる。ラーメン屋も多すぎてつぶれた。代わりに焼肉屋。ラーメンに1000円払うのなら、焼肉一皿400円、マックに行くよりサイゼリア。なんてわかりやすい土地柄なんだろう。
その代わりカフェ・テラスや女性向けの店も多い。花屋はつぶれた。そりゃそうよね、庭で育てればタダだもの。ドラッグストアやスーパーのほうが生産地が近いために良質の花が仕入れられる。種類は少ないけど、都会とはそこが違う。

それにしても、理想の社会?
そりゃ楽園でしょう。パラダイス。癒しのある社会。一生懸命にバリアフリーが叫ばれれば、そういう住宅が販売されるだけの話であり、どこに癒しがあるのだろう。あっさり語れば、輸入住宅なら敷居がないから、バリアフリー。風呂場に手すりはないけれども階段にはある。もともと。
家族の形態が変わってきたために、社会が変化する。生活が変わる。そして次には法律?年金がややこしく言われるようになったのは、皆が老後に一人暮らしをするのが当たり前になったからだろう。家族と同居している人たちは、小遣いと呼ぶらしい。

まあ、家で歌を詠んで、聖書を開いているだけなら金はかからない。
考えてみたら、うちって子どもの学費も大してかかっているわけでもないし、物価も安いし、エコノミカルな生活。このところアジアへ行くことが多かったから、買い物もそちらでする。そうすると着るものすらそれでまかなえてしまう。学生街はつおい。

投稿者 Blue Wind : 02:11 AM | コメント (0) | トラックバック

April 19, 2004

機械人間

言葉ってほんとにめんどくさいと思ってしまう。いつまでも散らないなーって思っていたら、あれは八重桜らしい。普通の桜が散った後に咲くそうなので、それを考えると今年は花が早いのかも。
常磐高速に桜・土浦というインターがあるけど、そこで桜と言えば基本的につくば市のことを指す。いくつかの町や村が合併してつくば市になったので、古い地名がそのまま使われていることもある。桜通りと呼べば、そこの並木の花は桜だと思うでしょ?ところが、実際には八重桜らしい。「らしい」というのは、自分が花の名前に詳しくないからであり、もしかすると、桜村の桜というのも八重桜だったりして。郷土愛が足りないせいか、まるで知らない。
うちのアカシアが実はミモザと知ったのも最近だし、こんなに花の名前を知らないのにあたしは歌人らしい。でも、実際には現代短歌だと花の歌は少ない気がするけど、どうなんだろう。隣のマンションの垣根の名前も知らないし、歌を詠むだけなら花の名前を知らなくても詠める。

今日、不意に思い立って、ほかの歌人のサイトへ来訪した。あらまっ、というか、削除だらけ。あのタイプのBBSは案外使えそうだと違うことを思いながらも、あれはひどい。うちのサイトも困ったものだと思っていたけど、他人のサイトで眺めると、一層不愉快な気分になる。
とにかく、このところメルアドは勝手に使われるし、この前などは同じIPアドレスを使っているパソコンがあるという警告まで出た。ルータを使っているわけではないし、そんなことがあるはずもない。ところが、実際にそういうことが発生してしまうのが、悲しいけれどもネットであり、悪いことをする人はいつでもどこでも存在するし、サルの嫌がらせは続く。いい加減にしてほしい。
この前は、どこのサイトでも使っていない捨てアドにメールが届いた。「HPに来訪しました」とあるけど、どこのHPに来訪したのか不明。だって、使ってないもの、もうそのメルアドは。ということは、そのメルアドを知っているということ自体がヘンだし、それでいて健康優良児になった話とかね・・・一体、いつ、どこでそんな話を書いたのかまるで思い出せない。サトウハチローのプレートを記念品にもらったという話を書いた記憶があるけど、一体どこでだろう?つまりは、本人が書いたということすら忘れていることをいつまでも覚えている来訪者であり、その使い捨てメルアドを知っているということ自体が、おそらくはガイアックス系の来訪者なのかもしれない。それでも、サイトにメルアドは貼っていなかったから、かなり限定された人間が犯人だということになる。しかも、そのメールは初めて見るメルアドで、送信者の名前も記憶にない。それでいて、古くからの来訪者なのだろう。あまりにも気持ち悪い。
もー覚えていないような来訪者のほうが多いと思う。通りすがりに書いていった人も多いし、自分としてはカキコがあれば順番にレスを書いていった時代も長い。こちらが忘れてもあちらが覚えているということもあるだろうし、その逆もあるだろう。
匿名の怖さというか、気楽さというか、まだネットを始めて浅い頃には、チャッ友やメル友が50人以上いた時代があった。そうなると、メールだけでも一日にひどいと10通とかね・・・もう、誰に何を書いたかも覚えていない。どんな人がいたのかも覚えていない。そのうち、鬱の人に、バーチャル妄想でつきまとわれてひどい目に遭う。
BBSなどでやりとりしているうちに、フレンドリーな感覚が発生したとしても、よく考えたら全然知らない人だったり・・・当たり前か。
大抵は、そういう場合は、BBSやサイトを放置したり、メールだったらレスを書かないなど、知らん顔しているうちに消える。ところが、人間関係につながりがあると、なかなか消えない。それでいて、誰が何を言ったとか言わないとか、ますますややこしい。勝手に想像しちゃっている部分も大きいだろうし、誤解だとか、こころが傷ついたとか、よく考えてみたら、そこまで一生懸命になるような関係でもない。
これって、機械的人間関係への依存度の違いで、いかようにでも受け止め方が違うからどうにもならない。どうやっても一方通行なのだもの。

機械を通した関係以外になんらかの接点があると、世界が変わる。特に、リアルとかバーチャルとか深く考えているわけではなかったけれど、全然どこの誰だかわからない関係というのは、実に気持ち悪い。どこの誰だかわかっていてもお付き合いしたくない人だっているわけでしょ?それを考えると、そういう区分はあって然りだとは思うのだけど、機械の世界はしょせん機械だからね。それすらてきとーなのかもしれない。だから、個人情報がどうたらこうたらってなるんでしょうけど、単に名簿や顔を見たからといって知り合いになるわけでもないし、あれこれ考えると、メディアはメディアと割り切ってサイトを活用しているほうがまともなような気がしてしまう。
フレンドリーでありながらも慎重な姿勢というのは、ネットでは両立しないのかもしれない。こういうオン・オフ反応みたいな単調な世界のどこにこころなどあるのだろう。というわけで、一緒にされたら迷惑だなと思う人にはなるべく近寄らないほうが身のためだということをしみじみ悟る。

実のところ、こういう話ももう書きたくないのである。ジャンキーが喜ぶだけだから。嫌がらせをして喜んでいる類のサルはどこにでもいる。もうそういう「文学以前」の人たちとは関わり合いになりたくない。うざいだけ。とにかく、ネットはどーにもならん、そーいう意味では。失望中。

投稿者 Blue Wind : 11:36 PM | コメント (0) | トラックバック

April 10, 2004

なんだこれ?

わたくしの契約プロバイダはso-netでもないし、cesia3@aol.comなどというメルアドに心当たりはない。当然、わたしが出したメールではないメールがわたしのメルアドから出されている? そして、戻って来たらしい。

どーなってるの?

嫌がらせならやめてね。


★犯人の情報
04/10 12:28
13,680

198.81.26.15
cache-ntc-aa10.proxy.aol.com
Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.5; AOL 7.0; Windows NT 5.0
Windows 2000
Internet Explorer 5.x
http://search.yahoo.co.jp/bin/search?p=Tanka
800 x 600
32 ビットカラー

so-net経由でaolにサインオンし、yahooでTANKAを検索、そしてうちのサイトへ来訪しメールをいたずら。それにしても手の込んだことしてるでしょ?狂ってるんだろう。春だし・・・


____________________

The original message was received at Fri 9 Apr 2004 23:35:48 -0400 (EDT)
from p29a062.tkyoac00.ap.so-net.ne.jp [218.41.160.98]


*** ATTENTION ***

Your e-mail is being returned to you because there was a problem with its
delivery. The address which was undeliverable is listed in the section
labeled: ----- The following addresses had permanent fatal errors -----.

The reason your mail is being returned to you is listed in the section
labeled: ----- Transcript of Session Follows -----.

The line beginning with <<< describes the specific reason your e-mail could
not be delivered. The next line contains a second error message which is a
general translation for other e-mail servers.

Please direct further questions regarding this message to your e-mail
administrator.

--AOL Postmaster

----- The following addresses had permanent fatal errors -----


----- Transcript of session follows -----
... while talking to air-yi01.mail.aol.com.:
>>> RCPT To:
<<< 550 MAILBOX NOT FOUND
550 ... User unknown

--------------------------------------------------------------------------------


Received: from aol.com (p29a062.tkyoac00.ap.so-net.ne.jp [218.41.160.98]) by rly-yi05.mx.aol.com (v98.5) with ESMTP id MAILRELAYINYI51-7cd40776b8f1c0; Fri 09 Apr 2004 23:35:45 -0500
From: bluewind@zh.oops.jp
To: cesia3@aol.com
Subject: Re: Here
Date: Sat 10 Apr 2004 12:35:34 +0900
MIME-Version: 1.0
Content-Type: multipart/mixed;
boundary=----=_NextPart_000_0005_00001EA5.00002935
X-Priority: 3
X-MSMail-Priority: Normal
X-AOL-IP: 218.41.160.98
X-AOL-SCOLL-SCORE: 0:XXX:XX
X-AOL-SCOLL-URL_COUNT: 0
Message-ID: <200404092335.7cd40776b8f1c0@rly-yi05.mx.aol.com>

投稿者 Blue Wind : 01:24 PM | コメント (2) | トラックバック

April 09, 2004

時空戦争

世論とは勝手である。あたしは、テロリズムに対してはスペイン人的発想なのかもしれない。テロを撲滅するために戦争をするアメリカの姿勢には反対である。かといって、テロを肯定しているわけではない。

こーね、おそらくはなりすましの犯人は時空の人なわけ。しかも、敵方のハンドル名を使って、結社を攻撃している。よーわからん。いや、結社の人ぶっているのかもしれないし、それこそ自分のサイトには神父さんのカキコを貼りつけながら聖書や神を冒涜している。こうなるとまったく理解できない。でも、あっさり語れば、もともとが理解不可能な人なのである。だから、理解しようなどとつまらないことを考えない限り平和。たぶん、自分でもよくわかっていないんじゃないかな・・・だから、あえて深く追求しようとしても無駄。あくまでも自分は悪いとは思えない類の人たちの一人なのだから、そういう意味では知らん顔していたほうがよろしいのである。逆に、「あなたは素晴らしい人ですねー」と言えばそういう人にもなるし、「おまえは悪魔だ」と突き放せば悪魔にもなる。わかりやすい。

テロリズムの言い分は、どうなんだろう。たくさんあるんだろうけど、一番悔しいのは、”仲間”が解散してしまったことではないだろうか。そこでボイコットの主導者があたしと思われても甚だ迷惑なのである。もともとほとんどの人たちとはお付き合いはないわけだし、そこが消えても何も困らない。逆に、時空が解散したおかげでフットワークが軽くなった。ありがたい。かといって、目の敵にしているわけでもない。つまりは、どーでもいいことにすぎないんだけど、そこがうまく見えないのだろう。
あらし騒動が発生して、うちのサイトはとにかく酷い目にあった。毎日のテロみたいなものだから、カキコがあるだけで大騒ぎになる。それこそサーバやプロバイダ、警察や弁護士にまで証拠を提出してくれと言われる。一応は、心理学の人なので、「そんなことをするより逃げたほうが早いですよ」と語る。「それより、時空で引き受けてくれるって言っているんだから放っておきましょう」というスタンス。で、自分はBBSを閉鎖し、うちのサイトにはカキコしないように、あらしが来たらサイトを放置する等メールで友達に知らせる。だって関わり合いになったら大変だから。実際、自分でもどうにもならないから、次回来たら友達が引き受けてくれることになっていた。プロだからね、そりゃ何とかしてくれるだろう。まあ、そのおかげで、うちのサイトは静かになり、その代わり時空のほうが大変なことになっていた。
で、時空短歌ボイコット運動?の遠因が、いや、言い分が、あたしを追い出したからということらしい。じいさんあらしを庇ってりんさんを追い出すのは虐めだというのがその言い分らしい。たしかに傍から見ればそうやって見られても立場的に仕方がないだろう。ほかにもそういう被害者の人たちはたくさんいたし、じいさんあらしを追い出さないかぎり、時空はどうにもならないところにまで追い込まれた?でも、保護しているために攻撃。それをかわすために、別人格とか?大袈裟で大袈裟でどうにもならん。
大多数の人たちの本音は、そういう紛争に巻き込まれたくないだけなのである。だから、ボイコットというより関わり合いになりたくないというだけのことなのだろう。逆に、時空を擁護したら、アメリカ軍から?攻撃されてしまった。それがあったから、今回のなりすましにつながったのかも。でも、実際には一部の過激な人たちが今でもいるというだけのことで、対立しているわけでもないらしい。そこがまた理解不可能なところなんだけど、感情の問題なんだろうな。第一、あたしが時空を目の敵にしているなど思われてしまったし、かなり迷惑なのである。

つまりは、じいさんあらしがうっかりうちのサイトなどを荒らすから、イラクのクウェート侵攻みたいなもので、国際世論を敵に回す。が、しかし、湾岸戦争はともかくイラク戦争はやりすぎだ。結局、イラクは崩壊してしまった。フセインが消えても少しも平和になったという気がしない。もはや、アメリカ主導型の政府はつくれないだろう。たぶん。あらし活動そのものは沈静化しているし、表層的には平和。でも、アメリカに対するテロは以前として続いているらしい。だから、アメリカが怒る。つまりはわかりやすく語れば、局所的に今でもあらしは続いているらしいし、紛争自体は解決していないらしい。
つまりは、うちのサイトへのなりすましはスペインに対するテロみたいなもので、イラク戦争に対する抗議らしい。イラク戦争には反対なんだけど、テロを放置しておいてもよいのか?ということになるでしょ??かといって、いちいちテロリストを相手に戦争していても始まらない。
いずれにせよ、イラクが崩壊したように時空短歌も崩壊し、短歌部門は解散。もしかすると、時空そのものも解散するかもしれない。着々とがん細胞が暴れているようなものだ。ああなると、本当に誰かが死ぬまで終わらないのかも。年寄りの世界というのは壮絶だ。

このように考察してみると、とてもじゃないけど短歌とは何の関係もない話なのである。どちらかといえば、精神系のウェブのほうの出来事。メールは実名でお願いします。

ヨブ記 36. 22-33

______________________

IPアドレス
219.125.242.154

投稿者 Blue Wind : 03:47 AM | コメント (0) | トラックバック

March 10, 2004

気づき

一度狂気の軸によって動かされてしまった行動様式をフィードバックすると、それがいかに奇妙なものであるか少しは理解できるようになるかもしれないと思う。たとえば、常識で考えて、よく知りもしないサイトへ来訪し、いきなり誹謗・中傷を書くという行為は異常だ。どうしてそれが異常と気がつかないのか不思議でしょ?つまりは、狂気により軸を狂わされているからだ。
ある、そういう行動をする人がいて、明らかに彼は異常だ。だから、彼の行動は異常であるとずっと語っているのに通じない。どうしてそういう誤差が生じたかというと、「喧嘩」という認識がある。誰かと誰かが喧嘩している。だから、誰かがそれを擁護しようと喧嘩に参加する。だから、本人にはそれが奇妙な行動には思えないらしい。
しかし、彼は一体誰と喧嘩しているのだろう?あたしだろうか?あたしは彼のことを知らない。なのに、どうして喧嘩を売られなければならないのだろう?そこにトリックがある。
つまりは、この奇妙な行動を「狂気」と語るから怒り心頭になる。最初に狂気がある。それに巻き込まれた人たちはすでにそれを狂気とは感じられなくなるらしい。それで、「そういう人を相手にするときにはこうしてああして」といい加減なアドバイスを受ける。そのアドバイスをしている人もヘンだ。つまりは、自分のほうが幾分マシだと思うから、どうにかしてあげようという親切心かららしい。つまりは、一般社会における常識が通じなくなる。
こうなると、傍から見たらただの喧嘩となる。
つまりは、最初はまったく通り雨のような殴り込みが、いきなり殴られて頭に来たほうが殴り返す。その結果、最初の意味のない殴りかかりがそもそもヘンなものであるという認識が消えてしまう。殴られ損かもしれないけど、もしも本当にやばい人にいきなり殴られたとしたら、悔しくても大抵の人は逃げ出すだろう。だって危ないし・・・できれば係わり合いになりたくないと思うほうが普通ではないだろうか?
それがそのうち誰かが警察へ訴える。ところが証人がいるだのいないだの、軽いとか重いとか、悪気があったとかないとか、殴り返されたとか、あれにこれに長引くほどに警察も介入しにくくなる。だって殴り返した時点で双方に言い分が発生するし・・・でも、本当にやばいのは、最初に殴った人が誰かを殴るだけの明確な理由がないということ。つまりは殴られたほうはどうして殴られたのかわかっていない。だけど、殴られた悔しさで一杯になるから、本質的なことを見失ってしまう。(被害妄想による暴力の発生だろう。)
最初に意味不明に殴ったほうは、どんどん敵という認識の下に集まってきた人たちを殴りつける。こうなると集団になってしまう。だから、理由もなく殴ったほうはあたかも集団リンチを受けているような錯覚に陥る。が、しかし・・・・もともとは自分の撒いた種。一生懸命にあいつが殴ったとか蹴ったとか言う。それも事実かもしれない。でも、問題は原因がないことだ。殴られたと言うほうに先に殴るだけの言い分がそもそも無い。だから、無関係の人たちを巻き込む。
その輪の中でやっている分には気がつかないかもしれないけど、そもそもが輪の外側に出て、もしそれをやれば、誰がやっても狂気だ。いきなり知らない人を殴りつけるわけだから。しかも相手が女性だったらどうだろう?

明らかに単なる暴行だ。

どうしてこんな簡単なことに気がつかないのだろう?そこが不思議でしょ?
だから、一番常識的な解決法は、そういうトラブルを無視することであり、すべてまとめて狂っていると決め付けてしまう。事実ヘンだからだ。それがヘンであるという自覚がないということがすでにおかしい。「あの人たちはおかしい人たちなのだから、憐れに思おう。」それだけで、一気に平和になった。

それとも別の要因が作用したのだろうか・・・
ローマは一日にしてならず。

イザヤ書 30. 15-17

投稿者 Blue Wind : 03:55 PM | コメント (0)

March 08, 2004

ヒマつぶし

今日こそはっきり書いてしまおう。ハゲ。ハゲハゲハゲ〜♪
実はハゲが嫌いだ。
それとは別に、いきなりサイトに誹謗・中傷を書きに来たハゲ。自分のやっていることがわからないのだろう。全然知らない人なのよ、何もなければ。付き合いないし、うちのBBSにもそれまでカキコしたこともなかったのではないかな。ましてや、こちらはサイトに1、2度来訪したことがあるだけ。本人らしきスキンヘッドの写真があった。その程度の記憶しかない。なのに、なれなれしいでしょ?これがネットなのでございます。
ほんで、歌壇から消えろとかわけのわからん中傷。
これが知っている人というのであればともかく、じぇんじぇん知らん人。そこが怖い。某サイトのあらし騒動の余波なんだろう。そもそもがその張本人のあらしでさえ、もはやうちのサイトには来ないって言っているのにしつこい。ハゲ。あのマックの足跡はハゲでしょ?かんちがいだったら失礼〜♪(って、これくらい書いても平気なくらいの誹謗・中傷を書かれているからいいのよ、別に。ハゲ嫌いだし)

それにしても、よくも女性のサイトにずうずうしくやって来れるよね。しかも喧嘩売りに。まだ作歌歴も浅いし、結社に入ったばかりなのに、そういう人を相手に何をうだうだクダをまいているのか不思議だ。自分がいかにみっともないか気がついていないのかも。お気の毒。みつばち、ひよこ相手に大のおっさんがあらし。情けない。日本も落ちたものだ。つまりは、そうやって自分の格を落としているだけということに気がつかない。
なんかね・・・・男女平等な世の中は結構なんだけど、それにしてもそうなると平気で女性にも暴言を吐く。これでいいのだろうか?「そういう人は相手にしません」と書くのは正当防衛だろう。

アメリカ製の頑丈なドアにイスラエル製の鍵。番犬オトちゃんとボサノバ聴いて聖書。平和。
よくわからないけど、そういう時代なのね。
それにしても、サイトで塩を撒くって、どうやったらよいのだろう。

くわばらくわばら。早く成仏してくれ。

____________

うざいから、サイトへ来ないでよ。
というだけのことなのに、なんでそれくらいのネチケットが守れないのだろう。
あっちもこっちもあらしだらけ。

投稿者 Blue Wind : 02:55 PM | コメント (0)

癒しのない時代

いつだったか忘れた。政治家の生体肝移植の話題だったかなぁ・・・いきなりそのニュースを見た娘さんがお母さんに肝臓を移植したいとの申し出があったらしい。それで、患者さんからの申し出なので、移植のほうに連絡を取る。すると、コーディネーターが遠路はるばるやって来る。いきなり2000万円。家を売ってでもやるとがんばっていたらしいけど、結局は通常通りの治療ということで落ち着いたはず。
テレビでは美談ということで取り扱っていたけれど、具体的な予算とか手順とかどの程度順番待ちしているのか、など、あれこれ考えると移植手術がどれほどの頻度で行われるのかいささか懐疑的。数が増えたらまた保険屋が儲かるのだろう。
癌でも、保険外だと毎月100万円は安いほうだと言うし、そうなったらダンナと顔を見合わせ、互いに死ぬことにしている。これが娘のためとなると話が違うのかもしれないけど。
なんか、いろいろあるから。
その、母親に肝臓を差し出そうという娘さんの場合、家庭環境が複雑で、相続でもめるなら肝移植に使ったほうがという気持ちと、愛に飢えたる者の世界というか、母親に対する愛情の見せしめというか、とにかくいろいろあらーなだから世の中はますますややこしい。美談の裏側にはいつも愛憎劇があるのではないかと、いささか醒めた目で見てしまう悪い癖のある自分としては、何もかもがうんざりに感じられる瞬間でもある。

が、しかし・・・世の中どうして医者が必要かというと、そうやって病気を治したいとか、長生きしたいとか、そういう人たちとその家族がいて成り立つ商売であり、世の中の人たちすべてが諦めがよいと医者など必要ないのではないかと思ってしまう。現にあたしはめったに薬も飲まないし、医者にも行かない。ダンナが医者だからというわけではない。(と思う) もともと嫌いだから。どこも悪いところもないのに、いまだにあちこちへ検査へ行きまくっている姑さんとは正反対だろう。そろそろ癌の検査を、と言われても無視、無視。病気であることに気がつかないまま、ぽっくりというほうが幸せな気がするから。癌の患者がどうしてわざわざ自殺したくなるのかと思うとうんざりだ。どうせ死ぬんだったら、治療をサボればよいだけのことなのに、それが出来ないんだよね。それで鬱々と死にたくなるらしい。そんな話ばかりを聞いていると、知らないほうが救われるような気がするけど。
永遠の魂を信じている人たちは幸せだ。
かといって、天国への階段イラストを病室に貼っている人はいないだろう。
なんだか2000年も前の出来事が原因で、今度は差別だの迫害だの、聖地だシオンだテロだと世の中はきな臭い。20年前にはまだ日本がテロの標的にされるという発想すらなかった気がする。それが次第に現実味を帯びてきている。イラクへの派兵。イラクの復興支援ということで、イラクでは問題はないかもしれない。でも、テロってそういうものではないということを不意に思い出す。18年前のパリもちょうどパリでテロがあったばかりでデパートへ入るにも荷物チェックしていたことを何となく思い出す。でも、当時はフリーパスよ。だって日本人だから。テロには無関係。今でもそうあってほしいけど。
アメリカ。イスラエル。
こうなると、日本も知らん顔というわけにはいかない時代。
テロ。
日本でテロが発生し、アメリカに背中押されたら、あかん。
テロが発生しただけで、募金バナーを見ると鬱々するから嫌だという人が多いという事実。飢餓の子どもを支援するのとテロとはまた次元が違うような気がしたけど、そういうものにアレルギーが発生するとすべてが嫌になるから。ムスリムというだけでテロリストではないかという疑いがかけられる。それが社会。
個人的には何もなくても、そうやってグルーピングが発生するとにっちもさっちもいかなくなる。国だの組織だのなんだかすべてが必要ないような気がする。だから、アメリカ人みたいにいくつもの組織に帰属しているほうが安全なのかもしれないなとも思う。宗教、学校、ボーイスカウト、その他諸々あれにこれに。そうやって社会的自己を広げていく。そうやって複雑に入り組んでいくと逆にそれが網の目のように構成されて、集団間の争いには巻き込まれにくくなるのかも。
紛争はパーシャルなものにしなければならない。
それか、あたしみたいに嫌なものはポイっと捨てて、気楽にしているか?好きな人としか付き合わない、めんどーなことはすべてパス、好きなものに囲まれて暮らす。平和。それでも何も困らない。むしろ、このほうが何も困らない。ネガティブなものを受け入れないほうが静かだからかも。真面目に考えてもどうにもならないことのほうが多いからね。歌でも詠んで気楽に過ごす。(え?)
いずれにせよ、鍵は取り替えるみたいだし、防犯は大切かも。世の中、テロリストだけではないのです。近くの空き巣狙いのほうが。それにしても大きく見ても小さく見ても物騒な世の中になってきた。昔からかもしれないけど、近頃ますますそういう気がするのは気のせいだろうか・・・

投稿者 Blue Wind : 12:08 AM | コメント (0)

January 22, 2004

人間的なほうが生きていきやすい

マザー・テレサが日本を訪れたとき、日本は物質的には豊かだけど心が貧しいとのたまわっていたらしい。こんなことは当たり前の話で、精神を豊かなものにしようと思ったら、どれくらいノーギャラの関係が存在しているかにかかっているような気がするくらいだ。サービスを受けようと思ったら金を払う。お礼もお金。心や気持ちの代わりにお金を払う。つまりはお金つながりのほうが遥かに多いということに気が付いたりして・・・
娘が赤ちゃんの頃、たまには子どもを置いて一人で外出したいなどと思ったり、保育所に預けて自分が仕事をして・・などと考えることもしばしばだった。つまりは、そのほうが遥かに楽な気がしたし、育児という重圧と、それこそトイレの中にまで子どもと一緒という密室においては、子どもが日中幼稚園へ行ってくれるようになったときの解放感と寂しさは経験した人じゃないとわからないと思う。
一般的に良いお母さんという雰囲気の人は、子どもがいないと寂しいという人かな。つまり、子どもとの心のつながりがある。誰でもわが子が可愛いのは当然なんだけど、可愛いというだけではなく、子どもとの心のつながりがあるかどうかは、案外親子それぞれだったりするような気がする。親が子どもの世話をするのは当たり前のような気がするけど、今はそれすら当たり前ではない。だってお金を払えば誰かが代わりに世話をしてくれる・・・・それもまた事実だ。
子どもの世話をしたからといって、子どもが私に賃金を支払ってくれるわけではない。しかも暴君だ。それでいて可愛い。お金の代わりに愛をくれる。

このように考えると、人は愛の代わりに金を支払う生き物だということがよくわかる。極めて屁理屈なような気がするけど、風俗と恋愛の違いは、風俗嬢は愛の代わりに金を得るということだろう。
家事を労働賃金で換算するような関係はつまらない。古くはくたばれ専業主婦じゃないけれども、税金も払わないで家でぼーっとしている自分のことを考えると、どうしてこういう私のために社会は税を控除してくれたり、社会保険料を控除してくれたりするのか不思議。働いていないから? 働くということは特に金の授受があるかどうかには関係ないのに、「賃金を得ること=仕事」と考えている人たちがあまりにも多いのかも。
例えば、カウンセラーになるとしましょう。そうするとお話するだけで金になります。カウンセリングが心の風俗かどうかは知らんけど、水商売でも酒や料理を売るより、それ以外の要素に客は金を払う。単にママさんとお話したいだけの人もいるかもしれないし、綺麗な姉ちゃんにちやほやされたい人もいるかもしれない。それでもお酒や料理や席料が金銭換算される。こういう原則はほかの商売にも当てはまる。サービスはタダではないから。たまに笑顔すらタダではないんだなーと海外のホテルなどに宿泊すると思ったりする。
ガイドさんなんて面白い。あたしの荷物はチップなしでも運んでくれる。ダンナの荷物はチップが少ないと怒る。極めてはっきりしている。一応は規定というものがあるんでしょうけど、学生時代の一人旅ほど面白いものはない。つまり、金を期待されないからかもしれない。裕福そうにしていると、最初からお金を当てにされるから、相手が期待するほどに支払わなければ裏切られた気持ちになるのかもしれない。でも、さっぱり笑顔でお礼すると何かが変わる。世の中ってそういうもの。つまりは、心や気持ちやサービスはそれを金銭換算すると莫大な額になるということなのだろう。

ということは、我が家で一番リッチなのは娘かもしれない。おちびのために一生懸命何かしても儲からん。でも、愛をくれる・・・・ ダンナも愛が欠如したら、がっちりバカスカ金を使いまくってやろう。情けないけどそれも本音だなぁ・・・・ つまりは、やさしさや愛やハートが欠如した関係においてはそれくらいしか残っていないもの。とりあえず、まだ心のつながりがあるうちは我が家は安泰なのだろう。相手から愛が期待できずに妻をしているとすれば、妻の特権は金しかない。それもまた殺伐としていて寂しい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

何となく、昔、結婚式の相談に御聖堂へ行ったときのお世話係の人を不意に思い出してしまった。あの冷たい表情が何となく印象に残っている。おそろしく裕福な人なのだと思った。質素な身なりをしていたけど。プライドの高さと傲慢さを奉仕の中に隠す。あそこまでになると、お金でもないし、ハートでもない。そのどちらも要求していないという表情。あそこまでになると、神さまのためにしか働けないのだろう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

愛だの金だの考えているうちは、まだまだ甘ちゃん。気のせいかもしれないけど、自分が酷く人間的な気がした。(ホッ)

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愛も金もない?あるいはそのどちらも支払わない?
そういう場合には、げすやろうと呼ばれて憎しみという借金を背負います。(たぶん)

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短歌のサイトなんだから、短歌の話を書けよ。
・・・・・・・すみません。

(単なる自問自答です。)

投稿者 Blue Wind : 07:25 AM | コメント (0)

January 21, 2004

おとなになれないおとな

自衛官はまるでお坊ちゃまだし、せっせと国から装備を買ってもらってほかの国のお世話になっている。ロリコンオタクの台頭、子どもに甘い親。それでいて不景気だからあっちもこっちも神経がとんがらがっている。上昇ムードの時はいいのよね・・・でも、それが下降線へつながると、あんただけじゃないわよ、などと言いたくてもそれでは納得しないくらいみんなが自分のことに精一杯になる。
となると、ごく自然に発生する心理的過疎。仲間はずれにされたら大変とばかりに、せっせと何かでつながりを求める。

いやな風潮。浅い人間関係。おとなになれないおとな。これが21世紀の幕開け。

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自衛隊がイラクに到着。大袈裟なまでの重装備。取り囲む報道陣。それにあわせてホテル代の高騰。どうして自分の村が駐屯地じゃないんだと怒る人たち。どうせなら軍ではなく企業をよこせ。・・・・・・・・・・。

派兵というより、どこかお祭騒ぎを感じてしまう。つまりは、お客としての自衛隊に期待が寄せられているわけで、特に戦闘を期待されているわけではない。喜んでいいのか悲しんでいいのか、世の中しょせん金なんだろうと極めて淡白な気分になってしまう。
実際のところ、自衛隊の派兵については反対。
が、しかし・・・・
重装備、かつ金を落としに行く。
自衛隊が引き上げたら、損をするのはイラク人らしい。

そうやって考えると、不景気だから世の中が荒れるわけで、たしかに景気が上向けばつまらない騒動などは自然と治まってしまうのかもしれない。

東京都の条例案というのが凄まじい。未成年の夜遊びを親が監督する義務をうたった条例を審議するらしい。それくらい夜遊びが当たり前になってしまったのか、それとも親のほうに子どもを監視する意欲がないのか、それすらもよくわからない。自分なんかを観察していても、自分の子どもの頃だったらもっと厳しく言われたようなことでも、今は子どもには甘い。ちょっと風邪を引いただけで学校を休ませる。少しでも顔色が悪かったり、微熱があったりすると学校から電話がかかってきて迎えに行かなければならないために、そういう2度手間を考えると、親のほうもあっさり今日は休ませようと簡単に思ってしまう。うちだけかと思ったら、この前お知らせにクラス写真があって、全員が揃った日がめずらしいと娘が言っていた。ということは、どこの家でも似たようなものらしいってことなのよね。ゆとり教育がうたい文句のせいか、結構3連休も多いし、それを考えるとダンナにすると娘が遊んでばかりいるように見えても仕方がない。それでいてあたしからすれば、それが当たり前だとやつに説明するのがかったるい。
まあ、みんながやっているからそれが正しいというわけではないけれども、それでいてそれが当たり前だと説明すると納得するってことは、つまりは多数決社会だということがよお〜っくわかる。
この前も旗持ち当番をさぼったら、ダンナがうるさい、うるさい。「うちは参加できません、そんなものは必要ないと思っています」と言って来いとこうだ。いい迷惑。だったら自分で旗持ちすればいいのに。春先以外はやる必要はないのではないかという人もいれば、やはりそれでは心配だから、せめて一日おきにでもやれる人はやりましょうという人もいるし、今の時期あまりうるさくは言われない。風邪を引いている人もいるかもしれないし、都合の悪い人もいるかもしれないし、当番でなくても子どもに問題行動があれば毎朝着いて来ている母親もいるし、やたらと心配性の人もいるし、人それぞれなんだから、みんなで決めたことにはてきとーに逆らわずにできる範囲のことをすればいい。それがトラブル回避のコツだろう。
よくわからないけど、おそらくは彼は関西人なのだろう。
ということは、これが関西だったら単なる旗持ちのことでボロカスなのだろうか?
そんなおそろしいところには住めない。
当たり前が違うって疲れる。

新語の「萌え」。薄気味悪い。なんか、こう、アニメオタクというか、ロリコンかよくわからないけど、彼らが語るところの「好き」とか「可愛い」という意味らしい。小学生くらいの女の子の人形の写真を眺めて喜んでいるわけだ。どうやって考えても薄気味悪い。その雑誌がアマゾンで予約の段階で5位まで売り上げトップを記録してしまっていたらしい。一体世の中どうなっているんだか・・・
とにかくゆとり教育はいいけれど、世の中のロリコンオタクが小学生の子までナンパしているし、うかうかしていられない。それでいて都内では親に対する条例・・・・はあ?親が子どもを監督するのは当たり前の行為ではないかと思っていたけど、もしかするとそういう親は子どもから嫌われるために放置しているのだろうか?それとも、子どもが勝手に友達の家に泊まりに行くなどと嘘をついて外出しちゃっているだけなのかもしれないし、そうやって言われると自分も自信がない。今はそういう心配をする年齢ではないけれども、子どもに友達の家にみんなが集まるなどと嘘をつかれたら、あっさり許可してしまいそうな自分が怖い。
つまりはどこか心理的過疎があり、どこかそういうつながりを求める。だから、そういう風に言われてしまうと、友達同士というものを優先させてしまいそうな気がする。いやな時代だ。悪いことは悪いのだから、あんな子とは付き合ってはいけないとあっさり言うくらいがちょうどよいのではないかと思うけど、とりあえず娘がのんびり仲良くしているならそれはそれで・・などと思ってしまいそうな気がする。

自衛官はまるでお坊ちゃまだし、せっせと国から装備を買ってもらってほかの国のお世話になっている。ロリコンオタクの台頭、子どもに甘い親。それでいて不景気だからあっちもこっちも神経がとんがらがっている。上昇ムードの時はいいのよね・・・でも、それが下降線へつながると、あんただけじゃないわよ、などと言いたくてもそれでは納得しないくらいみんなが自分のことに精一杯になる。
となると、ごく自然に発生する心理的過疎。仲間はずれにされたら大変とばかりに、せっせと何かでつながりを求める。

いやな風潮。浅い人間関係。おとなになれないおとな。これが21世紀の幕開け。

投稿者 Blue Wind : 01:23 AM | コメント (0)

January 20, 2004

醜い男

この前、細木数子の番組を観ていた。案外、テレビなどがつけっぱなしになっているわりには観ていないことが多いのだけど、何となく他人の運命などが宣告される姿が面白くて観てしまった。途中までしか観ていないけど、一番面白かったのは、「心が男」とか、「心がない」などと言われて顔面蒼白になっていたタレントの女の子。女性の場合は、仕事や金云々よりもどうしても話題が結婚とか恋愛などプライベートなことになってしまうために、なんか面白い。
そういうつまらないことがどうして印象に残っているかというと、細木氏いわく、女には心がないらしい。つまりは、「腹=心」という心の使い方をしているわけで、そういえば、腹黒いとか、裏腹とか、腹という言葉に心というニュアンスがあるのは男だ。自分を見せない。
女の世界というのは、案外、ぴーちかぱーちかうるさい割にはあっけらかんとしている。男がいないとどうしてこんなにさばさばしているのだろうと思うくらいだ。もちろん性格的に外向的だったり内向的だったり、人によって違うけど、それが地なのよね・・・つまり、嘘がない。
ところがそういう女の世界に、ぼちぼち変化が生じるのは、友達よりも彼氏といる時間が長くなったりする頃だろう。あまりにも正直。だって話すことといえば彼氏の話。服装の好みも変われば、趣味まで変わったり、中には性格も変わる人もいたりして、どういうタイプの人とお付き合いしているか変化を観察するだけで話なんか聞かなくてもわかるくらいわかりやすい。
これに対して、男というのは100%腹がある。つまりは何を考えているのかよーわからんというのが当たり前らしく、女だから男を理解できないのかと勘違いしていたけど、そうではなく、単に腹の中に何かを隠すというのが習性だから、もともとが理解できないのが当然なのだろう。ということは、男同士でも腹を割って話すというくらいだから、その人が実際にどういうやつなのかってわからないものなのね。
女はカンがいいという・・・・
それは嘘だ。
つまりは自己観察をしていれば、相手の腹などちょちょいのちょいでわかる。それはカンではない。理屈ではないからカンという言葉を使うだけのことであり、もともと腹がないから、相手からの影響などを自己観察、あるいは誰かからのフィードバックにより知る。すると、「あたしは本当はこういうタイプじゃないのに」などともどかしさを感じたりする。つまりは、自分に対して何らかの違和感を感じたならば、それは自分ではない自分の心が自分の中に憑依?しているわけで、それが自分っぽくないと感じたならば、それを捨てなければならない。それが簡単にはいかないから、あれにこれにとややこしくなるんだろうな。

野村監督。ミッチー。すごいペア。壮絶。
あれだけの名監督と言われているのだから、もっとマシな奥さんがいくらでもいるような気がするけど、奥さんはミッチー。これってね、世の中にはあまりにもよくあるパターンで、昔から不思議だったのよね。悪妻のほうがダンナは出世するとか?
ある意味、これは正しいのかもしれない。
つまりは、奥さんというのは裏であり腹なんだろう。だから、壮絶な行動パターンを実行しているのはミッチーだとしても、それをダンナに言っても無駄。つまりは、あれが彼の本音だからだ。男には腹があるから、ああやって行動したくても理性が止める(はず)。ところが、あのやりたい放題が実は野村監督の本音の部分なんだろうな。つまりは、ミッチーの心は野村監督の心ということになる。その証拠に、まったく離婚するという話はない。(したの?知らない・・)

そうやってカップルを観察すると興味深い。ダンナは一見紳士でまともなのに、奥さんのほうがわがままで幼児性が高い。これって奥さんの地なのかと思っていたら、次第に付き合っていくうちに、ダンナのほうの地だったりする。逆に、ヘンなやつだと思っていたら、奥さんが普通の人なのでほっとしたりする。どうしてほっとするのか自分でもよくわからないけど、ああ普通なんだなと思うとそれだけでほっとしてしまう。今までそういうことを深く考えたことはなかったけど、つまりは好みは嘘をつかないということなんだろう。
うちの場合はどうなんだろう・・・そういえば、結婚を機に何かが変わった気がする。あちらが社交的な性格になり、逆にあたしのほうがクールと言われるようになってしまった。これは以前は逆だったと思うんだけど、いつの間にか役割が逆転している。うちのダンナというのは酷くやさしい割には情がない。逆に情がありすぎて、そういう性格になってしまったのかもしれないし、そこのところは腹の部分だからあたしにはわからない。自分という人はもともとがエゴイスティックでわがままな性格だったから、そういう意味で、ばさっと自分を切り落とすためには、そういうタイプの人と一緒にいるほうが楽だ。
男から心をもらうとなるとね、心の汚い人だったら大変なことになる。すごいごうつくばりのババアになるかもしれないし、いぎたない女になってしまうかもしれない。どんなに表面をつくっていたとしても、その人の本音ってあるもの。しかも、本音の部分が自分のほうにやってくると思って間違いない。つまりは、ナルシズムに徹しようと思ったら、心の綺麗な男を選ばなければならない。
最終的には、人柄とかっていうけど本当なのかも。常に自己嫌悪に陥るとすれば、それは付き合っている男が醜い男なのだろう。女とは哀れな生き物だわ・・・ほっほっほ。

投稿者 Blue Wind : 01:39 AM | コメント (0)

January 04, 2004

年賀状

岡井隆さんが、雑誌の中で虚無について語っていたけれども、そういう意味では年賀状ほど虚無なものはないような気がするくらいだ。仕事関係、プライベート、親戚、その他諸々印刷された書状。
それに比べると、娘の友達のものはスタンプだったり、手書きだったり、いろいろな工夫がなされていておもしろい。彼女たちは葉書をつくることに意義がある。「誰々ちゃんにはこれ」という具合で、おちびもこれはステンシルだとか、スタンプだとか、あれこれやってみたいと思うらしい。それでよせばいいのに、あたしの古いスタンプの入った箱を取り出してきて、今年の彼女の年賀状には暑中見舞い用の貝の絵柄のスタンプが押してある。子どもの世界のことだから、あたしも何も言わない。
ダンナのつくる年賀状にも何も言わない。気が付いたらあたしの分までつくってくれるので、それをそのまま去年は出した。気のせいかもしれないけど、すこぶる評判が悪いような・・・
ネットを始める前までは、書くことが好きだったので、あれこれ手紙を書いたり、季節の書状でも全部手書き・・・ 絵が苦手なので、文章を書く。それが楽しみでもあった。
でも、気が付いたら、そういうパワーは今ではサイトの更新に費やされてしまっているような気がする。それで、愛想の悪いダンナのつくった年賀状を出す。だったら出さないほうがマシだったかもしれないと思うくらいだ。「冷たい」という感じがするんだろうな・・・ というか・・・・ それが世間というものなので、それが普通なのではないかという気すらするのだけれどどうなんだろう。

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ダンナにとって、今、あたしというのはとても「愛想の悪い人」なのだと思う。その大きな原因は、友達を別々にしたがるという主婦根性があるからだと思う。
学生時代から付き合っているために、当時のことを考えると、実にあたしは愛想のよい彼女であったと思う。ダンナの友達はほとんど知っているし、その中の多くは飲み仲間であった。彼らに彼女ができたら一緒に遊んだり。でも、大抵の場合、飲み仲間として一緒に活動する彼女はレアであった。というのは、そういうケースは、グループとなると女性は女性同士だけで会話していたり、カップルとなるとカップルなのだから当然境界がある。となるとね、そういうグループに参加するより、自分の気の合う友達と一緒にいるほうが楽だから、自然と集まらなくなる。
そういう中で、何となくダンナの飲み仲間の中に入って遊んでいたのだから、考えようによっては不思議な存在だったのかもしれない。

結婚してすでに10年以上家庭の中にいる。年賀状などを見ると、当然ダンナの枚数が一番多い。自分宛の年賀状は、どちらかといえば年賀状を出さなくてもこのまま老後になり、家族に見放されても生きていればノラクラと一緒に遊んでいるだろうというような友達のものばかり。それに比べると、ダンナのものは年々そういう区別が難しくなっていくようなものばかりだ。当然といえば当然なんだろうけど、それは最早かつての気楽な時代とは違うような気がする。

岡井隆さんが、雑誌の中で虚無について語っていたけれども、そういう意味では年賀状ほど虚無なものはないような気がするくらいだ。仕事関係、プライベート、親戚、その他諸々印刷された書状。
それに比べると、娘の友達のものはスタンプだったり、手書きだったり、いろいろな工夫がなされていておもしろい。彼女たちは葉書をつくることに意義がある。「誰々ちゃんにはこれ」という具合で、おちびもこれはステンシルだとか、スタンプだとか、あれこれやってみたいと思うらしい。それでよせばいいのに、あたしの古いスタンプの入った箱を取り出してきて、今年の彼女の年賀状には暑中見舞い用の貝の絵柄のスタンプが押してある。子どもの世界のことだから、あたしも何も言わない。
ダンナのつくる年賀状にも何も言わない。気が付いたらあたしの分までつくってくれるので、それをそのまま去年は出した。気のせいかもしれないけど、すこぶる評判が悪いような・・・
ネットを始める前までは、書くことが好きだったので、あれこれ手紙を書いたり、季節の書状でも全部手書き・・・ 絵が苦手なので、文章を書く。それが楽しみでもあった。
でも、気が付いたら、そういうパワーは今ではサイトの更新に費やされてしまっているような気がする。それで、愛想の悪いダンナのつくった年賀状を出す。だったら出さないほうがマシだったかもしれないと思うくらいだ。「冷たい」という感じがするんだろうな・・・ というか・・・・ それが世間というものなので、それが普通なのではないかという気すらするのだけれどどうなんだろう。
というわけで、あれこれ説明する必要のない友達というのはありがたい。虚無に費やされるより、ぽつりぽつりと残っていくそういう友達のほうがありがたい。ところがこういう自分の姿勢はダンナの苛立ちを募らせるらしい。だからといって、すでに自分には気力がない。かつてのようにラフに振舞うにはいささか世の中は面倒であり、それならばいっそ友達は分けてしまったほうが気楽なような気がして、あたしは愛想の悪い奥さんなのかもしれない。
なんか、こう・・・・・万が一、自分が一人になってしまった場合、結局はダンナの付き合いしか残っていなかったというのがいやなのよね。それこそ虚無以外の何物でもない。義父や父のことを考えても、あの華やかさは一体何だったのだろうと思うくらいだ。特に冷たいというわけではなく、うまく説明できないけれども、虚無、だ。
うちのダンナはやさしい。だから、昔から親以外から誰かに悪口を言われているのを聞いたことがない。愛想もいいし、人から好かれる。それでいて常に虚無がある。おそらくは、そういう虚無を埋め合わせるために娘や家族が必要なんだろうけど、それでいて娘もやがては大きくなる。そうなると、今度は犬だろうか・・・
父は動物が好きだった。小さな子どもも好きだった。ガラスや綺麗なものが好きだった。家族はいつも着飾っているのが好きだった。華やかさを好んだ。
そして、自分は華やかであり、虚無を好んだ。
虚無の中で、自由奔放に育てられ、世間ではそれを「甘やかされた」と呼ぶ。でも、もうどうでもいいような気がする。甘やかされて中途半端な人間でも、それなりに生きている。ダンナが娘にうるさい、「勉強しろ」と。あたしにももっと娘に厳しくしてほしいらしい。(うるさい・・) 自分が甘やかされて育ってしまったがゆえに、今さら娘をどうやって厳しく躾けてよいのかわからない。それよりも自由に、気ままな年賀状を書いている娘が好きだ。あまりにも自由すぎるところがあたしに似ている。おそらくは、あたしよりももっとダンナのほうがちびを甘やかしているとすら思う。そのくせ、たまにそういう自分がいやになるのかも。

でも、ネットなんかをしていると、世の中は本当に自由なのだと思う。世の中の多くの人たちは自分よりも遥かに自由ではないかと思ったりもするけれど、娘は厳しく育てたいのだろうか。自由であり、保守であり、虚無であり、おきらくであり、普通の年賀状を出したら冷たいと思われてしまうあたし。

投稿者 Blue Wind : 12:36 AM | コメント (0)