July 08, 2004

うまく行かないね

落ち着かない。
母の危篤はいつものことなんだけど、今回はなぜか落ち着かない。こちらのほうへ転院ということにしていたからなのかもしれないし、それによりまたあれこれ波紋が広がる。大した波紋ではないのだけれど、一度こちらへ来れば転院はない。そうなると、こちらでお葬式をすることになる。母の姉妹、つまり叔母たちは喜んでいる。ところが、弟や嫁さんにしてみれば、喜んでもいられないらしい。今までやってきたのだから、このまま葬式まで、のほうが私も気楽。が、しかし、弟が独身のうちは気楽だったけど、結婚したら嫁さんがいる。嫁さんがいるとなると、相談する。すると、何となくあちらの家族が関与することになりそう。そうなるとまた気を使う。ゆううつ。
母の家族だけで、というのは失礼なのだろうか?
付き合うとか付き合わないとか、世の中はややこしい。しめやかな気分が次第に遠のいていく。すると、あれにこれにと説明しなければならない。今までの家族の遍歴というものがまるで伝わらないために、疲れる。夫婦は他人だ。それでいて、他人の他人のそのまた他人がどうして母の葬式に関与しなければならないのかよくわからない。
あーわからない。
それでいて、それを主張するばかりでは、あたしはまるで意地悪な小姑のようではないか?
今までは嫁の立場で鬱憤がたまっていたけれども、今度は小姑の立場になってしまう。これがまたやたらとストレスになる。
姑さんに相談すると、あちらは先代の姑さんもおじいさんも他界して一人になってもまだ嫁・小姑の確執が続いている。それにはタッチしないことにしているので、法事のことなどは一切姑さんに任せている。直接お付き合いすると叱られるから。
世の中はどうしてこんなにややこしいのだろう。
私にも私なりに小姑がいるけど、姑さんが逆に何を言われても気にするなと言っている。なんかヘンだ。あなたの娘でしょう、って言いたいのだけれど、母子といえども、人生も価値観も嫁ぎ先も違うために意見が違うのは当然らしく、私はさらに他人なのだから、もっと通じない。

なんかね・・・
私だけではないのだろうし、世の中はそういうものだとわかっているにもかかわらず、非常に落ち着かない。父が亡くなったとき、弟が母の世話をすると言い切っていたではないか。だから、私は何もする必要はないし、母だって、婿の世話になるより息子の世話になっているほうがよいとずっと言っていたわけで、この点ですでに家族の話し合いは終わっている。なのに、なんであたしが嫁に何か言われないといけないのだろう?
嫁は離婚すれば他人だけど、娘は娘だから、私があれこれするのが当然らしい。
はあ?
たしかにそのとおりだけど、そうやって言われると釈然としないものを感じてしまう。その苦情が弟にいく。弟は、間に入ってどちらにも気を使う。
わかっちゃいるが、こちらもそうなると言わずにはいられない。だから、母はあなたと結婚するのをずっと反対していたのよ、って。そうなると、あちらから願い下げだから弟とも1度は別れたという話を持ち出す。だったら、そのままのほうがよかったわ、という気分になる。
これって放っておくと、泥沼ではないだろうか?

あほな嫁と付き合うよりも、母と娘と一緒に3人で散歩していた頃を思い出す。私にとってはおにばばあでも、娘にとってはやさしいおばあちゃんなんだなーと。平和。
それにしても、自分も嫁としては出来の悪いほうだけど、うちの弟の嫁はもっと悪いね。
いや・・・・それが普通なのかも。

なんでもいいから、母を引き取って知らん顔しているほうがマシなような・・・
あちらにしてみれば、母がこちらに来るより、今のままのほうがマシなのかも・・・

なんか、世の中というのは、このようにこころが欠如していく。それでいて、そんなことはないと言いたいだけの理由で、欺瞞が続く。

あー人生だなー。

エゼキエル書 24. 15-27 エゼキエルの妻の死

投稿者 Blue Wind : July 8, 2004 01:19 AM | トラックバック
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