May 22, 2004

民族以上

のんびりと夏休みのバカンスの計画を考えていると、画面では北朝鮮の拉致被害者等の家族が日本に帰国するという報道。帰国するという言い方は適切ではないかもしれない。子どもたちは北朝鮮で生まれ、あちらの教育を受けている。日本語を話せるのだろうか。
それでも日本人の感覚からすると、親が日本人なんだから、子どもはどこで生まれても日本人という気がする。この感覚は国際社会においては当たり前ではないらしく、国籍マジック。アメリカ人や台湾人だと、どこで生まれたのかが重要らしい。つまりは、”民族”という意識が日本ではまだ生きているけれども、多民族国家、あるいは民族意識の欠如した社会では、民族や人種にかかわらず、その土地で生まれたかどうかで国籍が決まるらしい。
というわけで、二重国籍の取得者は多いし、永住権とか、夫婦でも国籍が違うとか。こんな狭い日本でもまだヨソモノがどうたらこうたらとか。何をもって自由な気風と語るかと言えば、ヨソモノの受け入れるキャパを指している気がするくらいだ。

イラクの人質事件といい、北朝鮮の拉致問題といい、結局、戦争をやっているんだから仕方がないという諦めもある。つまりは、普通の誘拐ではなく、いわゆる捕虜として連行されているわけで、日本からみれば、北朝鮮に残された家族というのは、いわば捕虜であり人質だから無事に救出しなければならない。
ところが、運命は皮肉で、曽我ひとみさんのご主人は元アメリカ兵。おそらくは朝鮮戦争の時に兵士としてやって来て、そのまま北朝鮮に亡命してしまったのだろうか。
これは、脱走兵というか、国に対する裏切りというか、グアムですら戦争が終わった後でもつかまらないようにジャングルで生きていた日本兵のことを考えると、それくらい恐ろしい出来事。だから、ジェンキンスさんが、アメリカが怖い、同盟国の日本が怖いのは当たり前の話であり、それこそ軍事裁判クラスの不祥事かもしれないし、今さらという気がしなくもないけど、現にアメリカはずっと戦争を続けている国だし信用できない。
本当に平和な世の中なら、どうして拉致被害者の人たちが自由に二つの国を行き来できないのか。
詳しいことは知らないけれども、一度、軍隊で”不適格者”のレッテルを貼られてしまうと大変らしい。戦時下になればどこでもそうなのかもしれない。非国民とかさ。愛国心とか、国への忠誠とか、移民の多い国だからこそアメリカのほうが厳しいのかも。
毎日、朝礼の時間に「君が代」を歌わされたらたまらんぜよ。かといって、今さら徹底的に「君が代」を排除する姿勢というのも大袈裟すぎ。
オリンピックで「君が代」が流れるとうれしい。昔の選手たちみたいに何が何でも国の名誉をかけて、というのも大袈裟すぎるような気がするけど、それでも日本の選手が勝てばうれしい。
もう、なんか、戦争後遺症というか、民族主義的な発想にもうんざりだけど、いざこのように日本人が拉致されたりすると、政府は働く。首相が行って直接話をしないと何も解決しない。かといって、今の状態では、北朝鮮から”将軍さま”がやって来たとしてもうれしくない。石をぶつけようとまでは思わないけど、どうせ国内でですら暗殺を恐れて生きているのかもしれないし、それでいて、北朝鮮の人たちのプライドを傷つけないためには、ってことなんだろうな。

なんかね・・・いい加減にしてほしい。
あたくしはバカンスの仕度に忙しいのである。
自由にあっちゃこっちゃと飛び回る。
ローマのスリ、怖い。
どこの国にも悪い人はいるし、素晴らしい人もいる。
アミハイだって詠っている。
戦争していることが恥なんだよ。

投稿者 Blue Wind : May 22, 2004 11:14 PM | トラックバック
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