April 19, 2004

機械人間

言葉ってほんとにめんどくさいと思ってしまう。いつまでも散らないなーって思っていたら、あれは八重桜らしい。普通の桜が散った後に咲くそうなので、それを考えると今年は花が早いのかも。
常磐高速に桜・土浦というインターがあるけど、そこで桜と言えば基本的につくば市のことを指す。いくつかの町や村が合併してつくば市になったので、古い地名がそのまま使われていることもある。桜通りと呼べば、そこの並木の花は桜だと思うでしょ?ところが、実際には八重桜らしい。「らしい」というのは、自分が花の名前に詳しくないからであり、もしかすると、桜村の桜というのも八重桜だったりして。郷土愛が足りないせいか、まるで知らない。
うちのアカシアが実はミモザと知ったのも最近だし、こんなに花の名前を知らないのにあたしは歌人らしい。でも、実際には現代短歌だと花の歌は少ない気がするけど、どうなんだろう。隣のマンションの垣根の名前も知らないし、歌を詠むだけなら花の名前を知らなくても詠める。

今日、不意に思い立って、ほかの歌人のサイトへ来訪した。あらまっ、というか、削除だらけ。あのタイプのBBSは案外使えそうだと違うことを思いながらも、あれはひどい。うちのサイトも困ったものだと思っていたけど、他人のサイトで眺めると、一層不愉快な気分になる。
とにかく、このところメルアドは勝手に使われるし、この前などは同じIPアドレスを使っているパソコンがあるという警告まで出た。ルータを使っているわけではないし、そんなことがあるはずもない。ところが、実際にそういうことが発生してしまうのが、悲しいけれどもネットであり、悪いことをする人はいつでもどこでも存在するし、サルの嫌がらせは続く。いい加減にしてほしい。
この前は、どこのサイトでも使っていない捨てアドにメールが届いた。「HPに来訪しました」とあるけど、どこのHPに来訪したのか不明。だって、使ってないもの、もうそのメルアドは。ということは、そのメルアドを知っているということ自体がヘンだし、それでいて健康優良児になった話とかね・・・一体、いつ、どこでそんな話を書いたのかまるで思い出せない。サトウハチローのプレートを記念品にもらったという話を書いた記憶があるけど、一体どこでだろう?つまりは、本人が書いたということすら忘れていることをいつまでも覚えている来訪者であり、その使い捨てメルアドを知っているということ自体が、おそらくはガイアックス系の来訪者なのかもしれない。それでも、サイトにメルアドは貼っていなかったから、かなり限定された人間が犯人だということになる。しかも、そのメールは初めて見るメルアドで、送信者の名前も記憶にない。それでいて、古くからの来訪者なのだろう。あまりにも気持ち悪い。
もー覚えていないような来訪者のほうが多いと思う。通りすがりに書いていった人も多いし、自分としてはカキコがあれば順番にレスを書いていった時代も長い。こちらが忘れてもあちらが覚えているということもあるだろうし、その逆もあるだろう。
匿名の怖さというか、気楽さというか、まだネットを始めて浅い頃には、チャッ友やメル友が50人以上いた時代があった。そうなると、メールだけでも一日にひどいと10通とかね・・・もう、誰に何を書いたかも覚えていない。どんな人がいたのかも覚えていない。そのうち、鬱の人に、バーチャル妄想でつきまとわれてひどい目に遭う。
BBSなどでやりとりしているうちに、フレンドリーな感覚が発生したとしても、よく考えたら全然知らない人だったり・・・当たり前か。
大抵は、そういう場合は、BBSやサイトを放置したり、メールだったらレスを書かないなど、知らん顔しているうちに消える。ところが、人間関係につながりがあると、なかなか消えない。それでいて、誰が何を言ったとか言わないとか、ますますややこしい。勝手に想像しちゃっている部分も大きいだろうし、誤解だとか、こころが傷ついたとか、よく考えてみたら、そこまで一生懸命になるような関係でもない。
これって、機械的人間関係への依存度の違いで、いかようにでも受け止め方が違うからどうにもならない。どうやっても一方通行なのだもの。

機械を通した関係以外になんらかの接点があると、世界が変わる。特に、リアルとかバーチャルとか深く考えているわけではなかったけれど、全然どこの誰だかわからない関係というのは、実に気持ち悪い。どこの誰だかわかっていてもお付き合いしたくない人だっているわけでしょ?それを考えると、そういう区分はあって然りだとは思うのだけど、機械の世界はしょせん機械だからね。それすらてきとーなのかもしれない。だから、個人情報がどうたらこうたらってなるんでしょうけど、単に名簿や顔を見たからといって知り合いになるわけでもないし、あれこれ考えると、メディアはメディアと割り切ってサイトを活用しているほうがまともなような気がしてしまう。
フレンドリーでありながらも慎重な姿勢というのは、ネットでは両立しないのかもしれない。こういうオン・オフ反応みたいな単調な世界のどこにこころなどあるのだろう。というわけで、一緒にされたら迷惑だなと思う人にはなるべく近寄らないほうが身のためだということをしみじみ悟る。

実のところ、こういう話ももう書きたくないのである。ジャンキーが喜ぶだけだから。嫌がらせをして喜んでいる類のサルはどこにでもいる。もうそういう「文学以前」の人たちとは関わり合いになりたくない。うざいだけ。とにかく、ネットはどーにもならん、そーいう意味では。失望中。

投稿者 Blue Wind : April 19, 2004 11:36 PM | トラックバック
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