January 20, 2004

醜い男

この前、細木数子の番組を観ていた。案外、テレビなどがつけっぱなしになっているわりには観ていないことが多いのだけど、何となく他人の運命などが宣告される姿が面白くて観てしまった。途中までしか観ていないけど、一番面白かったのは、「心が男」とか、「心がない」などと言われて顔面蒼白になっていたタレントの女の子。女性の場合は、仕事や金云々よりもどうしても話題が結婚とか恋愛などプライベートなことになってしまうために、なんか面白い。
そういうつまらないことがどうして印象に残っているかというと、細木氏いわく、女には心がないらしい。つまりは、「腹=心」という心の使い方をしているわけで、そういえば、腹黒いとか、裏腹とか、腹という言葉に心というニュアンスがあるのは男だ。自分を見せない。
女の世界というのは、案外、ぴーちかぱーちかうるさい割にはあっけらかんとしている。男がいないとどうしてこんなにさばさばしているのだろうと思うくらいだ。もちろん性格的に外向的だったり内向的だったり、人によって違うけど、それが地なのよね・・・つまり、嘘がない。
ところがそういう女の世界に、ぼちぼち変化が生じるのは、友達よりも彼氏といる時間が長くなったりする頃だろう。あまりにも正直。だって話すことといえば彼氏の話。服装の好みも変われば、趣味まで変わったり、中には性格も変わる人もいたりして、どういうタイプの人とお付き合いしているか変化を観察するだけで話なんか聞かなくてもわかるくらいわかりやすい。
これに対して、男というのは100%腹がある。つまりは何を考えているのかよーわからんというのが当たり前らしく、女だから男を理解できないのかと勘違いしていたけど、そうではなく、単に腹の中に何かを隠すというのが習性だから、もともとが理解できないのが当然なのだろう。ということは、男同士でも腹を割って話すというくらいだから、その人が実際にどういうやつなのかってわからないものなのね。
女はカンがいいという・・・・
それは嘘だ。
つまりは自己観察をしていれば、相手の腹などちょちょいのちょいでわかる。それはカンではない。理屈ではないからカンという言葉を使うだけのことであり、もともと腹がないから、相手からの影響などを自己観察、あるいは誰かからのフィードバックにより知る。すると、「あたしは本当はこういうタイプじゃないのに」などともどかしさを感じたりする。つまりは、自分に対して何らかの違和感を感じたならば、それは自分ではない自分の心が自分の中に憑依?しているわけで、それが自分っぽくないと感じたならば、それを捨てなければならない。それが簡単にはいかないから、あれにこれにとややこしくなるんだろうな。

野村監督。ミッチー。すごいペア。壮絶。
あれだけの名監督と言われているのだから、もっとマシな奥さんがいくらでもいるような気がするけど、奥さんはミッチー。これってね、世の中にはあまりにもよくあるパターンで、昔から不思議だったのよね。悪妻のほうがダンナは出世するとか?
ある意味、これは正しいのかもしれない。
つまりは、奥さんというのは裏であり腹なんだろう。だから、壮絶な行動パターンを実行しているのはミッチーだとしても、それをダンナに言っても無駄。つまりは、あれが彼の本音だからだ。男には腹があるから、ああやって行動したくても理性が止める(はず)。ところが、あのやりたい放題が実は野村監督の本音の部分なんだろうな。つまりは、ミッチーの心は野村監督の心ということになる。その証拠に、まったく離婚するという話はない。(したの?知らない・・)

そうやってカップルを観察すると興味深い。ダンナは一見紳士でまともなのに、奥さんのほうがわがままで幼児性が高い。これって奥さんの地なのかと思っていたら、次第に付き合っていくうちに、ダンナのほうの地だったりする。逆に、ヘンなやつだと思っていたら、奥さんが普通の人なのでほっとしたりする。どうしてほっとするのか自分でもよくわからないけど、ああ普通なんだなと思うとそれだけでほっとしてしまう。今までそういうことを深く考えたことはなかったけど、つまりは好みは嘘をつかないということなんだろう。
うちの場合はどうなんだろう・・・そういえば、結婚を機に何かが変わった気がする。あちらが社交的な性格になり、逆にあたしのほうがクールと言われるようになってしまった。これは以前は逆だったと思うんだけど、いつの間にか役割が逆転している。うちのダンナというのは酷くやさしい割には情がない。逆に情がありすぎて、そういう性格になってしまったのかもしれないし、そこのところは腹の部分だからあたしにはわからない。自分という人はもともとがエゴイスティックでわがままな性格だったから、そういう意味で、ばさっと自分を切り落とすためには、そういうタイプの人と一緒にいるほうが楽だ。
男から心をもらうとなるとね、心の汚い人だったら大変なことになる。すごいごうつくばりのババアになるかもしれないし、いぎたない女になってしまうかもしれない。どんなに表面をつくっていたとしても、その人の本音ってあるもの。しかも、本音の部分が自分のほうにやってくると思って間違いない。つまりは、ナルシズムに徹しようと思ったら、心の綺麗な男を選ばなければならない。
最終的には、人柄とかっていうけど本当なのかも。常に自己嫌悪に陥るとすれば、それは付き合っている男が醜い男なのだろう。女とは哀れな生き物だわ・・・ほっほっほ。

投稿者 Blue Wind : January 20, 2004 01:39 AM
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