December 30, 2004

スマトラ沖の地震を知らずに過ごす

気が付けば雪が降り、テレビの画面はプーケット。今年の10大ニュースをアップするまで、わたしはスマトラ沖に地震が発生したことさえも知らなかった。

その間、何をしていたかというと、26日はクリスマスが終わり、マリのことでくよくよ過ごし、こういう時にはテポドンが飛んできても気が付かないだろうと思っていたら、ほんとにそうかもしれないと少しは反省している。

人間のエゴイズムに振り回され、赤ちゃんなのに母親から引き離されたあげく、感染症。しかも、医者もペットショップもそれを隠蔽しようとするし、一度ペットショップへ戻してしまったら殺されてしまう。そうやって考えたら、罪のないマリを守ってあげられるのはわたししかいないとばかりに、怒りのピークに達する。そして、マリの死を迎え・・・・脱力感。

そうなると、マリの話を書くのも聞くのも嫌で、ひたすら鬱々としながらも、平和な日常を過ごしていた。娘の塾の送り迎え、食事の支度、姑さんからの電話。年末だし冬休みだし、あれにこれにと時間ばかりが過ぎてゆく。

つまらないネタを探し、ブログをぱちぱち模様替え。
何となくケープパンワにでも行きたいような気分。ケープパンワはプーケットの南、コー・ピーピー、つまりピピ島にも近い。どうしてケープパンワなのかよくわからなかったけど、何となくスコールの海のあっけなさが恋しかったのかもしれない。
あっという間に黒い雲、黒い海、島さえも深い霧に包まれて見えなくなる。それでいて、あっという間にそれを潜れば何事もなかったかのようなビーチ。

恐ろしい数の人の死。
26日に地震が発生し、もう腐乱が始まり、身元の判別がつかなくなっている遺体。感染症の予防のためにすぐにも埋葬が始まると、さっきニュースで言っていた。8割が観光客だから、それこそ身元が判明するまでは恐ろしいほどの時間が必要なのだろう。灼熱の太陽は待ってくれない。

ツアーは中止、それでいて遺族を乗せて飛行機は飛ぶ。
津波が押し寄せてきたら、地元の人たちはひたすら逃げる。高いところへ登る。
どうしてプーケットのホテルはビーチまで遠いんだろうと思っていたら、そういうことだと今さらながら気づく。主要な建物は高台にある。ラグーン。
パトンビーチは海沿いにホテルが並び、みやげ物屋やレストランが通りを埋める。退廃的な雰囲気を求めて、世界中から若者が集まる。治安がよくないために、バリ島でいえばクタみたいなもので、安宿も多い。コテージというと聞こえがいい。

パトンビーチで過ごしている人たちは、スマトラ沖の地震のことを知っていたのだろうか。
たぶん、ほとんどの観光客の人たちは知らなかったかもしれない。

それでも、何も知らずに海の上でマリン・スポーツをしていた人たちは津波のことすら知らなかったらしい。島に滞在している人たちが知らないことを、わたしが知っているはずもない。テレビもニュースもないヴァカンス。

投稿者 Blue Wind : December 30, 2004 01:35 AM | トラックバック
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