May 29, 2004

オトくんは生きるも死ぬも風まかせ。ただ生きるってすっきりしてる。

考えてみたら、動作訓練から痴呆、カウンセリング、発話のトレーニングなどなど資格はないけど、知識だけだったら膨大にあるのですね、あたしって。実際にやってみないとわからないことだらけだけど、まずは手続きから。今日は午後ソーシャルワーカーの人と面談する予定です。母を移し、あれこれやっていくうちに何かできることがあるのかもしれません。なんでも自分で苦労してみないことには。

ヘブライ人への手紙 1.10-12

天と地をのんびりながめ考えて周辺視から介護にいたる
錆ついた知識のなかで横道と斜めにながむ知識ぞ生きる
誰がためにやるのか知らぬことなれどわがみとあらばやらねばならぬ
ちっぽけなぼやきの渦は天高くみこころのなかしづしづとして
母となり娘となってやってみて一人になって苦労は生きる
知識など不毛などと思うのはちっぽけなズレ感じるせいかも
言の葉を伝えてみても手続きは書類となって実際となる

ガラテヤの信徒への手紙 1. 6-10 ほかの福音はない

知識と福音は違うからなぁ・・・

暑い。日中は慌しい。

夏風かパタンパタンとリンリンと呼び出されては走りまわれり
ひねもすはぶっきらぼうにひかえめにエアコンの音街中流れ

福音、か。

使徒言行録 7. 54-60 ステファノの殉教

石をぶつけられたほうが、犯罪だからまだマシかもしれん。
精神には急所があって、おそらくはそこを突くから野蛮になるんだろうな。

生か死か生きるか死ぬか寝たきりかご都合主義かマニュアル主義か
絶望にすすみゆくみち今日もまた静かに時は人を見送り
ひっそりとすすみゆくみち明日もまたあきらめたらなら陽はのぼりゆく
わたくしはおばかですからわかりません、のんびり死んで枯れゆく花よ
年寄りに明日こそあらばと励まして鬱々とする悲しき人ら

医者からも家族からも見離されちゃってるからな。大抵は。何のために生きているのかわからん。すごい世界。

オトくんは生きるも死ぬも風まかせ。ただ生きるってすっきりしてる。

マタイによる福音書 25. 31-46 すべての民族を裁く

何のために生きているのかわからないようにならないと、何もわからないのかもしれない。むずかしい。

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May 28, 2004

燻製になっても生きろと行政はせっせとわたし料理している

世の中はしっちゃかめちゃか。というか、あまりにも整然としすぎているのかもしれません。母を移すだけでも手続きが大変だし、福祉は地方ごとに行政が違うし、施設や病院はいつも不足しているために地元が優先だったり、おそらくは母でもこうなのだから、叔母となると扶養義務者のことや住所のことや、あれにこれにと手続きがややこしい。元気なら退院時に清算の費用でも、ずっと寝たきりだと一人では何もできない。子どもが海外で暮らしていたり、離れていたり、その他の理由で親の世話をできない場合も多い。心筋梗塞のオペの承諾書一つにしても家族の到着を待てというのだろうか?

ルカによる福音書 17. 20-21

「捨て親」のはこびる時代到来す捨てられるのは稚児にはあらず
寝たきりの稚児は保護され生きていく寝たきりの親死ねずに生きる
ささやかな手続きでさえおおごとに大騒ぎする書類の山よ
聖書にも著作権があるのならコンセの時代誰がみつもり
ほいほいとやってあげるとひきうけて行政の壁みちをふさげり
道端に転がっている親ならば転がりついで谷まで急ぐ
寝たきりを登山のようにのぼりゆく杖さえあれば十分なのに
しがらみをひとつひとつと消しゆかば天へのみちはかろがろしかろ

ヘブライ人への手紙 1. 5

神さまがジーザスを産んだのか。よーわからん。

神さまが御子を産んで主と崇むくるくるとする思考回路か
聖霊は生まれたままに生み出され万物は土、屍となる。
寝たきりにさまようままにたどりつく意思があるならこたえてほしい
世の中は雁字搦めに縛られて手も足も出ぬ肉屋のハムか
燻製になっても生きろと行政はせっせとわたし料理している

箴言 3. 5-6

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May 27, 2004

がむしゃらに生きてきたって墓場には知らぬ名前の並んでおりし

母をわたくしの家の近所の病院に移そうと思っています。長距離の移動の体力があるかどうか、状態を見て、秋頃までに。すでに、意識のないまま5年目になりますし、ついでにお葬式のことも話して、母の愛する人たちが集まってくだされば。みんなで相談して、こころよく喜んでくださいました。もう5年。こちらは突然の転勤でやって来た土地だし、いささか遠いし、姑さんもいざとなったら諦めてこちらへやって来るというし、母親が一人になったら、そういうものなんでしょう、今の時代は。親が子どものそばに行かないとならない。肝にめいじておこう。

使徒言行録 21. 9-14

やっぱ、危険だよなぁ・・・肺炎起こしたばかりだし・・・かといって、5年にもなると、病院をたらいまわしだもの。へんなとこで死ぬより、こちらのほうがいいのだろう。悩む。

意識なくただよいながらたましいは風に吹かれて山に運ばれ
葬式も要らないからと風は言う土より生まれ土に帰りぬ
のんびりとうたたねするよな生活は永久の眠りにつつまれやすく
生きるとか死ぬとか言って大騒ぎおおげさすぎる世の中を捨て
筑波山青々として麗しく姿変わらぬ時は止まる

ヨハネによる福音書 3. 27

みなさん、さようならー。お別れの挨拶とお礼をして、引越しだ。叔母ちゃまも一人になったらこっちへ来ると言っているし、わたしはわがままだから、わたしの愛する人たちだけこっち。そういうほうがいいな。介護は義務ではございませんのよ、ほほほ。あーわがまま。

がむしゃらに生きてきたって墓場には知らぬ名前の並んでおりし
死後の名を呼ばれてむなし仏かな覚えられないながき名前よ
たましいはたましいのままああこれは誰だったかと気配を覚ゆ
意識なくうすらぼんやり生きるなら平安のうちみこころのうち
番号で呼ばるる人の憐れさか打ち捨てられて保護されている
生き地獄見てしまうよな病院をありがたがっている人もいる
現状は知っているけどわたしにはどうにもならぬわがみちをゆく
ささやかに愛する人にプレゼントわきみちのなかしあわせの風

使徒言行録 18. 1-4

家族のために生きて来た人たちが報われなかったら、家族なんて要らんのよ。粗大ゴミコースか、介護コースか分かれるな・・・わかりやすい。老後の心配ないだけ、幸せに思おう。なんとかなるだろ・・・

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May 24, 2004

ひっそりとわがみちをゆく青蜻蛉科学のまちの空に飛びをり

人生はわずらわしさとの闘いである。

ルカによる福音書 13. 31-35 エルサレムのために嘆く

ユダヤ人と日本人。ゆううつなとりあわせ。

敷島はのんびりしてて平和だがチャイム鳴らすはエホバの証人
のんびりと筑波の山はたたずんで万葉の頃しのばせている
ロケットは明日へと向かいランダムに入り混じりてはカルトも浮かれ
世の中がからまわりして大学は学問の場か遊びの舟か
聖書なら本屋で買えばよいだろう書物の棚に並べられてる
この街は宗教なんて関係ない勉強のため書籍は並ぶ
知識とは不毛なままで夕焼けは美しき街沈みゆく森
庭の花咲き乱れてはうつろはば街を彩る季節は巡る
ひねもすはのんびり流れ学生は静かな森に埋もれている
理性派のとどまる街は喧騒も通り吹く風理は麗しく
街並みを造り出しては発表す人工都市と言われて哀し

フィレモンへの手紙 21-22

あーあ、本当に牢獄から手紙書いてる・・・
やっとこさ獅子の洞窟から逃げ出したと思ったら牢獄。こんなんでいいのか?気楽だけど。少なくても獅子がいないだけ牢獄はマシだ。

ひっそりとわがみちをゆく青蜻蛉科学のまちの空に飛びをり
こんなにも美しい空燃ゆる街しらじらとして並木は聳え
冷淡にたたずむ街はのんびりと美しきさま浮かべてをりし
この街に住んでいるよと言いたしもゆきすぎる人人をゆきすぎ

ルカによる福音書 18. 9-14 「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえ

「文教地区」にふさわしくないとなったら、パチンコ屋だろうとカラオケ屋だろうとそそくさと追い出してくれるありがたいところなんだけどね。一般論として、「教育に悪い」ものはすべて排除されるような気がする。これほどはっきりしているところも少ないかも。人間臭さがない。従って、憐れみもない。わかりやすい。

アミハイ読んでがんばるか。
シモーヌ・ヴェイユ。
お友だちかもしれない。あーあ。

ちっぽけな嘆きの渦をかかえては平凡な日々ぼやきはつのる
なんとなく、なんとなくしか語れない。なにが不満か言うも虚しき。
傲慢さ。どうせあたしは傲慢だ。わずらわしいと思ってしまう。
獅子の洞獅子は群れたり悠然と。牢獄入れば盗人おらぬ。

使徒言行録 21. 27-36 パウロ、神殿の境内で逮捕される

なんで宗教のこととなると、ぎゃーすかぎゃーすかうるさいのだろう。よーわからん。

観念よ、ぐるぐるまわって敷島は妥協をもとめ接点さがす。
わかった。ひらめいた。

コリントの信徒への手紙 3. 21-23

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May 23, 2004

悩んでも迷ってみても牢獄は思索の庭をわれに与えり

国境は安全のためあるのかと”同盟国”の意味知る家族
お気楽にパスポート持ち国境を越えるバカンス夏のひとこま
残骸は遺跡となつて立ち尽くすイデオロギーの壁のある国
目に見えぬ世界の壁は立ち尽くすシュールな文字を描いてやまぬ

使徒言行録 8. 14-17

シモーヌ・ヴェイユ。
ポルチウンクラ。
ポルチウンクラ。

壮絶。壮大。宇宙。光。

飛行機に乗るまでが大変。

まじめなんだろうな。おおまじめでくそまじめ。ユダヤ人。
今年の夏はシモーヌ・ヴェイユ。わかりやすい。

軽やかにほっぷすてっぷじゃんぷして南仏まわりポルチウンクラ
旅人は情報交換あたりまえ見知らぬ人よありがとう、です。
あれもダメこれもダメだとささやかれわたしは正気ああせつないな
シモーヌのおすすめだけをまわれよと言われた気がするおばかなあたし
教会にオタクがいると知りてやも純粋な人われに語れり

アッシジの写真のサイト検索し文字に変われりシモーヌ・ヴェイユ
何となくすっきりしないと思っても悩んで春は風の吹く町

ローマの信徒への手紙 11. 1-10 イスラエルの残りの者

いったいわたしはなにをしているのだろう?

悩んでも迷ってみても牢獄は思索の庭をわれに与えり
牢獄はみえない壁でつくられた堅固な石に護られている
とても自由。とても不自由。脳内は。造られたまま与えられてる。
壁の中自由に飛ぶは不自由な圏固な壁は角砂糖かな
想念は粉々になる角砂糖拡散しては固体になりぬ
自由とは広がりゆけばアフリカよ安全地帯・危険地帯か

ローマの信徒への手紙 1. 2-6

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May 22, 2004

ひんやりと春の空気に戻りたる風の吹くみち人のゆきかう

ゆりかごで寝てるがごとくゆりの花晴れ間の中で目を覚ましたり
台風の画面を見てもわが空は快晴なると不可思議に思う
ひんやりと春の空気に戻りたる風の吹くみち人のゆきかう
雨に濡れ露光たるあらくさは梅雨を待ちたる人をかいぬけ
ヴァカンスをコートダジュール、メリディアン。アジアのほうが素晴らしいよ、と。
そうなのよ、ヴァカンスならばアジアには素敵な海に椰子の風吹く。
えんえんと飛行機に乗る長旅にヴァカンスもとむ愚かなあたし。
モロッコはエルサレムはと考えててろてろマーク危険な地域
地球上あらゆるとこに人がいる。海の底さえ軍事演習。
めんどーだ、うっとおしいと思っても、人はいるいる、歩いています。

ルカによる福音書 14. 34-35 塩気のなくなった塩

娘はフランスに行きたいという。一体どこへ行きたいと思っているんだろう。だれか知っていたらおしえてほしい。
癒しを求めるなら田舎。素朴なところ。”本物”がいる。本物のテロリストだったりして・・・あーやだやだ。じいさんが本物のテロリストでフランコ将軍の時代には活躍したとかさ・・・ゆううつになるな。バリ島のサルのほうがマシかも。

列王記上 2. 13-25

ソロモンのぷっつん。吐き気がするほどいやなやつ。

諦めよう。狡猾な猿どこにでも追い払われて山に群れたる。
大西洋田舎の列車に揺られればピレネー越えてバスクへ至る
こっちのほうがリゾート風。悩む。

ルカによる福音書 12. 22-34 思い悩むな

じゃ、ローマ行ってアシジ行って、ついでに地中海バカンス。(パリは?ま、いっか。)

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May 21, 2004

ハイテクは人のこころを写し絵にみちをつくれりまちをつくれり

そうそう・・・カフェやパブの常連というのは、そういうものなのかも。最初はよそよそしげに輪の中に入れないけど、何となく毎日顔をあわせているうちに親しくなる。何も考えてないと、どこへ行ってもつおい。断崖絶壁、壮絶な落差のある人もいるし、フラットな人もいるし、いろいろ。が、しかし・・・

お休みをたった一日伸ばしたいそれだけのため一生懸命
ニースからパリまでの距離考えて東京−札幌飛行機に乗る
日帰りのモン・サン・ミシェル飛騨までの往復を思う高速の道
砂漠には砂漠に暮らす人がいる広い海には潜水艦か
海の底潜って生きる人らには疑心暗鬼と孤独な自殺
死んだとて誰も気づかぬ海の底孤独の悲鳴不適格者と
狭き箱閉じ込められた人たちは光とどかぬ深海の底
潜水艦乗ってみたいと思ってもホッチキス手首恐ろしくなり
人殺したくさん乗せて深海をふねはゆくゆく息を潜ませ

フィリピの信徒への手紙 2. 1-11 キリストを模範とせよ

そういえば、モン・サン・ミシェルもまた海の孤島に修復するそうですね。いつのまにか砂が集まりすぎたから、また昔のように巡礼者たちが命を落としたような姿にするらしい。観光スポットだから仕方がないのかも。

海のみち歩けるように橋つくる橋のうえからモン・サン・ミシェル
ロボットが町の中でも手荷物をチェックしているイスラエルかな
ハイテクは人のこころを写し絵にみちをつくれりまちをつくれり
ヴァチカンとアッシジよりもマティスからパリを回ってモン・サン・ミシェル
凱旋門新しくなるパリのみち時の流れを感ずるもよし
ひねもすをガイドブックを眺めてはみじかき休み距離をつかめず

巡礼者が命がけで歩いた海の道と観光者が気ままに来訪するマティスの礼拝堂と・・・

ゼカリヤ書 5. 1-4 第六の幻

どちらにも神さまはいらっしゃるにはいらっしゃる・・・あーあ。そういう意味としか思えないではないですか・・・むずかしい。

ヴァカンスは太陽の下おきらくにミュゼをまわってバタイユを読む

遺跡とミュゼ。
わかりやすい。

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May 19, 2004

わたくしは砂漠の孤独耐えられぬ深海のなか生きられもせず

ジーザスが大工の息子で、ペトロが漁師。象徴。
先祖が神殿つくり、ペトロはよい漁師。
エルサレムはイール・シャローム。
ジャズさんは花屋。
このシュールな感覚。
天の国ジェイルハウスにつどえれば世界にとどくみこころもある。
罪人よわれらはみんなジェイラーで大きく罪な人にもなれぬ
ちっぽけな罪の意識で酒を飲む懺悔も雨も夜明けのカラス
おおまじめくそまじめにも世の中は二階の窓から眺める風景
罪人は階段上りコソコソと狭き格子のはまった部屋へ
あのシュールな感覚。
今はもう消えた。
終わったんだな。

コリントの信徒への手紙 4. 10-13

わたしたちはジーザスのせいでおバカになった。
ひっそりと退廃のなかわがみちをさがす人らのぎんいろのへや
明るいよ。わがみち行くぞといさましく弱弱しくもぎんいろのへや
イール・シャローム神の愛する御園ではペトロがいまも漁師をしてる
イール・シャローム神の愛する御園ではマリアがママでヨハネがパパで
イール・シャローム神の愛する御園ではジェイルハウスによわき罪人
イール・シャローム神の愛する御園ではダビデの詩のハープとともに

使徒言行録 28. 29

いつの時代も変わらない。
言っても無駄。信じていないんだから。「かしこみてまおす」じゃないとあかんねん。

ジーザスはいまごろなにをしていると砂漠の写真ながめてすごす
大陸の三分の一砂漠かな砂の嵐は大地走れり
風吹けば埋もれてしまう砂漠にも町はつくられ砂に埋もれる
わたくしは砂漠の孤独耐えられぬ深海のなか生きられもせず
湖もうごかす砂の大地にはあるがままにぞ生きるにかたく

ラビはすごい。聖書丸暗記してるんだから。歩く聖書。
広辞苑暗記しても詩人にはなれん。歩く広辞苑。名編集者。よーわからん。

ヨハネによる福音書 19. 31-37 イエスのわき腹を槍で突く

「その証しは真実」。やっぱ、歩く聖書、生きる聖書なのかも。

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May 18, 2004

イール・シャローム神の愛するパラダイスいづこにあると風に尋ねる

パレスチナ『イール・シャローム』エルサレム。平和の町か。ヘンな気分ね。
エルサレム観光写真眺めても聖書の世界マイケル・ジャクソン。
青い服雁字搦めのエルサレム着て歩いたら撃たれてしまう?
日本人何しに来たかと不可思議にガイドブックは巡礼の旅
床の上魚2匹を眺めればイメージ崩れジーザス探す
金色の阿修羅のような青い塔千夜一夜のイメージ崩れ
ミコノスへ行こうと思いアテネ五輪思い出してはさわさわとする
アミハイが”観光客”と呼ぶ人ら聖書の中も紀元で分かつ
さわさわと巡礼者らの行き交えば地元の人ら嘆きの壁か
しらけどり飛んで行くよなエルサレム戦火の旅はしらじらとする

使徒言行録 10. 1-8 コルネリウス、カイサリアで幻を見る

カイサリア海はつづくよどこまでも風に吹かれてみことばは行く
飛び立とうジーザスと共に風のなか海風のなか未来へ過去へ
イール・シャローム平和の町はおとづるる遥かな風にあなたにも吹く

コリントの信徒への手紙 8. 1-13 偶像に供えられた肉

それっぽくなるなといつもジーザスはわけのわからぬ愛をさとせり
カトリック、巡礼の旅、エルサレム。庭の梨の木、枯れ木の十字架。
イール・シャローム神の愛する御園かな平和な風の吹きそそぐ町
イール・シャローム神の愛するやすらぎの眠りを誘う春風の町
イール・シャローム神の愛するパラダイスいづこにあると風に尋ねる
イール・シャローム神の愛する永遠の砂のお城の夕暮るる海
エルサレム失望の町絶望の中人は暮らせり

サムエル記上 26. 21-25

エルサレムでなくイール・シャロームへ行きたい。

投稿者 Blue Wind : 03:37 PM | コメント (0) | トラックバック

May 17, 2004

悲しみはすれちがう人悲しみの別れのような永遠の日々

アミハイの詩集を読んだ日曜日エルサレムとはドームのことか
たちこめる祈りの世界窒息で無神論者のレッテル貼られ
救世主待ち望んでる街の中祈りの匂いたちこめている
もう来たよ、メシアは来たと言ったとて、いぶかしげにも祈りたちこめ
悲しみよ、哀歌の中の悲しみよ、悲しみの意味、少しだけ知る。

マルコによる福音書 9. 2-13 イエスの姿が変わる

エルサレム生きた化石を見るように観光客の眺める人ら
エルサレム過去の化石を見るようにローマの頃の遺跡をながむ
いにしえに今の時さえエルサレム神を愛して愛を知らずに
悲しみはすれちがう人悲しみの別れのような永遠の日々
弾丸の流れのような神の愛救いを求む悲しき人よ
アミハイは言の葉残しわれはなお未知なる世界しずくのように

詩編 50. 1-23

マザーとアミハイ。天国と地獄。死にそうだ。

神さまは二冊の本を与われた。思索に耽る日曜日かな。
「おじいさん、メシアは来たよ」孫が言う暈け老人の介護のようだ。
はろばろと生きた月日の苦しけれ平和な時代孫と歩みぬ
本当に彼がメシアと気づかない憐れなるかな偉大な人ら
2000年天の周期の何週と数えてむなし地球人かな
風吹けば虹の意味さえ知らなくもはろばろとした悲しみ思う
神さまはみんなを愛すと言うけれど風は吹く吹く開拓の地に
あの苦労この苦労など言われても苦労知らずは泣き言ばかり

イザヤ書 48. 1-22 預言の成就

一粒の砂・・・おおお・・・・・・・

憐れみを一つください一粒の砂握りしめ落ちゆく日々よ
神の愛落ち日のような輝きはくりかえす波一粒の砂
永遠の命の燃える砂浜の一粒の砂小さかったよ
小さくてぱらぱら落つる砂の粒数えてむなし太陽の下
幼子の無邪気に遊ぶ砂浜はシャベルで掬いバケツを返す
淡々と夕暮るるまで幼子は波に戯れ砂に戯れ

ヨハネによる福音書 3. 22-30 イエスと洗礼者ヨハネ

リフレインだ。
みこころの風は吹く吹く青い空白い雲だに時を告げゆく

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May 16, 2004

琴の音をグランドピアノで支えればハープの音の流れゆく日は

華やかな孤独の匂いひしひしと生活臭と華美の転寝
懐かしい青山の頃振り返るふたり合わせてひとりの人生
われ知らぬいち先生の若き日をわれ知る頃と重ね合わせて
青山ですれちがいたる人生をつくばねの下十年の月日
偶然は粉々にした消失をみもふたもなく光にさらす

使徒言行録 7. 50

あの人もこの人もまたわたくしも造られた美の幻影のなか
女性とは鏡のような人間で女性になれぬ女性を描く
幽玄の幻の中ひねもすは透きとおる壁そっと突きぬけ
若き日か退廃なのかすでに過去ゆきてとおるは冥福のなか
幻影も造りた日々も遠のけばなつかしき友話つくせぬ

歴代誌下 32. 31

自殺かと思ってみても違っても何も変わらぬ孤独というもの
驚かぬわれらの不思議都会にはシュールな影の出会いもありき
われらには田舎暮らしと子育てが。彼は眠れり故郷の土か。
頑なにシュガーポットのスプーンには粒が固まる憤りあり
繊細は頑ななまで神経を頑なにして繊細に死す

繊細は夕暮るる波浸す足落として残る砂の粒かな
落としても洗ってみても白砂は無限の粒に愛を伝えり
ちっぽけな余分な砂の落ちぬよう一粒の愛握りしめても
公約数黙って逸らす視線でもシュガースプーンをゆるせない人
わかるよなわからないよな苦しみはつたえてむなしスプーンの孤独

琴の音をグランドピアノで支えればハープの音の流れゆく日は
ひとりにはひとりの音の流れゆく風かさなればピアノは狭し

コヘレトの言葉 9. 11-12

頑なにクチュールの中生き抜けば翻弄さるる怒涛の時代
若者の流行のなか千葉一雄見つけ喜ぶ憂いの楽し

広大な宇宙に浮かぶ青き星白雲かかる美しきテラ
わが星の青き光の浮かびては幼子のごと愛らしきさま
とこしえに楽園のごと住まえれば花は微笑み海はかがやく
パラダイス不毛な園に変わりては破壊のゆくてとどまることなく

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May 14, 2004

うしなって悲しきいのちいくつある愛するがゆえ悲しくもあり

ささやかな警鐘の音鳴り響く炎症かかえ病となりぬ
機械なら取替えもきくわたくしは痛みともない苦しみ走る
マック死す片足となり弱まりぬ犬も癌かと骨壷の中
「犬死」と考えてみて200万広辞苑すら改まるかな
うしなって悲しきいのちいくつある愛に飢えたり愛はあまりぬ
生類憐れみ時代到来す隣の子よりわが犬愛し

ヨハネによる福音書 7. 45-52 ユダヤ人指導者たちの不信仰

歴史には悪法なりと書かれしも時の流れは辞書をも変える
今と過去近くて遠い風の音母の代わりに呼ばるるマック
うしなって悲しきいのちいくつあるオトの保険を勧められた日
愛されることを忘れた人々は愛することさえ労を惜しみぬ
人間の尊厳ですらめくるめく日々は悲しきオトと昼寝す
殺伐と人の根埋もる世の中は素直な犬にこころ癒され
オトですらこんなに愛をくれるのに愛に飢えたる人は絶えない

ヨハネによる福音書 8. 40

うたことば雅と俗を区別せし時代もむなしうつろわもがな
マスコミを疎むが本音空港の映像を思うフィルムは残る
おとこ歌詠むがごとくとわたくしは気楽な笑みであかんべをする
つくられし時代の鐘は千年紀始まりの中しづかに聴こえ
あれもダメこれもダメだと言われては複雑な文字聖書をながむ
見たとおり聞いたとおりを伝えてもあれこれむなしいつの時代も
ジーザスといると孤独に思われる?恋人いるかと訊いてやるかな
みこころを人形のごと描いては地面に文字を書く神を思いぬ
ややこしい質問の中おなじこと書いては消してくりかえしたる
もうすでに決まっているとみことばはダニエル書みてエルサレム思う
裁きの日地球は満ちて立ち止まるただそれだけとあっさり書かれ
語感とはむなしき日々の砂文字は書かれた文字を素直に読めり
宇宙色計算しては研究す色相環のどまんなかとは
どまんなか白きやみ路のゆくすえは靄かすみたる道すじとなる
あっさりと書かれてむなしわたくしは地球に生まれ土に戻れり
うしなって悲しきいのちいくつある愛するがゆえ悲しくもあり
愛のない人らの死すを遠ければわが犬さえも近くにおもう
愛という方程式は簡単で死は正直でこころを描き
神さまはみんなを愛すというけれどマザーはやさし”神”は厳しき

ローマの信徒への手紙 1. 7

鬱々と遠くの日々を思うよりわが犬愛し気楽に生きる

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May 13, 2004

「母さんは元気になった」弟は無邪気に笑い喜んでいる

ゆびさきの動かぬ母のゆびさきはゆっくりとして爪がのびゆく
「母さんは元気になった」弟は無邪気に笑い喜んでいる
白髪がゆっくりまじる散髪は短き髪をさらに切りおり
ゆびさきのいつも冷たい母の手が動かないのにぬくるんでいる
くちびるは息だけのためひらかれてなにか言いそでなにも語らぬ
うつろげになにを見つめる片目あけ閉じることなく宙をさまよう
感情は涙浮かべて咳をして苦しげな息聞こえるばかり
今生の別れとばかり咳の音がしづかにねむる母の言の葉

わが母を寝たきりなんて言わないで、動けないだけ、話せないだけ
声の出ぬ苦しみはまた空の息こだまする部屋ことのはむなし
リューマチの叔母の明るい話し声歩けることは苦しみを超す
苦しみに生きることさえかなしいとおもえる吾は死の鐘遠く
ジーザスは6時間だに死のためにあな不思議なり人は死なずや

磔刑は事実でしょうけど、磔刑で亡くなったわけではない。人間はそんなに簡単には死ねない。もっとひどい状態でも生き続けなければならない。

使徒言行録 10. 1-2

天使は体弱いのかも・・・

元気にぞ生まれいでては病弱な家族をあたう苦しみもある

次から次次から次次から次次から次・・・・次から次、だ。

コリントの信徒への手紙 二 11. 30

まあ、いいや。なんでもいい。なにもないほうがどうかしてる。

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May 12, 2004

こころさえ死に絶えたまま灰色の後姿は茶髪に変わる

犬の死を悲しむ人は獣医師を訴えているパニック障害
テレビでは年金問題一色で寝たきり支援長き老後か
就職難組織人間つくりてはコンセの中で埋もれて生きる
公約数数えてむなし人の数何分の一?わたしのことば
やさしいよ、あらゆる人はやさしいよ、あらゆる人が沈黙してる。
こころさえ死に絶えたまま灰色の後姿は茶髪に変わる

使徒言行録 26. 13

イタリアのガイドブックを開いてはブランドショップ見飽きて並ぶ
結社誌を開いてみてはわが歌が他人のごとく並んでおりし
つくりうた見飽きた文字の広がるを誰が眺めて喜んでおり
ちっぽけな活字のごとく並びおる女性フォーラム友に誘われ

ってことなんだろう。

箴言 22. 22-25

皇太子ことばすくなにえらびては2チャンネルはまむしのごとく
検索を眺めてみてもまむしの字見えてくるだけ沈黙の美よ
淡々と世にことばの消えゆけば憤りすらテロップとなる
遠足の準備に追われ街なみは祭りのように人を動かし
パズル表いくえにも消し難問は無意味なような時を見送る
砂時計流れるようにくりかえす小さな時間今日も過ぎゆく

ダニエル書 9. 22-27

たしかに聖書以上の難問はありませぬ・・・
一生懸命に子どもを産んで、言葉が遅いだの、女の子だの、キャリアまであれこれ言われて、鬱にならないほうがどうかしているかも。あたしだったら子どもと昼寝してる。世の中がどーなろーが知ったこっちゃねー。平和。

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May 11, 2004

くりかえし覚悟してはとおおげさに細波のごと遠くに浮かぶ

鬱走るゆるびゆく日は母の死に苛立ちおぼゆ雨は降る降る
落ちゆかば幽玄の園幻のかさなりゆかば紅き楓よ
人の死の陰気臭さをおもわなば暗がりの人しのびてゆかめ
紫陽花は形の葉だけのばしてはてんとう虫をしのばせている
喉の孔白ガーゼのせ隠したるチューブの色は液体の色

ヨハネによる福音書 8. 14-15

やさしさが鬱々とする憂鬱は雨の降る日がちょうどいいかな
くりかえし覚悟してはとおおげさに細波のごと遠くに浮かぶ
沈みゆく海の底では生きられぬ波打ち際で砂文字をかく
うつろわば日は流れゆく苦しみは同情されて深海の砂
弟に鬱うつしてはメール読むやけにやさしい世間がかなし

退廃よ、いつかはみんな死ぬものと笑い飛ばして遊んでおくれ。
手品など急にやりだす夫がおかしヒステリーにもなれないわたし
明日来れば陽は昇りゆき日が変わるもの悲しくも遠足はある
ひねもすは鬱々として明るくて日は変わりゆきひねもすとなる
沈みゆけ。わが精神よ沈みゆけ。憐れみもない太陽の下。

ヨハネによる福音書 19. 28

姑の「足うらたたき」宅配便ツボでも叩き鬱をつぶさん
鬱々と鬱を回してひねもすは地球のようにつながりゆかめ
苛立ちは空回りしてひねもすは地球のようにとどまり回る
愛という白き世界のまばゆかばうめぼしを食み大和路歩く
ゆっくりと沈める夕陽眺むよう朝陽ののぼる太平洋か
十字架は大きくもなり小さくもなり枯れ枝もフェンスにありき
朴訥に風の吹きたる丘の上風のゆくえを風と眺めし

ヘブライ人への手紙 1. 7-8

風のうたささやく声を聴きながら透かし日の色青くひろがる

闇から光。もう慣れた。慣れすぎかもしれない。
これで足りないとラテンのノリ。とことん落ちれば憐れみのなか。
落ちるまでが大変。
ステファン・ミクスはきつい。

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May 10, 2004

死ぬこともゆるされぬ母ひとりきりチューブの食で細々生きる

現実は寝たきりの母言葉すら空しきものとただ生きるだけ
寝たきりの母が元気な夢の中われは若くて反抗がちで
そばにいて幸せだったことはない癒しなき母遠い昔か
母となり素直に吾子を愛するを喜んでいる他愛なき吾
母の日は素直な吾子に癒されしカーネーションは夫が買い求む
母はまた世を去りてゆきわれもまた吾子もまたゆくかえすがえすも

ヨブ記 14. 13

死ぬこともゆるされぬ母ひとりきりチューブの食で細々生きる
死ぬこともゆるさなかったわたくしはしがみついてはにげだしている
死ぬことも生きることさえできぬまま日はうつろえば吾子はそだちぬ
手厚くもあらゆる危篤のりきらば母は苦しみわれは礼言う
みなさんは本当によくしてくれる。それが悲しき絶望の部屋。
運命は複雑な糸からませて母は苦しみ子らを待ちたる
痛みすら覚えぬことを母のため喜んだとて苦しみの息
心臓の何度止まったことだろう。それでも母は生きて苦しむ。
生きていることさえ忘れ去られしも必死に生きる母は呼吸す
肺炎で酸素マスクに変えますと業務連絡鳴りゆくばかり
マニュアルは正しくもまた人の死を機械にゆだね最善の手技

ルカによる福音書 12. 54-56 時を見分ける

死ぬこともゆるされない時代。

わがいのち誰に預けて生きるかと問うも虚しき吾死ねるのか
永遠のいのちむなしきいちじくは造花のごとくたたずんでいる
枯れもせず生きるもむなしいのちかな淡々として足跡かろく
鮮やかなカーネーションは白百合を華やかにして母の日飾る

ヤコブの手紙 1. 18

霧の中ゆっくりとした退廃は言の葉のない人をつくりき
偽善者よいのちいのちとわめきたて言の葉奪い偽りの愛
死の予算のんびりたてるヒマな主婦死ぬまでの日を案じてやまぬ
雨の日は何もせぬとてサフィニアは天のめぐみをプランターに受く
飢餓の子は飢えに苦しみ老人は薬に苦しみ生死の過多よ

箴言 13. 23

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May 09, 2004

あらくさの匂いの中にしづみゆくかいよす熊手吾子のてのひら

まぼろしのひろがりゆくかステファンのゆうゆうとした音に陽はしのびおる

庭しごと明け暮れた日は夕暮るる椅子に腰掛け朽ちたブランコ
枯れ枝の棒を拾いて十字架を不意につくりし吾子に驚く
あらくさを積み重ねては踏みゆかば夕暮るる薔薇色濃くなりゆ
芍薬の蕾立ちたる木陰には深き緑の静寂ありき
あらくさの匂いの中にしづみゆくかいよす熊手吾子のてのひら

ルカによる福音書 19. 41-44

少しずつ御子のてのひら借りるようブルーベリーの木の育ちゆく
ささやかな実をつけるかなブルーベリー忘れてしまった名を呼んでみる
植えたこと忘れた頃に育ちゆくマロニエの木の涼しげな葉よ
育ちゆく木々の速さに驚かば朽ちるブランコゆっくり外す
わたしにはわたしのためのアンブレラ吾子のためなるブランコありき
わが庭は朽ちたるものの多けれど育ちゆく木が日よけとなりき
突風であなたは傘を破壊した。なんどもなんども破壊した骨。
突風であなたはブランコ転がした。春一番と皆はいうけど。
台風に驚きもせぬブランコは気まぐれな風に転がり沈む
芝のみちあなたは消した。ヘデラみち大きな葉らの木陰を埋めゆ。
ミモザ葉よかろき枝など気まぐれに植えた日々さえ木陰に沈む
ささやかに水やる日には枯れ草のつもれる庭は雨だに生きる
サフィニアのゆっくりと咲くプランターわが手を離れ庭にしづもる

詩編 140. 7-8

幼き日記憶の砂の落つる音いつもあなたはそこにいたのか
蒲公英のくびかざりさえあの空へさしだすならばあたわれた春
クローバー花咲く日にはうららかにレンゲの蜜の味する春よ
夕暮るる空が茜に染まるまでわたしの時間しづかに過ぎる
氷柱さえ陽を浴び光るきらきらときらきらとしてどさりと落つる
ゆっくりとうつろう日々はゆくすえのわからぬ日々を悲しくかたる
華やかな街の光は美しくオリンピックは街を変え去る
幼き日母がまもった東京も見知らぬ人の過ぎゆくばかり
幼き日夫が育った神戸すら見知らぬ景色過ぎゆくばかり
夢にみる鳩のいる寺いづこかと母に尋ねてもはやわからぬ
幼き日記憶の砂に埋もれては落つる音さえもはや聴こえぬ
ふるさとを尋ねられてもわれらには迷子のみちのさししめす園
ノマドとはわれらのことかと遊牧はうつろう日々をなつかしく思う

ローマの信徒への手紙 2. 28-29

エルサレムをみて、彼は泣いた。悲しみの歌。

詩編 38. 22-23

聖霊の白き光のまばゆくば白い花々ひねもす咲かす
明日のこと今日のことさえ過ぎゆかば白き花さえいづこにか咲く

コロサイの信徒への手紙 1. 14

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May 08, 2004

ねむりゆく木々さえ耳を澄ませたるしみいる音はいづくに消えゆ

永遠と無限の意味を知っている花のいのちをつむぐゆびさき
美の世界永遠つむぐのこることおそろしき意味おちいる空よ
地に立ちぬ空はまわれり無限大無限につづく永遠のあり
たかが花されど花さえつむぎいぬ永遠という異空間かな

少しずつ切り裂くような言葉には無限の花のたちゆくがごと
言のはにひきこまれては逃げ出しぬ波打ち際の歌人なるかな
接触は火花となりき言の葉を無限に飛ばす核融合かな
いくつもの偶然の風吹きぬかばひねりくねりた白百合の葉たち
百合の葉のうねうねとした新緑は花びらの先うつし流れる
言葉とは見つめるものだと白百合は根のない茎で花を咲かせる
華道家の死に絶える花永遠と言い切るがごと厳しくもあり
美のために永遠のため無限さえ咲かせるために切られてしまった
躊躇いは明日の切り口増やすため可憐な花は咲いてくれるが
たかが花されど花さえあっさりとためらいもなく美をつむぎゆく
永遠は残酷なのだという花は美しきさま剣に載せて

假屋崎省吾作品への感想。

ヨハネによる福音書 6. 60-71 永遠の命の言葉

残酷で壮大な美というのもある。

生きた意味必死に証す花もあるもの悲しくも美しくもあり
花は咲くくれどもくれども花は咲くいのち燃やせと華道家は言う
幽玄はもの悲しくてはろばろと咲かせる花は首ばかりかな
明日のこと刹那的にも美しく咲けばいのちは幽玄の庭

幽玄の美。

箴言 31. 8-9,30

幽玄の美との闘い。

孤高にも音悲しくてステファンの民族の音ノマドの音よ
遊牧をすぎゆく日々のものがなし静かな調べノマドの涙
そよそよと笛の音する大地にはしみわたるほど澄んだ空かな
静けさにものおもいする木陰には夕暮るる空雲は流るる

マラキ書 3. 6-7

ねむりゆく木々さえ耳を澄ませたるしみいる音はいづくに消えゆ

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May 07, 2004

平和すら空気のように透明に無傷の体ピアスだらけに

開け放つテラスドアから射すひかり微笑みながらオトは寝ており
サフィニアの花が咲きたるプランター月日の中に埋もれている
都市の中のみこまれゆく年寄りは大真面目なり年金のこと
明日のこと気にせず生きる若者は失業保険を休暇に充てる
平和すら空気のように透明に無傷の体ピアスだらけに
くるくると小さな渦が離反する変わる社会と変わらぬ人ら
軽やかにすぎゆく日々の裏腹に深々とした泥水のあり
流れゆく川の旅路は濁らずにとどまりゆくは広き溜まりよ
小鳥すらいづこから来て去りゆくか巣をはる家は遠くの里か
「クリストファー」呼んでも答えぬオトくんは昔の名前とおに忘れり
血統書書かれた名前眺めてはいづこの国の出来事と思う
スーパーでドッグフードの試供品過保護なほどに健康を食む
野良犬の減った世の中うれしくも似たような犬街に溢れり

ヨブ記 31. 13-23

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May 06, 2004

今月はマツモトキヨシ潰れては100円ショップ一つ増えたる

われは今なにをしせるとおもわなば日課となりし聖書をひらく
南仏の写真をながめ旅行には海をもとめるクセののこりし
教会の写真をながめ不意に思うわれはいづこのマドレーヌに遭い
若い日は連れ立つ友と気まぐれに歩いた街は言の葉もなく
海見つめ時をすごせる夏の日はガイドブックが一番重く
アジアにはのんびり青い海の待つコートダジュールは何のためにか
気まぐれに旅立つ街の遠のけばスケジュールなど立ててもむなし

マザー・テレサの来日、法王さまの来日、なんかわさわさしていた頃、わたしはいったい何をしていたのだろう?おそらくはわさわさしながら鬱々と明るく生活していたような気が・・・
まさかね。長崎の爆心地でのマザー・テレサの祈り。虹。極楽とんぼはテロがあっても平気でパリへ。機関銃もった兵隊さんに平気で道順訊いてしまうのだから、今にしておもうとなんにも考えてないってつおい。ぼっけーっとしたせいかつ。まあ、いいや。ねこ。そうかも。ちかくてとおいできごと。

よのなかが気づかぬうちに吹き抜けるまわる地球はわれをまわせり
うごかないわれをまわして今日もまた日はうつりゆく朝な夕なと
気がつけば粗大ゴミだけたまりゆく月日の速さ地球のごとく
みこころのつながりゆけば無邪気にも被爆地あるく修学旅行
人類は人類としてわれはわれ一人一人の子を憐れみぬ

詩編 60. 3-7

ダビデよりつづきぬ嘆きわれもまたおなじこと思う二十歳の頃よ
百合の花気まぐれに買う春の日は暑さもすぎゆあともどりする
結局は人間なんて変わらない古今東西おなじこと思う
はろばろと怒りの渦の激しくば誰に怒れと空は笑いし
むなしけれあなむなしけれわざわいはわれらのうえにかなしみもまた
諦めよう。ねこにはわからんみことばはこむずかしくてねむりをさそう

静けさはジーザスのもの靄のなか情念ゆくはパリのこみちよ
バタイユがおしえてくれた。あの人は聖マドレーヌ。そんな気がした。
理屈では説明できぬ言の葉は言の葉のまま意のなかにある。
うらうらと明けゆく空はあおあおとしずけさのなか今日をあたわる
長崎の青いマリアはいづこにかねむりて春はかげろうのごと

イザヤ書 13. 4-5

何なんだろう。まだねむっている、記憶の砂。出来の悪い娘。怒りの渦。「エターナル・ファーザー」・・・エターナル・ファーザー。エターナル・ファーザー。怒りの渦。世の中すべてがゆるせない。出来の悪い娘。父にも怒りの炎の頃だから、天の父となるともう思い出せない。強烈に怒っていたから何を言ったのだろう?言ったというより、考えていただけだ。覚えているはずがない。一つわかったのは、出来の悪い娘ということかも。獅子の洞窟の中に投げ込まれたダニエル。わからない。

わかった・・・獅子の洞窟の中。利権渦巻く世界。地獄。拉致未遂。誘拐を恐れて実家を出て、1年くらい転々としていたような記憶が。家族と友人以外には居所を知らせないという・・・あーむかしばなしだ。母がそれが一番安全だと信じてたからな。たしかに・・・あたしはカンがいい。「神さまがまもってくださるから」、「はあ?」 たしかに、「こちらの信号を渡って走り出せ」と教えてくれた気がしてそのとおりにしたら、危機一髪、目だし帽から逃げおおせた。証人、うちのダンナ。ほんと卑怯だよね。「はんこ押さないなら娘を誘拐するぞ」って言ってほんとにするか?狂ってる。バブルの狂気。おそろしい。脅迫には屈せず。そう・・・だからある日突然、母がマンションを衝動買い。父は反対。何もかもがめちゃくちゃ。それでいて、ルン♪ よーわからん。

ダニエル書 6. 1-29 獅子の洞窟に投げ込まれたダニエル

淡々と数字に変える精神は無機質な文字ならんでうれし
不景気がなぜかうれしい天邪鬼あれもこれもと買い換えている
フライパン500円なら買い換えて気分転換ささやかな日々
公務員・学生つどう金のない街はうるわしみどりの季節
今月はマツモトキヨシ潰れては100円ショップ一つ増えたる
消費税アップしたなら物価安国の借金空の星かな

マタイによる福音書 17. 24-27 神殿税を納める

獅子の洞窟的人生。やれやれ・・・

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May 05, 2004

わた帽子タンポポ飛んで行くけれど今が夏かと陽はさすばかり

パソコンに名前をつけて呼んでいるそんな人らの愛はいづこに
お蔵入り旧き機械に愛着を持てる人マニアのことはマニアに訊けと
パソコンの葬式のため慰安する集える人ら今は消え去り
新しいパソコン買ってサーバかなルータをつなぎむすめとなりき

ガラテヤの信徒への手紙 4. 21-31 二人の女のたとえ

わた帽子タンポポ飛んで行くけれど今が夏かと陽はさすばかり
新緑の甘きかおりのただよえば木蔭の窓は風を待ちおり
新緑のシャワーを浴びる休みの日いつしか庭に木蔭のいやし
日当たりがよいかわるいか気にしては悩んだ日々も暑さに消えゆ

やさしいしおんさんに感謝。

マタイによる福音書 16. 16-19

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May 04, 2004

聖書よりずっしり重いラブレター鬱々として陽は輝けり

なっちゃんのお父さんは偉かった。お母さんがなっちゃんが赤ちゃんの頃から入退院を繰り返し、とうとうずっと寝たきりになり、それ以来去年亡くなるまで謝りとおした。お祖母ちゃんが世話をしていてもすぐ下に妹がいるし、なっちゃんは悪い子なのでいつも叱られっぱなし。
というわけで、なっちゃんの話となると、母さん同士は目配せして苦笑いして通り過ぎるしかない。ノンバーバルコミュニケーション。おちびですら、自転車盗まれても水をかけられても何も言わない。ただし、目を鉛筆で刺されたときだけ。これはさすがに騒動になった。本人は、まぶたの上からだったから、家に帰って来たときには例の如く忘れてしまっていて、わたしがその話を知ったのは担任の先生から謝りの電話がかかってきたからだった。
先生も親も謝り通し。そういう学年だった。むすめに言わせると、「男の子はわるいんだからー」ということになるらしい。よくわからないけど、最初からそうだとそういうものだと思っているのだろう。さすが。慣れってすごい。それと学校の対応がよかったんでしょうね。親も静かだし、子どもも静か。だてに100点が当たり前の学校というわけではないらしい。お母さんたち、冷静。つおいけど。地域に支えられています、わたくしは。

ルカによる福音書 17. 1-10 赦し、信仰、奉仕

先生の開口一番「すみません」あちらこちらへ電話する日々
「またあの子」内心思って逃げ出して知らん顔して陽はうるわしく
ひつじの子数えてうれし保健室はなしそらしてそそくさ逃げる
吾子のため謝ることのないことをしあわせに思う職員室かな
かわるがわるなっちゃんの世話をして親の苦労はともしびとなる
高らかに「行って来ます」と元気よく飛び出してゆく吾子を見送る

引っ越したくないのよ。

コリントの信徒への手紙 12. 11-21 コリントの教会に対するパウロの心遣い

バーチャルに失望しては不信感つのりてやまぬネットの闇よ
これでまたふりだしかなとかんがえておとなの世界子らに劣りし
ご奉仕をせっせとやみでつづけては非難轟々ひかりうるわし

マザー・テレサの言葉 『わたしどもの修道会の修道女や修道士は飢えという貧しさ、孤独で、愛されず、世話をしてもらえないという貧しさに苦しむ人々にとって、神の愛の日ざしとなりたいと願っています。今日では、望まれないことや愛されないことのほうが、ハンセン病や結核、癌など、治療する薬がある病気よりも、ずっと重い病気なのです。孤独で望まれない人々には、あなた方やわたしなどの愛、つまり、そういう人たちに対しての神の愛の表現しか、苦しみを取り除く方法はありません。』

「パッション」を100回観るより、マザーの一言らしい。

映画館立ち止まりては本屋かな静かに過ごす黄金休み
ジーザスに呼ばれたような気がしてはマザーの愛の積まれる聖書
聖書よりずっしり重いラブレター鬱々として陽は輝けり
マザーから愛のメッセのつもりゆく聖書のうえにかさなりゆくも
さんさんと降りそそぐ陽は新芽幾千松のろうそく

生まれてくる子どものための両親の祈り(マザー・テレサ)
エゼキエル書 11. 1-21

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May 03, 2004

この街に子らのいる日の過ぎゆかば旅立ちてゆくわた帽子かな

インドとか貧しい国だったら、お砂糖を3日間我慢してマザーのところへ持っていったらすごい愛情なんだけど、うちのむすめがおやつを隣の子に持って行っても値打ちないもんね。それよりも自転車を盗まれて父さんに叱られるのいやだからキックボードで平然と遊びに行ってしまう。(盗んだほうを叱れよ。)こうやって男の子に意地悪されているうちに、女の子たちは強くなり、5年生くらいになると女の子のほうが大きいから、喧嘩でも何でも負けていないらしい。おそらくはこれが大学生くらいになると、もっとはっきりするんだろうな。何となくわかってきた。なんで、今の女の子たちやけに強いのか。女の子たちに無視されてバカにされて、男の子はガキのまま成長してしまうのだろう。
先生に言っても無駄だから。「加害者のお子さんの親御さんの気持ちがどうたらこうたら」ってなる時代。無駄無駄。言っても無駄。だから、無視するか、自分で言い返すとか、皆で対抗手段を考えるとか、きっちりしてる。世相なんだな。相手の気持ちとか立場を考える風潮は間違ってはいないんだろうけど、結局、わかればわかるほど無視するしかない。だって、どうにもならないから。

憤り激しくもまたすべなくば無視して遊ぶあっけらかんと
口喧嘩負けていないと集団で徒党を組んで歩く廊下か
暴力を怒ってみてもきりなくば気持ち悪いと逃げ出すが勝ち
一線を画して班を変えてみてあれにこれにと防衛戦か
先生が謝る時代説教もむなしとわかる地獄耳かな
加害者の親の気持ちを考えて心の蓋を閉し目を塞ぐ
見ないふりするのが一番そのうちに何とかなるさと諦めモード

ルカによる福音書 15. 31-32

生き返るのを待てってか?あーあ。確かにそのほうがやさしい子になるよね。

子育ては我慢比べのひねもすはわがこころだに癒して過ぎゆ
苛立ちを子に救われて母親はのんきに歌を詠んで過ごせり
子の世界すでに近眼遠のけば忘れた頃に子は育ちゆく
この街に子らのいる日の過ぎゆかば旅立ちてゆくわた帽子かな

テモテへの手紙 2. 1-13 キリスト・イエスの兵士として

『キリストは御自身を
     否むことができないからである』

たしかに・・・

1年から6年まで1クラスしかないまま、ずっと持ち上がり。逃げ場ないもんね。諦めるしかない。のんき、のんき。しかも、家も近所、職住接近。どーにもならん。加害者の親のほうが苦しい。子ども叱って謝って、不幸に泣いて、か。

子のために頭さげゆく父親のうしろすがたに子は連れられて
母の死をのりこえゆかめ旅立ちは小鳥のようにさえずる空へ
オトくんがなっちゃんには吠えないとおちびが吠えた春うららな日
くるくると時間はまわる公園は花の季節が変わりゆくだけ
聖霊の立ち昇る日はみこころの風は吹く吹く子らのまわりに

マルコによる福音書 9. 8

なるほど。自転車3回盗まれて、お砂糖3日分かも。自転車3台寄付ということではなく、盗まれても忘れること3回。鬱々するな。使わない自転車ならごろごろあるし、盗難自転車なんてごろごろ捨ててあるから。物騒な時代。父さんが謝り続けて5年。みんなが我慢して8年。壮絶。なっちゃんがいい子になったら、癒される。期待しよう。子どもは大きくなってみないとわからん。どーやって考えても癒しがほしいのはわたしだ。

世の中うるさい人たちがいるから、少し補足しておこう。なっちゃんが家の前から盗んだという証拠はないけど、「なっちゃんが勝手にまほちゃんの自転者乗ってたよ」という報告は多い。事情を知らない父さんは、「まほの自転車盗まれた」と言って怒っている。そこに、捨ててあるのを発見してくれた善意の人から報せが入る。
子どもの世界とおとなの世界では解釈が違う。おとなの世界だったら犯罪だということをなっちゃんは日課にしていたために、怒っても無駄なのはみんな知っている。ややこしい。

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May 02, 2004

ささやかな微笑みにさえつながりを鏡のように悲しくさぐる

コリントの信徒への手紙 13. 1-3

物騒な世の中です。何をクソマジメに考えていたかというと、「何が愛よ、何がチャリティよ、何がボランティアよ」と、人々の反感と憎悪が一斉に吹き出す瞬間というのに出くわしたのが初めてだったからかもしれません。言えば言うほど、行いが正しければ正しいほど、反感と憎悪まみれになる。あっさり語ると、愛がなかったからなんでしょうね。広義に語れば、イラクでも似たような状況や立場にいる人たちがいる。命がけでボランティアに行って、反感と憎悪ですからね。どちらがどうというより、今こそ真面目に考えるときなのかも。疲れる世の中かも。

テロリズム警戒しては靴までも脱いで調べる搭乗検査
子らの乗る飛行機までも爆弾を仕掛けるのかなテロリズム思う
憎しみの発露となりし素朴さは悲しき春を初夏にも変える
苦労して築いた城は一時の気まぐれにより無残に砕け
都庁にはのぼったことはないけれど新宿の庭東と西へ
路上にはダンボールにて眠る人華々しくも都会の夜よ
象徴の見え隠れする異空間儚くもまた人を語りき
8キロをもったいぶって走る道田舎の道はすぐそこと言う

フィリピの信徒への手紙 4. 10-20 贈り物への感謝

100億円の支援より、リュックの中の鉛筆セットだよなぁ・・・

愛がほしい。パタッ。

愛という命の水は懇々と湧き出るように静かに溢る
静かなる命の水は懇々と絶えることなく絶える間もなく
懇々と溢れる水を思うとき喉の渇きをかすかにおぼえ
懇々と溢れる水の満つるとき水の姿を黙ってながむ
沈黙は光の中にしづもれる命の水の溢れる音に
今はただ鬱蒼としたジャングルも明るい小道太陽の陰
魂の死に絶える音しづしづと昏々として日々はすぎゆく
言の葉の途切れるようなささやきはとめどめもなく無為に流れる
善良によろこびだけに溢れてるそんな気分は退廃に消ゆ
空白に流れる時間今日もまた長くもなりし短くもなり
ゆっくりと欺瞞に満ちた退廃は気づかぬ刃物踏みゆく道か
黙契がゆっくりとして微笑みを黒黒とする都会の空よ
ささやかな微笑みにさえつながりを鏡のように悲しくさぐる
よろこびの大盤振る舞い子らの声雲雀のように飛び交う町よ
輝ける五月の風は吹きぬける開けっぴろげの緑の車窓
欺瞞には欺瞞を重ね欺瞞など飛ばしてくれる欺瞞の人ら

マタイによる福音書 15. 3-9

保険料払っているから親の世話はしなくてもよい、ってなるのよね。これって、社会のコンセだから。介護保険も年金も悪いことではないとは思うんだけど。

棘棘と欺瞞の先は老後かなちくちくとして怒れもせずに
口先で子どものためにと言うけれどわが人生の街路樹並ぶ
盲目に都会の道はすれ違い危険の中で人は交差す
新宿をうすらぼんやり歩くなら子らに迷惑かけずに鬱へ
毒の道歩いてゆかば猛毒に襲われたるも誰も気づかず
美しい陽射しの中で風の吹くささやかな日々、よろこべあたし
鬱々とこれでよいかと迷いつつ勝手に風は吹き込んでくる

マタイによる福音書 12. 1-8 安息日に麦の穂を摘む

『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』

寝たきりになったら、ベッドに貼っておこう。

歌詠みは空しき日々を歌に変えつまらないなど言われたりする
オトくんは空しき歌を知らん顔ジャーキーねだる夕飯時か

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May 01, 2004

まどろみに悪態ついて儚くも浮遊のなかへ落ち込んでゆく

現実はいつもシビアで、「気の合う人とだけ付き合いたい」と言うだけで、差別だの偏見だのいじめだの仲間はずれだの騒ぐ人がいる。

使徒言行録 13. 44-52

相当、根深い問題なのかもしれない。

イスラエル迫害・差別騒いでも白人ユダヤセムを差別し
シオニズムクールにながむユダヤ人無神論者のイスラエルかな
ハザール人いつの間にやらユダヤ人ややこしくてはわれにはわからぬ
友情も社会問題抱えては逃げるが勝ちとその他大勢
社会的友情よりも本当の友だちとだけ気ままに過ごす
何のため仲間仲間と騒ぐのか虚無の浮かべるネットの罠か
誰がために生きると言わん空の星いつかは砕け碧にも燃え

マタイによる福音書 28. 16-20 弟子たちを派遣する

あ、「すべての民をわたしの弟子にしなさい」って書いてある。聖書は最初から最後まで読んでも、理解できない代物なのかも。

吐き気を我慢してまで付き合わないとダメなんだろうか?それが愛と言われてもねぇ・・・・おそらくは、みんなが怒ったのもここだろう。

エフェソの信徒への手紙 4. 7-16

微笑んで階段上って口閉ざし鬱にまどろむ憐れみのなか
まどろみに悪態ついて儚くも浮遊のなかへ落ち込んでゆく
愛はなぜ憎まれつつも聳え立つ威厳の燃ゆる彼方へゆかむ
激しくも燃えるほむらは音もなくたなびく風も激しさを増す

ルカによる福音書 11. 8-13

要するに、差し迫った要求があるかどうかということのほうが重要なんだろう。そりゃそうだ。が、しかし、地球はあなたのためにだけ回っているのではないのです。わたしのためにだけでもない。

それにしても、社会的友情。これなんだな、問題は。チャリティ、ボランティア、社会的友情となると、まったくスタンス違うもの。あっさり語れば、きっちり区分したい。必要性だけで友達やってるから。なんで吐き気我慢してまで付き合わないとダメなのかというと、「社会的友情」だからなのよね。そんなんでいいのか?だから、どこが愛なんだと言われてしまう。ほんとほんと。政治家や外交官のほうが遥かに愛に溢れているということになるわ。この理屈だと。そこにジーザスを引き合いにするから怒るのよ。間違ってはいないんだろうけど、何かどこかが違う。

死に絶える時間の中で朝までも友情支援考えてみる
敵国に塩を送ると言いながら毒入りの塩なぜに返しぬ
チャリティの何が愛だと言われては憐れみのない塩をまかれる

エレミヤ書 48. 35-39

愛のない責任をまたジーザスに押し付けたるを教えと語る
哀れみと書いた足跡責められし汚いからと言われて悩む
哀れみをかけられること恥と思う旧い世代に何をか語らむ
憐れみを愛を知らない「チャリティ」は一人歩きし言の葉だけが
社会とはチャリティという制度生む憐れみなくも募金はできる
行いを素晴らしいなどことほぎも反感だけが一人歩きす
殿様がふんぞり返って憐れみを民にかけるをチャリティと呼ぶ

使徒言行録 12. 1-5 ヤコブの殺害とペトロの投獄

投稿者 Blue Wind : 05:57 AM | コメント (0) | トラックバック