なっちゃんのお父さんは偉かった。お母さんがなっちゃんが赤ちゃんの頃から入退院を繰り返し、とうとうずっと寝たきりになり、それ以来去年亡くなるまで謝りとおした。お祖母ちゃんが世話をしていてもすぐ下に妹がいるし、なっちゃんは悪い子なのでいつも叱られっぱなし。
というわけで、なっちゃんの話となると、母さん同士は目配せして苦笑いして通り過ぎるしかない。ノンバーバルコミュニケーション。おちびですら、自転車盗まれても水をかけられても何も言わない。ただし、目を鉛筆で刺されたときだけ。これはさすがに騒動になった。本人は、まぶたの上からだったから、家に帰って来たときには例の如く忘れてしまっていて、わたしがその話を知ったのは担任の先生から謝りの電話がかかってきたからだった。
先生も親も謝り通し。そういう学年だった。むすめに言わせると、「男の子はわるいんだからー」ということになるらしい。よくわからないけど、最初からそうだとそういうものだと思っているのだろう。さすが。慣れってすごい。それと学校の対応がよかったんでしょうね。親も静かだし、子どもも静か。だてに100点が当たり前の学校というわけではないらしい。お母さんたち、冷静。つおいけど。地域に支えられています、わたくしは。
ルカによる福音書 17. 1-10 赦し、信仰、奉仕
先生の開口一番「すみません」あちらこちらへ電話する日々
「またあの子」内心思って逃げ出して知らん顔して陽はうるわしく
ひつじの子数えてうれし保健室はなしそらしてそそくさ逃げる
吾子のため謝ることのないことをしあわせに思う職員室かな
かわるがわるなっちゃんの世話をして親の苦労はともしびとなる
高らかに「行って来ます」と元気よく飛び出してゆく吾子を見送る
引っ越したくないのよ。
コリントの信徒への手紙 12. 11-21 コリントの教会に対するパウロの心遣い
バーチャルに失望しては不信感つのりてやまぬネットの闇よ
これでまたふりだしかなとかんがえておとなの世界子らに劣りし
ご奉仕をせっせとやみでつづけては非難轟々ひかりうるわし
マザー・テレサの言葉 『わたしどもの修道会の修道女や修道士は飢えという貧しさ、孤独で、愛されず、世話をしてもらえないという貧しさに苦しむ人々にとって、神の愛の日ざしとなりたいと願っています。今日では、望まれないことや愛されないことのほうが、ハンセン病や結核、癌など、治療する薬がある病気よりも、ずっと重い病気なのです。孤独で望まれない人々には、あなた方やわたしなどの愛、つまり、そういう人たちに対しての神の愛の表現しか、苦しみを取り除く方法はありません。』
「パッション」を100回観るより、マザーの一言らしい。
映画館立ち止まりては本屋かな静かに過ごす黄金休み
ジーザスに呼ばれたような気がしてはマザーの愛の積まれる聖書
聖書よりずっしり重いラブレター鬱々として陽は輝けり
マザーから愛のメッセのつもりゆく聖書のうえにかさなりゆくも
さんさんと降りそそぐ陽は新芽幾千松のろうそく
生まれてくる子どものための両親の祈り(マザー・テレサ)
エゼキエル書 11. 1-21