考えてみたら、動作訓練から痴呆、カウンセリング、発話のトレーニングなどなど資格はないけど、知識だけだったら膨大にあるのですね、あたしって。実際にやってみないとわからないことだらけだけど、まずは手続きから。今日は午後ソーシャルワーカーの人と面談する予定です。母を移し、あれこれやっていくうちに何かできることがあるのかもしれません。なんでも自分で苦労してみないことには。
ヘブライ人への手紙 1.10-12
天と地をのんびりながめ考えて周辺視から介護にいたる
錆ついた知識のなかで横道と斜めにながむ知識ぞ生きる
誰がためにやるのか知らぬことなれどわがみとあらばやらねばならぬ
ちっぽけなぼやきの渦は天高くみこころのなかしづしづとして
母となり娘となってやってみて一人になって苦労は生きる
知識など不毛などと思うのはちっぽけなズレ感じるせいかも
言の葉を伝えてみても手続きは書類となって実際となる
ガラテヤの信徒への手紙 1. 6-10 ほかの福音はない
知識と福音は違うからなぁ・・・
暑い。日中は慌しい。
夏風かパタンパタンとリンリンと呼び出されては走りまわれり
ひねもすはぶっきらぼうにひかえめにエアコンの音街中流れ
福音、か。
使徒言行録 7. 54-60 ステファノの殉教
石をぶつけられたほうが、犯罪だからまだマシかもしれん。
精神には急所があって、おそらくはそこを突くから野蛮になるんだろうな。
生か死か生きるか死ぬか寝たきりかご都合主義かマニュアル主義か
絶望にすすみゆくみち今日もまた静かに時は人を見送り
ひっそりとすすみゆくみち明日もまたあきらめたらなら陽はのぼりゆく
わたくしはおばかですからわかりません、のんびり死んで枯れゆく花よ
年寄りに明日こそあらばと励まして鬱々とする悲しき人ら
医者からも家族からも見離されちゃってるからな。大抵は。何のために生きているのかわからん。すごい世界。
オトくんは生きるも死ぬも風まかせ。ただ生きるってすっきりしてる。
マタイによる福音書 25. 31-46 すべての民族を裁く
何のために生きているのかわからないようにならないと、何もわからないのかもしれない。むずかしい。
投稿者 Blue Wind : May 29, 2004 12:48 PM | トラックバック