May 27, 2004

がむしゃらに生きてきたって墓場には知らぬ名前の並んでおりし

母をわたくしの家の近所の病院に移そうと思っています。長距離の移動の体力があるかどうか、状態を見て、秋頃までに。すでに、意識のないまま5年目になりますし、ついでにお葬式のことも話して、母の愛する人たちが集まってくだされば。みんなで相談して、こころよく喜んでくださいました。もう5年。こちらは突然の転勤でやって来た土地だし、いささか遠いし、姑さんもいざとなったら諦めてこちらへやって来るというし、母親が一人になったら、そういうものなんでしょう、今の時代は。親が子どものそばに行かないとならない。肝にめいじておこう。

使徒言行録 21. 9-14

やっぱ、危険だよなぁ・・・肺炎起こしたばかりだし・・・かといって、5年にもなると、病院をたらいまわしだもの。へんなとこで死ぬより、こちらのほうがいいのだろう。悩む。

意識なくただよいながらたましいは風に吹かれて山に運ばれ
葬式も要らないからと風は言う土より生まれ土に帰りぬ
のんびりとうたたねするよな生活は永久の眠りにつつまれやすく
生きるとか死ぬとか言って大騒ぎおおげさすぎる世の中を捨て
筑波山青々として麗しく姿変わらぬ時は止まる

ヨハネによる福音書 3. 27

みなさん、さようならー。お別れの挨拶とお礼をして、引越しだ。叔母ちゃまも一人になったらこっちへ来ると言っているし、わたしはわがままだから、わたしの愛する人たちだけこっち。そういうほうがいいな。介護は義務ではございませんのよ、ほほほ。あーわがまま。

がむしゃらに生きてきたって墓場には知らぬ名前の並んでおりし
死後の名を呼ばれてむなし仏かな覚えられないながき名前よ
たましいはたましいのままああこれは誰だったかと気配を覚ゆ
意識なくうすらぼんやり生きるなら平安のうちみこころのうち
番号で呼ばるる人の憐れさか打ち捨てられて保護されている
生き地獄見てしまうよな病院をありがたがっている人もいる
現状は知っているけどわたしにはどうにもならぬわがみちをゆく
ささやかに愛する人にプレゼントわきみちのなかしあわせの風

使徒言行録 18. 1-4

家族のために生きて来た人たちが報われなかったら、家族なんて要らんのよ。粗大ゴミコースか、介護コースか分かれるな・・・わかりやすい。老後の心配ないだけ、幸せに思おう。なんとかなるだろ・・・

投稿者 Blue Wind : May 27, 2004 03:10 AM | トラックバック
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