May 17, 2004

悲しみはすれちがう人悲しみの別れのような永遠の日々

アミハイの詩集を読んだ日曜日エルサレムとはドームのことか
たちこめる祈りの世界窒息で無神論者のレッテル貼られ
救世主待ち望んでる街の中祈りの匂いたちこめている
もう来たよ、メシアは来たと言ったとて、いぶかしげにも祈りたちこめ
悲しみよ、哀歌の中の悲しみよ、悲しみの意味、少しだけ知る。

マルコによる福音書 9. 2-13 イエスの姿が変わる

エルサレム生きた化石を見るように観光客の眺める人ら
エルサレム過去の化石を見るようにローマの頃の遺跡をながむ
いにしえに今の時さえエルサレム神を愛して愛を知らずに
悲しみはすれちがう人悲しみの別れのような永遠の日々
弾丸の流れのような神の愛救いを求む悲しき人よ
アミハイは言の葉残しわれはなお未知なる世界しずくのように

詩編 50. 1-23

マザーとアミハイ。天国と地獄。死にそうだ。

神さまは二冊の本を与われた。思索に耽る日曜日かな。
「おじいさん、メシアは来たよ」孫が言う暈け老人の介護のようだ。
はろばろと生きた月日の苦しけれ平和な時代孫と歩みぬ
本当に彼がメシアと気づかない憐れなるかな偉大な人ら
2000年天の周期の何週と数えてむなし地球人かな
風吹けば虹の意味さえ知らなくもはろばろとした悲しみ思う
神さまはみんなを愛すと言うけれど風は吹く吹く開拓の地に
あの苦労この苦労など言われても苦労知らずは泣き言ばかり

イザヤ書 48. 1-22 預言の成就

一粒の砂・・・おおお・・・・・・・

憐れみを一つください一粒の砂握りしめ落ちゆく日々よ
神の愛落ち日のような輝きはくりかえす波一粒の砂
永遠の命の燃える砂浜の一粒の砂小さかったよ
小さくてぱらぱら落つる砂の粒数えてむなし太陽の下
幼子の無邪気に遊ぶ砂浜はシャベルで掬いバケツを返す
淡々と夕暮るるまで幼子は波に戯れ砂に戯れ

ヨハネによる福音書 3. 22-30 イエスと洗礼者ヨハネ

リフレインだ。
みこころの風は吹く吹く青い空白い雲だに時を告げゆく

投稿者 Blue Wind : May 17, 2004 06:06 AM | トラックバック
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