November 29, 2004

てのひらにおさまりそうな子犬飼い元気な爪にバラの棘あり

サイトって自分のためにあるんだな移転先なるURLみし
ブログ的一期一会の関係も少しつないで少し消えゆく
恋歌を拾い歩いている人のブログをながむ 短歌って何?

とこずれと呼ぶには過酷褥瘡の肉の殺げたる長き月日か
ひきつづく少年犯罪恐れれば鍵掛け忘れ出かけてる吾子
置手紙漢字で書けよ添削をしたくなりそな親心かな

てのひらにおさまりそうな子犬飼い元気な爪にバラの棘あり
はやばやと先に買い物済ます日はなぜか外食以心伝心
商品券送られてきて宛名から不幸を知りし見知らぬ神戸
オトくんは湯たんぽなのにマリちゃんは電気マットか息子と娘
犬2匹息子と娘は違うのか夫を見て感ず待遇の差を

新札の不器用なまま変わりゆく変わりきれない短歌のように
冬景色もとめてクルマ走らせば高低さつく並木はつづく
赤赤とドウダンツツジ燃えゆかば蜜柑載せられ野外灯あり

詩編 68. 12-14

投稿者 Blue Wind : 06:48 PM | コメント (0) | トラックバック

November 28, 2004

満月よ頭上の月の高ければ澄みわたる空雲もなかりし

満月よ頭上の月の高ければ澄みわたる空雲もなかりし
はろばろと秋の季節の終わりゆく実りの季節息を潜めて
聖域は蔦からみゆく弱き人満月のごと息昇りゆく
ふうわりとみことばの息とけこめば鳩は軽がる空を飛び交い

釈放だ。くるくると蔦のびゆかば切られるぶどう重すぎて秋。

エゼキエル書 24. 1-14 火の上の鍋

エルサレム災いのなか歩みゆく反逆の罪とこしえにあり
やすらぎに身をかがめては惨禍とは道に落ちゆき踏まれたざくろ
戦争は無くならないよとジーザスは十字架のうえ吊るされている
地上戦魔物のような宗教は今なおつづく確執の渦
福音は何のためにぞあるものと確執の闇今もつづきぬ
地上には地上の罪があるように神は怒りぬ戦の波よ

信仰は諦めにあり秋の月聖書配られアラブ語でさえ
病院に祭壇ありき死ぬ人の死を待つ部屋の向こうの廊下
国境を隔てつ今日も安全はいづこにあると数を競えり

オトくんは生まれて生きて死んでゆくやすらぎのなか生きゆくばかり
人間はややこしい風吹き抜けて魂という理論合戦
退廃は昨日の渦を今日もまた傷に残して伝えられゆく

あー、なんかさっぱりしたなー。

コリントの信徒への手紙 一 14. 13-25

異言・・・

教会は賛美のためにあるものと集会を思うアラカルトかな
賛美とは賛美のためにあるのかと砂漠の中に吹く風を思い
ひっそりと木立の中にたたずみし教会跡は閉されて長く
教会を旅立ちゆかば青き海青き空にも雲は浮びぬ
深深と海はつづくよ珊瑚礁抜ければ波は高高とあり

子ども等のつどいし夢の広がればやさしき神は微笑んでいる
荒波はつづくよ空は天高く宇宙の果てへつづきぬ星か
現実はかくもつづくよ波の音くりかえしつつ光と闇よ

ルカによる福音書 19. 1-10 徴税人ザアカイ

ジーザスは罪人のため世に来たと祝う日のありクリスマスかな
少しずつライトアップす家並みをながめて庭の新しい家
裏庭の点灯のないクリスマス住人は減り魂増える
いやしなどどこにもないと吹く風にいつしか時のもたらしぬ息
ため息をいくつ木枯らし飛ばしゆく落ち葉のような敷石のうえ

いやしなど求めないでとひねもすはまったりとして明るい冬日
わだかまり深深とあり諍いのとけゆく淵はみそらの果てか
光あれ断崖のうえ光あれ明日見る夢は子らのうえかな
生まれゆく新たないのち朝のうちわが家に来るかマリーと名付け

欺瞞なら飽き飽きだよとひねもすは新たな日日をつなぎゆく空
鬱蒼と出版物はあらわれて圧し込めた箱開きゆくなり
毒の矢は放たれゆくか旅人よジェイルハウスでまた会う日まで
野心とは光の箱に閉ざされて盲人の冬キリストを待つ

神さまは一人しかないはずなのにぶどうの蔓はいくえにもあり
あの頃にくらべればまだしあわせと透きとおる空月は輝き
野の風の揺らす尾花は冬景色彫刻よりもやさしい風情
偶像よ、破壊されてはつむぎゆく糸の流れを天使が運ぶ。
聖霊よ、人の嘆きに神父あり、御手のゆく空星は輝き。
十字架よ、憐れみの丘たたずめば青白き肌真黒き闇に。

風・・・・・

エレミヤ書 51. 36-45

なんか、いやされてしまう・・・


◇BBS詠
ふるさとの道に立ち出で眺めしも見知らぬ世界座りてもなお
空気すら変わってしまうかふるさとよそよそよと風ぶるぶると吾
空港のレタスの味と葉の濃さに北海道の土の沁みいづ
ふるさとの道に佇みながむれば見知らぬ山に驚きぬ吾
あの山の見ゆる道かなこの道は幼き頃の身丈おもいし

ふゆやすみ迎えるまではのんびりと平日という年次休暇
暖冬のしょぼい秋刀魚の並びたるウィンドウ見てまだ早い冬
ぶらさがる葉っぱをながめいつ落ちる蒼いみどりの深まる秋よ
夏植えた花の今でも咲きたるかこごめて秋は青青き芝

投稿者 Blue Wind : 05:25 AM | コメント (0) | トラックバック

November 27, 2004

満月へ逃げろと言うか頭上には白き輝き佇んでいる

あんなの読んだら、クリスマスが憂鬱になるからやめてほしい。まだ歌の練習させられているほうがましだ。キャロルスはメインであり、遊びであり、テンションの緩和であり、一番受ける。
デビッド・ボウイのらぱぱんぱんを聴きたい。低音というのはええのう。このところ手抜きで山下達郎ばかり聴くクリスマス。

クリスマス迎えるかげで誕生日忘らるる吾今はよろこぶ
天国がうっとおしいと思うとき説教めいたファーザーの声
信仰は自由契約法王も約束されていないいのちか

ヨブ記は美しい。

サタンにぞ怒る気持ちの失せたればヨブの言葉に美しさあり
キリストの生まれる前にヨブ記あり最後のことはだれもわからぬ
救われたいのちのほむらありければ消えさるほむらなおつづきゆく
信仰は諦めにあり神さまは生きているよとわけなくもあり
最後にはいのちのほむらいづこへとつづくみちすじイール・シャローム

ヨブ記 6. 2-7

結局、ユダも使徒だったわけだし、イエスに従ったからといって最後には神さまが裁く。つまりは、クリスチャンになったからといって救われるわけでもない。つまりは、すべてが混沌としていて、何もわからない。

カルチェリにシスター二人おりたれば一人は笑みし一人は不思議
カルチェリのミサにのんびりおりたればサタンのような親子あらわる
修道院いくつかわるかホテルにぞ当時の世界のぞかせており
暗黙にイラク戦争支持したる匂いを感ずファーザーの声
欺瞞とはふつふつとして泡立ちぬ従軍よりもまだましなるか
従軍しミサを行う兵士らは何のためにぞ暗黒に立ち

神に問う老いたればなお神に問え徴兵とても無意味だからさ
若者の反戦記など読みたれば行きたくないと書いているだけ
イラクへとウキウキとして旅立った自衛官あり不思議な世界
高齢化、戦争よりもまだ怖い不景気な世に突入しせり

満月へ逃げろと言うか頭上には白き輝き佇んでいる
ある日には夕陽の欠片今宵には頭上にありき空の月かな
気まぐれな月の軌道に驚けば地球はまわるまわりまわるよ
月さえも気まぐれならばうさぎさえ6倍に跳ね羽が無くとも

建物を競い合っては教会は時代の陰を偲ばせている
らぱぱんぱん好きに歌えよらぱぱんぱんMTVも廃れ果てたか
コカ・コーラ、サンタ・クロースも変えちゃったアメリカの罪、われは関せず。

ガラテヤの信徒への手紙 1. 6-10 ほかの福音はない

文化として伝わるってことはそういうことなのよね・・・だからね・・・たまに一体何をしているのかわからなくなるけど、聖書を開く。あの人たちは何もわかっていない。わたしはルドビーさんに言われたから、ではなく、ある日突然、「甘栗に蛆」がわいているのを見たから行動したにすぎない。
アシジへ行ったのも、チケットやら父さんの都合やら、いろいろなことでたまたまそうなったにすぎない。最初はフランスへ行く予定だった。
信仰は諦めであり、神に対する服従。だから、楽しいものでもうれしいものでもない。むしろ逆らって生きるほうが楽しいし、自分のやりたいことをしているような気さえする。
逆らってばかりいるからね・・・このように望まないことが原因で、嫌いな短歌を詠み、いつのまにか聖書を読まされることになってしまった。宗教の時間なんて寝ているかさぼっているか、だよね・・・ふつう。わたしは心理学の人だし・・・つけがまわってくるのですよ、いろいろ。

ぐちってたらきりないね。なんか、勘違いされるから。Solitude With God. 何となくやっていたら、どーやって考えても神さまからの手紙のような気がしてきてしまう。ランダムに開く中にキャッチボールがある。まさか、ジャンキー・ブロックのためにやり始めたなどとだれが思うだろう・・・

ちゃらぽらと生きているだけ首に鈴望まない頃呼ぶ音の鳴り

エゼキエル書 45. 1-9 聖域

聖域・・・
イール・シャローム。
母、大工、漁師・・・牧者。

静かな日静かな国に佇めば静かな人ら静かに生きる

夢のような世界。夢かも。

投稿者 Blue Wind : 05:02 AM | コメント (0) | トラックバック

November 25, 2004

言の葉の旅立ちゆかばてのひらはもう届かない秋の落ち葉か

白い月白白とした白い空夕暮れどきの白い銀杏
木洩れ日を透かして天へ枝先をのばして冬をしのばせている
パステルの空に浮んだ枯れ枝に透明な陽のとけゆく光
こんなにも空が広いと思っても西へ走れば夕暮れの道
背に月の視線感じて夕暮るるパステル色のうろこ雲かな
はろばろと広がる空にうろこ雲西へ西へと風に吹かれて
どこまでもつづく気がする茜雲うろこ雲さえ風に消えるか
くるりんとロータリー降り信号は木立の中にたたずんでいる

枯れ枝の並木のうえに広がれば落ちゆく木の葉敷きつめた道
ゆらゆらと木の葉ゆらして風は吹く冬枯れの枝空にのびゆく

ヨハネによる福音書 6. 66-71

ユダのこと悪魔と知りてジーザスはなぜに選ぶか福音の意味
世の中はそんなものさと退廃は十字架のうえおのが道あり
ひとりひとりゆく道ありきわが道を与われて生く今を寿ぐ
諦めて愛きことあるか世の風を憂くカナリヤは籠を飛び立つ
はろばろと運ばれて風いづこへとめぐる空かな地球はまるく

詩編 106. 39-46

風は吹くミモザを揺らし秋風は勝手気ままに吹きぬけてゆく
禍に泣く人のある秋の陽は輝く光ただ照らしゆく
明日のことわからないさとひねもすは輝きのなかすぎゆくばかり
禍も太陽もまた輝きぬ誰のうえにも吾のうえにも

協会のつよき人らの声読めば1%に含まれぬ吾
福音を知らずに死ぬと考えて他の人を思うおおげさな人
言の葉の旅立ちゆかばてのひらはもう届かない秋の落ち葉か
ふふむ意味いくえにも読むひねもすもつぎからつぎへ憂きことはあり
変わりゆく時代の中で変わらないみことばさえも書き換えられて
木に揺れる落ち葉のように木枯らしが吹き飛ばすのか冬枯れなのか
ひらりひらり透明な陽を浴びる葉は木枯らし吹けば足下にあり
神さまは生きているよとメッセージてのひらにあり透明な陽よ
信仰は無為な月日を描いてはめぐる月日に薔薇の花咲く
諦めはしづかに沈む落陽をくりかえす日に没するごとく
信仰を諦めと呼ぶわたくしは海の落陽昇りゆくを見
あの夕陽昇っていると眺むれば明日も来るかと地球は浮ぶ

退廃よ諦めの中浮ぶ雲、風は描くよ勝手気ままに。

エゼキエル書 16. 9-14

そーなんだよなぁ・・・選歌してくれるのがまともな歌ばかりという情けなさ。あまりにも綺麗すぎて・・・選歌されるとものたりない。

天国と地獄。
いろんな意味で、天国と地獄。

ふりむけば眩しき夕陽窓を撃つオレンジ色に透ける一日
神さまとお話をするひねもすは夕陽をみつめ残像ゆれる眼

投稿者 Blue Wind : 04:29 PM | コメント (0) | トラックバック

キリストの苦しみを思う秋の日になぜかジャズ聴くラッパは甘く

うろこ雲浮んで秋は白白とパステルの陽をにじませている
うろこ雲西の彼方へ消えゆくか木洩れ日の中クルマ走らせ

教会もいやしにならぬ秋の日はつきまとい思うネットの画面

ひねもすはいろんなことがあるからと平和な日々を脅かす蛇
延々とつきまといては嫌がらせうんざりしても歌詠む月日
世の中はこういうものさ嫌がらせかえすがえすもつきまといかな

嫌いってすごいことだとたまに思う反吐が出そうな画面をながめ
警察も弁護士さえも役立たずジャンキーの森消えゆくサイト
メールよりまだましなるか掲示板静かな秋に吾子を待ちたり
悲しみは嫌いな人のあわらるる掲示板なり悪意の森は
反吐が出る苦しみならばわたくしも味わっている掲示板かな
キリストの苦しみを思う掲示板ちょっと笑ってポインセチアか

いづこへと悪意の渦を落とさねば救われないとあらわるる蛇

マルコによる福音書 14. 51-52 一人の若者、逃げる

逃げるよなそりゃ逃げるよな若いもの未来は君の肩にありけり
若者のブログに逃げるネットかな妖精ババアれんこんあらし
高校生写真を見ればいいでしょと簡単に言う素直な言葉

二万首のみちのりけわし頂に冷凍保存された雪かな
年寄りは怒るが先と暴れ出す気持ちもわかるあらし騒動
電子文字自己顕示欲眺めてはほかのカキコは読まないと彼
若者の逃げ出しゆかば年寄りは怒り出すからまんなかに吾
関西のおかん負けてはいけないと漫才で聞く言葉思いぬ
これだから関西人は嫌いだと思ったけれど上品な人
尼崎なぜに嫌うか関西人ちょっとだけ知る掲示板なり

クリさんのほうがましなんだよね・・・たしかに。

ノーギャラと言われてしまうネットかな花の香りのうるわしき秋
秋風にスタン・ゲッツのラッパ聴くうるわしき日をお祝いしよう
ひねもすを朝から電話鳴り出せばヒステリーとは仕事は厳し
ジャズさんの苦労を思うネットかなノーギャラの秋逃げ出せば冬
蒼い薔薇いつのまにやら咲き出せば店頭ならぶ日も近づくと
わがサイト何のためにぞ紹介す・・BBSの閉鎖の決意・・
サイトなど要らないだろと言われればそういうものかネットの輪かな

キリストの苦しみを思う秋の日になぜかジャズ聴くラッパは甘く
小画面スペース開けて歌を詠むしばし続くか電子文字なり
苦しみは含み笑いにかわりゆくあれよりもましこれよりもまし
ノーギャラは責任ないとカウンセラーさっぱりとして仕事は終わる
父さんに長生きしてと思う秋仕事嫌いはラテーノになる

エゼキエル書 18. 1-32 各人の責任

各人の責任。

投稿者 Blue Wind : 04:28 PM | コメント (0) | トラックバック

November 24, 2004

眉毛だけ真っ黒な人座りおる指定席抜け母の病室

貧乏は感謝の中に住んでおり不景気な人妬みの中住む
仮設にもランクがあるか神戸かな立ち退かぬ人いつまでもおり
憐れみを求められても金くれと言われるような被災者の声
テレビでは貧しい人を映すけど富んだ人らは温泉に入る
憐れみを求めたいけど世の中はもっと不幸な人泳ぐ海
不要物送らないでと新潟はテレビの中で訴えている

エゼキエル書 26. 15-18

一瞬で破壊されゆく人生を通過ページに置き換えて読む
吾子ありて生死の境感ずれば吾子想いしはわがままなのか
半壊の実家の風呂が先なおり家族で通う友は明るき
老いたればあっけらかんとはいかないと姑のぐち何年つづく
子の世話になりたくないと姑は震災以来くちぐせとなり
一瞬で破壊されたは年寄りと何となく思う子の知らぬ過去
年寄りのぐちにまみれて生きるよりやること多きひねもすはゆく
老いたれば未来はないと年寄りは女中がいても不満あるらし
あくせくと旗持ち当番こなしては幸せを思う眠き朝かな
震災の革命ありきささやかなつくばねの道広々とあり
ルミナリエ輝く下で姑と古き女中のいる暮らしかな・・

ルカによる福音書 6. 20-26 幸いと不幸

断崖に要求水準おきたれば昨日と明日は満ち欠けの月

なんかもうめんどくさいや怠惰なり耳はサウンド目で歌詠みし
人は生き人は逝きすぎ人生まれ怠惰な風は地中を回る

元気でも元気なき人増えゆかば環境因子からまわりする
関西の老人社会思うより秋生い茂るミモザ葉を見る

刈られても鬱蒼とするミモザかないつのまにやら葉隠れの陽よ
月桂樹夏に寂しき君だけどいつのまにやらオリンピアの木
熊手持ちあらくさ掘りをする吾子の気まぐれな息時間潰しか
テラスドア疾風のようオトくんの駆け出してゆく秋の庭みし

瞳すら動かないのかわが母の視線を追いし隣のカーテン
苦しげに息音のする向かい側聴こえているか開けられた窓
鬱蒼と死の歌の数増えたれば飽きもするかな記事を読んでは
年寄りに写実求める短歌かな仕方ないさと横目でながむ

がんがんに馬鹿やっている年寄りに振り回されて歌詠みになり
肺がんのつまらん話聞くよりもおバカなほうが救われるかも
ジャンキーのネカマの名前ならべれば飲み屋の名刺ジジ抜きしてる
明日のない連中なんだと憐れめば残念ながらのびゆく寿命
少しずつ拡大するは薬屋の介護用品扱う売り場
眉毛だけ真っ黒な人座りおる指定席抜け母の病室

エゼキエル書 28. 11-19

は〜、これが日本か、ってなるのか。華やかな青春時代を過ごしただけつらいものがあるな。

鬱蒼と年寄りばかり歩いてる危険地帯のうつつとかわる
転んでも骨折をする年寄りを避けて通りぬ通りは狭く
転んでも訴訟になるか事故ならば車でなくも起こりうる道
ボケ老人脱走しては徘徊す夜中の道は車も危険
高熱の伝染するか病室は感染予防子は連れられず
住む家がぽしゃっちゃったらおしまいと災害の日を不安に暮らす
チャット部屋派手な名前が並んではシルバー部屋でひねもす過ごす
あちこちであらし騒動起こりなば年寄り同士何してるかと
今は過去10年後には当たり前20年後にはわが身の不安
排出す年寄りの数増える裏兵役制度復活するか

学生街疎んでいても学生の歩いてるだけましな気がする

ヨハネによる福音書 15. 1-17 イエスはまことのぶどうの木

詩編 84. 11-13

静かな日怠惰な歌の流れては未来は遠く未来は過ぎる


◇BBS詠
森のうえ低空飛行銀杏の実より大きな月は浮びぬ

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November 21, 2004

ゆりかごの月はゆらゆら動かぬも突然の雨雲はおとずれ

断絶を歌の書棚に眺めては老人と孫並んでおりぬ
半月のゆりかごのごと浮んでる雲は流るる白きカーテン
ゆりかごの月はゆらゆら動かぬも突然の雨雲はおとずれ
鑑賞を寂しく読みし歌集かな与謝野晶子の歌に添えられ
書棚から消え去りしかな鑑賞のつかない歌集返本となり
一つずつ書店をまわるこひつじかニコリのような聖書となりき
めずらしく連続ドラマ眺めては太陽族の爆発をみる
メダルにもコマーシャルにも慣れちゃったオリンピックのあった夏去り
うねりゆく大波のよう新世紀訪れたのは数年前か

ルカによる福音書 17. 20-37 神の国が来る

神の国かたちのように現れてかたちなきさま描いておりし
われわれは幻想なのか視知覚のまぼろしを想うたましいいづこ
最後には人間性だ夫は言いしモスクの中で人殺しあり
アユタヤの遺跡をながむテレビかな首無き仏並んでおりし
聖書すら破きかねない憎しみも破けないから救わるる人
善と悪いのちいのちと喚きたてこころなきこと最後の一歩
殺伐と世を想うとき善と悪いづこにもとむ鐘の鳴る音

二義性を鏡のように眺めてはこころなき人鏡に生きる

わざわいは無くならないよとひねもすはそういう星に生まれ消えゆく
裕次郎偶像のなか生き抜けば昭和も終わりスクリーン消え
感動は海のヨットかダム工事うつつの人ら退廃もとむ
真実はスクリーンの外きらきらと輝く海と広大なダム
描けずに終われば海は輝きぬ今を生きては明日もあるかと

ヨハネの黙示録 11. 1-14 二人の証人

海やダムなら描く必要はないのかもしれない。

真実はきらきらとした星のよう下手な写真に染みは写りぬ
情けないアシジの写真空の月泣いた泣いたよ黒に染みあり
音のない稲妻光るウンブリア広大な空言の葉にする
西に陽を東に月を眺めては広大な空昼と夜あり

少しもおおげさでもなく、過小表現に悩む。わたしの写真よりはましだろう。

狭い空見慣れた人に差し出せば写真の月は小さな星か
広い空月が巨大に見えるほどイタリアの月浮ぶ空かな
まあのぼれロッカ・マジョーレ柵のない校舎のうえも椅子のうえかな

エゼキエル書 47. 1-12 命の水

また同じページ。

足下に一つの石が転がればこの石にてか町は造られ
戦争を終わらせたのは足下の小さな石かアシジの奇跡
塀越しにアシジの空をながむれば高高とありカルチェリの庵
石積むも石を投げるも人心うつしてやまぬ空澄み渡る

原爆で戦争終えた敷島はそりゃないだろと空の月みる
音のない落雷の音眺めては音の違いに壮絶な秋
アメリカに戦争やめてと言ったって空しき音の鳴り響く空
騒音も掻き消すほどの雷鳴に怯えてみてもへそはまだあり
身をかがむ子らに伝わる戯言に生きる知恵もちかえすがえすも

憲法9条はへそか? 日米同盟がへそなのかも・・・ のっちでもいいや。

戦争を知らぬ世代に生まれては空に月あり夕陽は沈む
福音は何のためにぞあるものと自衛隊みて何となく知る

うわっうわっうわっ、あんなんだったらどーしよう。

のんびりとアシジの空をながめてる夕餉の時間音なく光る
雨のないアシジの夏はアウトドア屋根にビニール張られておりし
落雷にしづかに気づく人あらば皆で雨を驚き待ちぬ
音もない落雷ならばのんびりと歓談つづくレストランかな

世の終わり考えてみて戦争は老いた首相の象徴となる
落雷は怖いものかと音のない落雷を見るアシジの夏よ
茫洋にながむる光遠ければ美しさだに轟きにあり
音のない静けさはまた雨のないビニール張りの屋根の下かな
降る雨のくりかえす日はドラム音たまに聴こえるキッチンの裏

ローマの信徒への手紙 1. 8-15 ローマ訪問の願い

屋外ライト点滅させると、レストランと間違われるのよ、うち・・・

新年をシンガポールで迎えては熱帯の雨雪の日の薔薇
雨のない炎天の道歩いてはサンダルの夏台風の道
混在す世界の果てははろばろと違う景色を描いておりし
カイサリア地球も狭くなったかとアディエマス聴く海の歌声
クリスマス地から海から空からか聖なる夜の歌声響く
八重桜紅い木の葉を揺らしては春の息吹を身に静めおり
桜の木ライト巻かれてたたずめばクリスマスには光り輝き
聖夜には光りぞ満ちて力とは枯れた通り木吐く白い息

ルカによる福音書 6. 27-36 敵を愛しなさい

今年はどこもクリスマス・ムードが薄い気がする。気のせいかな。クリさんにボロカスに言われていた去年のクリスマスのほうがまだクリスマスっぽい。いやな年だな。

投稿者 Blue Wind : 05:42 AM | コメント (0) | トラックバック

November 20, 2004

雨降るも命の水のなかりせばただ降るばかりくるくると傘

テーブルのしたからライトまぶしけれ手作りツリー眺めてる吾子
針がねで編み上げられたツリーには赤いビーズの並んでおりし
キャンドルの中から明かりいづるよう不思議なツリークリスマス待ち
病室に飾りゆくかな雨の日は大きな傘が往来をゆく

山崩し会場つくる万博のテーマを聞いて悩むか愛知
自然との共生というテーマにはふつふつとした欺瞞を覚え
広報は悩んでいると言われてもつくばねまでは響いておらぬ

万博の記念の駅ができるらし過去は記念す市長の汚職
鉄道は何のためにぞつくられる便利になって環境破壊

ファミレスに張り紙ありき学生の勉強禁ずながながき夜
張り紙を眺めてクルマ減りたるかみんなで動く学生の村
村落を国立大に感じては街は自由な往来にあり

自然との共生求め自動車を走らせている日曜日かな
ドッグラン求めてクルマ走らすか侵略されるつくばねの森

マリちゃんの匂いがするかオトくんが膝から降りぬひねもすはゆく
吾子の友ペットショップにおりたればちょっと驚くどしゃぶりの雨
子犬とはあんなにでかいものなのかセントバーナード抱っこしている
マリちゃんは生まれたばかりミニピンの手に隠れるか重さなきよう
ぴょんぴょんと飛び跳ねているマリちゃんはわんわん物語の子犬
犬のため芝庭つくる親バカの雨に降られて閉じこもる部屋
マリちゃんもクリスマスには家の中オトと一緒に走りまわるか
マリは箱母は病室拡大すつくばねの家廊下は道路

エレミヤ書 51. 15-19

なんかいつもと違うと思ったら、昨日の分の写教聖書終わっていない。

「あなたならウェルカムです」言ってみて少し欺瞞が歌に出にけり
トヨタ車を買えと言われるわけでなし友達という不思議な関係
欺瞞なら欺瞞なんだと言っちまえ吾に言わせるサラリーマンかな
りんさんが言っていたよとサラリーマンしづしづとして広報に言う?
主婦という無責任さのただよえば社会は遠く壁すら越える
リーマンよなんで自分で言えぬのかわかっちゃいるが主婦は言霊

胸の奥喉につかえた魚骨抜く思いの過ぎる沈黙社会
反戦を唱えていても土曜にはクルマ走らせ自然をながむ
人生はいたちごっこにひねもすを無難に過ごす雑誌のごとく
ひとりでは何も言えない校風は国立大そばファミレスにあり

中間ボツ歌。
まあ、いいか・・・・なんでもいいや。

片方で自然賛美と言われても片方のネタ愛知万博
かおいろを眺めていてはささやかな欺瞞のうずはおおげさなもの
しょぼいネタ振るなと言ってみたいけど命運求め苦しんでいる
こんなとき歌詠んでいるわたくしは鬱蒼とした雨の中おり
過激派の張り紙ながめボイコットあほらしい雨ファミレスのうえ

イザヤ書 63. 11-14

聖霊はモーセにありて思うものユダヤの民の永き月日か
聖霊はアシジの丘にあるものと腐らぬミイラ置かれておりし
黒服を真似してみてはエホバかなみことば捨てるクセの遺りき

愛想よく答えてむなし秋風よこころの雫どしゃぶりの雨
鬱蒼とつぶれるこころ覚えてはこれが暮らしとひねもすはゆく
落陽も見たことのない子らいるとメルマガを読む鬱蒼と雨
崩された山見て育つ子らなのか愛知万博すこし悲しむ
退廃は言っても無駄とひねもすを上司の顔に何を眺めん
虚しさは深々として訪れの速まりゆかん秋の闇雨

暗闇を求めて吾子はテーブルの下に潜りきツリーの光

エゼキエル書 47. 12

雨降るも命の水のなかりせばただ降るばかりくるくると傘


◇BBS詠
水たまりおそるおそると走らせる台風前のどしゃぶりの雨
止まったら死ぬと言われているような仮免中の水の道かな
豪快にラリーのように走りゆく事故車の眠る台風の道
乗り上げた分離帯にはこちら向く事故車のありき大通り行く
雪の日も停まっていたなパトカーはくるくるライト点滅させて

投稿者 Blue Wind : 05:03 AM | コメント (0) | トラックバック

November 18, 2004

子ろば乗りてくてく歩く石畳うつむいてろばてくてく歩く

子どもなら飛べるんだなと柵のない屋上のうえ空飛ぶ絵の具
豪快に飛んでくれたかまほちゃんは小鳥の目線空に飛びこみ
風は吹く低き山並みながむれば小鳥のように子は飛び跳ねる
炎天に焼かれて吾は疲れ果つ子は山のうえ飛びまわる鳩
ゆくみちを鳩のロザリオ掛けたれば子は教会に招きぬポリス
軽がると魚のように泳ぐ吾子夕暮るる浜砂の城あり
地中海白い道あり海のうえ歩いてもなおますぐにひかり

豪快に空飛ぶ小鳥ながむれば老いたる吾をしみじみと思う
空高くながむる星は遠かりしすみわたる空くっきりと星
飛行機の点滅さえもくっきりと深まる秋はすみわたる空
雲のなか白く隠れてお月さま空すみわたり星と飛行機

自由とは子どものものと空の月飛行機の横ならんで浮ぶ
素直ってよいものなんだとしみじみと庭の囀り朝のあいさつ

馬車の音高らか響く窓の下朝を迎えりフィレンツェの駅
石畳いくつ歩いて美術館パン持ち歩く吾子の手を引き
ながながき列を並んで美術館鳩の溜まりで一休みする
自由って空飛ぶ鳩のあつまりし木陰のベンチ炎天の夏
自由って走るのやめて立ち止まる馬糞の落ちたフィレンツェの道
ぱかぱかとお馬は走る石畳”アテンショーネ”と高らかな声

ゼカリヤ書 3. 9-10

やわらかな磯の香りを求めては海に潜りきあわい潮風
きらきらとうす暗がりの浜辺には砂の城掘る子らのたわむれ
「レベッカ」と呼ばれて彼は女の子大きな父と小さな娘
夕暮るる白い光のいづる道逃げて追わるる浜辺の散歩
音のない落雷に似し潮風は磯の香りもなかりき海辺
しづしづとひねもすはゆききらきらとひかる海には白い風吹く

夢ひとつかなえてくれた吾子の絵に希望の風は空を飛び吹く
くるりんとほっぷすてっぷだんすしてみちを歩きぬわが子がふしぎ
羽はえてうさぎも空を飛び跳ねるここちがするか三日月の夜
子どもなら鳩の羽さえ軽がると風に飛ばして風にとけゆく
豪快にしっぽまわして吾子を待つ写真屋の犬坂道に寝る
ピザの犬ジェシカ一番可愛いといつの間にやら名を呼びし吾子

老人が隣に座りアイス食む呼ばれて妻はカフェの椅子居る
教会の階段のうえ座りたる若者のなか子と並び居る
カフェの椅子二人並んだ若者を日本人だと眺めてみては

マタイによる福音書 21. 5

子ろば乗りてくてく歩く石畳うつむいてろばてくてく歩く

老いたろばねこ。

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November 17, 2004

音のない落雷なんて降る雪の遠くに光る静けさのよう

三日月のなぜに浮ぶか森のうえ大きな弓の黄色く光る
西日さす窓の光は煌々と森へのみちをつくりたまいし
森のうえ落ちる夕陽の燃えたてば三日月浮ぶ森のうえかな
混在す時間の中で輝きは遮られてはひねもすはゆく
はろばろと浮ぶ月などながむればオレンジ色の夕陽の欠片

校庭を真上にながむ吾子の絵にシュールな影の見え隠れする
鳥の目の木を越えゆかむ校庭をまうえにながめ四方の風吹く
くるくると旋回するは空のうえ小鳥のようにながめる大地
小鳥には小鳥の世界広がるか空飛びゆかばますぐにぞ見る
空からぞ射す光には佇みし吾の頭の見えるばかりか
屋上で風に吹かれてまほちゃんは黙々として絵を描きおりし

ルカによる福音書 4. 1-13 誘惑を受ける

校庭の絵、か。

黙々と自由な空の広がれば青き緑と黄色の土に
屋上にスケッチブック持ちゆかば風の中にも光ただよう
黙々と絵を描きおりしまほちゃんに蒲公英畑吹く風を想い

暮れゆかばひねもすはゆきすみやかな時の流れにみまごうばかり

エネルギー保存されてはひねもすを沈みゆく陽に燃やされている
ふつふつと怒ってみても退廃は疲るるばかり泡立つばかり
いつの日か泣くことあるかまほちゃんにタイムカプセル渡したくもあり

吾子の絵にいやされてなおへぼ歌人迷子のこみち迷いゆくかな
脳内をくるりんとして素直さは学びのみちをむなしくもする
吾子になり素直になって飛びまわる小鳥のような絵を描きまおし

ランボー、ピカソ、中原中也 対 アンジェリコ 的図式。
エッシャー的アンジェリコ。
なんか、もう、むすめにもかなわない。なさけなか。

コリントの信徒への手紙 一 4. 10-21

どうやったらあんなに素直な感性が育つんでしょうね・・・ってあたしが母ではないか。親でもわからん、子のことは。

ひねひねと獅子の洞窟育ちたる垣間見し夢吾子に求めり
青青と闇の広がる空見れば三日月浮ぶ森のうえかな
ロッシーニ歌いて春はいくたびかめぐれど愛はなお静かなり
あれほどに静かな愛はなきものと泡立ちぬ今遠のくばかり
音のない落雷なんて喉の奥胸につかえた言の葉のよう
ああつらいなんかつらいと言の葉はひらひらひらと舞い散る落ち葉
音のない落雷なんて降る雪の遠くに光る静けさのよう
音のない落雷なんてため息の微かに落ちる公園のよう
先走る気持ちの中で音のない落雷の音胸に抑えり
あの音をイメージしろと神さまは音もないのに稲光見せ
青闇に小さく光る落雷は轟きもせず厚き雲間に

なんか、つらい。なんか、つらい。がんがんに音が鳴るほうが普通だ。

コリントの信徒への手紙 一 15. 36-42

言の葉のととのわぬうち聖書には見慣れた言葉並んでおりし
一つ一つ言の葉生まれ一つずつ言葉となりきくりかえす波
鳴声の分かれているか庭の鳥何のためにぞ囀り歌う
今のわれ鳴声もなく歌う鳥落っこちそうな巣穴の中で

2万首いく頃にはましになるかな。わからん。

箴言 25. 13-14

箴言のこのセンスのよさ。
わかりそうでわからないところがすごい脈絡。

投稿者 Blue Wind : 06:33 AM | コメント (0) | トラックバック

November 16, 2004

悪意って広がるものだ、退廃は柿の実の生る季節にありき。

あれはいくらなんでもクリさんがかわいそうではないだろうか。クリさんのために、聖書をアップしようと思ったら、延々と邪魔をする人がいる。以前の時空は、さすがにそこまでこころのない人はいなかったです。

アングラ・・・・アングラ・・・・・アングラ。

いやしがほしいのはわたしだ。いやしを求めないでほしい。

退廃よ、平和を邪魔しあわただし渦の巻く海、紺碧の崖。
延々とあらし騒動巻き起こす悪魔のしっぽトカゲの小道
退廃よ、醜い心いやしなく広がりゆくは愛想笑いか。
れんこんの中身からっぽ正月はからしに浸しスーパーで売る

鬱蒼と心の闇の広がればさやさやとした雨は降るらむ
悪意って広がるものだ、退廃は柿の実の生る季節にありき。

マルコによる福音書 9. 38-41 逆らわない者は味方

祈りゆけ見知らぬ人らつなぎゆく沈黙のなか愛は生きゆく
信じよう、愛あらばこそ人の輪のつながりゆくは未来の光
みこころの静かに光る星めざし沈黙のなか愛は炎に

退廃よ、静かな闇に広がれば、光を求め祈り出づ夜。
祈りなど忘れて過ごすひねもすも悪魔来たりて光を求め

あんなにもアングラな人おりたれば教会の意味少し悟りぬ
外海は荒波なのか揺らるるは木の葉のような舟を想いき

愛求め疲れ果つるか旅人は砂漠の道をえんえん歩く

エレミヤ書 2. 33-37

結局、話しても無駄なんだよね・・・何でも不倫とか情事とか、そういう発想しかない。「女性の平和」の世界だからさ。「世界の平和」に文字を変えてくれないだろうか。
おじいさんでしょ? なんかね・・・・なんかなのよ。世代間ギャップなのかも。

幸せを拡大アップで描いても不幸の海の波にもまれし
罪あらばバーチャルという闇にあり一方通行語って虚し
楽園は箪笥のパジャマ弟の買い置きてゆく母の病室

殺伐と渇いてみればふつふつと悪意の燃ゆる憎しみの音
アングラにもの言うてみて虚しきを殺伐とした砂漠のありき
馬鹿馬鹿し妻の嫉妬にもの言うて反撃くらう夫のようだ
聖書すら破って捨てる憎しみは悲しみの声水底にあり

幸せは結婚講座出席し感激してる夫との出会いか
純朴は薔薇の木育つ前庭の沈みゆく陽を浴びる尾花に
みことばはしづしづとして伝わりし夕暮るる空訪れるかな

なんか、あたしって幸せなんだよね・・・

マルコによる福音書 1. 40-45 重い皮膚病を患っている人をいやす

神さまに愛されているのは、うちのダンナなのかも・・・
天国と地獄。

なんであんなに他人を不幸にしたがる人たちがいるんだろう。わけわからん。からしれんこんをなんとかせんと、終わらんね。あーやだやだ。

顔見るだけでうんざりする人っている。ネットは顔が見えないだけ幸せ。

またあいつからしれんこん現れてうんざりするかネットの闇よ
常識を顔に書いては嫌がらせ教師のような面構えかな
えこひいき暴力教師追い出そう日本の闇は教育にあり
愛のない仮面の下は傷だらけ嫌われてなお教壇に立つ
おにぎりの泣いた姿を思い出すちょっと憐れに教師のつらさ
おまえなどでーきれーだと顔に書きシカトしてみて授業を受ける

もろ顔に出るから、何人の教師を泣かせただろう・・・
単に嫌えばいい。簡単。

好きと嫌いは天国と地獄・・・
子どもは正直。

まったく陰で何してるかわからんぜよ、教師なんて。人間不信の根源が教育現場にあったりして・・・情けないね。裏と表の使い分け。住む世界が違う。

おまえなど屁理屈などと言われては悔し泣きして真直ぐに見つめ
青青と静かな怒り燃えたてば憤りさえ消え去り逝かん
怒りすら忘れるほどに怒れるは青青とした稲妻のよう
憐れみを天に求めて黙したる雷鳴の音胸に広がる
この世には神はいないと悲しめば悲しみさえも風に消え去り

こころが死んでいる人に何を言っても無駄。

エレミヤ書 3. 19-22

子どもと話しているほうが幸せ。

投稿者 Blue Wind : 05:07 AM | コメント (0) | トラックバック

November 15, 2004

薔薇の花いつが季語かと悩んでは雪の中にも咲く花のあり

◇BBS詠
老いゆかば若き人らの離れゆき新しい風遠く眺めり
子の流行眺めてみれば異邦人画面を眺め太鼓叩けり
つぎつぎと古い歌など眺めては真似してみてもどこかゆがめり
薔薇の花いつが季語かと悩んでは雪の中にも咲く花のあり

もうそれは終わったことと眺めては老いあるところしづかにつづく
ひねもすは家族家族と追われては自分の時間細々とあり
友だちとのんびり遊ぶ独身をうらやましくも今が幸せ?

介護する家族がいてもわたくしはのんびり遊ぶ時間のありし
子を連れてファミリーパックさあゆくぞ夏はバカンス冬はお仕事
年寄りに若い若いと言われても若くはないぞ子守に感ず
夏の海夏のプールと出かけては無慈悲な夏は疲れるばかり
ぐったりと自分の時間過ごす日はかんかん照りの太陽の下

投稿者 Blue Wind : 05:47 PM | コメント (0) | トラックバック

あらしあらし過ぎゆくあらしひねもすはまったりとした秋風の吹く

◇BBS詠
青春のサウンド流れCDをレンタルしてはまた戻しゆくなり
新たにぞ並んだCD買い足せばあまり聴かないここちするかな
なつかしいサウンド流れひねもすは鈴木重子か平井堅買う
この次はスタイル・カウンシル買おうかと思ってみても店にはあらず
カフェの音なじんだ声の流れゆきスコーンを食むささやかな店
親の世話子どもの世話と過ぎゆかば優雅なカフェは息抜き時間

てらてらとPCオンし眺めればまたやってるとほくそえむ吾
あらしあらし過ぎゆくあらしひねもすはまったりとした秋風の吹く
名物を眺めてみては同じ顔ならんでおりし知らぬ文字あり
あの人はこの人はなど気にしても名も忘れつつひねもすはゆく

栗あらし過ぎてしまえば木枯らしの吹く季節かな落ち葉舞うみち
つぎつぎと固有名詞のうつろえばつぎは誰かとのんびりながむ
くるくると入れ替わりては誰の番また逃げられて集めて散りぬ
ひまつぶしネットの闇をながむればこれも時世と歌に詠みたり

◇ご返歌
芝庭はドッグランかなオト走る縦横無尽疾風のごとく
テラスドア引っかき傷で曇りゆく爪を切られた気短な犬
木枯らしの吹くつくばねはあらくささえもしおれゆく原

自生するミニトマトにはおどろきぬ捨てた実の場所家陰にあり
旅行中とけてしまったメロンなど丸ごと捨てて蔓の伸びゆく
キャベツの葉赤くなりては食べ頃を過ぎてしまいし黄花を眺む

友だちと優雅にスコーン食べながら母の病室忘れて過ごす
ささやかな楽しみのあるひねもすはアートの時間いろどりの庭

投稿者 Blue Wind : 12:28 AM | コメント (0) | トラックバック

November 14, 2004

危ないよ落っこちないかと気にしては小鳥は軽く空飛びまわる

☆時空詠歌

詩編 83. 2-5
ルカによる福音書 6. 27-36 敵を愛しなさい

みことばに小指一本引っ掛けて薄氷のうえそろそろ歩む
危ないよ落っこちないかと気にしては小鳥は軽く空飛びまわる
ジーザスの笑み見えたなら立ち止まりほっぷすてっぷじゃんぷするまま
ふうわりとみそらのうえに飛び込もう子どものように無邪気に笑い
楽園はふわふわとした雲のなかわたあめ探し雨は降るらむ

時空があるから、こういう歌詠めるのかも・・・悩む。
次から次・・・

コリントの信徒への手紙 一 5. 9-13

神の愛問われた春は過ぎ去りし夏のアシジは炎天の丘
暖かき秋の庭には薔薇の花次々と咲き枝を伸ばしぬ
あらしあらし敷島あらし通過するライトの映る舗道を走る
秋の空澄み渡りては輝けば雲間の月に虹のかかりぬ

滅ぼされ解散したよあっけらかん終わらないのは嫌がらせかな
滅ぼされ解散したよあっけらかん終わらないのはジーザスの愛
鬱々と言っても無駄とあきらめてアングラの壁光の頭上
鬱々とあらしやめてと書いてみてデモ行進の虚しさを知る
鬱々と反撃開始みことばをアップしてみて下手な歌詠む
聖書読むひねもすさえもバカにするこころなき人絶えることなく
旧約と新約聖書くりかえし昨日と明日の話し合いかな

六十年生きてきたのかあの人は敵滅ぼして敵と戦い
ほえほえとほえほえとして吠えまくる闇夜の月は地球を回る
のんびりとスタイル・カウンシル聴く夜は80年代さざめきの音

エゼキエル書 45. 10

正解を先に眺めて問題を解いているよな新約聖書
信じろと言われてみてもはてはてと悩んでみては吹く風の中
鳩の羽風に飛ばしてふうわりと戻ってくるを木陰にながむ
戦いの跡形もない城の中地震の足場組まれておりし
高速のぐったり落ちた埃みち走ってみては青青とした海
天井を眺めて光もとむればポルチウンクラ覚えておりし

ぷあっとねアシジの空は広かった。足場のみちは狭くつづきぬ。
煌々と電気ライトの蝋燭は金を入れろと置かれておりし
うんざりだ。アシジのみちはひねもすを炎天にして燃やしておりぬ。
憐れみのいづこにあるか城の中ルドビーさんは何をか言わん
光る丘サンダミアーノへ入りたれば見知らぬババアわれを見つめり
聖域は遺跡なのかとながむれば空はひろびろ月と夕陽と

早朝の大通りには役者立ちぼろぼろドール真似しておりし
コムネーの裏に座りて物乞いを真似しているか嘘つき役者
役者にぞコイン渡すかいやしなき通りゆく人いやしを求め
喧騒の夏のアシジに犬は寝るクルマも人も彼を避けゆき
石ころに一つの歴史求めては壁の向こうに低き山並み
失望と炎天の道歩みつつ落ち葉のような石畳みし

ルカによる福音書 13. 1-5 悔い改めなければ滅びる

悔い改めるってことがいまいちわからん。
いけにえのこひつじ、か。

火の中の神戸の街を眺めては何もできない虚しさを知る
天井の降ってきたよな大聖堂ながむる人ら何を思いし
ピンセット巨大なジグソーパズル解き欠片一つを組み合わせゆく
ぐらぐらと積まれた石の固まらぬカルチェリ庵の石ころを見る

十字架は足台なのか岩登り並んだ子らを撮るおやじかな
礼拝は何のためにぞあるものと明るい声とくそおやじゐる
わたくしは弱い人なのジャッポーネ鬱々として闇闇とする
明るくも虚しきアシジ歩むとき昼寝している犬は賢し
おらおらと入り口塞ぐ若坊主足を跨がぬ習慣なのよ
ロザリオを土産に買って悪いかと番号書いて掛け算記す
喧騒の広がりゆかばショップには怒鳴り声ほどよく響くかな
火照りゆく指先だけが知っている聖域キップ地から天へと

石ころよ積んでくれよと転がれば君一つだにいやしとなりぬ

エレミヤ書 34. 8-22 奴隷の解放

石ころ一つのほうがいやしがある、巨大な聖堂より・・・
アシジってそういうところ。

◇BBS詠
サングラスもどきを掛けて東陽に向かいて走る夫を見送りき
サングラス焼けかな肌のしみのあと指一本で隠してみては
朝の道西へ向かいし夫の黒いグラスもどきはいづこにか消え
軽やかにスタイル・カウンシル聴いて懐かしんでは夜は深まりし
ひねっても浮ばぬ歌も何気なくその一言で想い出過ぎり

投稿者 Blue Wind : 04:37 AM | コメント (0) | トラックバック

November 13, 2004

歌くらい静かに詠めよお笑いのテレビの時間犬は欠伸す

◇時空詠歌
夕餉にぞ家族揃って鍋囲む何気なさには幸せの顔
高らかに笑い声する時間帯オクターブ伸びテレビみる吾子
モニターを眺め高らか笑い出す無邪気な声のなお朗らかに

団欒もまじめな顔で歌を詠む背に響きしはお笑いの声
微かにぞエンヤの声の聴こえれば犬の足音ペタペタ鳴りし
「お母さん」呼ばれてみればプロレスかバタ足虚しソファの上に

浮んだ、と思ったら詠まないと。
一人で夕飯食べる人がいるんだなーと思ったら、ついつい。

歌くらい静かに詠めよお笑いのテレビの時間犬は欠伸す
テレビ消し電気消さずにパタパタと階段のぼりドタドタ聞こえ
一息をPCオンし歌を詠むいい加減さにひねもすはゆく
やっとこさ静かになったと思ったらオトの鳴声連続テレビ
家事は夜今は夜かと夜更けには仕事の多き朝を待ちたり

いつのまにか、こういう劣悪?な環境でも歌を詠めるようになってしまった・・・

投稿者 Blue Wind : 09:18 PM | コメント (0) | トラックバック

風の中とけゆく羽を飛ばせども木陰の中にまた舞い戻る

アシジ、か。
娘を連れて美術館や教会を回ったり・・・祝福されて旅立つ。私のためというより、娘のために素晴らしいことだから。弟の嫁さんだけが、親が死にそうなのに、と言って怒っていた。今は、母を引き取ったので何も言えない。

娘は、鳩にパンをあげて喜んでいるだけのような旅だった。素直。

混迷の求める人ぞ十字架のイエス・キリストなぜか遠くに
闇の中照らす明かりは蝋燭の炎となりし暗き教会
死者の闇照らせば空は眩しくて青青き空宇宙へつづく
空の闇広がりゆけば月明かり眩しくぞ照る宇宙に浮び
地中よりいづる炎の消えゆかばポルチウンクラ地中の柱
地中より微かな明かり昇りゆけ空は瞬く朝な夕なと

バスは行く行きも帰りも同じ坂マクドナルドが標識となる
坂道の野原で降りる人影はいづこへ消えるバス停一つ
グレー猫狭き石段寝ておりし驚き惑い逃げ出してゆき
教会を猫に連れられ降りゆかば狭き石道ひっそりとあり
燃える陽を木陰に休む背中にはシガーボックス壁穴にある
鳩の羽拾い撒きたる石崖に風は舞い立ちふうわり戻る
風の中とけゆく羽を飛ばせども木陰の中にまた舞い戻る

ひりひりと焼けつく肌は木陰にて燃え尽きたかと鳩と戯れ
PAXと書かれた文字はカラフルに茶に緑にとネオンのように
蒼い屋根遠く眺めてたたずめば塀に座りし人らに紛れ
聖堂の白き天井眺めむれば惨劇一つここにもありき
空の星落ちてくるよな地響きはフランチェスコの見つむる壁に
笑みのない眼の光さえ冴え冴えと暗き御屋根の広がる下に
傷だらけアシジの町の裏通り重き扉の閉し並びたり
広き店飲み物だけが売られては誰も居ぬのにレジ待つ男

ダニエル書 3. 24-25

落書きはイタリア人の習慣と駅舎の絵文字車窓に眺む
坂道を延々とゆく途中にはガムの御籤の巻かれておりし
美しき空を詠めよと退廃はひねもすの文字うつつを眺む
儚くも苛立つ空の眩くも厳しき陽射し隠す雲なく
横切れば低きホームはすぐそこにあれども暗き階段下りる
遠回り好きなんだねとイタリアは客を乗せゆく細長き道
「日本語を話しているよ」と聞こえれば小さなおさげ前を歩きぬ

混迷は濃厚な影真昼かな照りゆく陽射し狭き歩道か
一列に並んで歩く真昼道寄り添う壁は切れることなく
ウンブリア壁の向こうに広がるかランチタイムとピザの匂いと
撃ちつける陽射しまぶしきウンブリア夕闇を待つ午後8時なり

ひたすら暑いという記憶しかない。雨も霧もない。夏。
教会入ると、真っ暗闇。
買ったとたんにアイスが溶ける。冷蔵庫もエアコンもない部屋。
暑いピザ屋の店内。真夏のストーブみたい。しかも窓もない。

扇風機入り口置かれ熱風をくるくる回す窓のない店
融けだしたアイス受け取り財布からコインを探す制限時間
ぐったりと通りの椅子で待ちたれば忘れた頃にメニュー持ちて来
鉄道はたくさんあると言われてはタイムテーブルしばらく見つめ
茫洋とラテン時間のひねもすは鐘に始まり炎天の夏
飛ぶか、鳩、そりゃないだろとパン撒けばいづこともなく集まり来る

ルカによる福音書 6. 27-36 敵を愛しなさい

炎天下浦島の子ら敷島の嵐を知らず陽に撃たれきぬ
炎天下浦島の子は母の顔二倍膨るる姿を知らず
濃厚な陰道歩く思いする炎天の陽を避けて通れり
殺伐と思い寄するか高き天地には伏す人転がっており
天井の白き空洞ながむれば光と闇とおとづるるまま
薄氷の希望のみちをあゆみつつ炎天下とは、炎天下なり。
壁のみち落書きながめあゆみつつこころのペンで翻訳しせり
しあわせの落書きながめ落書きは罪なくもあり罪深くあり

ぐわっ、朝からカキコが入っている・・・

ホセア書 5. 18-19

純粋に詩歌の好きな人たちだけって言っとるだろうに・・・また恥かくかな。悩む。
はっきり言おう。鬱々するから・・・


◇ご返歌
雨の降るしづかな野には尾花咲くうなだれ待つか雲間の月を
ロンドンの夏を思うか今日の陽は寒々として芝生の香る
茫洋の月日はめぐる彼方より新たな日々の訪れるかな
明日こそは新たな夢の広がるか旧き友さえつぎつぎ変わる
春薫る風の匂いに運ばるる散りゆく花を秋にてぞ思う

雨上がり小鳥の声の囀ればあいも変わらず名も無き君か
朝も鳴き昼をむかえて小鳥鳴く秋の庭には餌もなかりき

投稿者 Blue Wind : 02:18 PM | コメント (0) | トラックバック

November 11, 2004

囀りも朝の小言に聞こえたり静寂の中夜は明けてゆく

普通だったら、家庭がいやし。親元に帰ればほっとするのが普通。たしかにそういう一面はあったとしても、わたしの場合は、母の顔を見るともうダメ。たちまち反抗的になり、セロトニンが失われていく。人によってはそれが父親だったり母親だったり、継母だったり、腹違いの兄弟だったり、はたまた舅、姑だったり、いささかそういう違いはあるものの、他人のほうがまだましというケースはめずらしくない。夫婦だったら離婚すればいい。もともと他人だもの。が、しかし、肉親となるとそういうわけにもいかない。

恋愛は楽だ。親は入って来ない。ところが結婚すると、きちんと親がセットされてしまう。
姑さんが来ると、ダンナの鬱々が始まる。うちの親が来ると、わたしの鬱々が始まる。ある意味似た者同士だから一緒にいられるのかもしれない。
ダンナの姉は、一人は子ども無く夫婦で無人島へ行ってしまう。もう一人は近頃大きな犬を2匹飼い、行くと姑さんは部屋からも出られない。うちの弟は母親思いではあるが、それゆえに母とは犬猿の嫁。ああなると誰も近寄らない。それが彼にとっての平和なのかも。

皆、自分を救うだけで精一杯。

ルカによる福音書 6. 20-26 幸いと不幸

まあ、いいか・・・どこも家庭の中はハッピーだから。
愛に飢えているから、自分の世界を守るために必死。

マイホーム親から離れマイホーム苦労はしても独立を得る
ささやかに離れ小島を求めては大家族にて暮らす人ら見
一時期の震災離婚流行たる雲行き遥か今は新潟

スコールを走りぬければ天空は雲一つだに浮んでおらぬ
黒い波白い飛沫をなびかせてボートは走る一目散に
青い空透きとおる波もとむれば島をめざしてスピード・ボート
ビーチには焼けた人らの寝ておりし雨粒一つ知らないように

悲しみをとおりこしては病室は元気な人らの足音響く
寝ていても褥瘡だらけ動かねばなお苦しいと大きな機械
苦しみを知らぬ人らの明るさはカーテン越しの光のごとく
かごと渦沈みつつあれ終いには苛立ちながら電話で怒鳴る

退廃よ、カーテン越しに光る窓、空気のために開かれた窓
どうやって明るい気分で過ごせよか死のたちこめたぎこちない部屋
バタバタと元気な人の足音はうんうん唸る病人の前
死ぬのならひっそりとした窓の下生きているからリハビリ機械

退廃よ、生きて生きてとただ生きて苦しみだけがつきまとってる
畳まれたマットは誰を待っているゆきてかわるは寝ている人ら
慢性の寝たきり部屋におりたれば家族の顔を互いに知らず
急性期治る人らの寝ていれば見舞いの足の絶えることなく

もう何もしないでくれと言いたいが可愛い笑顔実習生かな
新しいリハビリ機械触りたるウキウキとした若き未来か
わが母をいけにえとしてさしだせば笑顔まぶしき働く人ら
未来とは彼らのためにあるものと明るくもあり失望もあり
断層はわれのことかと嘆きたる思いせし部屋立ち止まりたる

ヨブ記 24. 12

静かに死を待つという発想がないからね・・・若い人も老いた人も。何もしなければ明日の朝には死んでいる。だから、何もしないではいられない。なまじか自分の親だから、つまらないこと言えない。このジレンマ。
一生懸命やってくれているわけだ。礼は言えても文句は言えない。なんかじりじりしてしまう。胃ろうは大腸に負担をかけないから素晴らしいことだと説明されれば納得するしかない。リハビリも。生きているからやらねばならない。なんなんだ、このつらさ。自分の時は嫌だと思いながらも諦めている。ほんじゃ、親を番号で呼んでいるようなところに入れたいか?それもなぁ・・
死の臨床・・・・って意識もほとんどないのに。オンオフの世界。作業の邪魔っぽい。
世の中には抗生物質がないからというだけの理由で泣いている人たちもいるというのに・・・このいやしのなさ。神さまにお願いする前に、可愛い笑顔の実習生がやって来る。明るいよ。明るすぎてぎこちない部屋。

ぶらさがる管の数だけ数えても色を見ないと区別はつかぬ
ほいほいと次から次と新しい業くりかえし泣く暇はなし

国にお金が無くなったら、誰かわたしのために泣いてくれるだろうか・・・諦めよう。

断層の静かに眠る胸のうち眠れぬ夜は避ける病室
ひねもすは眩しき闇の披きてはパジャマのために通いゆくなり
ストレスで倒れたいのはわたしだと言いたいけれどタフに生まれし
神経の刃物のように包みゆく主治医の視線互いに逸らし
管の数箱の数など増えゆかば薬の袋また増えており
誰がために増えてゆくのか投薬の袋の数だけパジャマ買い足す
神戸では姑さんがおもしろく元気よさそに家事をしており

コリントの信徒への手紙 一 15. 12-34 死者の復活

だって、薬の数が増えているのに、何もしないって思われたら悔しい・・・

もうダメだ。ストレスで倒れそうだ。元気ですけど。
理屈でも理解しているし、一生懸命によくしてくださっているのもわかるし、これで不満を言われたほうは怒るような気がする。それがふつう。

やっぱ、まめに病室へ行ったり、物資を届けたりしていると、安心感があるのかも。目に見えるから。管も薬もリハビリも。

常識仮面。

ほとんど来ないって悪口言われて昼寝しているほうがまだ救われそう・・・
愛がないというのは憐れみもない。

蹲る貝殻のなか入りたいぱくぱく波を吐き出すあさり
海の泡飛沫の中に紛れ込み砂に潜りて波に消えゆけ
愛のない苦しみは生む愛せない苦しみの海飲んで吐き出せ

囀りも朝の小言に聞こえたり静寂の中夜は明けてゆく

鐘の音の朝が来たれば石の壁冷たくもあり小さな窓辺
旋回す鳩の消えゆく壁の穴雨降らぬ空照りつくす道
木陰にぞ涼しき夏のありにけり熱の病の大地つづきぬ
岩面の憐れみのなか照りかえす半の影踏み並んで歩く
雑踏も紛れゆく鐘聴こえれば誘われて犬店先に寝る
生温き噴水の水教会の水の色似て音なくもあり

朝。

ホセア書 9. 7-9 預言者への憎しみ


◇BBS詠
透かし雲ドラマティックに広がればいろどる秋は風に飛ばされ
スコールのまきちらす雲黒黒と島をのみこみ影のみぞある
透かし日のうつらうつらと茜雲昼の3時に君の面影

投稿者 Blue Wind : 02:51 PM | コメント (0) | トラックバック

November 10, 2004

白猫のオトを見下ろす姿には箱入り娘の高慢さあり

流行歌ながむるように歌を読むいくえいくえに流れゆく音
いやしから遠ざかりてはカタコトの英語のようなトランポリンか
バウンドの法則の中揺られてるこころの渦は熟練知らず

秋空は晴れてはいても午後の陽の落つるまぶしさ避けつ走りつ
屍をながむるような母の手にまだぬくもりのある不可思議さ
リハビリの機械は置かれ人は増え邪魔者となるわれという人
癌の時叔母に涙すわたくしは母の屍満月をみる
おびただし衣類の数を捨て去りし今はパジャマを買うて虚しき
母の世話よろこばれては虚しさの残る気がするうすき憐れみ
吸引の手袋箱を買い足せば他人任せと吾は母の子
わたくしの母は叔母かと何となくそういう気する迷子のこみち
まあちゃんのお母さんはちゃあちゃんと説得されて実感のなき
ぬくもりを叔母にもとめて手を引かれ歩いた道は今は幻
東京にわたしの家はあるのよと札幌の家逃げ出したくも
母の側二人並んで座るより独り歩いて海を越えたい
たんぽぽに願いをかけてむなしくも巨大な花輪いくつもつくり
母の側ひとりぼっちの苦しみは遠くの家族儚くも消え
幼き日孤独の陰は綿帽子母を母だと他人が語り

もうそれは過去のことだと人は言いわが胸のうち静止したまま
幼子の母をもとむるせつなさは母あらざりし母をもとめし
悲しさよいくえの罪を重ねるか波うちよする浜辺のように
退廃は水面に映る満月にぽっかり空いた暗き細波
過去はもう静止したまま戻らぬも刻々として時計は回る

幸せな家族の中で育ったと不可思議に思う家族写真か
バカヤロー叫びたいのはわたしだとこころのなかで義妹に語りき
義姉さんは娘なんだと言われても釈然とせぬ言い訳さがす
諦めて世にならいては親の世話理屈っぽくも割り切ってせし

なんか、ややこしいわたしというひと。

従妹らと姉妹のように暮らしては誰が母かと戸惑い忘れ
あの人が母親なんだと言われては貧乏くじを引き当てたよう
燦然と輝く母は他人かな悩みて育つ恨み言あり
セロトニン沸沸として泡となり母親だけがそこに寝ている
理屈ではあの人が母こころでは認めざりしとわがままの出づ
実の母継母なんだと言ってくれまだ救われる気がしておりし

親の世話が嫌なのではなく、母の側にいるのが嫌。

こんなとき手首を切ると言っていた友の言葉を思い出したり
赤い血に弱きわたしはまだましか理性の中で救われている
不幸にも慣れてしまえば虎の穴涼しい顔で浮遊を待ちつ
闇の中わたしのことを善人と言わないでくれセロトニン失せ

なんか、もううんざり。死にそうな退廃。

エゼキエル書 39. 17-21

腹の底では猛烈に拒絶反応が・・・
一番泣きたいのは母だろう・・・あの世で神さまに言ってくれ。
わたしは知らん。

それでもこれだけしているというのは、ほとんどナルシズムにも似ている。
ぼこぼこに蹴っ飛ばしたりしているほうがまだ素直な気がしてしまうくらいだ。
暴走族とかなぁ・・・・・なんかうらやましい。
冷蔵庫持って行った兄ちゃんたち、元気にしてるだろうか。
木更津に帰れば総長か・・・なんか笑ってしまう。あんなにおとなしいのに、世の中はわからん・・・
あなたたちがいるから、わたしはすくわれた。なんかへんだな。

がんがんに風切り走る轟音に爽快感の蹲る夜
卒団を済ませたからとハーレーの借金地獄迎えておりし
二十歳ではおじさんなんだと言い訳し働く顔に幼さのあり
クレーンなら金になるよと婿になり嫁は十代子どもは二人
がんがんに走りぬけたか十代をまぶしき二十歳成人となり

なんか、成長しとらんね、わたしは。

ヨブ記 26. 2-4

家を飛び出しても親の金。

ひねもすをつまらぬ歌を詠んでいるつまらぬわたし鬱々といる
颯爽と風切るように女神にもなれないからか平凡な主婦

もういいよなぁ・・・・・が、しかし、このまま死ぬのだろうか。
なんでもいいや・・・・どーでもいい。

ぼこぼこぼこ。老人虐待。ぼこぼこぼこ。げほげほげほ。
医療というのは虐待にも似てるね・・・あのようにまでなると。
脳を開けて、首に孔を開けて、胃に孔を開けて・・・・点滴して、注射の跡だらけ。年中、痰が絡んで吸引。首から鼻から。排泄も自力では無理。そのうち酸素マスク。
ヨブだらけの世の中になってしまった。
あんな状態なのに、リハビリ・・・行っても邪魔みたいだからすぐに戻る・・・
あれ、親だからまだしも、娘だったらかわいそうで見てられない。のに、あれが素晴らしいらしい。世の中どーなっているんだろう。
娘だったら点滴していてもかわいそうなのに、年寄りなんて風邪程度でも点滴してほしいと言う。ニーズが違うから仕方ないのかも。荷物運んでいるほうには大変ですねと言ってくれても、患者はあれが当たり前。

もう、年寄りが病気になってもかわいそうだとも思わなくなってしまった。赤ちゃんなら熱を出しても点滴してもかわいそうなのに。若い人が死んだらショックなのに、年寄りが死んでも当たり前。当たり前か・・・

失って悲しいいのちいくつある、の世界だな・・・

マルコによる福音書 10. 13-16 子供を祝福する

おちびやオトぴょんのほうが可愛いのだから仕方が無い。


◇時空詠歌
亡き妻の忘れ形見をそっと抱く夫の愛娘老いた白猫
きらきらと眩しいような秋の庭オトは吠えたり柵の内側
白猫のオトを見下ろす姿には箱入り娘の高慢さあり

投稿者 Blue Wind : 03:23 PM | コメント (0) | トラックバック

November 08, 2004

薬すら意味なくもある夏の日を知らぬ人らの秋の花園

屍になって生きよと神さまは寝たきりの母高熱与う
今はまだ抗生物質効いている母はまだまだ元気な証拠
薬すら意味なくもある夏の日を知らぬ人らの秋の花園
細々と衰えゆくは手足かな軽く動かし苦痛にゆがむ
オムツより先に無くなる吸引の手袋をみて容態を知る
まっすぐに上を向きたる屍の浮んで消えゆ母は横顔
こうやって上に向けよか悩んでるわたしは何を考える人
三色のパジャマを買って眺めては黄はババアだと考えている
おおげさな熱のしらせにおどろかぬわれは冷たき胎内にあり
弟にメールを書くか考えて慌てぬ秋は五年の月日
母の呼ぶ叔母の来たれば熱よりも時は近しと覚悟を決める
今はまだ大丈夫だと叔母ちゃまは一人つぶやき誰と話すか
弱まれば吾子に訊く吾変わりもの確信満ちた子にすくわるる
虫の音の誰に歌うかひねもすは透明な糸つながれており

エレミヤ書 30. 15-17

こんこんこん こころのドアをノックする憐れみ深き人らの季節
あなたにはあげる愛などありませぬ餓死寸前はあたくしのほう
嫌がらせ誹謗・中傷下駄の音もうこれ以上やめておくれよ
不幸なら夜空の果ての神さまに文句言ってよ星の数あり
不満なら一票持って投票に蹴飛ばしたとて足痛むだけ

なんか、もう、うんざりだよなぁ・・・
みんな死んじゃうから、あたしは今は叔母ちゃんにしがみついている。
そういう弱い人にいやしを求めないでほしい。

ルカによる福音書 22. 1-6 イエスを殺す計略

イエスが死んだ後のことを考えていたわけだ・・・ユダは。
アッシリアやエジプトに救いを求めた罪。
ある意味、普通の人なんだよね・・・すごくまともな人のような気がする。

自衛隊義務を果たすか同盟のかたき絆とユダの裏切り
サマーワのキャンプの様子メルマガは伝えていたが治安は悪化
じゃがいもを煮ながらイラクかんがえる夕餉の時間吾子を送りき
愛薄き時代の秋はよわき叔母夕餉の仕度生き甲斐と言う
リウマチで太き関節曲がらぬも包丁持つが握力の愛
すこしずつ支えられてはともしびの激は飛びゆくかすかな光

ルカによる福音書 17. 20-21

投稿者 Blue Wind : 06:10 PM | コメント (0) | トラックバック

November 06, 2004

とんかちで卵の殻を割るような神の憐れみひよこは孵る

◇時空詠歌
蝶の羽ひらひら二枚舞いたれば葉隠れのなか一枚になる
舞ふ蝶をながむるやうにきららかにひざしまぶしき静かな秋よ
蝶よ、蝶、まぼろしなのかいづこから訪れ去りしいづこの空へ

無為という月日のなかでこれほどに顔の見えない戦のつづく
妄想の極みつきたる運のつきいつまでつづく息ながき息
ひまつぶしネットの闇につきあえばあそびうたなど詠んでたのしむ
半月のほかり浮んだ夜空には明日みる夢のないうさぎおり
わが母もパジャマを着てかリハビリに曲がらぬ体いかにせんかと
特注の車椅子です母のため座ることって大変なのね
無為という不安に怯え生きるよりふたたび空をみあげる日まで

母のリハビリを始めてくださるそうです。体が硬直しているから、普通の車椅子では座れない。椅子が完成するまでしばし時間が。パジャマを着て車椅子・・・・夢のような話。

使徒言行録 10. 19-20

神の愛無為に流るる年月の後に知るらんわが生きる意味
何のため生きているかと思えどもこたえなき空うつろい変わる
あの空は日替わりメニュー明日には逢えない雲は幻なのか
あの空はいつもあるよな空だけど明日には明日の空が広がる
ひねもすはうつろいゆかば空の雲わたくしもまた浮んで消える

若者のイラクに消えたいのちにぞ刻まれる時深々とあり
わが母の無為に生きたるひねもすを淡々としてうたに詠えり
リハビリにビーズ・クッション買いゆかばイルカ売り切れはがゆくぞ思う

文字打つも難き年寄りくりかえす電子のいのち誰に与えり
”creator”憎しみ込めてキーを打つ文字の羅列に妄想地獄
誰のこと想いつのりし電子文字淡々として現れる文字
アバターの映る姿の不可思議さ一方通行戻りみちなく
アバターを描いて姿もとむれば戻りみちあれジーザスの愛
アバターを描いて姿もとむれば青青とした贈り物あり
あのパワー電子文字に託すなら神を愛するリアリストかな

コリントの信徒への手紙 一 4. 1-5

なんか、こう、あの壮絶さがあったから、わたしは幸せなのかも。単なるアバターに対してのあの執着、怨念、憎しみ、呪い・・・嫉妬。本物なんだよね・・・対象以外の精神ってやつは。「仮想敵国」とはよく言ったものだと思う。アメリカが憎いから自衛隊が憎い。自衛隊が憎いから何の関係もない人をあっさり殺す。わけわからん。
その逆も真なのかも・・・

あの人もこの人もみなイエスさまと言い切っているマザー・テレサか
アバターを星に見たててながむれば青い空には白い月かな
窓の外雲に浮んだお月さま真横に眺め飛行機は飛ぶ
あれも愛これも愛だと喜んで空から届く青い地球儀
ほっかりと地より湧きいづ平和には無という世界誘うような
輝きの似合う丘にはオリーブの木陰に沈む一休みかな
きらきらと光る丘には大きな手広げて彼は愛という風
きらきらと光る丘には一瞬のまぼろしのごと愛の春雷
光にぞ打たれて彼は大いなる光瞬く雷光のよう
春雷ぞ打たれて光溢るるはみちみちてゆくこころとそらと
大いなるタイムカプセルながむれば幻の夢わが眼にうつる
幻と言うなら言うてかまわない一瞬の夢知識の邪魔す

コリントの信徒への手紙 一 1. 4-9

知識の見せた幻なのかも・・・否定するなという。

神さまとお話をするひねもすは無為かまぼろしわれにも知れず
ヘンな奴自嘲気味につぶやけば上には上がいることを知る
天空のタイムカプセル受け取れば巨大な空はいつぞ現る
つもりゆく言の葉の海潜りたる区切りをいつと語れぬ水面
あきめくらキャンバスの色みまごうかちしきの絵の具つかえというか

たしかに立体感に欠けるかも・・・かんがえよう。ちかごろ勉強嫌いだから・・・なまけてるね。

ホセア書 8. 7-14

とんかちで卵の殻を割るような神の憐れみひよこは孵る

投稿者 Blue Wind : 04:10 AM | コメント (0) | トラックバック

November 04, 2004

被災地の米倉まもる連携はあらし吹き去る田畑に浮び

張り紙の裏返りたる募金箱口塞がれて隠れておりし
中越の地震の倉を襲いたる盗人ありき被災の跡地
くるま中動けずにして死に至るずっしりとした心労の水
混濁の疲れた渦の巻きたれば神戸の義母はテレビ観ており
激流をながむるような敷島は蓄えられて米はまだあり
混濁をながむるような激戦区大統領選映る敷島
家族して外貨レートをながめてるシンガポールを思う秋の日

なんか、疲れる。どっちかにしてほしい。

エゼキエル書 20. 18-26

被災地の米倉まもる連携はあらし吹き去る田畑に浮び
台風に打ちつけられた水害は忘れ去られし地震の陰に
ふつふつと静かな不満みえざりし今年の夏の置き土産かな
イラクには流れないからジェンキンス今がチャンスと恩赦を待ちつ
しあわせを願ってみてもふつふつと不満の種は蒔かれてゆかむ
ボクサーを夢見て彼はイラクへと最期の夢を悪夢にたくす

イザヤ書 34. 8-15

明日のない希望の森は魔の森と闇につつまれゆっくり生きる

赤と青海のない赤ブッシュへと傾きゆくを保守と呼ぶのか
青ケリー海岸線は危険地帯テロを恐れて青青とする
赤ブッシュ内陸をゆく大陸は空も領地と爆弾は外
戦争もテレビ放映されているドキュメンタリー地球の裏か

張り紙を元に戻して音を聴くコインの響き鈴の音のよう
ささやかなジュークボックス流れれば混みあう店をあしばやに去る
善と悪ささやかにして喧嘩するスーパーに箱ひっそりとあり

ホセア書 5. 1-7 イスラエルに対する審判

権力を揺るがすように一票を競り合うごとくコインは積まれ
選挙戦ベトナム・イラク変わらぬも明日の朝までちいさな維新

投稿者 Blue Wind : 04:14 AM | コメント (0) | トラックバック

November 03, 2004

みこころに小指一本引っ掛けて雲見あげれば問う風のあり

何が不満かわからない病が始まってしまった。

すやすやと子どものように眠りつく母の顔みし吾子と並んで
知らぬ間に洗濯物の仕舞われた箪笥の中を驚きまどふ
PCの蓋を開けたり殺伐と冷えゆく思いぼんやりと出づ
わたくしは幸せなんだと思いいづネットの闇に鬱々となる
水底のさびしきおもいわきたればビル・エヴァンスも冴え冴えひびく
うたことば眺めてすごすゆううつにつぎつぎと咲く薔薇の花みし

迎合のゆくすえ遥かひねもすはうたかたの夢古今に飛びし

拍子抜け母引き取りしこと姑に告ぐは明るき声の響きぬ

マラキ書 3. 24 (旧約聖書さいごのページ)

人言に戸惑いゆかば薔薇の花秋風をうけ凍れる日まで
強風に不幸の海の波音は激しくもなり荒れ狂う空
これという怒れることのない日々は理解むなしき人らを忘れ
幸せの土台の上に立ちたればタカピーという言葉が似合う
あれこれと不幸の種を蒔かれては鬱蒼とした木立のごとく
ジーザスに小指一本引っ掛けて気まぐれな空見あげれば晴れ
マラキ書の最後のページ開きては破滅の園を行ったり来たり

これからが大変なんだと中越は揺れとどまれば雪の季節に
深き雪しづしづとして降り積もる静かな夜は退避をもとむ
美しき雪の降る夜はしづしづと春を迎える戦いの日々
わざわいは傷跡のこし忘らるる思い捨て去り降り積もる雪
わざわいの季節の中はそうぞうし工事現場の埃渦巻き
十年と五年の月日数えれば子どものような母の寝顔か
ひねもすは無為に流れて刻みゆく時計の針は同じ方向

ローマの信徒への手紙 1. 16-17 福音の力

みこころに小指一本引っ掛けて雲見あげれば問う風のあり
ささやかに芝生の匂い運びたる風薫る日はいつもの景色
壁ありき巨大の空に浮びたる迷い雲さえ小鳥の羽音
昼と夜同じ時間に隔ててるシュールな壁は色もなかりし
信号機狭き空さえ点滅を知らせるようなビル間の雲よ

並木道森になっては大変とおおげさなほど高く刈られり
竜のひげ並木の下に伸びゆけど幹はひょろりと枝もなかりし
台風で木が倒れても知らねえと言わんばかりに看板のあり
つくばねの並木のみちもさむぞらに凍えたような串焼きの葉か
走るみちものたりなくも信号はつぎつぎとすぎ落ち葉も浴びぬ

ふふみたる文字を追うより風を追う目線は遠く神に出会いし

エレミヤ書 4. 13-14

『エルサレムよ
あなたの心の悪を洗い去って救われよ。』

救い、の意味がわかった。
ちょっとしたことに救われる、けど、どうして救われたと思うのか自分ではうまく説明できない。
母の寝顔とか姑さんの明るい声とか、竜のひげが伸び放題なのにひょろりと枝を切られた木とか。なんとなくつまらないことに救われるから、よくわからないのかも。

なんか、こう、つまらないようなことなのよね・・・救いとは。なんておおげさな響き。

オトぴょんのうるうる眼とか。単に眠いだけなんだろうけど、救われてしまう。

はらわたが煮えくりかえっているようなときでも、ひょいと救われる。ひょいひょいひょい、ひょいひょいひょい・・・どちらかといえば、ぶったり蹴ったり叩いたり殴ったり皿投げたいくちなのに、ひょいひょいと自分だけ救われてしまう。なんであの人いつまでも怒ってるんだろう、と言われたほうは救われないのかも。

ひょいひょいひょい。
かんがえよう。

コリントの信徒への手紙 一 16. 1-4 エルサレム教会の信徒のための募金

世の中、今、募金箱だらけ。

雪の日の凍える前に青白き雪愛でたくば鬱箱に入れ

投稿者 Blue Wind : 04:28 AM | コメント (0) | トラックバック

November 01, 2004

あらくさの季節も終わる冬のみちしらかしの枝さむざむとする

燃えたちてテロ撲滅と言われては怒りの炎揺すられる風
くすぶりて中越地震おさまればきつい冬さえ今はまだ秋
イラクへと旅立つ勇気あるのならボクサーというジャングル・ジムか
中越はレスキュー活動伝えるがイラクは遠くブラック・ボックス

鬱蒼と曇りゆく日はジャズ借りに有効期限切れたカードで
また一年延長しては通いゆくCDショップは模様替えされ
明るい黄少し暗い黄オレンジの合間の色は熟れすぎみかん

ロケット弾なのかもしれぬ武装車は積み荷を運びいづこへ向かう
闇夜にぞ映る夢想は武装車の続々とゆく中央アジア

アイス・チャイ思い出しては飲んでみるミントの味のミルクティーかな
シナモンをたっぷり入れて冬を待つ夏はまだかと気の早い秋
あらくさの季節も終わる冬のみちしらかしの枝さむざむとする

フロリダは今も明日も夏なのと大統領選お祭りのよう
ボランティア国境越えてやってくるパキスタンから新潟までと
義援金インタビュー聴くハングル語映し出される敷島の山

曇り空遊ぶ雲さえなかりしは覆われた空雨降るばかり

コヘレトの言葉 8. 9-10

人間が人間を支配しているから、戦争になる、のか。わかりやすい。

支配者の手を逃れてはイラクへと旅立ちゆかばテロリストあり
自由などどこにもないと憂鬱は哀悼のそら腹の底煮ゆ
体制の批判するよに嫌がらせ鳴り響いてる腹立ちまぎれ
あんたなど反吐が出るほど嫌いなの大文字にして顔に書きゆけ
文字にして叫んでみてもものがなし言の葉のないサウンドを聴く

いにしえに旅立ちゆかば言の葉はひっそりとして聖書にありき

ヨハネによる福音書 19. 1-16

お〜い、ジーザスかついでまた戦争やってるぞ〜♪

くりかえしくりかえしつつ懲りもせずあきらめないでいくさはつづく
復興の支援するのに街中を歩けないほど欺瞞はつづく
自衛隊イラクは捨てろ苛立ちのつのる日々にも石油の値上げ
諦めよう。お茶でも飲んでひねもすを気分転換雨の降る庭

ヨブ記 30. 9-19

なんか、これからが大変なんだろうな・・・

イスラム教は平和な宗教だって一生懸命にPRしてる。あっちもこっちもみなおなじ。

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