November 17, 2004

音のない落雷なんて降る雪の遠くに光る静けさのよう

三日月のなぜに浮ぶか森のうえ大きな弓の黄色く光る
西日さす窓の光は煌々と森へのみちをつくりたまいし
森のうえ落ちる夕陽の燃えたてば三日月浮ぶ森のうえかな
混在す時間の中で輝きは遮られてはひねもすはゆく
はろばろと浮ぶ月などながむればオレンジ色の夕陽の欠片

校庭を真上にながむ吾子の絵にシュールな影の見え隠れする
鳥の目の木を越えゆかむ校庭をまうえにながめ四方の風吹く
くるくると旋回するは空のうえ小鳥のようにながめる大地
小鳥には小鳥の世界広がるか空飛びゆかばますぐにぞ見る
空からぞ射す光には佇みし吾の頭の見えるばかりか
屋上で風に吹かれてまほちゃんは黙々として絵を描きおりし

ルカによる福音書 4. 1-13 誘惑を受ける

校庭の絵、か。

黙々と自由な空の広がれば青き緑と黄色の土に
屋上にスケッチブック持ちゆかば風の中にも光ただよう
黙々と絵を描きおりしまほちゃんに蒲公英畑吹く風を想い

暮れゆかばひねもすはゆきすみやかな時の流れにみまごうばかり

エネルギー保存されてはひねもすを沈みゆく陽に燃やされている
ふつふつと怒ってみても退廃は疲るるばかり泡立つばかり
いつの日か泣くことあるかまほちゃんにタイムカプセル渡したくもあり

吾子の絵にいやされてなおへぼ歌人迷子のこみち迷いゆくかな
脳内をくるりんとして素直さは学びのみちをむなしくもする
吾子になり素直になって飛びまわる小鳥のような絵を描きまおし

ランボー、ピカソ、中原中也 対 アンジェリコ 的図式。
エッシャー的アンジェリコ。
なんか、もう、むすめにもかなわない。なさけなか。

コリントの信徒への手紙 一 4. 10-21

どうやったらあんなに素直な感性が育つんでしょうね・・・ってあたしが母ではないか。親でもわからん、子のことは。

ひねひねと獅子の洞窟育ちたる垣間見し夢吾子に求めり
青青と闇の広がる空見れば三日月浮ぶ森のうえかな
ロッシーニ歌いて春はいくたびかめぐれど愛はなお静かなり
あれほどに静かな愛はなきものと泡立ちぬ今遠のくばかり
音のない落雷なんて喉の奥胸につかえた言の葉のよう
ああつらいなんかつらいと言の葉はひらひらひらと舞い散る落ち葉
音のない落雷なんて降る雪の遠くに光る静けさのよう
音のない落雷なんてため息の微かに落ちる公園のよう
先走る気持ちの中で音のない落雷の音胸に抑えり
あの音をイメージしろと神さまは音もないのに稲光見せ
青闇に小さく光る落雷は轟きもせず厚き雲間に

なんか、つらい。なんか、つらい。がんがんに音が鳴るほうが普通だ。

コリントの信徒への手紙 一 15. 36-42

言の葉のととのわぬうち聖書には見慣れた言葉並んでおりし
一つ一つ言の葉生まれ一つずつ言葉となりきくりかえす波
鳴声の分かれているか庭の鳥何のためにぞ囀り歌う
今のわれ鳴声もなく歌う鳥落っこちそうな巣穴の中で

2万首いく頃にはましになるかな。わからん。

箴言 25. 13-14

箴言のこのセンスのよさ。
わかりそうでわからないところがすごい脈絡。

投稿者 Blue Wind : November 17, 2004 06:33 AM | トラックバック
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