November 03, 2004

みこころに小指一本引っ掛けて雲見あげれば問う風のあり

何が不満かわからない病が始まってしまった。

すやすやと子どものように眠りつく母の顔みし吾子と並んで
知らぬ間に洗濯物の仕舞われた箪笥の中を驚きまどふ
PCの蓋を開けたり殺伐と冷えゆく思いぼんやりと出づ
わたくしは幸せなんだと思いいづネットの闇に鬱々となる
水底のさびしきおもいわきたればビル・エヴァンスも冴え冴えひびく
うたことば眺めてすごすゆううつにつぎつぎと咲く薔薇の花みし

迎合のゆくすえ遥かひねもすはうたかたの夢古今に飛びし

拍子抜け母引き取りしこと姑に告ぐは明るき声の響きぬ

マラキ書 3. 24 (旧約聖書さいごのページ)

人言に戸惑いゆかば薔薇の花秋風をうけ凍れる日まで
強風に不幸の海の波音は激しくもなり荒れ狂う空
これという怒れることのない日々は理解むなしき人らを忘れ
幸せの土台の上に立ちたればタカピーという言葉が似合う
あれこれと不幸の種を蒔かれては鬱蒼とした木立のごとく
ジーザスに小指一本引っ掛けて気まぐれな空見あげれば晴れ
マラキ書の最後のページ開きては破滅の園を行ったり来たり

これからが大変なんだと中越は揺れとどまれば雪の季節に
深き雪しづしづとして降り積もる静かな夜は退避をもとむ
美しき雪の降る夜はしづしづと春を迎える戦いの日々
わざわいは傷跡のこし忘らるる思い捨て去り降り積もる雪
わざわいの季節の中はそうぞうし工事現場の埃渦巻き
十年と五年の月日数えれば子どものような母の寝顔か
ひねもすは無為に流れて刻みゆく時計の針は同じ方向

ローマの信徒への手紙 1. 16-17 福音の力

みこころに小指一本引っ掛けて雲見あげれば問う風のあり
ささやかに芝生の匂い運びたる風薫る日はいつもの景色
壁ありき巨大の空に浮びたる迷い雲さえ小鳥の羽音
昼と夜同じ時間に隔ててるシュールな壁は色もなかりし
信号機狭き空さえ点滅を知らせるようなビル間の雲よ

並木道森になっては大変とおおげさなほど高く刈られり
竜のひげ並木の下に伸びゆけど幹はひょろりと枝もなかりし
台風で木が倒れても知らねえと言わんばかりに看板のあり
つくばねの並木のみちもさむぞらに凍えたような串焼きの葉か
走るみちものたりなくも信号はつぎつぎとすぎ落ち葉も浴びぬ

ふふみたる文字を追うより風を追う目線は遠く神に出会いし

エレミヤ書 4. 13-14

『エルサレムよ
あなたの心の悪を洗い去って救われよ。』

救い、の意味がわかった。
ちょっとしたことに救われる、けど、どうして救われたと思うのか自分ではうまく説明できない。
母の寝顔とか姑さんの明るい声とか、竜のひげが伸び放題なのにひょろりと枝を切られた木とか。なんとなくつまらないことに救われるから、よくわからないのかも。

なんか、こう、つまらないようなことなのよね・・・救いとは。なんておおげさな響き。

オトぴょんのうるうる眼とか。単に眠いだけなんだろうけど、救われてしまう。

はらわたが煮えくりかえっているようなときでも、ひょいと救われる。ひょいひょいひょい、ひょいひょいひょい・・・どちらかといえば、ぶったり蹴ったり叩いたり殴ったり皿投げたいくちなのに、ひょいひょいと自分だけ救われてしまう。なんであの人いつまでも怒ってるんだろう、と言われたほうは救われないのかも。

ひょいひょいひょい。
かんがえよう。

コリントの信徒への手紙 一 16. 1-4 エルサレム教会の信徒のための募金

世の中、今、募金箱だらけ。

雪の日の凍える前に青白き雪愛でたくば鬱箱に入れ

投稿者 Blue Wind : November 3, 2004 04:28 AM | トラックバック
コメント
コメントする









名前、アドレスを登録しますか?