November 10, 2004

白猫のオトを見下ろす姿には箱入り娘の高慢さあり

流行歌ながむるように歌を読むいくえいくえに流れゆく音
いやしから遠ざかりてはカタコトの英語のようなトランポリンか
バウンドの法則の中揺られてるこころの渦は熟練知らず

秋空は晴れてはいても午後の陽の落つるまぶしさ避けつ走りつ
屍をながむるような母の手にまだぬくもりのある不可思議さ
リハビリの機械は置かれ人は増え邪魔者となるわれという人
癌の時叔母に涙すわたくしは母の屍満月をみる
おびただし衣類の数を捨て去りし今はパジャマを買うて虚しき
母の世話よろこばれては虚しさの残る気がするうすき憐れみ
吸引の手袋箱を買い足せば他人任せと吾は母の子
わたくしの母は叔母かと何となくそういう気する迷子のこみち
まあちゃんのお母さんはちゃあちゃんと説得されて実感のなき
ぬくもりを叔母にもとめて手を引かれ歩いた道は今は幻
東京にわたしの家はあるのよと札幌の家逃げ出したくも
母の側二人並んで座るより独り歩いて海を越えたい
たんぽぽに願いをかけてむなしくも巨大な花輪いくつもつくり
母の側ひとりぼっちの苦しみは遠くの家族儚くも消え
幼き日孤独の陰は綿帽子母を母だと他人が語り

もうそれは過去のことだと人は言いわが胸のうち静止したまま
幼子の母をもとむるせつなさは母あらざりし母をもとめし
悲しさよいくえの罪を重ねるか波うちよする浜辺のように
退廃は水面に映る満月にぽっかり空いた暗き細波
過去はもう静止したまま戻らぬも刻々として時計は回る

幸せな家族の中で育ったと不可思議に思う家族写真か
バカヤロー叫びたいのはわたしだとこころのなかで義妹に語りき
義姉さんは娘なんだと言われても釈然とせぬ言い訳さがす
諦めて世にならいては親の世話理屈っぽくも割り切ってせし

なんか、ややこしいわたしというひと。

従妹らと姉妹のように暮らしては誰が母かと戸惑い忘れ
あの人が母親なんだと言われては貧乏くじを引き当てたよう
燦然と輝く母は他人かな悩みて育つ恨み言あり
セロトニン沸沸として泡となり母親だけがそこに寝ている
理屈ではあの人が母こころでは認めざりしとわがままの出づ
実の母継母なんだと言ってくれまだ救われる気がしておりし

親の世話が嫌なのではなく、母の側にいるのが嫌。

こんなとき手首を切ると言っていた友の言葉を思い出したり
赤い血に弱きわたしはまだましか理性の中で救われている
不幸にも慣れてしまえば虎の穴涼しい顔で浮遊を待ちつ
闇の中わたしのことを善人と言わないでくれセロトニン失せ

なんか、もううんざり。死にそうな退廃。

エゼキエル書 39. 17-21

腹の底では猛烈に拒絶反応が・・・
一番泣きたいのは母だろう・・・あの世で神さまに言ってくれ。
わたしは知らん。

それでもこれだけしているというのは、ほとんどナルシズムにも似ている。
ぼこぼこに蹴っ飛ばしたりしているほうがまだ素直な気がしてしまうくらいだ。
暴走族とかなぁ・・・・・なんかうらやましい。
冷蔵庫持って行った兄ちゃんたち、元気にしてるだろうか。
木更津に帰れば総長か・・・なんか笑ってしまう。あんなにおとなしいのに、世の中はわからん・・・
あなたたちがいるから、わたしはすくわれた。なんかへんだな。

がんがんに風切り走る轟音に爽快感の蹲る夜
卒団を済ませたからとハーレーの借金地獄迎えておりし
二十歳ではおじさんなんだと言い訳し働く顔に幼さのあり
クレーンなら金になるよと婿になり嫁は十代子どもは二人
がんがんに走りぬけたか十代をまぶしき二十歳成人となり

なんか、成長しとらんね、わたしは。

ヨブ記 26. 2-4

家を飛び出しても親の金。

ひねもすをつまらぬ歌を詠んでいるつまらぬわたし鬱々といる
颯爽と風切るように女神にもなれないからか平凡な主婦

もういいよなぁ・・・・・が、しかし、このまま死ぬのだろうか。
なんでもいいや・・・・どーでもいい。

ぼこぼこぼこ。老人虐待。ぼこぼこぼこ。げほげほげほ。
医療というのは虐待にも似てるね・・・あのようにまでなると。
脳を開けて、首に孔を開けて、胃に孔を開けて・・・・点滴して、注射の跡だらけ。年中、痰が絡んで吸引。首から鼻から。排泄も自力では無理。そのうち酸素マスク。
ヨブだらけの世の中になってしまった。
あんな状態なのに、リハビリ・・・行っても邪魔みたいだからすぐに戻る・・・
あれ、親だからまだしも、娘だったらかわいそうで見てられない。のに、あれが素晴らしいらしい。世の中どーなっているんだろう。
娘だったら点滴していてもかわいそうなのに、年寄りなんて風邪程度でも点滴してほしいと言う。ニーズが違うから仕方ないのかも。荷物運んでいるほうには大変ですねと言ってくれても、患者はあれが当たり前。

もう、年寄りが病気になってもかわいそうだとも思わなくなってしまった。赤ちゃんなら熱を出しても点滴してもかわいそうなのに。若い人が死んだらショックなのに、年寄りが死んでも当たり前。当たり前か・・・

失って悲しいいのちいくつある、の世界だな・・・

マルコによる福音書 10. 13-16 子供を祝福する

おちびやオトぴょんのほうが可愛いのだから仕方が無い。


◇時空詠歌
亡き妻の忘れ形見をそっと抱く夫の愛娘老いた白猫
きらきらと眩しいような秋の庭オトは吠えたり柵の内側
白猫のオトを見下ろす姿には箱入り娘の高慢さあり

投稿者 Blue Wind : November 10, 2004 03:23 PM | トラックバック
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