October 31, 2004

透析をしているだけの弱い人強くみせてるゲリラ部隊か

ビンラディンさんもお元気そうで・・・
すごくわるい人なのかもしれないと思いつつ、嫌いになれない人の一人かもしれない。一つわかっているのは、彼が死んでもテロは無くならないし、世界が平和になるとは思えないということかも。愛されているってつよい・・・が、しかし・・・また、テロなんだろうか。終わらない。
逮捕しようとすればできるのに、しない。という噂は本当なのだろうか。アメリカもサウジも彼を裁くのを嫌がっているという・・・そりゃそうかも。テロ。英雄。ジハード。怖い。

ナホム書 3. 18-19

悪、か。

透析をしているだけの弱い人強くみせてるゲリラ部隊か
テロリストどこにでもいるイラクならいつのまにやら親分になり
悪という象徴の中真実はCIAの記録の中か
真実を知りたいだけの敷島は翻弄されて明日をも知れず
ビンラディン裁いてみれば困る人ほかにいるかと霧は広がる
透析をちょっと休めばあの世逝き裁くことすらたらいまわしに
真実はいつも隠され闇の中迷子のこみち吾は進めり

世界中が爆竹だらけになる。テロだらけ。誰がそれを収拾するのだろう。
ビンラディンを逮捕しないで、イラクに爆弾落とす・・・・わからん。
ほんでまたテロをするという・・・ますますわからん。

巨悪って大きすぎなの。わからない。昼寝しながら悩んでみても。

歴代誌下 6. 32-33

ブッシュでもケリーでもアルカーイダでもなく、「あなたたち」か。
彼が敵視しているのは幻影・・・

翻弄は浮んで消えたしゃぼんだまパチンとはじくパチンコ玉か
人間を数値に変えてながむればメディアでさえも書き換えられて
異邦人野をゆけというテロリスト日本人なら仏教徒なり
テロリスト教えてくれて敷島は仏教国といまごろ気づく
あなたたち勝手にやってわたくしは空気のように気ままに生きる

何なんだ・・・・この思考認識の壁は。

諦めよう。巨大な壁の現れて気ままな空は縮尺もない。
便乗す巨悪の壁はみちづれにいくたのいのち連れてゆくかな
無法地区がんじがらめの法のあり信号機さえ止めてしまうか
信号をのんびり渡る交差点昼と夜との自由競争

箴言 23. 17-19

罪人、か。
ああなると、たしかに神さまじゃないと裁けない・・・諦めよう。

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October 30, 2004

あっけなく会って別れて死んでゆくざくろの木の実揺れている秋

大腸癌取ってきたよとチャイム鳴る明るき声に救われる昼
苦しみはひっそりとしたICU目覚めた朝は二倍の時間
つわものよ、泣き言言わずひねもすを生きているよと挨拶に来る
次の日の約束などをしてみればめずらしいなとふと思いたる
笑顔さえ練習したなと疑えど知らん顔して手を振り別れ
ひっそりと暗い闇路をさまよえば明るい陽射し舞台のごとく
あっけなく会って別れて死んでゆくざくろの木の実揺れている秋

民数記 33. 1-4

臍の緒の微かにつなぐ六本木通りの隅は母の胎内
片隅にうずくまるよにすれ違うシーソーの音クルマの鼓動
残骸に積まれた闇をよじ登り生きていたかとつわもののよう
秋の日にざくろをみあげ話すとは長生きしたと思っちまうぜ
死ぬ日まで燃えていたいと太陽は紅く輝き勝手に落つる
闇夜には月が輝くその意味を何となく知る陽は見えなくも
指先に母の匂いのするような消毒液のしみいる月日
母の世話胡散臭げにやっているわたくしを見て笑える人ら
秋の日にざくろ見上げて笑い出すそんな気分の親の世話かな
親の世話二倍になっても変わらんとボランティアかな淡々と行く
親の世話五倍になっても変わらんとまとめてくれと言ってみたしも
三宅さん長生きしたと癌患者スタート地点並んで生きる
最長でどれくらいかと考えて老衰を思う気まぐれな息

エレミヤ書 50. 4-5

水平線迫ってきたかと太陽はおおげさなほどあかあかと燃え
高枝にしがみつくよなざくろの実嵐が来ても驚きもせず
大腸癌取ってきたよと微笑めば嵐の中は寝たきり患者
つわものよ、晴れた陽を浴び話そうと並ぶ尾花の静かに揺れる
やさしさも憐れみさえもむなしけれ陽を浴び揺れる尾花は咲けり
愛という言葉のなくも憐れみは粒子の中に飛び散り咲かめ
ポツポツとこころ閉したるひねもすはよわむしこむしはさんで捨てる
退廃に飽きてしまえばつわものの微笑み来る秋空の下
あかあかと落ちればいいさ太陽は明日があるならあかあかと出る

エゼキエル書 5. 7-13

くりかえし開く聖書のページには神の怒りの嘆きの歌ぞ

投稿者 Blue Wind : 05:27 AM | コメント (0) | トラックバック

October 29, 2004

やんわりと欺瞞は満ちて満ちあふれこぼれるほどに燃ゆるろうそく

若者よ、イラク国境越えてゆき魔がさすという意味を知りたる。
やわらかき眠りの中で現実は空の彼方をせまく飛び越え
新潟の豪雪地帯ふゆのまえほうりだされてさまよわば雪
テントさえやわらかきかな神戸では雪つもりたる冬はなかりき
難民よ、生きているから大変と一瞬の死のブルースを聞く
晴れやかな秋の空には茜雲うっすらとして美しすぎる
晴れやかな秋の庭には美しき小鳥の声の聞こえしものを
じわじわと制限時間あるような新潟の秋冬も近より
台風は予測できると言われても天気図ながめ静かな空よ

マラキ書 3. 17-18

関西は地震がないと言っていたリピートを聴く遥かむかしよ
日本には平和憲法あるからと雪祭り思う自衛隊かな
自衛隊被災地あるく隊員に爆弾飛ばす人はなかりき
イラクって外国なのと何となくとんちんかんに感じるイラク
復興にこんな大金つかっても石油は値上げ わからない秋
ふゆのまえ難民のよう新潟は住む家もなくゆきふりつもる
敷島のわざわいのなか彼波へとレスキュー送り爆弾もらう

やんわりと欺瞞は満ちて満ちあふれこぼれるほどに燃ゆるろうそく
若者よ、死の館へと招かれし真実をみて凍える砂漠
魔がさすという意味を知る砂漠には憐れみのない微笑みのあり

ひねもすは書類手続き追われては鍵忘れた子ランドセル置き
玄関のチャイム鳴らして立ち去りし帽子男は何しに来たか

エレミヤ書 50. 6-7

大輪のパンジー並ぶ店先を大型バケツ買って運びぬ
紫陽花のネルの浴衣を眺めては冬着るものと仕舞いこみたる
サルビアの燃えるこみちを曲がりたる秋の茜の薄日眩しく
拡大す生活こみち三角州まよいみちゆく気まぐれな秋

関西は死んだからねと怒るなよ静かな冬を待つ被災あり
関西が一番なのか被災地は不幸自慢は盲目の秋
スーパーの片隅にある募金箱ひっそりとして空き箱のよう
募金箱書かれた文字をながめてはこれはどこかと読みながしたり
赤い羽根終わったばかり募金箱被災地多き憂鬱な文字
スーパーの高い野菜を眺めてはのんびりとした被災もありき

使徒言行録 10. 24-33

関西と新潟、か。
イラク。
新潟のほうが大変そうだね・・って言っただけで叱られたぞ?
あーやだやだ。関西人ってやつは。
実際に被災していたら、そんなことは言っていられないか。
なんか、もう、うんざり。
いやし、求められたくない。

弟よ、母のことなど忘れろとあっさり語る冷たいあたし
ちゃーちゃんは幸せだよね、叔母は言う。母の浴衣にアイロンかける。
鬱蒼と子に捨てられたと言うような宙浮く視線悔し涙か
叔父さんは心筋梗塞オペしたよ浦島花子の母に語りし
見舞いすら遠のくほどにパタパタと老いてゆくよと月日はめぐる
霧の中生きていたのかわが母は幻の時生きる人あり
霧の中一人で生きたわが母は老いの意味さえ病に消える
病床の母に子離れ説きながら視線を逸らす母を感じる
いつまでも親なんだからと口拭きに赤ちゃん用のコットンを買う
意識とは残酷なものいつの日か老いた自分を突き落とす崖

ペトロの手紙 一 4. 7-9

不幸なら不幸の柵で囲みゆけ不幸の園を荒さぬように

じこちゅうって素晴らしいね。あーあ。世の中で不幸なのは自分だけ。皆が止めるのに、どうして悪魔の園へ行くか?愛されているとか、大切にされているとか、心配されているとか、生きているとか、自分が生きている値打ちを知りたいのかも。

じこちゅうにふりまわされてひねもすはパンジーの苗買うひまもなく
秋の日は親の世話より花の世話しているほうが平和な気分

やっぱね・・・あの人のこと嫌いなのよ、あたしは。

母という実感もなく育ちたる吾はわが母あの人と呼ぶ
幼き日母のぬくもり知らざれば母の愛すら空に浮きたる
淡々と他人の世話をするように袋たずさえ病床歩く
嫁よりもましかもしれぬ娘なら憎むことすら淡くなりゆく

ホセア書 7. 14

自衛隊物資運んで今日もゆく愛の形は50億円
いつまでも成長しないわが国を遠くながめて母国で暮らす

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October 26, 2004

白い陽の輝きのなかいくえにも織りなす色は融けゆくばかり

時空短歌への嫌がらせがまだ続いていたんですね。とうの昔に解散したからすでに終わったかと思っていたんですけど。要するに攻撃する場所と言い訳がほしいだけなのかもしれません。合掌。

良いことをしても悪いことをしても何もしなくても何か言われる、ということに慣れてしまうと何も気にならなくなってしまう、ということがうまく説明できないです。

何が気に入らないんでしょうね?
やれやれ・・・・

ルカによる福音書 21. 1-6

ふたつ、か。

うららかな陽射しの中で趨勢は風のゆくえをみる部屋の中
先生がネット好きでも嫌いでもネット歌人はおきらくに詠む
こんな歌つまらないよと言われてもCGIは歌積み上げる
枡野風なんでこっちに上げるんだそりゃダメダメさ歌壇知らずか
先生の好きな歌だけ詠んでろと破門と波紋魅力の歌壇
下積みの苦労もなくば成り上がり徒弟制度はいづこへつづく

歌を詠むのはまったく苦にならないんだけど、なんて言うのかしら・・・なんかつらい。
なんであんなにこころこころとうるさいのかわかってきた。つまりは、歌のじょうず下手だけだから・・・基本が。その人にとっては大切な歌かもしれないけど、下手だとボロカス。まあ、じょうずな人でもボロカスに言われていると言われてしまうとそれまでですけど。

ひっそりとど派手な花の咲いている時空の園は荒されまくり

イザヤ書 30. 27-33 アッシリアに対する審判

怒ってもなぁ・・・・むだむだ。
下手だから、りんさんりんさんと言ってくれるわけだ。今でも十分下手なんですけど(念のため)。
大抵の人たちはボロカスに言われてまで歌なんて詠まないから・・・そこなんだろうな。ボロカスに言われてもまだ必死によい歌を詠みたいと思っている人たちがいるってこと自体がヘンなのかも。

悔しけりゃいい歌詠めと言われても悔しくないのおほほのこのこ

ホセア書 6. 1-6 偽りの悔い改め

白石はまっすぐゆくよわがみちをのらくらとした風の吹くみち
箱の中閉じ込められた光には三原色の輝くばかり
面色と光の世界原色の色も違うと光は語る
白い陽の輝きのなかいくえにも織りなす色は融けゆくばかり
北窓の昼間の部屋は明るくも影ものびずにひっそりとあり
バリの昼まばゆい光北窓は微妙な角度描いておりし
御聖堂に向かい合っては室外機並んだ道をのんびり眺む
雨の日のビニール傘は誰のもの名前なき傘あちこちにあり
わが傘と怒ってみても諦めて雨の降る道友の傘あり
執着を失いたれば貪欲になれと言われる学問の道
ポイントの微かにずれたわが園を言の葉にして降らせて沈む
みひかりにつつまれた園いつの日かパレスの部室消えて久しく

詩編 119. 157-159

迫害、いじめの権化。

憐れみのこころのありき門の中石打つだけの門の外かな
信仰の小さき吾もいつの日か打たれることを学んでおりし
かの月日打たれることの苦しみと悲しみのなか憐れみを知る
理不尽に嘆きゆけどもひねもすは不自由という自由のありき
みこころに小指一本引っ掛けて胸の奥底言の葉ねむる
子守歌流れるように『アヴェ・ヴェルム・コルプス』の意味いまだ知らざる
憐れみをもとめし神のみそのには言の葉さえも七色の虹
あれこれと語るもむなし月日には憐れみを知る押し黙る牡蠣

こういう神の愛の学び方はつらい。

憐れみをほっぷすてっぷじゃんぷしてみそら通信届くのを待つ

エレミヤ書 46. 13-14

ひゃー。

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October 25, 2004

レトルトのパックの蝿は飛びおるか秋の袋に夏の落とし児

滑走路飛び立つようにクルマ走る台風の道塾へと続く
雨の中病床の横積まれたるタオルの山を抱えてあるく
台風を待ちつ走るよ滑走路長雨のなかあわただしくも
いざ嵐迎えて朝はしづしづと雲のなき空晴れ間を待ため

殺虫剤撒いて悲しきネットかな蓮の上にぞ蝿の飛びをり
レトルトのパックの蝿は飛びおるか秋の袋に夏の落とし児
蛆虫の白きうねりの甘栗を白き袋に捨て外に出す
一年中栗のパックの売られては蛆虫とても閉じ込めてあり
秋の道栗の実落つる栗原を子らは通いし長きみちのり

愛のない世界の闇はがんばって叱咤激励いやしなき空
のんびりとひねもすはゆきなんでまたこんなにつらい歌詠みになる
蹴飛ばされ天上ゆかばくらくらと地獄絵図の中ひらひら逃げる
感謝しろ、誰か言ったねあたくしに・・・どーやったら感謝できるか
退廃は虚ろな影を落としてはうつむきながらわが道歩く

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October 24, 2004

天上は極楽とんぼ飛んでいる地震の日にもティッシュないよと

オトくんは猫なのかもと秋の日は布団の中か日向ぼっこか
ネコ・ピンの耳を掻いてはごろにゃんと気まぐれな犬昼寝する秋

災害はカーラジオで流れゆくアイドリングの信号待ちで
揺れ知らずクルマに揺られ信号がやっと変わった病院のみち
帰り道また揺れたのか震度6数が増えたるテレビの知らせ
検索す地震情報画面には数え切れない更新の跡
台風の被害の去りしひねもすは長く短く次の被災地
寝たきりの病室なればひねもすは被災のようすみんなでテレビ

エレミヤ書 33. 10-11

天上は極楽とんぼ飛んでいる台風の日も歯ブラシないよと
天上は極楽とんぼ飛んでいる地震の日にもティッシュないよと
りんさんはあまり来ないと言われても嵐の日には小学校さ

なんか、悲しいほど世界が違う・・・・

天上は嵐も雨も風さえも地震が来ても寝ているばかり
天上は冷えて凍える雨の中汗ばんでくる温室のよう
天上に慣れてしまえば小間使い歯ブラシ持ってのんびり通う
色白で綺麗ですねとわが母を褒めてくれるか癒しの園よ
ひねもすをベッドサイドでテレビ観てのんびり過ごす付き添いの嫁

おばあちゃんっていっても90歳だから・・・ね。ああなると家で一人でテレビ観ているよりいいのかも。病院のほうが退屈しないよね・・・うらやましい。

ローマの信徒への手紙 15. 7-13 福音はユダヤ人と異邦人のためにある

のんびりと隣のベッドの付き添いに母のようすを訊いている吾
テレビみし合間に母のようすなどナースコールをちょっと押すだけ
小間使い嵐の日にも地震にもクルマ走らせひねもすはゆく
買い物に夕餉の仕度塾通いパートないだけ優雅なあたし
親の世話誰がするかと喧嘩する気持ちもわかる下界を走る
天上は微笑みながらテレビ観て子も孫もなく就寝時間
長寿国茨城なれば病室は癒しの園の人らつどえり
親の世話六十路を過ぎて考える世界もあるか楽園のよう
ひまならば親の世話でもしなさいと年寄りに言う快感もあり
ひまだから子だの孫だの奪いあい押し付けあってひねもすはゆく

年寄りが年寄りの世話してたらいいんだよね。元気なんだから・・いやし求めるなよ。

ホセア書 5. 8-15 戦争の罪と罰

のんびりと親の世話する年寄りに甘やかされて下手な歌詠む

いたわりがあるんだよなぁ・・・さすが長寿国。100歳過ぎても元気だもの。

病室は一家団欒テレビみてすごす茶の間につづいておりし

雰囲気なんだよね・・・雰囲気。どこが違うんだか。田舎なんだろう。設備や医療は最先端だよ。言い訳がましい。そういう点で田舎って思われると腹立つほどあたしは茨城の人間になってしまった。

中央集権の縮小だからね。わがままになろう。

年寄りの残されしまま都会には老人の家建ち並びゆく

コヘレトの言葉 6. 1-12

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October 21, 2004

無神論神につながれ生きる人概念なくば無もなきみそら

滑走路クルマの過ぎる水のうえライトの照らす交差点かな
台風を待ちつ街中あわただし水の中ゆくクルマの過ぎる
窓叩く雨の音さえ子守歌深き深きと眠りに落つる
曇り空天気図眺め比べれど今が茨城雨あがる朝
鬱蒼と長雨降らすTOKAGEかな大きな雲は海上に抜け
悪夢かな大きな雲に覆われし日本列島TOKAGEのしっぽ
黒雲よ逃げ場なき空見あげれば窓叩く音眠りの合図
ドッグラン柵飛ばされし芝のうえ春一番のおとづれなるか
闇の中荒れ狂いたるドラム打つ雨風なればサウンドの窓

土砂崩れあってもそこにまた家を建てるんだよと誰か語りき
潰されて流されたとて住む家の新しくなる被災地の跡
あきらめは怯えながらも繋がれて逃げる場もなきひとごころかな
怒りすら繋がれし空見あげれば飛行機の音航空写真

憲法の柵の中へと沈みたる黒き鳥居は生傷の跡
こころすら死んだというかひとごころムクドリは飛ぶフン撒き散らし
こころすら死んだというか厳島嵐の水は濁りゆけども
ヒロシマに月の輪ぐまの暴れれば月の虹みるうつくしき雨

金の道潰してるんだと言っちまえ民営化などうるわしすぎる
敷島は貧乏ですのよおほほのほ。自分のことは自分でやれと。
軍隊はチャリティですの募金して。国潰れても子どもの学費。

イラクなんて金持ちなんだから、放っておいたらよいのよ。

ガソリン代値上がりすれば路線バスせっせと走るつくばねの道
世の中は欺瞞に満ちて嘘だらけ台風被害野菜の値上げ
夏の日に捨てた野菜は戻らぬとマーケット知る台風の後
豊作に浮かれて捨てたキャベツかなしょぼい野菜の並んだ店よ
統計のマジックを知る5歳の差わたしの頃は70ライン
数字とは操作されて直されて計算されてディッシュの上に
こころすら数値操作に慣れたればさじの一つで見積もりはなく

これだけ文句書いても、まだましな国なような気がする・・・

ダニエル書 2. 15-24

そういうことか・・・鵜呑みの信仰心もない代わりに、ヘンな自分を抱えて生きなければならないという・・・

無神論神につながれ生きる人概念なくば無もなきみそら
鬱蒼と有神論に走りたるアインシュタイン不可思議な空
精神は自由なんだとわたくしは概念の中走りてやまぬ
宗教を分類しては比較するひまつぶしあれ世界は狭く
信仰を武器にするかな政治家は数の論理とまぼろしの神
宗教で分類されて人の数人のこころは見えない闇路
礼拝に座れる人ら眺めては空気のような気圧のありき
幻よかたくなな空眺めては幻の人かげろうばかり
陽炎よ野澤ゆずりの頑固さは人のこころを端々に寄す
日常に神の世界の広がればあることさえも忘れて過ごす
神の愛なき世界には神神とうるさい人らムクドリになる
地下鉄にムクドリ鳴けば騒音の二倍になると言われて気づく

ややこしいこと言われないのよ・・・悩む。

下界にぞ降りてゆかばあしばやに逃げ出すように躾けられたねこ

エレミヤ書 51. 46

しょせん、根は一つ。たぶん。

結局、うちの親が奇跡的に快復しているとしましょう。ある人にすれば本人の信仰心が救ったということになるし、自分的には何か連動感があるからジーザスだという気がするし、ある人にすれば医療の力ということになるのでしょうし、どーでもええねん。

やみくもに分類されてプレートを貼られてみては店に並べり
信者数パーセンテージで書かれては数字操作を信じない吾
勢力の分布図ながむ宗教は兵力かぞえ国境となる
ひねもすは雨が降ったり曇ったり台風去って晴れ間ののぞく

ヨハネによる福音書 1. 29-34 神の小羊

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October 20, 2004

ふつうの死むかえる坂のくだりみち階段のぼる母のすぎゆき

母の指まちがえて切る爪きりによけいな仕事増やして逃げる
若いのに寝たきりなのかといぶかしむ年寄りになる五年の月日
麻酔でもかかってたかといぶかしむ動かない母意識はもどり
苦しんで動かす指は爪切り中自己中なとこ相変わらずかな

薔薇の花つぎつぎと咲く秋の日は冬の寒さはまだ遠かりし
サルビアの青くたたずむ秋の庭雨うるわしく台風を待つ
暗い空明るい芝の息づく日夏の名残の花は咲きたる
ラベンダー芝いろになる雨の庭煉瓦も雨に沈みたる石
きゅうりより安い秋刀魚の並ぶ秋雨より高いざくろの木の実

使徒言行録 20. 7-12 パウロ、若者を生き返らせる

もしかすると、あたしは死んだことがあるのかも。(うそうそ)

新しい世界なんだと病室は過去を消し去り逆のベクトル
息さえもできなかったと微笑めばあきれるまでの沈黙のあり
リハビリをやってくれると婦長さんなんでここまで放っておくかと
水たまり二倍の顔にふくらめば動かすことぞいのち途絶えり
今の母普通なんだと何となく感じる午後は台風のみち
苦しみを置いてきぼりにぽっかりと時間の止まる新しい息
見渡せば寝たきりばかり並んでる病室のなか普通なんだと
時止まり生きたる人ら老いゆかばふつうの母は息もどりたる

目標が特別擁護施設なんだよね・・・・目標が。まだ病院だけど。なんか、なんと言ったらよいのだろう・・・段階があるから。それ以下の状態で5年・・・生きてるほうが不思議だ。人生の終わりが目標とは。大往生だな・・・

苦しんで生きるもよしとひねもすは無為な月日を秋風に乗せ
人生の終わりをむかえ死ぬことのふつうの月日坂をのぼれり
ふつうの死むかえる坂のくだりみち階段のぼる母のすぎゆき

エレミヤ書 51. 27-28

死へ向かって階段のぼれる人は幸せかも・・・でも、つらそ。
昔からじこちゅうで強い人だったけど、倒れても変わらんわ。

人生はますぐなみちのあるだけとうねるみちゆくわれは逃げおり

つおいんだよなぁ・・・・ぼおおおぉぉぉぉ・・・・・・

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October 19, 2004

憐れみはいのちのほむら燃やしつつ解放区あれみそらのうえに

歴代誌下 7. 1-3

靖国参拝。
ダビデ、ソロモン、諸国の王。

また朝から中国とドンパチしてる。きりないね・・・

自分的には、国のために命をささげた人たちへの敬意や慰霊を否定するつもりはないです。いや、そうではない、あれは単なる侵略だと言われたら、たしかにそうなのかもとしか言えない。世の中どーなっているんだか・・・

そういう意味では、イスラム教もキリスト教も同罪だよ。

そういうものなのかも。少なくても戦争となったら、日頃どんなに信仰心のない人でもとたんに信心深くなってしまうという・・・あー、人間らしい。

たましいの解放区あれ山の中空の中さえ海の中さえ
信仰は自由なんだと純さんは過干渉なる大陸に吠え
ビンラディン結集してはテロリストイスラムの神崇めたてよと
クリスチャン逃げ出すようにイスラムとキリスト・エジプト、イエス・キリスト
憐れみはいのちのほむら燃やしつつ解放区あれみそらのうえに
経済で靖国参拝やめさせる不可思議な意味考えてみる
たましいは自由なんだとりんさんは解放区ゆくみそらの果てに
信仰は自由でないと思い知る秋つかのまの尾花ひろがり

やっぱ、自由にはなれないように社会はある。

ペトロの手紙 一 5. 1-11 長老たちへの勧め

長老なんて要らん。

退廃に埋め尽くされし青空は陽は隠れたり白い雨雲
たましいの解放区ゆく青空は屋根に覆われしづしづねむる
みそらへとほっぷすてっぷだんすしてうさぎの季節だんご食む秋
退廃はじいさんたちに任せたとうさぎのダンス月はかがやき
悲しみは幾千の空燃やしても虚しき夏は雨も降らずに
悲しみにさざめく波は燃ゆる海かがやくひかり日は暮れゆくと
かがやきに暮れゆく空のあるかぎり野に花は咲き波はさざめき

つばぜりあい・・・

ヨエル書 4. 9-15

なんか、やばいなぁ・・・
今回は、中国・北朝鮮、アメリカ・韓国・日本、そしてイスラム原理主義。となるとイスラエル、となると中東。なんでいきなり常任理事国なんだ?なんでアメリカの司令部を日本に置くんだ?あやしい・・・・

アメリカの一国支配を恐れては植民地たる敷島沈む
憂鬱にひねもすはゆく曇り空なんかやばいと怯えてみても
敷島よ春一番が吹くまではかたくなな空見上ぐるばかり
麗らかに散りゆく花の季節には澄み渡る空幾度広がる
退廃に胸の痛みを覚えては耳打つ音の広がるばかり
諦めよう。つばぜりあいを眺めては無駄に恋する乙女なるかな

なんか腹立つな・・・・

ムクドリよアメリカの空飛んでゆけがなりたてても広き大地さ

エゼキエル書 25. 1-7 アンモン人への預言

なんかきっとわかっていないんだとおもう気がする。

靖国の黒き鳥居の巨大さは異質なまでの悲しみありき
亡羊に空眺むればあざけりの石飛ぶこともいやしのごとく

使徒言行録 14. 1-7 イコニオンで

坊さんは、石ぶつけられても合掌してるだけだ。
いやし、か。
いやなよのなか。

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October 18, 2004

子どもすら静かにねむる金曜日まぶしき光屋根となりゆく

八十路にぞ近くなりける姑はイタリア語にて歌習いたる
生きるうち学ぶことこそひまつぶしトリミングから通信大学
ひねもすを鈴木重子にゆだねれば文字打つだけの時間が流れ
聴くだけでおびただしきも歌の数いくえに積まれ時間は足りぬ
けだるくも怠惰なわれは鬱蒼と晴れた空さえまぶしすぎると
離れては近寄りたくもまた離れ雲の流れのうつろうさまよ
消費する心の量の細ければ蝿いづるよりまだましなるか
神さまはあっさり描くこころもよう 甘栗に蛆 主婦は捨てたり
ひとごころひとと思えばややこしくものにたとえてさらさらと消え
あきらめを教えてくれたわが父をあらためて今みなおしている

ルカによる福音書 18. 9-14 「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえ

ギャンブラー深追いすれば火傷するカードの意味を手に記したる
厳しくも破瓜の意味する傷跡は退廃という静寂のとき
あきらめは永久のみちなるしるしだとあらたないのち抱えて生きる
あきらめのわるいやつにはなるまじと父親ゆずりカードの腕よ
十字架よ光の中へ消えゆけと静かなみそら天へつづきぬ
静寂よそらの彼方にひらけゆくみちはつづきぬしあわせなみち
人生のあしあとの音ラジオから流れるような見知らぬ世界
淡々とひねもすはゆき吾のみちのんびりゆかば今の吾あり
退廃よ燃ゆる空さえ知らぬとは明るき夜には月に虹あり
さざめきは追われし者のあしおととわれを覆いし大波の去る

マルコによる福音書 9. 1-8

音のなき落雷なればウンブリア御座はひろがりまた狭すぎる
月の出も大いなる空ひろがれば気づかぬほどに気まぐれなのか
星一つ空の塵だと手毬歌つちの埃は綿帽子かな

アシジにて13日の金曜日つどえる人ら静かにねむる
子どもすら静かにねむる金曜日まぶしき光屋根となりゆく
退廃よ光の中に消えゆかばねむりの中で消えゆく光
ねむりゆく時のとまりし暗闇はあらわれしひと憐れむばかり
静寂よ暗闇の中たたずめば真昼の屋根は輝くばかり

コリントの信徒への手紙 二 11. 1-15 偽使徒たち

のんびりと話すパウロの話し声べらんめえかな聴いてみたしも
そだそだと民衆と化すわたくしは奏でるようないやしをもとめ

アンジェリコの受胎告知。
たくさんある中で、娘が選んだ絵。
案外、おちびの言うことのほうが正しいのかもしれない。
赤ちゃんの顔が怖い・・・・か。

あきらめよう。

退廃は美術館へとひろがりしみそらの彼方月の出を観る
神さまは生きているよとひねもすは投げやりな文字刻んでみても
アンジェリコうっすらと飛ぶ羽の音あかるき色はなないろの風

もう書けないよね・・・聖クララを見て、あんな風になったらいやだ、とか。つまりはさらしもの、という意味だと思う。見てしまった、ごめんなさい。ってか。

パウロ、カンバ〜ック、アンジェリコ、カンバ〜ック。ヘープミー。

ルカによる福音書 5. 33-39 断食についての問答

いくえにもたとえ話の書かれたるふふむ意味さえ生きてきこえり

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October 16, 2004

闇夜には西瓜冷やして客を待つ小さな店の量り売りかな

昼下がり国会中継眺むれば団地の中の総会のごと
カルザイの民族衣装眺むよう赤いネクタイ首相の色か
着物着て男・女がどうたらと挨拶むなし時代遅れか
大臣のショッキング・ピンクのスーツには牡丹の花の縫いとりはなく
タクシーの中で流れる国会は話のネタと憂さ晴らしだと
百年の歴史の中で皿洗い誰がするかと平和解決
国会に陳列されたメニューには過ぎた月日の缶対決か
親の世話誰がするかと年金は介護ぐるみでぬいぐるみ着る
子の世話は託児所つくると国会は外へ外へと母を駆り立て
家の中置き去りにした植木鉢花の値高く枯れるも早く
家の中排気音だに流れれば日陰の部屋は鬱蒼とする
窓の外うつろう景色を求めては寝たふりだらけ電車の座席
携帯の着信音に驚きぬ友達いるよとうざいほどかな
雑踏にとけゆく日には子どもすら迷子のように母のそばおり

テラスドア明るい日差し差し込めば一匹の蝿いつしか消えゆ
窓の外涼しげに秋風吹かば騒音さえもテレビに消えゆ
おきらくに上京しろと言われても平和な森を離れがたしと
一日を一年にして疲れてはさまよう波はストレスの渦

ホセア書 7. 11-12

サフィニアにコデマリの咲く民家では緯度の違いを知るよしもなく
オトくんの歩いているよな散歩みち日本生まれのミニチュア・ピンシャ
英語嫌いフライドポテトで大騒ぎ似たもの同士どこかで見たり
学生街旅立ちゆかば学生の夏を迎えり賑やかな道
温泉街旅立ちゆかば旗持ちの老人歩く教会の道
サンダルをつらくも履いて十二時間サンダル履いてまた歩く道

子ら連れてデパート行って出くわせば世間話のつづきのつづき
隣家の木留守番代わり見張り番勝手に頼む植木の見張り
おきらくにローカルな街住みたれば聖書読むヒマあるやもしれぬ
厚き壁外へ外へと押し出しぬ広い空なら窓辺明るく

生きるため歩き疲れた人たちはラッシュアワーに文句も言わず
クルマには自由があると言うように246は入れてもくれず
当たり前ちょっと違うと言いたいが言っても無駄な季節はめぐる

箴言 3. 7-10

外・外・外、内・内・内、中間は共有スペース。扉の向こう。
花の種風に運ばれやって来るそんな迷惑当たり前かな
花の苗通販で買うひとときはベランダの壁嵐壊しぬ
空・空・空、空を求めて三十階。地震の止めるエレベーターかな
人の渦見知らぬ人の暮らす部屋空は広がるもはや誰もいず

かたくなにわが世界だけまもるよな狭い壁みち窒息のやみ
壊されてつくられる壁いく世紀バカバカしいほど空は広がる
壁の道窒息したるアシジかな歩き疲れて壁の鳩穴
茫洋の空にたたずむ鳩小屋に陽は射すばかり木陰求めて
壁の道鎧兜で通過せし乗せたる馬はなおものがなし
ロボットの繰り出したるかゼンマイのカタカタ走るレールのうえで
窓の外みちゆく人のなき朝は旋回する鳥屋根のうえ飛ぶ
ピザゴーグ窓なき店で焼かれたるピザの匂いとアイスクリーム
壁の道住む人のない空き家かな錆びた扉は閉ざされたまま
闇夜には西瓜冷やして客を待つ小さな店の量り売りかな
フロントも客を残して消え去るか壁の道には閉された扉
きまじめに歴史の街の佇めばけだるいひざし容赦なく撃つ
デパートのセールのような垂れ幕の壁から下がる大聖堂かな
シーソーを眺めるようなバランスの不可思議な街煌々とあり

ヘンなところなのよね・・・やはり。

使徒言行録 2. 43-47 信者の生活

そういうことか・・・
アシジまで行くと自由だから・・・・

投稿者 Blue Wind : 04:25 AM | コメント (0) | トラックバック

October 15, 2004

蝿の歌詠んで悲しき調べかなぶんぶんうなる平和な秋よ

ムクドリに月の輪ぐまに秋刀魚かなオレンジの月地震のありき
敷島よティルスなのか敷島よあきらめて夏暑き秋の日
ざくろさえ実の一つだにゆるがずにあきらめて秋高枝鋏
一匹の夏蝿飛ぶか秋の家栗の袋の置き土産かな

それにしても、凡人は悲しい。
聖書を読んでいるうちに、宮殿という言葉から「パラッツォから行け」と言われた気がした。つまり、インスパイア。ひらめき。そこまではともかく、迷った挙句、そういう名前のホテルを予約する。わけわからん・・・
おやつに甘栗の剥いてあるパックを買ったら、そこからウジがわいていたらしい。ですから、写実、なんです。困った。
高天原の山並みを思い浮かべてフランチェスコのことを考えたら、いきなりムクドリの大群が家の脇の電線に押し寄せてきてしまった。たぶん台風の前だったからかも。すごい騒音。あまりにもうるさいから、窓から見たら、飛び去った。ああ現実よ。って感じ。
旅行の前に、突然、庭を芝にされてしまってがっかりしていたら、そのお陰で今年の台風被害を免れたようで・・・ドミノ倒しの木を想像できてしまうところがおそろしい。
要するに、何が言いたいのかというと、わたしはリアリストだということかも。
今回の台風で、お隣の家の木がドミノ状態になって、それでもうちの庭の木は、ざくろの実一つ落ちなかった。
だから、聖書に書いてあることが真実だと思ってしまう。

敷島はティルスらしい・・・・しつこく開いてしまう。
秋刀魚はロシア、ムクドリ被害、台風9回上陸、月の輪ぐまがペチペチ。
あ、神さま、怒ってるな、としか思えないじゃないですか・・・リアリストとしては・・・
冗談抜きに、被害は大きいし、どうやって考えても景気は回復しそうにないし、対外支出はますますアメリカのせいで増えそうだし、年金は出なくなりそうだし、韓国にシェアを奪われそうだし、暗い未来。
昔から未来が明るかったことなんてないな・・・

詩編 31. 8-9

鳥の声世間話をするように響く午後には一匹の蝿
蝿の歌詠んで悲しき調べかなぶんぶんうなる平和な秋よ
虫の声響かぬ午後は晴れ渡り澄み渡る空光る芝庭
きしきしと刻みゆく音聞こえれば風のうた声つよく響きし

みどり葉の白く輝く季節にはクルマの音の聞こえるばかり
あまりにも平和な日にはオトくんの足音だけが庭から二階
言葉などとまってしまえスピーカー通過するみち選挙も近し
学生の階段鳴らし笑い声秋は冷たき風が吹き抜く

平和すぎて歌のネタがない。
よろこぼう。

ガラテヤの信徒への手紙 4. 6-7

投稿者 Blue Wind : 01:34 PM | コメント (0) | トラックバック

美しき音色のなかに身をおかば日は昇りゆき日は沈みゆく

秋の日は、気まぐれな雨、日の光、夕暮るる空、月の虹かな。
森の中さまよいゆかば大学と書かれたみちのいづこにつづく
うねうねと富士の樹海のつくばかな強引なみちふたつ造れと(おおげさ)

美しき音色のなかに身をおかば日は昇りゆき日は沈みゆく
言の葉の不毛なさまを眺みゆく言の葉のない母はいやしぞ

投稿者 Blue Wind : 03:45 AM | コメント (0) | トラックバック

October 14, 2004

炎さえ熱き冷たき色なれば透明な風ゆれる光よ

雨の中救急外来入り口で弟みつけ白衣は夫なり
張りつめたこころの糸のするするとわが手を抜けて衣となりし
祖父の顔見つけたような母の顔寝たきりにしてよく似て悲し
厚き爪黄色になって伸びゆくかいかに切ろうか悩んでみても
瞳孔の閉じた片目でわれを見る母の声さえ忘れてながく
タオルさえ何枚あると数えても数え切れない月日はながく
緊張は幾重に流れほっとするのんびりとした雨は降る降る

母の顔を見たらほっとしてよく寝てしまった・・・

酸素すら足りないからと首に孔ぎりぎりにして息はつづきぬ
喉からは食べられないと胃に孔の開けられたままお食事時間
生きるってつらいことだと思っても片目の中でわれをみつけり
野の花の咲く季節かな今はまだ枯れ果つるには陽はまぶしくて

ペンギンは身の丈あるとおばかなり信じてた頃しのびぬ絵本
メルボルン別れた頃の記憶かな父生きし頃母生きる今
残骸に積まれた月日愛しけれ瓦礫の中に埋もれる吾

雨の中置かれた旗のたたずめば子らを見送る明るき朝よ

エゼキエル書 5. 5-13

激情のながき月日のみじかけれ逃げて逃げては母を迎えり
父の死を迎えて春はいづこへと話すことさえ逃げるが先と
退廃はハイエナどもの餌の跡丘を登れば空は広がる

残骸はあらしあらしとおかしけれ笑ってやるもむなしき秋よ
過ぐ夏はあらしの歩く敷島か離れて秋は涼しげにあり

ひねもすはアコースティックに流れゆくギターのような気ままな調べ
隠れ家は点滅信号ながむれば立ち止まりたる人もなき道
音はゆく音は止まってまた走る規則正しい交差点かな
ブレーキの甲高き音流れれば勢いのあるひとつの発進
雑踏はひけゆく波の押し寄する浜辺のようなひとつの規則

詩編 119. 41-48

みことばに小指一本引っ掛けてあきらめゆかば激情の壁
炎さえ熱き冷たき色なれば透明な風ゆれる光よ

酷いこといっぱいしてるよ神さまはあなたはなぜに神に言わない
酷いこといっぱいしてるよ神さまはどこ吹く風で酷いやつかも
酷いこといっぱいしてるよ神さまは怒ってみても子どもの落書き
酷いこといっぱいしてるよ神さまはなんでわれらは悪者なのさ
酷いこといっぱいするのが神さまと気がついたなら地球はまるい

詩編 65. 6-11

酷いこといっぱいするのが神さまと気がついたなら青青き空
酷いこといっぱいするのが神さまと気がついたなら怒り空しく
酷いこといっぱいするのが神さまと気がついたなら今をよろこべ
あきらめて夕べのうちにとどまれば朝が来るには早すぎるかな
酷いこといっぱいしているよ神さまはみひかりのうちかなしき大地

エゼキエル書 26. 1-6

信号の点滅せしを眺めては音の流れを知るばかりかな

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October 13, 2004

わたくしは自由なんだと言い放つあなたのいない海の向こうは

題詠マラソンで遊んで来ました。

あれこれと話すことさえ疲るるも詠み逃げなれば咎のなかりき
つよき人よわき人など考えて透明な人いづこにいると
言には命があると言うのなら爪弾く音には何があるのか
よわき人いじめられたとよわき人いじめられたとまたよわき人
つよき人たたきつかれてたたかれてたたきのめしてまたつよき人
カタバミの黄色い花の咲いている芝対カタバミどちらの勝ちか
曇り空どうでもいいさと秋風は吹くのをやめて灰色の雨

エズラ記 9. 1-9

神の子の十字架のうえ黄昏は奴隷の頃のふるき思い出
あれこれと目を通さずに積まれしをそのままにしてひねもすを終え
あらくさを菜っ葉のように引っ張ればほうれん草の売りきれた店
海のうえどうでもいいと白雲はかげを落としてすぎゆくばかり
自由とは奴隷でないという意味か渦巻く色のいづこに消ゆる
わたくしは自由なんだと言い放つあなたのいない海の向こうは
茫洋のひろがりゆかば海のみちスコールの降るしまかげもとむ
疾風の逃げ出すようなボートには黒い波雲うちつける雨

詩編 117. 1-2

ボサノヴァを少し離れて雨の中鈴木重子のボサノヴァを聞く
サントラの流れゆく音ジャズ・ボイス、アルトの声のアベ・マリアかな
手を止めて流れる歌を聴いている怠惰な夜は雨の降る夜
雨降りの空も知らずに虫の音の聴こえぬ夜は静かな雨か
ヴィオロンの値を言われてはためいきの音色もかわるつまらない曲
しづしづと降る雨なきはものがなし犬ものたりと通りに眠る

マルコによる福音書 12. 38-40 律法学者を非難する

つよき神よわき人らを助けてはくりかえさるるよわき人らか
まじめにもなれずに生きるおろかさは奏でる虫の羽音にも似て
のらくらと逃げちまえよと草の中めだたぬように葉に沈みたる
演奏会ひらいて死んで虫たちは生きて死んだと季節はめぐる
セールスになんのごようと鬱憤を晴らしてみてもささやかな地位
スーパーのレジに並んで金払う機械のような気楽な稼業
信号のちかちか変わる交差点雨ににじんでライトは光る
神さまに信号変えてと祈っても機械はうれし雨は楽しき
信号の公平なさま眺めてはいそがぬことをよろこびに思う

詩編 69. 21-30

題詠マラソン残り18首。
そろそろCGIも6000首を越える頃。
あと14000首・・・・脱エジプト。
あと何年かかるだろう。
栗木京子さんもネットについて講演なさるみたいだし、親近感。
歌壇だと若くもないのに若い若いって言われてしまう。
まだ平均寿命の半分にもいってませんの、ほほほ、ってか。
うた浅いから、同期が20代、30代になってしまうのでせうか・・・あーやだやだ。
20代でも先輩なのよね・・・ゆううつ。
ネットだとそういうのは関係ないから・・・・きらくといえばきらくなのでせう。
死んじゃえばもっと関係ない。

いまの吾いつしか去りしいまの吾おとずるる吾いつも過去へと
もう二度と逢うこともない自分へと言の葉のこすへのへのもへじ
わがうたを読むことかたき年の頃ほめてくれるかわれという人
へそまがり下手なうただと叱っては下手なうたなどうたっているか

エレミヤ書 50. 6-7

人生はいつも不毛だ。

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October 11, 2004

とどまれと尾花の揺れる野原には地響きむなし風はゆきすぎ

くるりんとホップステップダンスしてピザの通りで踊れる子あり
うららかにのびやかにして帰り道嫌いなやつが家まで来たぞ
まほちゃんが好きなんですと父に言う小学生の男の子とは・・
すまし顔男子嫌いという吾子はオトくん蹴って遊んでおりし
韓国へ見合いしに行くテレビみしあれなら分かるとひとりごちても
男子校いつのまにやら共学に変わっていると学校を見る
女子大で受講可能と大学もいろとりどりに変わり果つるか
共学がお嬢さま校と言われてる不思議な言葉皆が話せり

マルコによる福音書 13. 1-2 神殿の崩壊を予告する

わが母を夫が診し時代姑に気をつかいしも娘のそばに
ひとりごに先立たれても婿がみる親の世話かな裏庭をみし
ひっそりと妻を送りし裏の家しづしづとして喪は明けてゆく

兵力が不足してたとアメリカの戯言ひびく自爆テロかな
司令部をなんで日本に持ってくる憂鬱な秋の勘違いかな
アメリカはもう要らないと将軍がなんで語るか北の国かな

シナゴーグコーランの声バチカンか見知らぬ国のとこしえにある

エレミヤ書 52. 12-23

青銅の持ち去られてはいかにせん海はまことに青青として
青銅の持ち去られてはいかにせんざくろの木には赤い実の生る
光の子うららかにしてのびやかに光の世界生きてゆかめと
秋の日の春の準備に追われては雨降り空を憂鬱にながむ
ちっぽけなわが世界かなひろびろと空はひろがり雨を降らせり
自爆テロ思ってみても悲しけれ球根植えて春を待つらむ
国連の何のためにぞあるものと拒否権つかう大国ありき
自爆テロキレる子抱え学校は危険地帯と呼ぶ者のあり
日本国我慢してるかアメリカに吾子の世代はおそろしきかな
大リーグ日本球団つぶしては竹の子のごとリーグを待ちつ
のんびりと敷島の風吹きたれば今は昔とことほぎ詠う
未来には知らぬ子ありとうつろえば過去にも知らぬ人らのおりし
隣家の木とうとう倒れてしまったと嘆けば東明るく光る

ネヘミヤ記 9. 10-11

なるようになるしかないさ地響きのくりかえしつつすぎゆくを待つ
地を揺する声さえかなし秋の日は嵐も過ぎぬ光待つ空
とどまれと尾花の揺れる野原には地響きむなし風はゆきすぎ
地球上いづこへ逃げる闇のなか日はとどまりし海はひろがり

詩編 62. 12-13

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October 10, 2004

吾子の髪うるわしく茶に輝けば細きうねりの赤子のように

台風の駆け足聞くかカタコトと虫の音聞けば今の空あり
ざくろの実落つるものかと気にしては静かな夜のかわらずにあり
わがみちをのんびり詠うひねもすに露はしたたる曇った夜に
牛乳をのんびり買いに出かければにぎにぎしきか嵐さる夜

雅歌 7. 7-10

奏でよう愛する歌を奏でよう寂しき夜も楽しき夜も
吾子の髪うるわしく茶に輝けば細きうねりの赤子のように
いつの日かわが手飛び出すときまではいとおしきかないのちのつづく
恋うたを奏でる日にはたのしげに響けと空はとけゆくままに
軽やかに母は笑うよいつまでも楽しげなままころころ笑う
すこしずつ育ちゆく吾子みつむればわがこころだにころころ笑う
オトくんも吾から生まれた赤子なりつぶらな瞳吾を母と思う
すくすくと恋するままに育ちたるざくろのようなつぶをみつめり
傷つけばやさしくいやす人のあるいのちのひかり風は運びぬ

エゼキエル書 3. 1-8

みこの手にひかれし夜は星ひとつ贈られたとて天は遥かに
よろこびもかなしみもまたゆうぐるるかなたの月のとなりにありき
愛はゆく愛は風なり愛は空かけあしの音雲はひろがる
地に満ちる愛の広さのあしあとは息吹のように花を咲かせり
愛でよ花、愛でよ野に立つ尾花さえゆうぐるるままそそぐ陽のなか
愛は風かなたの野にはかすみたる陽の光にはなつかしき雲
紅ごろもはおりたる人立ちたればみどりの野には雲間のひかり
愛は風なつかしき風吹きたればいまは春かと野に咲く花よ

神さまは生きているよと誓うのか五月雨むなし蝉の声泣く

イザヤ書 30. 23-26

神の国みそらのもとの野原にはひろがりし民木の葉をひろう
言の葉の木の葉にかえて舞い立てばみそらの園にいくたの民よ
みことばのつなぎし人らいくえにも土も血さえものりこえてゆく
キリストの名の下にあり落雷は悲鳴のように響きわたれり
悲しみよ愛は空から愛は風ひかりゆくすえ追い求めゆく
愛よ降れつながれし人解かれゆく愛の降る日は燃えいづほむら
愛の降る悲しみ色は何色か解かれゆく日の燃ゆる陽を待ち

ヨブ記 37. 6-13

ユダヤ人。わかった。解放の意味。最後には愛を与えられるのだと思う。壮絶・・・十字架とラテーノ。ラテーノの永い月日のウルウルを考えると、気が遠くなる。愛とユダヤ人。神の愛、か。壮絶。国もバラバラ、人種もバラバラ、聖書だけ。不思議な人たち。ユダヤ人の王。

歴代誌下 1. 2-12

ソロモンに与えたものか。わからん、謎。
識見と富。

敷島よ秋は嵐のすぎゆかば庭の木すくなありがたく思う
ドミノかな倒れる木木を思う夏われの留守なる嵐吹く庭
倒れる木のこして夏は旅立てぬ異国の空は雨も降らずに
イタリアの夏の日照りのつよさかな水持ち歩き干物のあたし

台風情報どころか、日本の選手がテレビに映らない・・オリンピック。

わざわいの天から降る日映してよ水たまる道車が走り
この苦労わけてあげたいあなたにも灼熱の中生きる人らよ
ジーザスに「あなたがた」など呼ばれてもそは誰のこと別れて読みし

申命記 33. 13-17

タリバンを攻撃しせる民の服ながめてみれば修道院のごと
イスラムを自由がないと呼ぶのなら攻撃をせよ教会のうえ
ひとつずつ悲しみのうえ砂の城築かれたなら砂粒おつる
さらさらと乾いた砂は波のうえこぼされ沈むくりかえしぬる
かたくなに閉ざされた耳うつろいを眺めゆく目のこころとまりし
敷島は敷島なりの悩みありみどり奏でる水の降るみち

歴代誌下 26. 16-21

なんで戦争に牧師さん、連れて行くんだろうね・・・あの国は。世の中で一番自由のない国なのかもしれない。わけへだてしないで、オールマイティに連れて行くのだったら、また目が変わるかも。


◇ご返歌
のらねこのあつまりきたる坂道に天使の像の海に向かいし
この坂はいつかきたよなデジャビューの記憶の彼方たぐりよせたり
この坂を上がればあると知っているいつか来た道初めての坂
石段をのぼれどみどり深ければ海はかすかに崖にうちよす

休みの日増やしてほしく3連休のちまちま増えて祝日忘るる
せかせかと歩くリズムのなつかしき敷島の地に安堵をおぼえ
パースにぞ夜間ショップの増えたれば敷島の人暮らすものがな

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October 08, 2004

わがこころ鏡のごとくながむれば世のうつろいのうつるがごとし

わがこころ鏡のごとくながむれば世のうつろいのうつるがごとし
すこしずつつかれはつると虫の音はつかれもしらず秋をかなでり
彼方へとゆくすえはるか彼方へと空気のような風をおもいし
あれこれとおもいいづるをたのしめば咎のなきことおもいだしたり
さやさやと秋の風吹く頃なればゆるやかな陽はあかあかと落つ
陽はのぼり陽は落ちゆかば冬の陽のカーブ・ミラー眩しく光る
深まりし秋の気配はみどりいろいまひとときにあらしを待ちつ
エレベーター止まりし神戸三日間なにごともなくすぎゆくものの
あれこれと説明するもかったるい震度5なれどなにごともなく
ひとごころ深き眠りにつきたればなにごともなく揺れはすぎゆき
新聞よおおげさな記事載せたのかあな迷惑なおおげさな秋
あらしさえ人のいのちをうばうのとさわいでみても花は息づき
ピンセットひろうがごとくこころにはガラスの破片ちらばるものか

詩編 22. 28-32

本当はどうでもいいと思ってるあれにこれにとややこしきこと
からころと大きな庭の生簀には鯉のおよぐも海原のまえ
池のうえ歩く先には海原の広がりゆくもうつつのかたち
じゃまな池あるきにくいとおもうだけふかきおもいのかたちわするる
からころと生簀の鯉かわたくしは海はひろがるプールのむこう
浜辺にはみつあみおばさん昼寝する青青い空紺碧の海
荒海は渦潮あるよと言うよりもみつあみおばさん昼寝しており

マタイによる福音書 24. 3-14 終末の徴

危ないって言うと、わざわざ行く人いるのよね・・・

預言者もメシアもいないその国は聖なる山のたたずむばかり
楽園をひかりの海にもとむれば悪魔の棲家と海をおそれり
荒波の鮫さえおよぐ海なれば木の葉のように船はゆられし
美しき波にまもられ楽園はいにしえのままいまをことほぎ
あらあらと時代の波のうつろえばテロの爆弾おそるる島か
すこしずつ地球は狭く危険地帯ひねもすはすぎ塾通いかな
日本の子勉強ばかりしていると思ってみても隣に負ける
資源さえ持たない国というけれど天然水の空から満つる
ユダヤ人聖書一つでつなぎたる永き月日に資源の無くも
分布図を眺めるようにあわせれば平和の園をドットにもとむ

エレミヤ書 20. 7-18 エレミヤの告白

秋の夜に虫の音響く国なれど平和の国をいづこにもとむ

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October 07, 2004

うねうねと畑のみちは細々と見知らぬ世界描き出しおり

震源地うちの近所にX印テレビ観て知るのんきな秋よ
地震には目も覚まさぬか地震慣れオトくんだけが怯えて吠える
カタカタとぐらりと揺れて地球かな設計ミスか天のみわざか
おおげさな震度マップをながめてはうちのとこだけしるしがないぞ
ゆれぐあい被害のどあいとあわないと不可思議に思う地震の日には
震度3震度4まで揺れぐあいぴたりとあてる自信はあるが

エレミヤ書 32. 6-14 アナトトの畑を買う

なんか、うちの真下が震源地だったとしても驚かない・・・
土地でも買おうかな・・・田舎は安い。

すすきの穂おもうぞんぶん生やしても文句言われぬ空き地をもとめ
駐車場クルマを停めて立ち話そらぞらしきもあつまる母ら
校庭をぼんやりながめ立ち話話題を見つけ空議題かな
卒業を控えた日には立ち話いつまでもつか駆け引きのごと
一つだけ年が下がった吾子を待つ群れは散らばり夕暮れの道
幼稚園園閥ありき小学校今頃知るかつくばの秋よ
小学校学閥あるか中学校いつまでつづく茨城の秋
中学校学閥あるか県立は親父の代も学閥となる
大学は関係ないと学閥は田舎暮らしの象徴となる
日の丸は天下国家のことだけと赤い羽根見て地元は捨てる

300円、けちるなよ・・・

コロサイの信徒への手紙 1. 13-16

わが町は震度5弱と言われても棚から物の落つることなく
わが町は震度5弱と言われても深き眠りにつつまれたまま
明日には地震の話広がるか気づきもしない吾子をおもいし
やんわりと天下国家を離れては国立大の統合を思う
右翼にも左翼にさえもなれないと両翼のまま楽園遠く
エチオピア行ってらっしゃい日の丸は子らを連れては働きに行く

日の丸でないとうきうきとなんて行かんだろう・・・・えらいのう。

アメリカに転勤なのよと言うようにエチオピアまで土木作業か
ささやかな山のふところ眠る町電車や道路・空路の騒ぐ
迷い道遠回りして近き道見知らぬ道をわが家へ走る
うねうねと畑のみちは細々と見知らぬ世界描き出しおり
まっすぐに与われた道ゆくよりも畑のみちは冒険のよう
浅きみち深き森へとつくばねはうねうねとして通りへいづる
迷子みち迷子の森へひっこしか侵略された騒々しいみち

エレミヤ書 32. 26-44

畑、を買うようになるのか・・・
そうなんだよね・・・仕事辞めるとみんな畑仕事しているという・・・
うちは、今のところむり。庭仕事もろくすぽできないのに・・・

ミニトマト自生する庭おどろきつ天然ハーブ雑草のごと

この数十年の間に、農家の人たちが研究所で働いて、日の丸が畑仕事しているという・・・つくばっぽい。兼業農家と寡黙な日の丸。一つのことしかできないというのがあかんのかも。学問も芸術も、畑も森も湖も、ジェットスキーも。焼き物でもしようかな・・・

御子の権威、か。
和歌も進まないというのに・・はーど。

人生は短すぎると神さまはいろとりどりの宿題を出す
子育ては遊びじゃないぞと寝不足で和歌を詠みつつ朝を迎える

はいはい、親の世話もしますよ〜、何にもしないけどね、今の時代。ほほほ。

つまらない仕事なのさといじけても遊んでいると言われてしまう
今までがおきらくすぎたとわたしたち塾へとつづく車内で黙る

使徒言行録 7. 46-48

もう、すべてが、畑。たいへん。

投稿者 Blue Wind : 04:59 AM | コメント (0) | トラックバック

October 05, 2004

アシジにて西行法師にであうかなでかい満月時空を超えゆ

西行法師の歌を読む。

身を捨つる人はまことに捨つるかは捨てぬ人こそ捨つるなりけれ

聖書に書かれていることと同じ。

願はくは花のしたにて春死なんそのきさらぎの望月のころ

願掛け。
保元の乱。
神仏思想。

フランチェスコとほとんど生きた時代が同じでは・・・法王謁見、伊勢奉納。

回心と言うからわからない。出家と言うとわかりやすい。騎士をやめてと言うからわからない。武士をやめてと言うとわかる。保元の乱、源平合戦、死体の山、骨肉の争い。

かかる世にかげも変わらずすむ月を見るわが身さへうらめしきかな

どんな時代でも秋の月は澄んでいたのかも・・・

シンクロニティ・・・見知らぬ者同士が、同じ時代にまったく別の場所で同じことを考える。やっぱり、あるんだなぁ・・・と。

日本の神仏思想をわるく言う人もいるけど、実は、これは西行法師の願掛け。知らなかったなぁ・・・ぜんぜん知らない。それで、本当に歌のとおりに西行が亡くなったという話も知らなかった。願掛け、だ。如月の満月の夜、桜の花の木の下で死にたい・・・お釈迦さまのように。もっとロマンチックな歌だと思っていたんですけど、なんかね。壮大なロマンすぎてわからない。
どうして伊勢神宮に歌を奉納する必要があったのか。

フランチェスコがスルタンのところへ行ったとしたら、西行は源頼朝かな。敵陣。

Sorella Morte なんて、私の貧弱な言葉では訳せないです。
あえて訳すのなら、西行の歌しかないです。

『願はくは花のしたにて春死なんそのきさらぎの望月のころ』

使徒言行録 26. 1-11 パウロ、アグリッパ王の前で弁明する

アシジにて西行法師にであうかなでかい満月時空を超えゆ
敷島をもとめて夏は陽炎の沸き立つがごとオリーブ畑
天と地が逆さにありき地球かなわがみしものの意味知りたくも
敷島にみことばみつけ法華経のつたわりしこと知るよしもなく
願わくはなにも願わぬものたれと雨の音だに流れゆく秋
みこころをひろうがごとくすこしずつ西行のうたひろいもとめり

保元の乱・・・・兄弟、親子の血の争い。ムスリムとクリスチャン。パウロ・・・なんでマリアさまが弟子の家で暮らすようになったのか。

地球の裏表でおんなじことをやっていたのか。

わざわいのふりつもる日は雨よ降れうすらぼんやりひねもすは過ぎ
いにしえを乗り越えゆかば秋風にジャニス・イアンのよくにあうかな
世界中愛する歌を求めてはひねもすはゆくカタカナ歌人
天国は極楽浄土言の葉はわかれゆくもの黄泉路は紅葉
アメリカは保守的らしい音楽は国内産でまにあうもがな

イザヤ書 42. 10-17 神の勝利

偶像崇拝=仏つくって魂いれず。
どーだ。

日本語を敷島にして置き換える難き聖書のあいうえおかな


◇ご返歌
鉄条網やぶられし窓辺置かれたるアルミカップの燃えかす一つ
置き去りに忘れ去られた岬には閉した教会一つたたずみ
風よ風舞い立つ埃窓さえも曇り空かな光は覗く
行き止まり渦巻く波のありければ深き緑に阻まれし道

投稿者 Blue Wind : 11:00 AM | コメント (0) | トラックバック

October 04, 2004

アスファルト隙間に生えたすすきの穂ひとつ逃れりアパートの塀

エゴイスト自殺するなら昼間にね夜はダメだよ人手不足さ
悲しみの果てに隠され事故死だとあの悲しみは嘘だったのか
葬式の話をすれば人生を流れ作業に確かめてみる
子育てに明け暮れたれば病床の母は味方と信じています
つなぎゆく炎なき日の屍はドライアイスがよく似合うかな
物体は消えゆくものと墓場には石が並んで枯れた花あり
生と死を隔てるものはこころだに別れ寂しくいつしか土に
言葉さえむなしきものと病室はながれる空気ながれるばかり
叔母ちゃまはひがむ子気にし考えてあの子この子と死手紙書くか
もうみんなおとななんだと思っても記憶の彼方おさなご歩く
天国はおさなご歩く夢の道あの子この子も今は老いゆく
愛もとめ寂しき親の老いゆかば重石のような壁の隔たり

イザヤ書 30. 15-20

水槽の魚のようなわたしたちいつかは海に帰るものかな
海の中魚の遺体見つからぬ陸には魚売っているけど
海の中死はあるのかと探せども死の痕跡の見つからぬ水
生命は摩訶不思議かな海と陸近くて遠い生と死のあり
アスファルト隙間に生えたすすきの穂ひとつ逃れりアパートの塀
秋の野はすすきがあうと空き地には透かし日の下並んでおりし
すすきの穂あらくさ刈りを逃れては見事に育ち他人の土地か
すすきの穂折ってもだれも叱らねど気にしてとおる他人の土地か
すすきの穂売るなよ花屋ねがわくはあらくさのまま秋風に立ち
すすきの穂取っても礼を言われるとわかっていても泥棒みたい

使徒言行録 25. 23-27

考えてみたら、なんですすきまで雑草なんだろう・・・
空き地に勝手に生えているせいかも。
空き地がないから、売っているのか。

すすきの穂罪状書きを考えてあらくさ刈りの空き地をながめ
あらくさの並んだ野にはすすきの穂落ち日の光秋を告げゆく

消えた庭あらくさすすき並んでは荒れた庭など眺めてた秋
すすきの穂植えかえたればしおれゆく野に咲く花の気まぐれいのち
蒲公英の生きているよと芝のうえ顔を出したり悩める秋よ
みこころの気まぐれなるか秋の庭あらくさすすきいかにせんかと

あまりにも手入れしやすい庭というのも悩む。

わが庭をまじめに悩むすすきの穂今年の秋は空き地にながむ
おおげさに悩んでみればすすきの穂たかがすすきかされどすすきぞ

どこにでもあるんだけどねぇ・・・・・あるから困り、ないとくやしい。

ルカによる福音書 18. 40-43

同じ話・・・

あなたの信仰があなたを救った。
盲人はたちまち目が見えるようになった。

光さす秋の野草の立ちたれば告げゆく風の音の流れり

何となくわかってきたような・・・


◇ご返歌
鉄条網すすきの原にめぐらされ空き地と呼ぶか落ち日待つ森
ちゃぶ台をテレビの前に動かして学生気分ちびのお受験

投稿者 Blue Wind : 04:33 AM | コメント (0) | トラックバック

October 02, 2004

輝ける陽を見てぞ昼輝きを歌に詠むには眩しすぎると

渦巻けば人の流れにのみこまれこころとこころぶつかり歩く
ひとりずつ大切にするものあらばひとりずつ消えかたくなな岩
十字架に吊るされし罪なすりあい贖いおうて今深き罪
かたくなに月日流れる世の中は岩を壊すか人を壊すか
渦巻けば人の流れは轟きに平和は遠く落書きの壁

見せかけの平和のうちにとどまれば天と地下とが逃げ場となりし

結局、ゆるせないんだろうな・・・

国境はカテゴライズのライン上平和のために壁を築きぬ

ヨブ記を読んで、救われるってどういう心境なんだろう・・・

イネガリテ深まりゆかばイネガリテ一生懸命報いをもとめ

救われたいのか、報われたいだけなのか、わからん。一生懸命すぎる。

愛もとめ愛し方まで忘れては百合の花さえ飾りとなりき
マレー人家族で遊ぶプーケット隣国の花わが国の花
アラブ人黒装束のランカウイ安全地帯歩くがごとく
世の中は力なんだとアメリカは兵を送りしアジア・アフリカ
こんなにも神を愛すと言われてもアラブの人は大真面目だよ
いのちがけ自爆テロかよおおまじめ彼は今頃天国なのか
こんなにも神を愛すと言われても自爆テロかよ誰の怒りか
死の数を数えてむなし人の息とくとくという心臓の音
テロリストいなくなったら世の中は平和になるとロボット歩く

いやな世の中だねぇ・・・・・ったく。

マルコによる福音書 10. 46-52 盲人バルティマイをいやす

抗生物質を持って行くだけで、神さまかも・・・アフガニスタンなら。
アメリカが一番物騒な気がしてしまう。気のせいかもしれないけど。

地上には地上のルールあるように管制塔は空港にあり
イスラムとキリスト教を比べてはためいきまじり敷島の秋
文献を眺めるように観察は文化か人か地域か空か

逆さなんだろう・・・地球は丸い。

エゼキエル書 16. 31-34

愛の押し売り。
あんたをいやすために、あたしがいるわけじゃないわよ。
ってことはさ・・・・理解を示してはいけないということなのである。
結局、自分がいやされたいから、愛を与えようとする。
そんなのいらんと言われてもむりない。
あたしだっていらん。

なにもしないこひつじ。ジーザス。
なにもないのよね・・・痕跡がなにもない。聖書ですら、弟子が書いたものらしい。
その弟子だって、たったの12人。

見たものを詠みこもうとすると、まるで反逆者になっちまう。
あーこの矛盾。
きゃーあんなのうそばっかり〜って思うあたしが間違っているのだろうか・・・かも。

ヨハネによる福音書 19. 16-27 十字架につけられる

「ユダヤ人の王」
聖書の言葉が実現するためであった。

完璧。ぶらぼー。

輝ける陽を見てぞ昼輝きを歌に詠むには眩しすぎると

聖書の言葉の実現。
聖書の言葉が実現する。

聖書の言葉を知らない。
ユダヤ人のために書かれているから、理解できない。

人間離れした静かさ。

静かさ。

投稿者 Blue Wind : 04:36 AM | コメント (0) | トラックバック