December 31, 2007

白いマフラー

今年は実りのない一年だった。帳簿を見ながら、そうやって思う。11月と12月の忙しさを考えると、なおさらそうやって感じてしまう。かろうじて赤字にならなかったのは冬の季節に入ったからだろうし、朝から晩までノロやインフルエンザに感染した患者さんが来院し、去年はまるで気にならなかったのに、今年は一日中マスクをして、手を消毒している。インフルエンザの予防接種も2回した。ただでさえ人手不足なのに、感染して働けなくなったら大変なことになるから。

事務を1人雇おうかと思ったが、忙しい時期に募集をかけている暇はない。朝から電話が鳴りっぱなしで、予防接種とは言え、新患ならばカルテを作らなければならない。保険証をずらっと並べてパソコンの画面を眺め、電話の応対をしながら会計をする。むちゃくちゃ・・・

そういう時期が終わると、やがて暇になるような気がする。果たして、暇な時期に人を雇って何の値打ちがあるのだろう?

みんな気軽に人を雇えばと言うが、ずっと赤字の某クリニックが今年に入って予防接種で忙しくなり、すると看護師2人、事務2人もいるのに、パートで事務を雇ってほしいと職員が言ったという話を聞き、わたし的には呆れてしまった。ワクチンの本数から言って、うちのほうが1.5倍忙しい。にもかかわらず、うちは3人でやっている。そんな文句ばかり言う職員だったらいないほうがマシだ。

わたしが厳しすぎるのだろうか?
いや、そんなことはないと思う。経営的には当たり前だと思う。これが慢性的に忙しいのであれば、正直、自分がダウンしてしまう。通常の業務のほかに決算があって、年末調整もしなければならないし、どうやっても確定申告が終わるまでは落ち着かない。家は犬たちに荒らされ放題だし、年末の大掃除も終わっていない。

お金を払えば、他人が全部やってくれるのだろうけど、そうなると家計が苦しい。

わたしがケチなんだろうか?
それは正しい。
やっぱ、バカンスに行きたいもんね。朝から晩まで働いて、ユニクロ着ていてもバカンスに行きたい。普通は、そういうのを節約して・・・となるのかもしれないが、ほかに楽しみないし、どうやって考えても1年中働いてばかりというのはつまらない。

朝から晩まで働いて、バカンスに出かけて、気落ちしている娘にコーチの時計を買ってやり、仕事を辞めたいとぼやきながらも他人を雇うのはイヤ・・・

そういう愚かな母でも、お誕生日に娘が白いマフラーをプレゼントしてくれた。それをみんなに自慢しているあたし・・・
ま、いっか。

投稿者 Blue Wind : 04:05 AM | コメント (0) | トラックバック

November 18, 2007

落差についていけない・・・

10月後半から忙しくなってきたと思っていたら、11月に入り、インフルエンザの予防接種が急増したため、超多忙な日々が続いている。自分のブログを眺めたのも、もしかすると1ヶ月ぶりくらいかもしれない。

夏に差し掛かる頃から暇になってきたために、日中は家に戻る時間もあったのも束の間、夏の終わりとともにクリニックのサイトを1年ぶりくらいで更新し、ほとんどアクセス数もないと思っていたら、どういうわけか検索に引っかかるようになったせいか、サイトをみて電話がかかってくるようにもなった。

どの程度違うかといえば、暇なときには本当に暇で、酷いと午前1桁、午後1桁、かろうじて一日で2桁になる日もある。それが今は半日で70人。あまりにも忙しいので11時過ぎに受付終了のサインを出したら、看護師に叱られてしまった。

通常、初診の患者さんは6人程度。お昼時は特に暇。そういうペースに慣れているため、いきなり新患が20人以上、先週で30人以上となると、カルテをつくるだけでも精一杯。そういうときに限って、ひっきりなしに電話がかかってくる。

電話が鳴っていても、手が離せないと受話器を取らないことにも慣れてきた。

この差はナンだ?

看護師はウキウキしている。

わからんわ・・・
1人はサイボーグのようだし、1人はウキウキしている。

わからん・・・
患者さんは怒ってるだろうな・・・

もっとわからんのは、患者さんは怒ってるだろうな・・・と思う人に限って、また来ることかも。あの患者さんは怒っていたから、もう来ないかもしれないとウツウツ思っていると、またやって来る。
それでいて、この患者さんはうちのかかりつけだから、と思っていると、ほかのクリニックへ行っていたりする。

だんだんどうでもよくなってきて、受付が感じが悪いという話はよくきくけれども、だんだんその気持ちがわかってくる。

インフルエンザワクチンに気を取られているうちに、MRワクチンが欠品。看護師に、「コンピュータが珍しい」と言われた。”コンピュータ”というのはわたしのことらしい・・・

たいていの場合、患者さんのデータを眺めて、そろそろ1歳になる子の数を数えてワクチンを置いておけば、その頃になるとちゃんと電話がかかってくる。DPTワクチンも、必要な本数とワクチンの不足度などを考慮して置いてあるので、めったにワクチンがないことはない。

でもね・・・
去年の倍は増えるだろうと思ってはいたが、3倍以上にもなると、むりむり。予測不可能。
どうせ1月になると暇になるだろうし・・・
今しばらくの辛抱・・・
休みがほしい。

あー、でも、あまりにも暇だったら困るし・・・

水曜日は、まったりとしていて好きだ。

投稿者 Blue Wind : 02:26 PM | コメント (0) | トラックバック

September 13, 2007

世代間ギャップ 世相間ギャップ

ややこしいことを考えるのはやめようと思っても考えてしまうな・・・

大きなマンションが二つできて、一つのマンションの人たちは子どもを連れてきてものんびりしている。もう一つのマンションの人たちは、「こちらが何か悪いことをしたかしら?」と思うほど、つっけんどんなところがある。ほかのスタッフに訊いたら、患者さんがどこから来たのかわからないし、ましてやどこが違うのか気がつかないと言われた。

そういうことを感じるのは、わたしが受付をしているからでもあり、そういう意味では接客業なんだよなぁ・・と感じる。

看護師が言うには、先に出来たほうは比較的年齢が高い母親が多くて、後から出来たほうは若い母親が多いからなのだそう。おそらくはTXが開通する以前に販売になったか否かで住んでいる層が違うからかもしれない。TXが開通する以前は「つくばローカル」というか、ツクバ系の住人ばかりだったし、開通してからはおそらくは新聞広告などを眺めながら沿線のマンションなどを比較して購入を決めた世代の人たちだろう。

今までは、農家を中心とした旧住民と研究所ファミリーを中心とした新住民という二つのカテゴリーしかなかったこの街にまったくそういうことには関係のない人たちが住み始めたのを感じる。

うにゅ。。。

看護師に言わせると、今の若いお母さんたちは、「私のことは放っておいて」という感じでつっけんどんなのが普通らしい。「私は母親失格かもしれない・・・」などと弱音を吐きながら入ってきた母親はわたしと同い年・・・

うにゅ・・・

考えるのはやめようと思いつつ、そうやって世代間ギャップを抱えながら、ママ友と付き合っていくんだろうな・・・と思ったらきついね。わたし的には娘が中学生になったのでそういう役割は終わったと思っているけど。

投稿者 Blue Wind : 02:20 AM | コメント (0) | トラックバック

September 07, 2007

まっとうさがつまらん

やっとだな・・・
なんだかよくわからないけれども19ヶ月ぶり。
なんだか、こう、われながら集中力に欠けると思いながら、とりあえず久しぶりにうたを詠む。それがうたになっているとは思えない気がするが、まあどうでもいいや、というか・・・

ほんとうにどうでもいい。
生きるためには必要がないことがよくわかったし、おそらくはひまだから毎日日課で詠んでいられたのかもしれないし、最初はいろいろ思い悩んでいたことも時間とともにどうでもよくなってしまう。生活が変わり、母が亡くなり、すべてが規則正しい生活の中に埋没していき、朝になれば自然と目が覚め、その日の予約などを確かめ、それこそ台風でもないことには怠惰な気分にもなれない。

なまけなわたしはこの前から昼寝の時間を取り戻しているが、それでも仕事に追われているには違いない。

なんか疲れるんだよね・・・
毎朝オフィスに出勤する人たちと一緒のエレベーターに乗り、勤勉な看護師たちと一緒に仕事をするというのは。
まったくもってして自分らしくないと自覚しているにもかかわらず、どこか自分を押し殺しながら何かに迎合しているうちに一日が終わっている。

でも、そういうことにも慣れ、それが生活になっていくと別の憂鬱が。
毎日毎日患者が多いとか少ないとか、そういうことに気分が翻弄され、気分転換の旅行から戻れば、もしかするとそれが大失敗だったのだろうか、などと再び考え始め、だったらひたすら勤勉に仕事に励むしかないのだろうか、とか。

そういう気分のときには、世の中に台風が来ていることを知りながら、台風に影響されてしまうことに複雑な気持ちにさせられながら、その二つがうまくかみ合わないままに不安だけがつのる。

なんか、疲れるんだよな・・・そういうまっとうさが。
いろいろ将来のことなどを気にしたり、あれこれ一緒になって不安にかられるようなまっとうさが、自分にとっては非常に疲れる。果たして、そういうことを考えないで生きている人たちがどのくらいいるのか知りたいが、家にぼーっとしているほうがはるかに何も考えないですむことを学んだ。

それにしても年金の問題はまだまだ根が深そう。年金を着服していたという公務員の話や、こちらから申請しないと何もしないで未払いのまま放置されてしまうやり方とか。あっさり語れば、わたしには自分が将来どの程度年金が入ってくるのかまるでわからない。今まで興味がなかったのは、自分では支払っていなかったからかもしれないし、払わなくても払っていることになっているからかもしれないし、自分の分を捨ててダンナの年金を貰ったほうが額が多いせいかもしれない?
というよりも、そのときにならないとわからないことのほうが多いからかも・・・
(だって、その年齢まで生きているかどうかわからないじゃない?)

「わたしは65歳までしか生きられないんです。祖母も母もそうでしたから」

などと言っても、誰も信じてくれない、ってどうよ?
まあ、母は寝たきりでほとんど植物状態でもそれからさらに7年以上生きたわけだから、わたしもなんらかの形で生きてしまうかもしれないが、少なくてもわたしは自分の老後などまるで気にしたことはないし、ある意味、わたしは幸せなような気がしているにもかかわらず、世の中の平均寿命がおそろしいほど延びているために、気にしなくてもいいようなことを心配の種として呆れた顔をされてしまう、ってつまらん。

が、しかし、今の65歳って若いのよね・・・それからまだ2,30年くらい生きてしまうし、それを考えると若いうちから心がけよく生きているほうがまっとうな気がする。
が、しかし、そういうまっとうさが重い。

投稿者 Blue Wind : 12:59 AM | コメント (0) | トラックバック

August 24, 2007

夏の終わり

午前はともかく午後はとにかくヒマ。極端に患者さんが少ない。
わたしはその時間帯は家にいるので実際にはあまりつらくないが、看護師たちがへたっているのが何となくわかる。「忙しいほうがいいよ〜」とぼやかれても、こればかりはナンともはや・・・ただでさえ暑いのに、一日中で一番暑い時間帯に誰が動くのさ?? 熱中症を起こしそうなほど暑いときには、やたらと動きまわらないほうがよっぽど健康的な気がする。車の中だって死にそうに熱い。街路樹ですら枯れかけているような気がする。
・・・・・とわかっていても、閉めるわけにはいかないつらさ。来ない人をひたすら待つつらさか??(あーつらい)
ここは忍耐強く、何千年もメシアを待っているユダヤ人の忍耐強さを学ばねば・・・
それに比べれば、日中のヒマさなんて・・・と思わなければやってらんない。

地球温暖化と騒いでいても、実際には南の島のほうが涼しいってどうよ?
暑さだけでも試練なのに、どうもこの異常気象という言葉にはまいってしまう。

最近の気になるニュースは、甲子園で佐賀北高校が優勝したことと、中華航空の話題。
強豪を破って、初出場で初優勝。ふつうの県立。久しぶりにスカッとしたニュースだった。
中華航空はなんと言ったらよいのだろう・・・乗客は確かに危機一髪で全員無事だったけど、一歩間違えば大惨事。最後まで残っていた機長は果たして英雄なのだろうか? 日本だったらこの辺で、航空会社の危機管理についてのバッシングがメインになるところが、逆に機長の英断がトップニュースとして台湾では話題になっているらしい。何となく釈然としないけど、台湾からの観光客が減るよりもましな気もする。
が、しかし、わたし的には中華航空には乗りたくないが。
関空への臨時着陸も、名古屋空港で35分間着陸できなかったことが原因らしい。それを燃料不足と伝えるか、安全を考慮した機長の英断ととらえるかでは、ずいぶんニュアンスが違う。

報道の仕方一つ比較しても、同じ出来事がまるで違う出来事のよう。一つわかったのは、日本の報道はネガティブな側面ばかり伝える傾向があるということ。そんなニュースばかり眺めているから、異常気象なんていう言葉が先行するのかも。

***

娘はウキウキしながら研修旅行へ行ってしまった。京都と奈良で歴史のレポート。
ベトナム帰りの患者さんが2名。食あたり。ベトナムの油は濃厚らしい。
ミャンマー人が日本の企業に勤めて海外赴任ってどこへ行くのだろう?
濃厚な時代。

投稿者 Blue Wind : 12:35 AM | コメント (0) | トラックバック

August 22, 2007

時間減少

近頃、自分の時間が極端に減った気がする。
自分の時間というのがどういうものなのかわからないけれども、おそらくは好きなことをやっている時間のことなのかもしれない。好きなサウンドを聴いたり、ウェブで遊んだり、・・・?

仕事はおもしろくない。
楽しいこともあるけれども、気を使う場所でもあるし、明るくても暗くてもどこかうしろめたさがあり、結局マネージメントを1人でやっているせいか、保険診療は別として、自由診療などはこれでよいものかと思案するところはほかの商売と同じ。それでいて、そういうものだとすっきり割り切れない職種でもあり、そういうものに巻き込まれてしまったことに対する後悔も多々ある。今さらぼやいても仕方がないけど・・・

ある開業医の先生が言っていた、「病院勤めの頃は患者を待たせる側だったけど、開業したら待つ側なんだよ」と。看護師ですら、「忙しいのは苦にならないけど仕事がないのがつらい」と言う。

皆、忙しい生活をしていたのだと感心してしまうが、おそらくはそうやって気が張り詰めていたほうが気がまぎれるのかもしれない。余計なことを考える時間もする暇もないし、毎日やることが山ほどある。

が、しかし・・・
わたしは違うもん。
そうやって気が張るような生活はストレスだらけだし、できれば自由に過ごしたい。ただ何をしたい、というわけではないけれども、何となく毎日が過ぎてゆき、ヒマならヒマなりに結構やることも多い。家にいて何が楽しいのかわからないと言われ、そうやって言われればその通りなのだが、時間が余るからといって特に退屈するわけでもないし、少なくてもヒマだけど退屈していたわけではない。むしろその逆。家にいるほうが退屈しないですむ。

仕事は退屈だ。
毎日決まった時間に決まったことをやるだけだし、その時間がヒマだからといって勝手に抜け出すわけにもいかない。楽しくないわけではないが、時間に拘束されているという意識が頭のどこかにあり、それが仕事というものなのかもしれないと、近頃になってようやくあきらめに近いものを感じ始めた。

だったらどうやったら楽しくなるかを考えているのだけど、あまり楽しそうにしていると変に思われそうだ。医療の人たちは忙しくしていればいるほどいつも誰かのために何かをしているという意識がほかの仕事よりも高いと思う。社会に貢献したいという気持ちがなければ続かない仕事なのかもしれない。

が、しかし、開業ってどうよ?

どうやったら患者さんが来てくれるかをまじめに考えているのは、わたしだけかもしれない。何かどこか感性が違う。
少しゆっくりそういうことを考えたいのだけれども、あまり考えるとウツウツしそうだ。
今まで忙しかった人たちが、そういうことに慣れるまで、3年くらいかかるのかもしれない。

投稿者 Blue Wind : 03:17 AM | コメント (0) | トラックバック

August 19, 2007

暑かったのだろうか・・・

ちょうど一週間グアムへ行って来た。雨季で、前半はお天気に恵まれず、スコールだからすぐに止むだろうと思っていたけど、最低でも数時間は降り続く。このためうだうだしながら部屋でテレビを観ていたら、釧路で40度を越す猛暑だとニュースで言っていた。その時は、「へぇ〜」と思っただけ。

海に近いのに風がないせいか、本当に雨が降っているかどうか、外へ行かないとよくわからない。バルコニーへ出ても濡れるわけでもないし、蒸し暑さは日本と変わらない。夜通し落雷があったみたいだけど、音が聴こえるほうがめずらしい。空が光っているのに音がしないのは、窓の向こうの大半が海だからか。

混みあう季節のはずなのに、ビーチもプールもショッピングセンターも空いているし、そういう時に混雑しているのはショッピングモールのフードエリアだけかも。ほぼ満席の状態が慢性的に続いている。大半は地元の人たちで、家族や友人で何時間も座って話している気配。

タモンは街中に日本語と韓国語の看板が目立ち、ホテルのテレビも日本語と韓国語の放送が流れていた。ランチ付のジェットスキーのツアーに行ったら、ランチのメニューがスペアリブと白米で、つけあわせにキムチが2品とノリのようなものが1品。不思議な取り合わせだった。

鉄板焼きの店に行ったが、メニューには日本語で和牛と書かれていたのに、どう考えても和牛とは思えない。理由は少し臭みがあったから。マスタードを出された。ポン酢もどきで食べるよりもマスタードで食べるほうが美味しかった。味噌汁もインスタントっぽかったし・・・それでも混んでいるところが不思議だった。

スーパーで買った卵の黄身の色が日本と違う。日本の卵のほうがオレンジがかっている。味も淡白。消費期限も書かれていない。グアムの料理は塩味が薄く、濃厚に甘いものが多い。暑いのに汗をあまりかかないのにはそのせいかもしれない。いや、実際にはあまり暑くなかったのかも・・・

***

夜、成田に到着。外は涼しい。
が、しかし、家に戻ったらエアコンが故障したのではないかと思うほど、蒸し暑かった。

翌朝、熱中症で56人が亡くなったという報道が・・・
看護師に訊いたら、わたしたちがグアムにいる間、連日猛暑が続いていたそう。で、空がオレンジ色になるほど(?)の落雷があり、ちょうどそれが終わった頃に涼しくなり、涼しくなった頃にわたしたちは戻ってきたらしい。

それにしても寝ているうちに熱中症になるというのがいまいちわからず訊いたら、日射病と熱中症の違いを教えてくれた。日射病というのはいわゆる日射病で、罹ってしまったら水分を取ったり、クーラーで体を冷やしたり、あるいは脱水を起こしていれば点滴をするが、熱中症というのは外気の温度が高温のために体温が異常に上昇しているのが原因なので、うっかり点滴したりするとそのまま死んでしまうそう。だから、氷で首の後ろやわきの下を冷やしたり、濡れた毛布をかけたり、ひたすら体温を下げるしかない。処置がまるで違うので、うっかり間違うと大変なことになる。

この前、バスの中で熱中症を起こしていた赤ちゃんの場合も、職員が日射病と熱中症とを取り違えていたため起こった悲劇だそう。日射病ならエアコンで冷やしたりすると良くなるが、熱中症の場合はそんなことでは治らない。血液の温度が上昇しており、それが原因で一瞬にして亡くなってしまうそう。

何となく、デカン高原の話を思い出した。大昔、インドのデカン高原では毎年100人以上の死者が出て、人々は水をかぶりながら寝るという話を読んだことがある。その時には遠い国の出来事だと思っていたが、それこそ暑い夜には水風呂にでも入って体温を下げるしかないのかも。が、しかし、グアムの夜のプールは日中よりも生ぬるかった。

投稿者 Blue Wind : 04:59 AM | コメント (0) | トラックバック

July 27, 2007

狭間

世の中すっかり夏休みモード。夏のつくばがこんなにあわただしく、閑散としていることに初めて気がついた。
学生の大半は7月中には帰省してしまうし、こんな時期につくばに残っているのは就職活動中の学生だけのような気がしなくもない。子どもたちは夏休みで帰省してしまうか、夏期講習か、友達の家に群れているのかもしれないし、中学生にもなると毎日部活やら補講やらで学校がある。娘の夏休みのスケジュールも目いっぱい。

それにひきかえ、親は・・・
気持ちだけは夏休みモードなのに、やることがあってあわただしい。旅行の用意は早々に済ませているくせに、ペットホテルの予約が遅れたために、危うくオト・マリ・テン・ナナの預け先を探さなくてはならなくなるところだった。一匹だけならともかく、4匹ともなると大変だ。結局、断られて、そこを何とか毎年預けている獣医さんのところに2匹ずつで部屋をシェアするという条件で無理やり預かってもらうことにした。

・・・・・・4匹というだけで断るってどうよ?(気持ちはわかるが・・・)

夏は患者さんも少ないし、のんびりしているのはいいけど、そのくせ予定はいっぱいで、ヒマなくせに忙しい。雑用?が8月の後半に集中し、果たして旅行から戻って通常モードに戻れるかどうか自信がない。

近頃、夏休みボケでぼーっとしていることが多い。勤労意欲もない。そのくせ3者面談に呼び出され、コツコツあがっていた娘の成績が前回のテストで一気にさがり、面談の前くらい勉強しろよ、と思いつつ、センター試験って何さ?と思いながら、センター試験が昔に比べて易しくなったのではなく、センター試験で一定の成績を収めればほかの試験が免除されるくらい影響力のあるものだということを初めて思い知った。おまけに実技??就職難???芸大は5浪6浪が当たり前????

現実を考えると、少子化だのゆとり教育だの、と言っていた頃はすでに遠い昔のような気がしてしまう。なんか、こう、また世の中が激しく方向転換しそうな気がして、不気味な今日この頃・・・

投稿者 Blue Wind : 01:26 AM | コメント (0) | トラックバック

July 13, 2007

経過観察

一般社会とまるで違うのだもの、参ってしまう。

この前、いきなり電話がかかってきて、娘が審査に合格したという連絡がきた。もしかすると怪しいところからの電話かもしれないと思ったが、大手の出版社だったのでこの前届いていた封書と関係があるのかもしれないと思った。くま先生にも尋ねたら、怪しいところではなさそうなので、とりあえず面接に出かけることにした。

・・・・・・・いろいろお話したなかで印象に残っているのは、美大の高い学費と、「才能のあるやつは卒業まで残っていない」という台詞。娘はまだ中学生なので、いきなりプロになるための通信講座と言われてもぴんとこない。そこでいろいろ見せてもらい、あの世界には年齢は関係ないことを知る。高校生でも3億、4億稼いでいるそう。わたし的には、高校生で漫画家をしていること自体が驚きだったが、そういう世界を目指す人たちのための講座があること自体にも驚いた。

まだまだ先のことだと思っていたが、本気で美大に進学するつもりなら今からやっても遅いくらいだと言われ、そのくせ美大に入っても、就職先があるのは3つくらいの大学と一つの専門学校くらいのもので、卒業まで残っているのは才能のないやつ、絵の上手なやつは履いて捨てるほどいる、と言われた。

娘の前に来ていた母子。高校生くらいだろうと思っていたら、地元でももっとも難しい高校の生徒で、受験も近いし、先生に国立を狙えと言われているのでイラストどころではないということだった。それならどうしてそんなものに応募して面接にまで来るのか理解に苦しんだが、気持ちがわからなくもない。娘の後の面接のいく人かは地元の国立大学の学生さんたちで、就職難だからという理由で、卒業後の進路の選択の一つとしてアート方面を考えているらしい。

・・・・・・・・だったら、中学生でやったほうがましなような・・・・・・・

せっかく受験勉強をして大学に入って、いざ就職難となるとイラストの勉強でもしようかという・・・
気持ちもわからなくもないけど、何となくむなしいような気がした。

それにしても受講料もバカにならない。塾へ行かせていると思えば大したことでもないのかもしれないが、ぼーっとしているうちに娘も高校生になってしまうという実感が湧いてくる。そうやって一生懸命に育てて、公務員か会社員というのが普通なんだろうな・・・などと思いつつ、就職難の言葉の持つ意味が圧し掛かる。

まあ、何でもいいや・・・と思いつつ、娘はやる気になっているし、それ以前に自分で勝手に応募していたのだし、感性テストが満点だったので喜んでいる。日頃、満点のテストなどには縁のない生活をしているため、そのエネルギーを勉強に向けてくれないかとも思ったが、せっかく高校受験がないのだから、その分、好きなことをやらせてやってもよいのではないかという気もする。

しばし経過観察。

投稿者 Blue Wind : 01:12 AM | コメント (0) | トラックバック

June 24, 2007

もう少しの辛抱か・・・

健診のシーズンたけなわで、健診に引っかかった人たちを含め、今の季節、想像以上に忙しい。夏は患者さんも少ないし、ヒマだと聞いていただけに喜んでいいのか、ストレスに苦しんでいいのか、すごく気を使う毎日。何にこんなに疲れるのかわからないが、やたらと疲れまくっている。

要するに、小児科なら小児科、という具合に、似たような患者さんばかりいると気楽だ。ところが、電車の中の子連れを想像してほしい・・・ 夏休みなどで皆が皆家族連れなどならさほど疲れない。ところが、周囲が大人ばかりのところに子どもが混じっていると、何となく疲れる。検査や健診の人たちに混じって、子どもがいる。そうなると、何となく殺気立ってくるような気がする。何が違うのかわからないが、そうなんだから仕方がない。どうしてもぴりぴりぷりぷり空気が重い。

まあ、いいんだけどね。それが仕事なんだから仕方がない。家で子どもと一緒に昼寝しているほうが遥かに楽しい。それでも世の中はまわっているし、ぼーっとしているほうが気楽。が、しかし、一方ではせわしなく生活は続いていく。

わたし自身も健診に引っかかったので、開業したばかりの眼科へ行った。どうしてそこにしたのかと言えば、どうせ開業したばかりでヒマだろうと思ったから。案の定、ヒマなクリニックだったが、まるで平日の遊園地のような空間で、患者も自分ひとりしかいない。職員が4人くらい中央の受付に座りっぱなし。わたしは1ヶ月前に健診で視力検査をしたばかりなのにフルコースでやられ、瞳孔を開く検査をしなければならないと言われ、その他諸々の理由でわたしはそこへは2度と行かないと思った。

その話を看護師に言うと、何となく喜んでいる。喜んでいる理由はわからないが、一つには、無駄な職員が座っているより、少ない職員で一生懸命にやっているほうが好感度が高いと悟ったせいかもしれないし、同じような時期に開院したところがのきなみ悪戦苦闘中で、うちの目と鼻の先で開院したところの調剤薬局が閉鎖することになり、それとは裏腹にうちは目立たないながらも徐々に来院患者数が伸びており、この半年の苦労を考えると少しは喜んでもばちはあたらないような気がしてしまうからかもしれない。

へとへと。
なんかね・・・
患者さんの数が増えれば、なんとなくクレームも発生しやすくなるし、そのフォローだけでも疲れる。

へとへと。
皆、人間なんだよね・・・
当たり前のことだが、近頃、業者さんも患者で来院してくれるようになった。保険証を見て、製薬会社の人だと思いつつ、家族はまるで関係ないにもかかわらず、そうやって地域社会の連鎖は続く。そういうことを続けているうちに、次第に家で寝ているほうが気楽だということを思い出し、それでいて皆に働けと言われてしまう。

仕事だとパッと電話にも出るし、声も1オクターブくらい違うし、のきなみ愛想もよくなる。看護師がわたしが家にいるとき「何かあれば電話しますから」と言う。が、しかし、「わたしは電話にはあまり出ないのよ」と言ったらあきれていた。

ワクチンのことから始まって、職員の採用・不採用、企業健診の選定、業者の分散、クレーム処理、その他諸々わたしは微妙に慣例とは違うことをやっているらしい。だから、なんでそんなことをするのかといろいろ言われていることは知っている。が、ちゃんと理由はあるのよ。が、しかし、それをいちいち説明するのはかったるい。というだけのこと。

まあ、いいや。結果オーライなら誰も何も言わなくなる。もう少しの辛抱・・・・(ならいいけど)

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June 12, 2007

老後事情

今はまだ実感が湧かないけれども、大変な世の中になってきたことだけはわかる。どんどん高齢者は増える一方なのに、高齢者の居場所がない。病院はすでに慢性病床は消えつつあり、寝たきりの人たちは医療を行わない施設か自宅で死を迎えることになる。

自宅に家族か付き添いの人たちがいて、在宅の医師が夜中でも来てくれる人は幸せだ。そういう風にしようとばかりに世の中が動き始めていることだけは何となくわかる。だけど、誰がそれをするのだろう? 勤務医は病床を持っているだけでも大変だから、今度はそれを開業医がやれという。開業医だって昼間は外来がある。在宅のように予約制なら回れるかもしれないが、実際にはそういう人たちはすぐに容態が変わるため、常に24時間呼び出される覚悟がなければ在宅などできない。とすれば、医師一人で診れる患者の数には限界があり、しかもそれをやるためにはやるための法的な規制があり、体制や職員の確保などを考えると、一体誰がそれをするのだろうかと悩んでしまう。

先に開業したダンナの同僚は、大阪で100坪で開院した。大学のサテライトという話だったが、実際にはコンサルがついて、100坪のうち30坪はまるで使っていない空間で、来院患者数が増えれば整形外科が行っているようなリハビリなどをするスペースになったのかもしれないが、実際には在宅と往診で何とかやりくりしているそう。何のために高い医療機器を買い、設備を整えたのかわからない。わたしがコンサルだったらまずは機械などには投資せず、在宅から始めることを勧めるだろう。

が、しかし、長い間病院に勤めていると、治療するにはあれも必要これも必要ということになり、それでも最低限度のものしか揃えていない、と口々で言う。ところがいざ開業すると、その手のシロモノはまるで不要で、本当の意味で治療の必要な人たちは病床のあるところ、つまり病院へ行かざるを得ない。

それではどうしたらよいか?
結局、自由診療をやれ、という風潮になる。そのくせ、保険診療と自由診療はまったく別々に算定しなければならず、混合は認められていない。それを負担できるような人なら別だけど、今はどういうわけか単なるコンタクトの処方にも病名のつく時代で、病気でもない人たちが病院へ行かなければならないらしい。

どうするのかな・・・

わたし的にはもうこれ以上投資を増やしたり職員の数を増やしたり、勤務時間を24時間制にするつもりはない。それでいて保険点数はどんどん減らされるらしいし、以前だったら医局に相談すれば誰かアルバイトの医者を送ってくれたものだけど、今はあちらはあちらで研修医の数が減り、おのずと慢性的に人手不足の状態だから、これ以上は無理だという。

どこもかしこも混乱していて話にならない。

そこで医者を必要としない介護施設などがあちこちで出来、今度はどういうわけかそういうところが慢性的に赤字らしい。茨城県ではすでに認可が下りないほど数が増えてしまったという話を聞く。ニーズはあるはずなのに実際のニーズがないのは、茨城の場合、自宅で介護しているところが多いからだというが、都会ではどういうことになっているのかわからない。わたしの知る限り、そういう高齢者のための施設はおそろしく高いか、自然の豊かな辺鄙なところにあるかのどちらか。高齢者ほどスーパーや医者がすぐ近くにあるような便利なところに住みたがることを考えると、何かどこかが違っているのだろう。

誰が自ら好んで、家族から離れてそういうさびしい施設へ行くのか、誰か知っていたら教えてほしい。

かと思えば、老健施設やベンチャーと共同で開院するところも増えてはいるけれども、来院数は普通に開業したところのほうが遥かにまし。理由は知らない。診療所というのはあくまでも医療を行うところだから、利用者の側に自由診療というものに対してのキャパがないような気がする。

自分が年をとったときのことを考えると、おそらくは元気だったらあちら、治療が必要だったこちら、という具合に勝手に振り分けられてたらいまわしにされ、それに伴い家族が一緒に振り回されるか、放り出されるかのどちらかしかない。それか、ひたすら自宅に篭って医者には行かないようにするしか逃れる道はないのかも。

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June 11, 2007

雨の中の娘

今日は英検。お昼頃、受験票を忘れた娘から電話があり、車を飛ばす。試験会場の中学校の校門のところで、雨の中、娘が待っていた。ずいぶん背が高く見える。遠くから見ると高校生みたいだった。

試験が終わるまで時間をつぶし、再び娘を迎えに行く。友達と一緒にがやがやと娘が歩いてきた。背が高いのですぐわかった。小学生の頃は入学から卒業までちょうど真ん中くらいだったが、今年のクラスでは一番背が高いそう。最初、小粒のクラスにあたったのかと思っていたが、同じ年頃の子たちと一緒にいるとやはり背が高かった。それでも去年はまるで小学生のようだった娘の友達もどこか大人びてきて、そのうち高校生くらいになると、道ですれちがってもわからなくなりそうだ。わたしは子どもの頃から背の高いほうだったが一番背が高かったことはなく、年頃になればさほど背が高いとも言われなくなった。

それにしてもうちの娘は一発勝負に強い。学校の成績は悪いのに、子どもの頃から検定にも入試にも落ちたことはない。誰に似たのだろう・・・不思議だ。最初に受けた英検の場合、筆記は3問しか正解がない。どうせ落ちるだろうと思っていたら、リスニングが満点だったので小指一本引っ掛けて合格していた。ちなみに握力もクラスの女子の中では一番あるらしい。あの子の場合、すべてがマイペースで進められるため放っておくしかない。

それにしても理科の成績が悪い。あの成績では、理系と国立は無理だろう。そうなると、美大・女子大コースですかね・・・あるいは私立文系というやつだろうか。そのせいか、この手の話になると、父さんひとりどんよりしてしまう。

がつがつ仕事ばかりしている息子より、孫を連れて帰ってきてくれる娘のほうがわたしには頼もしい。

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June 10, 2007

はちゃめちゃ・・・

世の中がどうなっているのかわからないけれども、大学病院から研修医募集のお知らせが届き、「はあ?」となってしまった。私立の学校案内のような内容が書かれ、給料と待遇とカリキュラムが書かれている。大学の医局に残るのが当たり前で、時給10円交通費その他の経費が持ち出しだったダンナの頃とは大違いだと思って眺めていた。

それと同時に、世の中の開院ラッシュは続いており、問屋さんがその数の多さにクリニック名を覚えられない、回りきれない、とこぼしているし、近所に出来たクリニックの隣の調剤薬局ではほとんど薬を置いていないという噂まで聞く。問屋さんに聞いてもほとんど情報が入ってこないというのはそういうことらしい。

そのくせ医師会の集まりでは実にその手の情報が出回っているようだ。なんでそんなことまで知っているんだろう、ということまで知っている。新しく開院したところでは、来院患者数0更新が続いているとか、開院以来ずっと一桁とか・・・それとは逆にすこぶる経営が順調のところの院長は医師会にはあまり顔を出さない様子。医師会に入っていない医師もいる。

この世界、はちゃめちゃ。

一方で、癌で胃がなくても平気な顔して働いているし、高熱にうなされていようがボルタレンを使って平気な顔をしている。自分が心臓のオペをしたばかりでもすぐに復帰しちゃうし、そういう病人が風邪のお子さんを診察したりしている。この前もダンナが出血し、「おーーっ、医者に行かねば」と思っていたら、「石が出たから平気だろう」と言って終わり。患者さんには薬を出したり紹介状を書いたりするくせに、自分のことだと治ったと思えば終わり。

いいんだけどね、別に。次第にどうでもよくなってしまう。自分に厳しく他人に甘く、それが仕事だから仕方がない。

”仕事”というのは甘美な言葉である。
ちょっと何かどこかが変だと思っても、仕事という響きに置き換えてしまうと、それが当たり前のような気になってしまう。

そもそも公務員が農家の悪口を言うのは変だ。大抵は教育絡みのことが多い。価値観が違う。
価値観が違うと言えば、まだましだ。それを具体的に考えると、おそろしい。相続税を払うためにゴミの収集車に乗ったり、タクシーに乗ったり・・・税金を払うために?
そこが変だ。
わたしだったら働きたくないから、土地を売って払えばいいじゃないかと安易に考えるが、土地を売らないためには税金を支払うしかないとなると、単に税金を支払うために働いている。そうやって集められた税金を搾取するために公務員の子たちは勉強をするのか?
大抵の人たちが働くのは、生活のためとか子どもの教育費のため、とかだと思っていたが、税金を払うために働く、というのはすごすぎて、まじめに考えるのをやめたくなってしまう。

自宅開業の先生が言うには、子どもの医療費をタダにするのをやめろ、と言う。理由は、夜にやってきて何事かと思えば、子どもが咳をするから診てほしい、という。別に大した病気でもない。で、そういう人に限って医療費が公費の扱い。夜間診療をやっていないからわからないが、わたしだったら仕事だと思って愛想の一つも振りまいてしまいそうだ。昔から無愛想な先生で有名だったが、そんなことを考えていたのか・・・と今さらながらナットクしてしまう。

わたし的には、夜、母親が心配になって子どもを医者に連れて行くのは当たり前のような気がしていたが、公費の無駄遣いと言われてしまうと返す言葉もない。それに、自費だろうが公費だろうが小児科に限ってはあまり深く考えていない人のほうが多いような気がする。予防接種って高いんだけど、子どものためなら、という人も多いし・・・生活保護の人だって子どものためならかまわないと言う・・・が、しかし、子どもの場合なら罹患してしまったほうがよいような気がするから説得はするけど。

なんか、はちゃめちゃだ。

やっぱ余計なことは考えず、日々日日の労働に埋没しているほうが気が楽だ。しかも、マイペースで・・・
まあ、順調なんだから順調なんだと思って、少しも順調なような気がしない、と思いながら働くのはやめよう。

投稿者 Blue Wind : 01:55 AM | コメント (0) | トラックバック

June 09, 2007

雰囲気

今日、お昼休みに大通りを車で走っていたら、中央分離帯を鴨の親子がお散歩していた。信じられない・・・どこから来たのだろう。しかも、雛が3羽、よちよち歩きで車道へ飛び出す。

前の車が渋滞しているので事故でもあったのかと思ったら、鴨の親子だった。後ろの車が隣の車線へ車線変更したのは何となくわかったが、こちらはこちらで雛を轢くのはいやだ・・・危ない、危ない・・・

などと思いながら、平和な午後だった。

それにしても昼寝の時間を取り戻したのはよいが、きっちり買い物をしてランチを食べその後すぐに昼寝する。もはや仮眠ではない。起きるとやたらと重力を感じ、頭と足がやたらと重い。つまり、まだ頭の中が寝ている状態で起きなければならず、1日に2回も出勤前を迎えるというのも楽ではないことに気づいた。

何でもやってみないとわからないなー、と近頃しみじみ感じる。

昨日は診療後陣中見舞いからかかつてのダンナの上司が来た。1月の暖冬の頃、本当に患者の数が少なくて参っていた頃に電話で話して以来だ。その時に言われたのは、「いつでもコンサルを紹介するよ」という台詞だった。わたし的にはあまり参考になる意見とは思わなかったが、要するに勝手に開業し、苦労し、開業当初の2年間は家庭の中がどつぼに暗く、奥さんを慰めるためにコンサルを必要とした、ということを教えてくれた。

うちの場合は、とりあえずその手の暗さはすでに終わったが、家庭を救うためにコンサルに何万も払うのなら、わたし的にはバカンスへ出かけたほうがうれしい。仕事が終わってから買い物をして食事の支度をするのなら、お昼に買い物を済ませたほうが平和。

その間、診療所には看護師だけしかいない。

それを言ったら、「暗いなー、やめろやめろ。受付を看護師にやらせるというのは暗い。流行っていないクリニックのまねをするな」と言われたそうだ。

痛いところをつくなー、と思ったが、実際、昼下がりの時間帯は大抵ヒマだ。午前は何となくあわただしいし、患者さんも多いけど、午後は開院以来、特別なことがない限りヒマ。新患も1人くらいしか来ない。そういう時間に何も人を雇ってこれ以上遊ばせておく理由はない。・・・・とわたしは思う。

そこで患者さんの気分になって院内へ入ってみた。たまたま患者さんが座っていて、その向こう側に看護師が二人パソコンの画面を眺めていたが、特に暗いとは思わなかった。まあ、若い女の子が座っているよりはさすがに重いか・・・が、しかし、患者さんが不安になるような雰囲気でもないし、お昼はそれなりに明るいからよしとしよう。(ほんとか?)

一つわかったのは、年寄りが時間をかけてじっくり座っているような雰囲気ではなく、むしろ若い人たちが気楽に入ってぱっと去っていくような雰囲気。

雰囲気がすべてなのかもしれない。

投稿者 Blue Wind : 12:32 AM | コメント (0) | トラックバック

June 06, 2007

昼寝の時間を取り戻す

ようやく奥さんというのは働かなくてもよいことを皆が思い出してくれたらしく、わたしはしっかり昼寝の時間をキープすることにした。つまり、午前中と夕方の忙しくなりそうな時間帯だけ働く・・・

だって、受付だけではなく、経理、税務、労務、福祉、電子カルテのことまでほとんどわたし1人でやっているのだし、ただでさえ医療関係はレセプトだのナンだのややこしいことが山ほどある。それを今まで働いたこともない素人のわたしが1人で淡々とやっているのだから、何もベテランのナースが2人もいる必要性はないではないか。採血と健診だったら誰でもすぐにできそうな気がする。患者さんにしてみれば、ベテランの事務をどこかから引き抜いてきた、くらいしにしか思わないし、文句を言われる筋合いはない。

半年経っても新しい仕事の一つも覚えないような職員がいたとすれば、せせら笑ってもいいんじゃない?

そういう高慢ちきな態度が素晴らしいとは思わないが、それくらい高慢ちきにならないとやってられない。だって別に誰かほかの人がいて仕事を習ったという記憶もないし、それこそコツコツとマイペースで覚えていったのである。他人に言われたことしかやらない、やれない、あるいは言ってもやらないような職員は無能だ。なーにがしごとなんだか・・・あほらしくってやってらんない。

というわけで、わたしは午前の仕事が終わったら買い物をして家に戻り、夕飯の下ごしらえをして昼寝をすることにした。仕事は無能な人たちに任せ、わたしは家で昼寝をする。へいわ。

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June 04, 2007

悪循環

むしゃくしゃする理由はいくつもある。考えたらまたむしゃくしゃするので考えないほうが平和かもしれない。そのうちヒステリーになりそうな気もするし、ヒステリーを起こしているほうがさっぱりしていいかもしれないと思いつつ、そうも言ってはいられない。

姑さんも昔に比べたらパワーダウンしているのが分かる。以前だったら一方的にヒステリーを起こしていたが、近頃わたしのほうがヒステリーになりそうなので、どうもひるんでいるのが様子で分かる。だって忙しいし・・・

今度は神経痛で右手が動かないらしい。まるで神経痛を起こした原因が、わたしがいつまでも荷物を発送しないからだと言わんばかりだったが、わたしはわたしで忙しいし、娘は試験だったし、おまけにこちらは忙しくて医者へ行くヒマがなく、行ったらいきなりオペになり、その原因がおそらくは疲労でぼーっとしていたために口の中を切り、唾液腺を噛んでしまったのが原因。そういう具合だから口内炎とは違って薬ではもはや治らない、にもかかわらず、1ヶ月以上それを我慢していたのである。自分がそのありさまなのだから、とても姑さんに付き合っているヒマはない。義姉は義姉で、出血してこの3日間ばかり寝込んでいるそう。いろいろ心労があるのだろうか? 両方の親に挟まれるとダウンしてしまう気持ちも分かる・・・が、単に体調を崩しただけなのかもしれないし、本当のところは分からない。

ナナはわたしが放置していてもすくすく育っている。まあ、母犬が育てているのだから当たり前のような・・・
近頃、目が開いて、犬らしくなってきた。テンはまるであざらしのような顔をしていたが、ナナは上から見るとまるでねずみみたい。目が開いたばかりで寝ぼけた顔をしているところが兄弟そっくり。テンはオトにもマリにも似ていないが、ナナに似ている気がする。

土曜日に地震があったらしい。わたしはちょうど車に乗り込んだばかりで、車が揺れているので故障したのかと心配していた。後でそれが地震だったと知る。家に戻るとまた聖書が落ちていて、また表紙が取れていた。またテンの仕業かと思ったが、かなり大きな地震だったようで、それが原因かもしれない。それとスティックのりで貼り付けたのが原因か? 仕方がないので、今度はまじめにボンドを使い、しっかり貼り付けた。

さあ寝よう。
また明日から仕事。
医療関係なんてやめておいたほうがいいね。かったるいだけだから・・・ボルタレン使ってまで働かされる職場なんてやめておいたほうがいい。あまりにも非人間的だ。

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June 03, 2007

かったるい

仕事なんてうんざりだぜ。
さっさと辞めて家で昼寝していたい。
むしゃくしゃする。
他人に雇われているのとは違い、辞めるわけにはいかない・・・かといって新人を雇えば自分の仕事が増えるだけ・・・考えるだけでも憂鬱になる。バカらしいほどかったるい。
近頃、蒸し暑い。
他人は頼りにならない。
やっぱパートでも雇って家で昼寝していようかな・・・それが賢明な気がする今日この頃。

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May 27, 2007

学生は正直・・・

学生は正直だと思う・・・嘘がない、という意味で。
たまに思うのだけど、どうしてカップルで医者に来るのだろう?
それでは集団で群れている子たちには、ステディな関係の人はいないのだろうか?
すごく悩んだのだが、結論としては、いない、と考えてよい。
ゆえに、彼らは正直なのだ。

なんでそんなことを深々と考えてしまうかというと、デリカシーの問題である。
このところの麻しん騒動で、予防接種の若者たちの来院が増えている。中にはクラブで取りまとめてやって来る子たちもいる。が、どうしてもワクチンの数の計算が狂ってしまう。こちらからすると、すべて学生さんで、クラブ関係の人たちなのだが、カップルや友人同伴で来るとこちらとしてはお手あげ。いちいち名簿をもらって確認しているわけではない。

クラブ関係の予防接種の予約を受けて、最初に飛び込んできたのがカップルである。その後がやがや男の子たちが入ってきたため、別々に会計をする。すると、「今、払わないとダメですか?」と訊かれたので、てっきり彼女の分まで負担するのだろうと思っていたら、支払いはブランドものの財布を取り出し、彼女のほうが払って行った。

いや・・・
それはそれでどうでもよい。
そのときにちらっと思ったのは、その彼女は美人でスタイルもよくしかも頭もよい。しかもそこの大学にはめずらしく洗練されている。が、彼女は嫉妬深い・・・

その後、麻しんワクチンが無くなり、麻しん風しん混合ワクチンを使うようになった。風しんは女性には危険。接種時はおろか、接種後2ヶ月は妊娠してはいけない。

若い女の子たちに妊娠の話をするのはデリカシーがないような気がするが、重要なことなので言わなければならない。女性同士で来ていたり、1人だったりすると、別に気を使う必要もないのだが、何となくカップルで来ている女性に言うのは何となく気がひける。

いや・・・別にいいんだけどね、どうだって・・・
だけど、学生は正直すぎる。
男の子が熱を出し、再びカップルで来る。同じ大学なので、女性同士で連れ立って来ている子たちとも知り合いだ。が、しかし、しばらくすると同性同士で来ていた側がそそくさと逃げ出しモードに入る。彼氏のいる女の子といない女の子の間には深い垣根があり、互いに交わることはない。男の子が診察室に呼ばれ、友達同士で連れ立って来た子たちが一緒に帰ってしまうと、あたりに不信感を漂わせながら彼女ひとりが待合に残る。

男の子はいいんだよね・・・彼女がいるからといって遠慮しても孤独感が漂うことはない。だけど、女の子が友達に遠慮される、というのはどこか孤独感が漂ってしまう。

その違いはどこにあるのだろう?

恋人ができたり、結婚すると、女の子はどうしても友達と疎遠になりがち。
どうしてそういうことになるのだろう?

学生は正直なのだ。

投稿者 Blue Wind : 01:53 AM | コメント (0) | トラックバック

May 25, 2007

息子の染髪代の支払いについて

この半年の間で、朝から晩まで激しく雨の降る日は今日だけだったと思う。
毎日患者さんを待つ生活をしていると、お天気と密接に関連しているとしみじみ感じることが多いし、雨が降っているのかやんだのか、風が吹いているのかやんだのか、ずっとビルの中にいると、患者さんに言われて気づくことが多い。

半年というのは、ずいぶん長いと思う。
ベビーカーで来院していた赤ちゃんはしっかり歩くようになっているし、この前制服を着て来た子がいきなり髪を染めて私服で来たりすると誰だかわからなかったりする。高校を卒業する前と後ではずいぶん雰囲気が変わるということを知る。

が、しかし・・・
男の子が髪を染めるのが当たり前な時代、今までそんなことを考えたことはなかったのだが、彼のお母さんが来たときにちょっと訊いてみた。

「お小遣いで染めたんですか?」と。

すると、彼の母親は笑いながら、何でもなさそうに、「重かったので、床屋で染めて・・・」という具合。

いや・・・別にどうでもいいことなんだけど、浪人した息子に散発代のみならず染める金まで出してやる、というのがわたしには不思議で、お小遣いで染料を買って自分で勝手に染めたのかな・・と勝手に想像していたため、かなり心外な出来事だった。

ちなみに看護師たちにも訊いてみたが、その返し方がまたおもしろい。
「うちは髪を染めても別に何も気にしないから」というお返事。

そういう意味で言ったのではなく、わたしは単に染髪代を出してやるかどうかを訊きたかっただけ。

今はまだ中学生と高校生の息子さんなので、現実味は少ないのかもしれないし、結構うるさい人が多いから、あえてそういう具合に返すことが習慣になっているのだろう。公務員系だし・・・

もうひとりの看護師のところは女の子が二人だし、二人とも大学を卒業してしまったので、逆に、「うちの娘たちは髪の毛は染めたことがなかったからわからない」というお返事。

公務員社会というのはおもしろくて、宿題を出しすぎるといって先生に文句を言うのは当たり前だし、おそらくは息子が髪の毛を染めたいと言えば床屋代も全額親が出すのかも。

つまらないことなんだけど、息子の染髪代を親が出す、ということがものめずらしくて考えてしまった。ということは、それが当たり前なんだろうか。

ちなみに息子さんたちのお小遣いの額を訊いたら、すごく安い。うちは娘に出しすぎているのかと思ったが、スクールバスを待っている間にジュースやアイスを友達と一緒に食べると、それくらいはすぐに無くなってしまう。

わたし的感性によると、その手のことをやりたいのなら自分でお小遣いを貯めるとか、ドラッグストアで染料だけを買って工夫するとか、そちらのほうが普通のような気がする。

が、しかし・・・
小遣いはやらないが、髪の毛を染めるお金はあげるんだなぁ・・・母親というのは。
なんか不思議だ。

投稿者 Blue Wind : 11:10 PM | コメント (0) | トラックバック

May 21, 2007

人間ドック

人間ドックへ行って来た。
家でごろごろしているとこの手のものには縁がないけど、どうせタダだし、仕事上の研修も兼ねて、嫌がるダンナをせっついて健診センターへ。

流れ作業的にいろいろ検査を受けて、早く行ったのにどんどん抜かされていき、それでも食事を入れても2時間で終わってしまった。普通は結果説明などいろいろあるらしいけど、今日のは医者ばかりが来ているし、年配のご夫婦が多いし、問診でも訊かれたのは要らない検査があるかどうかで、嫌いな検査は受けなくてもいいらしいし・・・ご飯を食べたら終わり。

それでもわたしは何年も健診など受けていなかったのでフルコースまわった。
胃透視が一番しんどくて、一番おもしろかった。ブルベリー味のバリウムを飲んだら吐きたくなった。そのくせげっぷは我慢しろと言われ、台の上でころころ回らなければならない。年寄りには無理だという理由がわかった。

どこかの部屋の機械の上に、使い終わった酒精綿がいくつか置かれていて、これって医療廃棄物じゃないかなーと思ったが、まわっているのが医者ばかりなので深く考えるのはやめた。

胃透視が終わると下剤を渡され、一体いつ飲んだらいいのか迷って訊いたら、家に帰ってからでもいいと技師さんが言っていたにもかかわらず、受付へ行ったらすぐに飲めと言う。仕方がなく水をがばがば飲んで下剤を飲み、おなかの中でバリウムが固まる恐怖に怯えながら下へ行くと今度は食事の時間。食事の前にバリウムと下剤を飲まされて、その後すぐ食事なんてデリカシーのかけらもない。

食事はいかにも栄養士がつくったような野菜中心の味のないお弁当。デザートなんて小さないちご2つしかない。父が入院しているとき、こんなものを食べて長生きするなら長生きなてしたくないと怒っていた理由がわかった。

まあ、午前中で終わったからよしとしませう・・・

投稿者 Blue Wind : 01:23 AM | コメント (0) | トラックバック

May 19, 2007

ナナの誕生と死んだ子犬

一昨日、わたしが寝ようとしていると、いや半分眠っていたのだが、マリが2度目の出産を迎えていた。

テンが生まれるときには難産だったし、あちこちの獣医に電話をかけまくった。いざ生まれるとマリはそれだけでぐったりしていて、テンは半分はわたしが育てたような気がする。

ところが、2度目のお産となるとマリは落ち着いているし、わたしも以前とはまるで生活リズムが違うため、夜中になると起きてはいられない。わたしは生まれるかな・・・と思いながらも、うつらうつらしているうちに、不意に犬の赤ちゃんのかぼそい猫のような鳴き声が聴こえて、ナナが生まれたことを知った。ナナというのは、ななしくん、という意味である。ナナは小さい。

今回はマリを獣医に連れて行くヒマがなかったので何匹生まれるかわからなかった。わたしはナナが生まれたのでダンナを起こし、ダンナは喜んで娘を起こした。

わたしはなんだかいやな予感がして、ダンナを起こしたことを後悔し、ほとんど怒っていた。というのは、漠然と今回は2匹生まれるような気がしていたので、まだもう一匹生まれそうな気がしていたから。それなのに、ダンナがマリのおなかを触って、もういない、と言うので、わたしも触ってみたが動いている気配はない。マリは触られるのをいやがって逃げていたが、ナナを見るとすぐにうれしそうな顔をして世話を始めた。

わたしはなぜかとても不機嫌になり、知らん顔をして下の部屋に降りた。すると、娘がマリとナナを抱いて降りてくる。もう、うんざりして心の中で悲鳴をあげていたが、わたしはとても疲れていた。マリの陣痛も止まっていた。

そして、再び部屋が静かになり寝ていたらマリに陣痛が始まった。今度はダンナが起きていて生まれたのを教えてくれたが、眠くて起きられない。が、しかし、数分後、「死んでる」と大きな声がして眼が覚めた。

亡骸をダンナがどうしようと言いながらマリとナナの籠に一緒に入れていた。わたしはそれを少し観て触ってみて動かないので、再び疲れて朝まで眠った。ダンナは仕方なくタオルに包んで下の部屋に子犬の赤ちゃんの亡骸を置いたらしい。

朝わたしより早く起きて亡骸を見つけた娘が子犬を抱いて「何とかならないかなー」とわたしの寝ている枕元に置く・・・
あのなー・・・
生まれたばかりの子犬の亡骸はまるで眠っているようで、もしかすると生き返るかもしれないという感じがした。マリも寄ってきて舐めていたが、ナナのようには反応しない。その瞬間、生まれたばかりで死んでしまい、かわいそうだなーと胸がしめつけられ、無性に腹が立ってきた。あのとき大騒ぎしないで、マリをそっとしておいたらこの子は死ななかったかもしれない。

生と死が同時に発生すると、どうやって反応してよいのかわからない。その後、喜んだり悲しんだりする間もなく睡眠不足のまま仕事に追われ、昼休みに様子を見に戻ったらマリがうれしそうにナナの世話をしていた。

マリのうれしそうな顔を見ているうちに、犬は死を知らないのかもしれないと思った。反応がないと無関心になり立ち去ってしまう。熊に襲われそうになったら死んだふりをしろという話を思い出した。

投稿者 Blue Wind : 10:25 PM | コメント (0) | トラックバック

May 18, 2007

一瞬にして

職場というのは小さなコミュニティみたいなもので、半年も経つと様子が変わってくる。隣の奥さんが、コープをするなら職場でやると言っていた意味が何となくわかった。患者さんがお豆腐を持ってきてくれて、それをみんなで分け、2丁ではわが家は多すぎると思っていたらたまたま通りかかった隣のクリニックの看護師さんに1丁をおすわけする。そういうことをどうしてあの近代的なオフィスビルでできるのか不思議な気もするが、仕事を通して知り合っていくうちに自然と人の輪が広がっていくのだと思った。

開院して以来ヒマな日などは、家に帰ってきてからうつうつしてしまう。そういうときには、理屈としてはみんなそんなもの、あるいはそんなものだった、ということを理解しているつもりでも、もしかするとずっとそういう状態が続くのかもしれないと考えてしまう。そうなると、がっかり。

わたしは自分の感情を隠すことが下手な性質なので、手に取るようにわかるのだろう・・・患者さんに励まされてしまう。よく言われるのは、3年は我慢しなさい、とか。どんな商売でもそういうものらしい。軌道に乗るまでは、それが当たり前。その瞬間思うのは、サラリーマンの奥さんは楽だった、という自己憐憫。夫の職場は職場だし、家庭は家庭。別の世界。それだけでも気楽だ。

でも、他人に親身になって心配されるのは悪い気分ではない。中には元気ではあるが、体内に爆弾を抱えて生きている人たちも多いし、病気のせいで収入のない生活をしていた人もいる。相手がお金がないと知っているにもかかわらず、法律で決まった額を請求するときは何となく申し訳ない気もするし、それでいてそういうことを役人のように淡々とやってのける自分がいる。

が、しかし・・・
今日は朝から忙しく、親身派の患者さんと新患が多かったせいで、何となくハッピーだった。昨日は姑さんに絵を返したし、妙にすっきりした気分だった。その絵は、いわば繁盛祈願として姑さんがわざわざ贈ってくれた絵だったが、院内の雰囲気には合わず、実際のところもてあましてずっと自宅に置いてあった。すると今度は鏡を贈ってくれると言う・・・

「もう心配しないでほしい」とわたしは姑さんに電話で言った。
すると、どこか無表情・無感情な声で、「もう私を親だと思っていないのね」と言われた。

せっかく親身になって心配してくれているのに、どこかそれが憂鬱の種になってしまう、というのがどこか親っぽいという気がしたが、悲しむわけではなく、どこか無表情な声が本物の欝。「わたしは、もうゲンを担ぐようなことがいやなんです」と言ったのが気に障ったのだろうか。
声を荒げるわけではなく、どこかしらけたムードが漂い、わたしはさっさと電話を切ってしまいたくなった。

自己憐憫で勝手にウツウツしているのと、本物の欝との違いを思い知った。あー暗い・・・
早く眠りたい。

投稿者 Blue Wind : 12:25 AM | コメント (0) | トラックバック

May 15, 2007

ためいきのでてしまう生活

近頃自分でも思うのだけど、何となくためいきをついたり、眼がしょぼしょぼしたり、愚痴っぽくなったり、ついていないと思ったり、不機嫌とまではいかないまでも、どこか不機嫌さを我慢しながら時間だけが経過していくような気がする。おそらくは仕事がいやだと思ったり、辞めたいと思ったり、それでも仕事をしている間はあまりそういうことを考えている余裕もなく、それでいて、何となくためいきが出たりする。

おそらくはいろいろなことを考えるからためいきが出るのでしょうし、それが自分でもどうしてよいのかわからないからまたためいきになるのでしょうし、そういうことが重なるとストレスになるのかもしれないし、時間に追われているうちに一日が終わってしまう。毎日がその繰り返しで、それでいて、案外みんなそんなものかもしれないと思いつつ、それでも世の中はそうやって回っていて、睡眠時間を削ってまで本を読んだり、ブログを書いたり、そうやって自分の時間を持つことでしかそこから抜け出すことができない。

いざお昼休みの短い時間に本屋でまじめに読みたい本を探すと、これがなかなか苦労の種だということに気づく。そうやって探してみると、まるで読みたい本が見つからない。

並んだ文庫をぱらぱらめくりながら、知らない作家の名前をみつけて手に取るが、どうやってもあまり読みたいとは思えない。そうやって本屋に並ぶ中から選べというのはバーゲンでほしくもない服をあさっているような感覚にも似て、つまらないものを買ってしまったと思ってしまう。単に時間つぶしをするのなら、ネットのほうが遥かに面白い。

時間に余裕のない生活は退屈だ。

投稿者 Blue Wind : 12:45 AM | コメント (0) | トラックバック

May 13, 2007

五月病

今日はすごくうつうつしていて、うつうつしているときにネットはすごく相性がよい気がする。
どうしてうつうつしているのか、特に理由はない。
ただなんとなく・・・

おそらくは疲れているからだろうし、仕事を始めて半年くらい経つと疲れが出る頃だと誰かに言われ、花粉症のように風邪は治らず、治らないでいたら4、5年もすれば風邪も引かなくなると姑さんに言われ、麻しんの予防接種を集団で受けにきた学生さんのカルテをつくったらいきなり23人分の新患のカルテをつくったことに気づき、それを1人でやったのだから疲れている、という気もするし、毎日新患が来るわりには来院患者数がのびず、開院当初来ていた患者さんが来なくなったりするとひどく気になったりもするし、単に元気になったからだという気もするし、そんなことをいちいち考えていても仕方がないと思ったり・・・、今日は妙に疲れている。

五月病か?

そういえば、今年は桜の季節は妙に元気だった。
桜の満開の頃、母が他界し、逆にうつうつしていられないほど気が張っていたのかもしれないし、そういう緊張が一気にほどけてきたせいで、こんなに疲れているのだろうか。

娘が突然、「お母さん、なにか欲しいものある?」と訊くので、「孫」と答えてやった。
「無理。ほかには?」
「ひまな時間、昼寝する時間」
「ほかには?」
「100点のテスト」
「う〜ん・・・・不可能に近い。ほかには?」
と、しつこく訊くので、ようやく明日が母の日だということを思い出す。
で、さらに、「孫とお金以外で何か欲しいものはない?」と訊くので、「本」と答えてやった。

そのくせ、明日が母の納骨だということを突然思い出し、娘に友達との約束を断らせたときには、ひどく怒っていた。
そういうとき、娘の育て方を間違ったかな・・・と思ってしまう。友達と遊びに行くのはほかの日でもできるけど、納骨は1度しかない。娘がものごころがついたときには、すでに母はあのような状態で、それが長引くほどにあまり見舞いにも連れて行かなかった。実際、娘は娘でやることがたくさんあり、子どもの面会は原則的に禁止されていたため、わたしにとってはあっという間の時間でも、娘にとっては大事な成長期のその時間、ほとんど関わりなく過ごしてしまったのかもしれない。

なんか、こう、毎日、生活に追われているうちに、何か大切なことを忘れているような気がしてならない。

母が亡くなり、叔母が父のお墓の掃除に出かけてくれたとき、お花が活けてあり綺麗になっていたそう。わたしでも弟でもなく、伯母のお墓と同じ花が活けてあったので従姉かと思ったけど、癌の検査でそれどころではなかったらしく、誰がきたのかわからない。親戚の誰かだろうと思ったけど、それもそのままになってしまい、誰が来てくださったのかいまだにわからない。

いや・・・、ほんとうはこころあたりがある。父の兄弟はその子どものいない叔父をのぞいてすべて他界してしまったがゆえに、その叔父さんが毎月のようにすべてのお墓にお参りしているのかもしれない。それでいて、その気難しい叔父とは父が亡くなって以来ほとんど会うこともなく、母とも仲が悪かったために、あっさり語れば疎遠。

もしかすると、すごく年をとっているのかな・・・という気がしたが、母が倒れても見舞い一つ来てくれず、わたしとしてはすでに存在すら忘れていた。母の見舞いには来ないが、父の墓には行く、という人だから、気詰まりなのだ・・・要するに。

以前、姑さんが病院まで見舞いに来てくれたのに、母に会う直前になってパニック発作が出て、そのまま神戸に帰ってしまったことがある。それは仲が悪いということではなくて、母の変わり果てた姿を見るのが怖かったのだろう。叔母に言わせると、会わずに帰ってくれてよかった、という。「他人には見られたくない」という叔母のセリフがすごすぎた。

姑さんに、「ひ孫って可愛い?」と訊いたら、あっさり、「かわいないよ」と言われた。実際にはいないのだが・・・
姑さんに言わせると、孫も子どももいらないのだそう。ひたすらわが道、という感じ。
若い頃、あれだけ仲が悪かった小姑と、今はすごく意気投合しているらしい。あちらは息子に先立たれ、孫も娘が離婚して疎遠。

なんか、こう、ひとりぐらしの年寄りが増えて、寂しさを通り過ぎると、何がどこかが変だ。
なんか、こうね・・・
すごく疲れている。

投稿者 Blue Wind : 02:29 AM | コメント (0) | トラックバック

April 15, 2007

大往生

母が無邪気な顔をして、すやすや眠るように息を引き取ってからすでに2週間以上経過している。
仕事中、看護師から連絡を受けた時にも実感はなく、実際、仕事が終わってから病院へ行った時には息を吹き返していたし、弟に連絡したほうがよいかすらも迷っていたくらい。そして、一度は悪いながらも安定したため、わたしたちはいったん家に戻ることにした。そして、真夜中に連絡がきた時には、すでに心停止していたらしいが、母はまるで眠っているようで、そのまま待っていたらもう一度息をしそうな気がした。それくらい静かにやすらかに、母は永遠の眠りについたし、実際、母の手はずっと温かかった。

いかにも母らしく、祖母の命日に亡くなったし、祖母の命日であるがゆえに戻らなかったのかもしれないとも思うし、死亡診断書の都合で母の死は翌日になったが、自然死というのはそれくらいごく自然に亡くなるがゆえに、いつ亡くなったのか、本当は誰にもわからないものなのだと思った。

まあ、深く考えるのはやめよう。お葬式の間も、母はまるで眠っているようだったし、時間が経過しても、まだ母が亡くなったという実感がないのは、生活が生活として続いているからかもしれないし、あまりにも長い間、母が話すことも歩くこともできない状態だったからかもしれないし、この7年以上の間に何度も死んでいたからかもしれない。無呼吸とか、心停止とか、・・・そういう連絡にも慣れてしまい、それでいて母がいつも生きていたからかもしれない。

母が亡くなっても、悲しいとかさびしいという実感はなく、このところの不安定な陽気のせいで、仏の涙と言われている雨がぱらぱらと降ってきたからかもしれないし、気がつけば親族がぱっと集まり、和やかに送り出せたせいかもしれないし、お葬式にありがちのわさわさとした雰囲気は何もなかった。なんだかすべてがあっという間に終わってしまったがゆえに、あいかわらずぼぉ〜っとしているうちに時間だけが経過している気がする。なんだか生きているほうがずっとしんどい気がするくらいやすらかな寝顔だった。

投稿者 Blue Wind : 03:18 PM | コメント (0) | トラックバック

March 25, 2007

翻弄

一体全体、世の中どうなっているのだか・・・

タミフルが品薄の年には予防接種がワクチンが不足し、今年のようにインフルエンザの流行の出足が遅いとタミフルの副作用で大騒ぎしている。代用薬として、リレンザはすでにメーカーにはなく、問屋に問い合わせても入手困難な状況。ほかにも、A型なら代用薬があるらしいが、このところB型が流行り出し、残るは漢方くらいか。

毎日、クリニックにいて、インフルエンザの患者さんを相手にしていても、わたしは今のところ感染していないらしい。自分的にはだるくて熱っぽいと思うのだが、熱を測っても平熱。う〜む・・・

マスクは苦しいし、空気が充満したところでマスクをしていると、話しているだけで苦しくなる。そこでマスクもしないで働いていると、たまにマスクはしないのかと訊かれる。

「感染したら、バカンスですから・・」

と答えている。

病気にでもならないと休めない。

開院以来、ノロだのインフルエンザだの、あるいはマイコプラズマや各種感染症の人たちが毎日来院している。その都度、看護師が消毒して歩き、わたし的には消毒薬の匂いにやられて、時に声が出なくなるほど。そっちのほうがよっぽど苦しい。眼がしょぼしょぼする。

すると、花粉症かもしれないと言われる。

家にいたら何でもないのに、そりゃないだろうと思うのだけど、慢性的に風邪かもしれないし、それでいて熱がないから花粉症なのかもしれないし、だったら薬を飲んだほうがよいかと思えば、これがきりがなくなる。眠くならない風邪薬はないし、眠くなったらひたすらつらいだけだし、熱っぽいからと薬を飲めば胃がやられる。だったら、胃薬を飲もうか・・・という気分になり、そうなると薬漬け。

というわけで、患者さんには処方箋を渡すが、わたしは薬は飲まないことにした。

問屋さんが来て、タミフル警報のビラを置いて行ったその日、メーカーさんが患者でやってきて、本当にインフルエンザに感染している。で、タミフルを出す。話を聞いたら、このところ何十件もタミフルについて説明に回っているらしい。今のところ、うちで処方して事故が発生したという報告はないけれども、世の中の風潮には勝てないと思う。

もっと面倒なのは、今頃になって予防接種をしてほしいという人たちで、通常抗体が出来るまでに2週間は要するし、それでいて通常ワクチンの効果は5ヶ月。人によってはもっと短いのだろうし、ワクチンの効果が消えた頃にインフルエンザが流行しているかのような今年の状況は、なんともはや・・・

もっと厄介なのは、インフルエンザの予防接種を受けたにもかかわらず、さらに感染したらどうしても困るからと先に抗ウイルス薬を飲んでいても感染する人。

そうなると、ますますなす術なし。

世の中の大多数の人たちは元気なような気もするし、わたしのようにウィルスを浴びまくっていても感染しない人間もいる。あまりにも個人差があり、そういった傾向は何もインフルエンザに限ったことでもなく、たまに診察室から大きな声が聞こえる時は、何か患者さんと不一致がある時なんだろうな・・と経験的に学び始め、患者さんとポツリポツリ話をしながら、この患者さんは次からは来なくなるだろうかと不安に戦き、すっごく神経的に参ってしまう。

ヒマな時間に、夏のバカンスの計画を立てながら、ネットをやっていて何が悪いのさ・・・

来年のことなどまるでわからない。

投稿者 Blue Wind : 03:09 PM | コメント (0) | トラックバック

February 17, 2007

怖い

怖い。

怖いのがステロイドなのか、それともそれを打ってくれと言わんばかりの患者が怖いのか、はたまた、それが原因で、自分が不機嫌になるのが怖いのかわからないけれども、あらゆる意味で怖い。

花粉症でステロイドを使っている人たちがどの程度いるのか、わたしにはわからない。だけど、それをあたかも予防接種のような軽いノリで使っている人たちがいることが怖い。

その人たちは、単に花粉症の特効薬としか思っていない。

たしかにケナコルトーはある。アトピーなどの治療や皮膚科だったらそんなに驚かないかも。保険診療が認められている薬だし、めずらしいものでもないらしい。アレルギーの薬も飲んだけどよくならないとか、仕事などの都合でどうしても花粉症を治したいとか、そういうケースなら驚かない。

が、しかし・・・

2日で、5本がなくなるってどーよ?

打てば、花粉症の症状がおさまるから、打ってほしいという気持ちもわかる。

が、男性ならともかく、女性の顔に明らかに副作用だとわかるような皮膚炎を見たとき、怖かった。

うちをほかのクリニックと間違えて遠くからやってくる。

3人くらいまでは、「うちでも置いてますよ」と、微笑みながら言えた。

でも、次から次へと、間違えて来ては、ケナコルトー。

しかも、うちはそこのクリニックではないと言うと、それがどこへ移転したかをしつこく訊いてくる。

8件くらいまでは我慢していたけど、もうさすがに限界。

しかも、その人たちは、ステロイドのことも副作用のことも、ほかのアレルギーの薬のこともまるで知らないし、説明しても聞かない。

要するに、ステロイドを打ってほしいだけ。

そこが、怖い・・・

治ればいいのだろうか?

そういう不機嫌さがあり、そういう不機嫌さがどうもほかの無関係な人へのぶっきらぼうな対応につながったような気がする。

もう、気分は最悪。

看護師が、「どうせそういう人たちは、うちで断ってもどこかで打つのだから」と言うが、まるで自分が悪いことをしているような気分に陥る。ましてや受付が、患者に説明するのは変だと言われ、そうやって言われるとまさしくその通りだから、黙って風邪の患者を受け付けるように対応する。そういうややこしい説明は医師の仕事。

が、しかし、医者でも不機嫌になることってあるんだよね・・・

もう、最悪の日が続いている。

ケナコルトーの患者が来ないように祈ろう。

投稿者 Blue Wind : 09:01 PM | コメント (0) | トラックバック