May 13, 2007

五月病

今日はすごくうつうつしていて、うつうつしているときにネットはすごく相性がよい気がする。
どうしてうつうつしているのか、特に理由はない。
ただなんとなく・・・

おそらくは疲れているからだろうし、仕事を始めて半年くらい経つと疲れが出る頃だと誰かに言われ、花粉症のように風邪は治らず、治らないでいたら4、5年もすれば風邪も引かなくなると姑さんに言われ、麻しんの予防接種を集団で受けにきた学生さんのカルテをつくったらいきなり23人分の新患のカルテをつくったことに気づき、それを1人でやったのだから疲れている、という気もするし、毎日新患が来るわりには来院患者数がのびず、開院当初来ていた患者さんが来なくなったりするとひどく気になったりもするし、単に元気になったからだという気もするし、そんなことをいちいち考えていても仕方がないと思ったり・・・、今日は妙に疲れている。

五月病か?

そういえば、今年は桜の季節は妙に元気だった。
桜の満開の頃、母が他界し、逆にうつうつしていられないほど気が張っていたのかもしれないし、そういう緊張が一気にほどけてきたせいで、こんなに疲れているのだろうか。

娘が突然、「お母さん、なにか欲しいものある?」と訊くので、「孫」と答えてやった。
「無理。ほかには?」
「ひまな時間、昼寝する時間」
「ほかには?」
「100点のテスト」
「う〜ん・・・・不可能に近い。ほかには?」
と、しつこく訊くので、ようやく明日が母の日だということを思い出す。
で、さらに、「孫とお金以外で何か欲しいものはない?」と訊くので、「本」と答えてやった。

そのくせ、明日が母の納骨だということを突然思い出し、娘に友達との約束を断らせたときには、ひどく怒っていた。
そういうとき、娘の育て方を間違ったかな・・・と思ってしまう。友達と遊びに行くのはほかの日でもできるけど、納骨は1度しかない。娘がものごころがついたときには、すでに母はあのような状態で、それが長引くほどにあまり見舞いにも連れて行かなかった。実際、娘は娘でやることがたくさんあり、子どもの面会は原則的に禁止されていたため、わたしにとってはあっという間の時間でも、娘にとっては大事な成長期のその時間、ほとんど関わりなく過ごしてしまったのかもしれない。

なんか、こう、毎日、生活に追われているうちに、何か大切なことを忘れているような気がしてならない。

母が亡くなり、叔母が父のお墓の掃除に出かけてくれたとき、お花が活けてあり綺麗になっていたそう。わたしでも弟でもなく、伯母のお墓と同じ花が活けてあったので従姉かと思ったけど、癌の検査でそれどころではなかったらしく、誰がきたのかわからない。親戚の誰かだろうと思ったけど、それもそのままになってしまい、誰が来てくださったのかいまだにわからない。

いや・・・、ほんとうはこころあたりがある。父の兄弟はその子どものいない叔父をのぞいてすべて他界してしまったがゆえに、その叔父さんが毎月のようにすべてのお墓にお参りしているのかもしれない。それでいて、その気難しい叔父とは父が亡くなって以来ほとんど会うこともなく、母とも仲が悪かったために、あっさり語れば疎遠。

もしかすると、すごく年をとっているのかな・・・という気がしたが、母が倒れても見舞い一つ来てくれず、わたしとしてはすでに存在すら忘れていた。母の見舞いには来ないが、父の墓には行く、という人だから、気詰まりなのだ・・・要するに。

以前、姑さんが病院まで見舞いに来てくれたのに、母に会う直前になってパニック発作が出て、そのまま神戸に帰ってしまったことがある。それは仲が悪いということではなくて、母の変わり果てた姿を見るのが怖かったのだろう。叔母に言わせると、会わずに帰ってくれてよかった、という。「他人には見られたくない」という叔母のセリフがすごすぎた。

姑さんに、「ひ孫って可愛い?」と訊いたら、あっさり、「かわいないよ」と言われた。実際にはいないのだが・・・
姑さんに言わせると、孫も子どももいらないのだそう。ひたすらわが道、という感じ。
若い頃、あれだけ仲が悪かった小姑と、今はすごく意気投合しているらしい。あちらは息子に先立たれ、孫も娘が離婚して疎遠。

なんか、こう、ひとりぐらしの年寄りが増えて、寂しさを通り過ぎると、何がどこかが変だ。
なんか、こうね・・・
すごく疲れている。

投稿者 Blue Wind : May 13, 2007 02:29 AM | トラックバック
コメント
コメントする









名前、アドレスを登録しますか?