May 14, 2007

『ネジ式ザゼツキー』 島田荘司著


島田 荘司
ネジ式ザゼツキー

ひとこと感想としては、こんな本、読まなければよかったな〜、という感じ。

冒頭、記憶に障害を持つ男が出てきて、その男が書いたファンタジー小説がつづく。ネタとしては面白い。が、しかし、内容があまりにも猟奇的で、島田作品としてはめずらしいものでもなんでもないが、20年以上も昔、初めて島田作品を読んだ頃には単なるフィクションにすぎなかったものが、かつて義理の姉の家の近所に住んでいた少年Aが今度はわが家の近所に住んでいるという噂があり、その噂をわたしに教えてくれた人が心底怯えているため、時代とともにわたしも加齢したせいか、読まなければよかったとしみじみ感じてしまった。

いつの頃からか、島田作品の中には実話がたくさん収められるようになり、史実に基づく生々しい写真や話が多く登場するようになった。でもそれはわたしにとっては心霊写真を眺めるときのような気分であり、実態をともなわない、リアリティが欠如した世界、時代の出来事にすぎなかった。だから小説なんでしょうし、だからフィクションなんでしょうし、それが何となく推理小説の魅力でもあった。

本格ミステリーというのがどういうものなのかわからないけれども、パトリシア・コーンウェルといい、島田荘司といい、史実のミステリーを題材にしたものを脚色した小説を書いており、視点という点では興味深いが、今のわたしの気分としてはどこかこころがすさんでしまいそうで、気分転換に買った推理小説がもう一冊どこかにあるはずだけど、何となく読む気力が欠如してしまった。

それと同時に、納骨の際、お坊さんの説法があり、念仏のサンスクリット語の講釈を長々と始めたのにはまいった。それは一つにはわたしがお数珠の代わりにロザリオを持っていたのが原因で、念仏の書かれたお墓の前で、娘がロザリオを持っていたのが気に入らなかったのだろう。すなわちわたしは坊さんにまで信仰心が足りないと説教されたわけで、もうわたしのことは放っておいてほしい、というか、生命保険会社の社員に企業健診を紹介する代わりに生命保険に入れと言われ、やんわり断ったときに文句を言われたときのしょぼい気分にも似ている。

宗教と保険会社を一緒にするのはどうかと思うが、なんかよく似ているな〜、と思った。

投稿者 Blue Wind : May 14, 2007 12:49 AM | トラックバック
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