April 15, 2007

大往生

母が無邪気な顔をして、すやすや眠るように息を引き取ってからすでに2週間以上経過している。
仕事中、看護師から連絡を受けた時にも実感はなく、実際、仕事が終わってから病院へ行った時には息を吹き返していたし、弟に連絡したほうがよいかすらも迷っていたくらい。そして、一度は悪いながらも安定したため、わたしたちはいったん家に戻ることにした。そして、真夜中に連絡がきた時には、すでに心停止していたらしいが、母はまるで眠っているようで、そのまま待っていたらもう一度息をしそうな気がした。それくらい静かにやすらかに、母は永遠の眠りについたし、実際、母の手はずっと温かかった。

いかにも母らしく、祖母の命日に亡くなったし、祖母の命日であるがゆえに戻らなかったのかもしれないとも思うし、死亡診断書の都合で母の死は翌日になったが、自然死というのはそれくらいごく自然に亡くなるがゆえに、いつ亡くなったのか、本当は誰にもわからないものなのだと思った。

まあ、深く考えるのはやめよう。お葬式の間も、母はまるで眠っているようだったし、時間が経過しても、まだ母が亡くなったという実感がないのは、生活が生活として続いているからかもしれないし、あまりにも長い間、母が話すことも歩くこともできない状態だったからかもしれないし、この7年以上の間に何度も死んでいたからかもしれない。無呼吸とか、心停止とか、・・・そういう連絡にも慣れてしまい、それでいて母がいつも生きていたからかもしれない。

母が亡くなっても、悲しいとかさびしいという実感はなく、このところの不安定な陽気のせいで、仏の涙と言われている雨がぱらぱらと降ってきたからかもしれないし、気がつけば親族がぱっと集まり、和やかに送り出せたせいかもしれないし、お葬式にありがちのわさわさとした雰囲気は何もなかった。なんだかすべてがあっという間に終わってしまったがゆえに、あいかわらずぼぉ〜っとしているうちに時間だけが経過している気がする。なんだか生きているほうがずっとしんどい気がするくらいやすらかな寝顔だった。

投稿者 Blue Wind : April 15, 2007 03:18 PM | トラックバック
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