September 07, 2007

まっとうさがつまらん

やっとだな・・・
なんだかよくわからないけれども19ヶ月ぶり。
なんだか、こう、われながら集中力に欠けると思いながら、とりあえず久しぶりにうたを詠む。それがうたになっているとは思えない気がするが、まあどうでもいいや、というか・・・

ほんとうにどうでもいい。
生きるためには必要がないことがよくわかったし、おそらくはひまだから毎日日課で詠んでいられたのかもしれないし、最初はいろいろ思い悩んでいたことも時間とともにどうでもよくなってしまう。生活が変わり、母が亡くなり、すべてが規則正しい生活の中に埋没していき、朝になれば自然と目が覚め、その日の予約などを確かめ、それこそ台風でもないことには怠惰な気分にもなれない。

なまけなわたしはこの前から昼寝の時間を取り戻しているが、それでも仕事に追われているには違いない。

なんか疲れるんだよね・・・
毎朝オフィスに出勤する人たちと一緒のエレベーターに乗り、勤勉な看護師たちと一緒に仕事をするというのは。
まったくもってして自分らしくないと自覚しているにもかかわらず、どこか自分を押し殺しながら何かに迎合しているうちに一日が終わっている。

でも、そういうことにも慣れ、それが生活になっていくと別の憂鬱が。
毎日毎日患者が多いとか少ないとか、そういうことに気分が翻弄され、気分転換の旅行から戻れば、もしかするとそれが大失敗だったのだろうか、などと再び考え始め、だったらひたすら勤勉に仕事に励むしかないのだろうか、とか。

そういう気分のときには、世の中に台風が来ていることを知りながら、台風に影響されてしまうことに複雑な気持ちにさせられながら、その二つがうまくかみ合わないままに不安だけがつのる。

なんか、疲れるんだよな・・・そういうまっとうさが。
いろいろ将来のことなどを気にしたり、あれこれ一緒になって不安にかられるようなまっとうさが、自分にとっては非常に疲れる。果たして、そういうことを考えないで生きている人たちがどのくらいいるのか知りたいが、家にぼーっとしているほうがはるかに何も考えないですむことを学んだ。

それにしても年金の問題はまだまだ根が深そう。年金を着服していたという公務員の話や、こちらから申請しないと何もしないで未払いのまま放置されてしまうやり方とか。あっさり語れば、わたしには自分が将来どの程度年金が入ってくるのかまるでわからない。今まで興味がなかったのは、自分では支払っていなかったからかもしれないし、払わなくても払っていることになっているからかもしれないし、自分の分を捨ててダンナの年金を貰ったほうが額が多いせいかもしれない?
というよりも、そのときにならないとわからないことのほうが多いからかも・・・
(だって、その年齢まで生きているかどうかわからないじゃない?)

「わたしは65歳までしか生きられないんです。祖母も母もそうでしたから」

などと言っても、誰も信じてくれない、ってどうよ?
まあ、母は寝たきりでほとんど植物状態でもそれからさらに7年以上生きたわけだから、わたしもなんらかの形で生きてしまうかもしれないが、少なくてもわたしは自分の老後などまるで気にしたことはないし、ある意味、わたしは幸せなような気がしているにもかかわらず、世の中の平均寿命がおそろしいほど延びているために、気にしなくてもいいようなことを心配の種として呆れた顔をされてしまう、ってつまらん。

が、しかし、今の65歳って若いのよね・・・それからまだ2,30年くらい生きてしまうし、それを考えると若いうちから心がけよく生きているほうがまっとうな気がする。
が、しかし、そういうまっとうさが重い。

投稿者 Blue Wind : September 7, 2007 12:59 AM | トラックバック
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