それにしても税金だらけ。
あまりの種類の多さにうんざりし始めている。
毎年確定申告しているとはいえ、サラリーマンは簡単。所得税を計算し、そこから源泉徴収されている分を引く。医療費控除もマニュアルを眺めながら、とりあえずややこしいものや紛らわしいものは袋の中に入れてそのまま計算して提出。今までそれでクレームがきたことはない。
だけど、事業主となると非常にややこしい。固定資産税、不動産取得税、事業税、消費税、所得税、その他諸々。
うちのダンナは賃貸が嫌い。だけど、また一つ別の医療モールの話。それとは別に、リースバック。
リースバックというのは自分の建物を買い取ってもらい、それをリースするという方法。非常にバカらしいと思っていたけど、いろいろ税金のことを調べているうちに、固定資産税を支払わなくてもよい、リース料はまるまる必要経費になる等のメリットがある。
が、しかし・・・・
一つの目安として、20年ローンを組んだ場合を想定すると、2000万円を借金すると10万円前後。5000万円でもせいぜい25万円程度の支払いとなる。この際、利息や固定資産税は控除の対象となるし、建物も減価償却の対象となる。そのくせ土地の賃料を考えてもせいぜい35万円というのが相場ではないかと思うようなところでも50万円の家賃を取る。それがモールやリースバック。15万円以上の差額が誰かの儲けになる。しかも、数十年に渡って・・・
このように脈々として、それで誰かが儲けたとしても、今度はその人が税金を支払わなければならない、といったサイクルは続くわけで、不景気というのは誰も何もしない、ということを意味するということを知る。要するに儲けなければ多額に納税する必要性はないわけで、国のために働くのなら働かないほうがマシ、というのが実は不景気の源泉のような気がしてしまう。
一つ付け加えるのであれば、開業費に関して。個人事業主の場合には人件費や維持費といった経費も、開業前に支払った分も控除の対象になる。ところが、法人だと控除の対象にはならない。これから1年をかけて準備しようとしているのに、前年にかかった費用は丸損ですと言われたら無理に年内にと思ってしまった。が、しかし、法人ではないので経費にはなるらしい。
それにしてもバカらしい。同じ金額が動くだけなのに、リースは非常に事業には向いていることを知る。「資産−負債=資本」というのが基本だから、負債が少ないほうが資本率がアップするというのがその理由。土地を買うのは損。土地が担保になるというのは幻想。
夫が給与所得者だと妻は働かないと損という気になる。逆に、夫が事業主だと働いてもつまらないという気になる。世の中には子どもの教育などもっと大切なことがあるだろうという気がしてくるから不思議。どこにその差があるのかといえば、給与所得者なら足し算の世界なんだけど、事業主は引き算の世界だから。働けば働くほど損ということも・・・ある。
娘が生まれて以来、ずっとお母さんをしてきたので(今でもそうだけど、もちろん)、このところ事業計画書を書いたり、融資のことを調べたり、あれにこれに仕事もどきをしていることが楽しくてたまらない。実際にサラリーを貰って働いているわけではないけれども、世の中はこういうことをしながら賃金を稼いでいる人たちがたくさんいるのだと思うと不思議な気分になる。
わたしというのは器用な人らしく(貧乏器用かも・・)、旅行の手配から何から何まで自分でやる。そういうことを他人に頼むから余分な費用がかかる。世の中はヒマだったら自分でやっていたらお金のかからないことがたくさんあり、それを誰かに頼むからお金がかかる。近頃では子育てまで他人にまかせる時代らしく、保育料なんていったら、何のために働いているのかわからない人たちがたくさんいることもわたしは知っている。
これだけ働いたら100万円なのか・・・と思うと不思議な気分になる。たったこれだけのことで・・・あほらしくてやってられない。
介護のことでも制度のことでも知っている人に相談したらタダで教えてくれる。役所に訊くと、サラリーを貰って働いている人が仕事として教えてくれる。その差はどこにあるのだろう?
誰かが言っていたけど、友達はタダなんだよ、と。
電子カルテ、レセコン。
もしかすると自分でつくったら1000万円以上浮く?
インフルエンザの予防接種、タダで受けてきました。
自由診療だからなぁ・・・
自分でエクセルで事業計画書をつくったら、おそらくはそれがまた誰かの資料になるんだろうな。もちろん、タダだよ。プロの仕事ではないけれども、参考資料はタダで差し上げます。あれこれやりながら工夫して、やりくり上手になろう。
医療の世界ほど仕事ができる・できないがはっきりした世界はないのかもしれない。どこにラインがあるのか、働いたことがないわたしには理解できないけど、明々白々に違うそう。
たとえば大学病院なら、自分についている職員全員を引き抜いて開業してしまうし、事務の果てまで仕事のできる人を連れて行ってしまうし、医者一人が開業するとなるとごっそりできる職員が減るので大変になるらしい。民間の病院では院長の方針がすべてなので、給与の果てまで個人差があり、職員同士でその手の話をすることはまずないと言う。一律で給与が定められているのではないことくらいはわかる。
でもね・・・話を聞いていると他愛ないことなのよね。
たとえば、ミスをした場合。内視鏡を洗浄する際、マニュアルがあり、慣れている人や覚えのよい人はミスはしないし、しても認めて謝る。ところが、うっかりミスで、洗浄していない内視鏡を間違えてセットしてしまったときなど、汚れているのだから大抵は洗っていないことくらい誰でもわかるじゃないですか。(たぶん) ところが、「私は確かに洗いました」とかさ、ミスを認めない。中年の看護師さんに多いらしい・・・この手のタイプ。もっと恐ろしいことに、汚れた部分を拭いただけで医者に使わせようとする。こうなると論外。
ある程度仕事ができるようになる頃が一番怖いそう。たとえば、本来なら看護師は注射をしてはいけない。点滴もダメ。ただし、採血はよい。その昔、義父もそれで大変なことになったことがあり、看護師さんが子どもに間違えてインシュリンを打ってしまい、危うく死なせてしまうところだった。明らかに看護師さんのミスなんだけど、本来なら医者でないと注射してはいけないわけで、開業医だと看護師さんが注射しているところもめずらしくないし・・・ でも、その事件以来、義父は自分でやるようになったそう。当たり前と言えば当たり前なんだけど、職場の方針でその当たり前が違うから、それを理解してもらうまでが大変。
で、本来ならダンナが職員の給与の支払いから税務まで独りでやるべきなんだけど、あの人が源泉徴収を計算したり、確定申告を自分でやるとは思えない。どうせ税理士を頼むんだから・・と思っても、誰がいちいちそういう雑用をするのだろうか? ⇒ あたし・・・
でも、本来なら職場のことまでいちいち奥さんに口を出されたらやってられないよね。そこで釘を刺されたのが、職員の採用と給与に関しては一切ダンナが決めたいということ。相性というのがあって、まだ先のことなのに、今から引き抜きを考えているから。1人仕事のできる看護師さんを引き抜いて、あとは手伝いの看護師さんを雇えばいい、というのが基本。サラリーも当然違う。
何をもってして仕事ができる・できないを決定するのかはわからないけど、うっかりミスが文字通り命取りになりかねない世界。そうなると表面上のことだけではなく、感性というか人柄というか、相性もあるだろうし、自分のやり方や方針をきちんと理解し守れる人でないと困る。
なんか、考えただけでストレスでダウンしそうだ・・・
トラステへのトラバ ⇒ 「採用したい人、採用したくない人」
首相の靖国神社の参拝などというものは、言わば帝国主義の末路であり、今日まで帝国主義的精神が続いていると思われても仕方がない。それが天皇による独裁なのか、事実は軍部による独裁なのか、もはやわたしにはどうでもいいことである。
軍人がたくさん死んだという理由で、彼らを神として祭るというのは滑稽である。言わば、そういう類のものは戦没者の霊を慰めるものであり、慰霊碑であり、彼らの安らかな眠りを妨げるものであってはならない。今日に至るまで戦争のない時代はなく、考えてみれば、そのどの時代にもたくさんの人たちが犠牲となっており、靖国を参拝するのであれば、戦没者のすべてをそこに安置すべきであろう。そして、軍人を祭る墓を政治家が参拝するというのは、宗教というよりもむしろ皇帝を仰ぐような感覚にも似ているような気がするが、どうなんだろう。
少なくてもわたくしは軍人ではないので、軍人の墓は参拝しない。もちろん、それが家族や友人の墓というのであれば話は違うが。
宗教ってなんぞやと問われたら、素直に考えて、死後の世界のことである。要するに、死んだら神のみもとに行きたい。それだけ。天国の階段をのぼり、安らかに眠ること。オトやマリもいっしょ。いつまでも幸せに暮らす。そんな感じ。何よりもイエスに会いたい。
死んだらどこへ行きたいか?
おそらくは、そういうことの違いなんだと思う。
わたしは、靖国神社の大きな鳥居にとどまるよりも天国への階段をのぼりたい。
だからといって、他人の行動までいちいち気にしていたら生きていけそうにない。かといって、死んでまで軍人的な人たちの近くに近寄りたいとも思わない。嫌い。
たまに世の中がむちゃくちゃだと思うことがある。
わたしは仕事をしていないので、市役所から健診のお知らせがくる。が、しかし、わたしはその手の類が嫌いなので一度行ったことがあるだけで毎年無視している。
ところが、お勤めしているとすっぽかすわけにはいかないらしい。健診や人間ドックが義務付けられ、それが事業所のほうに通知されるそう。まあ、食品関係の仕事をしている人がなにがしかの伝染病にでも感染していたら大変になる等、それっぽい理由はあるのだけど、そうやって健康まで誰かに管理されながら生きていかなければならない。
胃カメラや超音波など検査の類は最低でも1ヶ月以上待たされる。大抵は健診で引っかかっての2次検査だし、大したことがない場合が多い。でも、イヤだよなぁ・・・もしも癌だったらどうしようとか。わたしだったら癌だとしても検査なんてしたくはないが。もっとイヤなのは、その結果を事業所のほうに報告しなければならないそう。
世の中、自分の病気を他人に知られたくない人のほうが多いような気がするんだけど、どうなんだろう。おそらくは社会保障の関係なんでしょうけど、むちゃくちゃ。が、しかし、病気になっても給与が保障されているほうがいいよね。
むずかしいよなぁ・・・
何がむずかしいと言って、おそらくは疾病によっては生命保険にも入れない、銀行からの借り入れもできない、退職を余儀なくされる等、いろいろな弊害がある。それでいて、事業所に通知される側は社会保障が受けられる。
サラリーに変化はないとして、あなたはどちらの立場を選択しますか〜?(って気分)
わたし個人としてはゆとり教育には反対なのだけど、その一方で今は大学院へ進学するのも当たり前みたいな風潮があることも否めない。考えようによってはどこかに雇用されようと思って生きるのならば資格や学歴が勝負なのかもしれないし、逆に自分で起業しようというタイプはそんなものがあまり役に立たないことを知っている。
たとえば事業計画書を書きながら、専従者という項目があるのだけど、これは家族のこと。家族経営のところで雇用されても出世は望めない。親族経営のところはそんな感じ。
経営に慣れている先生に相談すると、いつも患者さんが多いか少ないかで話を分ける。
具体的に語れば、患者さんが少なければ、看護師さんを雇うほうがいい。理由は看護師は受付も事務もできるけど、事務は看護師の仕事ができないから。この理屈により、事務より看護師のサラリーは高い。
ところが、患者さんが増えたら、事務を増やしたほうがいい。増えるのは事務仕事ばかりだし、事務を雇うほうが人件費が安くすむ。
患者さんが少なかったら院内薬局がいい。ところが増えて薬剤師を雇うのなら院外薬局がいい。理由は薬剤師は看護師も仕事も事務もしない上に薬の単価は低い。つまり赤字。
という具合に、どこかに勤めることを前提として考えると、学歴や資格によってサラリーは歴然としてきてしまうし、雇用に必要な人数は限られているため競争になる。
ところが自分で起業すれば、この前美容師さんと話していて、医師も美容師も変わらないなぁ・・というのが率直な感想。簿記だの英会話だのといった問題は就職試験の際の面接で必要となるだけなのかも。
かと思えば、知り合いの薬剤師さんがヒマにしているので調剤をやってくれないかと思ったら、ようやく今ほかに薬剤師と事務の人を雇って店から解放されたのにしばらくは働きたくないというお返事。そりゃそうだろうな・・と、一応は受験生の子を持つ母としてはいたく共感してしまう。家で子育てに専念しているほうが楽に違いない。
知識偏重主義とか偏差値とかややこしいことを言われたとしても、とりあえずなにがしかの資格などを得るにはある程度勉強しなければならないのも事実。それでいて、そういう知識は他人に雇われるための証明書みたいなもの。25歳で1億円を借金した美容師さんは今度は犬好きが高じてトリマーの店をやるそう。おしゃれだからね・・・医者が今から獣医になろうと思ったら大変だけど、その点フットワークが軽いからうらやましい。美容業界で成功した人がトリマーになったらそりゃ流行りそう。残念ながら我が家の愛犬はミニチュアピンシャなのでトリミングは必要ないのだけど・・・
ゆとり教育の弊害で、学力低下は懸念されるけれども、一方で勉強する子は勝手にやるし、しない子はまるでしない。まるで勉強しなくても困らない人たちも世の中には案外多い。
人生観だよなぁ・・・
老後に50万円の資本金で自分の店・・・
それを考えたら、何のために大学院まで行くのかわからん。わたしは研究が好きだったから・・・
わたし、思うのだけど、国連なんて要らない、と。
結局、テロリストに煽られ、国連での決議は無視された。そのくせ、都合のよいときだけ、国連軍がどうたらこうたら。
大体、国連軍って何さ?
平和維持活動がどうたらこうたら・・・本当に平和を維持したいだけなら、武器を捨てろ。実はその逆だからこそ、軍隊が組織される。
イラク。自衛隊派兵。
憲法改正。自衛軍。
憲法は変えられても、みことばは変わらない。
結局、隊長は誰かと問われれば、神さま。
20世紀は世界中で戦争があり、後半はいかにそれを終わらせるか、という時代だったと思う。わたしはそういう時代に生まれて育ち、平和で豊かな恵みの中で育った。少なくても60年間、日本は戦争をしていない。だから、わたしは死ぬまでそういう惨禍を知らずに生きていたいし、娘や孫の世代にもそういう時代が続くことを願っている。
それだけ。
戦後、パパさまが世界中を回り、平和を訴えた。それに呼応し、世界中の信者が祈りを捧げた。そして、カトリックの国は反戦に回った。わたしはカトリックの国に暮らしているわけではないけれども、鈴のつけられた猫のようなもので、呼ばれれば行くしかない。
わたしの中に育った信仰の芽は、理屈を凌駕して存在するらしく、人生観、価値観、行動を左右してしまうのだろうか。
ある日突然、国も法律もどうでもよくなってしまう。それでいて、わたしはそれなりに愛国心もあるらしいし、わけわからん。
オリンピックの話題が出ても、またか・・という気分になってしまう。愛知万博と言い、結局、不景気だから何かイベントをやりたいだけなんだろうな・・という程度の興味しかないままに間もなく終わるらしい。というわけで、オリンピックの誘致に関しても、どーでもいい、というのが本音。
わたしは東京オリンピックの頃には東京、札幌オリンピックの頃には札幌という具合に住民としてのオリンピック体験はあるのだけれど、長野になると急速にどーでもいい、と思っているうちに終わってしまった。ほんで、またどこかでやるとなったら、もういいだろう・・というのが本音。それより、街が急速にピカピカになって行ってしまう気分を、そういうものに縁の無い国の人たちに味わってほしい。それだけ。(もっと正直に語れば、感動はソウルで終わった)
北朝鮮に望むこと?
戦争はやめて、経済を活性して行きましょう、としか語れない。武道大会を平壌でやっているより、オリンピックを誘致せよ、としか語れない。
アメリカ・・・
あの国の人たちの場合、極めてシンプル。北朝鮮に対する無条件降伏を争わずして求めているわけで、日本もかつてやられました。そして、戦争。そして、原爆。結局、無条件降伏。何のためにあんなにたくさんの犠牲者が出たのか、わたしにはよくわからない。
そういう意味で、アメリカが好きか嫌いかと問われれば、わたしは大嫌いだ。
が、しかし・・・
バーガーとポテトさえ食べさせておけばいいような国民で、あまりややこしいことを言っても無意味だというシンプルさを理解すれば、子どもを相手にするのと変わらない。
結局、人間の本質は変わらない。
保育園を増やしたところで、そこが素晴らしければ別だけど、子どもが死ぬ事故も多いし、ある公立の幼稚園では子どもがうんちしていてもそのままとかね。どうしてもお金がない、働かなければならない、という明確な理由がない限り、そういう劣悪さにどれくらいの人たちが耐えられるだろうか?
わたしは息子がいないのでわからないけれども、嫁さんが茶髪でつけまつげで子どもを放り出して遊んでいるようならさすがに怒るだろう。
たしかに、どんな劣悪な環境でも育つだろうけど。自分がそれに耐えられるかどうか、の違いなのかもしれない。
子どもをもつと、たちまち価値観が変わる。自己中はつおい。
というか、言わないだけ。
今に始まったことではないけれど、世の中が嘘っぱちだらけだから嫌になる。ホリエモンが本当に当選したかったらライブドアの本社を広島に移し、自分が政治家になるのではなく、子どもや孫を政治家にさせればいい。
本当に世界中の地域格差を是正したいのなら、世界の主要機関を発展途上国に移転させるべきである。これにより、経済は活性化され、治安の維持にやっきとなり、職員の確保のために地域の教育にも余念が無くなる。
選挙速報の顔ぶれを眺め、いかにディレクターやプロデューサーにやる気がないかわかる。過去の遺物を画面に並べて何がうれしいのかわからない。要するに、冒険を嫌う体質が浮き彫り。
東京が一面焼け野原だったことを知る人たちは少ない。神戸の震災の傷跡を知る人たちもそのうちいなくなるかもしれない。だって、年寄りが多し・・・
なんかね・・・やる気がないんだろうな。世の中に。
インターネットを日本で最初に開発していたのは、高エネ研らしい。昔はあの辺一体何もなく、というか今でもそうだけど、農家の子どもが勝手に入り込んで遊んでいた。大きなグランドがあり、おちびの幼稚園の運動会もそこでやった。田舎っていいわ・・・なんか。
アメブロの本社って東邦生命ビル?
ほかにないのかと思ってしまう。あれは便利なんだけどね・・・渋谷駅に行く時、エスカレーターを使えるし・・・六本木まで歩いて行ける。のんだくれにはうれしい土地柄だろう。
なんかね・・・もっと面白いことない?って言いたくなる。
未読本がたまっている・・・なんとかせねば。
選挙に限らず、要点はわかりやすいほうがいいよね。
「茨城空港が欲しい?」
「はい」
理由なんてどうでもいい。
電車が嫌い。特にあのラッシュなんて殺人的だし、人権無視もいいところだし、人間を物体として扱っているにすぎない。とかね・・・なんでもいいのだわ。
高速道路が高すぎる。なんでいつまでも金を払わないとダメなのかしら?ゆるせないわ。
なんで羽田まで行かないとダメなの?成田に国内線を増やしてよ。あの混んだ電車に乗るだけでも疲れるし、あの首都高の渋滞の酷さは何?特に箱崎。
憲法?どうでもいいわ。法律があるから反戦なのではなく、戦時中だって反戦なのよ。アメリカに生まれても反戦なのよ。何か文句ある?基地が気に入らないのなら、普通の空港に払い下げてもらえばいいわ。
☆
一つわかっているのは、那珂湊で魚を買うと新鮮で安い。それが都内へ行くと鮮度が落ちたものを高値で売っている。
空港があり、港があるということは、物が安く早く手に入るということなのかも。ええこっちゃ。がんばれ、茨城。ローカルは素晴らしい。
結局、わたしの本音はこうなんです。
アメリカのハリケーンのための募金箱には1円も寄付したくないんです。だって、アメリカは世界の富の4分の1を占めるほどの金持ちなんだから、アメリカ政府やその国民が何とかしたらいい。
サマワの1日1億円は少しも惜しくないです。無駄だとも思っていません。戦争の犠牲者であることは間違いないし、僅かでも復興に協力できたらうれしいというのも本音です。イラクも統一に向けて動き出したし、よかったなと思います。
さて、上の地図は何の航空路でしょう?
百里基地なんて言っても知らないよね。わたしもまるで知らなかった。それなんて読むの?みたいな程度です。
今回の知事選挙で百里(ひゃくり)基地の民間利用ということが地味ながらも争点となり、橋本知事は再選を果たしてしまいました。なんせおっそろしいほど借金が増えているのもたしかだし、那珂湊港の建設になんであんなにお金がかかるのさ、とか、百里基地の民間利用って何さ、など、もともと茨城のことには興味がなかったせいか、今頃になっていろいろ知る。
茨城ってリッチなのよね。実はこんなに田舎なのに全国で財政力は第9位。都会じゃないんですよ?大都市があるわけでもないんですよ?たしかに米どころではあるし、海の幸も豊富だし、鹿島臨海工業地帯もあるし、東海村には原発もあるし、美浦村にはトレセンもあり、牧場も多く、それなりにあらゆる産業が集まっているのかもしれないですね。
当然反対している人たちもいます。
最高裁でまで争われた経緯が書かれています。
まあ、航空訓練が豪勢に行われているそうなので、その騒音たるや大変なものでしょう。でも、写真を眺めるとプラモデルが飛んでいるみたいでかっこいい。わが家からなら1時間くらいで行けそうなので、一度行って本物を見てみたい。
戦争には反対だけど、茨城空港ができることには反対しないというのはムシがよいのだろうか。
結局、サイエンスを戦争に使うか平和利用するか、ってことのような気がすることがある。それと同時に今は戦闘機が飛ぶ基地だけど、そのうち利用者が増え、民間機が中心になっていく、というのが理想。まあ、ローカルなので恐ろしいほど増えるとは思えないけど。
それでも、だるだるの渋滞を我慢して羽田まで1時間半のシャトルバスを利用するより、家からサンダルを引っ掛けて百里へ行く方がいい。駐車場もタダで用意してくれるというし、今はマニアだけが撮影に行くだけだけど、大きな公園ができればのんびり自衛隊の演習を眺めながらピクニックとかね・・・つくばのような科学都市に住んでいると、そういうことに対する違和感がまるで湧かない。ロケットを眺めながら、ショッピングするような土地柄だからかもしれない。
スーパーにいつの間にか茨城産のみずなが並ぶようになり、牛すじが売られるようになり、いかに関西人が多いかわかる。そういう土地柄ゆえ、札幌、大阪、福岡、那覇への便が一日24便計画されているそう。県内の学校の修学旅行でも利用されるとか。地元のバックアップって大きい。
つくばセンターへの無料シャトルバスも増発され、どんどん便利になる。自己中にはうれしい茨城です。(ただし、茨城のイメージというのが水戸の偕楽園とか、袋田の滝とか? 行ったことないってば〜、県民だけど)
どうして9月11日が衆議院選挙になったのかよくわからないけれど、正直、選挙がなかったらまた9.11テロの話題が一日中メディアで流されたのかもしれない。
今回、アメリカのハリケーンでたくさんの被災者が出て、その話は娘でも知っている。ファミレスにも募金箱が置いてあった。
ちょうど時期を同じにして、日本でも大型台風があり、極めて局所的な被害だったけど都内などでとても大きな被害が出た。規模は違うかもしれないけど、被災者がいるのは同じ。
今回、中越地方の様子が画面に登場した。いまだに仮設住宅に住み、道路すらまだ復旧していないそう。正直な感想として、復興の速度が遅く感じられる。神戸の震災の話がいまだにささやかれるのは被災者の数が多いからなのだろうか。
今もどこかで地震が発生している。大きな被害があるかどうかは別として、世界の地震マップは毎日更新され続ける。台風の被害も日本なら毎度おなじみの話題。アメリカだってそうなのかもしれない。
☆
選挙速報を見て、自民党が圧勝したのに驚いた。勝つだろうとは思ってはいたけど、こんなに大勝するとは思っていなかった。比例代表を眺めると、そちらの数字が組織票に近く、もしかすると小選挙区での自民の圧勝というのが番狂わせだっただけなのかも。
民主党の何が気に入らないかと言えば、郵政民営化に反対に回ったということも大きいけれど、それ以上に年金の一元化が嫌だった。最低保障額を決めるという発想。共済と厚生年金の合体はともかく、国民年金と一緒になるというのはすっきりしない。国民年金に加入しているのは自営業や農家であり、その政策を眺めるだけでその政党を支える基盤が見えてくる。農家のおばあちゃんにどうして年金が必要なのかよくわからない。都市型労働者で、どうしても年金に頼らざるを得ず、かつ高額の保険料を支払っている人たちが、どうして年金に加入していない人たちのために最低年金を保障をしなければならないのか理解に苦しんでしまった。もっとも具体的にどういうことになるのかまでは知らないけど。
弱者保護という名目。なんか、すっきりしないのですわ・・・いいんだけどね、別に。寝たきりで入院していると実は恐ろしいほど医療費がかかる。健康保険がなかったら大変なことになる。誰でも年金の範囲内で、というのが基本ベースなのかもしれない。それよりもどこか無意識のうちに、本当ににっちもさっちもいかない状態になったら娘の家に一間余分につくってもらって、そこに居候を決め込むほうが現実的な老後だと考えてしまう。あちらは嫌がるかもしれないが、死にそうな親を見捨てるほど酷い子だとは思っていないので。
何もかもがいっしょくたになり、そういう全体主義的な発想についていけそうにない。なんか、だるだる不景気がずっと続くようで、なかなか気分の悪い政策だ。悪気はないのだろうけど、そういう無意識の不愉快さをどうやって表現してよいのかわからない。
☆
マスコミにもうんざり。わたしが知る限り、野党もそうだけど、単に与党を批判するだけで票や視聴率を稼ごうとする。正直な感想としてそういう単純な発想にもうんざりだし、今回はどういうわけかメディアが一生懸命に自民党や小泉さんを批判しようとすればするほど、それに対して抗議したくなってしまう。
もしかすると、わたしが間違っているのかもしれないと思ったけれども、気分というか、ムードというか、そういうベーシックで表に出ないところが自民党の圧勝の原因のような気がする。
☆
広島6区。堀江さんは落選。亀井さんは強かった。でも、本音で語れば、政治に興味のなかった人が知名度だけで当選するという図式には飽き飽きなので、それはそれで仕方がないような気もする。それでいて、どういうわけか今回の選挙は汚職やスキャンダルなどで失脚した人が復活したりしている。
いいんだろうか?
社会とは悪を孕みながら存続していることを考えると、他人の過ちを追及するより、しっかり仕事をしてもらおうとか、敗者復活とか、無意識のうちにノスタルジーに浸る人たちの深層の現れなのかもしれない。
女性が増えるということは、派閥が成立しにくくなるということ。その理由はよくわからないけれども、そういうのは、猿山のボスは常にオスであり、オスは群れを形成し、なわばりが発生する様子を想い描けば、それに対してメスがどういう風に存在しているか?・・・・・ってことなんだろうなぁ、と何となく思った。
すごいですね〜、特定郵便局って何にもしないのに国から毎年2000万円入ってくるって本当なんですか〜?
その話が本当なら、娘をだるだる郵便局へ就職させ、老後は離島や沖縄など遊んで暮らせそうなところへ移住したい。
な〜んにも仕事がなくても、2000万円が入ってくるなんて・・・
なんか、羨ましい。
いっそのこと民主党か共産党に投票して、特定郵便局を開局したくなりました。(こらっ)
トラステのテーマ・・・「いきなり逆転人生!」だって・・・
親にパラサイトしている若者なら簡単なのよね。『希望のニート』の中でも、ニュースタート事務局を通じてフィリピンに行ったニートたちの話に、現地で女性と知り合い、あの!働くどころかだるだるで何もしなかったニート君が自分で働いてフィリピンに仕送りしているという話が出て来る。
常識で考えたら、フィリピンに自分のバイトマネーを仕送りしてしまい、自分の寮費を親に支払わせているニート君は間違っている。フィリピンに送る金があるなら、自分の生活費を何とかしろ、と思うほうが普通。が、しかし、なんて言ったらいいのでしょうか・・・・もう何年も自室にひきこもっていたようなわが子が他人のために働いている!? もう、それだけで親が感激してしまい、心配は心配だけど、しばらくそのままにしておこうという・・・
こういうのは、親じゃないと理解できないと思う。
本能かもしれない。
ビートたけしがお嬢さんの結婚の時のインタビューで怒りながらも喜んでいるという父親の複雑な心境を語っていたけど、どんな婿でも婿は他人。孫は自分の孫。婿の顔を見たら腹の立つことでも、孫の親だと思えば諦めもつく・・・多少頼りないなぁ・・・と思っても。
恋愛でも結婚でも、他人のために何かをする、誰かと一緒に何かをする、というのは1+1が2ではないことを教えてくれる。
イラクとアメリカに同時期に不幸な出来事が発生した。
イラクでは巡礼中のシーア派の人たちが自爆テロがいるというデマでパニックになり河で溺れた。アメリカでは巨大なハリケーンで40万人の人たちが街の外へ避難する中、ドームに避難した人たちが暴動を起こしていた。
イラクではスンニー派の人が溺れているシーア派の人たちを助け、自分が亡くなってしまった。これにより対立していた人たちがイラクの統一に向けて歩み寄る。アメリカでは被災地に取り残された人たちの救済が遅れたということで政府を非難。油田も被害を受け、ガソリン代が高騰。
自爆テロを恐れているのは外国人だけだと思っていた。
そういえば、アメリカには油田があったのだなぁ・・ということを思い出す。
皆が避難しているのに、ハリケーンの来ている街に残り、やりたい放題の人たち。
自爆テロを恐れる巡礼者たちとハリケーンの中の無法地帯に取り残された人たち。
象徴的・・・
どっちも本音なんだろうな。
ガソリンが無くなったら、馬車でも買おう。自動車が普及したのは昭和に入ってからで、それ以前の生活を考えれば今は電動自転車もあるし、駐車場が厩舎になるだけのことのような気がする。田舎暮らしはのんき。家庭内で使う程度の電力ならソーラーシステムで充分らしい。お風呂のお湯でも熱い湯が出ると姑さんが言っていた。
実際の馬車ってどんな感じなのかと思って、フィレンツェで馬車に乗った。朝、馬車の出勤の時間になるとクルマに混じって馬車が窓の下を通る。多少パカパカうるさいものの、慣れると目覚まし代わり。結構速いし、乗り心地も悪くない。
娘の学校も自転車で通学できるようなところを選ぶ。でも、スクールバス。落ちたら公立の中学ですら、わが家のほうは自転車通学。いざとなったら歩いて家まで戻れるようなところがいい。ついでに大学も自転車で通えるところにしてくれないだろうか・・・
一度も使ったことのない暖炉まである・・・
ろうそくで読書なんてね・・・提灯とか? 湯たんぽ、火鉢、掘りごたつ。
そういうレトロな生活もノスタルジック。
結局、少子化の原因は不景気とゆとり教育のダブルパンチとマンションの規格が3LDKくらいがスタンダードという外的事情に拠るのかもしれない。
田舎でのんびり公立の小学校へ入れているだけなら大してお金はかからない。でも、これが私立の学校、さらに大学へ進学した場合などを計算すると家が買えてしまうくらいお金がかかることに気づく。自宅から通えるならともかく、下宿させてとなると、学費のほかに仕送りが必要になり、1人ならともかくこれが2人、3人となると経済的に無理かもしれない。
都会なら自宅から通えるから楽だろうと思っても、たとえば通常のマンションは3LDKが標準。戸建で4LDK。もちろん子どもがいなければ別かもしれないけど、夫婦と子ども2人というのが基準のような・・・道路でも基本的な道幅があり、クルマの大きさも規格であることを考慮すると、マンションの買いやすさなどにあわせて子どもの数が決まったりして。
昔と違って、今、家計診断というのもあるし、子どもが小学校から大学まで国公立の場合、私立の場合、クルマの買い替えの時期、冠婚葬祭の費用、その他諸々人生に必要な経費が生命保険会社等に計算されてしまう。それにより生命保険の金額を決定するそう。もう、ため息が出てしまう。
☆
今の男の子が頼りないのもわかる。だって、奥さんが働いてくれるもの。女性の場合、男性と同じ職種に就こうと思ったら同じ成績・学歴だったら負けてしまう。
医学部でも成績だけなら9割が女子学生になると言われている。それでは都合が悪いので調整される。実際、当直をしない、主婦班がある等、医者になった以後の仕事量が違ってくるかららしい。独身で男性なみにバリバリ働いてくれる女性ばかりなら関係ないのかもしれないけど、今はそういう時代じゃないから。みんな普通に結婚して子育てもして家事もして、となる。ダンナが稼げるようになると仕事を辞めてしまう女医さんも多いし・・・週1でしか働けないとか。
それでいて、学費という点では男の子も女の子も同じ。逆に女の子のほうがかかる、あれにこれに。
正直な話、昔だったら女の子はどうせ嫁に行くからという理由で男の子ほど学費等にお金をかけてもらえなかった。男の子でも子どもの数が多いとすべての子に公平というわけにはいかない。長子相続が当たり前だったからかも。今は公平分配の時代なので、兄弟でも同じようにしないと、となる。
子沢山になったら破産しそう・・・
気のせいだろうか。
たまに思うんだけど、わたしってなんて常識的な発想をするのかしら、って。アマとプロの違いは、要するに納税証明だけ。年収の証明ではない。納税額。
某スタイリストのブログを読んだ時、「スタイリストという職業で納税したのはあなたが初めてです」と税務署で言われたという話が書かれていた。そうなんだよね・・・それが職種として分類・登録されるのは、納税者がいて初めて役人が認識するわけで、納税者がいなければ相手にされない。あまりにも数と額が小さければ、単なるバイトとかフリーターという分類になるのかもしれないし、そこのところ税務署の職員ではないのでわからない。
まあ、税務署はともかく、銀行などを相手にする時にはそういうわけにはいかない。過去に遡り納税証明の提出を求められるだろう。芸能人なんてあんなに稼いでいるのに・・って思っても、銀行は貸し渋る。その結果、キャッシュで買ったほうがいい、ってことになるのだろうか。まあ、ローンというのは給与所得者のために存在するような気がするから、それはそれで当たり前なのかもしれない。
編集者というのは社員だからな・・・作家や漫画家というのは社員じゃない。若い頃はお金がない。が、しかし、定職に就いているとクレジットだの何とかローンだの借金できる。だから、クルマだの何だの買おうと思えば買える。ところが、フリーだとそういうわけにはいかない。
そういう社会の仕組みを理解しているため、親の立場からすればフリーターより組織に帰属する道を考える。それでいて、正直、今は知らないけど、わたしが大学生の頃の外務省の初任給が8万円だったような・・・商社で11万円と誰か言っていたような・・・若い頃はお金がないのはみんな一緒。
いっそのこと、アーチストはみんな公務員にしちゃったらどうだろう? 公共の施設の絵画だの彫刻だのその他諸々公費でやる。美術館に勤めたり、美術教師をするしかないというのでは厳しい。
アートに詳しい政治家がいたら応援します・・・
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道路をガガガガ掘っているだけが公共事業じゃないってば!
(歴代誌下 24. 1-14)
住宅展示場でもまわったほうが早いかもしれん・・・
わたしも何年も自分が勉強してきたのだから、娘の勉強をみるくらいどうということもなさそうだけど、それでいてどうしても親では補い切れないものがある。切磋琢磨とか、競争心とか。特にひとりっこだし、のんびり育ててしまったのでなおさらそうやって感じてしまう。塾の学費は高いなぁ・・と思いながらも、それでいてのんびりした娘のクラスを考えてさえ、それでも塾へ行かせたほうがマシだという気分になってしまう。
本当の意味で勉強しようと思えば1人のほうがやりやすいような気がする。それでいて、どうしてもだるだるになってしまいがち。学校はダメ。欺瞞に満ちあふれていて。しかも、ゆとり教育の賜物で、班やグループの世界だから。みんなで何かを育てるとか、調理実習の準備をするとか、合唱とか。団体で何かすることを学ぶところという気がする。それはそれで楽しいらしいけど。
塾になると、まるきり能力別編成ですからね・・・その代わり商売だから、落ちこぼれてもそれなりにそれなりのクラスがあり、そこはそこで楽しいらしい。やる気に満ちあふれた子たちにはスペシャルクラスがあるし、なんかいつも普通のわが娘・・・凡人教育の最たるものと思っている。
学校のクセをとるのが大変らしい。
どこが違うのかわからないけど、学校型の勉強だと通過してしまえば終わるし、宿題だけやっていけば先生は何も言わないし、言われたことを言われたとおりやっていれば文句は言われない。ところが、受験勉強や塾ではそういうわけにはいかないんだよ、ということを教えるまでが一苦労。
受験勉強はこれで充分というものは特に何もないし、過去にやったことも試験に出るから通過して終わるわけにはいかない。わからないところがあれば自分で調べながら勉強したり、資料と問題を比較したり、自分であれこれ学習法を考えたり、自分でやらなければならない。学校一つ選ぶにしても公立では選びようがない。その代わり私立となると、スクールカラーがまるで違うため、比較選択しなければならない。
なんか、こう、なんでこんなに違うのだろう・・・同じようなことを勉強しているだけなのに。それでいて不思議なのは、自主性を育てるって言葉をよく耳にしませんか? それでいて人間関係の形成重視という言葉も今の流行でして・・・ 自主性を育てるための場で協調性を学び、人間関係を育てようとする場で自主性を学んでいるような・・・ 気のせいだろうか。
でも、考えてみたら、今までの発想が単なるサラリーマン・ユートピアだったのかもしれないし、今の年金を個人年金で申し込もうとしたらおっそろしいほど支払わなければならないことを考えると、いかにサラリーマン有利な社会かそれだけでもわかる。一度就職すると終身雇用、年功序列。退職時には退職金と年金。実情は知らないけど・・・会社が倒産しても、そのまま業務引継ぎとかね・・・経営者が変わっただけで業務もサラリーも大して違わないとか? 儲かれば社員旅行、ボーナス、社宅、住居手当、家のローンの貸し出し、育児の補助。いたれりつくせり・・・・羨ましい。
要するに、団体戦ということが何となくわかるような・・・一度入社してしまえば、そのままとか?だから、就職するまでがデッドヒートになるのも無理はない気がする。
それが破綻するとどうなるのか?
個人で何とかするしかない。親とか親戚とか?今は自立の時代なので、自立できないとバカにされたり、叱られたり、パラサイト扱いされたり・・・そのくせ団体戦だから、こちらの会社は待遇がよくないとなるとあちらに転職するのが当たり前だったり・・・
ということは、転職しやすさを考えて子どもを育てる必要性が高い。個人技を育てるというか・・・英会話、IT教育、スポーツ、絵画、その他諸々。
ゆとり教育、か。
習い事する時間が増えただけと解釈しておきましょう。
・・・・・・・それか、やっぱりパラサイト。もちつもたれつ。オト君ですら、番犬してくれてるからね・・・心強い。
若年層の国民年金の不払いだって・・・・笑ってしまう。学生も親が払わないとならないらしいし、もし定職に就いていなかったとしたら自分で払わなければならない。就職もできないのに、どうやって払えと言うのだろう?
うちのダンナが勤め始めた頃、手取りが27900円だったのを覚えている。あのう・・・しかも、そこからふたり分の国民年金を支払うとまるで手元には何も残らなかった。親からの仕送りで食べていたわけで、そういう状況でも年金を毎月払えというのだから、悩む。厚生年金ならいいけど、国民年金となると、ね。バイトして払えと言うのだろうか・・・
何を考えているのか、たまにわからないことがある・・・・机上の空論主義者たちが。