December 30, 2004

パルモアの歌謳ひにはうんざりとつまびらやかな風は吹き去る
グローリアスグローリアスおゝグローリアス!一片の雪ひらひら落ちる!!
雪なのか霙なのかと叫んでもひらひらひらとななめに落ちる
消えちゃうよ明日の朝には消えちゃうよそんな雪にも凍えて座る
パルモアの歌謳ひにはうんざりと夢降る午後は五月雨のよう
パルモアの歌謳ひにはうんざりと言われているの、ひらひらと雪。
ひらひらと積もっているか屋根のうえ陽は容赦なくてらてら照らす
パルモアの歌謳ひなど幻さ。あの雲のうえ青空がある。
声もなく泣くのはやめて、降る雪よ。パルモアからの便りは届く。

ダニエル書 5. 17

ふかぶかとふる雪の音の美しき霙まじりの鈴の音一つ

投稿者 Blue Wind : 11:32 AM | コメント (0) | トラックバック

December 29, 2004

自転車の轍のうえをとおりゆく犬も歩かぬ霙あるみち

まどろみに浮んだ歌もわすれゆくふかきねむりにおちゆくゆき日
自転車の轍のうえをとおりゆく犬も歩かぬ霙あるみち
ぬくぬくと白い雪降る窓のそと芝目の色のかわりゆく庭
降る雪のななめに走る白い冬身をこごみ咲く淡き薔薇の木
雪のなか傘もささずに遠目にぞ吾子のぬれ髪踊る歩道よ

おそろしい一年だったと画面みるわれはぬくぬく汝もぬくぬく

死んだのは人と建物陸のうえ。海のうえにはボート揺らるる。
波よするパトン・ビーチをながむればそういうことかとビーチは遠く
海はとても怖いよと波くりかえしくりかえし波よする砂浜
浜の砂こんもりとして丘のようなだらかな坂波の山よす
歩くことつらきスマトラ熱帯の狂える波の茫洋の浜
海のうえなだらかな波やりすごす津波の泥は島を襲ひぬ

海は海人は人空高ければ熱き陽射しの照りつける海
ゆるやかにコーピーピーを呑み尽くす波はつばめの巣を空高く
島の孔彫りあぐる波わたしには想うことすら暗い空洞

詩編 51. 12-14

黒雲のスコールの波つつまるる島影はやく遠ざかる船
何事もなかったような青空はいつも気まぐれ一秒の焔
点点と雲と島との違いなどわたしの目にはわからない窓
点点と雲従えて飛行機は降り立つ島を選んでをりし
海賊のCD盤は流されていづこにあるかパトンの沖か
あやふやな浜辺の道はいづこへと遺された人置き去りにする
退廃の泥水のなか椰子の木は呑み込まれつつ風に吹かれり

今は冬夏の想いを描いては雪の残った芝庭をみる
くりかえし波はおとづれ麗かな被災のあとの空高くあり
ハンモックとりのこされた部屋のまえ狂へる波につよき風吹く

箴言 17. 14

水漏れの水すらつたう柱にはビニール張りの風よけの壁


■BBS詠
舞い落つるわくらばさえもなき道に枯れ尾花群れゆっくりねむる

投稿者 Blue Wind : 10:59 PM | コメント (0) | トラックバック

December 27, 2004

ひんやりと肉球黒くかなしけれ小さな氷さわったような

テポドンが飛んできたとて嘆かない罪なきこいぬ眠りゆく空
わたしたち、明日がどうなるものとても身勝手すぎて憐れんで泣く
今は明日、明日は明後日、いつの日かこわれゆくままねむりゆくまま。
ほとほとにほとほとすぎて疲れ果つこいぬのマリア幼すぎる死
生まれては引き離されて渡り逝くいのちあはれかあはれ生くべし
キーボード打つくらいしかできないとあはれんでみてわがみむなしき

反戦の旗印さえむなしくも誰がためにぞ夕暮るる空
テポドンよ、飛んで来いよとあはれめば、身はやつるほど700グラム。
べこべこに背中の皮にはりついた身の無きマリに血液検査
生きるって出してくれよと檻の中叫べど飛べどだれもこたえず
悔しさは怒っているのと違うのよ!べこべこになる脱水のマリ

ほんわりとやすらかな顔ねむりゆくまんまるおめめ、しあわせって何?
届かない眠りの中の眠り姫大空遥か魂いづこ
天高く追い求めるかオトくんは二階にのぼり誰に遠吠え
つながれた糸むなしくもてのさきは指が聳えて人間といふ
ひんやりと肉球黒くかなしけれ小さな氷さわったような

やんわりと皮のむこうにやんわりと冷たいマリのふにゃりと身体
永遠は永遠すぎて幻のとおりゆく道そらたかくあり
魂はあっというまにのぼりゆくみあぐる夜空星の瞬き
光より速く夜空に輝けりきらきらとした魂の息

ダニエル書 10. 8


◇ご返歌
サンダルでクルマ転がす癖つけば季節外れの爪先は冬
枯れ枝の細い切り絵の刻刻と透かす夕陽に消ゆるわくらば
空からの落つる雨雪消ゆるともめぐりゆく雲天使に変わる

投稿者 Blue Wind : 12:11 AM | コメント (0) | トラックバック

December 22, 2004

抱きゆく微かな匂い今もなお少しの時間流れただけと

膝のうえ目をあけたまま亡骸になってしまった子犬のマリア
少しずつ閉したまなうらひらきゆく悲しいまなこ何を見つむる
キャロルスの淡淡として流れゆく悲しき調耳元にあり
抱きゆく微かな匂い今もなお少しの時間流れただけと

真つ黒な瞳は悲し宙というあるわけもない空間眺む
懐にぬくぬくとして眠りつく夜明けのマリア今はもう亡き
一夜だけわたしのために来てくれた子犬のマリア冷たいお鼻
首筋に冷たいマリのお鼻あるまどろみの火は冷たいドール

ふつふつと泡立ちながら夢のなか開いたまなこいつ閉じるのか
悲しいよ、悲しいよ、まだ悲しいよ。あの子のいない空白の息。
吹く風のあはれあはれと空のうえもう届かない子犬のマリア
寂しいよ、寂しいよ、まだ寂しいよ。虚ろな瞳すぐそばにあり。

マルコによる福音書 9. 36-37

まだマリの匂いするセーター左肩ふと気にしてはクリスマスツリー


◇トラックバック
まどかなる夢ふふむそら地球儀のうえに重ねて遠の星思ふ
説教は年寄りめいて若人よジョン・レノン臥す一発の撃

◇ご返歌
つらなるは小島のかげと雲のいろ空は気まぐれ透きとおる海

投稿者 Blue Wind : 02:53 PM | コメント (0) | トラックバック

December 21, 2004

きよしこの夜

わくらばにてのひらのうえいのちありすやすやねむるきよしこの夜
苦しみは生きる苦しみやすらかにねむる笑顔はきよしこの夜
御マリアの名をいただきしマリアかないだかれし胸やすらかにあり

投稿者 Blue Wind : 12:14 AM | コメント (0) | トラックバック

December 19, 2004

もうそれは愛ではないと茜いろゆうまぐれ待つほそき浮き雲

ジェラシーが点滅してる信号機危険地帯を立ち止まる道
向こうにはおなじ歩道がつづいてるこちら歩くかあちらわたるか
フラッシュの飛び出すような心臓におどろいている他人のわたし
まっしろなうさぎのまなこあかあかと信号の色うつしてをりし
たちどまる。飛びさるうさぎ。葉隠れにすかしたゆうひ。あしたもあるさ。
すこしずつ死んでいくこと愛と謂うモーリヤックは貸し出したまま

オバデヤ書 13

一枚の紙あらわれて「オバデヤ書」いつもあること忘れてめくる
とおりすぎたひねもすのなかわたしには気がつかない不可視な世界
まんまるく浮んだつきはみかづきにかくれてかげはそらを広げる

どろどろのアンビバレンスもぐる糸もろはのようなきみのある日々
よろこべと憎しみが言うみがってに愛はみなもにうかべる笑みか
戦争さ、最大限の憎しみは。神の愛すら奪いあうから。
神の愛ふかぶかとしてひろびろとはるかな風にアンビバレンス
もうそれは愛ではないと茜いろゆうまぐれ待つほそき浮き雲

コリント信徒への手紙 一 16. 13-14


◇ご返歌
はらりはらり言の葉の海広がりし敷島の四方あゝ海なんだ

◇BBS詠
雨のいろ季節の画家はどんなふうに今日のわたしの空を見つめる
みかづきはふまんなかけらそらのいろすこしひろげて遊泳してる

投稿者 Blue Wind : 10:36 AM | コメント (0) | トラックバック

December 18, 2004

ふゆの朝突然光る東雲につながれた部屋ながいながい陽

生(あ)るように光の朝はやってくる そのうらがわで光待つ人
うらがわに生(あ)る世界には死人の絶える間もなくうらはらな愛
やんわりとしずかな炎燃えゆけばキャンドル・ライト光の輪いづ
ふゆの朝突然光る東雲につながれた部屋ながいながい陽
ふゆの陽はまぶしいだけで寒空に低くゆがんだ木の葉ゆらるる
待ちぼうけいろどりの夜いろどりの灯火だけが煌々と道
やんわりと冷えたポケット手ざわりが布の向こうのわたしの肉体
てのひらにわたしの気配みゃくみゃくとほっぺの上に冬のおとづれ
透明のステンドグラスそとのいろひとつの空き地みっつにわける
わたしってなんだか歩くスピードが速い気がする ステンドグラス

詩編 100. 1-5

たまゆらの小鳥の声の囁きはわれをつついて、朝・朝・朝。と
そんなにもつつかなくても窓のそと透かすカーテンえがく朝庭
植木鉢ころがったまま12月 風にもマケズ雨にもマケズ
ローソンの青い光はひっそりとクルマの屋根を染めて 暗がり
脳天気気象情報曇りのち晴れではないかと疑っている

点滴を外してマリは暴れてる おらおらそこの檻から出せよ!
ジェイラーになったみたいなマリちゃんの罪は重いよ、心配税さ。
檻の中ふふふのほほほ悪い子はしばらくねんね。白血球減る。
大掃除するはずもないクリスマスあっというまにタイムリミット
爆弾を抱えたような大晦日過ぎてしまえば寝て過ごす朝
なんだかなーなんでしょうかとお正月 学生のない冬はうれしい

ドタドタと足音がする ヘタヘタと足音がする あゝ朝なんだ

おめでとう、今日もどうやら無事に朝迎えたみたい、うるさいテレビ。

ホセア書 9. 14

テレビ、うるさい。

これがあるからなぁ・・・早起きは時間制限。

投稿者 Blue Wind : 07:09 AM | コメント (0) | トラックバック

December 17, 2004

トラックバック短歌

お題 「夢」

まどろんで夢さえ忘れ暗闇に浮かんだフレーズ聴くともなしに
流星になって飛び出す夢を見て宇宙(そら)の藻屑になってみたいな
覚えたてせっせと使ってみたくって夢中になって時を忘れて
マリの夢悲しみ色の朝がくる 子犬の顔が少女に変わり


お題 「新月と冬の寒さ」

東空スーパーのうえ満月がおぼろに浮び信号を待つ
西の月ゴンドラになり森のうえ寄り添う星に混じる飛行機
見上げれば空刺す枝が並んでる ひらひら揺れる最後の葉落つ
紺碧に浮んだ月は白白と小さな町を散歩している
ハンドルの冷たさだけが知るみちは季節外れの紅い薔薇咲く
ぼんやりと暗い庭にはクリスマスツリーにされたヒバの樹ライト
こゆびから凍えてしまう冬の部屋ポインセチアがクリスマス待つ
華やぎも空の暗さも明るさもキャンドル一つ月のない晩

★風マニアから、トラックバックして遊んでいました。

投稿者 Blue Wind : 11:10 AM | コメント (0) | トラックバック

December 16, 2004

背中から疲れが走るふゆぞらは腕をのばして陽をつかむ牙

少しずつ曲がり角には冬景色鮮やかすぎる寒椿咲く
道端にクリスマスの樹たたずめばイルミネーション漏れる青空
犬二匹離れていても犬二匹マリの匂いを嗅ぎ分けるオト
吠えるオト部屋の中には走るオト愛奪われた子どものように
ぐったりと霜枯れた草うたかたの光のなかの塵に燃えゆく
背中から疲れが走るふゆぞらは腕をのばして陽をつかむ牙

詩編 22. 13-16

明け方に見る悪夢から放たれつ子犬の顔の悲しげな目目
朝なれば光おとずれ幻はさめざめとした氷点の愛
ちぎるパンひとくち食べて餌皿のドッグフードは誰を待ちたる
鬱蒼とダイナミクスを感じとる犬の嗅覚果てしない風
犬二匹離れていてもお互いに生きること知るせわしなき息

真夜中に小鳥の声のさえずりが聴こえる大河空から落ちぬ
気もそぞろ。憂鬱な風邪、明日の空。調理実習、なめこ買いゆく。
背に鉛心に錨目に怒り暗い悪夢は夜明けの光
セーターが残暑のような部屋のなか病の温度夏景色かな
失敬な。あははのはだとあいうえお。すぐに怒るは死に絶へる前。

ローマの信徒への手紙 16. 17-20

お題にぞ話題の流れ人いきれあるがままにぞ季節は揺らぐ
題詠はトランプの札出すように歌出す世界 正座がつらい
紅白と裏番組をかわるがわる眺めるような最後の世界
紅白を眺めてみろと言われてももうわからない歌手の名前も
好きな曲聴いて流れるひねもすは有線よりもゆっくりと過ぐ

紅白歌合戦か。

プレステで太鼓叩いて曲の名を知りてネットで検索をする
こうやって波の音さえ売られては庭の小鳥の原価を量り
歌カルタ坊主めくりに使われていつの間にやら歌札失くす
伝統は諳んじられて伝わりぬ書かれた文字は埃の匂い

エレミヤ書 9. 9-10

脳音のいやいやながら詠むうたに空調の音うなる冬の夜

◇投句
留守番はふとんの中の犬の耳
ヨン様に頬の筋肉鍛えられ
道端にクリスマスツリー寒椿
裏庭にひかりかそけきクリスマス

投稿者 Blue Wind : 02:04 AM | コメント (0) | トラックバック

December 14, 2004

いのちって摘まれゆくなら花びらに包まれた皮膚。今は包帯。

朝起きて白き光の射し込めば透明色の時間始まる
ひとつひとつぽつりぽつり声がする。片岡義男眺めてる朝。
遠まわり記憶の声は朝のうた告げゆく小鳥名もなき君等
群青はいづこにあると空見ればまばゆさだけが悲しい朝陽
ふうわりと流れる雲はなんと言う名前なのかと浮き雲に問う
あの形この形へと移ろえば雨の降らない朝はまばゆき

いのちって目の光にぞあるものと書いてあるのにマリは憂鬱
虚ろげに立つことさえもできないと体は回るマリは時計に
檻のなか子犬は眠る包帯を飛び出してゆくかぼそいチューブ
指先を少し伸ばして鼻触る。マリのまぶたは象の目のよう。

腹たてて眠れぬ夜は朝となる。おもえば朝は光射す今。
いのちって買うものなんだ細い糸せいめいほしょうああ無情なり
いのちって摘まれゆくなら花びらに包まれた皮膚。今は包帯。
銀色の棒の光が悲しいよ。下から上へ視線は走る。

ルカによる福音書 16. 15

契約が一つ結ばれ生命が別のいのちとすりかわる犬
マリちゃんはうちの子なんです。喉の奥胸倉の中くりかえし言う。
いのちって誰のものかと尋ねればインターフェロン。ミルク少々。
うんざりだ。獣医も店も大嫌い。金金金と店並びゆく。

風の色透きとおる朝カーテンは青から白に上弦の月
うねうねと布の波打つ窓辺にはポインセチアが寄り添うように
お陽さまと無邪気に話す赤い葉と背いて緑尖った葉先

列王記下 25. 27-30 ヨヤキンの解放

ひとりなら赦せもするか朝の罪放射線状シャーデーの声
くぐもれば低音だけがリズミカル。デジタルのよう満面の笑み。
ひとつだけ嘘の混じったラストには要らない白髪抜いてる手つき
もうだれも泣く人のない朝陽には夜吐き捨てた泥もただよう

白粘土赤い粘土と人工の黄色い粘土、おゝお正月?
クリスマスくるりと終わるクリスマス。大いに慌て年賀状書く。
もうだれもいない朝だと学生街さっぱりとした日の出の季節
自転車も違法駐車もない朝は風は清める道路のうえを
暖冬の部屋の中ではセーターとTシャツだけが議論を重ね

真夏日が過ぎてしまった寒椿今は冬だとささやきあって
冬化粧あざやかすぎる寒椿わざとらしさが悲しい垣根
木枯らしの吹きぬけ顔の寒椿まぬけな空に刺さりゆく枝
空を刺すすべての枝は冬の指こぼれた水は枯れ草のうえ

雫すらまるまるとした冬の雨凍てつくことも知らない子ども

箴言 17. 22

枯れた骨つつんだ背中しょんぼりと生まれてすぐにしぼみゆく犬

投稿者 Blue Wind : 11:22 AM | コメント (0) | トラックバック

December 12, 2004

鬱蒼と雨空のなか群青は雲の向こうに広がるばかり

ぐったりとアニメ・ソングを聴く朝は日曜日だと早起きをする
ハングル語ニュースの声に混じりてはトピックを知る北朝鮮か
赤赤とドウダンツツジ壁に沿う冷たい風の吹くにまかせて
銀色の自転車ぽつり置かれてはドラマのようなドウダンツツジ
曇り空しらじらしくも日曜日鈍色の芝緑は雑草

ちっぽけな血管の中注ぎ込むブドウ糖食み座り込むマリ
胃の孔の食事の時間夕暮れもカーテン透かし速やかな闇
点滴が瀕死のマリア生かしてるインターフェロン子犬に投与
タタタタと走り回ってオトくんは餌を平らげ置いてきぼりか

気もそぞろ北か南か迷い道母かマリアか悩んでみては
ダニ避けのアロマの匂い漂えば抱っこしろよとオトが飛び乗り
静止する時間の中でシャーデーと洗濯の音聴こえるばかり
迷い道北風のなか飛び出せば無情の響きクルマは走る
日曜日鈍い空あり霜枯れた草は並んで消え去りつ、冬

エステル記 2. 12-14

晴れ晴れとしない空には冬色のドウダンツツジ鮮やかな赤
オトくんのタヌキ寝入りに騙されぬ耳は聳えて四方のアンテナ
グラスには季節はないと水滴はテーブルのうえ円く広がり
珈琲の大きな氷漂えば残量僅か透明な底
見えそうで見えない底を透かし見る氷の向こう円い異次元
五円玉どうして穴が開くままに糸も通さずレジをゆくのか

遺骨って家族愛だと北朝鮮ミステリアスに敷島暴く
もう今は芝さえ眠る冬の庭ぽつぽつと降る大粒の雨

ローマの信徒への手紙 15. 20-21

告げられて拒んでいる人追いかける闇雲な手の大空の下
赤子にぞ聞かせるような子守歌流れるような白い雲かな

結局、弱いんだろうな・・・

瀕死のマリちゃんのほうがよっぽど可哀想。
原因不明。
せめて原因が分かれば・・・・

鬱蒼と雨空のなか群青は雲の向こうに広がるばかり

詩編 106. 10-15

なんか、憂鬱だ。

投稿者 Blue Wind : 10:13 AM | コメント (0) | トラックバック

December 10, 2004

まあいいや、言っても無駄と諦める。オムツするのは親のほうなり。

絶え間なく曇り空かな白い日は眠りの小箱子犬の寝息
わが母の眠りつく日々過ぎゆかば伯母の杖さえ吾に届かず
歩けるか歩けないかもわからない月日のなかに陸は孤島に
師走には動物病院駆け足で駆け込みながらひねもすはゆく
自動車を北へ南へ走らせばカーラジオさえ聴きなれた曲
お正月待ってくれぬか洗濯をそういう年を迎えつつあり
少しずつ子犬のマリは快方に向かいながらも食むこと忘れ
飼育だと思ってしまえばスポイトを使う手つきも慣れた心地す
仕事だな。これは仕事だ、走る道。寒空の下、薄着に気づく。
馬鹿馬鹿し親の世話など好んではやりたくもない寒空の下
奇麗事言ってくれるな、なーんてね、言ってもみたいため息一つ。
世話するかさせてもらうかあほらしく親子の情より娘の義務さ
年寄りがうざく思える月日には頭ごなしの言い方のあり
まあいいや、言っても無駄と諦める。オムツするのは親のほうなり。

エレミヤ書 5. 4-6

フセインを倒してみてもミニ・フセイン乱立するを国家と呼びし
憲法を改正しても世の中は因習のうえ法律があり
形だけ整えてみて魂は消えもしないか天にも地にも
くるくると台風のよう因習のくるくるまわるミッション布教
脳内を白紙にしても暈けるだけあゝ年寄りだ子ども過ぎては
ふわふわと柔軟剤に漬け込んだセーターの脳吹くかたつむり

伯母さんはまだ若いよと敷島の平均寿命思い出しては
世代すら区別のつかぬ街景色髪の色すら彩るカラス
霜枯れる草の立ちたる花壇には伸びるのやめたあらくさ似合う

シャーデーと和歌の関係ありなしも気分転換霜枯れの部屋
くちびるの渇いた季節四季はなしエアコンの息部屋に流れり

ローマの信徒への手紙 16. 25-27 神への賛美

生まれては暈けて死ぬまで蝕まれ肉体のごと土くれとなる
脳発作何もするなと書置きを遺していても無為というもの
死にたいと言ってた母ももう五年いのちづよいと言われていては
この五年母にとっては五ヶ月かたまに感じる止まった時刻
もう一年あと一年とひねもすは昨日のような師走を迎え
きらきらときんきらきんにお月さま浮んだ空はありもせぬ夢

ユダヤ的退廃の満つひねもすも明るい陽射し雲去るを知る

エゼキエル書 40. 1-4

颯爽と吹く風の音聴こえぬも晴れる窓辺に動く雲見る

投稿者 Blue Wind : 09:47 AM | コメント (0) | トラックバック

December 08, 2004

窓越しに朝の光を浴びながら白いページに目の焼かれ入る

屋根越しに朝の光の射し込めば壁には星のかたちの反射
外壁の自由空間庭のうえ通過する朝光まばゆき
窓越しに朝の光を浴びながら白いページに目の焼かれ入る
広げれば書物光りぬ朝机手で影造り指先の跡
揃えても光の抜けるゆびさきをもてあましては透かし日を見る
セーターの腕を焦がすか陽だまりはぬるま湯の中シガーの煙
からからと氷の音を響かせてアイス珈琲季節外れか
陽だまりは壁に寄り添い机上ゆくやけに冷たい指の先かな

エレミヤ書 19. 10-13

北風に安全坊や立ちながら事故を見つめぬ信号無視か
雨の日も北風の日も立ちつくす安全坊や信号の下
ひさかたの森羅万象おとづれる聖霊の息バアルと呼ぶか
陽だまりに工事の音が流れれば昼間は留守の隣家のはずが
陽だまりはなぜにしづもる家のなか犬と子犬は朝寝の時間

待ち時間ホットかアイスかアメリカン迷いつ経てば残るぬくもり
ひとすじのヘッドライトがゆっくりと山からこちら。待てど進まず。
暗闇を照らすライトは闇の道ガードレールも延々続く
片ライトすれ違う道狭ければ田の中までと落つる心地す
ふらふらと走るクルマの増えたれば今が師走と赤い信号
割れた石いつの間にやら直りては何事もなく師走を向かえ

ヨハネによる福音書 6. 1-15 五千人に食べ物を与える

風の道希望の空は茜色浮ぶ横雲放射せし暮れ
ガラス色求めて空は輝きぬあまたの夢は泡立つ雲か
殻の中おりて今吹く風の中陽だまりだけが時間を告げる
泡立ちはいつ始まりて石鹸の水に消え去る残り香のよう

アングラはまっぴらなんだ通勤も箱に詰まれた缶詰みたい
墓の中歩くようだと都会にはビルが並ぶと言われてみれば
りすの絵のまんまるお目目描く吾子小さないやし小さな希望
パン袋鳴らしただけでオトくんのまんまるお目目吾を見つめる
甘え耳しっぽふりふり後ろ足電話のベルに一声吠える

ゼカリヤ書 6. 1-7 第八の幻

◇BBS詠
生りきれて落つる石榴の踏まれしを惜しんで今は葉も落つる冬
初詠みを思うと背には深深と霜枯れ草を浴びたたずみし
ここ過ぎて茫洋の空眺めれば横雲浮び茜と灰と

投稿者 Blue Wind : 10:27 AM | コメント (0) | トラックバック

December 05, 2004

チョコレート一つつまんで犬の世話ポインセチアの水遣り忘れ

てのひらに犬のミルクを流しこみ白き河川の旱魃眺む
沼になり川になりすぐ舐められて子犬のミルクてのひらのうえ
犬用の哺乳瓶など手に取ればおもちゃのようにかすれゆく文字
セーターの中に隠れてマリちゃんは袖を枕にすやすや寝息
ゆで卵袖に隠しているような小さな頭小さな寝息
吾子の指マリの腕だと比べても走る姿はミニチュア・ピンシャ
オトくんが近頃やけに重いなと感ずる午後は陽だまりの夢
外は雨子犬と過ごす土曜日はあっという間にタイム・オーバー
目覚めてはお腹空いたとマリちゃんが寝かしてくれぬ赤ちゃん係

ルカによる福音書 12. 22-34 思い悩むな

おかしいな・・・なんでこんなに犬の世話が大変になるんだろう・・・

野良犬のいかに生まれて死にゆくか学んでみたい子犬の係
16杯てのひらのうえ飲ませろと言うのかミルクひねもすはゆく
空皿はオトのひと舐め犬ミルク犬の月日の宇宙ロケット
チョコレート一つつまんで犬の世話ポインセチアの水遣り忘れ

セーターの中のぬくもり感じてはやすらかな顔子犬の抱っこ

餌よりも抱っこなのかもしれないな・・・

母犬の今頃何をしているか真夜中の吾眠さこらえる
朝までは静かにつづく夜なのにあわただしくも昼を待ちたり

エゼキエル書 12. 8-16

投稿者 Blue Wind : 03:12 AM | コメント (0) | トラックバック

December 03, 2004

子が一人犬が二匹のひねもすは騒々しくも冬空の下

ブドウ糖てのひらのうえ舐める犬パソコンのうえ飛び乗り歩く
システムの復元してはパソコンは儚い箱と子犬のワルツ
犬二匹”中学生と赤ん坊”ふりまわされてひねもす終わる
マリちゃんを預かりますと電話あり一ヶ月では無謀な企画
犬の年考えてみて二ヶ月の短きなかにランドセルあり
あと少しあと少しだと考えて子の育つ日々いつまでつづく

ホセア書 7. 13-16

まどろみにクレモンティーヌ流れれば二言三言青いため息
権威主義尺度にかえて測っても意味なき月日いつの世もあり
白い空暮れゆく時間流れればひかり眩き道を走りぬ
道断のしるしをながめ一つ前左に折れる迷子みちかな
10年を似たような道走りゆきいまだ見知らぬ道あらわれる
慣れたみち苛立つ想いかかえてはラジオを消してマリの鳴き声
外出をさせてもよいか迷いつつ動物病院直走り行く
着替え持ち母の病室おなじみちのんびりと待つ信号の色
せかせかと老いと若きと赤ん坊時の流れはイネガリテかな

闇のなか紫色に光りたる気象観測しているオブジェ
ふゆひかる紫色の雲間よりみちゆくオブジェ宇宙を眺め

詩編 102. 24-25

神の世の永遠の時刻むなら今ひとときの吾のひととき
砂粒に生まれ流され砂浜に置かれた砂は弧を描きゆく
ちっぽけなタームのなかに生きるならしゃぼんのようなひねもすとわれ

ふうわりと浮んだ雲の数なんて数えてむなし言の葉のよう
舞い散れと言わんばかりに白い空浮んで闇はしづしづと来る
言の葉をカウントしてはCGI回っているけどマリのあしあと
入力もおかしくなったパソコンはヘルプでさえも検索できず

ぼんやりと一人の時間コーヒーをアイスにしたりホットにしたり
子が一人犬が二匹のひねもすは騒々しくも冬空の下
子育てが終わって祖母は本ばかり読んでいたなとちいさな自由
もう一度おとなになったわたくしは祖母のとなりで本を読みたし
りんさんは何がしたいと問われてもちっぽけな夢儚くも夢

エゼキエル書 26. 1-6

またティルスか。
やっぱ、マリちゃんを二階でひとりぼっちにしておいたのが間違いなのよね。ほかの犬と接触させないでください、か。オトを閉じ込めるわけにもいかないし、わたしは日中ひとりしかいない。マニュアル通りには行かないって・・・悩む。

投稿者 Blue Wind : 01:35 AM | コメント (0) | トラックバック

December 02, 2004

テンション過多になりそう

いろいろな意味で、秋篠宮さまの記者会見でのお言葉にはすべてがあるような気がしてしまっている。「公務は与えられたものであり、自分のやりたいこととは別。」公務でなくても、仕事というのはそういうものなのかもしれないし、本当はナマズの研究をしているほうが楽しいのかもしれないけど、皇族をしている以上公務は当たり前。人生はなかなか自分の思うようにはならないというのは当たり前なのかもしれない。
雅子さまの場合、比較する規模は違うかもしれないけど、結婚したらなかなか自分のやりたいことができない、仕事を続けられない、姑や嫁ぎ先の家族がいて外出も自由にできない、子どもに恵まれない、などなど同質の悩みは世の中には蔓延しているし、そういう自分の本音を出しにくいということも誰しも感じたりする出来事の一つだと思えば、あまりにもわかりやすくてため息一つ。

題詠マラソンの選歌をしながら、何度も繰り返される「自選」という言葉。まあ、中には荻原さんや五十嵐さんが主催しているからという理由で投歌する人もいるのかもしれないし、本当はその辺が大きいのかもしれないけど、いわば飛び込みで出場した人間にとってはそういうことすら遠い世界の出来事にすぎない。28000首。来年はもっと増えると予想している。となると、これだけの短歌を選歌するとなると一体誰が報酬なしに引き受けてくれるというのだろう。それでいて、出版しても赤字を出さないだけで精一杯となると、虚しさを感じる人がいたとしても不思議はない。
学術書なんて高い値段を出して買っても、この手のものは売りにくいと言われて、古本屋へ持って行っても一冊100円くらいに叩かれてしまう。まだマンガのほうがましな気がしてしまう。絵本や児童書はニーズがあるから、結構高値で売られている。
この前近所の本屋さんへ行ったら、古い歌集は返本されてしまったようだ。句集はまだあった。短歌は入門書や鑑賞付き、あるいは若い人たちが読むようなものに真っ二つに分離していた。それでもその手の類の本が置いてあるだけ、大きな書店なのだと思ったりもする。

何が言いたいのかというと、「公務と自分のやりたいこととは別」ということかも。わたしは本当の意味で和歌が好きだとは思っていない。でも、好きな人たちはマニアの世界だから、これに人生を捧げている人たちも存在している。だけど、そういう人たちだけで秀歌選を出そうということになれば、来年から参加者は減るだろう。そうするとキャッチフレーズである「初心者から上級者まで」ということは嘘になる。あくまでもイベントなのだから、これだけの歌が集まるわけであり、秀歌選を出したところで、マニアの世界にだけ流通して行くのではないだろうか。
なまじか和歌には縁がないから、「今、こんなことやって遊んでいるよ〜」みたいなノリで友達も興味を持ってくれたりする。そうすると、今までそういうものに興味がなかった人でも、「どれどれ・・」という具合にちょっとやってみようと思うらしい。そうやって広がるからまじめにやっている人たちに値打ちが出てくるのだろうし、購買層が広がる。「サラリーマン川柳」のヒットで、今度は歌人が川柳に挑戦というのではどこか本末転倒のような気がしてしまうけど、もしかすると世の中はそういうものなのかもしれない。
短歌が巷に広がると、カラオケ歌壇だと批判するような体質は改めたほうが歌壇のためだと思う。逆に、インターネットから結社へ行って、もっと厳しい世界を経験してほしいとか、いろいろな意見があるのかも、とちらっと思ったりもする。が、しかし・・・昨今、このように短歌を詠じているだけでも一種の社会貢献だとまで言われてしまう。

もっとまじめに考えると、うちに来たばかりの子犬のマリちゃんが病気になり、慌てて病院へ連れて行く。人間の赤ちゃんと変わらない。いきなり環境が激変したのが原因で、ストレス性の潰瘍が出来てしまったらしい。
娘も風邪で学校を休んでいる。母の容態もいつ変化するかわからない。マリちゃんが来たせいで、オトくんまでストレスがたまって、めずらしく朝も起きて来ない。
そうなると、主婦は忙しい。放っておくわけにはいかないではないか。(放って寝かせるのが一番なんだけどね・・)
大きく考えれば、キャリアとか自分のやりたいこととか、いろいろあったとしても、日常はこうやって雑事に追われて過ぎていく。仕事だったら、甘えていると言われるのだろう。が、しかし、そうやって秤にかけて考えたとしても、自分には短歌よりも家族のケアのほうが大事であり、自分の仕事でもある。家族や犬を犠牲にして自分のやりたいことをやるというのは人生における本末転倒である。
甘えているのではなく、これは長い長い自己格闘の上で成立した心構えである。一生懸命にやってきたことがある日突然ぽしゃってしまったり、直接被害というわけではないけど、間接被害という点でも結構人生の歯車が狂わされてしまった阪神の震災など、諦めるしかないような出来事に遭遇すれば誰でもそうなるような気がするけど、どうなんだろう。
そのように考えると、明日がどうなるのかわからないなら、歌でも詠み、家族と共に過ごす、という心境はごく普通のものであり、そういうことを理解してくれる友達に、愛を込めて、近況報告的に単行本などを贈ったりしても罰は当たらないと思う。

主催者の苦労かぁ・・・
売れて謝礼が出たら解決するのかな。そういう問題とも違うのかな。なんか、よくわからない世界。

投稿者 Blue Wind : 01:43 AM | コメント (0) | トラックバック

December 01, 2004

失望に慣れてしまえばランボーの砂文字さえもアデンに眠る

皇室を縮図にながむここちする与われたことやりたいことと
空いっぱい気楽に飛べてよかろうと小鳥は庭で小鳥の会話
戦利品眺めてみれば子が一人犬が二匹と寝たきりの親
のんびりと子育てをする紀子さまにもう一人とは世論は勝手
少子化を考えてみて世の中は身勝手すぎて対立してる
恋をして結婚をして子が生まれ母と変わりし人生の色

歌詠みは楽しいものか訊かれても鬱捨て場だとあっさり答え
片隅にエゴの生る木の植えられて実が落ちるまで風は吹きすぎ
東雲を従えゆくか満月はゆく道にあり戻り道なし
曲がり角いくつ曲がって満月は姿あらわし姿消しさる

ヨハネによる福音書 18. 38-40

鬱々と退廃のなか沈みゆく冬の落ち日のまぶしき視線
太陽のひかりの中にたたずめば面積さえもまぶしさの中
ちっぽけなマリちゃんの爪腕のうえ痛くもないし痒くもないし
火曜日も第五なんだと霜月は終わりを迎え宙に浮いた日
雑誌すら二冊置かれて無駄になるあわただしき午後すみわたる空

せめてもと歌詠むときはひとりきり眠りつく夜蹴飛ばされては
歌詠みは楽しいものか訊かれてもわが世界いづすべての時間

エレミヤ書 50. 4-5

おなじ神信仰してはわかれゆく枝葉のような大樹をながめ
さらさらと生まれゆきては流れゆく小川もいつか大海となり
拘泥は道に踏まれたざくろの実ぱっかり割れて潰れて消える
あの森が筑波大だとわかっても夕暮るる空森のうえかな
かがやきも燃える夕陽も暗闇もみあげるままにたたずんでいる

少しずつ地球の姿かわりゆくくりかえす波蔽われる浜
遺伝子はつたわりゆくもきえうせし継承者とは浜辺の岩か
二千年経ってみたけど人の夜は水面の月のうつろうがごと
失望に慣れてしまえばランボーの砂文字さえもアデンに眠る

ヨブ記 6. 24-30

投稿者 Blue Wind : 01:03 AM | コメント (0) | トラックバック