耽溺に花・風情散る歌舞伎座も映画も江戸も人も活字も
電子文字、ゆっくりとして忙しく人を走らせ座らせ、未来。
だるだるで活字といえば参考書そんな青春。マロニエ植えた。
さんあいのまるいかたちもふるめしくソニービルとてレトロなメトロ
TEの開業宣伝ながむれば朝から人は働きに出る
マンションの建設ラッシュながむればつくばの街も変わってゆくか
まったりと万葉の山ながむればロケットさえも飾りとなりぬ
深深と水の循環ながむれば雪か氷か灼熱の海
どんよりと曇った空の雲の色うつして咲くか白いペチュニア
白色も人造的な花の色、めぐみの色か、さりとて曇り。
一度だけ温度を上げる部屋の中、寒さ暑さも水のご機嫌。
さらさらと雪降りてくる冬空がなぜか恋しい真夏の日照り
雨の音。ぱらぱらと音、朝の色。次第に雲の暗がりの色。
最初から夜へとつづく朝の空。絶えることなく闇おとづれる。
渋滞の信号の森蝉の声耳の奥まで滲み込んでゆく
渋滞にクルマが止まる、それだけで肌のしんしん焼けゆく匂い
木陰には涼しい声が似合うはず、なのにうるさい蝉は鳴く鳴く
台風の過ぎた空には少しだけ皮膚の痛みの照りつける色
けだるさは伝わるものかネットすら切り替わらない白い我慢日
芝のうえいつしか翳は減りました。照りつける陽の輝くままに。
オトくんは笑みを浮かべてダンシング、ドアの向こうに爪の音鳴る。
さわさわと風の舞う音ささやけば台風のなか今もいるかと
芝のうえ忘れた軍手ぬれたままとどまりし夜嵐過ぎ去る
無邪気にも喜んでみて受験生、落ちて泣くのはわたしのほうだ。
けだるくもゆきすぎる夏駐車場うぐいすの声風の向こうに
サフィニアの花撒かれたるドアのそば二匹の犬の爪立てる音
こころさえ過ぎてしまえば谷の風吹きおろしてはつよきビル風
まっしろに陽の燃ゆるよう夏の空くっきりとした翳の輪郭
不機嫌な顔の並んだ世の中は鳴く蝉の声電波のごとく
羽音する夏の夜にはかすかなる虫の息吹の途切れゆくまま
負け犬のほんとの意味を学んでもうれしくないが、杉田かおるは。
負けられぬ、怨念のよう・・・永遠はくりかえしつつ未来はつづく。
ちっぽけな泣き声もまた音波には響いてしまう、地獄耳かな。
芸能人、一般人とわけへだつラインの色は濃厚な灰。
入院に医者困らせし演歌歌手、言われてみても蚊の飛ぶような。
かわるがわるしんしんと人いれかわり、家のなかには同じ人住む。
ネットにはふたつの意味がすきとおる。網のさめぐれり罪のなき糸。
美しき音の流れる夏の晩、かすかな虫の震える羽音。
休みなく蟻が働くそのそばで箒走らせ芝に水撒く
受験生少しはやる気になったかと今年の夏はけだるく映える
少しずつ時代のなかに融けゆかば水の雫の消える真夏日
灼熱に焼かれた枝のかさこそと積まれて落ち葉風に舞う夏
垂れ下がる切りそこなった小枝にはもはやわくらば木陰のワルツ
雪のなか春を祝いし夏の日に秋の風待つ敷島の歴
つれづれにものおもいするブロガーの無意識の列、歴然と四季。
北斎の津波のなかに浮びたる小舟のような嵐くる夏。
雨の日の傘の下には水たまり。空から水が降っている国。
地の上に人暮らすらし、空からは光降るらし、月みる地球。
日かげにはカサブランカの花しだりいつしか夏ののしかかる道
家の中マイナスイオン噴き出せば夏の匂いの忘らるる昼
まっしろな太陽一つ浮んでる昼は延びゆき夕が恋しき
ごま豆腐9.11賞味期限、日本の山にテロはなかりき
つくばへと走った道をつちうらへ走ってみれば迷子のこみち
夏休み、路上駐車の数が減る。帰省の季節、旅行の季節。
のんびりと耳を揺らしてマリ走る。脱走したよとオトの呼ぶ声。
風の名を知らない陽射しまばゆけれゆらゆら稲穂ガードレールと
森の木の立ちならびたる大通り走りぬければ風は吹きぬく
茜色森の向こうに落ちる陽が大地を染める白い夕空
ゴムバンド伸ばしたようなあらくさの根をつまみ切る。ぷっつんと切る。
つまんでは伸ばしてぷっつんあらくさの根の張るほうへ屈みこむ夏
おぼろ月マンションの横浮んでる、綺麗だよって吾子は言うけど・・
広広と風が広がる大空にうっすら浮ぶ筑波のかたち
風は吹く、いつまでも空泳ぐ雲茜に染めていつしか家路。
シリコンで世が変わるのか疑ってホワイトバンド誰がためにある
現実は遠き未来の玉手箱、カラッと晴れて紫外線浴び
落としても落としてもなお生い茂る木木の夏間の暮れゆく時間
蜂でさえ死すというのに生きているわたしのような強がりの夏
ナントカ人、どうでもいいとおもっても、季節はめぐる、木は生い茂る。
パノラマのバイブル出るか考古学すこし控えて歴史的、神。
信仰はみえない風におおわれた大地のように芽のいづ命
鬱蒼と要らなくなる日、考えて生きているのかわが夫という人
淡々と生まれてきては働いて、今は死ぬまで働くと言う。
太陽は東雲のうえ浮んでは森のうえから静かに沈む
深深と静かな日々が連なれば向こうの空に朧月いづ。
芝草を光のなかにふりおとす微塵の朝はすみわたる空
竹箒芝生のうえを走らせば微塵の小山風吹きやらぬと
金色の蜂の巣のあと集まりぬ昨日の蜂のしつこくも見ゆ
蜂さえも恐れない吾いつのまに庭仕事する手荒れに気づく
ペンだこの消えた指先箒だこ薬指なぜ?押し出す視線
夜明けすら待つもどかしさぱらぱらとミモザから降る雫にぬれる
融けだして貴婦人走る空の月さみだれ明けぬ夏の日の雲
水曜日、だるだるな日はお休みか。水仙の春、葉も散りゆかば。
曲がり角たわわに咲いた紫陽花は白紫のこぼれゆく雨
田の色のわかみどりにも映えたれば無機質な家邪魔とも云えぬ
鬱蒼とくらき気分もしづもりぬうすあかりさす梅雨の日の午後
異邦人、われのことかと一冊の聖書取り出す。さて敷島は。
ネイティブを保護いたしてはブッシュにはめずらしき花咲いているらし
英種にぞ侵略されたわが庭は名も忘れたる百合に似た花
万葉を英字で読んでたしかめる。いにしえ人の詩情ふるよし。
オトくんは、ドイツ→アメリカ→日本へとやってきた犬。地球をめぐる。
ネイティブは2%と台湾を眺めていても明日はわがみか
頑なな国だと思い敷島を嫌っていたが、いざ消えゆかん。
京さえも唐の模倣と思わなば秋葉も変わる、鉄道の先。
恐竜も静かに死んで大地には静かな暮らし広がるやもと
朱鷺さえも静かに消えた敷島に雀は飛ぶか、梅雨の日の午後。
文字にするのは難しい。
本当に難しい。
机上の空論を書くのはたやすい。
台湾人の先生のところも、最初は社交辞令でそのような会話もした、というだけのことで、親しくなるとまったくそういう話はしなくなる。せいぜい子どもの学校のこととか、お母さんが亡くなって台湾にまるで日帰りのように行って帰って来たとか、夏休みの旅行のこととか。
互いの家を行き来するのにパスポートは要らない。
なのに、社会はややこしい。
むしろ、そういう愚痴を書きたいのだけど、それがなかなかむずかしい。
ま、いっか。
どうでもいい、バカバカしいと言いながら、口は滑りぬ、書く難しさ。
アフリカも遠藤周作歩いたら流るるほうに水滴りぬ
水のない争いもまた梅雨空の下、空想の中。
テロよりも子犬の誘拐恐れては脱走犯のあどけない顔
世の中に危険があると知らぬ子いぬ車の下をのんびり歩く
記述って必要なのか考えて言の葉のない空はうるわし
テロリスト、気が重いのよ、あなたたち。カルトだったらさっさと消えて。
地球儀に軍事国家を眺めては相手にするも似たような陸
空色に塗ってしまうか地球儀を。それとも山は海は白雲。
地雷なら終わりがあるの募金箱。終わらないのは埋め尽くす人。
中国は人波多くいまさらに住む場所なしと台湾の人
さっぱりと空き地をながむ茨城は医者不足にていまだ無医村
風吹けば風吹くように流れゆく息吹のみちのただようままに
寂寞の閑散とせし家のなか人の気配はわが友なりき
水泳に溺れたるか弟は胸の病に苦しみ喘ぐ
賑やかな土田さんのおばさんは手馴れた手つきわが部屋なおす
賑やかに振舞いてなお静寂はテレビの音に紛れこむべし
コーラでも酔っ払えると弟は賑やかな笑み浮かべていたが
ベランダの植木鉢とて運びいれる階段の音 速やかな風
あらくさのない家だったそういえば誰がやったか吾知らぬ時
家のなか誰もいないとおばさんはセールス帰す、賑々し声
閑散と出入りの多い家だった。不可思議に思う、仲良し家族。
不器用に育っちまった気がせしも不器用なゆえ楽しみもあり
あんなにも賑やかだったわたくしはもはや他人は要らないと言う
ひんやりと七夕の日は芝のうえ足裏を乗せてあらくさを刈る
サンダルも無駄に思える芝草は冷たい夕立ふふませており
陽の射さぬ夏の想いはつゆあけのからりと吹いた風を待つ、雲
アゲハ蝶ひらひら2匹山からか飛んできたのか雲重なりぬ
ひらひらとアゲハの散歩舞う庭は空中という葉陰ぞ似合う
想わぬがすべてというか鬱蒼と並んだ木立包み込む空
ほんのりと笑ってしまうたちばなし、深刻なほどつちのうえには
ややこしき世界の果てはせっかちな山の匂いのたどる風待つ
ロマンスも時期があるのと七夕はスケジュール帖書き換えられて
夏空は雲ってばかり梅雨の陽は夕立ののち顔出してみる
短冊が大きな竹に吊るされて小学校の空は夕立
天の川いつ見えるのと吾子は問いみあぐる空に星一つなき
蒸し蒸しといつ終わるやと七夕は五月雨つづく雨漏りの河
百円で買った箒の庭しごとつち生き返る雨空の夏
格子さえくぐりぬけるかマリちゃんはすまし顔してタッタカ走る
生垣を切り揃えたる道ゆかばあらくさの地の鬱蒼と空
空さえも小さくなって広がれば走る窓にはむしあつき風
ペチュニアかサフィニアかなど迷えども越す冬を思う暑き雨空
一年がこんなに短くなってゆく。今の夏雨、晴れて終われば。
春が来て、夏が来て秋深まれば、いつしか町はクリスマス待つ。
歳月が決まりきってはくりかえす小さな時間いつ果つるとも
陰暦に七夕祝ういにしえはいとかしこしとふかぶかと思う
七夕は8月がいいね・・・
☆ご返歌
忘れえぬ 夢は静かに導きて
川の向こうの 花見つけたり (yunotu5031さま )
蒸し風呂の七夕もあり梅雨の日に北までつづく暑き白雲 (しらいし)
紫陽花の こころを見たり 相克の
赤と青とが 夕闇に消ゆ (yunotu5031さま)
青闇はいつ潜るらん紫陽花の立ちつくす雨 靄に沈めて (しらいし)
☆追加
まったくさ、蛍一つもみたことない。ある晩わたし、暗がりに立つ。
まっすぐにすすめるみちがあるのなら弧を描きつつ風はめぐりき
運命は決まっていると悲しみはよろこびのうえ軽やかに過ぐ
わが音をきちんと出せとゆらぐ声すこし響いて淡々と青
だるだるに風も吹かない暑い夜、肌寒き昼、裏返る時。
運命が決まっていれば時間とは人生きる背の奏でるピアノ
源氏には言いたいこともあるけれどたかむらの墓式部とならぶ
深深と井戸の底にぞよこたわるいにしえのとき しんしんと夜
井戸の底鳴いてやまぬは不如帰、そんな満月、似合わない夜
ミステリーゆくすえ彼方棄てゆかば星の屑さえシュールな弧みし
サルビアの濃い紫は昼間にも夜にもとけていっときの夢
翳なのか光るサルビア花ありき濃い紫は光の闇地
わがみちを閉ざすと言うかタチアオイ背高のっぽのしだれるままに
しだれゆく花は濡れたり五月雨の夏のゆうぐれ風吹かぬみち
双頭の鷲の並んで立ちたれば身一つにはおさまらぬ箱
さわさわと胸騒ぎするゆうぐれは紫陽花の葉の梅雨に濡れたる
さむざむと夏のおとづれ待ちわびて雨のふる日は古典の似合う
今は夏、今が秋かと五月雨はとおまわりする時間のような
夢占の話はつづく晴れの日に土くれのうえ箒は走り
足寄には幻想の湖あるやうな記憶はあるが、蕗は雨傘
五月雨に苦しむ梅雨にひとりごつ夢に咲くはなこぞの夏萩
過去・未来ゆっくりすすむ今のときとどめる秋はいつ始まりぬ
北国の夏をば知れば古今にぞありし葉月の肌寒き風
星は冴え北の夏には満天の笑みは広がり凍えるわがみ
北国の夏を知っている人には古今(陰暦)の時代の季節感はすごくわかりやすいような気がする。ということは、昔は寒かったんだろうか?筑波山に氷柱なんてないですし・・・今の時代は。北国の夏は8月も半ばになると夜は肌寒い。
今は9月に入っても真夏のよう。変だ。ここは茨城なんだろうか・・・・?
いや・・・どうして急にこのようなことを考えたかというと、とらさん ・ぐたさん の古今和歌集についての記事を読んでいて、この手の歌人・俳人泣かせの話題には事欠かないからかもしれない。
まあ、今の時代は世界中に歌人はいるようで、たとえば西オーストラリアのパースは四季も逆だし、花も変だし、ごきぶりは白だし、白鳥は黒だし、脳天が変になってしまいそう。
半世紀くらい前までは筑波山には野生の百合がたくさん生えていたそうですが、今は消えてしまった。猪が球根を食べてしまったという話は本当なのだろうか?誰かが百合根を持って行ってしまったのかもしれないし・・・結局、今の時代を詠むしかない。
それと、花なんて1ヶ月くらい平気で咲く時期が変わるし、今年は薔薇が今でも満開。次々と咲いているし、例年よりも長い。
今の吾悩ませるためいにしえのうた詠みいづる素直な花咲く
朴訥に生きるがむなし、いにしえの人らの想いふふみゆく風
素直ゆえおもはゆくなり素直ゆえなおむずかしくよこたわる舟
今でも浮ぶだろうか・・・・いにしえの舟は。