クリスマスのミサはどうするのかと思い、Mさんに尋ねた。
すると、
----うちは、クリスチャンだけどクリスマスのお祝いはしないクリスチャンなんです。
と言われた。
まさかと思っていたら、あっさり、
----エホバの証人です。
と言われた。
Mさんはお母さんの代からで、フィリピン人のご主人はおじいさんの代からエホバらしい。そもそもフィリピンで出会ったというのも、エホバの青年大会がフィリピンであり、そのとき世話役をしていたのがMさんのご主人。
そんなものなんだろうなぁ・・・と思いつつ、看護師のOさんが辞めた後でよかったと胸をなでおろす。あの世代からすると、カトリックも新興宗教と同じような感覚だから、エホバなどというと嫌悪感すら持っているし・・・
その一方で、クリスマスもすっかり年中行事になり、クリスチャンでなくても子どもはクリスマスの行事が多くなり、親も忙しい。クリスチャンのMさんはクリスマスは何もせず、クリスチャンでない新しい看護師のIさんは子どもの行事があるから新年までお休み。
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いつからバイオリズムが狂い始めたのだろう?
今にして思うと、インドネシア人の神父さんがお休みで、アメリカ人の神父さんが代わりに勉強会を担当してくださったときからだ。
率直に語ると、創価学会でもプロテスタントでも熱心な信者さんを知っているけれども、全然そういうのとは違うから・・・
AさんやTさんが、寄付すれば病気が治るなんてバカなことを言うか?
そういう話はまるで無関係な人たちから聞くことはあるけれども、わたし自身は勧誘されたことも寄付しろと言われたこともなく、かといって特に何かを否定するわけでもないので・・・
で、Mさんはエホバ・・・だと。
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こういうときには、娘に訊く。
----仏教とキリスト教とどっちが好き?
----キリスト教。だって、まだキリスト教のほうが信仰心が持てるような気がするから。
・・・だってさ。
わかりやすくて、子どもは。
たしかに信仰心がなかったら、お寺も教会も単なる観光スポットだし・・・
クリスマスも年中行事の一つにすぎない。
Mさんに、「クリスマスを祝わないクリスチャンなんです」と言われたとき、ドキッとした。で、逆にエホバの人たちに対する偏見は消えた。
純粋なんだよね・・・
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先週の勉強会。
わたしの寝坊が原因で(何時まで寝てるんじゃ!!)、1時間の遅刻。
ミサにも行かない。
怠惰なわたし。
あげく、神父さんに、
----カトリックの教会はどこも同じなんですよね?
と訊いた。
つまりは、このところアクティフを求められるため、わたしがあの教会を好きになれない理由・・・
つまらないことなんだけど、おミサをごミサと言うから、と率直に言った。
本当にバカらしいことなんだけど、その瞬間、何かどこかが違うと感じてしまう。
そこで、土浦の教会に行けばと勧められたので、何となくお昼を食べた後、行ってみた。
なつかしい。
初めてだけど、なつかしい。
白人のおじいさんがいちごをお供えして祈っていた。
いろいろ考えているわけ・・・
先々週は神父さんのご都合で、いつものインドネシア人の神父さんではなく、アメリカ人の神父さん。勉強会と言っても神父さんによっていろいろやり方が違うそうで、アメリカ人の神父さんの勉強会のときには、わたしは講義を受けるようにふむふむ聞いていた。
どうして(アメリカ人なのに)プロテスタントではなくカトリックなのかという話から始まって、神父と牧師の違いや、同じ病室にいた創価学会の信者とカトリックの信者の違いの話、希望の話、などなど、わたしはさらさらと聞いていた。
牧師は私立の学校の先生のようなもので、神父は公立学校の先生みたいなものだということはわかった。プロテスタントの教会では、牧師に人気がないと信者は集まらないし、集まらないどころか、人気のある牧師を自分たちの教会に招くそう。御ミサも牧師さんによってまるで違うし、話の内容もまるで違う。私立の学校の先生というより、予備校の講師みたいなものだ。
その点、カトリックはどこでも御ミサは同じだし、神父さんによってあれこれ言うことが違う、ということもない。少なくても信徒による神父のリストラの話は聞いたことがない。
癌末期で同じ病室に入院していたおばあさんと若い女の子の場合、おばあさんは寄付をすれば病気が良くなると言われ、それを信じていたが、結局、最後にはお地蔵さんをポキッと折って怒って死んでしまった。女の子がどうなったかは知らないが、彼女は希望を持っていたから・・・と言う。つまり、復活を信じて亡くなった、という意味か・・・
希望を失って亡くなったおばあさんと、希望を持って亡くなった女の子と、希望、というのはそういう意味なのか、と、そこはわたしのテリトリーではないような気がして、生きる、ということが、死後も生きる、という矛盾のある言葉の組み合わせに、躓きもせず、さらさらと聞き流していたような気がする。
先週は、職員のお子さんが急病で、代わりに急に出勤しなければならなくなり、すっかり勉強会のことを忘れてしまっていた。(すみません・・・今週はどうなるのでしょうか)
死後も生きるということが希望なんだなぁ・・・と、なんとなく無気力なあたし。
疲れてるのかな。
だからなんなのさ、というのは、いかんなぁ。
近頃、多すぎ・・・
特に、若い子。
看護師が採血しようとすると、腕が切り傷だらけとか。
多すぎ。
ちなみに、バイトの院生Fに訊いたら、「多いんですよ・・・」という具合。
学生は欝チェックを毎年受けるらしい。
それにひっかかるとカウンセリングルームへ。
院生Fがほかの子に訊いた話によると、「すっきりするから」やるらしい。
自殺するなら手首だろうが、そうじゃなくて腕を切っている。
つまり、本気で自殺するとかではなくて、むしゃくしゃするとスパッとやる。
そのうちそれがクセになり、腕が切り傷だらけ。
いいんだけどね、別に。
ある日、受付でずっといちゃもんをつけている人がいて、看護師が応対しているところにわたしが呼ばれた。で、しばらくすると、おとなしくなって帰って行ったので、みんなが不思議がる。
要するに、だま〜〜〜って立っていただけなんだけど、どうして黙って立っていただけで帰って行ったのかを説明するのがめんどうなので、「こころがないから」と答えておいた。こころがないから、みんなが反応するのをみて、反応するような言葉を発しているだけのことなので、ロボットのように無反応でいたら自然と消えるだけのこと。
それだけなんだよね・・・
看護師のFちゃんが、「ああいう荷物の多い人はナイフとかを持っているんですよ」などと言うから、大騒ぎ。別にテロリストには見えないけど・・・
今日の子は吐き気が止まらないというから奥で点滴しようとした看護師が腕をみて、「あの人おかしい」と呼びに来た。普通だったら誰かに薬局へ行ってもらって薬を先に飲んでもらう。でも、彼女一人だけだったので、代わりに誰かが行こうと思って声をかけたのだけど、なんか通じない。で、「あの人おかしい」と。
でも、今日の子は、そんなにおかしいわけではなく、話が通じないわけでもない。「(点滴が終わるまで)寝ててね」と言ったら、おとなしく寝てしまった。なのに、看護師が様子をみに行くから、また「吐き気がとまらない」のくりかえしになる。
この前の子は、喉の奥がつかえている、の一点張りで、うちに来る前に耳鼻科で診察を受け、それでも治らないから胃カメラをしてほしいと言う。実際に本人の目の前で何もないことがわかっても、それでも治らないというから変だ。で、精神科の受診を勧めたら、すでに通院しているという。(先に言え、それを!という感じ)
そういう時代なんですかね・・・
エアパシフィックが来年の3月をもって日本への直行便の運航を停止することになった。その代わりに香港へ飛ぶという。
そういえば、去年の夏はガソリン代の値上げで航空運賃が跳ね上がり、旅行のキャンセルや近場の旅行に切り替える人たちが多かったという話。わたしはぎりぎり3月中に航空券を買っていたので、ここ数年のレベルで納まった。フィジーへの旅行者もずいぶん減ったらしい。
それでは、タヒチはどうかといえば、タヒチへの旅行者の口コミ情報によると、アジアへ行くのと変わらないなら無理にタヒチに行く必要を感じない、とまで書いてある。ニューカレドニアなら、もっとほかの地域のほうが充実しているような気がしなくもない。
なんか、こう、想像もしていなかったところで、世の中の不景気を感じてしまう。
国内の物価が安いので、近頃では海外で買い物することもめっきり減った。娘が小遣いでロングブーツを買ってきて、昔だったら1万円以上したであろう品物が2000円程度で買えることに驚く。どうせ中国製だろうとは思うが、食べものではないし、本人が気に入っているのだから別に・・・
気にしない、気にしない。
もともとほかに楽しみもないし、旅行が好きだから行くわけだし、わたしがあれこれ考えたからといって世の中が変わるわけでもないし、自分のことだけで精一杯。
Fさんはスリランカ銀行に預金があり、利息だけでもスリランカへの航空運賃が出るという話だし、Mさんはフィリピンに送金したら円高でいつもよりも金額が増えて喜んでいる。娘は小遣いでブーツを買って喜んでいるし、わたしひとりが南太平洋は高いとぼやいている。
看護師の面接をした。
まだ20代で、結婚したばかり。今まで勤めていたところまで車で1時間以上かけて通勤していたが、さすがに大変なので退職したそう。近所に住んでいるので勤めやすいと思ったのが応募のきっかけなのだろうか。やる気もあるし、仕事も出来そうなので採用しようかと思ったけど、将来、妊娠したときのことを考えるとパートがよいと言う。
あのさ・・・
いろいろ話して、育児休業についての一般論なども話して、うちでも雇用保険の加入はできるかもしれない。
が、問題は今の制度。
出産のため1年間は休業、その後もう1年間は育児休業?
合計2年間の産休。
その後めでたく復職。
制度としては素晴らしいと思ったけど、うちでは無理。
2年間も休職されたら、当然次の人を雇わなければやっていけないし、ほかの人が復職するからという理由で、働いている人を解雇するわけにはいかない。病院のように職員と仕事の量が多いところならそれも可能だろうし、そこまでしてでも職員を確保したいと思っているところはたくさんあるかも。
が、しかし、そうなった場合、その間、うちは派遣を使うとか?
看護師の場合、紹介先派遣はあるけど、おっそろしいほど高い。派遣のよいところは必要がなくなれば解雇できるところだけど、実際には派遣会社は儲かるけど、職員にはあまりメリットはないような気がする。社会保険も働いている期間しかつかないし、交通費もない。しかも、いつ解雇されるかわからない。看護師の場合は、一般的な派遣は禁止されており、長く勤めることを前提に派遣されるらしい。が、実質的には普通の派遣と変わらないという話も聞く。
この春からパートさんでも失業保険に加入したり、有給がついたり、場合によってはボーナスも出る?
もういい加減にしてほしい。
どこまでもいたちごっこで、そうなると今度はそういう対象にならないようにパートの人の労働時間を厳しくコントロールしているらしい。自分では社会保険はつかなくてもかまわないから、労働時間を増やしてほしいと思っていても、そうなるとややこしいから企業のほうが嫌う。かといって、正社員は増やさない。
うちはとりあえず雇用保険には加入の手続きをしようかと思ったけど、それがまたパートの場合、非常にややこしい。労働条件を書いた書面を提出しなければならないし、夫が外国人だった場合、本人に旧姓を訊いてこい、とかね。あげく、厳しくチェックされて、加入条件を満たさなくなればその都度手続きに行かなければならなくなるし、すでに2回行っているのだけど、また行かなければならなくなった。
しかも、感じわるぅ。
今まではわりにすんなり書類を提出するだけだったのに・・・・
なんでだ?
パートさんにまで失業保険を出していたら、今度は失業給付金自体が不足してしまうのかも。昔と違って、今の若い人たちは失業給付を貰うのは当然の権利だと思っているみたいだし、産休だと5年くらい貰えるといって喜んでいるし、立場を変えれば、わたしとて貰えるものは貰いたい、というのが人情だろう。
もう、終わってるね、この国は。
最近の30代独身女性は通帳をみてニタニタ喜んでいるタイプが多いと何かの記事に書いてあった。パートなのに有給を出せとか、給料が安いとか、ボーナスを出せとかあれこれ言われて、あげく突然辞めると言い出し、そのくせ有給消化して1人のナースが消えていった。
やっとホッとしたのもつかのま、いきなり辞めたので次の人を探すのが大変。結局、事務の応募が終了した後にナースの求人広告を出し、病院からの助っ人が来れなくなる前日、1人のナースを採用した。
先月スリランカから帰国したばかりで、履歴書によると3年以上、あちらにボランティアに行っていた勘定になる。人柄がよさそうなので、さっそく働いてもらうことにしたのはいいが、駐車場の手続きを頼んだらずっとしないままでいる。さすがにそれでは困るので、と思っていたら、ご主人がフィリピン人の事務のMさんが、「2万円というのは大変な金額なんですよ」と言うので、そうかもしれないと思ってお金を先に渡そうと思った。
ところが、その矢先、車が故障したのでバスで通勤すると言い出した。それはそれでいいけど、結構、遠いところから通勤しているので、帰りのバスがない。
そこでついでに、いろいろ事情を訊いたら、スリランカに婚約者がいて、その人が就労ビザを取って日本に来たいと言っているらしい。だから、結婚の手続きやら就労ビザのことやら、結婚するにも本当に結婚したかどうか一度はスリランカに行かなければならないし、それでいて簡単に日本へのビザがおりるわけもなく、そのせいでこちらに迷惑をかけたくないなど言い出し、こちらにしてみれば、本当にうちで働く気があるのかどうかもわからない、と思われても仕方ない状況なので、結構、ほかの職員もストレスを感じ始めているし、わたし的にも採用した手前どうしてよいのかわからない。
今回は、たまたまMさんがいたから、実はそういう複雑な状況だということがわかったけれども、(というのは、Mさんのご主人が外国人なので、いろいろ相談していたらしい)、いきなり、「私は自由人だから」とか言われてもわからないよね・・・・
たしかに、ご主人が外国人だと、日本の社会保険に加入しても無意味らしく、つまり、20年以上加入して65歳にならないと受け取れない年金なんて信じられないらしく、そういう意味で、同じ年頃の日本人と比較すると、まったく感性が違うために、本当にわからない人と思われてしまう。
それだけならまだしも、ナースとしての衛生観念も少し感覚が違うらしいし、ほかのナースに、「あの人、大丈夫ですか?」と問われても、わたし的にはなんと答えてよいのかわからない。
うちのダンナに言わせると、「Fさん、ダンスしてたよ」だって・・・・
ダンス?
踊ってたの?
いつ?
あの巨体を震わせて?
結婚が決まってウキウキしているので、たまにぼーっとしていたり、1人でニタニタしていることは知っているが、ダンスとなるとね・・・
BCG接種のあと、赤ちゃんのほうをみて、なにやら人形をもって手を振っていただけらしいけど。。。
とにかく!
一度に新人さんばかり4人も入ったので、わたし的にはストレスの連続。
まあ、お昼にネットやっていられるのも、彼女たちのおかげですが・・・
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先週は神父さんの都合で、勉強会はお休みだった。
でも、その前の週、何となく昔の不思議な経験を神父さんに話したら、「それは深い祈りです」とあっさり言われた。
祈りにもいろいろな種類があって、声を出して聖書を読むこともお祈りだし、わたしのようにぼーっとしているだけというのもお祈りなのだそう。自分ではまったくそういうつもりはないのだけれども、「その瞬間、神様が何を話していたかわかったでしょ?」と言うので、「はい」と答えたら、そのように言われた。
そうなんだよね・・・
頭の中が真っ白になり、思考も感情も停止して、愛に包まれる、ということをどうやって言葉にしてよいのかわからない。そういう経験は一度しかないけれども、神父さんに言わせると、わたしの霊がお祈りしていたのだそう。
霊が祈るというのはどういうことなのかわからないけれども、わたしではなく、わたしの霊がお祈りをしていた、ということらしい。だから、それは祈りの中でも、一番深い祈り、らしい。
でも、わたしは祈っていたわけではない・・・
霊、というのは、わたしの概念の中には含まれていなかったので、何となく不思議な気がしたが、聖霊とか、聖霊の働き、とか、わたしはそのことについてまったく無知であったため、というか、そういう言葉があったとしても実感がないので、今まで気がつかなかったけど、わたしの霊が神様とお話していた、とすれば、そのときのわたしの心情を思い出すと、本当にそうなんだ、と、今ならわかる。
わたしではなく、わたしの霊が何かをしているとすれば、わたしにわかるはずもないではないか・・・
ということは、わたしの霊はわたしではないのだろうか?
まあ、どうでもいいような気もするし、考えてわかることでもない。
昨日は、何を勉強したのか?
あまりにも疲れていてよく覚えていなかったけど、イエズスの最初のしるしを行ったくだり・・・カナの婚礼のところ。
水をぶどう酒に変えるくだり。
そのとき、わたしの中にはぶどうのイメージが広がり、神様なら、一瞬にして水をぶどう酒に変えられるけど、水が木になり実がみのり、それからまだぶどう酒をつくることをイメージしたとたん、クテッとなった。
今、わたしはどの辺か?
やっとぶどうの木に実がなったところくらいか?
「食べてしまおうよ、美味しいぶどうは」
今のわたしの心境。
何のためにこれから絞れれて酒にならないとならないのだろう、ぶどうさん?
なんか、疲れたな・・・
エレベーターの中で業者さんと出くわしたので、世間話。隣のクリニックの奥さんの話。一度だけお会いしたことがあるけど、普段はまったく見かけないので、お仕事はしていないのだろうと羨ましく思っていた。
が、実は忙しいご主人に代わって、自宅で業者さんと面談しているそう・・・
普通の住宅地にいつも営業車が停まっていて、それは不思議な光景だそうな。自宅開業ならともかく・・・
わたし的には、家にまで仕事を持ち込みたくない。
まあ、人それぞれだし、主婦はそれなりに忙しい。で、順番に営業さんと面談しているわけだ。仕事をしていないどころか、事務長を連れてくるのも奥さんだし、喧嘩して辞めさせるのも奥さんだし、従業員のことから薬剤のことまで実は全部やっているのだろう。
まあ、そんなものなのかも。自営業は、どこも似たり寄ったり。
最初は、わたしが働くと言うと驚いていた職員でも、今度はわたしがさぼるとクレームが出る。仕入れのことでもわたしがいれば自然とわたしが管理するようになるため、大体は交渉事となるとわたしが話す。今度は職員の採用のことでもわたしが手配して面接して採用までやっているし、そういう”雑用”はわたしの仕事らしい。
雑用?
はあ?
帳簿をつけたり労務管理したり仕入れしたりするのは、雑用・・・・
そーなんですか?
世の中の多くの人たちは、そういうことをやってお給料を貰っているのではないですか?
とすれば、立派な仕事ではないか?
が、しかし、近頃は大学病院でも、派遣や契約社員をたくさん使っているし、一度そういうので入ると、会計ならそればかり、事務で入っても食事の配膳係をやらされればそればかり、という具合に、延々と同じ仕事の繰り返しが続いていくらしい。
それでまた経済破綻がやってきたら、世の中どうなるんでしょうね。うちはそんなにたくさんの人たちを雇えるわけではないので、結局わたしが働かなければならないのでしょうか・・・
いつになったら、お仕事辞められるんだろう。
このところ面接ばかりしている。
誰も来なかったらどうしようかと思っていたら、3日間で15件以上の応募と、それ以上の問い合わせがあり、リクルートにすべての人と面接してくださいと言われているため、あと2週掲載期間が残っていたが、掲載はとりやめてもらった。
そして、そのうちの1人の人は即日で採用し、明日から出勤することになった。
それにしても、いろいろな人たちと面談している。
今のところ下は17歳、上は54歳。来週の初めまで続く。それ以降は、わたしのほうがもちそうにないので、お断りして決めてしまおうかと。看護師の募集も始まるし・・・
まあ、普通はどうなのかわからないけれども、とりあえず面接の予定を入れたら全員と面接し、その上で決めるのかもしれないけれども、どうして即決したかといえば、何となく・・・・としか語れない。
初めて来た人なのだけど、何となくずっと前から一緒に働いているような感じがしたし、事実、以心伝心というか、「ここで働いてもらえますか?」と言ったとたん、さわさわ〜と身震いがし、その人も、「今、鳥肌が立ちました」という答え。
インスピレーション。
互いに何か、通じるものがあって、そういう関係や出会いは言葉では言えない。
*****
勉強会は寝坊。
信じられない。
それでも正午からスタート。
今日は、縦と横。
つまり、十字架。
縦は、神さまとわたし。
横は、皆とわたし。
どちらが大変かと言えば、神父さまいわく、横。
神父さまは、24時間お祈りしていることはまったく苦にならないし、そういう意味で、縦はやさしい、と。それよりも横のつながりのほうがもっと大変、と言う。
そうかもしれないなぁ・・・と、思った。
敵のために祈れとか、祝福を送れ、と言われても、それが簡単なことではないくらい誰でもわかる。まあ、そのほうが自分が楽になるのも事実だけど、そんなに急に変われないではないか。
時間が過ぎてゆくのを待つしかない。
で、その話を、今日来たリクルートの社員の人に話したら、
----24時間もお祈りするするんですかー?
と驚いていた。
----??? だって仕事だもの。あなただって24時間仕事のことを考えたりすることってありませんか?
と言ったら、妙に納得していた。
誰だって、24時間ろくすぽ寝ないで仕事のことを考えていたりするものだ。常にそうではないにしろ、そういうことは誰にでもこころあたりの一つや二つあるだろう。
神父さまに、特にわたしがリクルートの最中であることを話したことはないけれども、今日はたまたま使徒の選出のところを読んだ。常識的に考えれば、漁師であるシモン・ペトロを主はお選びになった、と書いてあるし、その言葉の意味も深い。そして、シモン・ペトロが急に怖くなった、というのも。
なんか、わかるよね。ホーリーライフは楽ではない。自分には、とても無理だ。・・・・・・と思うほうが普通のような気がする。
そりゃそうだろう。みこころを行うことは簡単ではない。・・・・・・・聖書には簡単そうに書いてあるけど。
それとは別に、インスピレーションというものを信じるならば、神は人とは違うところでその人をみていた、・・・・・・・・・みていたし、感じていた。
いずれにせよ、横は難しい。
両手を広げて考えよう。
おそろしい・・・
さっさと辞めてほしいと思っていたら、本当に今日、辞めると言ってきたらしい。急に辞めると言われて、すごく迷惑なんだけど、わたし的にはこのチャンスを逃してはならないと思っている。本人から辞めたいと言ってきたのだから、本当に辞めてもらわなくては。
ずっとこの調子でふりまわされて、いい加減に我慢の限界。新しく入った看護師は別として、ほかの人にはひきとめないほうがいいと言われている。事情がわからない人にはわからないのだから。
情緒不安定。欝。パラノイア。
なんか疲れるわ。
今度はよい人がきますように。
誰かが、いてほしい人ほど早く辞めて、辞めてほしい人ほど辞めない、と言っていたけれども、まったくそのとおりかも。
とりあえず来年の3月で辞めるそうなので、それまでの辛抱。
特に仕事ができないわけでもないので、打算的に考えればそのまま勤務を続けていてくれてもかまわないのだけれども、わたし的にはそろそろ我慢の限界にきている。
さっさと辞めてほしい。
クリスマスは楽しいんだけどねぇ・・・
復活の話になると、どうしてこうもウツウツウツウツするのだろう。
条件反射のようにウツウツウツウツしてしまう。
洗礼とか信仰宣言の前に、このウツウツをどうにかしたい。
はーーーーーーーーーーーー、くらい。
いろいろなことがぐるぐるぐるぐるまわりはじめ、こころのなかに黒い雲がたちこめて、わたしの眼底の亀裂はこれが原因でできたのではないかと思うくらい、わたしにとってはストレスなのだ。人間ドックで2年連続して眼底検査にひっかかり、精密検査の結果、わたしのブルック膜には傷があることがわかった。わかったとて、治療ができるわけでもなく、今のところ血管からも遠いし、中心からも遠いし、要するにそういうものがある、というだけ。
これが大きくなると失明か?
が、しかし、おそらくはずっと昔からあるような気もするし、これが大きくなるまでわたしが生きているような気はしない。
なんかどうでもいいような気もするし、大変なことのような気もするし、いつからあるのかわからない傷が眼の中にあり、これが悪さするかどうかもわからないが、悪化すればにっちもさっちも・・・
イースターが過ぎれば忘れてしまうし、イースターの頃になれば原因不明のウツウツが始まるし、受洗すればくっきりすっきり胸のつかえはとれるだろうけど、楽しいことばかりではなかったことをウツウツウツウツ思い出す。
----仏教徒は牛も豚も食べないでしょ?
----えっ、そうなんですか? 精進料理というくらいだから、そうなのかもしれないですね。(そんなこと知らん)
神父さんに言われて初めて昔母が日本人は四足の動物は食べなかったという話をしていたことを思い出す。
そんなのすごく昔のことのような気もするし、そうやって言われると、いまだにムスリムは豚肉を食べないし、ヒンズー教徒は牛を食べない。
そういう意味で、神父さんがカトリックになって初めて自由になった、という言葉の意味がわかる。でも、そういうのは文明開化とか戦後とか、日本ではあまり宗教とは結びついていないような気がするので、なんと答えてよいのかわからない。
わたしが正直に、「カトリックは自由ではないですよ?」と言ったら怪訝そうな顔をされてしまった。
戦後の無宗教に近い状態の中で自由に育ったわたしとしては、どこか宗教そのものに対する怯えがあるのかもしれない。
おそるべし、イスラム教。
カトリックになって自由になったとは・・・
わたし的には、洗礼を受けるということは煮えたぎる鍋に飛び込むような恐怖があり、やっぱり十字架のイエズスは痛そうだし・・・
つくばのカトリック教会のイエズス像は、等身大のイエズスが十字架で微笑んでいる。
ある意味、生々しくもあり、不自然でもあり、その傍らに小さいマリア像が置かれている。
今日は、混沌としている。
インドネシアの神父さんにとって、「信じているけど信者ではないです」という意味がわからないらしい。
そりゃそうだ。
でも、カトリックになったから豚肉を食べるようになった、というのも変じゃないか?
(ヨハネ6−7)
そうなんだよね・・・受洗したほうが罪が重くなりそうで怖いのかも。
神父さんからはたくさん質問してくれと言われているので、たくさん質問したいのはやまやまなんだけど、知らないことは質問できないから、学ぶ。
でも、昔からものすごくわからないことの一つに、「同じ神様なのに」という疑問があって、すごく訊きにくい質問でもある。でも、あのムスリムのような顔を見ていると、どうしても好奇心には勝てなくなる。
****
子供の頃の宗教観というのは、すごくメルヘンチックなもので、たとえばお釈迦様のイメージが『西遊記』によってつくられていて、仏壇の中のお釈迦様と歴史の教科書で学ぶ釈迦と、物語の中のお釈迦様とがまるで結びつかない。お経はちんぷんかんぷんだし、殺生はいけないと言いながら、戦争はいいのかなぁ・・・などという屁理屈を誰に訊くともなしに、逆に誰にも訊けずに、気がつけば墓参りとか線香の匂い=仏教というイメージに定着してしまっている。
それと同じように、わたしのイエス様のイメージは、子供の頃に通っていた日曜学校の牧師さんによるところが大きくて、お祈りと言えばまる暗記。「テンニマシマスワレラガチチヨ、ミナヲアガメタマエ、ミクニヲキタラシタマエ、ミココロノテンニナスガゴトクチニモナサセタマエ・・・」という具合に、ずいぶん古い言葉で覚えてしまっていて、インドネシア人の神父さんにはちんぷんかんぷんの日本語らしい。
そうやって子供の頃につくられたメルヘンの世界では、神様というのはイエス様のお父様で、イエス様を助けてくれる存在で、そうなると三位一体というのがどういうことなのかまるでイメージにもわかず、聖霊というのはまるで天使のような存在で、そこにマリア様が加わると、ぜんぜん何がなんだかまるでわからなくなる。しかも、新約聖書はマタイの系図から始まるし、あの固有名詞の羅列が少し理解できるようになったのは旧約聖書を読んだからだ。相変わらずわたしの中ではポンティオ・ピラトは悪役だし、聖書の中にはマリアという名前の人が何人も出てくるし、聖書の中の神様とイエス様はまったく別の存在なのに、どうして唯一絶対神なんだろう、とかね。
ドラマだなぁ・・・
****
そこで神父さんは、最初のうちは、旧約聖書には預言者は出てくるが、メシアは出てこないとか、アラーとかヤハウェのことをまじめに説明してくれたのだけど、どうもわたしの知りたいことはそういうことではないらしいことに、わたし自身も初めて気がついた。
三位一体・・・って一体何さ?
わたし的には、そういうのは5世紀くらいに勝手に教会が話し合って決めたことだと思っていただけなので、何となくどうでもいいいような・・・気がしていた。
だって、「私の後から来る方が私の弁護をする」と、イエス様も言っていたわけで、そうなると誰?>聖霊
----聖霊ってなんですか?
----聖霊というのは復活のあとに出てきて・・・
----えっ、それじゃイエスの魂なんですか?
----いや、魂というのはスピリットのことで・・・
という具合に、とんちんかんな問答が続くのだけど、省略。
----アイスコーヒーみたいなものだから、別々にはならない。
(最初から、そうやって言ってくれたらいいのに・・・)
「一体」という言葉は同じという意味ではないのね・・・
わたしのイメージでは、「一体」という言葉から連想するのは「全部同じ」というイメージで、全部同じと言われてもぜんぜんすっきりしなかった。ゆえに、深く考えるのはやめよう、ということで終わっていた。
が、しかし、全部別々のものであっても、アイスコーヒーの中にガムシロとミルクを入れてしまったらたしかに別々にするのは不可能だし、ブラックコーヒーではないがコーヒーには違いない。
すると、ブラックで飲もうがミルクを入れて飲もうがその人の勝手、ということになる。
しかも、自分で勝手にこのコーヒーは美味しいとか思いながらえり好みをしていたら、他人のものはますます遠くなる。(同じコーヒーでも?)
わかりやすいけど、そんなんでいいのだろうか・・・
でも、わかりやすい。
(ペテロの手紙 3..10〜)
ただこうしている間にも死は少しずつ近づいていることだけは確かで、自分が老いてしまってからではもはや遅すぎるという気持ちが、わたしの中にはある。
死ぬときにはクリスチャンとして死にたい。
それはそんなに大げさなことではなく、車を運転しているときに不意に思いついたこと。そうやって考えたら気持ちが明るくなり、ウキウキしている、ということをどうやって表現してよいのかわからない。
***
受洗のことを姑さんに言ったら、案の定、好きにしなさい、とか、勝手にしなさい、などと言うものの、墓はともかく、仏壇をどうするのか、とか、自分が老人ホームに入るためには荷物を処分しなければならないから、それをこちらで引き取ってほしい、ということはずっと言っている。
が、しかし、あんなに元気だったら老人ホームなんてとても入れないし、仏壇は仏教徒のものだから、と言ってやった。少なくてもわたしの母なら、仏壇は処分してでも中身?だけは老人ホームへ行くときでも持っていくだろう。少なくても、わたしの母は、そういう人だった。
それがよいかどうかは別として、母がそういう人だったから、とりあえず、実家のことは弟がしているし、わたしはそういう意味では安心して?受洗できる。矛盾しているようだが、ほっとしている。そして、おそらくは母がそういう人だったから、弟も叔母もわたしがすることに何も言わない。
***
そういうことがあったため、ほかの人たちがこういう場合どうしているのか神父さんに尋ねた。すると、宗教は個人のものだけど、習慣は土地のものだから、と言われた。
インドネシアでは家に立派なお墓のような塔がいくつかあるのを見たことがあるが、神父さんの話によると、インドネシアのクリスチャンの家庭では、よく見ると、それに十字架が付いているらしい。そのほか、中国では、古い由緒ある建物にマリアさまが祭ってあるらしい。
う〜ん・・・・
わたし的にはどうでもよいことのような気もしたけど、仏壇の中に十字架とマリアさまでは、どうも罰があたりそうで・・・
そういえば、母の実家には仏壇が二つあり、一つは家のもので、一つは祖母のものだったのを不意に思い出した。禅宗と日蓮宗の二つの仏壇があった。
それが素晴らしいとは思えなかったけど、子供の頃は、まずは家にあがると、最初に二つの仏壇にお参りするのが日課だったし、みんながそうしていたので、あまり深く考えたことはなかった。そして、そういえば、今でも無意識のうちに実家に戻ると最初にお仏壇にお参りする。それが当たり前になると、それをしないと何かをし忘れているようで落ち着かない。
そういうのは、習慣だから、洗礼を受けても変わらないだろう。
が、しかし、姑さんときた日には、何かあってもなくても仏壇だけは何とかしろと言うし、ダンナは犬がいるから嫌だと言って断っている。
犬がいるから、というのは少しも理由になっていないような気がするのだけど、要するに、犬がいたらめちゃくちゃにするから大切なものは預かれない、という意味。
そういうやりとりを聞いているのもバカらしくなるし、ずっしりと心が重くなる。
それってわたしの問題なのだろうか?
おそらくはお仏壇は高価なものだから、毎日姑さんが手入れしているような気がするが、箱だけ贈ってくれても意味ないじゃない?
言ってもわからないだろうから、何も言わないけど、姑さんにはもう少しがんばっていてもらおう。だって、そういう人生なのだから。
(エゼキエル 11)
今年の夏はハワイ島へ行って来ました。
ふつうのコンドミニアムに滞在し、半数以上の人たちがふつうに生活しているため、わたしたちのユニットの前を隣家の人がお掃除したり、キッチンの物音に驚いて隣の人がのぞきに来たり、ハワイアンが聞こえてきたり、のどかな休日だった。
庭から垣根ごしにビーチへ出られるユニットで、残念ながら岩場のビーチなので遊泳には向かないけど、朝っぱらからカヌーが沖合いを横切るのが見え、近所のビーチにはカメが寝ており、一日中波の音を聞いているうちにそのままソファに寝てしまったり、コナのサンセットのほとんどを部屋かスーパーから眺めていたような気がする。
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ボルケーノは寒かった。
ハワイ島はレンタカーがないと不自由だとガイドブックに書いてあったので、小さなジープを借りて、どうやらハワイ島を一周してしまったらしい。
中央分離帯のない高速道路というのは、慣れないとぶつかりそうで怖い。時速がマイル表示なので感覚がつかみにくいけど、それでも90キロ以上のスピードですれ違っているのだろう。カーブのつづく田舎道を抜けて、しばらく走るとボルケーノ国立公園へのわかりにくい入り口が出てくる。
今までナビをバカにしていたけど、あんなに便利なものだと思ったのは初めて。ただし、ナビのとおりに走ってとんでもないめにあったこともしばしば。最初は南回りに出発し、帰りは北ルートで、と思って走っていたら、マウナケア山へつづくおそろしい悪路を豪雨の中に走らされた。まるで猛吹雪の中の高速道路を真夜中に走るようなもので、これが本当にハワイなのだろうかと心配になったほどだ。
それでも、せっかくボルケーノまで来たら、当然カラパナへ。
カラパナの黒砂海岸は、とっくの昔に溶岩で潰され、カラパナの町自体が消滅した、というショッキングな出来事があったのはわたしがまだ10代の頃の出来事だろうか。カラパナという名前のバンドがあり、わたしは当時好きでよく聴いていた。いつかはカラパナへ行ってみたいと思っていたのに、ある日突然噴火があり、あっという間に消滅してしまったのだ。
そのカラパナが解禁になったというニュースを知り、とても溶岩の上を歩けるような格好ではなかったけど、それでもボルケーノからカラパナへ向かった。
道の行き止まりに小さなドライブインがあり、そこに車を停めて、カラパナの溶岩の上を歩いた。溶岩を削ったらしい赤い石の小道ができていたので、思っていたよりも楽に歩けた。ビーチへ、という看板が出ていたのでおそるおそる海のほうへ歩いて行ったら、本当にビーチがあった。溶岩の上に何本も椰子の苗が置いてあり、数年もすると本当にビーチらしくなっているかも。
砂が本当に黒い。大きな石も混じっている。波も荒く、1キロくらい先ににまだ溶岩流が流れ込んでいるのが見える。
ハワイの人たちは噴火が始まると火山に集まってくるという話を聞いたが、なんとなくその気持ちがわかった。
そんなことは、わからない。
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この前、同窓会があり、中には20年ぶりらしい友人たちと再会し、まるで月日を感じられないままに短い時間をすごし、あまりにも誰も何も年をとったこと以外はまるで変わっていないことが不思議なくらい、誰も何も変わっていないのであった。
それでも一番驚いたのは、友人のご主人が神父さんになってしまったことかも。以前から正教会に改宗したという話は聞いていたけれども、まさか会社を退職し、神学校へ3年間通い、司祭になると函館へ転勤になるからという理由で、4人の父親である彼は現在御茶ノ水のニコライ堂で働いているという・・・
彼女の場合は、親がカトリックで、結婚してからもずっとカトリックで、それが3年前にご主人だけが改宗し、戸惑っているという話は聞いていたけれども、まさか神父さんになるとは誰も想像していなかったかもしれない。そうなると、子供たちをふくめて、みんなで改宗するしかない。
「同じ神様だから、いいか、・・・と思って」
と、明るい声でそうやって言われると、仕方ないよね・・・、という共感が湧いてくる。
よいもわるいも、わたしにはわからない。
ただ、その時に思ったのは、一体わたしは何をしているのかな、ということで、それにくらべたら、受洗するとかしないとか、そういうささいなことで逡巡してきたことが、急にバカらしくなってしまったというか・・・
そんなことを、信仰の味がするいちじくのシャーベットを頬ばりながら考え、しみじみ友達っていいものだなぁ・・・と思いめぐらし、仕事をさぼって教会へ行き、それから一ヵ月後、今日から勉強会に参加することになった。勢いとなりゆきだけ。
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そして、インドネシア人の神父さんとお話していて、お祈りのあとに訊かれたのは、「どうしてここに来たの?」ということ。
最初、どうやって答えていいのかわからず、神父さんの顔を見ていたら急に可笑しくなり、「そんなことはわからない」と最初に言ったのは神父さんで、しばらくふたりで笑い転げていたような気がする。
わたしは何も訊いていない。
ただ、ムスリムのような顔をした神父さんが、これまでに何度も似たような質問をされていたことを想像すれば、おそらくはわたしの顔にも書いてあったのだろう。どうやって答えてよいのか考えているうちに、「どうしてインドネシア人のあなたがここにいるのですか?」という不意に浮かんだ疑問が、おそらくはわたしが一番答えたいことだったのかもしれない。
「そんなことはわからない」
そこで、マタイとルカの最初のほうを読み、「そんなことはわからない。神様が考えていることはわからない」ということを学んだ。
イエス・キリストの系図、聖母マリアの受胎告知・・・
神様の考えていることはわからない。
で、「信じますか?」と問われても、自分でも自分にあきれつつ、信じているからこそここにいるわけで、何を今さらつまらない質問を・・・と、さらに顔に書いてあったのかもしれない。
で、例のごとく、信仰とは・・という種の喩の話になり、わたし的には、「この喩はよくないです」。都会にいた頃にはいかに鉢を枯らさないように苦労させられたかもしれないけど、つくばの土壌は、庭にちょっと種をまいたり苗を植えただけで大変なことになってしまうし、木が育ちすぎてそれこそ苦労させられたので、逆に農家のトラブルの話を連想してしまう。木が大きくなりトラブルとなり、その木を枯らすために自分の敷地に伸びてきた隣家の木の根を切ってしまう話。喩として考えたとき、とても恐ろしい話だ。
井戸の喩はとてもよかった。自分では実際に掘ったことはないけれども、井戸の水がどうして飲めるのかを学んだ。井戸は深く掘れば綺麗な水が出る。浅いと汚い。そして、最初は汚い水しか出ない。
う〜ん・・・・
それにしても、信仰とは井戸のようなもので、宗教とは服のようなもの?
わたし的には、服を着替えるように簡単に宗教を変えてよいものかどうか迷ったけど、そうやって言われたら気が楽になる。だけど、その辺がムスリムなのかもしれない、インドネシアは・・・服が違うだけで、同じ神様だから。
深く考えるのはやめよう。
彼女の場合もそうだ。彼女自身はまるで変わっていない。
でも、改宗したのね・・・
わからん。
半年前に辞めた看護師が久しぶりにピンチヒッターでやってきた。
楽しそうでたまらないというか、モップを取り出して院内の清掃を開始し、半年見ないうちに観葉植物が大きくなったとか、先生もパソコンを打つのが速くなったとか、正直、彼女があんなにうれしそうに楽しそうに働く姿を見たのは初めてな気がするほど。
先月募集広告を出したけど、ほとんど応募がなく、逆に真っ先に彼女から仲良しの看護師のところに働きたいと連絡があったらしい。お母さんの具合が悪化して、それこそ突然やめることになり、それから半年、看護師2人とわたしで何とかやってきた。おまけに神戸から姑さんが入院のためこちらに来ていたので、本当に休むヒマなく働いてきたような気がする。
何の因果か、ちょうど姑さんが神戸へ帰る日に、彼女がまた復帰してくれることになり、本当は事務員を募集していたのだけれど、看護師が多いほうが楽かもしれない。
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それにしても、家庭内のことならともかく、仕事のことをあれこれ姑さんに訊かれるのはいやだなぁ、と思う。
それは、親に学校のことや友達のことをあれこれ訊かれるのがいやだった気持ちにも似ているかもしれないし、実際、働いていれば次から次へと雑用に追われて、レセプトが終わったら納税に行って健診結果の打ち込みをして給料を振り込んで請求書を送って保健所に手続きに行って・・・という具合に次から次へとやることがあり、不意にあれこれ訊かれてもこちらも答えがわからない。患者さんがまだいるのに「今日は何人来たの?」と訊いてくるのも迷惑。そういうデリカシーがない。そういう話は仕事が全部終わってからにしてほしい。
昔の開業医は堂々と(?)奥さんが受付に座っていたものだけど、今はめったにない。ゆえにわたしも普通に働く人として働いているわけで、こちらが何も言わなければ誰も気がつかない。そこに姑さんが・・・・(泣)
みんな、家庭は家庭、仕事は仕事、という感じで、同じ職場の仲間という雰囲気で働いている。それがよいところでもあるし、そのほうが働きやすい。でも、隣のクリニックの奥さんみたいに、たまにいらっしゃる、というほうが、わたしとしては羨ましい・・・
悩む。
でも、ずっと働いていると患者さんとも仲良くなって、たまに休むと、「今日は受付さんいないね」とか「奥さんは休み?」とか寂しがってくれる患者さんもいるようなので、老後のことを考えたら、働いているほうが幸せかもしれないと、近頃考えるようにもなった。
仕事を辞めるとつまらない、というのは、そういうことなんだろうか・・・?
これで厚生年金に加入できたらうれしいのだけれど、残念ながらわたしは労災保険にも失業保険にも加入できないらしい。
塔の永田先生の講演会が水戸であるというので、娘を連れて久しぶりに電車に乗った。水戸へは仕事では何度か行ったことがあるが、電車で行くのは初めて。窓の外に牛がいた。おおおおおおおおお・・・・・となったのは言うまでもないだろう。少なくても高速道路沿いで牛を見たことはない。
印象?
印象??
印牛???
一番印象に残ったのは、牛が昼寝していると思ったとたんに民家と駅の風景が窓の外にやってきたことだし、娘に、「お母さん、場違いだね」と言われたことかもしれないし、場違いは場違いなりに娘とわたしはそれなりに楽しんでいたため、家に戻るなり例のごとくお腹をすかせたダンナの説教と愚痴を聞き、それでも彼が夕飯をひとりで宅配のピザで済ませてくれたということは、やはり娘を連れて行って正解だったとしか言いようがない。
講演会と懇親会の印象は、なんとなく大学を卒業したばかりの頃学会へ行き、先生に挨拶に行ったときの印象にも似ている。学会では先生は偉いのだなと感じたのと、研究者を志す以上自分もまたそうやって高きを仰いで早く一人前になって人に認められて、腰を低くしてがんばらねばならない、という空気が充満する中、どこか場違いで、浮いていたことを思い出す。
娘はあまりにも自然体でその場にいたため、中学生や高校生の歌人と間違われていた。実際にそうだったらわたしもうれしいのだけれど、娘はにこにこしているだけで、くま先生が幼稚園の頃からずっと娘を褒めてくれていたせいか、褒められても彼女はいつもにこにこしているだけ。
ただ、ふたりでなんとなく雨が降ってきたとか牛がいたとかいないとか言いながら車窓を眺めて電車に乗っていると、ちょっと旅行へ行ってきたような気分。無理して仕事を休んでよかった。
近頃、ころんでばかりいる。
疲れているせいかも。
最初に派手にころんだのは出勤途中で、道路を横断して歩道に上がらないまま歩いていたら、低くなった歩道に躓いてしまった。グアムで買ったクロックスもどきを履いていたため、靴が地面にはりついてしまったかのように、気がついたら歩道にうつ伏せで寝ていた。
かなり恥ずかしかったが、そのまま起き上がり、腕を上げて歩いた。小指のすぐ下の皮がない。血が流れてきたので、なんとかクリニックにたどりつくと、そのまま流しで傷口を洗い、看護師に手当てしてもらった。
指を動かしてみたら、大したことがなさそうなので、そのまま仕事をしていたら、1時間くらいしてから手首のあたりがズキズキ痛み出した。傷が痛いのか、打撲のせいなのか、あるいは両方なのか自分でもよくわからない。夜、家に戻ってから湿布を貼り、痛み止めのクリームを塗った。
そういうわけで、しばらく手首は動かないし、握力がないため包丁ももてないし、食事も左手でしていたが、さすがに不便なので痛み止めのクリームを塗って普通に動かすことにした。動かさないでいたら今度はリハビリが大変になる。
ころんで骨折する、という話はよく聞くし、実際、同じ時期にころんだという人は、わたしより若いのに自転車から顔面から落ちて手を骨折したらしい。そうなると手は包帯でぐるぐる巻き。
そういう姿では仕事にならない。看護師も過去に2度ほどころんで骨折したらしい。それでも採血をしていたそうなので、わたしも目立たないように痛み止めのクリームを塗りながら仕事をしていた。
***
悪いことは重なる。
やっと手首の痛みがとれた頃、今度は看護師が腸閉塞で入院。彼女は18年前に癌の手術をして胃がない。胃がないことは以前から知っていたが、それが18年前というのは初耳だった。胃がないと腸閉塞を起こしやすいので、今までに起こしたことがないことのほうがめずらしいそう。
それでも突然のことで、そういうときにかぎって忙しい。この先どうなるのだろうと思いながら、深く考えるのはやめて働いていた。
姑さんがきて以来、あれにこれにやることは増えるし、休みは消えるし、ころんで怪我はするし、看護師は入院するし、そうやって忙しい中病院2つを掛け持ちして見舞いに行っているにもかかわらず1週間行かなかっただけで、姑さんに言わせると、わたしは3週間もきていないことになるらしい。
その話をダンナから聞いたとき、わたしは腹が立って誰かが病院へ行った日をカウントしながらカレンダーに印をつけた。すると3日とあけずに誰かが見舞いに行っている。わたしとて、何回も行っている。
つまり、彼女は何も覚えていない。
でも、ちょっと話すだけではボケているわけでもないし、自分のことは自分でできるし、毎日のように洗濯までやり、髪の毛をピンで巻き、わたしが行く日には着替えて座って待っている。
このことも含めて、わたしは深く考えるのはやめた。
***
一週間もすると、退院したばかりの看護師は何事もなかったかのように働き出し、逆にわたしのほうがダウンしている。特にどこかが悪いというわけではないが、あえて言うなら夏バテかもしれない。寒くなったと思ったら急に暑くなり、なんとなく疲れやすい。
わたしがこんなに疲れているのに、もう1人の看護師は土曜日に休暇をとり、友達の結婚式へ出かけてしまった。しかも、今月からフルタイム働いてくれる予定だったのに、いまだに失業給付を受けているためにあいかわらず午前中しか来てくれない。彼女が調べてきたところ、7月くらいまで給付がおりるので、それまでは今のままがいいらしい。
彼女は、前の職場を辞めてから10キロくらい体重が増え、友達の結婚式へ着て行く服がないと言うので、ほかの看護師から服を借りていた。休憩室で試着していたが、似合うかどうかは別として、ファスナーがあがったからよしとしよう、という感じ。でも、本人は案外気に入っていたのかも。
わたしが冗談で、「ネットで検索できるような結婚相談所とかあるでしょ?」と彼女に言うと、「あれは入会金だけでも40万円くらいかかるんですぅ。うちの親はお金がないからダメですぅ・・」と語尾を延ばしながら説明してくれた。
わたしはひたすら驚き、入会金のほかに月会費がかかり、結婚が決まったら成婚料が加算され、結局100万円くらいかかると彼女がまじめな顔で言うので、土曜日は休んでほしくなかったのだけど、さすがに休むなとは言えない状況に追い込まれてしまった。
・・・・・・・・・が、しかし、あまりにもバテているので、この数日間、どうもお仕事さぼりがちです。
それにしても、長生きしてしまったらどうしよう・・・?
姑さんがこちらの病院に来てからすでに2ヶ月以上が経過し、医師の診断では、彼女は欝ではなく、不安神経症という病らしい。
毎晩のように不安になると電話がかかってきて、早く死にたいとか、ああしたほうがいい、こうしたほうがいい、という話に始まり、過呼吸でハアハア言っている。。。。。。。。という生活からは、逆に解放された。病院にいると元気で、不安から解放されているのかもしれない。
それにしても、高齢者の生活は大変だ。お金のある人たちは施設に入って・・と気楽に言っているけれども、その費用もバカにならない。姑さんのように神戸の老人マンションに移ったとたんに、病気が悪化してしまい、夜も不安で眠れない、食欲がない、という状態が続き、とうとう腸が癒着。それでいて病気ではないから、入院してもすぐに追い出される。義姉から、1ヶ月くらいつくばで預かってほしいと言われるというのは、よくよくのことだと思う。
わたしは仕事があるので、せいぜい週2回くらい、リクエストのあったものを病院へ持っていくくらいだけど、そうでなければずっと家で年寄りの世話をしているしかない?
世の中、年金暮らしの人たちが増え始めたとたんに、今度は年金から保険料を勝手に引かれてしまう。それだって年金の半分が天引きされるだけならともく、農家などは国保の保険料が高いから、年金が差し押さえになってしまったという話も聞く。つまり、保険料のほうが年金よりも高額ということを意味している。
そこで、生活のために土地を売り、500万円の所得があると、むこう8年間は年金が入らない?(この話は看護師から聞いた話のため、真偽のほどは分からないが、かなり事実に近いと思う。)
わたしはあまり長生きの心配をしたことがないけれども、何十年も施設や病院で暮らすことになったとしたら、一体どうしたらよいものやら・・・
最近、仕事柄、高齢者の人たちと話す機会が増えたせいか、案外、まじめに福祉のことを心配している。「福祉」と言うと聞こえはよいけど、実際には老後の生活のことかも。働いて収入のあるうちはよいけれども、年をとって仕事がなくなり、収入もなくなり、病気になり、あげく保険料や税金だけはしっかり徴収される、という社会。もはや他人事ではない。
仕事というのは、自分で辞めようと思わないかぎり、毎日毎日延々と続くものだということを学ぶ。
今日はもうこの辺でやめておこうかな・・・
と思えるのは、明日その続きをやればいい、ということで、それが延々と続いていくのだからたまらない。
そして、今日は休日。
以前は、家でできるような仕事は家でやっていたけど、近頃ではまるでやる気がない。どうせ、明日やったらいいのである。期日のあるものは期日までにやったらよいだけのことで、急いでも無駄。会計事務所に勤めていた友達が、書きかけの数字ですら途中で書くのをやめて明日にする、という気持ちがなんとなくわかるようになった。
それにしても法改正はやめてほしい。
電子カルテのマスターを更新するだけならともかく、受給者証はいちいち再入力になってしまうし、それでは新患が来たのとかわらない。おまけにわたしに文句を言われても困る。そういう制度をつくったのはわたしではない。医療費の負担が上がる。同じ薬の名称が変わったためにまたマスターが変わる。特定健診は去年から騒いでいるものの、あまり先へ進んでいる気はしない。それでいて、企業健診の項目が変わったために、また用紙を作り直さなければならない。
そういう雑用に翻弄されていくうちに、嵐のような天気。
こんなに政治が生活に密着していると感じたのは生まれて初めてだ。だって、制度改革があるたびに、もしかするとつまらない雑用が増え、慣れるまでに時間がかかるようになる。公費なんてうんざりだ。毎月毎月、細かい請求書を作成しなければならないし、ある時は並べる順番が若干違うというだけで役所から電話がかかってきた。電子カルテの単純な入力ミスでレセプトが戻ってくる。組合が変更になったのを知らない社員の家族。今までとは何も変わらないはずなのに、保険証の番号が変わったことに気がつかない。
病院の職員がまとめて辞めたらしい・・・
もう医療機関で働くのは嫌なのだそう。
そりゃそうだよね・・・
うちはともかく、病院の事務仕事は診療が終わった時間が忙しい。夜中になることも珍しくない。しかも、今回の法改正でまた連日徹夜が続いているらしい。しかも、ベッド数や職員の数で保険点数が変わってしまうため、いちいち出勤簿をレセプトと一緒に添付するらしい。その日職員が一日休むだけで、一斉に保険点数が下がるため、病床の多いところほど一気に点数が下がる。1人が休むだけで、あるいは患者さんが1人余分に入院するだけで、病院は何十万円もの赤字になってしまう。このため、ベッドが空いているにもかかわらず、「満床」という不思議な現象が発生する。
医は算術なんて誰かが言っていたけど、そんな生易しいものではない。医は点数・・・
脱走したオトくんが見つかった。
***
一昨日、新聞の集金の人が来た際、ドアを開けたら、オトが飛び出し、続いて3匹が飛び出した。マリとナナは呼ぶとすぐに戻ってきたが、オトとテンは2匹で競走するように走って行ってしまった。
2匹は一度は家の前まで戻ってきたが、追いかけるとまた逃げた。姿を見失い、諦めて家に引き上げたら、10分くらいしてテンだけが怯えるように戻ってきた。
オトはいつまでも戻らない。わたしはその後すぐに出かけなければならないし、諦めた。
夜、オトを探しテンを連れて出かけたが、見つからない。そのまま家に戻り、オトの帰りを待つことにした。警察にも連絡したけど見つからなかった。
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翌日、保健所に連絡したら、動物指導センターを教えてくれたので登録。近所の獣医のところにも電話した。
そういう日に限って忙しい。お昼に地元紙の人が来て、求人広告の打ち合わせの際、迷子犬の広告も頼む。
夕方、迷子犬の担当の人から連絡があり、てっきり記事についての話だと思っていたら、実は偶然にもその人が通りかかり、大通りを渡ろうとしていたオトをおとな3〜5人くらいで捕獲しようとしたらしい。何度も轢かれそうになり、放ってはおけなかったと言っていた。するとオトは驚いて逃げ出し北へ向かって走り去ったそう。
そこで、夜、再び、オトを探しに今度は北へ向かった。交番でオトの特徴を伝えたが、オトの行方はそれきり誰も見ていない。わたしも家に戻った。
***
なんとなく深夜になってもオトが気になって眠れない。真夜中、マリが下へかさかさ行く音がする。起きて、下へ行くと、マリは戻り、また下へ行く。3度目に、玄関の前にマリがいるので、わたしはマリを連れて、オトを探しに行くことにした。夜中の3時。
生きているのなら、あまりにも寒い夜。死んでいるならいるで消息を知りたい。ポケットにロザリオを突っ込んで、マリをひざに抱きながら、誰もいないような夜道を、道に迷いながらゆっくり走り続けた。
迷って迷ってどこを走っているのかわからなかったが、ようやく見慣れた道へ出て家に向かって走っていると、まだ曲がったことのない道があることに気づく。窓を開けながら走っていたので、マリの反応を確かめながら走る。その時、マリが右へ行きたがったような気がしたので、真っ暗な道を行く。
そこは研究所と大学の間の道で、何もない。でも、ゴミやダンボールがたまに落ちていたりして、昼とは違い、なんとなくオトがそこにいるような気がして、オトを呼びながらゆっくり走った。道が行き止まりになり、どちらへ行こうか迷ったら、マリが右へ。そこで右へ曲がると、マリが鼻をクンクンさせている。
どうやらオトくんはこの辺にいることがわかったけど、車を停めて呼んでも反応がない。そこでゆっくり道を行くと、マリが振り返ってそちらの方向を見ている。気のせいかもしれないと思い、もう一度同じルートで走らせると、同じ場所で、マリが首を外に出しながら一生懸命に匂いを嗅いでいる。
わたしは、見渡してもオトがいないので、翌日、研究所が開いてから来ようと思い、家に戻った。もしかすると、捕獲されているかもしれない?
***
動物指導センターのサイトに、市町村への連絡と書いてあったので気になったが、とりあえず雨の中、先に研究所へ向かう。守衛に訊いたが、そんな犬は見ていないと言う。中を一回りしたが、オトは見つからなかった。
わたしは門から外へ出て、昨日、マリが鼻をひくひくさせていた場所に向かいながら、車を停めてオトを探した。夜には気づかなかったが、そこは深いV字溝で、あんなところにオトが落ちていたら大変だから。溝に沿って歩いて行くがオトは見つからなかった。(わたしは無意識のうちに、オトの死体を捜していたのだろうか・・・?)
***
長い雨の日、不思議なことがあり、家の前に車を停めようとしていると、鳥が死んでいるのが見えた。そのままにしておくと車に轢かれそうだったので、空き地に移そうと思って恐る恐る持ち上げたら、心臓がトクトク動いているのでびっくりした。
よく見ると、カラスの赤ちゃんかもしれない。遠くから見ると、まるで鳩が死んでいるようだった。頭がはげて赤くなり、骨が少し見えている。羽がずぶぬれで飛べない。家に連れて戻り、アルコールとイソジンで娘が傷口を消毒した。よほど痛かったのか、ピヨピヨ鳴いているのがかすかに聞こえた。
わたしはその姿がまるでオトくんのようだったので、放っておけなかった。でも、薬を塗って、羽が乾くと、首をすっと持ち上げたかと思ったら、一瞬、飛んだ。
探すと部屋の隅にいた。それまでは獣医へ連れて行こうとか、餌を買って来ようかと迷っていたが、急に元気になってしまったので、娘と相談して、雨が当たらないようにドアの外へ出した。
すると、木のほうへ飛び立って行ってしまった。
鳥にオトの行方を尋ねたら、傷ついた鳥は空へ・・・
***
市役所へ連絡したら、あっさりオトが見つかった。
市役所の人にオトの特徴を伝えると、まさにそれはオトの遺体だったし、オトが発見されたのも昨日と一緒に行った場所だった。疑いようがなかった。交通事故に遭って、V字溝の横の芝生の上で死んでいたのを、親切な人がオトの遺体を新聞紙に包んで届けてくれたらしい。
わたしが市役所へ行こうとすると、係の人が、業者がオトの遺体が廃棄物として処分される前に2,3日預かると言って連れて行ったと教えてくれた。そこの業者へ連絡すると、まさしくペット霊園の会社で、飼い主からの連絡を待っていた。オトはすでに霊安室に安置されていたようだが、5時までで閉まってしまうので、今日はオトに会えなかった。
***
オトはおそらくは北へと走り去ったが、もしかするとすでに車にぶつかっていたのかもしれない。傷ついてふらふらして、人のいないほうへ向かったのか?
・・・・・・そうかもしれない。だからあんなところに・・・・・・
オトは、わたしがオトを呼ぶ声を聞いていたのだろうか・・・・・
なんか、せつない。
明日こそは、家に連れて帰ろう。
しばし、さよなら。
さよなら、オトくん。
神さま、ありがとう。
おかげで、オトくんを無事に見つけることができました。そして、どうして、何があったのか、どうして、テンが怯えながら戻ってきたのか、そして、どうしてオトくんだけがあんなにさびしいところで死んでいたのか、わかりました。
明日は、オトを迎えに行こう。
オトは、必死に家に戻ろうとして、車にぶつかり、そして、傷ついて、静かな場所へひとりで向かった。
オトくん・・・
もっと早く探しに行けばよかった。
わたしの呼ぶ声が聞こえただろうか。
(テンの吼える声が聞こえた・・・今)
オトくん、ごめんね。見つけてあげられなくて。
明日は、きっと迎えに行く。