神父さんからはたくさん質問してくれと言われているので、たくさん質問したいのはやまやまなんだけど、知らないことは質問できないから、学ぶ。
でも、昔からものすごくわからないことの一つに、「同じ神様なのに」という疑問があって、すごく訊きにくい質問でもある。でも、あのムスリムのような顔を見ていると、どうしても好奇心には勝てなくなる。
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子供の頃の宗教観というのは、すごくメルヘンチックなもので、たとえばお釈迦様のイメージが『西遊記』によってつくられていて、仏壇の中のお釈迦様と歴史の教科書で学ぶ釈迦と、物語の中のお釈迦様とがまるで結びつかない。お経はちんぷんかんぷんだし、殺生はいけないと言いながら、戦争はいいのかなぁ・・・などという屁理屈を誰に訊くともなしに、逆に誰にも訊けずに、気がつけば墓参りとか線香の匂い=仏教というイメージに定着してしまっている。
それと同じように、わたしのイエス様のイメージは、子供の頃に通っていた日曜学校の牧師さんによるところが大きくて、お祈りと言えばまる暗記。「テンニマシマスワレラガチチヨ、ミナヲアガメタマエ、ミクニヲキタラシタマエ、ミココロノテンニナスガゴトクチニモナサセタマエ・・・」という具合に、ずいぶん古い言葉で覚えてしまっていて、インドネシア人の神父さんにはちんぷんかんぷんの日本語らしい。
そうやって子供の頃につくられたメルヘンの世界では、神様というのはイエス様のお父様で、イエス様を助けてくれる存在で、そうなると三位一体というのがどういうことなのかまるでイメージにもわかず、聖霊というのはまるで天使のような存在で、そこにマリア様が加わると、ぜんぜん何がなんだかまるでわからなくなる。しかも、新約聖書はマタイの系図から始まるし、あの固有名詞の羅列が少し理解できるようになったのは旧約聖書を読んだからだ。相変わらずわたしの中ではポンティオ・ピラトは悪役だし、聖書の中にはマリアという名前の人が何人も出てくるし、聖書の中の神様とイエス様はまったく別の存在なのに、どうして唯一絶対神なんだろう、とかね。
ドラマだなぁ・・・
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そこで神父さんは、最初のうちは、旧約聖書には預言者は出てくるが、メシアは出てこないとか、アラーとかヤハウェのことをまじめに説明してくれたのだけど、どうもわたしの知りたいことはそういうことではないらしいことに、わたし自身も初めて気がついた。
三位一体・・・って一体何さ?
わたし的には、そういうのは5世紀くらいに勝手に教会が話し合って決めたことだと思っていただけなので、何となくどうでもいいいような・・・気がしていた。
だって、「私の後から来る方が私の弁護をする」と、イエス様も言っていたわけで、そうなると誰?>聖霊
----聖霊ってなんですか?
----聖霊というのは復活のあとに出てきて・・・
----えっ、それじゃイエスの魂なんですか?
----いや、魂というのはスピリットのことで・・・
という具合に、とんちんかんな問答が続くのだけど、省略。
----アイスコーヒーみたいなものだから、別々にはならない。
(最初から、そうやって言ってくれたらいいのに・・・)
「一体」という言葉は同じという意味ではないのね・・・
わたしのイメージでは、「一体」という言葉から連想するのは「全部同じ」というイメージで、全部同じと言われてもぜんぜんすっきりしなかった。ゆえに、深く考えるのはやめよう、ということで終わっていた。
が、しかし、全部別々のものであっても、アイスコーヒーの中にガムシロとミルクを入れてしまったらたしかに別々にするのは不可能だし、ブラックコーヒーではないがコーヒーには違いない。
すると、ブラックで飲もうがミルクを入れて飲もうがその人の勝手、ということになる。
しかも、自分で勝手にこのコーヒーは美味しいとか思いながらえり好みをしていたら、他人のものはますます遠くなる。(同じコーヒーでも?)
わかりやすいけど、そんなんでいいのだろうか・・・
でも、わかりやすい。
(ペテロの手紙 3..10〜)