October 31, 2008

水からぶどう酒までのみちのり

最近の30代独身女性は通帳をみてニタニタ喜んでいるタイプが多いと何かの記事に書いてあった。パートなのに有給を出せとか、給料が安いとか、ボーナスを出せとかあれこれ言われて、あげく突然辞めると言い出し、そのくせ有給消化して1人のナースが消えていった。

やっとホッとしたのもつかのま、いきなり辞めたので次の人を探すのが大変。結局、事務の応募が終了した後にナースの求人広告を出し、病院からの助っ人が来れなくなる前日、1人のナースを採用した。

先月スリランカから帰国したばかりで、履歴書によると3年以上、あちらにボランティアに行っていた勘定になる。人柄がよさそうなので、さっそく働いてもらうことにしたのはいいが、駐車場の手続きを頼んだらずっとしないままでいる。さすがにそれでは困るので、と思っていたら、ご主人がフィリピン人の事務のMさんが、「2万円というのは大変な金額なんですよ」と言うので、そうかもしれないと思ってお金を先に渡そうと思った。

ところが、その矢先、車が故障したのでバスで通勤すると言い出した。それはそれでいいけど、結構、遠いところから通勤しているので、帰りのバスがない。

そこでついでに、いろいろ事情を訊いたら、スリランカに婚約者がいて、その人が就労ビザを取って日本に来たいと言っているらしい。だから、結婚の手続きやら就労ビザのことやら、結婚するにも本当に結婚したかどうか一度はスリランカに行かなければならないし、それでいて簡単に日本へのビザがおりるわけもなく、そのせいでこちらに迷惑をかけたくないなど言い出し、こちらにしてみれば、本当にうちで働く気があるのかどうかもわからない、と思われても仕方ない状況なので、結構、ほかの職員もストレスを感じ始めているし、わたし的にも採用した手前どうしてよいのかわからない。

今回は、たまたまMさんがいたから、実はそういう複雑な状況だということがわかったけれども、(というのは、Mさんのご主人が外国人なので、いろいろ相談していたらしい)、いきなり、「私は自由人だから」とか言われてもわからないよね・・・・

たしかに、ご主人が外国人だと、日本の社会保険に加入しても無意味らしく、つまり、20年以上加入して65歳にならないと受け取れない年金なんて信じられないらしく、そういう意味で、同じ年頃の日本人と比較すると、まったく感性が違うために、本当にわからない人と思われてしまう。

それだけならまだしも、ナースとしての衛生観念も少し感覚が違うらしいし、ほかのナースに、「あの人、大丈夫ですか?」と問われても、わたし的にはなんと答えてよいのかわからない。

うちのダンナに言わせると、「Fさん、ダンスしてたよ」だって・・・・

ダンス?

踊ってたの?

いつ?

あの巨体を震わせて?

結婚が決まってウキウキしているので、たまにぼーっとしていたり、1人でニタニタしていることは知っているが、ダンスとなるとね・・・

BCG接種のあと、赤ちゃんのほうをみて、なにやら人形をもって手を振っていただけらしいけど。。。

とにかく!

一度に新人さんばかり4人も入ったので、わたし的にはストレスの連続。

まあ、お昼にネットやっていられるのも、彼女たちのおかげですが・・・

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先週は神父さんの都合で、勉強会はお休みだった。

でも、その前の週、何となく昔の不思議な経験を神父さんに話したら、「それは深い祈りです」とあっさり言われた。

祈りにもいろいろな種類があって、声を出して聖書を読むこともお祈りだし、わたしのようにぼーっとしているだけというのもお祈りなのだそう。自分ではまったくそういうつもりはないのだけれども、「その瞬間、神様が何を話していたかわかったでしょ?」と言うので、「はい」と答えたら、そのように言われた。

そうなんだよね・・・

頭の中が真っ白になり、思考も感情も停止して、愛に包まれる、ということをどうやって言葉にしてよいのかわからない。そういう経験は一度しかないけれども、神父さんに言わせると、わたしの霊がお祈りしていたのだそう。

霊が祈るというのはどういうことなのかわからないけれども、わたしではなく、わたしの霊がお祈りをしていた、ということらしい。だから、それは祈りの中でも、一番深い祈り、らしい。

でも、わたしは祈っていたわけではない・・・

霊、というのは、わたしの概念の中には含まれていなかったので、何となく不思議な気がしたが、聖霊とか、聖霊の働き、とか、わたしはそのことについてまったく無知であったため、というか、そういう言葉があったとしても実感がないので、今まで気がつかなかったけど、わたしの霊が神様とお話していた、とすれば、そのときのわたしの心情を思い出すと、本当にそうなんだ、と、今ならわかる。

わたしではなく、わたしの霊が何かをしているとすれば、わたしにわかるはずもないではないか・・・

ということは、わたしの霊はわたしではないのだろうか?

まあ、どうでもいいような気もするし、考えてわかることでもない。

昨日は、何を勉強したのか?

あまりにも疲れていてよく覚えていなかったけど、イエズスの最初のしるしを行ったくだり・・・カナの婚礼のところ。

水をぶどう酒に変えるくだり。

そのとき、わたしの中にはぶどうのイメージが広がり、神様なら、一瞬にして水をぶどう酒に変えられるけど、水が木になり実がみのり、それからまだぶどう酒をつくることをイメージしたとたん、クテッとなった。

今、わたしはどの辺か?

やっとぶどうの木に実がなったところくらいか?

「食べてしまおうよ、美味しいぶどうは」

今のわたしの心境。

何のためにこれから絞れれて酒にならないとならないのだろう、ぶどうさん?

なんか、疲れたな・・・

投稿者 Blue Wind : October 31, 2008 01:33 PM | トラックバック
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