November 29, 2004

エレミヤ書 51. 36-45

  それゆえ、主はこう言われる。
  見よ、わたしはお前の訴えを取り上げ
  お前の仇を報いる。
  わたしはバビロンの海を干上がらせ
  泉を涸らす。
  バビロンは、瓦礫の山
  ジャッカルの住みかとなり
  恐怖と嘲りの的となり
  住む者はひとりもいなくなる。
  彼らは一斉に若獅子のようになり
  獅子の子のようにほえる。
  わたしは、たけりたつ彼らに
  宴を設けて酔わせる。
  彼らは泥酔して、よろめき
  いつまでも眠り続けて目を覚まさないと
  主は言われる。
  わたしは、彼らを小羊のように
  また雄羊や雄山羊ののように
  屠り場に引いて行く。

  シェシャク(バビロン)は占領された。
  全世界の賛美の的であったものが捕らえられた。
  バビロンは国々の間に恐怖の的となった。
  混沌の海がバビロンに襲いかかり
  バビロンは高波のとどろきに覆われた。
  町々は廃墟となり
  乾ききった地、荒れ地となる。
  そこは住む者のない土地となり
  人の子ひとり通らぬ所となる。
  わたしはバビロンでベルを罰し
  彼が呑み込んだものを口から吐き出させる。
  国々が川の流れのように
  そこに集まることはもはやない。
  バビロンの城壁は倒れた。
  わが民よ、その中から出よ。
  おのおの自分の命を救え
  主の激しい怒りを逃れて。

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ルカによる福音書 19. 1-10 徴税人ザアカイ

  イエスはエリコに入り、町を通っておられた。そこにザアカイという人がいた。この人は徴税人の頭で、金持ちであった。イエスがどんな人か見ようとしたが、背が低かったので、群集に遮られて見ることができなかった。それで、イエスを見るために、走って先回りをし、いちじく桑の木に登った。そこを通り過ぎようとしておられたからである。イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われた。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。これを見た人たちは皆つぶやいた。「あの人は罪深い男のところへ行って宿をとった。」しかし、ザアカイは立ち上がって、主に言った。「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。」イエスは言われた。「今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。」

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コリントの信徒への手紙 一 14. 13-25

だから、異言を語る者は、それを解釈できるように祈りなさい。わたしが異言で祈る場合、それはわたしの霊が祈っているのですが、理性は実を結びません。では、どうしたらよいのでしょうか。霊で祈り、理性でも祈ることにしましょう。霊で賛美し、理性でも賛美することにしましょう。さもなければ、仮にあなたが霊で賛美の祈りを唱えても、教会に来て間もない人は、どうしてあなたの感謝に「アーメン」と言えるでしょうか。あなたが何を言っているのか、彼には分からないからです。あなたが感謝するのは結構ですが、そのことで他の人が造り上げられるわけではありません。わたしは、あなたがたのだれよりも多くの異言を語れることを、神に感謝します。しかし、わたしは他の人たちをも教えるために、教会では異言で一万の言葉を語るより、理性によって五つの言葉を語る方をとります。
  兄弟たち、物の判断については子供になってはいけません。悪事については幼子となり、物の判断については大人になってください。律法にこう書いてあります。
  「『異国の言葉を語る人々によって、
  異国の人々の唇で
  わたしはこの民に語るが、
  それでも、彼らはわたしに耳を傾けないだろう』
と主は言われる。」このように、異言は、信じる者のためではなく、信じていない者のためのしるしですが、預言は、信じていない者のためではなく、信じる者のためのしるしです。教会全体が一緒に集まり、皆が異言を語っているところへ教会に来て間もない人か信者でない人が入って来たら、あなたがたのことを気が変だとは言わないでしょうか。反対に、皆が預言しているところへ、信者でない人か、教会に来て間もない人が入って来たら、彼は皆から非を悟らされ、皆から罪を指摘され、心の内に隠していたことが明るみに出され、結局、ひれ伏して神を礼拝し、「まことに、神はあなたがたの内におられます」と皆の前で言い表すことになるでしょう。

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エゼキエル書 24. 1-14 火の上の鍋

  第九年の十月十日のことである。その月の十日に、主の言葉がわたしに臨んだ。「人の子よ、この日付、まさにこの日を書き記しなさい。バビロンの王は、まさにこの日にエルサレムの攻城を始めた。あなたは反逆の家に対してたとえを語り、彼らに言いなさい。主なる神はこう言われる。
  据えよ、鍋を据えよ。
  またその中に水を注げ。
  それに肉の切れを入れよ。
  腿や肩肉、すべて上質の肉切れを集め
  最上の骨で鍋を満たせ。
  また、最上の羊を取り
  その下に骨を積み重ねよ。
  これを十分に沸騰させ
  中の骨まで煮えるようにせよ。
  それゆえ、主なる神はこう言われる。
  災いだ、流血の都よ。
  錆のついた鍋、その錆は取り除きえない。
  肉を一切れ一切れ取り出せ。
  くじがそのために引かれることはない。
  流血が都の中にあるからだ。
  彼女は血を裸の岩の上に流し
  土で覆うために地面に注ぐことをしなかった。
  わたしは復讐のため憤りをかき立て
  彼女の血を裸の岩の上に流し
  それが覆われないようにした。
  それゆえ、主なる神はこう言われる。
  災いだ、流血の都よ。
  わたしもまた、薪の山を大きくする。
  まきを積み重ね、火をつけよ。
  肉を煮込んで肉汁を作り、骨を焦がせ。
  鍋を空にして炭火にのせ
  熱して、青銅が赤くなるまで焼け。
  汚れがその中で溶け、錆がなくなるように。
  しかし、努力のかいもなく
  厚い錆は火でも取り除きえない。
  不貞によって、お前が汚れたので、わたしは清めようとしたが、お前は汚れから清くならなかった。わたしが憤りを晴らすまでは、清くなることは決してない。主なるわたしが語ったのだ。それは実現する。わたしがそれを行う。わたしはそれをやめず、惜しまず、憐れみもしない。お前の道と行いに従って、お前は裁かれる」と主なる神は言われる。

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November 28, 2004

エゼキエル書 45. 1-9 聖域

  「あなたたちが、国を嗣業として割り当てるときは、土地の一部を聖なる献げ物として主にささげねばならない。その土地は、長さ二万五千アンマ、幅二万アンマであり、この領域は周囲全体にわたって聖なるものである。
  このうち縦横五百アンマの正方形の区域を聖所の境内とし、その周囲に幅五十アンマの放牧地を設けねばならない。あなたは、この地域から長さ二万五千アンマ、幅一万アンマを測り、そこに最も聖なる聖所を設けなければならない。それは、この地の聖なる場所であって、神殿に仕える祭司たちのものとなる。彼らは主に仕えるために近づくことができる。それは、彼らの家を建てる場所であって、聖所の聖域でもある。また、もう一つの長さ二万五千アンマ、幅一万アンマの地域は神殿に仕えるレビ人の所有となり、彼らの住む町となる。
  あなたたちは、聖なる献げ物としてささげた献納地に沿って、幅五千アンマ、長さ二万五千アンマの区域を都の所有にしなければならない。これは、イスラエルの家全体のものである。君主の領地は、聖なる献納地と都の所有地の両側にあって、聖なる献納地と都の所有地に隣接し、西側は西の方に、東側は東の方に広がっている。その長さは一つの部族の割り当て地の西の境から東の境に及ぶ長さに相当する。これは、君主がイスラエルにおいて所有する土地である。わたしが立てた君主たちは、もはやわが民を虐げない。彼らはその他の土地をイスラエルの家とその部族にゆだねる。」
  主なる神はこう言われる。
  イスラエルの君主たちよ、もう十分だ。
  不法と強奪をやめよ。
  正義と恵みの業を行い
  わが民を追い立てることをやめよと
      主なる神は言われる。

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ガラテヤの信徒への手紙 1. 6-10 ほかの福音はない

  キリストの恵みへ招いてくださった方から、あなたがたがこんなにも早く離れて、ほかの福音に乗り換えようとしていることに、わたしはあきれ果てています。ほかの福音といっても、もう一つ別の福音があるわけではなく、ある人々があなたがたを惑わし、キリストの福音を覆そうとしているにすぎないのです。しかし、たとえわたしたち自身であれ、天使であれ、わたしたちがあなたがたに告げ知らせようとするならば、呪われるがよい。わたしたちが前にも言っておいたように、今また、わたしは繰り返して言います。あなたがたが受けたものに反する福音を告げ知らせる者がいれば、呪われるがよい。
  こんなことを言って、今わたしは人に取り入ろうとしているのでしょうか。それとも、神に取り入ろうとしているのでしょうか。あるいは、何とかして人の気に入ろうとあくせくしているのでしょうか。あるいは、何とかして人の気に入ろうとあくせくしているのでしょうか。もし、今なお人の気に入ろうとしているなら、わたしはキリストの僕ではありません。

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ヨブ記 6. 2-7

  わたしの苦悩を秤にかけ
  わたしを滅ぼそうとするものを
      すべて天秤に載せるなら
  今や、それは海辺の砂よりも重いだろう。
  わたしは言葉を失うほどだ。
  全能者の矢に射抜かれ
  わたしの霊はその毒を吸う。
  神はわたしに対して脅迫の陣を敷かれた。
  青草があるのに野ろばが鳴くだろうか。
  飼葉があるのに牛がうなるだろうか。
  味のない物を塩もつけずに食べられようか。
  玉子の白身に味があろうか。
  わたしのパンが汚れたもののようになれば
  わたしの魂は触れることを拒むだろう。

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November 27, 2004

エゼキエル書 16. 9-14

  わたしはお前を水で洗い、血を洗い落とし、油を塗った。そして、美しく織った服を着せ、上質の革靴を履かせ、亜麻布を頭にかぶらせ、絹の衣を掛けてやった。わたしはまた、装身具をお前につけ、腕には腕輪、首には首飾りをつけた。また鼻に飾りの輪を、耳には耳輪を、頭には美しい冠をかぶらせた。こうして、お前は金銀で身を飾り、亜麻布と絹とで美しく織った服を身に着けた。そして小麦粉と蜂蜜と油を食物とした。こうしてお前は非常に美しくなり、女王のようになった。その美しさのゆえに、お前の名は国々の間に広まった。わたしがお前を装わせた装いには、少しも欠けるところがなかったからである、と主なる神は言われる。

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詩編 106. 39-46

  彼らは自分たちの行いによって汚れ
  自分たちの業によって淫行に落ちた。
  主の怒りは民に向かって燃え上がり
  御自分の嗣業の民を忌むべきものと見なし
  彼らを諸国の民の手に渡された。
  彼らを憎む者らが彼らを支配し
  敵が彼らを虐げ
  その手によって彼らは征服された。
  主は幾度も彼らを助け出そうとされたが
  彼らは反抗し、思うままにふるまい
  自分たちの罪によって堕落した。
  主はなお、災いにある彼らを顧み
  その叫びを聞き
  彼らに対する契約を思い起こし
  豊かな慈しみに従って思いなおし
  彼らをとりこにしたすべての者が
  彼らを憐れむように計らわれた。

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ヨハネによる福音書 6. 66-71

  このために、弟子たちの多くが離れ去り、もはやイエスと歩まなくなった。そこで、イエスは十二人に、「あなたがたも離れて行きたいか」と言われた。シモン・ペトロが答えた。「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています。」すると、イエスは言われた。「あなたがた十二人は、わたしが選んだのではないか。ところが、その中の一人は悪魔だ。」イスカリオテのシモンの子ユダのことを言われたのである。このユダは、十二人の一人でありながら、イエスを裏切ろうとしていた。

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エゼキエル書 18. 1-32 各人の責任

  主の言葉がわたしに臨んだ。「お前たちがイスラエルの地で、このことわざを繰り返し口にしているのはどういうことか。
  『先祖が酢いぶどうを食べれば
  子孫の歯が浮く』と。
  わたしは生きている、と主なる神は言われる。お前たちはイスラエルにおいて、このことわざを二度と口にすることはない。すべての命はわたしのものである。父の命も子の命も、同様にわたしのものである。罪を犯した者、その人が死ぬ。
  もし、ある人が正しく、正義と恵みの業を行うなら、すなわち、山の上で偶像の供え物を食べず、イスラエルの家の偶像を仰ぎ見ず、隣人の妻を犯さず、生理中の女性に近づかず、人を抑圧せず、負債者の質物を返し、力ずくで奪わず、飢えた者に自分のパンを与え、裸の者に衣服を着せ、利息を天引きして金を貸さず、高利を取らず、不正から手を引き、人と人との間を真実に裁き、わたしの掟に従って歩み、わたしの裁きを忠実に守るなら、彼こそ正しい人で、彼は必ず生きる、と主なる神は言われる。
  彼に生まれた息子が乱暴者で、これらの事の一つでも行う人の血を流し、自分自身はこれらすべての事の一つですら行わず、かえって山の上で偶像の供え物を食べ、隣人の妻を犯し、貧しい者、乏しい者を抑圧し、力ずくで奪い、質物を返さず、偶像を仰ぎ見て忌まわしいことを行い、利息を天引きして金を貸し、高利を取るならば、彼は生きることができようか。彼は生きることはできない。彼はこれらの忌まわしいことをしたのだから、必ず死ぬ。その死の責任は彼にある。
  ところで、その人にまた息子が生まれ、彼が父の行ったすべての過ちを見て省み、このような事を行わないなら、すなわち、山の上で偶像の供え物を食べず、イスラエルの家の偶像を仰ぎ見ず、隣人の妻を犯さず、人を抑圧せず、質物を取らず、力ずくで奪わず、飢えた者に自分のパンを与え、裸の者に衣服を着せ、貧しい者の抑圧から手を引き、天引きの利息や高利を取らず、わたしの裁きを行い、わたしの掟に従って歩むなら、彼は父の罪のゆえに死ぬことはない。必ず生きる。彼の父は搾取を行い、兄弟のものを力ずくで奪い、自分の民の中で善くない事をしたので、自分の罪のゆえに死んだのである。それなのにお前たちは、『なぜ、子は父の罪を負わないのか』と言う。しかし、その子は正義と恵みの業を行い、わたしの掟をことごとく守り、行ったのだから、必ず生きる。罪を犯した本人が死ぬのであって、子は父の罪を負わず、父もまた子の罪を負うことはない。正しい人の正しさはその人だけのものであり、悪人の悪もその人だけのものである。
  悪人であっても、もし犯したすべての過ちから離れて、わたしの掟をことごとく守り、正義と恵みの業を行うなら、必ず生きる。死ぬことはない。彼の行ったすべての背きは思い起こされることなく、行った正義のゆえに生きる。わたしは悪人の死を喜ぶだろうか、と主なる神は言われる。彼がその道から立ち帰ることによって、生きることを喜ばないだろうか。
  しかし、正しい人でも、その正しさから離れて不正を行い、悪人がするようなすべての忌まわしい事を行うなら、彼は生きることができようか。彼の行ったすべての正義は思い起こされることなく、彼の背信の行為と犯した過ちのゆえ彼は死ぬ。
  それなのにお前たちは、『主の道は正しくない』と言う。聞け、イスラエルの家よ。わたしの道が正しくないのか。正しくないのはお前たちの道ではないのか。正しい人がその正しさから離れて不正を行い、そのゆえに死ぬのなら、それは彼が行った不正のゆえに死ぬのである。しかし、悪人が自分の行った悪から離れて正義と恵みの業を行うなら、彼は自分の命を救うことができる。彼は悔い改めて、自分の行ったすべての背きから離れたのだから、必ず生きる。死ぬことはない。それなのにイスラエルの家は、『主の道は正しくない』と言う。イスラエルの家よ、わたしの道が正しくないのか。正しくないのは、お前たちの道ではないのか。
  それゆえ、イスラエルの家よ。わたしはお前たちひとりひとりをその道に従って裁く、と主なる神は言われる。悔い改めて、お前たちのすべての背きから立ち帰れ。罪がお前たちをつまずかせないようにせよ。お前たちが犯したあらゆる背きを投げ捨てて、新しい心と新しい霊を造り出せ。イスラエルの家よ、どうしてお前たちは死んでよいだろうか。わたしはだれの死をも喜ばない。お前たちは立ち帰って、生きよ」と主なる神は言われる。

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マルコによる福音書 14. 51-52 一人の若者、逃げる

  一人の若者が、素肌に亜麻布をまとってイエスについて来ていた。人々が捕らえようとすると、亜麻布を捨てて裸で逃げてしまった。

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November 25, 2004

詩編 84. 11-13

  あなたの庭で過ごす一日は千日にまさる恵みです。
  主に逆らう者の天幕で長らえるよりは
  わたしの神の家の門口に立っているのを選びます。
  主は太陽、盾。
  神は恵み、栄光。
  完全な道を歩く人に主は与え
  良いものを拒もうとはなさいません。
  万軍の主よ、あなたに依り頼む人は
  いかに幸いなことでしょう。

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ヨハネによる福音書 15. 1-17 イエスはまことのぶどうの木

  「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。わたしの話した言葉によって、あなたがたは既に清くなっている。わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。わたしにつながっていない人がいれば、枝のように外に投げ捨てられて枯れる。そして、集められ、火に投げ入れられて焼かれてしまう。あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいるもあるならば、望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる。あなたがたが豊かに実を結び、わたしの弟子となるなら、それによって、わたしの父は栄光をお受けになる。父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。わたしが父の掟を守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、わたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる。
  これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。友のために命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがを任命したのである。互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である。」

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エゼキエル書 28. 11-19

  主の言葉がわたしに臨んだ。「人の子よ、ティルスの王に対して嘆きの歌をうたい、彼に言いなさい。
  主なる神はこう言われる。
  お前はあるべき姿を印章としたものであり
  知恵に満ち、美しさの極みである。
  お前は神の園であるエデンにいた。
  あらゆる宝石がお前を包んでいた。
  ルビー、黄玉、紫水晶
  かんらん石、縞めのう、碧玉
  サファイア、ざくろ石、エメラルド。
  それらは金で作られた留め金で
  お前に着けられていた。
  それらはお前が創造された日に整えられた。
  わたしはお前を
      翼を広げてケルプとして造った。
  お前は神の聖なる山にいて
  火の石の間を歩いていた。
  お前が創造された日から
  お前の歩みは無垢であったが
  ついに不正がお前の中に
      見いだされるようになった。
  お前の取り引きが盛んになると
  お前の中に不法が満ち
  罪を犯すようになった。
  そこで、わたしはお前を神の山から追い出し
  翼で覆うケルプであるお前を
  火の石の間から滅ぼした。
  お前の心は美しさのゆえに高慢となり
  栄華のゆえに知恵を堕落させた。
  わたしはお前を地の上に投げ落とし
  王たちの前で見せ物とした。
  お前は悪行を重ね、不正な取り引きを行って
  自分の聖所を汚した。
  それゆえ、わたしはお前の中から火を出させ
  わたしは見ている者すべての前で
  お前を地上の灰にした。
  諸国の民のなかで、お前を知っていた者は皆
  お前のゆえにぼう然とする。
  お前は人々に恐怖を引き起こし
  とこしえに消え失せる。」

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ルカによる福音書 6. 20-26 幸いと不幸

  さて、イエスは目を上げ弟子たちを見て言われた。
  「貧しい人々は、幸いである、
  神の国はあなたがたのものである。
  今飢えている人々は、幸いである、
  あなたがたは満たされる。
  今泣いている人々は、幸いである、
  あなたがたは笑うようになる。
人々に憎まれるとき、また、人の子のために追い出され、ののしられ、汚名を着せられるとき、あなたがたは幸いである。その日には、喜び踊りなさい。天には大きな報いがある。この人々の先祖も、預言者たちに同じことをしたのである。
  しかし、富んでいるあなたがたは、不幸である、
  あなたがたはもう慰めを受けている。
  今満腹している人々、あなたがたは、不幸である、
  あなたがたは飢えるようになる。
  今笑っている人々は、不幸である、
  あなたがたは悲しみに泣くようになる。
  すべての人にほめられるとき、あなたがたは不幸である。この人々の先祖も、偽預言者たちに同じことをしたのである。」

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エゼキエル書 26. 15-18

  主なる神は、ティルスに向かってこう言われる。お前の中で、倒れた者が呻き、虐殺が行われるとき、町の倒れる響きで、島々は揺れ動かないだろうか。海の支配者たちは、皆その座から降り、礼服を取り去り、美しく織った衣服を脱ぐ。彼らは恐怖を身にまとい、地に座り、絶え間なく震えながらお前を見て驚きあきれる。彼らはお前に向かって嘆きの歌をうたって言う。
  ああ、あなたは滅びてしまった。
  海のかなたから来て住み着き
  誉れある町となったのに。
  この町とそこに住む民は海のつわものとなり
  海に住むすべての者を震え上がらせたのに。
  今や、その島々はあなたの倒れた日におののき
  海の島々は、あなたの終わりを見て恐れる。

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November 24, 2004

詩編 77. 5-7

  あなたはわたしのまぶたをつかんでおられます。
  心は騒ぎますが、わたしは語りません。
  いにしえの日々をわたしは思います。
  とこしえに続く年月を。
  夜、わたしの歌を心に思い続け
  わたしの霊は悩んで問いかけます。

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エレミヤ書 51. 11-14

  矢を研ぎ澄まし、盾を用意せよ。
  主はメディアの王たちの霊を奮い起こさせる。
  バビロンに対する主の定めは滅ぼすこと。
  これこそ主の復讐
  主の神殿の復讐だ。
  バビロンの城壁に向かって旗を立て
  見張りを強化せよ。
  見張りの者を立て、伏兵を置け。
  主は思い定め、それを実行される
  バビロンの住民に告げられたことを。
  豊かな水の傍らに住み、財宝に富む者よ。
  お前の終わりの時は来た。命の糸は断たれる。
  万軍の主は、御自分にかけて誓われた。
  「わたしは必ず、いなごの大軍のような人々で
      お前を満たす。
  彼らはお前を攻め、叫び声をあげる。」

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マルコによる福音書 16. 1-8 復活する

  安息日が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、イエスに油を塗りに行くために香料を買った。そして、週の初めの日の朝ごく早く、日が出るとすぐ墓に行った。彼女たちは、「だれが墓の入り口からあの石を転がしてくれるでしょうか」と話し合っていた。ところが、目を上げて見ると、石は既にわきへ転がしてあった。石は非常に大きかったのである。墓の中に入ると、白い長い衣を着た若者が右に座っているのが見えたので、婦人たちはひどく驚いた。若者は言った。「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガラリヤへ行かれる。かねて言われていたとおり、そこでお目にかかれる』と。」婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。

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詩編 143. 1-6

      賛歌。ダビデの詩。
  主よ、わたしの祈りをお聞きください。
  嘆き祈る声に耳を傾けてください。
  あなたのまこと、恵みの御業によって
  わたしに答えてください。
  あなたの僕を裁きにかけないでください。
  御前に正しいと認められる者は
      命あるものの中にはいません。

  敵はわたしの魂に追い迫り
  わたしの命を地に踏みにじり
  とこしえの死者と共に
      闇に閉ざされた国に住まわせようとします。
  わたしの霊はなえ果て
  心は胸の中で挫けます。
  わたしはいにしえの日々を思い起こし
  あなたのなさったことをひとつひとつ思い返し
  御手の業を思いめぐらします。
  あなたに向かって両手を広げ
  渇いた大地のようなわたしの魂を
      あなたに向けます。

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November 23, 2004

尾花菊広い野原に立ちゆかばこびとのような吾を思いし

十字架は改悛の情示しては悲しき調奏でおるかな
人の愛人に吊られて木の上に罪はのこりぬ悲しき調
退廃は罪にあらずと人の声くりかえしつつ悪は広がり
悪魔とは闇に現れ闇の声調にのせてまとわりつかん
憤り悲しみもまた幾たびかくりかえされし波の音かな
消え去れと言っているからなおのこと改悛したと現れるかな

夏の蝿今なお冬に飛びたれば冷凍のカニ残骸の中

詩編 143. 1-6

ラサさんの サイト が消えたそうです。
彼女は今ごろせいせいしているでしょうか・・・・なんか、うらやましい。

嫌うほどぶんぶんうなる蝿の羽餌はどこにもないはずなのに
蝿の罪いづこにあると考えて肉を求めて飛びおるからか

ブルガリで癒されている香りかな鈴木重子の風の歌声
挙式用信仰心のなき人の奏でる音は今日も流れる
営業は全国ネット展開す御用聞きありピアニストかな
教会も営業なんだとドレス着てお葬式まで行って来たよと
死者の顔知りもしないで悲しみを描いて曲は流されており
演奏は刺身のつまか流れゆく聴く人もなく弾く人のあり

カーネーション薔薇にかえてとあの人は言っていたけどカーネーションあり
挙式用飾られた花ながむれば土曜の昼は雨上がりかな
生涯に一度の日にも祭壇の花は並びぬ朝な夕なと
教会の二階の席はのんびりと光射す窓雨の降る窓

ボリショイのバレエの日にも先生に挨拶に行くピアニストかな
住む世界違うからねと曖昧に濁してみてもタダ券なりき
銀座まで独唱会に出かけては顔の動きを眺めておりぬ
歌声を楽しむよりも変わる顔眺め終わりて山野楽器へ
颯爽とジャズ喫茶へと飛び込めば沈黙のなか寝ている人ら
旋律の別れ聴こえるわが耳はマーラーとてもいやしとならぬ
クリスマス第九の咳を聴くために咳を我慢し窮屈な席

のんびりと特等席に座りては好きな曲など聴いている秋
ブルガリのコロンの香り流るるは鈴木重子のかすれゆく声

マルコによる福音書 16. 1-8 復活する

音楽は美しいけど音楽の世界醜しと合言葉聞く
あの人とわたしはちがうとあの人はなにを秤に語っているか
わたしには美しい音聴こえれば今が至福とよろこびもとむ

白菊を描いているか白い穂のたたずむ野には枯れ尾花咲く
しだれゆく菊の花びら枯れ尾花巨大な花を野に描きたる

深まりし秋に誘われミモザ葉の生い茂るなか陽は昇りゆく
葉隠れのフェンスに映る太陽はふたつの光照らし輝き
ぶどうの木苗木のように残さるるミモザ葉のした照らす朝を見

夕焼けはうっすらと空染めゆけど夕陽まぶしき西の窓かな
澄み渡る秋の空には太陽の朝な夕なと残光描き
太陽の低空飛行窓一つ南にうつし吾を撃ちたる

ジャズというカテゴリーには沿わないと鈴木重子のアルバムを聴く
ランボーを真似しただけか柳の木聖書読みに来わがサイトかな
真中うた眺めて秋は深深と神の愛ありエウラキロン、さ
投げ歌をいづこにするか迷いては耽耽として繊細な糸
遊び歌うくくと詠んで芸術の秋だアートだ木枯らしの吹く

蝿の声聴こうとすれば悲しみは十字架にあり沈黙の愛

エレミヤ書 51. 11-14

やんわりと新約聖書読みたれば言い方一つ書き換えられて
ふふむ意味おなじとわかる今もなお滅びの意味を十字架に知る

歌詠みは耽耽として歌を詠む強き調も弱き調も
ファーザーの肩の上かな二階席揺れる木立に季節を感ず

罵声飛ぶ駒場の部屋を逃げ出せばやんわりとした宮代の丘
吹く風の音さえ違う地下鉄は都会を狭く広くも見せる

暗闇に激情さえも消えゆかば白き尾花は菊の花びら
尾花菊広い野原に立ちゆかばこびとのような吾を思いし
花びらの一つになるかすすきの穂大きな菊の泡立ち咲かめ

歌用のバイブル片手表紙さえいつのまにやらすりきれている
ボロまとい未読部分を抱えては使い古した辞書の匂いか

詩編 77. 5-7

神さまにまぶたつかまれ朝ぼらけ小鳥の声に挨拶さるる

賛美に変わるまでの2万首なのかも・・・生きていれば。まだ7千首を越えたところ。今、どの辺かな。考えるのやめよう。

白い陽の始まりゆかば朝は来ぬその日その月その年となり

心の底から嫌い。


◇BBS詠
静かにぞ昇る朝日は輝きぬフェンスに当たりふたつの光
生い茂る秋のミモザに葉隠れの朝の眩しき太陽ありき
落陽の西窓を撃つ向こう岸秋を暢気に過ごせない森
菊花にもみまごうばかり白い穂の固まり咲くかしだれる尾花

友にぞと何もできない月日ならせめては歌を詠みて過ごさん
健やかに生き苦しまず死にたいと誰もがねがう恋は儚し
傍観者偶像ながむここちかな泡立つ尾花菊の花びら

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ルカによる福音書 6. 27-36 敵を愛しなさい

  「しかし、わたしの言葉を聞いているあなたがに言っておく。敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。あなたの頬を打つ者には、もう一方の頬を向けなさい。上着を奪い取る者には、下着をも拒んではならない。求める者には、だれにでも与えなさい。あなたの持ち物を奪う者から取り返そうとしてはならない。人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな恵みがあろうか。罪人でも、愛してくれる人を愛している。また、自分によくしてくれる人に善いことをしたところで、どんな恵みがあろうか。罪人でも同じことをしている。返してもらうことを当てにして貸したところで、どんな恵みがあろうか。罪人さえ、同じものを返してもらおうとして、罪人に貸すのである。しかし、あなたがたは敵を愛しなさい。人に善いことをし、何も当てにしないで貸しなさい。そうすれば、たくさんの報いがあり、いと高き方の子となる。いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも、情け深いからである。あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい。」

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ローマの信徒への手紙 1. 8-15 ローマ訪問の願い

  まず初めに、イエス・キリストを通して、あなたがた一同についてわたしの神に感謝します。あなたがたの信仰が全世界に言い伝えられているからです。わたしは、御子の福音を述べ伝えながら心から神に仕えています。その神が証ししてくださることですが、わたしは、祈るときにはいつもあなたがたのことを思い起こし、何とかしていつかは神の御心によってあなたがたのところへ行ける機会があるように、願っています。あなたがたにぜひ会いたいのは、”霊”の賜物をいくらかでも分け与えて、力になりたいからです。あなたがたのところで、あなたがたとわたしが互いに持っている信仰によって、励まし合いたいのです。兄弟たち、ぜひ知ってもらいたい。ほかの異邦人のところと同じく、あなたがたのところでも何かの実りを得たいと望んで、何回もそちらに行こうと企てながら、今日まで妨げられているのです。わたしは、ギリシア人にも未開の人にも、知恵のある人にもない人にも、果たすべき責任があります。それで、ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を告げ知らせたいのです。

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エゼキエル書 47. 1-12 命の水

  彼はわたしを神殿の入り口に連れ戻した。すると見よ、水が神殿の敷居の下から湧き上がって、東の方へ流れていた。神殿の正面は東に向いていた。水は祭壇の南側から出て神殿の南壁の下を流れていた。彼はわたしを北の門から外へ回らせ、東に向かう外の門に導いた。見よ、水は南壁から流れていた。その人は、手に測り縄を持って東の方に出て行き、一千アンマを測り、わたしに水の中を渡らせると、水はくるぶしまであった。更に一千アンマを測って、わたしに水を渡らせると、水は膝に達した。更に、一千アンマを測って、わたしに水を渡らせると、水は腰に達した。更に彼が一千アンマを測ると、もはや渡ることのできない川になり、水は増えて、泳がなければ渡ることのできない川になった。彼はわたしに、「人の子よ、見ましたか」と言って、わたしを川岸へ連れ戻した。わたしが戻って来ると、川岸には、こちら側にもあちら側にも、非常に多くの木が生えていた。彼はわたしに言った。「これらの水は東の地域へ流れ、アラバに下り、海、すなわち汚れた海に入って行く。すると、その水はきれいになる。川が流れて行く所ではどこでも、群がるすべての生き物は生き返り、魚も非常に多くなる。この水が流れる所では、すべてのものが生き返る。漁師たちは岸辺に立ち、エン・ゲディからエン・エグライムに至るまで、網を広げて干す所とする。そこの魚は、いろいろな種類に増え、大海の魚のように非常に多くなる。しかし、その沢と沼はきれいにならず、塩を取ることができる。川のほとり、その岸には、こちら側にもあちら側にも、あらゆる果樹が大きくなり、葉は枯れず、果実は絶えることなく、月ごとに実をつける。水が聖所から流れ出るからである。その果実は食用となり、葉は薬用となる。」

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ヨハネの黙示録 11. 1-14 二人の証人

  それから、わたしは杖のような物差しを与えられて、こう告げられた。「立って神の神殿と祭壇とを測り、また、そこで礼拝している者たちを数えよ。しかし、神殿の外の庭はそのままにしておけ。測ってはいけない。そこは異邦人に与えられたからである。彼らは四十二か月の間、この聖なる都を踏みにじるであろう。わたしは、自分の二人の証人に粗布をまとわせ、千二百六十日の間、預言させよう。」この二人の証人とは、地上の主の御前に立つ二本のオリーブの木、また二つの燭台である。この二人に害を加えようとする者があれば、彼らの口から火が出て、その敵を滅ぼすであろう。この二人に害を加えようとする者があれば、必ずこのように殺される。彼らには、預言をしている間ずっと雨が降らないように天を閉じる力がある。また、水を血に変える力があって、望みのままに何度でも、あらゆる災いを地に及ぼすことができる。二人がその証しを終えると、一匹の獣が、底なしの淵から上って来て彼らと戦って勝ち、二人を殺してしまう。彼らの死体は、たとえてソドムとかエジプトとか呼ばれる大きな都の大通りに取り残される。この二人の証人の主も、その都で十字架につけられたのである。さまざまの民族、種族、言葉の違う民、国民に属する人々は、彼らのことで大いに喜び、贈り物をやり取りするであろう。この二人の預言者は、地上の人々を苦しめたからである。三日半たって、命の息が神から出て、この二人に入った。彼らが立ち上がると、これを見た人々は大いに恐れた。二人は、天から大きな声があって、「ここに上って来い」と言うのを聞いた。そして雲に乗って天に上った。彼らの敵もそれを見た。そのとき、大地震が起こり、都の十分の一が倒れ、この地震のために七千人が死に、残った人々は恐れを抱いて天の神の栄光をたたえた。
  第二の災いが過ぎ去った。見よ、第三の災いが速やかにやって来る。

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ルカによる福音書 17. 20-37 神の国が来る

  ファリサイ派の人々が、神の国はいつ来るのかと尋ねたので、イエスは答えて言われた。「神の国は、見える形では来ない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるものだ。」それから、イエスは弟子たちに言われた。「あなたがたが、人の子の日を一日だけでも見たいと望む時が来る。しかし、見ることはできないだろう。『見よ、あそこだ』『見よ、ここだ』と人々は言うだろうが、出て行ってはならない。また、その人々の後を追いかけてもいけない。稲妻がひらめいて、大空の端から端へと輝くように、人の子もその日に現れるからである。しかし、人の子はまず必ず、多くの苦しみを受け、今の時代の者たちから排斥されることになっている。ノアの時代にあったようなことが、人の子が現れるときにも起こるだろう。ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだりしていたが、洪水が襲って来て、一人残らず滅ぼしてしまった。ロトの時代にも同じようなことが起こった。人々は食べたり飲んだり、買ったり売ったり、植えたり建てたりしていたが、ロトがソドムから出て行ったその日に、火と硫黄が天から降ってきて、一人残らず滅ぼしてしまった。人の子が現れる日にも、同じことが起こる。その日には屋上にいる者は、家の中に家財道具があっても、それを取り出そうとして下に降りてはならない。同じように、畑にいる者も帰ってはならない。ロトの妻のことを思い出しなさい。自分の命を生かそうと努める者は、それを失い、それを失う者は、かえって保つのである。言っておくが、その夜一つの寝室に二人の男が寝ていれば、一人は連れて行かれ、他の一人は残される。一人の女が一緒に臼をひいていれば、一人は連れて行かれ、他の一人は残される。」そこで弟子たちが、「主よ、それはどこで起こるのですか」と言った。イエスは言われた。「死体のある所には、はげ鷹も集まるものだ。」

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November 21, 2004

エゼキエル書 47. 12

「川のほとり、その岸には、こちら側にもあちら側にも、あらゆる果樹が大きくなり、葉は枯れず、果実は絶えることなく、月ごとに実りをつける。水が聖所から流れ出るからである。その果実は食用となり、葉は薬用となる。」

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イザヤ書 63. 11-14

  そのとき、主の民は思い起こした
  昔の日々を、モーセを。
  どこにおられるのか
  その群れを飼う者を海から導き出された方は。
  どこにおられるのか
  聖なる霊を彼らのうちにおかれた方は。
  主は輝く御腕をモーセの右に伴わせ
  民の前で海を二つに分け
  とこしえの名声を得られた。
  主は彼らを導いて淵の中を通らせられたが
  彼らは荒れ野を行く馬のように
  つまずくこともなかった。
  谷間に下りて行く家畜のように
  主の霊は彼らを憩わせられた。
  このようにあなたは御自分の民を導き
  輝く名声を得られた。

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エレミヤ書 51. 15-19

  御力をもって大地を造り
  知恵をもって世界を固く据え
  英知をもって天を広げられた方。
  主が御声を発せられると天の大水はどよめく。
  地の果てから雨雲を湧き上がらせ
  稲妻を放って雨を降らせ
  風から倉を送り出される。
  人は皆、愚かで知識に達しえない。
  金細工人は皆、偶像のゆえに辱められる。
  鋳て造った像は欺きにすぎず
  霊を持っていない。
  彼らは空しく、また嘲られるもの。
  裁きの時が来れば滅びてしまう。
  ヤコブの分である神はこのような方ではない。
  万物の創造者であり
  ヤコブはその方の嗣業の民である。
  その御名は万軍の主。

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November 20, 2004

マタイによる福音書 21. 5

  「シオンの娘に告げよ。
  『見よ、お前の王がお前のところにおいでになる、
  柔和な方で、ろばに乗り、
  荷を負うろばの子、子ろばに乗って。』」

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ゼカリヤ書 3. 9-10

  「ここに石がある。
  これはわたしがヨシュアの前に差し出すものだ。
  この一つの石に七つの目がある。
  わたしはそこに碑文を刻む、と万軍の主は言われる。
  そして、一日のうちにこの地の罪を取り除く。
  その日には、と万軍の主は言われる。
  あなたたちは互いに呼びかけて
  ぶどうといちじくの木陰で招き合う。」

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November 18, 2004

箴言 25. 13-14

  忠実な使者は遣わす人にとって
  刈り入れの日の冷たい雪。
  主人の魂を生き返らせる。
  雨雲が垂れこめ風が吹くのに雨が降らない。
  与えもしない贈り物について吹聴する人。

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コリントの信徒への手紙 一 15. 36-42

愚かな人だ。あなたが蒔くものは、死ななければ命を得ないではありませんか。あなたが蒔くものは、後でできる体ではなく、麦であれ他の穀物であれ、ただの種粒です。神は、御心のままに、それに体を与え、一つ一つの種にそれぞれ体をお与えになります。どの肉も同じ肉だというわけではなく、人間の肉、獣の肉、鳥の肉、魚の肉と、それぞれ違います。また、天上の体と地上の体があります。しかし、天上の体の輝きと地上の体の輝きは異なっています。太陽の輝き、月の輝き、星の輝きがあって、それぞれ違いますし、星と星の間の輝きにも違いがあります。
  死者の復活もこれと同じです。蒔かれるときは朽ちるものでも、朽ちないものに復活し、

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コリントの信徒への手紙 一 4. 10-21

わたしたちはキリストのために愚かな者となっているが、あなたがたはキリストを信じて賢い者となっています。わたしたちは弱いが、あなたがたは強い。あなたがたは尊敬されているが、わたしたちは侮辱されています。今の今までわたしたちは、飢え、渇き、着る物がなく、虐待され、身を寄せる所もなく、苦労して自分の手で稼いでいます。侮辱されては祝福し、迫害されては耐え忍び、ののしられては優しい言葉を返しています。今に至るまで、わたしたちは世の屑、すべてのものの滓とされています。
  こんなことを書くのは、あなたがたに恥をかかせるためではなく、愛する自分の子供として諭すためなのです。キリストに導く養育係があなたがたに一万人いたとしても、父親が大勢いるわけではない。福音を通し、キリスト・イエスにおいてわたしがあなたがたをもうけたのです。そこで、あなたがたに勧めます。わたしに倣う者になりなさい。テモテをそちらに遣わしたのは、このことのためです。彼は、わたしの愛する子で、主において忠実な者であり、至るところのすべての教会でわたしが教えているとおりに、キリスト・イエスに結ばれたわたしの生き方を、あなたがたに思い起こさせるでしょう。わたしがもう一度あなたがたのところへ行くようなことはないと見て、高ぶっている者がいるそうです。しかし、主の御心であれば、すぐにでもあなたがたのところに行こう。そして、高ぶっている人たちの、言葉ではなく力を見せてもらおう。神の国は言葉ではなく力にあるのですから。あなたがたが望むのはどちらですか。わたしがあなたがたのところへ鞭を持って行くことですか、それとも、愛と柔和な心で行くことですか。

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ルカによる福音書 4. 1-13 誘惑を受ける

  さて、イエスは聖霊に満ちて、ヨルダン川からお帰りになった。そして、荒れ野の中を”霊”によって引き回され、四十日間、悪魔から誘惑を受けられた。その間、何も食べず、その期間が終わると空腹を覚えられた。そこで、悪魔はイエスに言った。「神の子なら、この石にパンになるように命じたらどうだ。」イエスは、「『人はパンだけで生きるものではない』と書いてある」とお答えになった。更に、悪魔はイエスを高く引き上げ、一瞬のうちに世界のすべての国々を見せた。そして悪魔は言った。「この国々の一切の権力と繁栄とを与えよう。それはわたしに任されていて、これと思う人に与えることができるからだ。だから、もしわたしを拝むなら、みんなあなたのものになる。」イエスはお答えになった。
  「『あなたの神である主を拝み、
  ただ主に仕えよ』
と書いてある。」そこで、悪魔はイエスをエルサレムに連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて言った。「神の子なら、ここから飛び降りたらどうだ。というのは、こう書いてあるからだ。
  『神はあなたのために天使たちに命じて、
  あなたをしっかり守らせる。』
  また、
  『あなたの足が石に打ち当たることのないように、
  天使たちは手であなたを支える。』」
  イエスは、「『あなたの神である主を試してはならない』と言われている」とお答えになった。悪魔はあらゆる誘惑を終えて、時が来るまでイエスを離れた。

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November 17, 2004

エレミヤ書 3. 19-22

  わたしは思っていた。
  「子らの中でも、お前には何をしようか。
  お前に望ましい土地
  あらゆる国の中で
  最も麗しい地を継がせよう」と。
  そして、思った。
  「わが父と、お前はわたしを呼んでいる。
  わたしから離れることはあるまい」と。
  だが、妻が夫を欺くように
  イスラエルの家よ、お前はわたしを欺いたと
  主は言われる。

  裸の山々に声が聞こえる
  イスラエルの子らの嘆き訴える声が。
  彼らはその道を曲げ
  主なる神を忘れたからだ。
  「背信の子らよ、立ち帰れ。
  わたしたちは背いたお前たちをいやす。」

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マルコによる福音書 1. 40-45 重い皮膚病を患っている人をいやす

  さて、重い皮膚病を患っている人が、イエスのところに来てひざまずいて願い、「御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と言った。イエスが深く憐れんで、手を差し伸べてその人に触れ、「よろしい。清くなれ」と言われると、たちまち重い皮膚病は去り、その人は清くなった。イエスはすぐにその人を立ち去らせようとし、厳しく注意して、言われた。「だれにも、何も話さないように気をつけなさい。ただ、行って祭司に体を見せ、モーセが定めたものを清めのために献げて、人々に証明しなさい。」しかし、彼はそこを立ち去ると、大いにこの出来事を人々に告げ、言い広め始めた。それで、イエスはもはや公然と町に入ることができず、町の外の人のいない所におられた。それでも、人々は四方からイエスのところに集まって来た。

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エレミヤ書 2. 33-37

  なんと巧みにお前は情事を求めることか。
  悪い女たちにさえ、その道を教えるほどだ。
  お前の着物の裾には
  罪のない貧しい者を殺した血が染みついている。
  それは、盗みに押し入ったときに
      付いたものではない。
  それにもかかわらず
  「わたしには罪がない」とか
  「主の怒りはわたしから去った」とお前は言う。
  だが、見よ。
      「わたしは罪を犯していない」と言うなら
  お前は裁きの座に引き出される。
  なんと軽率にお前は道を変えるのか。
  アッシリアによって辱められたように
  エジプトにも辱められるだろう。
  そこからも、お前は両手を頭に置いて出て来る。
  主がお前が頼りにしているものを退けられる。
  彼らに頼ろうとしても成功するはずがない。

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マルコによる福音書 9. 38-41 逆らわない者は味方

  ヨハネがイエスに言った。「先生、お名前を使って悪霊を追い出している者を見ましたが、わたしたちに従わないので、やめさせようとしました。」イエスは言われた。「やめさせてはならない。わたしの名を使って奇跡を行い、そのすぐ後で、わたしの悪口は言えまい。わたしたちに逆らわない者は、わたしたちの味方なのである。はっきり言っておく。キリストの弟子だという理由で、あなたがたに一杯の水を飲ませてくれる者は、必ずその報いを受ける。」

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November 16, 2004

エレミヤ書 34. 8-22 奴隷の解放

  ゼデキヤ王が、エルサレムにいる民と契約を結んで奴隷の解放を宣言した後に、主からエレミヤに臨んだ言葉。その契約は、ヘブライ人の男女の奴隷を自由の身として去らせ、また何人であれ同胞であるユダの人を奴隷とはしないことを定めたものである。この契約に加わった貴族と民は、それぞれ男女の奴隷を自由の身として去らせ、再び奴隷とはしないことという定めに従って去らせた。しかしその後、彼らは態度を変え、いったん自由の身として去らせた男女の奴隷を再び強制して奴隷の身分とした。
  そのとき、主の言葉がエレミヤに臨んだ。「イスラエルの神、主はこう言われる。わたしは、奴隷の家エジプトの国からあなたたちの先祖を導き出した日に、彼らと契約を結んで命じた。だれでも、同胞であるヘブライ人が身を売って六年間、あなたのために働いたなら、七年目には自由の身として、あなたのもとから去らせなければならない、と。ところが、お前たちの先祖はわたしに聞き従わず、耳を傾けようとしなかった。しかし今日、お前たちは心を入れ替えて、わたしの正しいと思うことを行った。お前たちは皆、隣人に解放を宣言し、わたしの名で呼ばれる神殿において、わたしの前に契約を結んだ。ところがお前たちは、またもや、態度を変えてわたしの名を汚した。彼らの望みどおり自由の身として去らせた男女の奴隷を再び強制して奴隷の身分としている。
  それゆえ、主はこう言われる。お前たちが、同胞、隣人に解放を宣言せよというわたしの命令に従わなかったので、わたしはお前たちに解放を宣言する、と主は言われる。それは剣、疫病、飢饉に渡す解放である。わたしは、お前たちを世界のすべての国々の嫌悪の的とする。
  わたしの契約を破り、わたしの前で自ら結んだ契約の言葉を履行しない者を、彼らが契約に際して真っ二つに切り裂き、その間を通ったあの子牛のようにする。ユダとエルサレムの貴族、役人、祭司、および国の民のすべてが二つに切り裂いた子牛の間を通った。わたしは、彼らを敵の手に渡し、命を奪おうとする者の手に渡す。彼らの死体は、空の鳥と地の獣の餌食になる。ユダの王ゼデキヤと貴族たちを敵の手に、命を奪おうとする者の手に、すなわち一時撤退したバビロンの王の軍隊の手に渡す。わたしは命令を下す、と主は言われる。わたしは、彼らをこの都に呼び戻す。彼らはこの都を攻撃し、占領して火を放つであろう。わたしは、ユダの町々を、住む者のない廃墟とする。」

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ルカによる福音書 13. 1-5 悔い改めなければ滅びる

  ちょうどそのとき、何人かの人が来て、ピラトがガラリヤ人の血を彼らのいけにえに混ぜたことをイエスに告げた。イエスはお答えになった。「そのガリラヤ人たちがそのような災難に遭ったのは、ほかのどのガリラヤ人よりも罪深い者だったからだと思うのか。決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。また、シロアムの塔が倒れて死んだあの十八人は、エルサレムに住んでいたほかのどの人々よりも、罪深い者だったと思うのか。決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。」

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エゼキエル書 45. 10

  「あなたたちは、正確な天秤、正確なエファ升、正確なバト升を用いなさい。」

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コリントの信徒への手紙 一 5. 9-13

  わたしは以前手紙で、みだらな者と交際してはいけないと書きましたが、その意味は、この世のみだらな者とか強欲な者、また、人の物を奪う者や偶像を礼拝する者たちと一切付き合ってはならない、ということではありません。もし、そうだとしたら、あなたがたは世の中から出て行かねばならないでしょう。わたしが書いたのは、兄弟と呼ばれる人で、みだらな者、強欲な者、偶像を礼拝する者、人を悪く言う者、酒におぼれる者、人の物を奪う者がいれば、つきあうな、そのような人とは一緒に食事もするな、ということだったのです。外部の人々を裁くことは、わたしの務めでしょうか。内部の人々をこそ、あなたがたは裁くべきではありませんか。外部の人々は神がお裁きになります。「あなたがたの中から悪い者を除き去りなさい。」

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ルカによる福音書 6. 27-36 敵を愛しなさい

  「しかし、わたしの言葉を聞いているあなたがに言っておく。敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。あなたの頬を打つ者には、もう一方の頬を向けなさい。上着を奪い取る者には、下着をも拒んではならない。求める者には、だれにでも与えなさい。あなたの持ち物を奪う者から取り返そうとしてはならない。人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな恵みがあろうか。罪人でも、愛してくれる人を愛している。また、自分によくしてくれる人に善いことをしたところで、どんな恵みがあろうか。罪人でも同じことをしている。返してもらうことを当てにして貸したところで、どんな恵みがあろうか。罪人さえ、同じものを返してもらおうとして、罪人に貸すのである。しかし、あなたがたは敵を愛しなさい。人に善いことをし、何も当てにしないで貸しなさい。そうすれば、たくさんの報いがあり、いと高き方の子となる。いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも、情け深いからである。あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい。」

投稿者 Blue Wind : 01:23 AM | コメント (0) | トラックバック

詩編 83. 2-5

  神よ、沈黙しないでください。
  黙していないでください。
  静まっていないでください。
  御覧ください、敵が騒ぎ立っています。
  あなたを憎む者は頭を上げています。
  あなたの民に対して巧みな謀をめぐらし
  あなたの秘蔵の民に対して共謀しています。
  彼らは言います
  「あの民を国々の間から断とう。
  イスラエルの名が
      再び思い起こされることのないように」と。

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November 13, 2004

ホセア書 5. 18-19

  彼らは酔いしれたまま、淫行を重ね
  恥知らずなふるまいに身をゆだねている。
  欲望の霊は翼の中に彼らを巻き込み
  彼らはいけにえのゆえに恥を受ける。

投稿者 Blue Wind : 11:45 PM | コメント (0) | トラックバック

ルカによる福音書 6. 27-36 敵を愛しなさい

  「しかし、わたしの言葉を聞いているあなたがに言っておく。敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。あなたの頬を打つ者には、もう一方の頬を向けなさい。上着を奪い取る者には、下着をも拒んではならない。求める者には、だれにでも与えなさい。あなたの持ち物を奪う者から取り返そうとしてはならない。人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな恵みがあろうか。罪人でも、愛してくれる人を愛している。また、自分によくしてくれる人に善いことをしたところで、どんな恵みがあろうか。罪人でも同じことをしている。返してもらうことを当てにして貸したところで、どんな恵みがあろうか。罪人さえ、同じものを返してもらおうとして、罪人に貸すのである。しかし、あなたがたは敵を愛しなさい。人に善いことをし、何も当てにしないで貸しなさい。そうすれば、たくさんの報いがあり、いと高き方の子となる。いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも、情け深いからである。あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい。」

投稿者 Blue Wind : 11:43 PM | コメント (0) | トラックバック

ダニエル書 3. 24-25

  間もなく王は驚きの色を見せ、急に立ち上がり、側近たちに尋ねた。
  「あの三人の男は、縛ったまま炉に投げ込んだはずではなかったか。」
  彼らは答えた。
  「王様、そのとおりでございます。」
  王は言った。
  「だが、わたしには四人の者が火の中を自由に歩いているのが見える。そして何の害も受けていない。それに四人目の者は神の子のような姿をしている。」

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ホセア書 9. 7-9 預言者への憎しみ

  裁きの日が来た。
  決裁の日が来た。
  イスラエルよ、知れ。
  お前の不義は甚だしく、敵意が激しいので
  預言者は愚か者とされ、霊の人は狂う。
  預言者はわが神と共にあるが
  エフライムは彼を待ち伏せて
  その行く道のどこにも鳥を取る者の罠を仕掛け
  その神の家を敵意で満たす。
  ギブアの日々のように、彼らの堕落は根深く
  主は彼らの不義に心を留め
  その罪を裁かれる。

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コリントの信徒への手紙 一 15. 12-34 死者の復活

  キリストは死者の中から復活した、と宣べ伝えられているのに、あなたがたの中のある者が、死者の復活などない、と言っているのはどういうわけですか。死者の復活がなければ、キリストも復活しなかったはずです。そして、キリストが復活しなかったのなら、わたしたちの宣教は無駄であるし、あなたがたの信仰も無駄です。更に、わたしたちは神の偽証人とさえ見なされます。なぜなら、もし、本当に死者が復活しないなら、復活しなかったはずのキリストを神が復活させたと言って、神に反して証しをしたことになるからです。死者が復活しないのなら、キリストも復活しなかったはずです。そして、キリストが復活しなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお罪の中にあることになります。そうだとすると、キリストを信じて眠りについた人々も滅んでしまったわけです。この世の生活でキリストに望みをかけているだけだとすれば、わたしたちはすべての人の中で最も惨めな者です。
  しかし、実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。死が一人の人によって来たのだから、死者の復活も一人の人によって来るのです。つまり、アダムによってすべての人が死ぬことになったように、キリストによってすべての人が生かされることになったのです。ただ、一人一人にそれぞれ順序があります。最初にキリスト、次いで、キリストが来られるときに、キリストに属している人たち、次いで、世の終わりが来ます。そのとき、キリストはすべての支配、すべての権威や勢力を滅ぼし、父である神に国を引き渡されます。キリストはすべての敵を御自分の足の下に置くまで、国を支配されることになっているからです。最後の敵として、死が滅ぼされます。「神は、すべてをその足の下に服従させた」からです。すべてが服従させられたと言われるとき、すべてをキリストに服従させた方自身が、それに含まれていないことは、明らかです。すべてが御子に服従するとき、御子自身も、すべてを御自分に服従させてくださった方に服従されます。神がすべてにおいてすべてとなられるためです。
  そうでなければ、死者のために洗礼を受ける人たちは、何をしようとするのか。死者が決して復活しないのなら、なぜ死者のために洗礼などを受けるのですか。また、なぜわたしたちはいつも危険を冒しているのですか。兄弟たち、わたしたちの主キリスト・イエスに結ばれてわたしが持つ、あなたがたに対する誇りにかけて言えば、わたしは日々死んでいます。単に人間的な動機からエフェソで野獣と闘ったとしたら、わたしに何の得があったでしょう。もし、死者が復活しないとしたら、
  「食べたり飲んだりしようではないか。
  どうせ明日は死ぬ身ではないか」
ということになります。思い違いをしてはいけない。
  「悪いつきあいは、良い習慣を台なしにする」
のです。正気になって身を正しなさい。罪を犯してはならない。神について何も知らない人がいるからです。わたしがこう言うのは、あなたがたを恥じ入らせるためです。

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ヨブ記 24. 12

  町では、死にゆく人々が呻き
  刺し貫かれた人々があえいでいるが
  神はその惨状に心を留めてくださらない。

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ルカによる福音書 6. 20-26 幸いと不幸

  さて、イエスは目を上げ弟子たちを見て言われた。
  「貧しい人々は、幸いである、
  神の国はあなたがたのものである。
  今飢えている人々は、幸いである、
  あなたがたは満たされる。
  今泣いている人々は、幸いである、
  あなたがたは笑うようになる。
人々に憎まれるとき、また、人の子のために追い出され、ののしられ、汚名を着せられるとき、あなたがたは幸いである。その日には、喜び踊りなさい。天には大きな報いがある。この人々の先祖も、預言者たちに同じことをしたのである。
  しかし、富んでいるあなたがたは、不幸である、
  あなたがたはもう慰めを受けている。
  今満腹している人々、あなたがたは、不幸である、
  あなたがたは飢えるようになる。
  今笑っている人々は、不幸である、
  あなたがたは悲しみに泣くようになる。
  すべての人にほめられるとき、あなたがたは不幸である。この人々の先祖も、偽預言者たちに同じことをしたのである。」

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November 11, 2004

マルコによる福音書 10. 13-16 子供を祝福する

  イエスに触れていただくために、人々が子供たちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。しかし、イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言われた。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」そして、子供たちを抱き上げ、手を置いて祝福された。

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ヨブ記 26. 2-4

  あなた自身はどんな助けを力のない者に与え
  どんな救いを無力な腕にもたらしたというのか。
  どんな忠告を知恵のない者に与え
  どんな策を多くの人に授けたというのか。
  誰の言葉を取り次いで語っているのか。
  誰の息吹があなたを通して吹いているのか。

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エゼキエル書 39. 17-21

  人の子よ、主なる神はこう言われる。あらゆる種類の猛禽と、あらゆる種類の野の獣に語りなさい。お前たちは集まれ。来て、わたしがお前たちのための屠ったわたしの犠牲に向かい周囲から集まれ。それはイスラエルの山々の上で大いなる犠牲である。お前たちはその肉を食らい、その血を飲め。勇士たちの肉を食らい、国の支配者たちの血を飲め。それは雄羊、小羊、雄山羊、雄牛であり、みなバジャンの肥えた動物たちである。お前たちは、わたしがお前たちのために屠った犠牲から、飽きるまで脂肪を食べ、酔うまで血を飲むがよい。お前たちはわたしの食卓で、馬や騎兵、勇士やすべての兵士たちの肉を飽きるまで食べる、と主なる神は言われる。わたしは国々の間にわが栄光を現し、国々はすべてわたしの行う裁きと、彼らの上に置くわたしの手を見る。

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November 09, 2004

ルカによる福音書 17. 20-21

  ファリサイ派の人々が、神の国はいつ来るのかと尋ねたので、イエスは答えて言われた。「神の国は、見える形では来ない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」

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ルカによる福音書 22. 1-6 イエスを殺す計略

  さて、過越祭と言われている除酵祭が近づいていた。祭司長たちや律法学者たちは、イエスを殺すにはどうしたらよいかと考えていた。彼らは民衆を恐れていたのである。しかし、十二人の中の一人で、イスカリオテと呼ばれるユダの中に、サタンが入った。ユダは祭司長たちや神殿守衛長たちのもとに行き、どのようにしてイエスを引き渡そうかと相談をもちかけた。彼らは喜び、ユダに金を与えることに決めた。ユダは承諾して、群集のいないときにイエスを引き渡そうと、良い機会をねらっていた。

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エレミヤ書 30. 15-17

  なぜ傷口を見て叫ぶのか。
  お前の痛みはいやされない。
  お前の悪が甚だしく
  罪がおびただしいので
  わたしがお前にこうしたのだ。
  それゆえ、お前を食い尽くす者は
  皆、食い尽くされる。
  お前の敵は皆、捕囚となる。
  お前を略奪する者は、略奪され
  強奪する者は、皆、強奪される。
  さあ、わたしがお前の傷を治し
  打ち傷をいやそう、と主は言われる。
  人々はお前を、「追い出された者」と呼び
  「相手にされないシオン」と言っているが。

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November 08, 2004

ホセア書 8. 7-14

  彼らは風の中で蒔き
  嵐の中で刈り取る。
  芽が伸びても、穂が出ず
  麦粉を作ることができない。
  作ったとしても、他国の人々が食い尽くす。
  イスラエルは食い尽くされる。
  今や、彼らは諸国民の間にあって
      だれにも喜ばれない器のようだ。
 
  エフライムは独りいる野ろば。
  アッシリアに上って行き、貢によって恋人を得た。
  彼らは諸国に貢いでいる。
  今や、わたしは諸国を集める。
  諸侯を従える王への貢ぎ物が重荷となって
  彼らはもだえ苦しむようになる。
 
  エフライムは罪を償う祭壇を増やした。
  しかし、それは罪を犯す祭壇となった。
  わたしは多くの戒めを書き与えた。
  しかし、彼らはそれを無縁のものと見なした。
  わたしへの贈り物としていけにえをささげるが
  その肉を食べるのは彼らだ。
  主は彼らを喜ばれない。
  今や、主は彼らの不義に心を留め
  その罪を裁かれる。
  彼らはエジプトに帰らねばならない。
  イスラエルはその造り主を忘れた。
  彼らは宮殿を建て連ねた。
  ユダも要塞の町を増し加えたが
  わたしはその町々に火を送り
  火は城郭を焼き尽くす。

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コリントの信徒への手紙 一 1. 4-9

  わたしは、あなたがたがキリスト・イエスによって神の恵みを受けたことについて、いつもわたしの神に感謝しています。あなたがたはキリストに結ばれ、あらゆる言葉、あらゆる知識において、すべての点で豊かにされています。こうして、キリストについての証しがあなたがたの間で確かなものとなったので、その結果、あなたがたは賜物に何一つ欠けるところがなく、わたしの主イエス・キリストの現れを待ち望んでいます。主も最後まであなたがたをしっかり支えて、わたしの主イエス・キリストの日に、非のうちどころのない者にしてくださいます。神は真実な方です。この神によって、あなたがたは神の子、わたしたちの主イエス・キリストとの交わりに招き入れられたのです。

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コリントの信徒への手紙 一 4. 1-5

  こういうわけですから、人はわたしたちをキリストに仕える者、神の秘められた計画をゆだねられた管理者と考えるべきです。この場合、管理者に要求されるのは忠実であることです。わたしにとっては、あなたがたから裁かれようと、人間の法廷で裁かれようと、少しも問題ではありません。わたしは、自分で自分を裁くことすらしません。自分には何もやましいところはないが、それでわたしが義とされているわけではありません。わたしを裁くのは主なのです。ですから、主が来られるまでは、先走って何も裁いてはいけません。主は闇の中に隠されている秘密を明るみに出し、人の心の企てをも明らかにされます。そのとき、おのおのは神からおほめにあずかります。

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使徒言行録 10. 19-20

ペトロがなおも幻について考え込んでいると、”霊”がこう言った。「三人の者があなたを探しに来ている。立って下に行き、ためらわないで一緒に出発しなさい。わたしがあの者たちをよこしたのだ。」

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November 06, 2004

ホセア書 5. 1-7 イスラエルに対する審判

  聞け、祭司たちよ。
  心して聞け、イスラエルの家よ。
  耳を傾けよ、王の家よ。
  お前たちに裁きが下る。
  お前たちはミツバで罠となり
  タボルの山で仕掛けられた網となり
  シッテムでは深く掘った穴となった。
  わたしはお前たちを皆、懲らしめる。
  わたしはエフライムを知り尽くしている。
  イスラエルがわたしから隠れることはできない。
  まことに、エフライムは淫行にふけり
  イスラエルは身を汚している。
  彼らは悪行のゆえに、神に帰ることができない。
  淫行の霊が彼らの中にあり
  主を知りえないからだ。
  イスラエルを罪に落とすのは自らの高慢だ。
  イスラエルとエフライムは
  不義によってつまずき
  ユダも共につまずく。
  彼らは羊と牛を携えて主を尋ね求めるが
  見いだすことはできない。
  主は彼らを離れ去られた。
  彼らは主を裏切り
  異国人の子らを産んだ。
  それゆえ、新月の祭りが
      彼らをも、その所有をも食い尽くす。

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イザヤ書 34. 8-15

  まことに、主は報復の日を定められる
  シオンにかかわる争いを正すための年を。
  エドムの涸れ谷は変わってピッチとなり
  その土は硫黄となる。
  その土地はピッチとなって燃え上がる。
  夜も昼も消えることなく
  とこしえに、煙を立ち昇らせ
  代々にわたって廃墟となり
  永遠にそこを通る人はない。
  ふくろうと山あらしがその土地を奪い
  みみずくと烏がそこに住む。
  主はその上に混乱を測り縄として張り
  空虚を錘として下げられる。
  その土地の貴族たちには
  もはや、王国と名付くべきものはなく
  高官たちもすべて無に帰する。
  その城郭は茨が覆い
  その砦にはいらくさとあざみが生え
  山犬が住み
  駝鳥の宿るところとなる。

  荒野の獣はジャッカルに出会い
  山羊の魔神はその友を呼び
  夜の魔女は、そこに休息を求め
  休む所を見つける。
  ふくろうは、そこに巣を作って卵を産み
  卵をかえして、雛を翼の陰に集める。
  そこに鳶も、雌も雄も共に集まる。

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エゼキエル書 20. 18-26

  わたしは、荒れ野で彼らの子供たちに語った。『お前たちの祖父の掟に従って歩んではならない。彼らの裁きを守ってはならない。また、彼らの偶像で自らを汚してはならない。わたしはお前たちの神、主である。お前たちは、わたしの掟に従って歩み、わたしの裁きを守り行い、わたしの安息日を聖別して、わたしとお前たちとの間のしるしとし、わたしがお前たちの神、主であることを知れ』と。しかし、子供たちもわたしに背き、人がそれを行えば生きることができるわたしの掟に歩まず、わたしの裁きを守り行わず、わたしの安息日を汚した。それゆえ、わたしは荒れ野で彼らの上に憤りを注ぎ、怒りを浴びせる、と言った。しかし、わたしは手を引き戻し、わが名のために、わたしがイスラエルを連れ出したときに見ていた諸国民の間に散らし、諸国に追いやると告げた。なぜなら、彼らがわたしの裁きを行わず、わたしの掟を退け、わたしの安息日を汚し、彼らの父祖の偶像に目をひかれていたからである。わたしもまた、良くない掟と、それによって生きることができない裁きを彼らに与えた。また、彼らが初子をすべてささげたとき、わたしは彼らの献げ物によって彼らを汚した。それは、わたしが彼らを荒廃させ、わたしが主であることを知らせるためであった。

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November 04, 2004

コリントの信徒への手紙 一 16. 1-4 エルサレム教会の信徒のための募金

  聖なる者たちのための募金については、わたしがガラテヤの諸教会に指示したように、あなたがたも実行しなさい。わたしがそちらに着いてから初めて募金が行われることのないように、週の初めの日にはいつも、各自収入に応じて、幾らかずつでも手もとに取って置きなさい。そちらに着いたら、あなたがたから承認された人たちに手紙を持たせて、その贈り物を届けにエルサレムに行かせましょう。わたしも行く方がよければ、その人たちはわたしと一緒に行くことになるでしょう。

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エレミヤ書 4. 13-14

  見よ、それは雲のように攻め上る。
  その戦車はつむじ風のよう
      その馬は鷲よりも速い。
  ああ、災いだ。我々は荒らし尽くされる。
  エルサレムよ
  あなたの心の悪を洗い去って救われよ。
  いつまで、あなたはその胸に
  よこしまな思いを宿しているのか。

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ローマの信徒への手紙 1. 16-17 福音の力

  わたしは福音を恥としない。福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。福音には、神の義が啓示されていますが、それは初めから終わりまで信仰を通して実現されるのです。「正しい者は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。

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マラキ書 3. 24 (旧約聖書さいごのページ)

  彼は父の心を子に
  子の心を父に向けさせる。
  わたしが来て、破滅をもって
  この地を撃つことがないように。

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November 03, 2004

ヨブ記 30. 9-19

  ところが今は、わたしが彼らのはやし歌の種
  嘲りの言葉を浴びる身になってしまった。
  彼らはわたしを忌み嫌って近寄らず
  平気で顔に唾を吐きかけてくる。
  彼らは手綱を振り切り、わたしを辱め
  くつわを捨てて勝手にふるまう。
  彼らは生意気にもわたしの右に立ち
  わたしを追い出し、災いの道を行かせ
  逃げ道を断ち、滅びに追いやろうとする。
  それを止めてくれる者はない。
  襲って来て甚だしく打ち破り
  押し寄せて来て廃墟にする。
  死の破滅がわたしを襲い
  わたしの力は風に吹きさらわれ
  わたしの救いは雲のように消え去った。
  もはや、わたしは息も絶えんばかり
  苦しみの日々がわたしを捕らえた。
  夜、わたしの骨は刺すように痛み
  わたしをさいなむ病は休むことがない。
  病は肌着のようにまつわりつき
  その激しさにわたしの皮膚は
      見る影もなく変わった。
  わたしは泥の中に投げ込まれ
  塵芥に等しくなってしまった。

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ヨハネによる福音書 19. 1-16

  そこで、ピラトはイエスを捕らえ、鞭で打たせた。兵士たちは茨で冠を編んでイエスの頭に載せ、紫の服をまとわせ、そばにやって来ては、「ユダヤ人の王、万歳」と言って、平手で打った。ピラトはまた出て来て、言った。「見よ、あの男をあなたたちのところへ引き出そう。そうすれば、わたしが彼の何の罪も見いだせないわけが分かるだろう。」イエスは茨の冠をかぶり、紫の服を着けて出て来られた。ピラトは、「見よ、この男だ」と言った。祭司長たちや下役たちは、イエスを見ると、「十字架につけろ。十字架につけろ」と叫んだ。ピラトは言った。「あなたたちが引き取って、十字架につけるがよい。わたしはこの男に罪を見いだせない。」ユダヤ人たちは答えた。「わたしたちには律法があります。律法によれば、この男は死罪に当たります。神の子と自称したからです。」
  ピラトはこの言葉を聞いてますます恐れ、再び総督官邸の中に入って、「お前はどこから来たのか」とイエスに言った。しかし、イエスは答えようとされなかった。そこで、ピラトは言った。「わたしに答えないのか。お前を釈放する権限も、十字架につける権限も、このわたしにあることを知らないのか。」イエスは答えられた。「神から与えられていなければ、わたしに対して何の権限もないはずだ。だから、わたしをあなたに引き渡した者の罪はもっと重い。」そこで、ピラトはイエスを釈放しようと努めた。しかし、ユダヤ人たちは叫んだ。「もし、この男を釈放するなら、あなたは皇帝の友ではない。王と自称する者は皆、皇帝に背いています。」
  ピラトは、これらの言葉を聞くと、イエスを外に連れ出し、ヘブライ語でガバタ、すなわち「敷石」という場所で、裁判の席に着かせた。それは過越祭の準備の日の、正午ごろであった。ピラトがユダヤ人たちに、「見よ、あなたたちの王だ」と言うと、彼らは叫んだ。「殺せ、殺せ。十字架につけろ。」ピラトが、「あなたたちの王をわたしが十字架につけるのか」と言うと、祭司長たちは、「わたしたちには、皇帝のほかに王はありません」と答えた。そこでピラトは、十字架につけるために、イエスを彼らに引き渡した。

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コヘレトの言葉 8. 9-10

  わたしはこのようなことを見極め、太陽の下に起こるすべてのことを、熱心に考えた。今は、人間が人間を支配して苦しみをもたらすような時だ。
  だから、わたしは悪人が葬儀をしてもらうのも、聖なる場所に出入りするのも、また、正しいことをした人が町で忘れ去られているのも見る。これまた、空しい。

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