November 23, 2004

尾花菊広い野原に立ちゆかばこびとのような吾を思いし

十字架は改悛の情示しては悲しき調奏でおるかな
人の愛人に吊られて木の上に罪はのこりぬ悲しき調
退廃は罪にあらずと人の声くりかえしつつ悪は広がり
悪魔とは闇に現れ闇の声調にのせてまとわりつかん
憤り悲しみもまた幾たびかくりかえされし波の音かな
消え去れと言っているからなおのこと改悛したと現れるかな

夏の蝿今なお冬に飛びたれば冷凍のカニ残骸の中

詩編 143. 1-6

ラサさんの サイト が消えたそうです。
彼女は今ごろせいせいしているでしょうか・・・・なんか、うらやましい。

嫌うほどぶんぶんうなる蝿の羽餌はどこにもないはずなのに
蝿の罪いづこにあると考えて肉を求めて飛びおるからか

ブルガリで癒されている香りかな鈴木重子の風の歌声
挙式用信仰心のなき人の奏でる音は今日も流れる
営業は全国ネット展開す御用聞きありピアニストかな
教会も営業なんだとドレス着てお葬式まで行って来たよと
死者の顔知りもしないで悲しみを描いて曲は流されており
演奏は刺身のつまか流れゆく聴く人もなく弾く人のあり

カーネーション薔薇にかえてとあの人は言っていたけどカーネーションあり
挙式用飾られた花ながむれば土曜の昼は雨上がりかな
生涯に一度の日にも祭壇の花は並びぬ朝な夕なと
教会の二階の席はのんびりと光射す窓雨の降る窓

ボリショイのバレエの日にも先生に挨拶に行くピアニストかな
住む世界違うからねと曖昧に濁してみてもタダ券なりき
銀座まで独唱会に出かけては顔の動きを眺めておりぬ
歌声を楽しむよりも変わる顔眺め終わりて山野楽器へ
颯爽とジャズ喫茶へと飛び込めば沈黙のなか寝ている人ら
旋律の別れ聴こえるわが耳はマーラーとてもいやしとならぬ
クリスマス第九の咳を聴くために咳を我慢し窮屈な席

のんびりと特等席に座りては好きな曲など聴いている秋
ブルガリのコロンの香り流るるは鈴木重子のかすれゆく声

マルコによる福音書 16. 1-8 復活する

音楽は美しいけど音楽の世界醜しと合言葉聞く
あの人とわたしはちがうとあの人はなにを秤に語っているか
わたしには美しい音聴こえれば今が至福とよろこびもとむ

白菊を描いているか白い穂のたたずむ野には枯れ尾花咲く
しだれゆく菊の花びら枯れ尾花巨大な花を野に描きたる

深まりし秋に誘われミモザ葉の生い茂るなか陽は昇りゆく
葉隠れのフェンスに映る太陽はふたつの光照らし輝き
ぶどうの木苗木のように残さるるミモザ葉のした照らす朝を見

夕焼けはうっすらと空染めゆけど夕陽まぶしき西の窓かな
澄み渡る秋の空には太陽の朝な夕なと残光描き
太陽の低空飛行窓一つ南にうつし吾を撃ちたる

ジャズというカテゴリーには沿わないと鈴木重子のアルバムを聴く
ランボーを真似しただけか柳の木聖書読みに来わがサイトかな
真中うた眺めて秋は深深と神の愛ありエウラキロン、さ
投げ歌をいづこにするか迷いては耽耽として繊細な糸
遊び歌うくくと詠んで芸術の秋だアートだ木枯らしの吹く

蝿の声聴こうとすれば悲しみは十字架にあり沈黙の愛

エレミヤ書 51. 11-14

やんわりと新約聖書読みたれば言い方一つ書き換えられて
ふふむ意味おなじとわかる今もなお滅びの意味を十字架に知る

歌詠みは耽耽として歌を詠む強き調も弱き調も
ファーザーの肩の上かな二階席揺れる木立に季節を感ず

罵声飛ぶ駒場の部屋を逃げ出せばやんわりとした宮代の丘
吹く風の音さえ違う地下鉄は都会を狭く広くも見せる

暗闇に激情さえも消えゆかば白き尾花は菊の花びら
尾花菊広い野原に立ちゆかばこびとのような吾を思いし
花びらの一つになるかすすきの穂大きな菊の泡立ち咲かめ

歌用のバイブル片手表紙さえいつのまにやらすりきれている
ボロまとい未読部分を抱えては使い古した辞書の匂いか

詩編 77. 5-7

神さまにまぶたつかまれ朝ぼらけ小鳥の声に挨拶さるる

賛美に変わるまでの2万首なのかも・・・生きていれば。まだ7千首を越えたところ。今、どの辺かな。考えるのやめよう。

白い陽の始まりゆかば朝は来ぬその日その月その年となり

心の底から嫌い。


◇BBS詠
静かにぞ昇る朝日は輝きぬフェンスに当たりふたつの光
生い茂る秋のミモザに葉隠れの朝の眩しき太陽ありき
落陽の西窓を撃つ向こう岸秋を暢気に過ごせない森
菊花にもみまごうばかり白い穂の固まり咲くかしだれる尾花

友にぞと何もできない月日ならせめては歌を詠みて過ごさん
健やかに生き苦しまず死にたいと誰もがねがう恋は儚し
傍観者偶像ながむここちかな泡立つ尾花菊の花びら

投稿者 Blue Wind : November 23, 2004 06:44 AM | トラックバック
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