February 28, 2009

四旬節、時折春を待つような水仙の葉の浮かび立つ、雪

初雪にめまぐるしくも一年が帳簿のなかに整理されゆく

四旬節、時折春を待つような水仙の葉の浮かび立つ、雪

(使徒 2. 43-47)

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February 26, 2009

「ほらほらほら」

灰の水曜日。

本当におでこに灰を塗られた。英語なんだけどね・・・英語でいっぱい説教をされて帰ってきました。ただし、半分くらいしか理解していないような気がする。いや、何言われているか何となくわかるから・・・

偽善。今風に言うと、キャンペーン?

でも、それが罪なら赦してほしいけど、わたしは自分が間違ったことをしたとは思っていない。日本の社会ってそういうものだから。口先だけではダメなんだよね・・・ もう、すぐ行動。父さんに内緒でしたから、Fが心配している。で、その話を父さんに言ったら、父さんはおじいさんのことを思い出してウルウルしていた。で、そのことをホソピーには伏せて相談したら、今日はホソピーが若い人たちを連れてランチに繰り出した。

そうやって、うちの人たち、つまりうちの職場の人たちは互いに助け合っている。それが当たり前のような気がするし、当たり前でない時代のような気もするし、わたしがしたことはカタルシスでもあり、ノスタルジーでもあり、旧きよき時代の人たちは、そうやって生きてきた。

でもね・・・ 日本はほかの貧しい国にお金は出すけど、人は出さない、とかね。偽善とか欺瞞とか言われて久しいが、日本的ノスタルジーから言えば、困っている人たちを助けるのは悪いことではないし、そこの国が今度は豊かになったら、またほかの国を助ける、という連鎖はごく自然な発想だ。

***

英語ミサ。

いつもの3分の1くらいの人たち。国籍人種もまちまちで、御ミサの雰囲気もまるで違う。ポップな感じ。

最初、わたしの隣には、日本人の老夫婦が座っていたのだが、灰を塗られてもどると、遅れてきたポップな黒人の母子たちがわたしの席に座っており、わたしはたぶん台湾人ではないかと思うけど中国人ファミリーの隣に移動。ちょうど献金のとき、そのファミリーのお父さんが千円札を放り込んでいたので、わたしは、「ほらほらほら」と思った。

いつだったか、日本人は献金で1万円札とか千円札を入れるけどそんな必要はないと、神父さんに言われたことがあり、そんなことわたしに言われてもわたしは小銭を用意して行くから・・・ 

だから、「ほらほらほら。」

つまり、「ほらほらほら。」

そうやって悪く言われているけれども、日本人は、「ほらほらほら。」

この国の人たちは、誰かがひとり善いことをすると、それに連なる。そういう国民性なのだから仕方がない。善いことをするのも恥ずかしいのだ。だから、ひとりではしない。

***

以前だったら、夕飯時や日曜日に一人で外出したりすると、何となく不機嫌だったんだけど、このところ妙に協力的で逆に気持ちが悪い。職場でもみんな協力的にで、なんなんだ、という感じ。以前だったら、職場に聖書をおいただけで、看護師に、「こういうのはここには合わない」とか、「この辺の人たちは宗教を嫌がるから、患者さんが来なくなる」とまで言われたのに・・・

アクティフ・・・か。

よう、わからん。

(ヘブライ 1. 5-7)

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February 23, 2009

罪滅ぼし・・

罪滅ぼし・・・

もちろん、わたしにはたくさん罪はありますが、そのたくさんの罪の中で何を悔いるべきか?

子どもの祈りの手引きの中には、友達とケンカしたとか、お父さんお母さんのお手伝いをしなかったとか、その他諸々よいこのお手本のような話が書かれている。

う〜ん、う〜ん、と悩んでいると、院生Fから電話。折り入って話したいことがある、という・・・ かなり動揺している様子で、3月いっぱいでバイトを辞めたいと言う。それは構わないというか、やっぱり学校のほうが大変なのかなと思ったら、今度は学費を払えないから休学して働いてまた院生を続けるつもりらしい。お母さんが借金まみれなのがわかって大変なことになっているそう。

****

今、母が倒れたときの直後のような動揺と衝撃があり、彼女になんと説明したらいいのかわからないままに銀行に行って来てしまった。「へそくり貸そうか?」と言った時、「ジム長、騙されますよ」と彼女は本気にしていなかったけど、わたしのほうが落ち着いていられない。

罪・・・・

母が倒れたとき、そのショックはなかったなぁ・・・ わたしとて神戸の震災やらおじいさんの死やらいろいろあって、娘はまだ小さいし、そのころは母のことどころではなかった。でも、父が亡くなった後、母がものすごく苦労して、精神的にも肉体的にも経済的にもボロボロ。もう少しわたしが早く気がついていたら、あそこまで悪化することはなかったかも。

母のこととオトくんのことは、悔やんでも悔やみきれないところが、今でもあるのだろう。日頃は忘れているけれども、何かのおりに思い出してしまう。・・・・・・それが、罪。

****

わたし、どうかしてるよなぁ・・・

Fは若いし、介護施設関係が専門だから、介護師の資格取って1年くらい休学して働くくらいどうということもない。冷静に考えればわたしが何かすることは何もないわけで、彼女にとっても迷惑だったかも。

「借金のあてはあるんですけど、お母さんみたいになりたくないから休学して働きます」だって。

あのなぁ・・・ あなたのお母さんはあなたたちのために借金してボロボロになったんじゃありませんか? それを一言で、「お母さんみたいになりたくないから」で終わらせるな!

・・・・・・・と思いつつ、同じだよね。結局、自分も若い頃は母みたいになりたくないとずっと思っていたし、形は違っても同じようなものかも。それが何年もすると、こうやってウツウツする原因になる。

でも、イイコなんだよね。何とか助けてあげたいと思ってしまう。そのうち何とかなるだろう。若いし・・・ がんばれ。

さて、ババアも働くか。

(ヨハネ 6. 22-59)


****

Fから電話。

みんな心配してくれて、無事に勤め先も決まり、何とかなりそうだから、と。よかった。自立支援センター・・・か。天職かも。がんばれ。

(ルカ 2. 14)

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ぐったりと鞭すえてゆく教会は告解のすすめにぞあふ雀かな

梅風のすぎてゆかんや山里は蕎麦打つ人と蕎麦待つ人ら

アヴェマリア歌詞まちがえて今さらに昔からだと思いおこしぬ

隣人の白きベールに救われし祈りの花は梅の色にぞ

ぐったりと鞭すえてゆく教会は告解のすすめにぞあふ雀かな

(ルカ23. 44-49)

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February 22, 2009

結構ヤバイかも・・

真実の鏡・・・

あの酩酊姿を世に晒す前に、バチカンへ行って、あれをやっていた、と。日本の大臣が・・・ しかも、政府専用機で。

ありえない。ことが現実にある。

でも、そういう人が国政を担っていることがわかってよかったかも。未曾有の危機なのではない。単なる人災のような気もしてきた。どんどんどんどん次から次へと膿が出始めて、大規模な改革が必要なくらい、おかしな世の中になってきたのかもしれない。ひとりだけが、そう、というわけではなく、おそらくは大なり小なりみんな、そう。

イスラエルのスイスチーズ状態。自爆テロを防ぐためにスイスチーズの壁をつくって、そしたら今度は地下にトンネル。どんどんどんどんロケットを飛ばして、眠れぬ夜は続く。が、しかし、毎日毎日ロケットが飛んできていたら、「あれをどうにかしてください」と、わたしでも警察や役所に行ってしまうだろう。そして、軍が動く。

Fさんは、クリスマスの前に関西へ行くと言い残し、それきり一本の電話がかかってきて以来行方不明。せめてロッカーの鍵を返してほしいのだけど、携帯も通じないし、ありえない。3月までにはスリランカへ行くと言っていたけど、コロンボ空港の近くで空爆があり、今頃どうしているのかと、少し気になった。でも、Fさんのことはすでにみんな忘れてしまっているようで、あの剣幕はなんだったのだろうと不思議に思う。

あんなにたくさんのタミル人がパリで暮らしている?

1万人のデモ。そして、コロンボの空爆という名の自爆テロ。ああやって、世界中の人たちにメッセを飛ばしている。

日本なんてどこにあるの?とか、知らない、って言われていた頃が懐かしい。

(コリント二 10. 17-18)

(エゼキエル 14. 9-23)

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February 21, 2009

次々

近頃、わたしはどうでもよくなっている。

何がどうでもいいのかわからないけれども、マザーテレサの祈りは、日本への原爆投下は神さまがお決めになったこととしか思えない。だから、そういうおそろしいめにわたしたちを二度とあわせないでください、と。

でも、もしもそうやってあらゆることを受け止めてしまったら、世の中のあらゆることがどうでもいいような気になってしまう。

神父さんたちは、よくプロテスタントの教会を引き合いに出すけれども、そのたびにわたしはくま先生の顔が浮かび、あの敬虔なクリスチャンのどこがそんなにいけないのかわからないと思ってしまう。ただでさせこの狭い日本の、しかも少数派であるクリスチャンたちが、どうして分断されないといけないのかわからないし、わたし的にはなんとなくどうでもいいような気がすることがある。

でも、クリスマスの件では、クリスマスを祝わないMさんは、カトリックでも12月25日はイエスの誕生日ではないとわかっているのにお祝いしてる、と断言していた。が、しかし・・・ わたし的にはどうでもいいような気がしてしまう。安息日が土曜日だろうが日曜日だろうが、わたし的にはどうでもいい。というわけで、Mさんは4月10日はお休みで、その代わり11日には働いてくれるみたい。仕事的にはそのほうが都合がいい。

で、今度は受洗するのにいのちの保証人が要る。

つくば教会で?

わたしにはこころあたりがないので、これも神父さんがどなたかを紹介してくださるのだろう。誰でもいい、ということであれば、Tさんのことを思い浮かべたが、よく考えたら、彼女のところは熱心すぎてとうとう改宗してご主人が神父さんになってしまったことを不意に思い出した。くま先生はプロテスタントだし、そういうシステムだということを最初から知っていたら、わたしはくま先生に相談して、もしかするとプロテスタント教会で洗礼を受けたかもしれない。

義姉たちのところは、I君が結局カトリックの学校に就職が決まったにもかかわらず(いや、そのせいかもしれないが)、すっかり無宗教を決め込んでいるらしい。「洗礼受けててもご主人が仏教だから仏教でやった」とお葬式の話をしていた。

そうやってね・・・次から次へと。

いいんだわ。もう決めたことだし・・・

なるようになる、しかない。

(コリント二 11. 1-15)

サタンにそそのかされてるのかな。

まあ、いいや。

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February 20, 2009

晩餐

主の晩餐。

御ミサは主の最後の晩餐に遡るらしい。

神父さんから、「ここに書いてある」と示されたのは最後の晩餐のところだった。その日にイエズスは弟子たちの足を洗い、ぶどう酒を飲み、そしてパンを裂いて与えた。

わたしが御ミサに参加したくないのは、パンをもらえないせいか?

そうかも・・・、とも言えるし、そうではないとも言える。だって、今までだって聖体拝領なしでも御ミサには出ていたし、そういうことを気にしたことはなかった。

神父さんが青年会のために作成した資料を渡された。御ミサについて書かれてある。立つところ、座るところ、ひざまずくところ。つくばの御ミサでひざまずいているのは、外国人の青年だけだった。賛美するところは立っているし、祈るところはひざまずいて祈る。そういうのは習慣なのだろうか。普通はごく自然にしているのに、つくばの教会では、司会者がいて、立ってください、とか座ってください、とかアナウンスが入る。なんか不自然。

で、聖体拝領のときには、もうすでにがやがやと帰る支度が始まる。「終わったー」という雰囲気が満ち溢れ、少なくてもお祈りしている人はいなかったように思う。

・・・・・・・・なんか、あたし何しに来たのかな?

と思ったとしても、それはわたしが悪いのだろうか?

和やかなんだけどね。何かどこかが違う。(ような気がするだけかな・・・)

そうだ・・・・・それで、土浦の教会へ行ったとき、なんとなく懐かしいような気がしたのかも。白人のおじいさんが一人でお祈りしていた。

教会って、やっぱ、お祈りするところなんじゃないの?

でも、他人が気になってお祈りできないというのは、シャイという次元を超えているような気もするのだけど、どうなんだろう。でも、そういう雰囲気なんだから仕方がない。そうやって感じるのはわたしだけではないと思うんだけど、どうなんだろう。

だいたい、教会って、静寂な水の中のようなもので、誰かいるな・・と思っても水の中で出遭ったみたいで、中ではおしゃべりすることもないし、ほかの人のお祈りの邪魔にならないように慎ましくしているほうが普通だ。でも、にぎやかなんだよね・・・あの教会は。別にそれがいやというわけではなく、ただ、何のために行かないといけないのかな・・・と思っただけ。それなら、知らない教会で言葉もわからないほうが癒される。

でも、その場にわたしもいたとしたら、わたしも同罪だ。

今日・・・ではなく、すでに昨日のことだけど、めずらしくあの大きな十字架のイエス様の前に座っていたら、一生懸命に何かを言おうとしているように思えたのだけど、こちらに向かって首を少し傾けながら・・・ でも、わたしも一生懸命に理解しようとするのだけれど、まるで言葉の通じない者同士の会話のように。

なんか、途中で、痛くないのかな・・ などと思ったりしたのだけど、ぜんぜん平気そうで、何か楽しそうに一生懸命に話そうとしていた、ような気がした。

最後の晩餐・・・

ぜんぜんイメージが違う。少し首を前に出しながら、まっすぐに話しかけてくるような・・・ そして、すごく雄弁。若くて一生懸命で、どこにでもいるような若者。

復活のときに、ずっとイエズスが一緒だったのに気がつかなかった、という話があった。わかるなぁ・・・ わたしもきっと気がつかなかったよ。たぶん。

(使徒 7. 50-56)

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February 17, 2009

怒るにも、弱体化した菊の花さがしたりともあらくさゆるる

少しずつ国なくなりつ春風は枯れたあらくさゆらしすぎゆく

くっきりと大きな夕陽沈みゆくビルの向こうに赤道ありか

古にわすれものしたまどろみは今日もあしたもゆうべとらせぬ

怒るにも、弱体化した菊の花さがしたりともあらくさゆるる

(エレミヤ28. 10-11)

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ローカルは黒字

なんだ、あの国会は・・・・

もうヤル気がないのかも。

世界中に報道されたらしい中川さんの酩酊姿に、うちのダンナが、「酒でも飲まないとやってられないんだろう」と言って笑っていた。そりゃそうだよね・・・信じられないような支持率の内閣で、やることなすことすべて裏目に出る。国民感情としても、なんかもうどうでもいいような気もするし・・・

アメリカはもしかするとすごく強いリーダーシップで危機を乗り切ろうとはりきっているのかもしれないし、日本はこうなるとみんな国をあてにしない。問屋さんや製薬会社を見ていても、吸収合併に慣れているせいか、結構、みんな仲がよい。

外資系の製薬会社の研究所が閉鎖された。職員は大した数でもなさそうなので、それぞれライバル会社だったところに再雇用されている。なんか、お互い様というか、そういう空気らしい。ジェネリック薬品に替えられてしまうので、メーカーはどこもマイナス成長。問屋もメーカーが合併してしまうので、今までだったら扱っていない商品を扱うようになり、以前だったらメーカーごとに取引のある問屋が一手に引き受けていたのに、今はあっちもこっちも合併するからそういう区分もなくなってしまった。どこの問屋に頼んでも大丈夫というか・・・ そうなると、価格競争になり、うまくない。しかも、ジェネリック・・・ 

本当に、競争しているような場合じゃないよね。

開業したばかりの頃、普通は問屋を決めてまとめて値引きしてもらったりするのに、どうしてうちはそれをしないんだと言われた。看護師にまで、わたしは働いたことがないから、とか、商売を知らない、とか、あれこれ言われていたらしい。病院だと事務長の権限で、医者が置いてほしいと言っても取引がないと薬を入れてくれないという話を聞いたことがある。が、しかし、わたしにはそんな権限はないと思う。

まあ、それよりも八方美人方式というか・・・ 営業さんが浮かない顔をして、今月は売上が少なくて・・とぼやいていたらそっちから買うようにしたり、患者さんが少なくて・・とぼやいていたら、逆に今はどこもそうですよ、と励ましてもらったり、営業さんと仲良くなると、そのうちお子さん連れて予防接種に来てくれたり、健診で来てくれるようになったり、のほほんと。

そういうのが楽しい・・・

大阪府も黒字になったというし、つくば市も黒字だったそう。そうやってこじんまりと難局を乗り越えていくしかないのかも。

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February 16, 2009

すこぶる勘違い

あー、よかった。というか、ほっとした。

大阪からダンナが戻ってきて、「あの坊さん、13年前と少しも変わらんから驚いた」と言う。

ん? あの坊さん・・・

---- お寺、変わったんじゃなかったの?

---- いや、同じ。

狐につままれるってこういうことかしらん?

何がなんだかさっぱりわからないけど、姑さんは、お寺が違うから義姉から場所をきいて、と言っていたはず。で、そのあとすぐに義姉から電話があり、場所をメモしたら同じ坊さんのお寺だった?

要するに、またおばあちゃんが勝手に言っていただけで、実のところ義姉が手配したのだろう。わかるなぁ・・・ また姑さんが引っ越すと言っているけど、「絶対それはやめて」と下の義姉が阻止しているというし、なんとかなだめながらうまいことやっているのかも。でないと、ふりまわされて、大変なことになる。

どこまでが事実で、どこまでも単なる意思なのかあるいは妄想なのかボケなのか、姑さんと話していたらわけがわからなくなる。ちょっと話していたらまともなんだけど、それを真に受けると嘘。本人は嘘を言っているつもりはないから、すっかり騙されてしまう。

・・・・・・まあ、いいや。いつものことだ。

***

でも、なんとなく今回のことがあって気がついた。Mさんの言うことは案外正しい。仏教からの改宗だから、こまめに御ミサに行くというのが変に感じられるだけなのかも。自分自身は、仏教徒であるという自覚はないけど、育った家庭の中に神棚やお仏壇があり、母が毎日していたから、そういうのが当たり前というか。

神父さんが、毎朝出勤前に15分、毎日教会でお祈りして行く信者さんの話をしていたけど、もしかすると彼もそういう家庭に育ったのかもしれない。あるいは、あるおばあさんはポケットの中にいつもロザリオを入れて、いつもポケットの中に手を入れてロザリオの祈りをしているらしい。

なんか、わかるなぁ・・・ 長年培われた習慣は、そう簡単には消えない。お経を唱えるように、ロザリオの祈りを念じながらロザリオをくるくるまわしているのだろう。

テレビで隠れキリシタングッズを紹介していた。刀の柄の部分がクロスになっていたり、仏像の背に十字架が彫ってあったり、掛け軸の裏にマリア様の絵が飾ってあったり、忍者屋敷さながらにからくりがある。

写教聖書がものすごく売れているらしいので、わたしも買ってみようかな・・・そのうち。それとも、編むか・・・コツコツ。

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February 14, 2009

憂鬱の原因

午前中、免許証の講習会があり、高齢者の飛び出し事故のフィルムなどをたっぷり見せられ、そのせいがあったかどうか久しぶりに叔母のところに電話する。高齢者のことは高齢者に聞け、というか、やっぱ、ああいうものらしい。

まず、突然何かをしようと思ったら頭の中がそのことだけになり、車が来ているかもしれないということなど忘れてしまう。こっちへ曲がろうと思ったら、ほかのことはわからずにそうやって行ってしまう。ある意味、子どもの飛び出しより怖い・・・

うちの姑さんも、子どもに迷惑をかけたくないと思ったら、頭の中がそれだけになり、ある意味、ほかのことはわからなくなってしまう。叔母に言わせると、毎日、どうやったら子どもたちに迷惑をかけないように生きられるかとか、お葬式のこととか、そういうことばかり考えているらしい。

それが普通みたいだし、やったことを説明してもらおうとしても覚えていないだろうし・・・ 物忘れが激しい。それでいて、まるでそういう自覚症状がないので、いつも大騒ぎになる。それでも自分の身の回りのことや日常生活にはあまり不自由しているとは思えないので、つい大人だと勘違いしてしまうけど、ある意味、周囲のことがまるで目に入らないので、子どもより怖いところが多い。

昔だったら、いい加減高齢だからうちでひきとって面倒を看るほうが普通なのかもしれない。が、しかし、気丈な人だから、子ども等には絶対に迷惑はかけたくないとばかりにがんばっている。ありがたいと言えばありがたいけど、そのかわり、誰の言うこともきかない。そして、言うことがころころ変わる。

***

なんかよくわからない。

叔母に言わせると、うちの母親みたいに寝たきりになって子どもに迷惑をかけて、・・・という風にはなりたくない、というか、想像するだけで不安になってしまうらしい。

が、しかし、なんかよく覚えていないんだよね。どんなことでも生活になってしまえば、そういうのも単なる日常というか、母の場合、ずっと病院にいたし、自分が大変だったという記憶はない。姑さんがこちらで入院していたときは、途中で看護師が緊急入院して右往左往していたから大変と言えば大変だったけど、そういうのは母の入院と娘の受験と開院の準備が重なって大変だったかどうか、という意味合いのもので、大変と言われれば大変だし、生活だと思えば大して記憶に残るような大変さもないし、なんかどうでもいいような・・・

それでいて、迷惑をかけたくない、と思われてしまうのかも。

要するに、社会的弱者になるのがいやなだけなのだと思う。65歳になって年金がもらえるようになったとき、自分が高齢者と呼ばれる立場になったと実感して、すごくショックだったと叔母は言う。わたし的には、もらえるようになったんだから、わーい、わーいと喜んだらいいのに、と思う。わたしだったらうれしいけど。

で、子どもに迷惑をかけたくないから、動けるうちに準備をしておかないと不安になる。みんな、そうなってから考えたらいいじゃない、というのに、本人が気がすまないのだから仕方がない。タクシーに一緒に乗っても、ドアが閉まる前から運転手にお金を渡す。先に渡しておかないと不安になるらしい。別に家族が一緒なんだから姑さんが払うこともないのに、先に渡しておかないと不安でたまらない、となったらてこでも動かない。

でも、そういうのはうちの姑さんに限ったことでもなさそうなので、ある程度年をとったら仕方がないのかも。

***

だんだん夢も希望もなくなるよね・・・

やっと仕事も軌道に乗って、わたしも少し自分のことができるかなぁ・・と思って喜んでいたら、その影では姑さんがそうやって死ぬ準備をしている、と。

そういうのがぐったりする原因なんだけど、年寄りに何か言っても無駄だし、・・・自分もそのうちそうなるのかも、と思ったら、ますますぐったり。

(コリント6. 1-11)

投稿者 Blue Wind : 02:42 AM | コメント (0) | トラックバック

February 12, 2009

拡散

結局、反面教師というか、姑さんのおかげで、どうしてわたしが教会へ行ったり、行事に参加したりするのがかったるいのかなんとなくわかった。

おじいさんの13回忌、いきなりお寺が違う。息子に何も相談しないで檀家寺を替えてしまうところが姑さんらしくもあり、そういえば何か言っていたことがあるなぁ・・と、今頃になって少し思い当たる節が。ダンナの従兄が亡くなり、あの後くらいかな・・ 母親のほうが長生きをして、結局、身寄りがなくなる。そんなことなら自分のことは生きているうちにさっさとやったほうがいい、とばかりに、無縁さんを供養してくれるお寺の話をしていたような・・・

分骨して、お墓を整理して、仏壇は要らないからあんたのところで引き取ってくれないかと言ってきたことがある。あとは姑さんが亡くなったら、毎年1万円ずつ支払えば、坊さんが骨を預かって供養をしてくれるらしい。今は独身の人やお子さんのいない人たちが多いから、そういう寺が流行っているという話は聞いたことがある。でも、あそこまで信仰心がないと、逆にあっぱれというか、なんというか・・・

***

神父さんは、インドネシアのことを考えるから、よくわかってないと思う。インドネシアだったら、外見で宗教が判断できる。だから、その人たちの行いも外見で判断できる。宗教によって習慣も違うし・・・ そりゃ、バリ島でも行けば、歩くところお供えだらけだし、石像に花が飾ってあったり、ものすごくわかりやすい。

でも、日本人はわからない。ロザリオやクロスだってファッションでつけているだけの人も多いし、結婚式は教会で、お葬式はお寺で、とかね・・・ 少なくても外見だけで、その人の宗教なんてわからないことが多い。まあ、宗教がないと言ってしまえばそれまでなんだろうけど。

で、日曜日に教会に行っていれば、クリスチャンなんだ。

あ、そう。

それって、法事だから日頃集まらない人たちが集まる、というのと似たようなものなのかも。

なんか、そういうのがいやなんだよね・・・ 要するに、形だけ整ってればいい、というのが。

神父さんのたとえ話によると、御ミサに行くのは、車検とか保険のようなものらしい。ちゃんと走るかどうか安全点検とか、死後の保障とか?

そこまで言われたら、わたし的には、「それは違うよ」と言葉に出てしまう。

「神父さん、それは違うよ。神さまはそんなにケチくさくないと思う。御ミサにでないから、救ってやらないとか、そんなにケチくさいことは言わないと思うよ」と。

じゃあ、なんで御ミサに行くのか?

結局、なんとなく思い当たったのは、見知らぬ土地で御ミサに出て、言葉もわからないけれどもなんとなく信者の連帯感のようなものを感じたことがある。つくばの教会も外国人が多いし、おそらくはそういうことなのかもしれないと、なんとなく思った。でも、わたし的にはつくばの教会はローカルだから、なんとなく見たことのある人や知り合いに遭遇したりすることもあるし、ある意味、ローカルな組織だから、・・・・檀家寺や教会の幼稚園を連想してしまう。まあ、似たようなものなのかもしれないけど。

夏の日に、わたしに話しかけてきたおばあさんも御ミサには家族と来ていた。で、そのおばあさんがわたしに一生懸命に言うのは、自分は信者じゃないけど、教会ならいい人たちがいるかもしれないから来ている、と。わたしは心の中で、「そんなこともないよ」とつぶやいていたが、あえて否定する気もないので、ペットボトルのアイスコーヒーをがぶ飲みしているおばあさんの一方的なおしゃべりを聞いていた。

信者じゃないと言いながら、毎週来ているのだろうか・・・ 偉いなー、ばあさん。あーいう人こそ救われてほしいよね。

いや、あのばあさんは救われるなぁ・・・ だって、信者じゃないと言いながら、ずっと救いを求めて通っているわけだ。

もー、暑い中、ずっと病気のことやら身の上話から炎天下で聞かされて、なんだったのかな・・・と思うけど、正直なんだよね。何が正直なのかわからないけど、あのおばあさんは正直。信者じゃないし、信仰心もないけど、救いを求めている。。

きっと救われるよ・・・

(ヘブライ13. 6-19)

投稿者 Blue Wind : 04:22 PM | コメント (0) | トラックバック

February 09, 2009

法事の季節

法事の電話がどんどん掛かってくる。おじいさんの13回忌とか、母の3回忌とか・・・ ひいては幼馴染が母のお墓参りをしたいというので、命日には一緒に行くという約束を去年からしていたし・・・

娘の卒業試験もあるので、おじいさんの13回忌は父さんだけに行ってもらって、母の3回忌は神父さんに相談しないと・・・ 日曜日の御ミサには出なければならないし・・・ とりあえず、友達と約束した日はお彼岸なので、こちらのほうは大丈夫だろう。

でもね、あっさり語ると、法事というのは仏事だから、わたしには関係ないような・・・ それでいて、親の法要には出ないとまずいとか? 形だけでも出て、というのが礼儀なのだろうか。そういうことをまじめに考えると、ぐったりするよね。

(使徒7.42-50)

投稿者 Blue Wind : 11:53 PM | コメント (0) | トラックバック

February 06, 2009

ミーティング

皆でレセプトを整理しながら、なんで教会へ行くのか考える・・・(考えていたのはわたしだけかもしれないけど)

---- Mさんは毎週教会へ行ってるの?

---- 週2回くらい・・・

---- えっ・・・ 

そこでホソピーが、「どこでやってるの?」と横槍を入れるので、わたしが突然、「なんで教会へ行っているの?」という質問はとんちんかんなやりとりが続く。「母が信者だったので」とか、「車で」とか・・・Mさんが答える。

そうじゃなくて、何のために教会の御ミサに行かなければならないの?

という意味だったのだけど、「仏教からの改宗だからですよ・・・」という答え。つまりは、仏教徒はそういうことはしないから不思議な気がするだけ、ということが言いたかったのかも。

いや・・・そうではなくて・・・(とまた、一人で考えていたら)

---- へプライ○○に書いてありますよ。

---- ??? 

一瞬何のことかわからない単語が出てきたので、とりあえずヘブライ信徒への手紙のことか?と訊くとそうだと言う。かなり具体的に言うので、家に帰って調べてみたけど、わたしの聖書にはそんな話は載っていなかった。もしかすると、使っている聖書が違う??(まさかね・・・)

---- でも、イエズスは祈るときには人に見えないように祈りなさいって言ってるよ?

Mさんは、「祈るときは・・・」などとしばらく考えていたけど、結論は自分が行きたいから行く、ということらしい。

---- 神父さんはなんて言ってるんですか?

この質問には、わたしが考える。とりあえず、洗礼を受けるのならカトリックは勉強会に参加しなければならないし、御ミサにも行かなければならない。

御ミサに行くのがいやだというわけでもないけど、ただ、なんで行かなければならないのかなぁ・・と。Mさんの場合は、「1000人くらい集まるんですよ」と嬉しそうに言っているので、たくさん集まるのが本当に嬉しいみたいで羨ましい。でも・・・カトリックは世界で一番信者数が多いから・・としか言えない。

ホソピーが、どんな人が来ているの?とか、婦人の友の会に参加していたときに知り合った信者さんの話や、ついでに、なんでわたしが洗礼を受けるのかとか、受けたら何が変わるのか?などと訊いてくる。

---- 何も変わらないよ。わたし的には・・・ ただ、なんとなくさっぱりしたかったというか・・・

くねくね話は曲がりくねりながら、イエスを信じる人たちが集まるのは意義があるのではないか、ということで決着したら、ダラダラ患者さんが入ってきたので、その話題は打ち切り。

でも、ホソピーのくだした結論は、わたしはずっと一人であの大量の仕事をこなしてきたので疲れているから、仕事を少しずつ若い人たちに教えてしばらくやりたいことをやっていたほうがいい、らしい。あの常識人がそうやって言うのだから、しばしわたしは自分のことを堂々と?仕事をさぼってやっていいみたい。

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February 04, 2009

時間が足りない・・・

あれも終わってない、これも終わってない、とばかりにぼやいていると、ホソピー(看護師)が来て、「やることがあるほうがいいよ」とぼやく。

あまりにも実感がこもっているので、わたしはウォークマンの話に逃げた。子どもが大きくなり、鬱のお母さんを抱えていると、ひしひしそれが日常的本音なのだということがわかる。わたしとて、似たような立場だから・・・

が、しかし、わたしは忙しい。それに、ウォークマンに別の曲を入れたかったし、時間があればCDを借りてきて吟味?したい。まだまだやりたいことがたくさんある。ババアになって動けなくなってからのことを今から心配していたって意味ないじゃない?

まじめに働いていた頃には、わたしは”奥さん”と呼ばれていた。今はさぼってばかりいるせいか、”ジム長”と呼ばれている。メモにそうやって書いてあるから、そんな感じなんだろうな。”奥さん”と呼ばれていた頃には、ほとんどホソピーとはくちもきかなかった。(きいてもらえなかったのか?)

でも、圧倒的に今のほうが忙しい気がする。夏休みの話をしたら、7月に休みにするなんてありえないと言われて、わたしだけ休暇をとることにした。事務の忙しい時期と看護師の忙しい時期は必ずしも一致しない。

でも、おもしろいんだろうな・・・あちらは公務員の奥さんだし、家にいてもすぐにやることがなくなる。ほかに何か趣味でもないかと思うんだけど、せいぜいPTAの仕事をするくらいで、あまりにも暇だから仕事をしたくなる。あまりにも常識的な人で真面目で、わたし的にはいつもホソピーの言うことは正しいと感じる。だから安心していられるというか・・・ 世の中そういう人がいないと困る。

息子さんがサッカーばかりしているとこぼしていたが、最近は何も言わなくなった。研究所も独立行政法人になり、かなり厳しい状況。公務員が必ずしも安定した生活とは限らない。そういうのをみているせいか、近頃は親のことを批判するようになってきているらしい。(でも、それはホソピーが悪いわけじゃないと思うんだけど)

不真面目なわたしは、仕事をさぼって受洗のための勉強会へ行く。ネットをやってパズルをやって短歌をやって夏休みにはどこかへ行ってしまう。でも、やることはやっているし、対応は早い。・・・・・・・・・で、うちの娘は真面目なんだよねぇ・・・・ しみじみ、どうしてわたしみたいな親からうちの娘みたいのが生まれるのか不思議らしい。

ちゃんと子育てしているもん・・・・(たぶん)

要するに、わたしはやりたいことがありすぎるの。

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February 03, 2009

楽観

娘は学校から帰ってくると、寝るまでずっと友達同士でスカイプをしている。娘がiPodを買ったのに触発されて、わたしもウォークマンを買った。夕食後、CDから好きな曲を入れようと思っても、ずっと娘にパソコンを占領されていて使えない。

まあ、寝静まってから遊べるのだからいいか・・・と思っても、もしかしてあたしは忙しい?

深く考えるのはやめた。

それにしても、お昼に急に呼び出されて、出勤した。当然、ウォークマンを聴きながら運転。(違法・・?)

ラジオとは違って、ランダムに聴いていると、あっという間に目的地に到着してしまう。信号を待ちながら、この曲は気分でないと、カチャカチャいじるのだけど、シートベルトが邪魔をする。なんか、イライラするなぁ・・・

しかも、カフェミュージックが多いせいか、これから出勤するというのにどうもテンポが合わない。もっとアップテンポじゃないと気分がへこむ。

***

日曜日、御ミサに出かけた。娘を誘ってみたが、友達と図書館に行く約束をしているから行けないと断られた。

日曜日の教会は、想像していたより混んでいて、家族連れも多かったけど、案外、一人で来ている人たちも多かった。でも、ほとんどがどこかでみたような顔だから、いつも似たようなメンバーが集まっているのかもしれない。アクティブに活動している人たちは2割くらいだと、いつだか神父さんがおっしゃっていたので、学校の活動に協力的な人もいれば苦手な人もいる、という感じに近いのかも。

でも、何のために御ミサに参加しなければならないのだろう?

一応、信者の義務と言われたので、受洗までは行かなければならないのかも。どうしても参加しなければならないのは、4回みたいだけど。でも、それしか行かない、というのではいかにも、という感じなので、できるだけ参加したほうがいいのかも。

自分のためか?

あっさり言うけど、自分のためなら家で寝ていたほうがましだ。

それなら何かボランティアをしたいとか?

ボランティアなら別に教会に行かなくても、どこでも募集している。信者にならないとダメという話は聞いたことがない。福祉でも、いのちの電話でも、やりたいという人はいくらでもいそうな気がする。

聖書にも書いてあるじゃない?

お祈りするなら誰もみていないところで、善いことをするなら誰にもわからないように、と。

あー、また屁理屈が始まった。

別に、教会や御ミサがいやだというわけではないし、行かなければならないとなればおそらくは行くだろう。でも、教会という意味では、この前、同窓会に行った時のほうがよっぽど教会だったような気がする。自然とそういう空気が流れるところがすごいのかもしれないけど・・・

(ガラテヤ、1、1-5)

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