あー、よかった。というか、ほっとした。
大阪からダンナが戻ってきて、「あの坊さん、13年前と少しも変わらんから驚いた」と言う。
ん? あの坊さん・・・
---- お寺、変わったんじゃなかったの?
---- いや、同じ。
狐につままれるってこういうことかしらん?
何がなんだかさっぱりわからないけど、姑さんは、お寺が違うから義姉から場所をきいて、と言っていたはず。で、そのあとすぐに義姉から電話があり、場所をメモしたら同じ坊さんのお寺だった?
要するに、またおばあちゃんが勝手に言っていただけで、実のところ義姉が手配したのだろう。わかるなぁ・・・ また姑さんが引っ越すと言っているけど、「絶対それはやめて」と下の義姉が阻止しているというし、なんとかなだめながらうまいことやっているのかも。でないと、ふりまわされて、大変なことになる。
どこまでが事実で、どこまでも単なる意思なのかあるいは妄想なのかボケなのか、姑さんと話していたらわけがわからなくなる。ちょっと話していたらまともなんだけど、それを真に受けると嘘。本人は嘘を言っているつもりはないから、すっかり騙されてしまう。
・・・・・・まあ、いいや。いつものことだ。
***
でも、なんとなく今回のことがあって気がついた。Mさんの言うことは案外正しい。仏教からの改宗だから、こまめに御ミサに行くというのが変に感じられるだけなのかも。自分自身は、仏教徒であるという自覚はないけど、育った家庭の中に神棚やお仏壇があり、母が毎日していたから、そういうのが当たり前というか。
神父さんが、毎朝出勤前に15分、毎日教会でお祈りして行く信者さんの話をしていたけど、もしかすると彼もそういう家庭に育ったのかもしれない。あるいは、あるおばあさんはポケットの中にいつもロザリオを入れて、いつもポケットの中に手を入れてロザリオの祈りをしているらしい。
なんか、わかるなぁ・・・ 長年培われた習慣は、そう簡単には消えない。お経を唱えるように、ロザリオの祈りを念じながらロザリオをくるくるまわしているのだろう。
テレビで隠れキリシタングッズを紹介していた。刀の柄の部分がクロスになっていたり、仏像の背に十字架が彫ってあったり、掛け軸の裏にマリア様の絵が飾ってあったり、忍者屋敷さながらにからくりがある。
写教聖書がものすごく売れているらしいので、わたしも買ってみようかな・・・そのうち。それとも、編むか・・・コツコツ。
投稿者 Blue Wind : February 16, 2009 02:23 AM | トラックバック