February 14, 2009

憂鬱の原因

午前中、免許証の講習会があり、高齢者の飛び出し事故のフィルムなどをたっぷり見せられ、そのせいがあったかどうか久しぶりに叔母のところに電話する。高齢者のことは高齢者に聞け、というか、やっぱ、ああいうものらしい。

まず、突然何かをしようと思ったら頭の中がそのことだけになり、車が来ているかもしれないということなど忘れてしまう。こっちへ曲がろうと思ったら、ほかのことはわからずにそうやって行ってしまう。ある意味、子どもの飛び出しより怖い・・・

うちの姑さんも、子どもに迷惑をかけたくないと思ったら、頭の中がそれだけになり、ある意味、ほかのことはわからなくなってしまう。叔母に言わせると、毎日、どうやったら子どもたちに迷惑をかけないように生きられるかとか、お葬式のこととか、そういうことばかり考えているらしい。

それが普通みたいだし、やったことを説明してもらおうとしても覚えていないだろうし・・・ 物忘れが激しい。それでいて、まるでそういう自覚症状がないので、いつも大騒ぎになる。それでも自分の身の回りのことや日常生活にはあまり不自由しているとは思えないので、つい大人だと勘違いしてしまうけど、ある意味、周囲のことがまるで目に入らないので、子どもより怖いところが多い。

昔だったら、いい加減高齢だからうちでひきとって面倒を看るほうが普通なのかもしれない。が、しかし、気丈な人だから、子ども等には絶対に迷惑はかけたくないとばかりにがんばっている。ありがたいと言えばありがたいけど、そのかわり、誰の言うこともきかない。そして、言うことがころころ変わる。

***

なんかよくわからない。

叔母に言わせると、うちの母親みたいに寝たきりになって子どもに迷惑をかけて、・・・という風にはなりたくない、というか、想像するだけで不安になってしまうらしい。

が、しかし、なんかよく覚えていないんだよね。どんなことでも生活になってしまえば、そういうのも単なる日常というか、母の場合、ずっと病院にいたし、自分が大変だったという記憶はない。姑さんがこちらで入院していたときは、途中で看護師が緊急入院して右往左往していたから大変と言えば大変だったけど、そういうのは母の入院と娘の受験と開院の準備が重なって大変だったかどうか、という意味合いのもので、大変と言われれば大変だし、生活だと思えば大して記憶に残るような大変さもないし、なんかどうでもいいような・・・

それでいて、迷惑をかけたくない、と思われてしまうのかも。

要するに、社会的弱者になるのがいやなだけなのだと思う。65歳になって年金がもらえるようになったとき、自分が高齢者と呼ばれる立場になったと実感して、すごくショックだったと叔母は言う。わたし的には、もらえるようになったんだから、わーい、わーいと喜んだらいいのに、と思う。わたしだったらうれしいけど。

で、子どもに迷惑をかけたくないから、動けるうちに準備をしておかないと不安になる。みんな、そうなってから考えたらいいじゃない、というのに、本人が気がすまないのだから仕方がない。タクシーに一緒に乗っても、ドアが閉まる前から運転手にお金を渡す。先に渡しておかないと不安になるらしい。別に家族が一緒なんだから姑さんが払うこともないのに、先に渡しておかないと不安でたまらない、となったらてこでも動かない。

でも、そういうのはうちの姑さんに限ったことでもなさそうなので、ある程度年をとったら仕方がないのかも。

***

だんだん夢も希望もなくなるよね・・・

やっと仕事も軌道に乗って、わたしも少し自分のことができるかなぁ・・と思って喜んでいたら、その影では姑さんがそうやって死ぬ準備をしている、と。

そういうのがぐったりする原因なんだけど、年寄りに何か言っても無駄だし、・・・自分もそのうちそうなるのかも、と思ったら、ますますぐったり。

(コリント6. 1-11)

投稿者 Blue Wind : February 14, 2009 02:42 AM | トラックバック
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