February 26, 2009

「ほらほらほら」

灰の水曜日。

本当におでこに灰を塗られた。英語なんだけどね・・・英語でいっぱい説教をされて帰ってきました。ただし、半分くらいしか理解していないような気がする。いや、何言われているか何となくわかるから・・・

偽善。今風に言うと、キャンペーン?

でも、それが罪なら赦してほしいけど、わたしは自分が間違ったことをしたとは思っていない。日本の社会ってそういうものだから。口先だけではダメなんだよね・・・ もう、すぐ行動。父さんに内緒でしたから、Fが心配している。で、その話を父さんに言ったら、父さんはおじいさんのことを思い出してウルウルしていた。で、そのことをホソピーには伏せて相談したら、今日はホソピーが若い人たちを連れてランチに繰り出した。

そうやって、うちの人たち、つまりうちの職場の人たちは互いに助け合っている。それが当たり前のような気がするし、当たり前でない時代のような気もするし、わたしがしたことはカタルシスでもあり、ノスタルジーでもあり、旧きよき時代の人たちは、そうやって生きてきた。

でもね・・・ 日本はほかの貧しい国にお金は出すけど、人は出さない、とかね。偽善とか欺瞞とか言われて久しいが、日本的ノスタルジーから言えば、困っている人たちを助けるのは悪いことではないし、そこの国が今度は豊かになったら、またほかの国を助ける、という連鎖はごく自然な発想だ。

***

英語ミサ。

いつもの3分の1くらいの人たち。国籍人種もまちまちで、御ミサの雰囲気もまるで違う。ポップな感じ。

最初、わたしの隣には、日本人の老夫婦が座っていたのだが、灰を塗られてもどると、遅れてきたポップな黒人の母子たちがわたしの席に座っており、わたしはたぶん台湾人ではないかと思うけど中国人ファミリーの隣に移動。ちょうど献金のとき、そのファミリーのお父さんが千円札を放り込んでいたので、わたしは、「ほらほらほら」と思った。

いつだったか、日本人は献金で1万円札とか千円札を入れるけどそんな必要はないと、神父さんに言われたことがあり、そんなことわたしに言われてもわたしは小銭を用意して行くから・・・ 

だから、「ほらほらほら。」

つまり、「ほらほらほら。」

そうやって悪く言われているけれども、日本人は、「ほらほらほら。」

この国の人たちは、誰かがひとり善いことをすると、それに連なる。そういう国民性なのだから仕方がない。善いことをするのも恥ずかしいのだ。だから、ひとりではしない。

***

以前だったら、夕飯時や日曜日に一人で外出したりすると、何となく不機嫌だったんだけど、このところ妙に協力的で逆に気持ちが悪い。職場でもみんな協力的にで、なんなんだ、という感じ。以前だったら、職場に聖書をおいただけで、看護師に、「こういうのはここには合わない」とか、「この辺の人たちは宗教を嫌がるから、患者さんが来なくなる」とまで言われたのに・・・

アクティフ・・・か。

よう、わからん。

(ヘブライ 1. 5-7)

投稿者 Blue Wind : February 26, 2009 12:39 AM | トラックバック
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