April 30, 2009

ありえない・・・

去年あたりからパンデミックがそろそろ出そうだという噂がもちきりで、看護師が防護用のマスクを頼んだら、すでに品切れ状態。普通の感染予防のためのマスクはたくさんあるが、わたしはまだ息が苦しくなるほどのマスクをしたことはない。

ちまたでは豚インフルエンザの話題がクローズアップされているが、それとは別にわたしの住んでいる地域ではまだインフルエンザが流行っている。ホソピーの息子さんのクラスでも10名くらいB型インフルエンザに罹っているし、このところ高熱の患者が多く、いまだに一日1人くらいはインフルエンザ。しかも、今日はA型が出た。

おかしい・・・

普通はこの時期にインフルエンザの患者がこんなにいることはない。普通はA型が流行り始め、次にB型。それが今期に限っては、最初からB型のインフルエンザが流行し、しかもタミフルが効かないという話も多かった。このため、例年の流行パターンとは違うために、そろそろパンデミックが出るのではないか、今年がそれにあたるのではないかという憶測は多く、ホソピーなどはマスク6箱を備蓄し、今度は米を備蓄して、すでにパンデミックに備えている。ワクチンも効かない、薬も効かない、となるとパンデミックに感染してしまったらなす術がない。ひたすらマスクとうがいと手洗いで感染を予防し、外へ出ないこと、しかないらしい。

わたしは、娘に、学校へ行くときにはマスクを着用するように言ったが、あっさり断られた。学校や職場や公共の乗り物は恐い。インフルエンザは症状が治まっても1週間は感染力があるため、元気になっても感染防止のために外出するべきではない。なのに、治ったと思って学校へ行かせているという話をよく聞く。ありえない・・・

ホソピーが怒っていたが、上のお子さんがインフルエンザに感染し、今日は妹がインフルエンザかも、と受付で堂々と話している母親がいて、ほかの患者さんがビビリまくり、すぐに奥の部屋に入ってもらった。ホソピーが怒っていたのは、月曜日にインフルエンザと診断されたお子さんを一緒に連れて来たことで、少なくても今週いっぱいは外出するべきではない。ウイルスをばら撒いているのと同じだから。にもかかわらず、父親が休みで遊びに出かけてしまったので、仕方なく一緒に連れて来たそう。ありえない・・・しかも、A型。

患者さんが、滝の上からみた中禅寺湖の写真をくれた。富弘美術館のことを教えてくれた人で、その話をしたら喜んで持ってきてくれた。最初、草木ダムかと思ったが、それよりも雄大。あのあたりがお気に入りなのだろうか。

その写真を見ているうちに、隔離されるならこんなところがいい、と思った。皆で写真を観ながら、「こういうところなら感染しないだろうね」と感慨にふける。わたし的には、隔離されるなら、という意味で言ったのだけど、深く考えるのはやめた。

***

わたしは、ひとりよがりだ。

聖体拝領のときに思った。

つまらないことなんだけど、わたしがグレーのベールを使っていたせいか、神父さんの顔が恐かった気がする。単に、代母がわたしの使っている白のベールを気に入っていたようなので取り寄せようと思ったら売り切れで、色違いのグレーと黒しかなかったため、それらを代母とわたしの分をまとめて購入。グレーと言っても刺繍柄は白で、透かしの部分が黒なだけだ。髪の毛の色と同化してしまえば白だと思ったのだが、グレーと言えばグレー。

つまりは、そういう気分だったから、それを使ったのかもしれないが、今は灰をかぶる時期ではない。

聖書はエレミヤに入った。

今の時代に、エレミヤがいたらなんと言うか?

やっぱ、悔い改めよ、かな・・・ でなければ、立ち戻れ、とか?

なんでそういうふうに思うのかはわからないけれども、突然やってきた世界規模の不況とインフルエンザを考えたら、昔のユダヤ人なら灰をかぶって断食するのかもしれない。わたし的には、気がついたら娘の塾が終わるまでの断食とか、呼び出されてお昼を食べ損なっての断食など、このところ偶発的断食には見舞われているが。(本当の断食でもないし、本当に灰を被っているわけではない・・・)

母親の幼児虐待のニュースは多いし、聖書の時代のありえないことがリアルで困る。

いつになったら新約聖書にたどりつくのだろう。聖書は分厚い。

(詩篇 147)

投稿者 Blue Wind : 02:10 AM | コメント (0) | トラックバック

April 27, 2009

ジェイラーズ

今日、御ミサに行ったら、この前のお婆さんが隣の椅子に座っていた。わたしはすぐに気がついたが、あちらはわたしのことは覚えていない様子。隣の席に座っているのがご家族かと思ったが、聖体拝領になると1人で順番かまわず列に並んでいたので、もしかすると信者さんなのかも。それとも何も気にしていないのかもしれないし、あの年頃になると世の中の秩序には無頓着なので、ある意味羨ましい。何となく姑さんを思い出す。

姑さんは今度は脳梗塞で入院している。連絡を受けたときは驚いたが、気がついたのが早かったので、ほとんど後遺症もないそう。神戸へ行くと義姉に伝えたら、病室から電話がかかってきて、事故に遭ったら大変だから(心配だから)来ないでほしいと言っている。ろれつが回らないはずが、いつもの調子で早口で一方的に話し続け、本当に脳梗塞なのか疑いたくなるが、今回はちゃんと診断がついているので本当なんだろうな。

退院後は介護マンションに引っ越す。念のため、今住んでいるところはしばらくそのままにして、90日間のクーリングオフが認められているので、様子をみると義姉が言っていた。自立型を申し込んだけど、場合によっては介護型への変更も可能なので、今の所よりはいいらしい。

ぐったり・・・・

「煉獄でいつまで待つやろな」と、まるで世間話をするようにこの前のお婆さんに言われて以来、わたしはすっかり凹んでいる。煉獄というのは今ではあまり言われなくなったらしいが、あの年頃の人たちにしてみたら、馴染み深い世界なのかも。つまり、天国と地獄の間。死んだら天国へ行くのではないかと思っていたのに、わたしは彼女によって煉獄が身近なものになってしまった。しかも、見える煉獄。

あっちもこっちも煉獄だらけだ。

地獄・・・・というほど悲惨な世界ではないが、病床で話し相手を得たとばかりに看護師をつかまえて、ひねもす話しまくっている姑の姿が目に浮かぶ。入院しているときが一番元気で、退院すると、また1人で死の恐怖に怯えて暮らさなければならない。

下の義姉は元気そうで、めずらしく早口で楽しそうに話している。退院したら、今度は上の義姉の家の近所に引っ越すので、今回のことで責任を果たしたとばかりに声が明るい。

***

午後、娘を連れて本屋へ行く。この前、アマゾンで受験関係の本やデッサンの本を注文し、その続きで、今度は参考書や参考になりそうな本を探しに出かけた。

小学校のときから、近頃では子どもに将来どんな職業に就きたいかを問う。中学校でもそうだったし、高校生になり、この前の二者面談でも先生に訊かれたそう。具体的に教師になりたいのなら、地方の国立大学へ行くべきだし、何のために美大へ行きたいのかを問われる。娘の場合は教師になりたいわけではないが、先生に訊かれると、そうやって答えることにしているらしい。

気持ち、わかる。

受験案内をペラペラめくりながら、進路を調べる。東京芸大は20%が就職し、ほとんどが進学等。筑芸は、半数が就職し、20%が進学。私大のほうが華やか、ではある。

今の娘のデッサンの先生は、東京芸大の院生らしい。彼に言わせると、就職はいくらでもあるのに、みんな絵ばかり描いているそう。なるほど。ちょっと見ただけでは、生徒なのか先生なのか区別がつきにくいクラスだが、昔は木曜日と土曜日だけだったのに、近頃では教室も増えて、毎日やっている、とねこ先生が言っていた。

わたし的には、”モモコ”が同じクラスなのが少し気になるが、モモコは絵は上手らしい。なのに毎年受からない。最初、彼を見たとき、彼が教師だったらほかのクラスに変えてもらおうと思って娘に尋ねたが、生徒だった。小柄な男性的な顔立ちに、毛先のカールした極端なロングヘアーを見たとき、昔のお笑いタレントに似ていたからわたしが勝手にそうやって呼んでいるだけだが、わたし的分類によると変人の類に入ってしまう。

世の中の分類は、学生、社会人、高齢者の3つしかないような気がする。そこから外れたら、どうやって分類すればよいのか迷う。

(ヘブライ 1. 5- 2. 18)

投稿者 Blue Wind : 03:11 AM | コメント (0) | トラックバック

April 22, 2009

煉獄でいつまで待つと夕まぐれ問われるほどに日が延びゆかば

蒲公英の咲かぬと想(も)えば蒲公英のくき短きは一頃の春

憤怒とは来ないだろうと赤い櫛引き出しの中残したるゴム

不幸とは不幸のうえにあぐらかき人騙す春、聖護りの下

マリア像たたずめばそこ開けたればなお激しきは余韻のごとく

憤怒とはいずこともなくやってきて雨風の音聞こえぬ小声

暗がりに家族待ちたる旅人は郷里の名さえ戻れぬことば

中指のバンドエイドのキティさえ気に留める者なく春の下

煉獄でいつまで待つと夕まぐれ問われるほどに日が延びゆかば

(ルカ 5. 27-32)

投稿者 Blue Wind : 11:39 PM | コメント (0) | トラックバック

仕事だから・・・

学会誌がない。気がつけば、全部捨てられている。

開業以来、ずっと置かれているため、先月あたり事務員が整理していたのは知っている。が、しかし、「先生、これ捨てていいですか?」と訊かれて、忙しいから、「いいよ」と答えていたら、最新号まで捨てられていた。ありえない・・・

---- だって、自分で捨てていいよ、って言ったんでしょ?

---- 忙しいから、事務に訊かれたら、面倒だからそうやって答えるんだよ。

(医者というのはそういうものだと言いたいらしい)

それってわたしの責任か?(そーかも・・・・)

---- だったら自分で事務に言えばいいじゃない。

---- 大学病院だったらいいんだよ、いくら捨てても。大学なら、わからなくても事務が全部読んで、いつ医者に言われても大丈夫なように覚えているから。「そういえば、胃潰瘍の特集があったけど、あれ何月号だったかな」と事務に訊けば、すぐにMR(製薬業者の営業)に言って持ってきてもらえるから。でも、うちじゃぜんぜんダメ。

捨てた人の顔を思い浮かべたが、何を訊いても無駄だろう。最新号まで捨ててしまうくらいだから。

---- じゃあ、とりあえず、捨てる時には表紙(目次)だけでもとっておいてもらう?

---- いや、自分で決めるから、全部とっておいて、捨ててもいいと言ったものだけ捨ててもらう。

当たり前だよね・・・いつからこんな常識的なやり取りをしなければならなくなったのだろう。自分で連絡帳に記入しているうちに、次第に恥ずかしくなってくる。「私物はロッカーへ入れてください」とか、「ワクチンは古いものから使用してください」とか、自分でもあまりにもくだらないことばかりなので嫌になってくる。これって書かれたほうも恥ずかしくはないのだろうか。

***

夕方、患者さんのお祖母さんから電話が掛かってくる。午前中受診したが、夕方熱発したので、何の薬を飲ませたらよいか、という問い合わせ。診察中だったので、事務が、「おりかえしこちらから連絡します」と答えている。及第。

その後、医師に伝える。・・・・・・・そこまでは何の問題もなかったが、突然、事務が電話をし始め、「熱さましの薬を飲ませて・・・」と言っている。

わたし、ひっくり返りましてね。患者さんが多くて医者も看護師も手一杯なら話もわかるが、患者さんは1人待っているだけだったし、看護師も1人は診察室の外でぼーっとしている。その状態なら医師から連絡するのが普通だろう。患者さんが何十人も待っていて、目いっぱいというのならわかるが、この時期、そういうことはない。

---- 事務がなんで連絡してるの?

---- えっ、でも先生に聞きました。

---- そうじゃなくて、患者さんは医者と話がしたいのよ。医者が忙しい時には、看護師に替わって、看護師に容態の変化などを訊いてもらってください。事務は医者でも看護師でもないんだから。

すると、ホソピーが、

---- ちゃんと先生に訊いてたよ、事務さん。

---- そういう問題じゃないでしょ。単なる問い合わせの電話とか、診療以外のことだったら事務が対応してもいいけど、今回のケースは診察に相当する内容で、事務が応答するなんてありえないです。

その後、院長が電話をしたが、その後、「僕は午前中ちゃんと説明した」と言って怒っている。

そーいう問題じゃねーだろ。とりあえず、容態が変わったという訴えがあったら、ちゃんと対応するべき。

---- あの親、ちょっと変。午前中熱があるし、ゼロゼロしているから薬を出して、その時に説明したのに、そのまま保育園に行かせたと言っている。普通は休ませるだろう。

---- Sさんでしょ?(わたしはその時いなかったが)、Sさんのところはいつもお祖母ちゃんが連れて来ているけど。

---- えっ。お祖母さんなの? 母親だと思っていた。ちょっと年いってるな、とは思っていたけど。

---- お母さんは若いよ。お仕事しているから一度しか来たことはないけど・・・(わたしのいる時には)

どーなってるんだよーーーーー!!

たしかに、「事務は医者でも看護師でもないんだから」という表現はきついが、それって常識じゃないか?

ありえない・・・・

以前はそんなこともなかったのに、このところ患者さんがきつい。クレームもある。この数ヶ月の間に何が起こったのだろう?

仕事をさぼっていたわたしが悪いのだろうか。

Mさんに、

---- バプテスマ、受けたんですか?

と突然訊かれた。

今さら何を言っているのだろう。「もちろん」と答えると、「あんなに忙しかったのに?」と言われたが、要するに、勉強会へ行かなくてもいいのですか、とか、そういうことを知りたかっただけかも。おかげさまで、今のところ洗礼も受けたので、十分にお仕事している暇はあります。あなたたちに任せられない・・・

(ルカ 22. 1-6)

投稿者 Blue Wind : 06:49 PM | コメント (0) | トラックバック

April 20, 2009

つながり

生理的嫌悪感というのは、どうにもなりにくい感情の一つかも。

受付の引き出しの中の封筒を整理しているとき、髪の毛を結ぶゴムを見つけた。何となく気持ち悪かったので封筒をどかしたら赤い櫛が入っていた。

うわっ、なんだこれ、・・・・・・・・・・という感じで一瞬捨てようかと思ったが、持ち主が思い当たったので、ロッカーに入れるようにメモ書きを残し、櫛とゴムと飴袋を取り出して休憩室のほうに運んだ。洗面台や休憩室に置かれていたなら気にならなかったかもしれないが、よりによって机の中。忘れて行った電子手帳を見たときは、単なる忘れ物だと思っただけだが、よりによって衛生観念がなさすぎる。

休憩室の封筒などが入っている積み上げた箱の上に、青いトイレットペーパーが載っていた。いやな予感がしてトイレを見たら、白とピンクのロールが二つ並んで付いている。わりにお洒落なつくりのトイレなのでおかしくはないのだが、医療機関なので普通にしてほしい。しかも、この前、中国に駐在していた友達にピンクのトイレットペーパーは何を使って着色しているかわからないので使わないほうがよいと言われたばかり。古紙を漂白してなおかつ染色しているティッシュって何を使っているかわからないので、たしかにそうやって言われると薄気味悪い。

一応は日本製なので、人体に有害ということはないかもしれないが、一度気持ち悪いと思ったら我慢できない。

戸棚を整理していたら、在庫がたくさんあるにもかかわらず、新しいものが置いてあったり、A5の発注を間違えてB5にしてしまったらしく、使いもしないコピー用紙や余分なA4用紙が机の下に積まれていたり、一体誰の許可を得て事務員が勝手に発注しているのだろうか?

しかも、診療時間内にはシュレッダーは禁止と言っているにもかかわらず、いまだに続いているという。その手のクレームは最終的にわたしに回ってくる。

・・・・・・・こうやって書くとまるでわたしが神経質のように思われがちだが、わたしは逆に無頓着である。でも、期限切れのワクチンを発見したり、勝手な発注を発見したり、細かいようだが、そういう管理をきちんとできない人間に仕事を任せられない。

しかも、「まるで施しですね」だって。

施しだもの。そのどこが悪いのかわからん。文句があるならさっさと出て行ってほしい。だけど、夫婦して無職になったら気の毒だと思って我慢しているだけだ。

看護師からもクレームが出る。ボランティアやチャリティではないのだから、甘すぎる、という。看護師の領分にまで手を伸ばすため、かなり迷惑している様子。注意するのだけど、まるで直らない。

どうしよう・・・

仕方がないので、日曜日に出勤し、付箋にメモ書きして貼っておく。それくらいやらないとわからないのかも。そして、念のため自宅にストックしてあったトイレットペーパーを運び、入れ替えた。でも、ピンクや青をそのまま自宅へ持ち帰る気にはならない。そういうのを勝手に教会に持ち込んでもよいのだろうか。

あまりにもうしろめたいので、車の中に残したまま教会へ入る。

すると、以前2度ほど見かけたお婆さんが1人で座っていた。うちの姑さんのように、少し話すとそのまま止まらずに話し続ける。受洗を決めた夏の日もそうだった。

いい加減に夕方なので帰ろうと思ったのに、なかなか解放してくれない。話題を変えるために、指の絆創膏のことを訊いたら、実は教会のトイレに置いてあったキティのバンドエイドを3枚もらって使っているとのこと。先週の分を含めると、5枚も盗んでしまった、と言う。

あまりにも大げさだと思ったが、こちらも似たようなものなので可笑しくなり、わたしもわけがあって自分では使いたくないトイレットペーパーを持ってきているのだが、何となく気が引けて置けないと話した。そこで意気投合し、「お婆さんのバンドエイドの分、わたしのトイレットペーパーで一緒に返しに行ってくれますか?」と言ったら、ものすごく喜んで、わたしと一緒に障害者用の広いトイレに行ってくれた。

神さまは憐れみ深い。

このところ仕事のことで他人のあら捜しをしているのではないかと思うくらい、神経が逆撫でされることが多い。結局、御ミサもさぼり、うしろめたいので夕方教会へ行く。例のごとく、「わたしの罪をおゆるしください」だ。あのお婆さんはお婆さんで、たかだかバンドエイドのことで盗んだと言って、すごく気に病んでいる。しかも、自分は口うるさくて、ことばの罪が治らないので、弟の嫁からも嫌われている、とか、ずっと言っている。

心の中で、ゆるしの秘蹟でも受けたらいいのに、と思ったけど、そういえば彼女はよく、「わたしは信者じゃないけれど」と言っていたのを思い出した。なのに、ずっと教会には通っている。話していたら、どう考えても信者さんなんだけどね。

それでずっとああやって家族の迎えを待ちながら、1人で御聖堂でお祈りをしている。

一緒にトイレットペーパーを置きに行ったら、ものすごく明るい笑顔で笑うので驚いた。つまらないことなんだけど、その笑顔のおかげで、何となくわたしも救われた気がした。

神さまは憐れみ深い。

(ヨハネ 19. 31-42、 コリント一 15. 1-20)

死者が復活することと、今日の出来事にどういう関係があるのだろう・・・

今日はわからん。

やっぱり罪は贖われないとダメなのかも。こんなささいなことでも?

お婆さんの場合、リアルで・・・・ 死の床で、キティのバンドエイドの話をしても、誰もわからないだろう。なのに本人にとっては、ものすごく気になっていた。気持ち、わかる。

投稿者 Blue Wind : 01:44 AM | コメント (0) | トラックバック

April 16, 2009

21世紀っぽい

なんか、すごいことになっているな・・・

今日、1人で仕事をしていたら久しぶりにリクルートさんが挨拶に来た。担当が替わったらしい。

リクルートさんと話していると面白いんだよね。求人情報誌の出具合などによって、その土地の景気がわかる。今は不景気だから掲載は少ないかわりに、冊子はものすごく出ているそう。ちなみに北関東の求人倍率は0.59にまで落ち込み、ハローワークが対応しきれないで困っているというお話。それがどういう数字なのか、就活をしたことのないわたしにはピンと来ないが、1社あたりの求人数の割合、つまり、1社あたり0.59人しか募集がないという意味。

---- それってリストラしたい、という意味かな・・・

---- いや、募集しているところがほとんどない、というか・・・1社の応募に2人の割合だから、かなり厳しいです。求職者の半分は仕事がみつからないし、4月に入ってからはもっと厳しいみたいです。特に、北関東は工場が多いので、リストラや閉鎖もあって、12月くらいから失業者が増えて。

Mさんが、9月までは難しいと言っていた意味を知る。2月、3月は、ものすごく雇入時健診が多かったのに4月に入って以来、数が減っている。毎年そういう傾向はあるものの、今年は特に波がある。

医療機関にいるとわからない。看護師や介護師は常に不足しているところが多いし、いくらでも仕事はあるだろう。ところが事務職はどこも求人倍率が低く、仕事がないという。

それとは全然関係ないとは思うけど、教会の婦人部の仕事は高齢者が多い。高齢者といってもまだまだ元気だし、年寄りっぽくはない。わたしも手伝おうと思ったら代母に、「まだまだ高校生のお子さんがいたら忙しいでしょ。いいの、いいの」と言われた。たしかにあれだけ人数がいたら、後片付けでもすぐに終わってしまうだろう。みんな、ベテランだし・・・ ホソピーがうきうき仕事をしている意味がわかるね、やることがあるほうがいい、というのが口癖みたいになっているし・・・ 

まあ、たしかに家事やって(やってないか・・)、仕事やって(さぼっているし・・)、娘の送迎があって、日曜日は御ミサで、聖書の勉強会もそのうち新期で始まるみたいだし、全部まじめにやろうと思ったら時間がいくらあっても足りないかも。でも、ネットやっているヒマがあるくらいだから、今の時期はそんなには忙しくはない。

が、しかし・・・・ ぼーっとしていたら、姑さんから電話。引越しすると騒いでいるようだ。やることがないから、引越しして住所変更の手続きをして、といきなりまくしたてている。そんなことをしたら、また義姉たちが忙しくなるのがわかっているのに、わざとだろう。彼女は台風だ。

今の若い人たち、「青田刈り」という言葉を知っているだろうか。わたしの学生時代は、青田刈りが普通だった。

(詩篇 74. 21)

投稿者 Blue Wind : 02:30 AM | コメント (0) | トラックバック

April 13, 2009

おともだち〜

面白いんだよね・・・

復活祭のとき、一緒に受洗した学生さんの友人が来ていて、神父さんに質問していた。彼は柏のプロテスタント教会で洗礼を受けていて、洗礼を受けているので聖体拝領のときにパンを食べてもよいかどうか、について。

わたしは神父さまがどのようにお答えになるか興味シンシンで聞いていた。(こらっ)

必死でふきだしそうになるのを我慢しながら・・・ 誰もいなかったら、笑い転げていただろう。

今回、カトリックの洗礼を受けた学生さんも、彼のプロテスタントの友人も、とても純朴で、おそらくは同じ神さまを信じていて意気投合し、友人としてお祝いに式に出席してくれたのだろう。彼等にとって、カトリックもプロテスタントもキリスト教に違いはなく、おともだち〜〜、という感覚はすごくよくわかる。わたしもそういうノリで今日まで過ごしてきたので、勉強会でもカトリックとプロテスタントの違いはしばしトピックになった。

でもね、わたしのときにはそこのところをしつこくトピックにされたのだが、一緒に受洗した学生さんは何も知らない。

なんでだ?

代母はプロテスタントの学校を出ているので、たまに違いを口にする。聖書の勉強会でも、プロテスタントは新約聖書だけだったけど、カトリックは旧約からずっと読んでいくから面白い、とか。ほおお・・・ もしかするととても重要なことなのかもしれないけど、そういうことは彼等の友情にとってはあまり意味がない。

神父さんは流暢だがしどろもどろに、カトリックとプロテスタントの違いを並べていた。プロテスタントではカリスは使わないでしょう、とか、私たちはマリアさまを尊敬しているし、信仰しているわけではないけれども、尊敬しているし、とか、思いつくわかりやすい違いを並べている。(聖体拝領で、ウェハスをワインに浸して食べるのは徹夜祭だけになったのだろうか・・)

(*プロテスタント教会だったら、誰でもパンを食べていいの?)


それにしても、わたしの代母は偉大だ。わたしは代父のYさんは、てっきりつくば教会が出来たときからの信者さんだと思っていたが、実は受洗したのは5年前で、結婚してから40年かかっているという・・・ お子さんたちは受洗しているけど地元の教会には来ない。海外へ行くと教会へ行っているらしい。

わかるんだよね・・・ わたしは娘も受洗させたいのだけど、父さんがね。

わたしが受洗して帰ってきた夜、娘は困って、「私を巻き込まないで」と言って早々に自室に入ってしまったが、夜中に突然起きてきて、何もしていないのにiPodの音量が大きくなっていったので恐くなって降りてきた。あと2秒で2時になるというとき、鳩時計が鳴るのと同時に音が急に大きくなっていったらしい。

娘の心に何もなければ、そういうことは単にどこか故障したのかもしれない、とか、そういうことで終わってしまうのだろうけど、娘にとっては恐怖を覚えるくらい不思議な出来事だった。降りてきたとたん、「お母さん、今日は特別な夜なのかな」と言っている。

要するに、彼女はそういうことを考えていたのだろう。で、彼女が何かを考えたとたん、iPodがおかしくなった。

ほら、みい。

人生は、そういうささやかな偶然に左右されるのである。彼女は高校生になってしまったので、洗礼を受けるなら自分で勉強会へ行かなければならない。これから受験を控えてスケジュールもいっぱい。だからといって、神さまから離れて行こうとしても、たぶんあの子も呼び戻されるだろう。(*もしかして、プロテスタント教会だったら、すぐに受洗できるのだろうか・・・)


代母は、無理はいけない、と言う。だから、わたしにも、何もしなくても、家で聖書を読んでいるだけでもいいのよ、と言う。そういうことが大事。(かも)

やっと、イザヤ書。まだ、先は長い。

(エレミヤ 40. 1-6)

投稿者 Blue Wind : 03:19 PM | コメント (0) | トラックバック

April 12, 2009

ご復活おめでとうございます

今日はイースター。

洗礼を受けました。

神父さん、わたしの洗礼名を間違えました。でも、運命だと思って、そのままにしようと思っています。アナスタジアだけだったらよかったのかも。ほかの人たちの洗礼名はとてもシンプルだった。テオドリン・アナスタシアの予定が、アナスタジア・テオドリーヌになってしまった。深く考えるのはやめよう。先週の日曜日は娘の入学式があって行かなかったし、2日も旅行へ行って留守にしていたし、この時期の2週間はとても長かったのかも。

わたしの代母は明るい人で、偶然にも神戸の出身。ちょっと頼りない。二人でいると勝手に盛り上がってしまい、ふざけているわけではないのだけど、楽しいから仕方がない。洗礼を受けたのはわたしなのに、一緒にいると、なぜか代母がおめでとうと言われていた・・・(汗

御ミサもいつもと違って、日本語と英語と両方で行われ、若い人たちも多く、雰囲気が違う。過越の祭から始まって復活を祝う。クリスマスよりもこちらのほうが大事という意味が何となくわかった。

(詩篇 119. 129-136)

投稿者 Blue Wind : 01:45 AM | コメント (0) | トラックバック

April 10, 2009

青闇に満月をみし今宵には桜ひっそりぱらりぱらりと

十字架に笑みいだきたるこの人を不思議みつめり百合のかほりは

聖霊はいるのかなあと壁ひとつむこうのみちにバイクが走る

神さまとくるまの音を聞いている。今はどうして今なのだろう。

わたしには、ニヒルな笑みにみえるのです。草踏めば草痛がるだろか。

青闇に満月をみし今宵には桜ひっそりぱらりぱらりと

(ルカ 14. 15-24)

投稿者 Blue Wind : 02:44 AM | コメント (0) | トラックバック

騒音

久しぶりに教会へ行った。

何のために?

こころの平安を求めて。

夏に受洗することに決めて以来、わさわさわさわさいろんなことが起こる。もちろん因果関係はないと思うけど、看護師のOさんが急に病院に戻ることになって以来、職員のことでは落ち着くまでが大変だった。数も増えたし、増えた分だけ心労も募る。次から次へと・・・ 不景気だから仕方がないのかも。

娘が春休みになり、デッサンのほうの送迎、旅行、先週の日曜日に進級式(入学式)を迎え、何となくホッとする。幸い、仕事も軌道に乗って順調だし、娘も毎日楽しいみたいで、わたしも気が緩んだのだろうか。太った。なのに、皆から痩せたでしょと言われる。なんでだ? 顔だけ痩せたのかな・・・ わからん。

礼服の類がほとんど全滅。入学式は終わってしまったが、今後のことがあるので、久しぶりにデパートへ出かけた。すると、ありえないと思うのだけど、半額以下でセールをしているショップがほとんど。わたしがそちらから選んでいると、職員が涙ぐんでいるんだよね・・・ 暑いのにエアコンもなく、暖房が入っているわけでもない。普通はありえない。そこまで不景気なのだろうか。何となくもうしわけなくなり、スカーフだけは定価で買った。(どーでもいいか・・)


心の中では思うわけ・・・ 皆、大変そうなのに、こんな贅沢してもいいのかな、と。昔だったらまるで気にしたこともないのだが、このところFさんやMさんのことがあり、いささか良心の呵責が。それでいて、せっかくの入学式のシーズンなのに、あてが外れて、ショップはこの価格でも売れないのか、とばかりに店員が・・・

・・・・・・そういうことばかりで、疲れる。

この程度のことでバテていたら、とてもじゃないけど教会のアクティフなんて、わたしにはむりむり。

そこで、正直に神さまに相談しに行こうと思った。わたしには十字架なんて背負って歩けませんし、アクティフなんて本当はやりたくないんです、と。

教会へ行く途中で急にお腹が痛くなった。聖週間のせいか人も多く、少しお祈りしたら楽になったのでそのまま帰ろうと思ったけど、何となくすっきりしないので、誰もいなくなってからまた聖堂に入った。

が、しかし、誰もいないけど、平日のお昼のせいか、教会の床が揺れるほど隣の道路にひっきりなしに通る車やバイクの音がうるさい。あの教会で何かがうるさいと思ったのは初めてかも。四月はあわただしいのだろうか。

教会の中はとても静かなんだけど、騒音が激しい。それがずっと続いて落ち着かない。日常的今世紀的騒音の中で教会のランプは灯り、つまりは聖霊はそこに。なんかミスマッチだと思いながら、落ち着かない。

そこで、聖書を開いたら、ちょうどペトロが3度イエズスを知らないと言った箇所。今日は木曜日なので、ちょうど今夜がゲッセマネの夜なのだと思いながら、読んだ。

繰り返し読んでいるうちに、ふと我に返ると、車の音が聴こえた。

つまり、その箇所に惹かれて、ずっと読んでいる間、わたしは何も聴こえなかった。

カサブランカの香がするので、花を探したら、いつもは片隅にあるだけのマリア像が百合の花で飾られていた。

そのときに思ったわけ・・・ ペトロの裏切りもイエスさまはご存知だった。とすれば、わたしの泣き言も想定内のたわごとにすぎない、と。だとしたら、どうでもいいような気がしてきて、その後出勤する予定だったけど、家に帰ってきてしまった。

貧しい人は幸い。

でも、心の貧しい人、が幸い。

では、心の貧しい人とは?

日本語だと、心は豊かなほうがいい。なのに、心の貧しい人とは?

要するに、あれこれ欲張らない人のことを心が貧しい人と呼ぶらしい。仙人みたいな人のことでしょうか。それなら意味が通じる。神の国は仙人のものか?

このところ、すごく勤労意欲はあった。少しでも働かないと・・・ というか、お金の苦労の話ばかりなので、誰もいない職場で事務仕事をしながら仕事の電話を受けたりすると、何となく自分が頑張っているような気がして・・・

でも、よくないね。

頑張るのはやめよう。車の騒音ばかり聴こえて、お祈りに集中できなくなる。

今日は、やけに月が美しかった。

(コリント一 5. 1-13)

投稿者 Blue Wind : 01:02 AM | コメント (0) | トラックバック

April 05, 2009

失業の話ばかり・・・

ハローワークは職を求める人たちでごったがえしていたらしい。

Mさんのご主人が突然職を失い、大変なことになっていると朝からダンナから連絡が入る。前日、午後から急用ができたということでMさんが休んだことは知っていたが、健診も済ませて書類も提出しているし、一体何が起こったのかと思ってしまう。

Mさんのご主人はフィリピン人で、公立小学校の英語の先生。学校へは会社から派遣されるが、身分的には契約社員になるのだろうか。契約切れによる突然の解雇。

Mさんの話によると、今の会社は外国人ばかりが登録されているため、社会保険がなく、1年以上継続して勤める場合にかぎり社保がつくという話なので、以前からそのことで会社と揉めていたらしい。会社としては、1人につけると、ほかの職員にもつけなければならなくなるため、それが原因で解雇になったのではないか。雇用保険にも加入していなかったというし、そうなると一日も早く職をみつけなければならない。幸い、いくつか面接が決まったので、Mさんが出勤してきたときには、かなり楽観的な状況だったが、それこそカナダか韓国へ移住しようとまで話していたそう。

最初、Mさんは、ご主人が外国人だからそういう不当な扱いを受けたのではないかと思い、ハローワークや労働基準局へ相談に行ったらしいが、法的には契約が切れていたため、特に違法性はないと説明されたらしい。要するに、今、日本には同じような立場の失業者がたくさんいて、ハローワーク自体も連日ごったがえしている。それで、結構、慰められたと話していた。

上野公園で炊き出しを待っている人たちも、結構、身奇麗で、いわゆる昔のホームレスとは雰囲気が違う。それこそ失業しているだけなのだろう。今は炊き出しマップまであり、一緒に予定表とカンパンやお菓子や替えの下着までおみやげにもらえるという話をしたら、Mさんは驚いていた。それだけ失業者がめずらしい存在ではなくなったのかもしれない。

というわけで、Mさんがご主人の仕事がみつかるまで、しばらくフルタイムで働きたいというので、しばしわたしはまた暇になる。でも、お子さんが公立の幼稚園に入園するので、ご主人の仕事がみつかったらどうなるのかと、ホソピーはそちらのほうを心配していた。

そうなんだよね・・・大抵の場合、不幸は長く続かない。

あっちもこっちも経営が悪化して、大学病院の給食センターの職員の健診でも『入札』が近いからといきなり入り、国公立ほど入札があるから、契約が更新されなければ皆して失業してしまう。ホソピーもYさんも、以前は大学病院に勤めていたことがあるが、戻る意志はないらしい。そんなにきついのだろうか。

でも、開院前にはまったく予想していなかったけど、こういう時代だから採用時の個人健診がやたらと増え、すでに病院では受けきれないためにどんどん仕事が回ってくる。そういう意味では、うちの職員、のんきだよね・・・

が、しかし、テポドンどころの騒ぎじゃないね。わたし個人としてはソマリア派遣には反対の署名をしてきたけど、テポドンの迎撃に関しては、うっとおしいからさっさと片付けてほしい。迎撃したら今度はノドンを落とす? 間違えて海に落として、魚がまた値上がりしたらどうするんだろう・・・(ちょっと違うか)

経済制裁に対するあてつけなのかもしれないけど、そんなものを造っている余裕があるなら、ほかにすることがあるのでは。日本だってあまりの不況に国立大学の数を減らして、どうも防衛大学校の数が増えているような気がするのだけど、気のせいだろうか。防衛大ならお給料を貰いながら学生できるし、娘の学校の場合、先生も推奨している。今回は政府も本気で迎撃するつもりみたいだし、今までの日本とはちょっと違う。

要するに、失業者の数があまりにも多くて、海上保安庁や自衛省に入職したい若者も増えているという。民間も公務員もリストラの話ばかりだし、大学の学費も高いし、わたしの学生時代とはまるで違う。

(列王記下 18. 14-16)

投稿者 Blue Wind : 02:30 AM | コメント (0) | トラックバック

April 02, 2009

富弘の、時はまあるく止まりつつ進みつつ日の暮れる美術館

湖は、青緑色。雨の中、深緑色。夜は、見えない。

円い部屋、出るも入るも迷子道。時計のようにただ進むだけ。

指先は文字なぞれども凹凸の文字失いつ異物並びぬ

蟻の目で花みあげれば空のいろ群青の葉のゆられるままに

富弘の、時はまあるく止まりつつ進みつつ日の暮れる美術館

(コリント一 6.. 12-20)

投稿者 Blue Wind : 11:49 PM | コメント (0) | トラックバック

富弘美術館

群馬県の富弘美術館 へ行って来た。患者さんが、以前、彼の詩を読んでいるうちに涙が出るほど感動したと言っていたので、機会があれば行ってみたいとずっと前から思っていた。

星野富弘さんは、中学校の先生をしていたが、体育の授業中に首の骨を折り、その後ずっと肢体不自由な生活を過ごしている。恐ろしいほど昔、テレビで口を使いながら絵を描く画家の番組を観たことがあり、最初、患者さんから聞いたときにはわからなかったけれども、美術館へ行き、その番組のことを何となく思い出した。

当時は、すごいなーと思うだけだった。手を使ったってあんなに上手には描けない。それで、わたしは左手で文字を書く練習をしてみたが、不器用な文字で、たまに退屈な授業の時間つぶしに役立つだけだった。

でも、昨日、美術館に足を運び、実際にその詩画の一つ一つを観ているうちに、彼は絵を描くことにより、神さまとお話しているのだと思った。寝たきりで動けない彼にとって、植物は与えられた場所で生きる友であり、花や草とお話しながら、お話したことを描いている。「感じたこと」ではない。お話しているのだ。

一巡してショップで葉書を見ていたら、女の子が、「お母さん、『ぺんぺん草』、、『ぺんぺん草』、あった。『ぶた』はどこ?」と大きな声で飛び込んで来た。そうだよね・・・わたしもそう思った。「『ぶた』はあっち」と教えてあげた。その日観た中で、一番印象に残っている作品を問われたら、わたしも『ぺんぺん草』と『ぶた』。子どもは素直で正直だ。

おみやげ用にカードを5枚買った。でも、『ぺんぺん草』は、いまだに選んでもらえない。6枚買って、最後に自分用にしたらよかったかな・・・ 次に行くときまでの宿題。

(ローマ 15. 7-13)

投稿者 Blue Wind : 11:21 PM | コメント (0) | トラックバック

April 01, 2009

読書の春

日曜日、教会で入信の秘蹟。その後、母の三回忌なので皆で墓参り。弟が気を使って、今回は墓参だけということになったみたい。それが本当に母のためになっているのかどうかはわからないけど・・・

月曜日で、娘のデッサンの春期講習が終了。残りの春休みで少し美術館を回る。今日は東京芸大へ行ってみたいというので、上野へ行ったが西洋美術館でルーブル展をやっており、隣の恐竜展とあわせると、誰かがディズニーランドみたいと言っていたが、想像以上に混雑していた。桜も咲き始めたので、そのせいもあるのだろうか。

ちょうど公園での炊き出しがあるみたいで、3列に座って食事を待っている人たちがいた。昔のホームレスの人たちとはずいぶん違う。こざっぱりとしていて、地下鉄の構内で寝ている人もいなかったし、公園のゴミ箱を漁っている人もいない。運動会のときの保護者の参加レースのような雰囲気できれいに並んで座っていた。

あまりにも人が多いので、ほかの施設を回るのは中止し、実際、芸大美術館は休館日だったし、そのまま根津にぬけて御茶ノ水へ出た。丸善やレモンへ立ち寄ったが、こんなに狭かったかと思うくらい狭く感じられた。参考書でも買おうと思って今度は三省堂へ行き、ランチを食べ、結局何も買わず水道橋から帰宅。つくばの無意味な広さに慣れているせいか、都内はやたらとすべてが狭く感じられた。

***




ナザレ派のイエス/前島 誠


この本は、地元の本屋さんでたまたま見つけて買った。面白かったので、すぐに読み終わった。が、しかし、読まなければよかった、という気がしなくもない。イエズスがユダヤ人としてどのような生活をしていたのか、とか、聖書のことばの生活臭とか、ユダヤ人としての生活習慣や民俗学的考察からイエズスや弟子のことばや行動を紐解いている。


わかりやすいけれども、人間的で、ドラマ的で、どろどろとしていて、ある意味、泥水でも飲まされたような気すらする。近頃では水道水ですらそのままでは飲めなくなったわたしとしては、2000年前の生活を理解しようとしても難しい。生きたイエズスを理解しようとして、2000年前の生活を現代でそのまま実行しようとしても現実味がない。

荒野で弟子達と食べものにも不自由しながら生活するイエズスの姿をホームレスに喩えているのだけど、今日上野公園で並んでいた人たちはあまりホームレス的ではなく、服装もきれいだし、10年前なら少しはイメージできたかもしれないが、あの人たちを初めてみた娘がこの本を読んだら、まったく違ったイメージを持つのかもしれないと思った。

つまり、観念がドラマに変化しただけで、実際のところなんとなくどうでもいいような・・・ イエズスのお誕生日が冬ではなく、ユダヤ暦での12月、つまり初秋くらいだったとしても、もともとが向こうの秋と日本の秋が同じではないため、わたしにはイメージできない。一つの家屋の中に人と家畜とが一緒に暮らしているとして、雑魚寝が普通の宿だったとして、つまり、馬小屋というイメージ自体が空想の産物だったとしても、それにどういう意味があるのかわたしにはわからない。磔刑で使われた十字架が実際にはローマ式のT字型だったとしても、最後の晩餐のスタイルが過越祭のスタイルで、隣がユダとヨハネだったとしても、少しイメージが違うというだけのことで、わたしにはどうでもよいことのような気がする。

ただ、こういうことがトリガーとなって、わたしはまたあれこれ読み始めた。バルバロ聖書は、まだシラの書だけど・・・(旧約聖書、長すぎ・・)

(ヨブ記 9. 14-24)

投稿者 Blue Wind : 12:51 AM | コメント (0) | トラックバック