April 20, 2009

つながり

生理的嫌悪感というのは、どうにもなりにくい感情の一つかも。

受付の引き出しの中の封筒を整理しているとき、髪の毛を結ぶゴムを見つけた。何となく気持ち悪かったので封筒をどかしたら赤い櫛が入っていた。

うわっ、なんだこれ、・・・・・・・・・・という感じで一瞬捨てようかと思ったが、持ち主が思い当たったので、ロッカーに入れるようにメモ書きを残し、櫛とゴムと飴袋を取り出して休憩室のほうに運んだ。洗面台や休憩室に置かれていたなら気にならなかったかもしれないが、よりによって机の中。忘れて行った電子手帳を見たときは、単なる忘れ物だと思っただけだが、よりによって衛生観念がなさすぎる。

休憩室の封筒などが入っている積み上げた箱の上に、青いトイレットペーパーが載っていた。いやな予感がしてトイレを見たら、白とピンクのロールが二つ並んで付いている。わりにお洒落なつくりのトイレなのでおかしくはないのだが、医療機関なので普通にしてほしい。しかも、この前、中国に駐在していた友達にピンクのトイレットペーパーは何を使って着色しているかわからないので使わないほうがよいと言われたばかり。古紙を漂白してなおかつ染色しているティッシュって何を使っているかわからないので、たしかにそうやって言われると薄気味悪い。

一応は日本製なので、人体に有害ということはないかもしれないが、一度気持ち悪いと思ったら我慢できない。

戸棚を整理していたら、在庫がたくさんあるにもかかわらず、新しいものが置いてあったり、A5の発注を間違えてB5にしてしまったらしく、使いもしないコピー用紙や余分なA4用紙が机の下に積まれていたり、一体誰の許可を得て事務員が勝手に発注しているのだろうか?

しかも、診療時間内にはシュレッダーは禁止と言っているにもかかわらず、いまだに続いているという。その手のクレームは最終的にわたしに回ってくる。

・・・・・・・こうやって書くとまるでわたしが神経質のように思われがちだが、わたしは逆に無頓着である。でも、期限切れのワクチンを発見したり、勝手な発注を発見したり、細かいようだが、そういう管理をきちんとできない人間に仕事を任せられない。

しかも、「まるで施しですね」だって。

施しだもの。そのどこが悪いのかわからん。文句があるならさっさと出て行ってほしい。だけど、夫婦して無職になったら気の毒だと思って我慢しているだけだ。

看護師からもクレームが出る。ボランティアやチャリティではないのだから、甘すぎる、という。看護師の領分にまで手を伸ばすため、かなり迷惑している様子。注意するのだけど、まるで直らない。

どうしよう・・・

仕方がないので、日曜日に出勤し、付箋にメモ書きして貼っておく。それくらいやらないとわからないのかも。そして、念のため自宅にストックしてあったトイレットペーパーを運び、入れ替えた。でも、ピンクや青をそのまま自宅へ持ち帰る気にはならない。そういうのを勝手に教会に持ち込んでもよいのだろうか。

あまりにもうしろめたいので、車の中に残したまま教会へ入る。

すると、以前2度ほど見かけたお婆さんが1人で座っていた。うちの姑さんのように、少し話すとそのまま止まらずに話し続ける。受洗を決めた夏の日もそうだった。

いい加減に夕方なので帰ろうと思ったのに、なかなか解放してくれない。話題を変えるために、指の絆創膏のことを訊いたら、実は教会のトイレに置いてあったキティのバンドエイドを3枚もらって使っているとのこと。先週の分を含めると、5枚も盗んでしまった、と言う。

あまりにも大げさだと思ったが、こちらも似たようなものなので可笑しくなり、わたしもわけがあって自分では使いたくないトイレットペーパーを持ってきているのだが、何となく気が引けて置けないと話した。そこで意気投合し、「お婆さんのバンドエイドの分、わたしのトイレットペーパーで一緒に返しに行ってくれますか?」と言ったら、ものすごく喜んで、わたしと一緒に障害者用の広いトイレに行ってくれた。

神さまは憐れみ深い。

このところ仕事のことで他人のあら捜しをしているのではないかと思うくらい、神経が逆撫でされることが多い。結局、御ミサもさぼり、うしろめたいので夕方教会へ行く。例のごとく、「わたしの罪をおゆるしください」だ。あのお婆さんはお婆さんで、たかだかバンドエイドのことで盗んだと言って、すごく気に病んでいる。しかも、自分は口うるさくて、ことばの罪が治らないので、弟の嫁からも嫌われている、とか、ずっと言っている。

心の中で、ゆるしの秘蹟でも受けたらいいのに、と思ったけど、そういえば彼女はよく、「わたしは信者じゃないけれど」と言っていたのを思い出した。なのに、ずっと教会には通っている。話していたら、どう考えても信者さんなんだけどね。

それでずっとああやって家族の迎えを待ちながら、1人で御聖堂でお祈りをしている。

一緒にトイレットペーパーを置きに行ったら、ものすごく明るい笑顔で笑うので驚いた。つまらないことなんだけど、その笑顔のおかげで、何となくわたしも救われた気がした。

神さまは憐れみ深い。

(ヨハネ 19. 31-42、 コリント一 15. 1-20)

死者が復活することと、今日の出来事にどういう関係があるのだろう・・・

今日はわからん。

やっぱり罪は贖われないとダメなのかも。こんなささいなことでも?

お婆さんの場合、リアルで・・・・ 死の床で、キティのバンドエイドの話をしても、誰もわからないだろう。なのに本人にとっては、ものすごく気になっていた。気持ち、わかる。

投稿者 Blue Wind : April 20, 2009 01:44 AM | トラックバック
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