November 24, 2003

ひとつ

ケニー・Gのサックスを聴きながら、昨日、一昨日詠んだ歌をアップしようかと思いながらもかったるくなっていってしまっている。
詠むことは簡単なのだけれど、毎日毎日陽炎のように歌を詠み続けるだけで、それは儚く消えていってしまう波の泡を眺めているような気分に陥る。

もうすでに自分のサイトというものは、自分ひとりだけのものであり、そこに誰が来ようがどうしようが何も気にすることもなくなってしまった。
むしろ、誰も来ないほうがさっぱりしているのではないかと思うほどだ。
たまに、そういう趣旨のサイトなどを見かけたりするけれども、そういうサイトは寸暇を惜しんで絵を描いていたり、駄文を書いていたり、自分のための勉強をしていたりするためにサイトが存在する。
BBSなどもあるけれども、もしかするとそれすらかったるいと思っているのではないかという気さえする。
それはそれで、こちらもまったく同じ気分であり、どうしてローカルへ置いておかないのかと尋ねられれば、それはやはりCGIが便利なのと、ある程度の来訪者がいないと自分でも何かが続かないと思うからかもしれない。

このところ本屋へ行き、おそろしいほどの本やCDを買い込んでいる。
このため、夕飯の買い物が遅くなると、「また短歌の本を買ってきたの?」と先に訊かれる始末。
実際その通りなんだけど、今日は推理小説を1冊とCDを3枚。
そのうちの1枚がケニー・G。
本当は違うCDを探していたのだけれど、旧いものになると置いていないことが多いために、わざわざ注文しようか、それともネットで買おうか迷う。
迷うということは、実はそれほどほしいと思っているわけではないのだろうし、そのうち不意に見つかることもあるかもしれない。
気分屋というのは概してそういうもので、その時々の気分を大切にするから、一生懸命に買ったとしてもすでに封すら開けていないCDも多い。
自分でも一体何をしているのだろうと思うのだけれど、それこそ不意に忘れた頃に聴いてみると、そこから何か違った世界も拓けることもあるから、頭の隅にちょこんとおぼろげな記憶として存在していればよい。

サックスの音色は実に甘い。
こういう甘さが快適になるほど、もしかすると自分は何かに堰かされているのかもしれない。

何に堰かされているのかよくわからないけれども、山積みにしてある未読本かもしれないし、短歌のことかもしれないし、少し余裕をもって何かをしたらいいのにとは思うのだけれど、元来がこういう性質だから仕方がない。
やるなら自分が納得するところまでやりたいと思ってしまう。

遊びで始めた短歌だけれど、きっかけがあまりにも真実のない遊びであり、その真実のなさにいささかうんざりしてしまった。
真実がないからこそ詠めるという人たちの多さにも驚くけれども、文字は情報として残る。
それならばそれで情報伝達というのは、そういうものだからかまわないような気がしてしまうけれども、なにやら墓場の中に立ち並ぶ同じような文字を眺めているようで、それはそれで生きた証が存在していない。
もしかするといくばくかの真実も存在していたのかもしれないけれど、その真実というのが酷く歪んだものであり、屈折したものであり、そういうものにもいささか疲れてしまった。

詩というのは、遊びのない世界。
ひとひらの言葉の中にその人が詰まっているせいかもしれない。
こういうものに翻弄されると、あまりにも精神が疲れ果ててしまう。

投稿者 Blue Wind : 02:00 AM | コメント (0)

せいいっぱい何かをしようともがいてもシンクロニティをもとめている吾

共鳴・共感という幻の気分の今日の歌

自分のことを言われてるような気がしてつい本をハタッと閉じた気がする
脇川飛鳥さんの歌

コメント「思い当たる、自分の事みたい、という瞬間を大切にしたいですね。」

★歌葉より
http://www.bookpark.ne.jp/utanoha/

_______________

あの頃の自分のように懐かしむ娘に言われ気がつく自分
あの人のどうしてるかと思い出すチクリと痛む心の奥が
せいいっぱい何かをしようともがいてもシンクロニティをもとめている吾

投稿者 Blue Wind : 12:58 AM | コメント (0)

November 21, 2003

その糸は生きるにいらぬと捨てられた人形にも似て匂ひとかはる

四方山話と今日の歌
せつなさを聞かせ続けたサボテンに見たことのない花が咲いたよ
天野慶さんの歌

コメント「せつなさは甘く苦くてサボテンに聞かせるしかなかったのです。」

★歌葉より
http://www.bookpark.ne.jp/utanoha/


______________

というわけで、とうとう自分専用の詩歌集をつくってしまいました。
http://bluewind.oops.jp/cgi-bin/anthology/anthologys.cgi

「また、りんさんは自分のためだけに〜!」
って叱られるでせうか・・・?

うたかたの甘くせつない恋歌はわがこころだに響く音なり
あまつさえ人の数だけ恋のある世界はひろくひとりしまえり
恋歌をたれに聞かせてどうなるや恋の話は友と長電話
恋愛の話ばかりに明け暮れた友と話すは姑のこと

なんか、時を感じるな・・・

_____________

◇お勧め本

『君のいる場所』
作・絵:ジミー(幾米) 訳:宝迫典子
小学館

せつないラブストーリーの絵本。

金城 武の主演で映画化されるみたいですね。
金城くんというのが、自分の大昔の彼氏にそっくりなので驚いたことがあるんです・・・初めて見た時。
すっごく面食いだったことがわかるかも。(ほほほ)

______________

気がつけばセオリー通りに生きている行動体の運命なるかな
行動を変容できず苦しむを箱につめこみ文字に置き換え

儚くも散りゐてしまうかもしれん世俗の垢にまみれるをきらふ
こんなでは生きていはけぬといはれしも時早すでに半生をすぎ
若き日は憂きことおおく迷い道迷いながらも月日は流れ
迷い道もういいだろうといふ意味は生かされているわれもおばさん
ひねもすを空中散歩にあけくれどよすがにかへす花の咲きたる
不可思議におもえどこれも運命と亡き伯母いふたセリフをおもふ
そのやうに生まれたならばそのやうに生きてゆくしかみちはないらし
手に汗しはたらくことのなきわれの老後を憂くもいまをいきたる
長生きのせぬ家系にぞ生まれては案ずることのすくなき身かな
ぼろぼろになつたとしてもわれはなお詠むことだけに明け暮るるやも
きつかけはなんであらうとひねもすはのたりのたりと歌に変はれり
概念の浮遊する世界まぼろしのわれは生きたる歌のなかにぞ
これもまたひとつの運命くつきりと雲なき空の星座のやうな
歌もまたひとつの手段にすぎぬやもすぎゆくことのふりかえる間の
毒の息枯らさうとても石の花ときはうつろふ陽炎のごと
一枚の写真に見たり石の花好きともおもへぬガーベラの夢
石の花咲かせてしまえシンクロのちいさき萌し糸たぐりよす
年ゆきて話し相手に困るやもそう思うても今と変わらぬ
幼き日出逢つた人の記憶にも似ているやうななつかしの詩
文庫などほとんど捨ててしまつたが記憶のなかにしみゐる四十万
たぐりよす記憶の糸の先にあるねむりた過去の今よみがえるらし
その糸は生きるにいらぬと捨てられた人形にも似て匂ひとかはる
セルロイドなにも語らぬ硬きままなぜに微笑む誰もいずとも
子どもとはいのちなきものふりまわしおのが生きるをくちにたしかめ
世の中は大きな悪に驚かず小さな悪に大いに騒ぐ
ちっぽけな蚊をおいまわす勢いであなたの頬をたたいてみたい

クリスマスちかづく時期だけつかおかな声をかけあふBBSかな
どうしてかウキウキとするクリスマス街がきらきら光るからかも
なにげなくつづく日常とりもどす平和のベルの高らかに鳴る
木枯らしの吹く冬の日のいろどりのリースをながむ子等と歩きつ

トランタッタなにを思い立ったかや巻き舌の音練習しせり
エンジンの巻き舌のやうな音のするぱたりとしまる郵便ポスト

幾たびかすれちがふさまさびしけれ待合室によこたはるひと
車椅子のりて電話で話すひと笑い声さえひまをふくみし
今日の日の終わりを告げる24時始まりといふ0時に鳴る鳩

足りぬからもとめてあまる愛情の総和をもとむ日時(とき)といふもの
愛情に方程式があるのならつるかめざんで計算をして

水のある風景あまくせつなくば水面ゆらして風は吹きゆく
なだらかな山のうねうね続きたる赤い世界よ熊本らしき
なんなれば微笑みひとつ風まかせちょつとちがふでも気にしない
かへすがへす波のいろどり空の色エンジン音の背につたわりし
すみわたる雲なき空を見あげれば星座は光る四方の家路に
断食でワールドカップにのぞむとはエジプト人の摩訶不思議かな
真夜中にシャーデー聴いて歌を詠む昼には昼の歌の聴こえり
石段のかすかな隙に根づきたる可憐な小菊あわく揺れたり
アンテナで受信できないテレビかな妨害電波の空に飛び交い

悉くみちをつぶされゆくなかで残雪のごと春はおとづれる
美しく降る雪はなほ降りつもるあしあとつづくうえを歩きつ
ほんのりと青く光れる白き雪影といふ色ま白き大地
紫の陽射しの中につつまれて生きることをぞ透明といふ

______________

酔いまかせここまでやるかとおどおどとこわいものみてふきだすもよし
恋歌を牌を投げ出すやうに投げ明日なき身やもやつすものがな
吐き出すももののあはれとふき出せばにきびのやうな恋歌となり
つぶせどもこんこんとわく白き膿みああ青春の面差しなるかな

投稿者 Blue Wind : 02:30 AM | コメント (0)

November 18, 2003

人生は偶然のなかいのちあり不思議のなかにみちはひらけり

ああまた偶然だと思う今日の歌

命なき石の悲しさよければころがりまた止まるのみ
中原中也の歌

コメント「命あるかぎり、前に進めます。」

★歌葉より
http://www.bookpark.ne.jp/utanoha/


___________

中也は15歳の時に短歌を詠み始め、それが原因で落第してしまったらしい。
つまりは、その時にすでに自分が詩人体質であることを確認したのだろう。
自分的には、石に命を与えてはいけないような気がするけれど、単なる石を見ても美しいと思ったり、恐ろしいと思ったり、石像になってみたり、人間のクリエートするものには天然の石とは違った人間の意志というものが存在するために、表現するということは想念やこころを具現化することなのかもしれない。
花は生きているから咲く。
でも命のないはずの石でさえ花が咲く。

石の森歩いてみたいガウディのみ霊のねむる教会のなか
人生は偶然のなかいのちあり不思議のなかにみちはひらけり

狂人の打ち鳴らす鐘高らかに鏡のように光を弾き
人格をすでに亡くしたその人のうつろいゆくはみちゆく人ぞ

----------------------------------------------

なんでにゃーごに書くかって?
うちの娘のお気に入りに掲示板だから(笑)。
ねこの掲示板なんだってさ。彼女のインスピレーションを信じているだけ。

狂人の打ち鳴らす鐘高らかに鏡のように光を弾き
人格をすでに亡くしたその人のうつろいゆくはみちゆく人ぞ

そこがおもしろいかのかも・・・ミラーは
Rinさんへ書く九里さんは気分はRinさん九里に語れり

違うな
Rinさんへ書く九里さんは気分はRinさんRinに語れり

こっちが正しい(笑)。

Rinさんになった九里さん今日もまたRinという名の九里に話せり
ラサさんになった九里さん今日もまたラサという名の九里に話せり

Rinさんになった九里さん今日もまたRinという名の自分に話せり
ラサさんになった九里さん今日もまたラサという名の自分に話せり

だから・・・・
自分を消したほうが早いんだけど・・・

あたしってあんなにきつい?今日もまたパロディをみて小首をかしぐ

九里よ九里 真似るのならばもう少し手本みならいセリフをなおせ

投稿者 Blue Wind : 01:46 AM | コメント (0)

cucucu kitigai ga futari と打つ人の狂いた影のあなおそろしきかな

◇暗闇を見る
cucucu kitigai ga futari と打つ人の狂いた影のあなおそろしきかな
沈黙のおもしろければ影の人暗闇のなか糸をあやつり
一瞬の幻さえも映しゐだす闇夜の月のおぼろに光り
電子文字箱に描けるこころ文字独り言だにクリアにみゆる

_____________

見てしまったんですよ・・・
見るべきではなかったかもしれません。
誰かのこころの暗闇なんて。
その瞬間、本当に気持ち悪い人はそういう闇の狂気だと思いました。
磁場が悪いのかもしれない。
それでいて、ひっそりと影を潜めながら狂気はいつまでも暗い世界を描いてしまう。
悪意というものは、概して、そうやってひっそりと存在するものなのかもしれません。
その人にしてみれば、無意識なのかもしれないし、悪意だとは思っていないのかもしれない。
でも、真夜中に黙ってそうやって打っているんですよね・・・

あーやだやだ、きもちわる〜〜〜!
うちのサイトには来てほしくない・・・

でも・・・・・
そういうのを見るのがおもしろいから、見世物小屋なんだろう。

あの人ヘン、この人ヘンと笑ってる そういうあなたが一番おかしい

投稿者 Blue Wind : 01:39 AM | コメント (0)

November 17, 2003

母の死を自分のせいとおもいこむ小さき長男目つきのけわし

いとしいとし吾が持つものゝ何一つほろぶるなかれけがさるゝなかれ
今井邦子さんの歌

コメント「あなたが守りたい人がいるように。あの人もあなたを見守っている。」

   ★歌葉の「今日の歌」より
       http://www.bookpark.ne.jp/utanoha/


_____________________

子どもは素晴らしいですよね・・・
あっという間に変わっている。
「もうNちゃんはおとなしいよ」
あーこのまえまで母さんを亡くして荒れていた男の子も成長したんだなぁ・・って感心してしまう。

交差点うつむき加減でゆきすぎるあの子の背丈ことしものびゆ

母の死を自分のせいとおもいこむ小さき長男目つきのけわし
「またあの子」授業参観ちかづけば風のたよりがながれてゆけり
泣きじゃくり父と立ちたる玄関で怯えることのかそけきさまよ
叱れれば終わることさえ叱れぬは罪の深さに泣きじゃくるだに
神経のとがったさきの教室で教師とはなすを避けてとおれり
学校といふところでは加害者もまた生徒なり明日こそあらば

___________________

◇酸欠状態の金魚のような歌
気分屋のすぐに忘るる過去などを拾い集めてどうするやもと
ベクトルを刺激にあわせ変はる脳たまにはわれに休息をくれ
酸欠に仰いでしまう金魚かなパクパクお口で深呼吸なり
巨大魚に変身したりデメキンの不気味におよぐみどりの水よ
縁日にすくってしまった金魚たちふくろの中ですいすいおよぐ
枠だけになつてしまつた金魚あみいつまでつかふ慣れたる手つき

◇最果ての記憶
最果てとなぜに呼ぶなり雪の降る無人の駅さえ汽車は停まりぬ
空電車のんびり車掌の回り来る行き先をどこにするかと母の声
降り立てば宿はあるなり最果ての汽車はガタゴトレールを走り
ガタゴトと揺れる線路の音を聴く高校生らの一駅乗りぬ
ガタゴトとすでにどこかもわからない幼き日の音今も聴こえり

ボツにしろよ〜(笑)。

投稿者 Blue Wind : 01:20 AM | コメント (0)

November 16, 2003

にんまりとどちらが好きと訊く吾子は選挙の声の真似をしてみせ

昼下がりターミネーター歩いても誰も気づかぬつくばの森よ
夕焼けのオレンジ色の輝けるそんな時間に真っ暗な吾

子と夫とのふたつ並んだ寝顔みておなじ角度と感心しせり
朝を待つ中途半端な時間にはカフェの曲だけ透きとほるよう

ひとかどに反抗的な自分にはしずかなうたが浮かびくるらむ

水槽で寝ている魚藻の揺るる飛び出すやうに群れは動けり

まいにちをドラマのように生きてみたいバーチャル泳ぐさかなは死なず
ハンドルをいくつかえてもおなじひと癖や匂ひややけこげの瑕疵
えにしなどチョキンと切って爽やかに涼んでみたいな潮騒の中
箱の中飛び出す歌の情けなさ切っても切ってもトカゲのしっぽ
青林檎りんごタルトの味がするこの酸っぱさは君のものだよ

飛び出そう広い世界へ無限大いのちの不思議在ることの意味

わが叫びどこかへとどけ知らぬ人電子は描く未来のみちを

掻き消して嫉妬のほのお子を語る愚かな女愛をほしがり
子をおもふ気持ち夫にいふ妻の手に高い飲み屋の請求書あり

ジャンキーのたはごとながめくるいだすくやしいといふかなしきをみゆ
死んだなら何にでもなるみほとけのたましいありき成仏できず
あらしとはかごとのうずのまよひごと知らぬかおして橋をのぼれり
生き地獄とほくにながむネットかな屍のまま土に横たえ

今日の鳥ご機嫌ななめに鳴いているラテンのリズムに合いの手入れて

けしの畑ふわふわ歩いていくようなまどろみのなか文字はあらわる
風船のはじけて飛ぶは針の穴はじける音にひとは驚き

片足を微かにひくわれを連れ海の世界をフィンでおしえり
赤信号六本木通りを渡りきる世界制覇の夜明けの渋谷
子どもなど要らないという君の嘘かへすがへすは日曜日に知る

ひとかどになまけ者の自分にはタイヤの音に雨を知りたる
やみゆくひ射す陽を待つや秋晴れのおそとの色のふいにかがやき

タイフーンいまかいまかとまつよりも知らないうちにニュースが告げた

おなじことなんどもはなすネットかなだれに言ったかおぼえていない
質問に自動にこたゆならいせい先生という宛名をながむ

あたへられし薔薇の花さえ君をまついつが春かは天のえそらに
歯を立てて無駄を知るなり人の世の生きる生きると魂の死す
閃光のきらめくような轟きへ導きたまえホーリー・スピリッツ
魂はわが人となり永久(とこしえ)に愛する人と共に生きたり
骸骨のにやりと笑う墓の中蓋は閉められ骨は踊れる

細胞に星をちりばめ生きるわれ土は星かな母なる海よ

悪夢より解放されしわれなればヨハネのごとく夢で叫べり
妄想の夢の中まで忍びよるむすめフテ寝す母のおバカに
妻の名を犬につけると騒いではウキウキしてる憐れなあいつ

月光のしづかに光る宇宙にはやみも光もないというらし
宇宙(そら)の色色相環のどまんなかベージュかグレーありてなき色

真夜中に空手見るため夫を起こすソファにごろ寝明日まで待てず
惑星の浮かんだようなピアノ曲ソファの向こうに空手番組
極真を検索しろとせっつかれ早く寝てよと箱を案ずる
住む世界ちがうと思って20年うすらぼんやり星はまわ〜る

あまりにもつまらぬことの多ければひねもす流るるジャズを聴きたり
ヘデラよりすっくと伸びる萩の花のこり僅かに紅紫咲く
陽だまりにのんびりジャズとコーヒーで今日の気分を占うかな
たちのぼる朝霧どこやいずるやと午後の晴天草ゆれるだけ

月にさえ裏と表があるのなら狂気の夜もしづかにひかる
おもてがおあるよ月にとひの照らす色なき世界なぜにやみめく

半島にぽっかり浮かんだ白い月青青い空雲さえ見えぬ

閑散と空室ならぶ青山を吾子の手を引き懐かしくもなく
そのやうに生きたいのならそのやうに生きる世界が与へられなくに

銀河系太陽といふ星に住むその人ならば核もむなしく

惰眠するそばに来てまで話すなよ きのうの話のつづきのつづき

自由すら不自由であり囲いする狭き自分の生簀の庭よ

アラビアのサウンド聴いてミントチャイ裏の店なら600円なり

堤燈を吾子は知らぬや夏祭り小さなろうの手に入れざらまし
こうこうと明かりの燈る夜道は白きカーテン空にひきたり
ぱちくりとつぶらな瞳ゆびちゅぱのなおらぬ吾子のなにを見つむる

へそ曲がり言っても無駄な屁理屈を暖簾相手に曙っぽく

生きるのに活字のいらぬ生活の通じぬ言葉のありがたきかな
風ほしく雨のいらぬやふねのなかかわれる海のいろ眺めたり

すきとほるやうな空なり見つめれば紺にも黒にも白い満月

アラビアの女になれば見えるのは黒きベールと瞳だけかな

包帯をミイラのように巻きたるも車椅子乗る人の明るき

いつのまにスプレーマムの咲きたるや種のどこから来たりしものかな

時はなおガラスのように崩れ去り 轟きに泣き 震撼に泣く

朝起きて今日が別れになったらとうすき陽炎たちのぼりゆく

ひねもすを書くともなしに書いているつぶやきなるをうたといふのか
詠もうとて詠うているわけでなしああこの時間地震のとどろく
関東の揺れるは日課歩きたる娘はなぜに地震にきづかぬ
真夜中に大揺れしても気づかない寝息高らかのんきな親子
震災の対応悪さ怒れども国会議事堂東京にあり
ものかきといふ職業の人たちは職場にひとつ缶入りのハム

庭に啼く奇妙なことりピーピーとたれに話すかわれはこたえぬ

いくつものこころの墓場のぞいては墓石の文字の雨に打たれり

生簀の鯉泳ぐをながむ優雅さにバリのホテルでサンダル鳴らす

アンニュイに画面ながめてむせびをり草はゆれたり弧を描きつつ

すいすいとおよぐさかなを見てくれる隣の人に感謝をおぼゆ

いたずらに書初めしたる父の文字机の中にしづもれながら
吾が過去を探検しせり書斎部屋吾子知らぬ吾を友がみつけり
想い出のたくさんつまった本棚に探検家らの無邪気な奇声
過去の名を書棚の隅より見出されわが名を不意に思い出したり
母といふ名もなき吾にあたはれた姓とはたれの名と今をみつめる
子もなくば母といふ吾なかりせり母といふ吾吾子と生きたる
夫がいてぞ妻と呼ばれるわれのあり彼の人なきは虚空の藻屑

いろのない口紅つけて似合わずに青白いかおに鮮やかな紅
パール入りヘレナ・ルビンシュタインの小瓶のかたちにいまを感ずる
シンプルな紅い器のひかりたる過去のルージュのベージュに変はり
ささやかに変化したりもかたくなにとつぜんかわる大胆ルージュ

マヨ味のかっぱえびせん柿入りのマリネに挑戦不評に終はる
柿ひとつサーモンマリネに落とすだけ何かがかわり何もかわらず

またひとつ銀河の果てに星ひかる128億光年超す
あの星に願いをかけてみたけれどなん億光年さきのことかな

清らなる幼子の手に握られた野のコスモスの季節を告げる
公園の傍の空き地に咲く花のいろどりの風たれをしのびて
今もなおブルーサルビアしだれたるウッドデッキの朽ちれるままに
風よ風 吹けよ吹け吹け野に山に我が家の庭にも見知らぬ花
ひょっこりと花を咲かせりスプレーマム君はどこからおとづれたるか
寒椿今年はいつに咲くのかと冬を待ちたるここちするかな

乱れゆく言葉の波の押し寄する荒き浜にて波はかへりぬ
枯れ草の春を待ちたる野の夢の新芽の出るをしづかに待ちぬ

セクハラも極めてしまえば九里の歌きょうもきょうとて鐘がなるなる
脳ペンギン無限の宇宙をさすらへば永遠(とは)の夢にぞあはれをわする

巻き舌の歌の鳴るなりけふの朝ラテンイタリア英語と笛と
君のことラテンフレンチドゥドゥと勝手に呼ぶとセクハラとなり
フラウといふ宛名にかしぐ若き頃ミセスと訳すを間違いと知る
妻といふ訳語をもたぬフレンチの少なき語彙にあまた意味あり
vousとduでは表情さえもちがふのでduの人あてにvousで応えたり
セクハラもラテンとおもへばなんのそのしつこさだけがちがふと知るぞ
カンツォーネ今日の昼にはあますぎる時代遅れの県立記念日

澄みゆかむ遠きむかしの想い出はあれよあれよと風に変われり
風のごと息し風さえむせびゆく有害としるシガーのけむり
にんまりとどちらが好きと訊く吾子は選挙の声の真似をしてみせ
おじさんと知るやかなしき宣伝カー オウムでさえもギャルを乗せたり
歌詠みのいつ尽きぬとも呟きは明日があるとは思はぬ今日に

土浦に初めてやつてきた日には店の8時に閉まるにおどろき
浦のそばマンションの立つ川面には三段跳びする鯉におどろき
アマゾンの巨大な蚊かと思う蚊はフラフラ飛ぶやたよりなきまま
吾子抱きて地下鉄に乗りぼんやりと眠れる人のすがたの映る
常磐線慣れぬ言葉の広がるも席立ちゆくや目の前の人
危ないと叱られし傘吾子の前「あんたが母か」とじいさんわらう
ベビーカーのんびり押してお買い物見知らぬ人が吾子あやしたり
デパートで迷子になるも日課かな手を引かれつつ吾子のもどれり
ふるさとの言葉の意味をまなびたる見知らぬ街のゆきかうひとに
つくばねのロケットのそば住みたしと川面の街を不意に飛び出し
飛び出せば見知らぬ世界のわれを待つ宇宙も忍者もつくばねの地に

荒波の打ち寄す西の岸辺では太陽さえも雲に覆われ
風つよきデッキの窓の覆われる海側の部屋雨季のタイかな
ハンモック忘れ去られり風の中誰もいずともふんわりゆらる
常夏の東海岸プーケット海中の橋のんびり渡る
小魚の影のゆれたり海の中かがみこむひと避けて通れぬ
輝ける海を背にしたウェディング軍服の婿花嫁を抱き
正装の輝くシルク黄金色先頭あるく美しき女(ひと)
砂浜を高いヒールで歩くのを遠目にながめ海は広がる

鮮烈な月の光の覆わるる北の空から雲の流るる

落陽の海の向こうの島影にいつ沈むやと缶ジュース飲み
二人乗りバイクの音の鳴り渡る島の外れのサウンドの中
コンビニの閑散とした店の中みやげもの見て一周したる
モンスーン吹き荒るる海白砂を削りてやまぬ坂道の浜
この海のなだらかな顔そしらぬと打ちくる波の泡立ちやまぬ
嵐とはかくもつづきぬ晴天の浜辺の風の凄まじきかな
うららかな日差しの中を馬歩く荒れ狂う波そしらぬ顔で
モンスーン慣れてしまえば気にならぬヤシのパラソル風に吹かれて
闇のなか激しい雨の降りつづくヤモリの歩くヤシの葉のうえ

おなじ浜かよいて詠う歌詠みのうつろう波をじつと見つめり
海の声風のささやき一晩中朝な夕なと朝な夕なと
覆われた雲の晴れ間を待ちぼうけ薄日の中で日はくりかへし
あの山を越えれば何が待つやもと幼き日には山とも思わず

あの海にそそぐ流れのひとしずくわれの涙かとほおくの雨か
今は秋雪の便りに驚きつ常夏気分でトーマス・ラング
晩秋の青き風吹く空あおぎ明日はどうなるものかとおもひ
ああこれが恋といふものと初恋のふんわり浮かぶ或る日の朝に

あの星のさきにも広がる空間のはてしなき夢ひとはすすめり
夢ならば光よりさきにとどくかな星の彼方へ願いをのせて

ふにゃふにゃに融けた白菜なべの中しんなり梨の冷えて眠れる
生まれてはやがて消えゆく生き物の変はり果てたる冷蔵庫かな
そらの雨いつしか土にしみゐたり花つゆひかりはじけるをみる
死後のことあれこれおもふさだめかなひとと生まれしつゆになるやも
雨粒をひとひら憂くし彼の人のかはりになるか人といふもの
純粋に生きるをかたくおもはなばそらの雨さえ塵をふくみし
夕やけのなぜにあかあか輝くと空気に訊くや雨そら見あげ

はらはらと季節外れの詩をながむ中也と昼夜をおもひてうたふ

投稿者 Blue Wind : 12:15 AM | コメント (0)

November 15, 2003

アメリカの失敗は

やはり武力を行使したということなのでしょう。
たしかにフセインやテロリストは悪なのかもしれないけれども、正義という名の下にバイオレンスを行使すれば、それは最早正義ではなく単なる一つの暴力行為にすぎない。

これを九里大魔王から説明すると、九里大魔王からすれば、正義を実行するものはすべて悪ということになってしまう。つまりは、常に自分を攻撃する人間であり、敵であると識別されてしまう。攻撃を行う側にしてみれば、相応に正当な理由があるから追い込むのであり、攻撃もまた正当な報復であるかのような錯覚が生じる。

ところが、善と悪は常に交わることなく存在し、悪から見れば善は悪であり、悪と識別されてそのように善を観察すればたしかに悪と変わらない。

動機として、好きな女の子のために贈り物をしたとしましょう。
ところがそれを盗んだとすればどうでしょう?
つまりはアラジンではないけれども、盗賊は盗賊であり、社会的には嫌われる存在である。
ところが親もなく育つアラジンにしてみれば、社会というものが悪であり、生きるために盗みを働く。
つまり、何が善であり悪であるのかは社会というもののルールであり、それとは別に宇宙のルールというものも存在しており、形あるものは消えていく運命なのだから、鍋の中に残ってしまうか、畑で枯れてしまうか、単に消化されてしまうか、それすらそれぞれの生命体に運命が存在している。

通常の善が悪に見えてしまうという哀しさよ。
悪いヤツはいないほうがいいに決まっているけれども、それも行き過ぎれば公開処刑や拷問・戦争とかね・・・人間とは残忍な生き物だから仕方がない。

国際ルールで考えると、要はアメリカはお節介なんだな・・・
紛争が発生すればそれを抑止することは大切かもしれないけど、武力により弾圧したり制圧したりすれば、それは最早悪だ。
正義という名の下に悪が実行されているに過ぎない。
しかも、抑止するということと報復するということではまったく性質が違う。
報復には報復をもって応えるというハンムラビ法典を連想してしまう。

つまりは、善と悪は互いに交わってはいけないのであり、その両者が混合すればそこで戦いが発生するようになってしまっているのかもしれない。
やっぱ、分離するしかないのかな・・・
次には誰がアメリカを抑止するのか?
それが21世紀のテーマなのかもしれません。
Rin
2003/11/15 (Sat) 02:25  E-Mail * http://bluewind.oops.jp/tanka/

----------------------------------------------------

つまりは
本当の悪とは、常に勝つことしか念頭に置いていないということなのかもしれない。そこには最早戦いしか存在せず、もしもそういう価値観で世の中が回っていれば彼は常に地獄を徘徊する星のもとに生まれてきたのだろう。

そこは癒しなど何もなく、常に敵か味方であり、誰も信じることができない。
いわば、信じられるのは自分ひとりしか存在しない。常に孤独な魂だ。彼が狂ってしまったとしてもそれすら運命な気がするほどだ。

こういう人間が常に権力や集団というものにしがみつかなければならないのは常に攻撃に晒されているからだ。権力が人間を腐敗させる。こういう人間は死んでなお地獄を彷徨うしかないのだろう。
Rin
2003/11/15 (Sat) 10:20  E-Mail * http://bluewind.oops.jp/tanka/

-----------------------------------------------------

ルドビーさんの詩
『神様 ありがとう』


わたしは 何でもできるようにと 力を 神に 願った

しかし 従う 謙虚さを 学ぶようにと 弱く 創られた

わたしは 偉大なことが できるようにと 健康を願った

しかし よりよいことを 行うようにと 病弱が与えられた

楽しい人生になるようにと 友だちや 仲間を 望んだ

しかし キリストだけを 友とするようにと 孤独が 与えられた

そして すべてを 喜ぶ恵みを 神から いただいた

こうして わたしの 罪深さにも かかわらず 祈りは聞き入れられた

いたらなさにもかかわらず 神の 豊かな 祝福の うちに 生きている


★ludovy's communityより
http://groups.msn.com/ludovyscommunity/page27.msnw
Rin
2003/11/15 (Sat) 10:35  E-Mail * http://bluewind.oops.jp/tanka/

------------------------------------------------------

一つわかっているのは・・・
この世に九里大魔王が存在するから、常に対立する社会の美しさがわかるのであり、そこにはどうして永遠の幸福があるのかがわかるということである。

常日頃自分の幸福に埋没していると、何も見えなくなってきてしまう。つまりは当たり前に存在するから・・・自分に与えられているいくつもの幸せを見落としてしまう。
でも、こうした幸せは決して当たり前ではないのだということが九里大魔王を垣間見ることにより知ることができる。

が、しかし・・・
九里大魔王も幸せになることができる。
つまりは、そこは彼だけの世界であり、誰にも邪魔されることはないだろう。
そういう闇の世界は彼のものであり、封印することにより、地上に平和がもたらされる。

やはり、善と悪は常に交わることはなく、聖と俗の間には明確な境界が必要だ。
その両者がこの世から消えることはないかもしれない。
それでもその二つを眺めることにより、ささやかなる幸福に気がつくこともあるだろう。
つまりは、それが自分にとっての真の財産であり、それは誰も自分から奪うことはできない。

もしも誰かが自分の財産を奪おうとしたら、彼は神を敵に回すことになるのだろう。
Rin
2003/11/15 (Sat) 10:53  E-Mail * http://bluewind.oops.jp/tanka/

--------------------------------------------------------

神を敵に回した人たちのことを知りたければ
オウム真理教のニュースでも眺めますか・・・・
Rin
2003/11/15 (Sat) 11:08  E-Mail * http://bluewind.oops.jp/tanka/

投稿者 Blue Wind : 05:19 PM | コメント (0)

やはりそれは間違つている
邪悪なものは邪悪ないきものであり
それを純粋などと呼んではいけないのである

  世にわざわひをもたらし
   自分が生きることしか考えぬ

そのやうな邪悪ないきものは
魔界の海へ沈めるべきであり
ただかなしむべきは
その毒の息により目を覚ましたるものたちのみ霊である

  やすらかに地の底に 海の底にねむれるものたちを
   どうして呼び戻すのだろう


人形つかいは呼び戻す
魔界の海から呼び戻す
メンフィスはメンフィスのままよこたわり
永遠によこたはる
すっくとよこたはる
それはただの石のかたまりだ
でも邪悪なものたちはおそれるだろう
ふたたびメンフィスの目覚めることを

  やすらかにすやすや眠る石のかたまりを
   呼び戻してはいけないのである
     
      それが魂といふものなのかもしれぬ
        せっかくしづかにねむれるものを・・・

____________

注) メンフィスとは架空の存在です。石をイメージしたら、そうなった。メンフィスの街をつくったイメージなのかもしれないし、メンヒルのイメージなのかもしれない。だから、タイトルは『石』。抽象概念的な石ですね・・・いわば。

投稿者 Blue Wind : 03:14 PM | コメント (0)

November 13, 2003

ペンギン化した歌を直す

普通の人たちには無理だからさ・・・
ヘンなじいさん相手に恋の歌とかさ・・・

以前、マサピンちゃんとも話していたのだけれど、なんでらさっちが平気なのか・・・・
つまりは、真実が何もないから平気なんだろうって言ってたよ。
恋もしていないのに恋の歌なんて詠めないほうが普通でしょ?

つまりは、脳がペンギンだから詠めるんだろう・・・
Rin
2003/11/12 (Wed) 22:39  E-Mail * http://bluewind.oops.jp/tanka/

---------------------------------------------------------

ペンギン相手にヘンな歌詠んでいるより
もっとまともな人を相手に普通の歌を詠みたい。
ネットでも、互いにペンギンじゃないことを喜び合うような人とかさ・・・

その点、結社や雑誌はいいよね、真実があるから。
概念歌なら概念歌、恋歌なら恋歌で真実がないとつまらないから。
写実な歌を詠むために、題材を狩り集める。
まずはそこから始めないとね・・・本物の歌人なら。
Rin
2003/11/12 (Wed) 22:46  E-Mail * http://bluewind.oops.jp/tanka/

---------------------------------------------------------

でね
何もおおげさに詠む必要性はないわけさ。
ヒステリックに叫ぶより、淡々としているほうが気持ちは伝わるということに似ているかもしれない。
ヘンに情感を入れると、演歌とかさ・・・
演歌が好きな人ならいいんだろうけど、あたしは演歌には興味も縁もないらしいし、それより、ボッサのリズムでラテンのほうが自然体なのよね。
好みや個性ってあるし、描写・・・ってことで考えると、音の描写もあるだろうし、表現は自由。
Rin
2003/11/12 (Wed) 22:49  E-Mail * http://bluewind.oops.jp/tanka/

--------------------------------------------------------

いろいろな歌人の歌を読むと楽しいですよ
それぞれに個性があるし、詠いたいことも違うし・・・
現代短歌だけを眺めているだけでも、おっそろしいほどいろいろな人たちがいろいろな試みをしているし、そういうわざの競い合いも面白いし、そういう中で、自分が本当に詠みたいことを見つけることが大切な気がするけど。

そういう意味では、今はまだ試行錯誤中だからね・・・
それがまた歌の醍醐味だから、楽しい時期でもあるのかもしれない。
Rin
2003/11/12 (Wed) 22:57  E-Mail * http://bluewind.oops.jp/tanka/

---------------------------------------------------------

そういう意味で・・・
時空には歌の醍醐味や面白さを語り合えるような友達ってほとんどいなかったな。
だから、たくさんいて、その中からウマの合う人や気の合う人を見つけてお付き合いしていくというのが普通なんじゃないの?
Rin
2003/11/12 (Wed) 23:04  E-Mail * http://bluewind.oops.jp/tanka/

---------------------------------------------------------

だから
自分ではお詠みにはならないけど、単に歌が好きな人もいるし・・・
そういう人たちもまた違った意味でいろいろなアドバイスをしてくださるし、視点がユニークだったりする。
他人にあーよめこーよめとかうるさい人は歌を知らないのよ。
つまりは、いかに自由な世界であるかを理解していないのだと思う。
だから、格下は相手にするなとまで言われてしまった。
歌が荒れるからね・・・
好みとは違う。
Rin
2003/11/12 (Wed) 23:09  E-Mail * http://bluewind.oops.jp/tanka/

---------------------------------------------------------

一番好きな来訪者はね
ああ今りんさんはこういう試みをしているのだなということを素直に理解してくれる来訪者。
どのようにでも詠めるということがいかに大変なことか・・・
古典からニューウェーブ、現代短歌の流れの中でさらに自分の詠みたいものを追求するということは、大変なことかもしれない。
簡単に詠んでいるけど、それはさらに簡単というわけでもなく、まあ、生涯のうち本当に気に入る歌が2,3首あればよいらしいから、舞い散る言の葉でもそれはそれで仕方がないのではないかというか。

歌の好きな人たちってマニアが多いからね。
もちろん自分では詠まない人たちも含めていろんなマニアがいるし、そういう人たちは自分よりも歌についての知識も豊富。
自分も評論を書けるくらいまで歌を読みこまないとダメなんでしょうけど、そういうことを考えるといくら時間があっても足りない。
自分で詠んでいるほうが遥かに楽しいせいもあるかもしれないけど。
Rin
2003/11/12 (Wed) 23:20  E-Mail * http://bluewind.oops.jp/tanka/

----------------------------------------------------------

一番困るのは
あたしは歌を詠み始めてまだ日が浅いから、短歌や和歌についてのご質問には答えられないということかもしれない。いわばそういうことは自分で勉強すればよいことだし、視点を磨き上げることが一層詠みを面白くする秘訣なのかも。
そういう意味で、時空には真実はなかったんでしょうね。もしかするとあったのかもしれないけれども自分が見落としていたのかもしれない。
いずれにせよ、単にウェブの製作を覚えたい人たちだけの集いとなるとそれはまったくの別団体だから、たしかに短歌である必要性は何もない。
調和が欠如しているような気がすることもある。
ただ、自分が発作的に歌を詠み始めて、そういう中で試行錯誤しているという記録がもしかすると誰かのお役立つこともあるかもしれない。独自の視点というのがあるから。でも、それすら調和のない世界では何の意味も持たない。
この乖離した価値観の世界においては最早調和などは望めないのかもしれない。
乖離し拡散した精神というものを調和のあるものの中に置き換えるという作業は無理なような気がすることもある。
分散した断片を歌にすると、かくもお粗末という歌になってしまう。
128億3000万光年の彼方に光る銀河の果ての星へ意識を飛ばせばたしかにすべてのことが意味なく存在し、断片のちりばめられた精神というものがかくももろく理解不可能であり、ましてや他人に理解を求めても無理であるということが近頃微かにおぼろげながら理解できるようになってきたばかりだけれど、それをごく身近な日常に置き換えることにより、ほんの少しだけほかの人とは違った歌を詠める可能性もある。
つまりは大きくかけ離れる必要もないのであり、かけ離れすぎればそれはまたかけ離れたものとして分類されてしまうようになっている。まあ、この意味はわかる人たちだけがわかればよろしいのかもしれないけれど、つまりは調和した精神や魂というものがいかに生きるに必要かということを訴えたいだけであり、拡散してしまった魂を宇宙から呼び戻す必要もなく、それよりもまずは生きている自分を見つめるべきであり、そのためには写実という原点に立ち戻ることが必要なのではないかと思った次第であります。
Rin
2003/11/12 (Wed) 23:42  E-Mail * http://bluewind.oops.jp/tanka/

***********************************************
ラサさまの板へのいたずら書きです。

投稿者 Blue Wind : 12:16 AM | コメント (0)

November 11, 2003

ポジティブな自己への道

時空の旅人的今日の歌

母の声テープのなかの江ノ島のアイスクリームなつかしかったと
岡田 幸生さんの歌

コメント「思い出は永遠の光に包まれて。なつかしいあの笑顔も一緒に。」

★歌葉より
http://www.bookpark.ne.jp/utanoha/

_____________

いたずらに書初めしたる父の文字机の中にしづもれながら

お正月に学校に提出するための書初めをしていたときに、何気なく父が書いた文字・・・空のお年玉袋とか・・・なんでこんなものがあるのだろうと思うものが自分のガラクタのつまった机の引き出しにはつまっている。
今ではめったに机に向かうこともなくなってしまったから、まさしく自分の引き出しの中は静止したまま。(え・・・整理しろって?)
Rin
2003/11/11 (Tue) 11:46  E-Mail * http://bluewind.oops.jp/tanka/

---------------------------------------------------------

小さな探検家たち

吾が過去を探検しせり書斎部屋吾子知らぬ吾を友がみつけり
想い出のたくさんつまった本棚に探検家らの無邪気な奇声
過去の名を書棚の隅より見出されわが名を不意に思い出したり
Rin
2003/11/11 (Tue) 11:56  E-Mail * http://bluewind.oops.jp/tanka/

------------------------------------------------------

母といふ名もなき吾にあたはれた姓とはたれの名と今をみつめる
子もなくば母といふ吾なかりせり母といふ吾吾子と生きたる
夫がいてぞ妻と呼ばれるわれのあり彼の人なきは虚空の藻屑
Rin
2003/11/11 (Tue) 12:11  E-Mail * http://bluewind.oops.jp/tanka/

------------------------------------------------------

お勧め本

中村陽吉(著)『対人場面の心理』 東大出版会 1983

http://www.library.mihama.n-fukushi.ac.jp/cgi-bin/web009.type?NJ91200297$http://www.library.mihama.n-fukushi.ac.jp/

検索したら、これしか出て来なかったけど、内容というかその名文に感動しますね・・・
Rin
2003/11/11 (Tue) 12:17  E-Mail * http://bluewind.oops.jp/tanka/

------------------------------------------------------------

自己意識

自己意識というか、常に他者により形成され、フィードバックされる自己という存在について考えてみるのも面白いかもしれません。
ドクターコパの究極のストレス発散の方法は、誰にも会わず、ずっと風呂にでも入っていることなのだそうです。
そのように語られると、他者から与えられる自己ではなく、単なる自分に戻るということが一番の癒しなのかもしれないですね。
そう思ってネットを始めたんですけど、ネットはなお一層酷いです。
勝手に自己のイメージを決定されて、しかもそれをなかなか破壊することができない。

できれば、ポジティブな人とだけお付き合いしているとポジティブな自分をキープできるのかもしれないし、それすら面倒ならば、一人でぼっけーっとしているほうが気楽。

歌人は一人の世界ですから、自分の世界に浸って詠みたいことを素直に詠んでいるほうが楽しい。
もしも詠みたくないような歌を詠むようになったとすれば、あっさり捨てる。
常に自己を見つめる。
石川啄木みたいに傍若無人に詠んでみたい。
それがなかなかむずかしいほどに、日常は誰かにより規定されてしまっている。

歌を詠んだり、書くことにより、何かを発散しているんでしょうね・・・
Rin
2003/11/11 (Tue) 12:25  E-Mail * http://bluewind.oops.jp/tanka/

---------------------------------------------------------

癒しを求められたくないというのはどういうことか?

つまりはですね、自分のサイトでコミュニケーション用のボードを使わなくなったのは、癒しを求められたくないわけです。
どんな来訪者に対しても一律ポジに接するというのは大変なことです。
ウマの合う人もいれば合わない人もいる。
それでも一律公平に接していられるというのは、自分が単なるスクリプトに徹しているからだと思うのです。

ところが、あまりにもネガティブな関係を長い間持ち込まれると、あっちにもこっちにもポジティブな関係を返すことは多大なるストレスとなってしまう。
どちらもポジティブな自己を回復しようと自己正当化に必死であり、一方を肯定すれば他方が否定されるという関係は常に完璧なポジは無理。
つまりは、振り回されるだけ損。

そういうことが急にバカらしくなってしまう。
ポジなイメージを回復したいのであれば、ポジな関係を再構築すればよいだけの話であり、それすらできないほどに精神が荒れてしまっている。
そういう人たちとのかかわりは自己を消耗するだけではなく、いつまでも不毛なエゴイズムを助長させているだけであり、まったくもってして無意味。

それよか、ぎゃーていぎゃーていのほうがましなんでしょうね。
Rin
2003/11/11 (Tue) 12:38  E-Mail * http://bluewind.oops.jp/tanka/

-----------------------------------------------------------

ぽいっと捨てて気ままに遊ぶ

つまりは何が自由か?
面倒になったら、ぽいっと捨てて、気楽にしている。
一番簡単なのは、自分を捨ててしまうこと。
相手が変わらないのであれば、相手により規定されている自分をぽいっと捨てる。

子どもと喧嘩すれば、母という自分を捨てる。
夫と喧嘩すれば、妻という自分を捨てる。
誰に対してもそう・・・
つまりは、誰かにより規定されている自己を捨て去ることにより、人間は物理的に存在していても最早同じ関係性はキープされないわけです。

これは、子どもには非常に効果があります。
母だと思って甘えているわけですから、「あんたなんてあたしの子じゃないわよ」と言って突き放すと、下手に叱るよりも一層の恐怖があるらしいです。
めったにそういうことはしませんけど、ある意味、違う自分を子どもに見せることにより、子どもの知らない母親が存在していることを知らせる。
だから、歌人でも何でもいいんですよね・・・
「自分は今歌を詠んでいるのだから、あなたの相手はできない」ということがすごく子どもとの関係性を調整するのに役に立つ。
常に同じ自分だけではなく、そういう意味で、たくさんの役割を持つことは大切なのかもしれないです。
Rin
2003/11/11 (Tue) 12:51  E-Mail * http://bluewind.oops.jp/tanka/

------------------------------------------------------------

誰でもそういうたくさんの役割を持ちながら
子どもと接する時には母であり、母と接する時には娘であり、夫と接する時には妻であり、自由な自分が構成されていくのだと思うのです。
互いにそういうお気楽で自由な関係に慣れてしまうと、この一瞬を大切にしようと思ったりします。
常に人との関係は変容していくし、新しい友達もでき、世界が広がる。
でも、常に変わらない関係性というのもある。
それがいわば時空の故郷なのかもしれないし、なつかしき我が家なのかもしれません。
そして、たくさんの故郷を持つことにより、いつもなつかしい自分も存在する。
そうやって自由な人間は常に時空を行き来するわけです。
Rin
2003/11/11 (Tue) 13:03  E-Mail * http://bluewind.oops.jp/tanka/

-----------------------------------------------------------

今となっては
死なないと逢えないなつかしい人たちも多いけれども、逆に考えたら、死んだらまた逢える。
そこは永遠の世界であり、死ぬことはないらしい。
永遠の愛に包まれて生きていくことができるらしい。

うちのダンナなどにしてみたら、死んだら終わりなのだそう・・・
まあ、それはそれで・・・・常に対立仮説があることが自然なのでしょう・・・・
Rin
2003/11/11 (Tue) 13:16  E-Mail * http://bluewind.oops.jp/tanka/


*****************************************

ラサさまの板への落書きです。

投稿者 Blue Wind : 04:17 PM | コメント (0)

November 07, 2003

他人の話は耳7分目

出雲は好きなのよ・・・もう何年も行ってないけど。
米子か出雲空港からタクシーで出雲大社へ向かう。
米子あたりだったら、飛行機のない時には自衛隊の飛行機が飛行訓練している。
あれはすごい。
大抵は輸送機だけど。

出雲だと竹野屋に泊まる。
竹内まりやの実家。
憧れだったなぁ・・・竹内まりやは。
ピーチパイを歌った記憶がある。

出雲へ行くと、祖霊社というのがあって、まずはそこを尋ねる。
苔なのだそう・・・霊気が宿っているのは。
スサノオノミコトのお社のお砂とか、その裏の苔とか・・・
山なのだそう・・・神の霊気の宿るのは・・・実際にはお社ではなく。
山に霊気があるのだそうです。

出雲の雰囲気は特殊だ。
神有月だからね・・・

どこかのお社へ行った。
宮司さんの奥さんという人が出てきて、そこの神さまのことを話してくれたのを覚えている。
毎晩、夜になると神さまが暴れているらしい。
もしかするとその巫女さん風の奥さんは狂っているのかもしれないと思った。
だけど、あまりにも彼女が真剣なので、信じてしまったほどだ。
真偽を確かめるのは趣味ではない。

あれはタクシーの中だった。
たしか飛行機の墜落事故があり、助かった女の子が出雲の子だったらしい。
それで、その話題がタクシーのローカルニュースで流れていた。
Rin
2003/11/06 (Thu) 15:18  E-Mail * http://bluewind.oops.jp/tanka/

--------------------------------------------------------

あたしの弱点は
他人の話を真面目に聴きすぎるということなのかもしれないです。
Rin
2003/11/06 (Thu) 15:25  E-Mail * http://bluewind.oops.jp/tanka/


---------------------------------------------------------

つまりはさ・・・
日の丸を日章旗にした人たちが間違っていたのかもしれない。
宗教というのはまた別問題のような気がすることがあるけど。
Rin
2003/11/06 (Thu) 15:40  E-Mail * http://bluewind.oops.jp/tanka/


-------------------------------------------------------

今日のお勧めのCD
★Cafe Arabia

http://www.unionsquaremusic.co.uk/title.php?ALBUM_ID=204LABEL_ID=3

北アフリカ地方のライポップのカフェ・ミュージック
Rin
2003/11/06 (Thu) 15:48  E-Mail * http://bluewind.oops.jp/tanka/

_________

ラサさまの板へのいたずら書きです。

投稿者 Blue Wind : 12:00 PM | コメント (0)

November 05, 2003

かの子とちひろ

短歌でも詩でも・・・文学でも・・・永遠。

岡本かの子は・・・もう終わったというあなたへ、

 ラサは、この人の考え方は好きです。

  旦那様との離婚において・・・

  
作家名: 岡本 かの子
作家名読み: おかもと かのこ
ローマ字表記: Okamoto, Kanoko
生年: 1889-03-01
没年: 1939-02-18
人物について: 1889(明治22)年3月1日、東京赤坂青山南町の大貫家別荘で生まれる。本名カノ。跡見女学校卒業後、与謝野晶子に師事し、「明星」や「スバル」に短歌を発表した。明治43年、上野美術学校の画学生岡本一平と結婚。翌年岡本太郎誕生。しかし、それぞれの強烈な個性が激突し、かの子の身内の不幸も重なって、結婚生活は破綻した。その結婚生活の地獄を乗り越えるため、夫婦で宗教遍歴をし、大乗仏教に辿り着く。1936年、芥川龍之介をモデルにした『鶴は病みき』によって文壇に登場。その後、『母子叙情』『金魚撩乱』『老妓抄』などを発表。1939年(昭和14)年2月18日、脳溢血にて死去。

   http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person76.html#sakuhin_list_1


★ 結婚生活は破綻した。その結婚生活の地獄を乗り越えるため、夫婦で宗教遍歴をし、大乗仏教に辿り着く。

   この辺のお話をどこかに書いていないかしらと
   昨日は、沢山読んで見ましたけれど・・・

     残念な事に・・そおいういみあいの文章には出会えませんでした。
ja_lasa
2003/11/05 (Wed) 07:58  E-Mail * http://popy2.cool.ne.jp

-------------------------------------------------------

かの子が終わったというのは
かの子という当時の新しい女性像が最早古めかしいという意味です。

明治生まれの女性としては、かなりモダンな人だったことがわかります。
けれども、彼女の感性はユニークだけど、最早、斬新さがない。
つまり、さほどめずらしくもなくなってしまったのでしょう。

黒鳥など存在しないといわれていた時代に黒鳥を初めて見たら、そりゃ感動ものですが、毎日見ているとカラスみたいなもので単なる迷惑な野鳥なのだそうです。

黒い薔薇にも飽き、そのうち青い薔薇にも飽きてしまうでしょう。

ライト兄弟が出没する以前には空を飛ぶなんて夢でした。
でも、ファンタジーが現実のものになったとたんに飽きてしまう。
そして次なるファンタジーへ人間は突き進む。

かの子は終わった。

だから、次なる女性像というのが必要な時代なんだと思っただけ。
アートというのは時代を写す鏡であり、ダイナミクスですから、常に新しい時代へ向かって何かを訴えかけていく力。

短歌もね、ニューウェーブは終わったという人たちが多いし、特に若い人たちに・・・
迷うね。
Rin
2003/11/05 (Wed) 08:10  E-Mail * http://bluewind.oops.jp/tanka/

----------------------------------------------------------------

加齢はときに自分を変える
だから、その時々の自分がある。
いつまでも昔の自分ではない。
そういう意味では、誰でもそう。
常に新しい誰かが存在している。

だからさ、夫婦でも飽きないで付き合っていられる気がするけど。
若い頃からまるで変わらない人なんて、単なる退屈で幼稚な男。

歳月は楽しいよ。
Rin
2003/11/05 (Wed) 08:32  E-Mail * http://bluewind.oops.jp/tanka/

----------------------------------------------------------------

この前紹介した永田さんの歌も・・
すでに20年以上も前の歌。
最早、ああいう歌は詠めないそうです。
というか、すでに過去の自分なんだろうね。

でも、今がある。
そして毎日詠む。

自分はまだまだ歌が浅いわ。
Rin
2003/11/05 (Wed) 08:34  E-Mail * http://bluewind.oops.jp/tanka/

--------------------------------------------------------------

常に
細胞が活性している人を若いと感じる。
生涯青年ということと、単に幼稚ということとは大きく意味が違う。
人間的な魅力がどちらが大きいか?

ってことなんだろうな・・・

晩年の自分に期待しよう(笑)。
Rin
2003/11/05 (Wed) 08:48  E-Mail * http://bluewind.oops.jp/tanka/

--------------------------------------------------------------

破綻の解釈が違うんだと思う
★ 結婚生活は破綻した。その結婚生活の地獄を乗り越えるため、夫婦で宗教遍歴をし、大乗仏教に辿り着く。

岡本かの子の場合、離婚しなかったのよ・・・たしか。
それで、夫と愛人と一緒に暮らしていたという話をどこかできいた記憶があるのだけれど・・・
岡本太郎のテレビのインタビューかな・・・忘れた。

太郎が6歳くらいの時に、そういう家庭環境だったらしい。
離婚できたら違ったのかもしれないけど、夫も出て行かないし、かの子は愛人と暮らしたい。
それで、奇妙な家族の中で、太郎は育ったという話なのだけれど、かの子夫婦の晩年があるとは知らなかった。
Rin
2003/11/05 (Wed) 16:28  E-Mail * http://bluewind.oops.jp/tanka/

--------------------------------------------------------------

かの子も強烈なキャラだけど
岡本一平さんというのも相当強烈なキャラなんでしょうね・・・
有名な画家でもあるけれど、かの子さんや太郎さんのほうが強烈で・・・
Rin
2003/11/05 (Wed) 16:32  E-Mail * http://bluewind.oops.jp/tanka/

-------------------------------------------------------------

こうやって書くと月並みな話なんだけど・・・
なんかさ・・・ワイドショー的ジメジメとした話の一つに過ぎないようなんだけど、何かどこかが違うのよ。
強烈すぎて、うまく表現できない。
愛と苦悩と家族愛と、情熱とカラッとした感性と、それがそのまま太郎の感性として、「芸術は爆発だ」というフレーズにつながっていったと思うほど。
つまりは、太陽の塔などに象徴される岡本太郎の世界は、この頃に彼に立脚しているのではないかという・・・
ああいう家庭だったんだろうな・・・
月並みな表現だけど。
それを表現するために、太郎のアートがあるような気がするくらいだわ。
Rin
2003/11/05 (Wed) 16:43  E-Mail * http://bluewind.oops.jp/tanka/

-------------------------------------------------------------

うんうん
爆発しちゃったんだね・・・
あれこそが彼の表現したい何かだったのかもしれないし、青山のこどもの城の前にもちゃっかり太郎の世界がある。
Rin
2003/11/05 (Wed) 16:46  E-Mail * http://bluewind.oops.jp/tanka/

--------------------------------------------------------------

同級生の子どもたちがお母さんに世話をしてもらって小綺麗にしているでしょ?
なのに、太郎は服の綻びも直してもらえない。
それで心配して先生がやってきて・・というお話もあったような・・・

かの子は綺麗にお化粧して、綺麗な?母だったのでしょう。
モダンな才媛でアートなファミリー。
でも、家庭には太郎の父と母の愛人が一緒に暮らす。

壮絶だよ。
自分的には、かの子のような女は嫌いだ。
仕事をする母親も嫌いだ。
職業婦人なんて糞っ食らえだ。

・・・・・・・・・・・いわさきちひろに癒されたい。おおまじ。トラウマかな・・・

かの子が嫌いなのかもしれない。単に。
Rin
2003/11/05 (Wed) 17:48  E-Mail * http://bluewind.oops.jp/tanka/

------------------------------------------------------------

うちの母もね・・・
晩年はお寺ばかりまわっていましたけれども、彼女にとって宗教って何だったのか教えてほしいですね。
一つ自慢できるのは、うちの母は太郎さんのお母さんより、遥かに美人だったということかもしれないです。
Rin
2003/11/05 (Wed) 17:51  E-Mail * http://bluewind.oops.jp/tanka/


**********************************************

いわさきちひろ
★ちひろ美術館
http://www.chihiro.jp/

癒されてください・・・
Rin
2003/11/05 (Wed) 16:51  E-Mail * http://bluewind.oops.jp/tanka/

-------------------------------------------------------------

『透明でやさしい色彩につつまれた、ちひろの描いた子どもたちは、生命の大切さを語りかけています。
軍靴の音が迫るなかで少女時代を過ごし、戦争の最中に青春を生きたちひろが、絵筆にたくして描き続けたものは、彼女の残した言葉「世界中の子ども みんなに平和としあわせを」に象徴されているでしょう。
ちひろ美術館は、そんなちひろの心を大切にしています。 』


★ちひろ美術館 人と作品より
http://www.chihiro.jp/chihiro/works.htm
Rin
2003/11/05 (Wed) 16:53  E-Mail * http://bluewind.oops.jp/tanka/

--------------------------------------------------------------

お勧めページ
★緊急アピール 戦争ではなく平和を「平和のページ」

http://www.chihiro.jp/peace/index.htm
Rin
2003/11/05 (Wed) 16:57  E-Mail * http://bluewind.oops.jp/tanka/

-----------------------------------------------------------

自分的には
かの子さんより、ちひろさんのほうが見慣れている。
それでね、かの子は終わったと思ったのかもしれない。
Rin
2003/11/05 (Wed) 17:01  E-Mail * http://bluewind.oops.jp/tanka/

-------------------------------------------------------------

日本の
高度成長期に象徴されるような岡本太郎の世界よりも、癒されたいだけなのかもしれないけど・・・

ちひろさんってあまり好きだと思ったことない。
葉祥明さんとかちひろさんとかのイラスト・・・懐かしいけど、そのよさがわかるようになっただけ、自分もババアになったのかもしれないです。
Rin
2003/11/05 (Wed) 17:05  E-Mail * http://bluewind.oops.jp/tanka/

-------------------------------------------------------------

こどもの城に
1時間900円で子どもを預けて仕事するより、田舎でのんびり子育てさ。

写実でございます。
青山より筑波山の麓・・・
ロケット見ながら生きてるぞ〜(笑)。
Rin
2003/11/05 (Wed) 17:15  E-Mail * http://bluewind.oops.jp/tanka/

-------------------------------------------------------------

閑散と空室ならぶ青山を吾子の手を引き懐かしくもなく

6年か7年前だな・・・すでに。
Rin
2003/11/05 (Wed) 17:19  E-Mail * http://bluewind.oops.jp/tanka/

-------------------------------------------------------------

古語は難しい
そのやうに生きたいのならそのやうに生きる世界が与へられなくに
Rin
2003/11/05 (Wed) 17:34  E-Mail * http://bluewind.oops.jp/tanka/

************************************

ラサさまの板へのいたずら書きです。

投稿者 Blue Wind : 06:07 PM | コメント (0)