November 11, 2003

ポジティブな自己への道

時空の旅人的今日の歌

母の声テープのなかの江ノ島のアイスクリームなつかしかったと
岡田 幸生さんの歌

コメント「思い出は永遠の光に包まれて。なつかしいあの笑顔も一緒に。」

★歌葉より
http://www.bookpark.ne.jp/utanoha/

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いたずらに書初めしたる父の文字机の中にしづもれながら

お正月に学校に提出するための書初めをしていたときに、何気なく父が書いた文字・・・空のお年玉袋とか・・・なんでこんなものがあるのだろうと思うものが自分のガラクタのつまった机の引き出しにはつまっている。
今ではめったに机に向かうこともなくなってしまったから、まさしく自分の引き出しの中は静止したまま。(え・・・整理しろって?)
Rin
2003/11/11 (Tue) 11:46  E-Mail * http://bluewind.oops.jp/tanka/

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小さな探検家たち

吾が過去を探検しせり書斎部屋吾子知らぬ吾を友がみつけり
想い出のたくさんつまった本棚に探検家らの無邪気な奇声
過去の名を書棚の隅より見出されわが名を不意に思い出したり
Rin
2003/11/11 (Tue) 11:56  E-Mail * http://bluewind.oops.jp/tanka/

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母といふ名もなき吾にあたはれた姓とはたれの名と今をみつめる
子もなくば母といふ吾なかりせり母といふ吾吾子と生きたる
夫がいてぞ妻と呼ばれるわれのあり彼の人なきは虚空の藻屑
Rin
2003/11/11 (Tue) 12:11  E-Mail * http://bluewind.oops.jp/tanka/

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お勧め本

中村陽吉(著)『対人場面の心理』 東大出版会 1983

http://www.library.mihama.n-fukushi.ac.jp/cgi-bin/web009.type?NJ91200297$http://www.library.mihama.n-fukushi.ac.jp/

検索したら、これしか出て来なかったけど、内容というかその名文に感動しますね・・・
Rin
2003/11/11 (Tue) 12:17  E-Mail * http://bluewind.oops.jp/tanka/

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自己意識

自己意識というか、常に他者により形成され、フィードバックされる自己という存在について考えてみるのも面白いかもしれません。
ドクターコパの究極のストレス発散の方法は、誰にも会わず、ずっと風呂にでも入っていることなのだそうです。
そのように語られると、他者から与えられる自己ではなく、単なる自分に戻るということが一番の癒しなのかもしれないですね。
そう思ってネットを始めたんですけど、ネットはなお一層酷いです。
勝手に自己のイメージを決定されて、しかもそれをなかなか破壊することができない。

できれば、ポジティブな人とだけお付き合いしているとポジティブな自分をキープできるのかもしれないし、それすら面倒ならば、一人でぼっけーっとしているほうが気楽。

歌人は一人の世界ですから、自分の世界に浸って詠みたいことを素直に詠んでいるほうが楽しい。
もしも詠みたくないような歌を詠むようになったとすれば、あっさり捨てる。
常に自己を見つめる。
石川啄木みたいに傍若無人に詠んでみたい。
それがなかなかむずかしいほどに、日常は誰かにより規定されてしまっている。

歌を詠んだり、書くことにより、何かを発散しているんでしょうね・・・
Rin
2003/11/11 (Tue) 12:25  E-Mail * http://bluewind.oops.jp/tanka/

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癒しを求められたくないというのはどういうことか?

つまりはですね、自分のサイトでコミュニケーション用のボードを使わなくなったのは、癒しを求められたくないわけです。
どんな来訪者に対しても一律ポジに接するというのは大変なことです。
ウマの合う人もいれば合わない人もいる。
それでも一律公平に接していられるというのは、自分が単なるスクリプトに徹しているからだと思うのです。

ところが、あまりにもネガティブな関係を長い間持ち込まれると、あっちにもこっちにもポジティブな関係を返すことは多大なるストレスとなってしまう。
どちらもポジティブな自己を回復しようと自己正当化に必死であり、一方を肯定すれば他方が否定されるという関係は常に完璧なポジは無理。
つまりは、振り回されるだけ損。

そういうことが急にバカらしくなってしまう。
ポジなイメージを回復したいのであれば、ポジな関係を再構築すればよいだけの話であり、それすらできないほどに精神が荒れてしまっている。
そういう人たちとのかかわりは自己を消耗するだけではなく、いつまでも不毛なエゴイズムを助長させているだけであり、まったくもってして無意味。

それよか、ぎゃーていぎゃーていのほうがましなんでしょうね。
Rin
2003/11/11 (Tue) 12:38  E-Mail * http://bluewind.oops.jp/tanka/

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ぽいっと捨てて気ままに遊ぶ

つまりは何が自由か?
面倒になったら、ぽいっと捨てて、気楽にしている。
一番簡単なのは、自分を捨ててしまうこと。
相手が変わらないのであれば、相手により規定されている自分をぽいっと捨てる。

子どもと喧嘩すれば、母という自分を捨てる。
夫と喧嘩すれば、妻という自分を捨てる。
誰に対してもそう・・・
つまりは、誰かにより規定されている自己を捨て去ることにより、人間は物理的に存在していても最早同じ関係性はキープされないわけです。

これは、子どもには非常に効果があります。
母だと思って甘えているわけですから、「あんたなんてあたしの子じゃないわよ」と言って突き放すと、下手に叱るよりも一層の恐怖があるらしいです。
めったにそういうことはしませんけど、ある意味、違う自分を子どもに見せることにより、子どもの知らない母親が存在していることを知らせる。
だから、歌人でも何でもいいんですよね・・・
「自分は今歌を詠んでいるのだから、あなたの相手はできない」ということがすごく子どもとの関係性を調整するのに役に立つ。
常に同じ自分だけではなく、そういう意味で、たくさんの役割を持つことは大切なのかもしれないです。
Rin
2003/11/11 (Tue) 12:51  E-Mail * http://bluewind.oops.jp/tanka/

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誰でもそういうたくさんの役割を持ちながら
子どもと接する時には母であり、母と接する時には娘であり、夫と接する時には妻であり、自由な自分が構成されていくのだと思うのです。
互いにそういうお気楽で自由な関係に慣れてしまうと、この一瞬を大切にしようと思ったりします。
常に人との関係は変容していくし、新しい友達もでき、世界が広がる。
でも、常に変わらない関係性というのもある。
それがいわば時空の故郷なのかもしれないし、なつかしき我が家なのかもしれません。
そして、たくさんの故郷を持つことにより、いつもなつかしい自分も存在する。
そうやって自由な人間は常に時空を行き来するわけです。
Rin
2003/11/11 (Tue) 13:03  E-Mail * http://bluewind.oops.jp/tanka/

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今となっては
死なないと逢えないなつかしい人たちも多いけれども、逆に考えたら、死んだらまた逢える。
そこは永遠の世界であり、死ぬことはないらしい。
永遠の愛に包まれて生きていくことができるらしい。

うちのダンナなどにしてみたら、死んだら終わりなのだそう・・・
まあ、それはそれで・・・・常に対立仮説があることが自然なのでしょう・・・・
Rin
2003/11/11 (Tue) 13:16  E-Mail * http://bluewind.oops.jp/tanka/


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ラサさまの板への落書きです。

投稿者 Blue Wind : November 11, 2003 04:17 PM
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