ああまた偶然だと思う今日の歌
命なき石の悲しさよければころがりまた止まるのみ
中原中也の歌
コメント「命あるかぎり、前に進めます。」
★歌葉より
http://www.bookpark.ne.jp/utanoha/
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中也は15歳の時に短歌を詠み始め、それが原因で落第してしまったらしい。
つまりは、その時にすでに自分が詩人体質であることを確認したのだろう。
自分的には、石に命を与えてはいけないような気がするけれど、単なる石を見ても美しいと思ったり、恐ろしいと思ったり、石像になってみたり、人間のクリエートするものには天然の石とは違った人間の意志というものが存在するために、表現するということは想念やこころを具現化することなのかもしれない。
花は生きているから咲く。
でも命のないはずの石でさえ花が咲く。
石の森歩いてみたいガウディのみ霊のねむる教会のなか
人生は偶然のなかいのちあり不思議のなかにみちはひらけり
狂人の打ち鳴らす鐘高らかに鏡のように光を弾き
人格をすでに亡くしたその人のうつろいゆくはみちゆく人ぞ
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なんでにゃーごに書くかって?
うちの娘のお気に入りに掲示板だから(笑)。
ねこの掲示板なんだってさ。彼女のインスピレーションを信じているだけ。
狂人の打ち鳴らす鐘高らかに鏡のように光を弾き
人格をすでに亡くしたその人のうつろいゆくはみちゆく人ぞ
そこがおもしろいかのかも・・・ミラーは
Rinさんへ書く九里さんは気分はRinさん九里に語れり
違うな
Rinさんへ書く九里さんは気分はRinさんRinに語れり
こっちが正しい(笑)。
Rinさんになった九里さん今日もまたRinという名の九里に話せり
ラサさんになった九里さん今日もまたラサという名の九里に話せり
Rinさんになった九里さん今日もまたRinという名の自分に話せり
ラサさんになった九里さん今日もまたラサという名の自分に話せり
だから・・・・
自分を消したほうが早いんだけど・・・
あたしってあんなにきつい?今日もまたパロディをみて小首をかしぐ
九里よ九里 真似るのならばもう少し手本みならいセリフをなおせ