November 15, 2003

アメリカの失敗は

やはり武力を行使したということなのでしょう。
たしかにフセインやテロリストは悪なのかもしれないけれども、正義という名の下にバイオレンスを行使すれば、それは最早正義ではなく単なる一つの暴力行為にすぎない。

これを九里大魔王から説明すると、九里大魔王からすれば、正義を実行するものはすべて悪ということになってしまう。つまりは、常に自分を攻撃する人間であり、敵であると識別されてしまう。攻撃を行う側にしてみれば、相応に正当な理由があるから追い込むのであり、攻撃もまた正当な報復であるかのような錯覚が生じる。

ところが、善と悪は常に交わることなく存在し、悪から見れば善は悪であり、悪と識別されてそのように善を観察すればたしかに悪と変わらない。

動機として、好きな女の子のために贈り物をしたとしましょう。
ところがそれを盗んだとすればどうでしょう?
つまりはアラジンではないけれども、盗賊は盗賊であり、社会的には嫌われる存在である。
ところが親もなく育つアラジンにしてみれば、社会というものが悪であり、生きるために盗みを働く。
つまり、何が善であり悪であるのかは社会というもののルールであり、それとは別に宇宙のルールというものも存在しており、形あるものは消えていく運命なのだから、鍋の中に残ってしまうか、畑で枯れてしまうか、単に消化されてしまうか、それすらそれぞれの生命体に運命が存在している。

通常の善が悪に見えてしまうという哀しさよ。
悪いヤツはいないほうがいいに決まっているけれども、それも行き過ぎれば公開処刑や拷問・戦争とかね・・・人間とは残忍な生き物だから仕方がない。

国際ルールで考えると、要はアメリカはお節介なんだな・・・
紛争が発生すればそれを抑止することは大切かもしれないけど、武力により弾圧したり制圧したりすれば、それは最早悪だ。
正義という名の下に悪が実行されているに過ぎない。
しかも、抑止するということと報復するということではまったく性質が違う。
報復には報復をもって応えるというハンムラビ法典を連想してしまう。

つまりは、善と悪は互いに交わってはいけないのであり、その両者が混合すればそこで戦いが発生するようになってしまっているのかもしれない。
やっぱ、分離するしかないのかな・・・
次には誰がアメリカを抑止するのか?
それが21世紀のテーマなのかもしれません。
Rin
2003/11/15 (Sat) 02:25  E-Mail * http://bluewind.oops.jp/tanka/

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つまりは
本当の悪とは、常に勝つことしか念頭に置いていないということなのかもしれない。そこには最早戦いしか存在せず、もしもそういう価値観で世の中が回っていれば彼は常に地獄を徘徊する星のもとに生まれてきたのだろう。

そこは癒しなど何もなく、常に敵か味方であり、誰も信じることができない。
いわば、信じられるのは自分ひとりしか存在しない。常に孤独な魂だ。彼が狂ってしまったとしてもそれすら運命な気がするほどだ。

こういう人間が常に権力や集団というものにしがみつかなければならないのは常に攻撃に晒されているからだ。権力が人間を腐敗させる。こういう人間は死んでなお地獄を彷徨うしかないのだろう。
Rin
2003/11/15 (Sat) 10:20  E-Mail * http://bluewind.oops.jp/tanka/

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ルドビーさんの詩
『神様 ありがとう』


わたしは 何でもできるようにと 力を 神に 願った

しかし 従う 謙虚さを 学ぶようにと 弱く 創られた

わたしは 偉大なことが できるようにと 健康を願った

しかし よりよいことを 行うようにと 病弱が与えられた

楽しい人生になるようにと 友だちや 仲間を 望んだ

しかし キリストだけを 友とするようにと 孤独が 与えられた

そして すべてを 喜ぶ恵みを 神から いただいた

こうして わたしの 罪深さにも かかわらず 祈りは聞き入れられた

いたらなさにもかかわらず 神の 豊かな 祝福の うちに 生きている


★ludovy's communityより
http://groups.msn.com/ludovyscommunity/page27.msnw
Rin
2003/11/15 (Sat) 10:35  E-Mail * http://bluewind.oops.jp/tanka/

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一つわかっているのは・・・
この世に九里大魔王が存在するから、常に対立する社会の美しさがわかるのであり、そこにはどうして永遠の幸福があるのかがわかるということである。

常日頃自分の幸福に埋没していると、何も見えなくなってきてしまう。つまりは当たり前に存在するから・・・自分に与えられているいくつもの幸せを見落としてしまう。
でも、こうした幸せは決して当たり前ではないのだということが九里大魔王を垣間見ることにより知ることができる。

が、しかし・・・
九里大魔王も幸せになることができる。
つまりは、そこは彼だけの世界であり、誰にも邪魔されることはないだろう。
そういう闇の世界は彼のものであり、封印することにより、地上に平和がもたらされる。

やはり、善と悪は常に交わることはなく、聖と俗の間には明確な境界が必要だ。
その両者がこの世から消えることはないかもしれない。
それでもその二つを眺めることにより、ささやかなる幸福に気がつくこともあるだろう。
つまりは、それが自分にとっての真の財産であり、それは誰も自分から奪うことはできない。

もしも誰かが自分の財産を奪おうとしたら、彼は神を敵に回すことになるのだろう。
Rin
2003/11/15 (Sat) 10:53  E-Mail * http://bluewind.oops.jp/tanka/

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神を敵に回した人たちのことを知りたければ
オウム真理教のニュースでも眺めますか・・・・
Rin
2003/11/15 (Sat) 11:08  E-Mail * http://bluewind.oops.jp/tanka/

投稿者 Blue Wind : November 15, 2003 05:19 PM
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