December 26, 2010

クリスマスミサ

クリスマス、おめでとうございます。

イブの日は、前日に訃報が入り、親戚宅へ・・・

お葬式は来週になったので、クリスマスにクリスマスミサへ。

入り口のところでめずらしくフィリピン出身の方に話しかけられ、一緒に隣の席に座った。顔は知っているけれども名前はいまだに知らない。

彼女「昨日、一人で教会にいたら、ツリーの星がキラキラ光っていたんですよ。一つだけずっと光っていて」

わたし「そう言えば、一昨日伯父が亡くなったので、昨日は東京に向かって高速を走っていたら、天使の梯子がずっと見えていました」

彼女「天使の梯子?」

わたし「そう。雲からの光が降りてくるみたいなのを天使の梯子って言います」

彼女「ああ、なんとなくわかる」

わたし「天使が上り下りしていたのかもしれないですね」

彼女「夜の雲も、透明感があっていつもと色が違ったし・・・」

わたし「昨日は、晴れていましたよね」

彼女「そう、でも雲の色がいつもと違った」

わたし「あの星を付けたのは、実はこの子(隣の席の娘)なんですよ」

彼女「そうなの?」

わたし「そう。クリスマスの飾り付けを手伝うために連れてきて、左の星を付けたのは娘なんです」

彼女「偶然。私、そういうことって結構あるんですよ」

わたし「それを知らせてくれるために、今日、隣の席に座ったのかもしれないですね」

などと話していたら、御ミサが始まった。

途中でまた、

「ほら、見て。星が光ってる」

と言われ、眺めたら、金色の光が壁に反射している。角度からすると右側のツリーかと思ったが、彼女が右側は影になっているから左側の星の反射だと言う。さっきまでなかったのに、たしかに壁に星が写っている。

互いに不思議だということを確認し合いながら、彼女はツリーの星がキラキラ光っていたので感動しているし、わたしは椅子に上って娘が付けていた姿を思い出して感謝の気持ちでいっぱいになり、娘は娘でなんとなく喜んでいるような気がした。

彼女「私は、この席が好きなんですよ。ほかの席ではダメ。歌えない」

わたし「そうですよね。神さまの正面で、神さまに歌う・・・」

彼女「そう。神さまがよく見えて、ほかの席では見えないから」

なるほどと思いつつ、まるでわたしの気持ちをストレートに代弁してくれているようで、嬉しかった。そう言えば、日本語のミサだと端のほうから席が埋まっていくが、国際ミサだと中央から席が埋まっていくような気がする。2度ほど聖歌隊の席に座ったきり、その席を避けているので、それを遠目に気がついて、話しかけてくれたのかもしれない、とその時なんとなく感じた。それとも、偶然か? ツリーの星の話も偶然だし、席の話もたまたま隣に座ったので話してくれただけかも。

いずれにせよ、彼女が神さまからのメッセージを伝えにくてくれたのは本当だし、皆で写真を撮ったり、にぎやかな御ミサだった。

(使徒 15. 12-18)

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December 17, 2010

子どものほうがなじみやすい

その昔、いつの頃か忘れたけれども、娘と一緒に教会へ行き、「ここの教会はいつも誰もいないね」と娘が言っていたことを思い出す。今は御ミサや行事のあるときに行っているので、いつも誰かいるけれども、そういうとき以外では、もしかすると誰もいない時間のほうが長いかもしれない。

今日、勉強会へ行き、聖家族の像のことを話していたら、テラコッタの像を使うのは、今年が初めてだと言われた。今までに使っていた像は、5人の羊飼いが4人になってしまったがゆえに、隣の部屋にひっそりと置かれていた。つまり、教会で像ばかり盗まれる事件が相次ぎ、そういうことになってしまったそう。

冷蔵庫にまで鍵がかかっているので、変な教会だと思っていたが、冷蔵庫だけではなく、誰もいないときにはあちこちに鍵がかかっている。さすがに教会なので扉の鍵まではかけれないということで、そういうことになったそう。

どことなくギスギスしたところのある教会だと思っていたが、そういうことがあったとは・・・

25周年はどしゃぶりの雨で、実行委員長をしていた方が先日交通事故で突然亡くなり、かなりの衝撃が走った。

生ゴミは各自で持ち帰らなければならないとか、冷蔵庫の鍵のある場所とか、盗難事件のこととか、その他諸々信仰とはあまり関係のないところの話を知るにつれ、次第に暗い気分になる人たちも多いのかもしれない。

それにしても代母はいつも教会にいる。御ミサが好きで、毎日でも出たいと言って、あの年で毎日のように教会に来ている。ああやって年を取りたいと誰かが言っていたが、わたしも同感である。ちょっと見習って、わたしも行けるときには行こうかと思ってしまう。

娘も日曜日には一緒に教会に行ってくれるようになったので、わたし的には快調。が、しかし、娘を理由に聖歌隊から遠ざかろうと思っていたら、二人で誘われてしまった。あの子はまだ受洗していないのだが、よいのだろうか・・・

深く考えるのはやめよう。なんとなく自然に教会に溶け込んでいる娘をみると、なんとなく癒される。

(ヨハネ 4. 27)

投稿者 Blue Wind : 01:57 AM | コメント (0) | トラックバック

December 15, 2010

生保パラダイス?

生活保護の患者さんがいる。すでに3年以上通院していると思う。お子さんが4人いて、賑やかな家族だ。

ある日、障害センターから連絡があり、高校生になる長男ために医師意見書を書いてくれるかどうか問い合わせがあった。医師が手が離せなかったため、いつもの医療券の意見書だと勘違いし、受付の子が送付してくれるように答えた。数日して、送られてきた中身を確認すると、本当に障害福祉課からの書類が入っていた。

うちのクリニックで議論になったのは、あの子が本当に発達遅滞で、知的障害者かどうかということ。うちは内科なので、これまでに数回風邪などで診察したくらいで、ほとんど精神的な障害については記憶がない。そこで両親と一緒に来てもらうことにした。

わたしはそのどちらにも直接居合わせなかったのでよく知らないが、わたしの印象では、緊張すると少しどもるクセがあるほかは、あの家族の中では至ってまともで、今まで普通の高校に通っていると思っていた。ほかの子たちにも然り。

ところが、親が言うには、どの子も障害者で、すでにそういう学校に通わせているらしい。

皆、驚いた。

聞きたくなくても、父親の声が大きいので、診察室の話は筒抜け。一番上と下のお子さんを除くと、どの子も普通の子たちである。でも、障害者と言うからには、誰かが意見書を書いたのだろうし、ならばその意見書を書いた医師に頼めばよいのに、どういうわけかうちのほうに依頼が来ている。誰に書いてもらったのか訊いてもわからないと言う。

そこで、うちでは書けないから、然るべく精神科のほうを受診し、そちらで書いてもらうように親に伝えたらすぐに障害福祉課から連絡があり、受付で送ってくれるように言われたから書類を送ったのに、書けないというのはどういうことかとかなりきつい口調で言われたと、言われた。

***

どういうことなのか話が見えないので、今日、わたしが市役所に連絡した。電話口の人が3人代わり、ようやく担当らしき人が電話に出た。

とりあえず、うちでは親の消化器のほうは診ているけれども、お子さん達は風邪などで来ているだけだし、そういう話は初めて伺ったので対応に苦慮している旨を伝えたら、書類は破棄してくれて構わないと言われた。

そこでさりげなく、こちらのほうから、「あのお子さんたちは皆障害者なんですか?」と尋ねたら、「どこでその話を訊いたんですか」と逆に問われた。もちろん、ご本人からである。もし、本当にあの子たちが障害者と言うのであれば、その書類を作成した医師なり担当者がいるわけで、今回もそちらのほうで書いてもらうほうがよいのではないかと伝えたら、その担当者もよくわからないと言う。

要するに、すでにそういう学校(たぶん養護学校だろう)に通っているのだから、医者は意見書だけ適当に書いてくれればいい、という感じ。既成事実としてそうなっている以上、それ以外の方法は考えられないのだろうか。

とすると、あの子たちは、実は障害者でも何でもないのに、親によって障害者にされているのではないかという疑問が湧いたが、わたしとても、そこまでは言えない。

医師は、その子たちの父親から、お金が出なくなるから判子だけ押してほしいと頼まれた。が、しかし、子は障害者でもないのに障害者の学校に入れられ、そのおかげで、あの親は生活保護と子ども手当と障害者のための給付金まで受け取っているのだろうか?

***

どうしたもんかいな、と受付の子に話すと、「Oさん、夏休みに沖縄に行くって言ってましたよ」と言う。

はあ?

生保の人が、沖縄に家族旅行?

今まで、そういう話は聞いたことがなかったし、子ども手当てをどのように使おうと、そりゃその人たちの勝手だと思ったが、あちこちのショッピングセンターで目撃され、沖縄に旅行へ行き、子どもの学費はタダだし、バス代も医療費もタダ。しかも、働かない。

貧しい人たちにイエスさまを見つける・・・・

どうやって?

なんか、ものすごく裏切られた気持ちがした、嫌な話である。

(使徒 2. 12-13)

虐げられていた人たちがパラダイスへ行くということ?

が、しかし、それを現実に目の当たりにすると、まじめに働いている人たちがバカみたいじゃない? 子どもたちを障害者にして福祉を受けている人たちを喜べとか?

今まで、聖書をいかに他人事として読んでいたかを感じる。

罪深い人たちが赦されて、まじめな人たちがないがしろにされるのか?

でも、よく読むと、そうやって書いてある。

教会の人たちは、裕福で立派な人たちが多い気がするけど、世の中ってそういうものなのかも。

(エレミヤ 51. 48-49)

大学を出て職がない人たちと、養護学校を出て保護される人たちと。

何かが変わり始めているのかも。

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December 07, 2010

ある意味、パワフルな人たち

娘を教会に連れて行く。


御ミサには行きたくないみたいだが、クリスマスの飾り付けがあるから手伝いに来いと言ったら、渋々着いてきた。バザーのときも、朝から起きて焼きそばを作ってくれたのも娘だし、高校生にもなると、わたしよりしっかりしているような気がすることがある。


本音を語ると、2週間ほど教会へ行っていなかったせいもあるし、聖歌隊の席に座らなくてもよい口実にもなると思ったし、青少年の育成という大義名分もあるし、前回、娘を御ミサに連れて行ったときよりも知り合いが増えて、娘を紹介したいと思ったからでもある。


娘を連れて行ったら、想像以上に、皆が好意的に喜んでくれたので驚く。考えてみたら、うちの娘などは孫の世代に当たる人たちが多いし、SさんやIさんなどは、ちょうど今の娘の年頃に洗礼を受けたので、それを思うと何となく感慨深い。3世代で何かを一緒にするという機会は、わたしにとっても娘にとってもめずらしく、案外、娘も楽しんでいたのではないかと思った。


***


教会の危機と言わんばかりに、アンケートが置いてあったけれども、あれは誰に向けられたものなのだろう? 


若者か?

高齢者か?

それとも、働き盛りで忙しい世代か?


政治には興味がないと言いたかったけど、そのまま無視することにした。

教会の清掃当番ですらすったもんだしているのに、誰が教区の課題に首を突っ込みたがるのだろう? (現在、「マリア」会は、休会中である。)


朝鮮戦争にも興味が持てないし、尖閣諸島のビデオも観たけどどうでもいいような気がしてしまうし、地球は広いのだから、おそらくはいろいろな出来事が起こるのは当然のような気がしてしまう。


ただし、娘の修学旅行の行き先は韓国なので、中止になる可能性がある。親としては中止になってほしいところだが、学校側としては今のところ、どうなるのか推移を見守っているらしい。(という程度の興味はある。)


***


それにしても、たった2回、御ミサに行かなかっただけで(勉強会もだが)、行かなかったことがバレてしまうというのは困る。いつも同じような人が来ているという印象は、間違ってはいないのかも。もともとちゃらんぽらんなんだから、そのうちパタッと行かなくなるかもしれないし・・・


でも、そうやって言ってくれる人たちがいないと、続かないのかも。毎週、御ミサに与るというのは、結構、しんどい。でも、娘の年頃からずっと教会へ通い続けている人たちは、ある意味、パワフル。


(エレミヤ 50. 1-5)

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November 26, 2010

人から学ぶ

就職難とは聞くけれども、ここまで酷いとは思ってもみなかった。事務員を募集すれば、毎回60人くらい応募があるし、看護師ですら10人以上。しかも、面接をすると、仕事を辞めて、わざわざ看護師に転職している人たちが目立つ。採用する側にとってはありがたい状況だが、娘の就職を考えると頭が痛い。


うちの新しい事務員は、新婚さんで、このところ忙しいので残業が続いているので大変じゃないかと尋ねたら、前職では10時までの残業は当たり前だったし、ボーナスの支給も無くなり、逆に、良い仕事が見つかったと思ってウキウキしているのがわかる。なんか、羨ましい・・・


わたしは仕事嫌いで、嫌々働き始めたが、教会に通っていると、仕事を持っている気楽さを感じることもある。このところ風邪気味で体調が悪いが、この程度で仕事は休めないが、教会はお休みできる。


もしも本当に、こころの平安を求めるのであれば、たしかに人の多い日曜日の教会へ行くよりも、静かな日を選んで教会へ行くほうが、人が少なくてのんびりしていてよいかもしれない。知り合いが増えるにつれ、何となくいつも誰かと一生懸命おしゃべりしている気がするし、だからわたしの代母は、いつも少し遅れて教会へ来るのではないかと、近頃疑っている。


わたしの新しい代母は、もともと修道院にいて、最終誓願の前に、この世に戻って来たらしい。わたしの先輩なので、どうして修道院に入らなかったのか不思議だったので尋ねたら(あのようなタイプはほぼ間違いなくシスターになるから!)、そのように言っていた。ご本人は、どうして戻って来ることになったのかいまだにわからないそう。ただ、後ろにくっついていると、自然と教会の仕事を覚えるので勉強にはなる。


むしろ、わたしとは正反対で、一緒にいると、自分が放蕩娘のように感じてしまう。教会に通い始めて感じるのは、わたしはずっと前からクリスチャンだったが、つまり神さまを愛していたような気がするが、自分でそれを認めたくなかったのは、単なる不勉強によるものではないか、ということ。それと、復活という認識が欠落していたからだと思う。なんせ、いつもイエスさまは十字架の上にいらっしゃるわけで・・・


真理というのもよく聞く言葉だが、その意味を知ったのは最近のこと。旧約の部分が欠落していたために、本当の神さまの姿=真理と言われても、ピンと来なかった。


ということなどを、勉強会へ出て学んでいるわけだが、勉強会のメンバーは好きだ。教会の人たちは好きでも嫌いでもないと言いつつも、自然と好きな人と嫌いな人にわかれて行くような気がしてしまう。


分類すると、イエスさまが好きな人たちのことは好きだけど、教会が好きな人たちは好きにはなりにくい。イエスさまが好きで、教会が好きな人というのが理想なんでしょうけど、聖歌隊の席は御ミサの途中に、お知らせに関するメモが回ってきて打ち合わせしているような席で、わたし的には好きにはなれない。


バザーの手伝いも大事かもしれないが、手伝いの人たちは御ミサには出ないで準備している。迷ったが、わたしは御ミサに出た。特に非難されたりはしなかったが、なぜかわたしの前に代母が座っていた・・・(さすが)


人付き合いを優先させようとすれば、仕事を抜けて、平日に手伝いに行くしかない。まあ、手伝いなどに行かないほうが普通だと、代母が言ってくれたので、かなり楽になったが、行くのが嫌なのではなく、単に忙しいからつらい、というか。


そこで代母から学んだのは、行事が多くて疲れそうなときには国際ミサに出て、そのまま帰る。日本語ミサはその後なので、その後の行事や仕事に参加できないときなどは国際ミサに出て消えるほうが自然だ。それから、御ミサには始まる直前に行くようにする。そのほうが落ち着くのならそうするべき。落ち着かないというのではないが、早く行くと大抵はいつ御ミサが始まるのか気づかないくらいわさわさしてしまうし、御ミサに集中できなくなる気がする。


人から学ぶって面白い。ずっと長い間忘れていたような感覚だ。


(汽灰螢鵐函4. 1-5)

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November 02, 2010

教会は忙しい

教会は、忙しい。

わたしは過去のことは知らないけれども、少し前までは女性の仕事が多く、かなりきつかったらしい。まあ、清掃一つとっても、あの重い椅子を移動させて掃除するのは、若い人でも大変なのに、それをいつも同じようなメンバーでやっていたのだとすると、かなりの負担。近頃は、御ミサの後に全員で清掃するようになり、それだけでも軽くなったのだそう。そのほかに行事の手伝い、ボランティア、広報、会計などなど、仕事はたくさんある。長くやっていた人たちは、近頃ではお役御免モードかも。ご奉仕しないと顰蹙ムード?

でも、わたし的には、どうでもいいというか、堅信の後、自分でできる範囲内のことはお手伝いするようにしている。日曜日の御ミサの出席、清掃、木曜日の勉強会、聖歌隊、バザーの手伝い。今、仕事が忙しい時期なのでかなりきついけど、今まで何もしていないに等しいので、この突然の変化には、自分でも戸惑っている。

聖歌隊の席は、いかにも式典部という雰囲気で、わたし的にはかなり抵抗があったのだけど、皆に後ろの席でもいいから座っていろと言われるので、聖歌隊に加わった。バザーの手伝いも、比較的ライトなところを教えてもらい、雑貨のほうを担当することになった。知っている人がいるところのほうがよかったのだけど、カレーライスの担当は、前日に来て準備しなければならいとかで、わたしは娘の送迎があるから無理だ。それに土曜日は仕事が忙しく、へとへと。

***

司教様からお返事が届きました。

かなり毒々しい内容で、アウシュビッツの収容所で亡くなった少女の靴の写真が印刷されていた。が、しかし、わたし的には、それを見ても、残念ながら連想したのは日本の介護施設の現状。

そのような感想を送り返した。

少数の看護師と無資格の介護士が働き、患者が骨折してもずっと放っておかれて誰も気づかない。誤薬は当たり前。ある病院では、朝になるまで誰も死んだことに気づかず、何号室の何番ベッドがステったから医者と家族を呼ぶ、という具合だろうか。

一生懸命に働いて、そういうところに入るために高額の費用を支払う。死ぬのをじっと待っているだけのような生活。死に方が違うだけで、よく似ているような気がするけど、似ていないかもしれないし、それでいて、死に対しては、鈍感になってしまった自分を感じる。

わたしは、そのことを非難しているのではない。ただ、自分が鈍感になっていると感じているだけだ。そういう現状だと知りつつも、入居を待つ人たちは多い。

神様の復讐か?

早くして亡くなった少女は気の毒だけど、長生きしすぎている老女もそれなりに気の毒だ。大抵の人は、そのどちらにもなりたくないと思っている生きているだけのこと。

それにしても、誰かが亡くなることに慣れてしまうと、死に対して無感動になっていることには気づいた。それゆえに、わたしの魂は渇いているのかもしれない。

それにしても、亡くなる少し前に司教を呼ぶ家族というのは、何を求めているのだろう。要するに、死ぬことがわかっているから、お祈りしてもらいたかっただけなのかも。だったら、酸素マスクだって取ったらいいのに。まあ、わたしが看護師だったとしても、「医師の許可が必要です」と言うだろう。仕事ってそういうものだから。でも、家族が望めば、医師が拒むとは思えないのだけど・・・ 病院や施設で、死を連想するようなことはタブーだから、まだ生きているのに、お坊さんや司祭が院内を歩くこと自体もタブーなのかも。なるべく、目立たないように私服でお願いしますとか?

わからん。

***

それにしても、つくば教会は行事が多くて、大変な感じがする。常総教会はシスターが大変な気がしたけど、普通の人は、さんざんやったから私はやりたくない、と言うほうが普通。「無理しなくてもいいのよ」という代母の言葉が近頃少し理解できるようになってきた。大変すぎて、マリア会が休会し、その代わりにまるで小学校のPTAのような組織に変わったのは最近のこと。小学校のPTAと信仰とどういう関係があるのか、わたしにはわからない。

(ゼカリヤ 10:4)

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September 27, 2010

360年

今日、日曜日の御ミサに、360年ぶりにカミングアウトした隠れキリシタンの人が来た。

平戸出身の人で、美しい海や教会の写真を持ってきてくれた。その美しい海で、70人の殉教者が帰天して以来、彼の家族たちはずっと隠れキリシタンとして生きてきた。たまたま同窓会があり、隣の町では教会が建ち、それに励まされてやってきたというが、彼の母親の話によると、360年ぶりに公にクリスチャンであることを表したというから驚いた。

360年・・・・・

迫害されて殺されたくはないし、その平戸の地域に住む人たちはずっと信仰を隠して生きてきた。

こんなに平和な世の中になっても、緊張でがちがちになって告白するように、写真でいきさつを説明していた。殉教していった人たちのことを思うと、長い間、教会にも来られなかったのかもしれない。

もう、ずっと昔のことのように思っていたが、いまだに終わっていない。自分には関係のないことのように思っていたが、罪の意識と信仰の板挟みになりながら360年・・・

***

つくば教会の献堂25周年の記念式典があった。

当日はものすごい雨。テントの張り直しを手伝っているうちに、わたしの40肩は治っていた。本当は受付が担当だったのだが、あれだけ雨が降ると、テントを直したり、椅子を拭いたり、ちまちますることがある。

わたしの代母は、「無理しなくてもいいのよ」というスタンスなので、いままであまりその手の行事には参加したことはなかったのだが、誘われて参加。献堂の頃から来ている人達が結構いる。初期の頃は、まだ借金が残っていたので、世帯ごとに寄付金の割り当てがきたと言っていた。

わたしは小さな教会だと思っていたが、茨城県の中では一番大所帯の教会らしい。役員の人たちはよく見かけるが、それ以外の人たちは来たり来なかったり。来月は堅信式があるので、わたしも突然だが、受けることになった。

この前、ふらっと常総教会へ行ったとき、シスターに洗礼名は変えられないと言われた。それよりもその意味を考えるために、わたしはもっと勉強しなさいと言われ、勉強会に参加することにした。が、しかし、大雨の日、教会へ行ったら、わたしのほかには誰もいなかった・・・

でも、今日、役員の人から電話があり、堅信のときに霊名を変えるかどうか尋ねられた。この前、シスターに変えられないと言われたばかりなのに。

そもそもなんとなく成り行きでついた霊名で、しかも洗礼式の際、突然、神父さんが名前を間違え、面倒なのでそのままにしてしまっている。名前が決まったら堅信を受けようと思って考えていたら、代父に声をかけられ、堅信を受けることになってしまった。しかも、シスターは変えられないと強く言う。

与えられた名前は、簡単には変えられないのかも。わたしにとっては、意味のある名前なんだろう。

(ルカ 21. 5)

教会、か。

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September 11, 2010

時間がたてば、自然と

近頃、出費がかさむ。が、しかし、予定外というわけでもない。

追い炊きの出来なくなった給湯器をいつまでも放置しておくわけにもいかないし、壊れたエアコンはどうにもならないし、とうとうCDプレーヤーまで故障し、布製のソファは犬にひっかかれてボロボロになってしまっていたし、2階のカーテンは新築のときから使っていたので、かれこれ14年も何もしていなかったことになる。屋根を塗り替えないかという電話は年中掛かってくるし、テレビはなかば強制的に買い替え。家電屋へ行ったら、通路の邪魔になるくらいテレビの箱が山積みになっていた。

そのうち何とかしようと思っていたことが、何かがきっかけとなって、あれもこれもとなってしまっただけだ。

娘にお金がかかるようになることは、生まれたときからわかっていたことだし、国立にでも入ってくれないと大変なことになりそうだ。それでいて実感が伴わない。

実感が伴わないのは、皆がやっているからだろう。大学進学率が9割近くある昨今、生活保護の家庭でも子どもたちは高校へ進学しているし、報道は不景気なニュースばかりだが、エアコンを買い替えようとしたら取り付けまでに2週間待たされるほど猛暑でエアコンが売れている。しかも、日曜日の家電売り場はものすごい人の数。銀行が倒産して200億円の預金が不払いになるそうだが、それでも混乱はないだろうという発表。

少子高齢化と言うけれども、高齢化社会で経済成長を期待するほうが無理な気がするのだけど・・・

つくば教会は建堂25周年ということでお祝いするらしい。おそらくは毎年何か祝い事があるので、何か特別なことという気がしない。土浦の教会へ行っていた人たちが中心となって建堂されたのかも。わたしから見たら、誰が古い人で誰が新しい人なのか区別できない。旧くは、土浦の教会の日曜学校に子ども達を連れて行っていた人たちで、今は一人で来ているし、そうやって一人で来ている人たちが固まっている席があり、あまり座り心地がよいとは思えないが、誘われたらわたしもそこに座る。そこに座っていると、結構、気を使われていたのかもしれないと、感じる。

何を気にしているのかというと、やっぱりあれにこれに気を使っているのだ。

例えば、何かお手伝いしようとすると、若い人は何もしなくてもいいのよ、という具合で、まだ結婚する前だった姑さんを思い出す。代母にも、無理しなくてもいい、とか、何もしなくてもいい、と言われたし、ぜんぜん無理なんてしていないんだけど、ものすごく気を使っているんだよね。

たまたま親しくなってお世話になっている人がいるのだが、彼女はこのところずっと土曜日のミサに与っているらしい。土曜日のほうが静かだから、というのがその理由。わたしは娘の送迎があるので、土曜日には行けない。でも、1度だけ行ったことがあるが、夜のミサは人も少ないかわりに静かで、日本人より外国人のほうが多かった。正直に語ると、外国人の信徒さんのほうが熱心だ。

皆、土浦教会が好きだと言う。

わたしも、一度しか行ったことはないが、小さな木造の薄暗い教会で、何となく落ち着く。家が近いのでつくば教会で受洗したが、正直、土浦で受けようかと迷ったくらい懐かしさを感じる教会。誰かが古いからだと言っていたが、果たしてそれだけなのか、わたしにはわからない。

熱心さが違うのだと思うけど・・・・・・・言えない。

(マタイ 24. 7-14)

本当はいろいろあるのかも・・・

わたしは、転校生みたいなものかも。まだまだ気を使われている。

無理しなくてもいい、という代母の忠告を覚えておこう。

(ヨハネ 19. 34-35)

投稿者 Blue Wind : 03:32 AM | コメント (0) | トラックバック

September 02, 2010

特設養老院

民主党の代表選は、ある意味、衆院選より面白い。多党が乱立してマニフェストのよくわからない選挙より、シンプル。実際にはどうなるかわからないけれども、菅さんが勝てば消費税率が上がり、小沢さんが勝てば消費税は据え置き。なんか、わかりやすい。

仮に、菅さんが勝ったとしても、小沢派が離党してしまえば民主党が政権をとることはなくなる。そういう意味では、菅さんは勝っても負けても非常に不利だ。逆に、小沢さんは負けてもそれを口実に離党し、他の政党と連立を組めば、再び政権の座につける。こそこそ立ち回るより、選挙をしたほうが好印象で離党できる。

・・・・・・鳩山さんはどうするんでしょうね・・・・・・

わたしとて、小沢さんはあまり好きではない気がするが、来年の予算が足りないからといって即増税という菅さんの発想にはついていけない。たばこ税や消費税は、消費者が消費をやめれば増税には至らない可能性だってあるし、福祉を充実する予定が結局予算不足か解消せず、結果として増税だけが残ることだってありえる。だからこそ議論を尽くして、などと言われても、大きなお世話って感じ。そんな勝手な言い分が通るのだろうか。

どんどんどんどん借金を返すために借金を重ねるというのは、もっとも悪いパターン。増税は、身に覚えのない借金の肩代わりをしろと言われているようで非常に不愉快だ。娘の学費の補助金をくれるかわりに、借金を返済してくれと言われているようなもので、それなら育児給付金を辞退する代わりに税金を安くしてくれたほうが気分がよい。

仮に育児給付金を支給する代わりに扶養控除が無くなるとして、そのうち育児給付金の支給が打ち切られたあげく、扶養控除も無いままというのもありえるのだろうか。一度もらってしまって、それで生活が出来てしまったら、今度はそれが入ってこなくなった時、非常に困ることになる。無いなら無いなりになんとかするものを、有るものが無くなるということが大変。

もし、国が破たんして年金が入ってこなくなったら?

・・・・・・・・娘の世話になるしかないかな。

子どもが親の世話をしなければならない、という法律でもつくってくれたほうがありがたい。実際にどういう形で世話になるかは別として、大なり小なりだんだん自分では何もできなくなっていってしまうのだから、最後には子どものない人たちを含めた養老院でも完備してくれたほうが年金よりも確実かも。そこに入れるかどうかは、子どもが行政と相談して、決める。

(マラキ 3. 17-18)

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August 29, 2010

8月の終わりに

今年の夏は、暑さと寒さで大変だった。

あの猛暑の中、エアコンが壊れ、取り付けまでに2週間待たされた。しかも、前のエアコンは排水が出来なくなっており、部屋の中が水浸し。そこに、犬がおしっこをしたものだから、猛暑と臭さと、地獄のような部屋だった。おかげで、不要品を捨てまくり、床を乾かし、カーテンも替え、エアコンも替え、ペットの消臭剤だけでは足りず香水まで部屋に撒き、ダウニーを使って一日中洗濯をし続け、扇風機を買ってきて、どうにか生きていた、ような気がする。それくらい、暑くて、臭かった。

***

間もなくして、予定通り、パリへ行った。

なんですか?あの寒さは・・・

涼しいかもしれないとは思っていたが、セーターが必要なほどの寒さとは!

今年のお盆の頃のパリは、異常なほど寒く、雨が降り続き、ジャケットを着ているくらいでは寒くてガタガタしてしまう。疲れているうえに、日程の関係から美術館をはしごし、スーパーは遠いし、食欲はないし、雨はやまないし、本当につらかった。

15日、本当はシャルルビルへ行く予定だったが、雨が降っていたので、ランスだけ観光してパリへ戻ることにした。そのおかげで、ランスの大聖堂で家族で御ミサに参加することができた。

ランスの駅前は大きな公園になっており、どこが出口かよくわからない。ほかの人たちも迷っているようで、誰か出たのを追ってわたしたちも外へ出た。適当に数少ない観光客の姿を追って歩き出したが、人影もまばらで、大聖堂らしき姿も見えない。・・・・・・と、その時、左手のほうに、雨の中、大聖堂が見えた。

パリとは違って、中に入ってもほとんど人がいないし、寒いので雨宿りのつもりで座っていたら、御ミサの準備が始まっていた。最初は誰もいなかったのに、御ミサが終わったとき、後ろを振り返ったら、ずっと人でいっぱいだった。そのまま御ミサの流れのままに外へ出たら、雨は小雨に変わり、空が少し明るくなっていた。

***

翌日から3日間、ホテルに大きな荷物を預け、ノルマンディ観光に出かけた。

最初は、ヴェルノンで降りてモネの庭。その後、ルーアンへ行き、ルーアンからルアーブルへ行く予定が、間違った電車に乗ってしまい、リジューへ。リジューへは行きたかったのだけど、日程の関係で諦めていたら、なぜかたどり着いてしまった。目的地はオンフルールだったので、そのままドービル行きの電車に乗り、タクシーでオンフルールへ。

リジューからドービル行きの電車がなかなか出発しないので何かあったのかと思ったら、一人、高齢者の方が遅れて乗り込むのを車掌が手伝っている。その後まもなく、ものすごいスピードで電車は出発した。

***

オンフルールは小さな町で、居心地がよい。遊覧船乗り場の前のホテルに泊り、窓から通りを眺めているだけでも退屈しない。朝、部屋から日の出が見えた。モネの描いた絵のように、大きなオレンジ色の朝日だった。太陽はすぐに雲に隠れてしまい、ほんの数分のことだったが、感動した。

ずっとオンフルールに滞在していたかったが、バスに乗り、カンへ。カンから電車に乗り換えて、ポントルソン。ポントルソンからバスで10分くらいでモンサンミシェルの対岸に到着。

モンサンミシェルは、人だらけ。夕方だったので、干潟で遊んでから修道院へ。夏はイベントがあるので23時まで開いている。想像していたよりも小さな修道院だった。それと、中世の面影があるせいか、あるいは牢獄として使われていたせいか、なんとなく重々しい雰囲気があり、教会というよりもお城といった雰囲気を感じた。

島内で食事をするつもりだったのに、ものすごい人出で、結局、ホテルで食事をしたのだが、9時でクローズのところ無理やり席を取ってもらった。食べ損ねた人もいると、コメントに書いてあったが、夏だというのに、本当にそんな感じだった。

この頃には快晴で、夜中の12時をまわっても、モンサンミシェルに続く道路にはひっきりなしに車が通っていた。聖地なんでしょうけど、どうやって考えても観光地にしか見えず、しかも、日程的に潮の満ち引きも見られないときだったので、干潟にも遅くまで観光客が溢れていた。

モンサンミシェルからパリへ戻ると、快晴のパリはやたらと暑く、あの寒さはなんだったのかと思ってしまう。美術館を回るという目的がなかったら、のんびり田舎で遊んでいたかった。

(ヨハネ6. 1-15)

投稿者 Blue Wind : 04:35 AM | コメント (0) | トラックバック

July 20, 2010

歩いた日

もう、最悪ですね。

オルセー美術館展とマン・レイ展が乃木坂の国立新美術館でやっているというので娘と一緒に行ってきたけど、オルセーのほうは1時間待ちの上、中に入ったら箱の中のシュークリーム状態で、人気のある絵の前では身動きできないほどの人だかりだし、移動しようと思っても人間だらけで他人とぶつからないように歩くのも不可能なほどだし、まさしく大失敗。

この連休中なら高校生はタダなので、わざわざ日を選んで行ったのに、これなら平日でもっと空いているときに行けばよかった。でも、平日は電車が混むので、それはそれでいやだし、この手の企画展をするならもっと場所の広いところでやってほしかった。絵と絵の間隔が狭すぎるし、部屋が狭すぎ。最後のほうのアンリ・ルソーなんてどうやっても絵までたどりつけない。誰もいなければ2枚だけだからあれでよいのかもしれないけど、狭い箱に押し込められて死にそうだった。

マン・レイ展はおもしろかった。適度に空いていたし、ガイドを借りてのんびり。娘は、マン・レイのことは知らないと言っていたけど、結構、楽しんでいた。ヘンなおじさん、という感じだろうか。発想がおもしろい。マン・レイ自身は自分のことを画家だと思っていたようだが、わたし的には絵よりも写真のほうが素晴らしいと思ってしまうし、おそらくは世間でもそうなのではないかと。でも、画家だからこそ写真がよいのかもしれないし、正直、それは感じました。

ついでに、宮田亮平展をデパートでやっていたので、そちらにも立ち寄る。伯父の見舞いをする予定だったのに、手ぶらでもなんだし、つくばを出るときには朝でどこもやっていなかったし、電車の中で荷物を持つのもいやだし・・・

でも、つくばと違って、休日のデパートなんて高齢者ばかりだし、作品の前に値札が置かれているのもなんだかなぁ・・・ まあ、タダだから仕方がないか。でも、同じタダでも、地下鉄に乗り換える途中、北千住の駅前に宮田さんの作品があり、そちらのほうがよかったかな。誰も見ていないし・・・ 気がつかないで通り過ぎるほうが普通なのかもしれないけど、たまたまちらっと見たらイルカのオブジェがあったので、周囲の視線が恥ずかしかったが、鑑賞した。

***

伯父は元気そうだったけど、すっかり白髪頭になり、ひげまで真っ白で、仙人のように微笑んでいた。5月に仕事で中国へ行き、戻ってきたときにはふらふらで、すぐさま紹介状を持って大学病院。78歳で、まだ働いている。検査の結果が出るまでは誰にも知らせないということで伏せていたみたいだが、先月伯母から電話があった。

伯母は悪いことは言わない。いや、もしかすると悪いことを言っているのかもしれないが、明るい言い方をするので、そんなに悪くはないのかもしれないと勘違いしてしまうが、その話をダンナにすると、その状態で1年生きた人を知らないと言う。伯父もぼーっとしていて、一応は抗がん剤を使って治療することには積極的なのだが、それは積極的に治そうという意思の表れではなく、黙って死ぬのを待つほうが退屈だと言わんばかりで、食欲もないみたいだし、従妹の話によると自宅にいるよりも病院にいるほうが安心してよく眠れるというので病院にいるらしい。

平成も22年になってしまっている。老夫婦だけで、将来のことを考えていたら不安とストレスに耐えられなくなっても不思議はないのかもしれない。

あらためて、都会には住みたくないと思ってしまう一日だった。

投稿者 Blue Wind : 04:50 AM | コメント (0) | トラックバック

May 24, 2010

新しいパソコン

新しいパソコンを買った。

娘が頻繁にパソコンを使うようになってから心配していたことだが、このところメモリ不足に悩まされている。単に不足しているだけならアプリケーションを削除するなりして対応できそうな気もするが、問題はそういう表示が出るようになってしばらくすると、やがてパソコンが故障する、ということを何度も経験しているということ。

今までは遊びで使用しているだけだったから買いかえればいいや、くらいの気持ちでいられたが、今回は仕事にも使用しているため、何度も娘にパソコンを勝手に使わないようには言ったが、無駄。仕事用と個人用と分けたとしても仕事用だから壊れないという保証は何もない。

にしても、どうしてわたしは雨が降ると新しいパソコンがほしくなってしまうのだろう・・・

気のせいかもしれないが、いつも雨の日にパソコンを買いに行っている気がしてしまう。おそらくは晴れていたら気にならないが、雨が降っていると逆に晴れるのを待って買いに行くというのが、やたらとイライラの原因になってしまうからかもしれない。

***

3月に叔母が帰天した。

冬は何かと忙しくてなかなかお見舞いにも行けずにいたが、病院で死ぬのがいやで在宅にかわったと連絡が着た。それと検査結果のファックス。それを見たダンナが行っておいたほうがよいというので日曜日に出かけたら、翌日に亡くなってしまった。

わたしが行ったときには元気で、普通に話し、起きてポカリスエットを飲み、ちょうど酸素の機械の入れ替えがあり、蒸留水が必要だというので次回持ってこようと思ったくらい元気だった。

律儀な性格だったので、わたしとの約束を守ってがんばっていたらしい。祖母も母も3月の末に亡くなったので、それまでは生きていてねと言ったら、本当にそうなってしまった。

気がつけばお正月にも顔をあわせなくなっていたのに、わたしたちの家族は、伯母たちを中心に3月には集まるようになっている。従妹たちも結婚したりすると親の数が増えるので、お正月こそ皆で集まれない。3月というのがよいのかも・・・

***

春から職員が入れ替わった。

去年、常勤の看護師とパートの看護師の仲が悪くて困っていたが、パートの看護師が辞めたとたんに常勤の看護師も辞めてしまった。(そんなのってありだろうか?)

そのあおりか、一人しかいなかった事務職員が病気で辞めた。一人でやっているほうが気楽だから他に雇うのなら辞めると言っていたが、叔母のお葬式の日、休ませてくれと言われて断ったら怒って辞めたような気がする。

実際問題、お子さんが病気で休み、本人が精神的ストレスによる突発性難聴で休み、法事があるから休み、幼稚園の役員になるから休ませてほしいと言われ、だったら他にパートを雇うと言ったら辞めると言う。ダンナが言うには、彼女はわたしに甘えているらしい。わたし的には叔母のこともあったし、看護師も辞めたし、そうなるとこれ以上彼女のわがままに付き合っている余裕はない。

募集をかけたら事務員は1日で20人くらい応募があるし、書類審査をするような広告を出しても60通以上応募があった。今年は特に不景気で、新卒者の応募も結構ある。看護師も他の看護師からの紹介ですぐに決まったし、今のところ何も困ってはいない。

結局、怒って辞める職員は、内心は自分が辞めたらさぞかし困るだろうと思い、「その人、私より仕事ができるんですか?」と平気で言っている人もいた。が、しかし、後から来る人たちのほうがどんどん優秀になっていくような気がする。・・・・・・・・・どうやっても勝てない、と言われた。(何に勝つつもりだったのだろうか・・・)

パソコンもどんどん安く、良くなっていく。

スペックの良い若い人たちが就職難でうちのようなところにやってくる。高くて古いパソコンはすぐに故障して買い換えたほうが安くついてしまう。憂鬱にならないほうがヘンなのかも。

(エゼキエル 23. 22-24)

投稿者 Blue Wind : 02:42 AM | コメント (0) | トラックバック

January 14, 2010

サプライズ

聖書を何冊ムダにしただろう。それを犬のせいにするのは簡単なのだけれども、実際にはわたしがだらしがないせいかもしれないと思う。

いや、ここなら安全だろうと思って置いておいても、犬も成長し、いつのまにやらキッチンの上にまでジャンプするようになっては、自分が届かないところにでも置いておかないと無駄な抵抗という気がする。もしかすると、うちの犬は猫かもしれないと思ったり・・・

それでも、ページがバラバラにされないうちは使えるだろう・・・今の聖書。

が、しかし、通読用の聖書は荒らされないのに、普段勝手に開いているだけの聖書が襲撃されるところを考えると、犬も選んでいるのかと思ってしまう。無意識のうちにわたしの気持ちが現れているだけなのかも。

☆☆☆

このところまた仕事をさぼりつつあるけれども、この3年でわたしもずいぶん変わったと思う。それは社会を眺める目が変わったのかもしれないし、今までは他人事のように思えてきたことが他人事のように思えなくなり、少しは社会性というものが身についてきたのかもしれないと思う。

開業して、最初のうちは患者さんの数が少なくて、本当にやっていけるのだろうかと心配していた。家賃を払ったり、お給料を払ったり、支払いのケタがずれてしまったがゆえに、家の中のことだけ考えているだけでは済まないし、お財布の中はいつも小銭と領収書が溢れ、とうとう壊れてしまった。銀行に両替に行く時間がもどかしくて、つい小銭を貯めるくせがついてしまったせいだ。

自分が支払う側なら気にならないことでも、支払いを受ける側となると緊張する。いつも厳しい視線を感じるような気がするし、ジャッジする側からされる側に回ることで、労働の厳しさや楽しさも学んだ。聖書には人を裁くなと書かれているけれども、社会とはいつも誰かが誰かをジャッジしているような気がしてしまう。あの人は仕事ができるとかできないとか・・・

が、しかし、わたし的優秀な営業さんというのは、麻しんワクチン1本のことで休みの日にわざわざ水戸まで行って取り寄せてくれる人とか。普通だったらそこまではしないだろう。それに、今だったらそこまでしてもらうこともないだろう。が、しかし、こちらの心境を察してそこまでしてくれたからこそ、彼に対する信頼も厚かったのである。

が、しかし、そうやって優秀な人はやはり転勤してしまう・・・

営業は、努力した人が報われると思ってしまう。このところ、短歌のことで、営業の人が来て契約し、経理の人が来て集金、ということを2度繰り返した。会社から遠いのに年配の経理の人がわざわざというのは申し訳ないので、今回は振込みにするつもりだったのに来てくれた。営業はそのほうが歩合がつくから気にしなくてもいいですよと経理の人に言われた。訊けば、歩合は1000円・・・ もしかすると交通費のほうが高いのではないかと思った。

が、しかし、大切なのはそういうことではないらしい。営業マンというのは、そういう細かいところで査定され、今回、わたしは表彰状とお花をいただいたのだが、いわば感謝状みたいなもので、社長賞が出たのはあちらだった?

でも、うれしいよね。わたしのつまらない短歌が誰かの役に立ったわけで、国会議事堂で結社誌を読み漁り、わたしなんて実際には1度くらいしか投歌したこともないし、よくわたしのところまでたどり着いたのかと感心してしまう。その証拠に、心配されていた振込み詐欺などのダイレクトメールなども1件もないし、普通は無理だと思って諦めるだろう。

でも、こちらもすごくメリットがあり、年末くらいからへたり気味だった姑さんが急に元気になり、看護師も娘も少しはソンケーのまなざしで見てくれるようになった気がする。普通の主婦にとっては、そういうささやかなことが重要に思える今日この頃。叔母にも知らせて驚かせよう・・・ 皆が驚くのが面白い。

(マルコ 5. 6-8)

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