September 11, 2010

時間がたてば、自然と

近頃、出費がかさむ。が、しかし、予定外というわけでもない。

追い炊きの出来なくなった給湯器をいつまでも放置しておくわけにもいかないし、壊れたエアコンはどうにもならないし、とうとうCDプレーヤーまで故障し、布製のソファは犬にひっかかれてボロボロになってしまっていたし、2階のカーテンは新築のときから使っていたので、かれこれ14年も何もしていなかったことになる。屋根を塗り替えないかという電話は年中掛かってくるし、テレビはなかば強制的に買い替え。家電屋へ行ったら、通路の邪魔になるくらいテレビの箱が山積みになっていた。

そのうち何とかしようと思っていたことが、何かがきっかけとなって、あれもこれもとなってしまっただけだ。

娘にお金がかかるようになることは、生まれたときからわかっていたことだし、国立にでも入ってくれないと大変なことになりそうだ。それでいて実感が伴わない。

実感が伴わないのは、皆がやっているからだろう。大学進学率が9割近くある昨今、生活保護の家庭でも子どもたちは高校へ進学しているし、報道は不景気なニュースばかりだが、エアコンを買い替えようとしたら取り付けまでに2週間待たされるほど猛暑でエアコンが売れている。しかも、日曜日の家電売り場はものすごい人の数。銀行が倒産して200億円の預金が不払いになるそうだが、それでも混乱はないだろうという発表。

少子高齢化と言うけれども、高齢化社会で経済成長を期待するほうが無理な気がするのだけど・・・

つくば教会は建堂25周年ということでお祝いするらしい。おそらくは毎年何か祝い事があるので、何か特別なことという気がしない。土浦の教会へ行っていた人たちが中心となって建堂されたのかも。わたしから見たら、誰が古い人で誰が新しい人なのか区別できない。旧くは、土浦の教会の日曜学校に子ども達を連れて行っていた人たちで、今は一人で来ているし、そうやって一人で来ている人たちが固まっている席があり、あまり座り心地がよいとは思えないが、誘われたらわたしもそこに座る。そこに座っていると、結構、気を使われていたのかもしれないと、感じる。

何を気にしているのかというと、やっぱりあれにこれに気を使っているのだ。

例えば、何かお手伝いしようとすると、若い人は何もしなくてもいいのよ、という具合で、まだ結婚する前だった姑さんを思い出す。代母にも、無理しなくてもいい、とか、何もしなくてもいい、と言われたし、ぜんぜん無理なんてしていないんだけど、ものすごく気を使っているんだよね。

たまたま親しくなってお世話になっている人がいるのだが、彼女はこのところずっと土曜日のミサに与っているらしい。土曜日のほうが静かだから、というのがその理由。わたしは娘の送迎があるので、土曜日には行けない。でも、1度だけ行ったことがあるが、夜のミサは人も少ないかわりに静かで、日本人より外国人のほうが多かった。正直に語ると、外国人の信徒さんのほうが熱心だ。

皆、土浦教会が好きだと言う。

わたしも、一度しか行ったことはないが、小さな木造の薄暗い教会で、何となく落ち着く。家が近いのでつくば教会で受洗したが、正直、土浦で受けようかと迷ったくらい懐かしさを感じる教会。誰かが古いからだと言っていたが、果たしてそれだけなのか、わたしにはわからない。

熱心さが違うのだと思うけど・・・・・・・言えない。

(マタイ 24. 7-14)

本当はいろいろあるのかも・・・

わたしは、転校生みたいなものかも。まだまだ気を使われている。

無理しなくてもいい、という代母の忠告を覚えておこう。

(ヨハネ 19. 34-35)

投稿者 Blue Wind : September 11, 2010 03:32 AM | トラックバック
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