December 17, 2010

子どものほうがなじみやすい

その昔、いつの頃か忘れたけれども、娘と一緒に教会へ行き、「ここの教会はいつも誰もいないね」と娘が言っていたことを思い出す。今は御ミサや行事のあるときに行っているので、いつも誰かいるけれども、そういうとき以外では、もしかすると誰もいない時間のほうが長いかもしれない。

今日、勉強会へ行き、聖家族の像のことを話していたら、テラコッタの像を使うのは、今年が初めてだと言われた。今までに使っていた像は、5人の羊飼いが4人になってしまったがゆえに、隣の部屋にひっそりと置かれていた。つまり、教会で像ばかり盗まれる事件が相次ぎ、そういうことになってしまったそう。

冷蔵庫にまで鍵がかかっているので、変な教会だと思っていたが、冷蔵庫だけではなく、誰もいないときにはあちこちに鍵がかかっている。さすがに教会なので扉の鍵まではかけれないということで、そういうことになったそう。

どことなくギスギスしたところのある教会だと思っていたが、そういうことがあったとは・・・

25周年はどしゃぶりの雨で、実行委員長をしていた方が先日交通事故で突然亡くなり、かなりの衝撃が走った。

生ゴミは各自で持ち帰らなければならないとか、冷蔵庫の鍵のある場所とか、盗難事件のこととか、その他諸々信仰とはあまり関係のないところの話を知るにつれ、次第に暗い気分になる人たちも多いのかもしれない。

それにしても代母はいつも教会にいる。御ミサが好きで、毎日でも出たいと言って、あの年で毎日のように教会に来ている。ああやって年を取りたいと誰かが言っていたが、わたしも同感である。ちょっと見習って、わたしも行けるときには行こうかと思ってしまう。

娘も日曜日には一緒に教会に行ってくれるようになったので、わたし的には快調。が、しかし、娘を理由に聖歌隊から遠ざかろうと思っていたら、二人で誘われてしまった。あの子はまだ受洗していないのだが、よいのだろうか・・・

深く考えるのはやめよう。なんとなく自然に教会に溶け込んでいる娘をみると、なんとなく癒される。

(ヨハネ 4. 27)

投稿者 Blue Wind : December 17, 2010 01:57 AM | トラックバック
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