June 29, 2015

わかものよ こいぬも女みな女それではもゆる夏とおかりし

<カフェバー>


妻という冷たきひとに想い寄す夫の隣にぞ化粧濃きひと


合コンで盛り上がりつつ若者につられし謎の微笑みありき


女より小犬がよいか若者よ口説く先さえさだまりもせず


1ヒットするなら狙えわかきひと固まりとけずうちとけもせず


君狙うわが娘は留守で盛りあがる席はなれてぞ母の傍にか


うちとけて話す吾にぞ送る目の冷たきほむら きみうつくしき


わかものよ こいぬも女みな女それではもゆる夏とおかりし

エズラ(ラテン) 13. 48-50

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理解者

昨日は、休日当番だったけど、電子カルテのメインサーバの電源が故障し、サポートセンターはお休みだし、大変だった。


今は、普通はサーバを一つしか使わないのが主流らしいけど、私は基本的に電子の世界を信じていないので、2台置いている。メインが落ちたらサブに自動的に切り替わる、という話だったのに、実際には自動的ではなく、データだけが保管されるけど、それ以外の機能はサポートセンターに頼まないとダメらしい。


ムカッ。

だったら、日曜日も働けよ、と思ったけど、お休みとは。


そうなると診療できない。

昔は手計算で診療できるように紙カルテも置いておいたけど、今は気が付けば誰も手計算できない。新しい診療報酬点数表すらないことに気づいた。


となれば、休診だ。

やったー!

あちこちに連絡を入れて、今日は診療できないことを張り紙し、これで終わりかと思って喜んでいたら、一人、健診結果を取りに来る予定になっていたらしい。

連絡をしたいけど、電子カルテが落ちているため、連絡先がわからない。

これも以前はご本人に書いてもらった用紙を保管していたけど、今は、電子カルテに取り込んだ後は、個人情報のことがあるので、シュレッダーにかけてしまっている。


皆は、仕方がないのではないか、という感じだし、明日からまた休みなく仕事だし、休診するなら早く帰りたい。


で、父さんが結局、居残り・・・


普通、職員が帰ってしまって、医者だけ残っている、というのはありえないけど、うちの場合は結果的にそうなる宿命らしい。


よく言えば、やさしいとか、まじめとか、責任感が強い、とか?

悪く言えば、神経質、几帳面すぎ、まじめすぎ、他人を気にしすぎ、細かい。


調剤薬局の人が気を使ってくれて、お菓子などを差し入れにきてくれたそうだが、結局、2時半に取りに来たため、お昼も食べなかったらしい。で、うだうだ4時までクリニックにいたとか?


それで終われば、単なるよい人。


が、しかし、家に帰ってくると、ウダウダが始まる。

どうして紙で連絡先を保管しておかないんだ、とか、職員も2時間交代でいてくれたらよいのに、とか、サポートセンターがどうして休みなのか、とか、その他諸々、ぐちぐち言う。


ぐちぐち言うなら、今日は休診になったのだから、その健診結果を取りに来るはずだった人を待つ必要性はない。他の職員の常識で考えても、それは仕方のないアクシデントらしい。私もそう思う。月曜日の朝に取りに来てもらえばよいだけのこと。


なのに、たまたま休日当番だからという理由で、日曜日に取りに来ると、その人が言っていたものだから、夫の性格からして心配になって待ってしまう。よーするに他人に悪口や文句を言われるのが嫌なだけなのではないかと思うけど・・・


職員も長くいると、次第にマイペースになって行く。付き合っていたら、疲れるだけだ。自分の生活もある。

あなたたちは家に帰れば終わるけど、わたしはそれから始まるの・・・

いや、職員には嫌われたくないから、逆に何も言わない。


出産で辞めた職員が戻ってきてくれることになった。

うれしい。

仕事を辞めたいのに辞められない私の理解者。「事務長、大変だから」と思ってくれるあなたが好き。早く戻ってきて。


(ルカ 12. 57-59)

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June 26, 2015

さよなら、税金

昨日は寝苦しかったな・・・

聖霊によって押さえつけられてるような感覚。これが悪い奴だったら、金縛り、と呼ぶんじゃない?

自分の他人に説明できない変な感覚、どこかシュールな感覚を、他人に説明することはあきらめているので、私は、それを風と呼んでいるけれども、教会では聖霊と呼ぶということを洗礼を受けてから知った。

あまりにも便利な言葉。

聖霊・・・

____

やっと税務調査が終わり、納税も済ませ、修正申告の書類を調査官に渡し終えた。来るならもっと早く来てほしかった。医療機関の場合、消費税はお届け制と聞いていたので、悠長に構えていたら、お届け出してなくても支払わなければならないらしい。毎年ならともかく、5年間分となると大きな金額だし、しかも延滞金まで加算されるので、ほんと、バカバカしくなるほど支払わされた。

まあ、いいや。

税理士をつけていない私のミス。税務調査官にも、税理士への支払いを考えると、お得ですよ、と慰められた。そーいう問題ではないと思うのだけど・・・ それならもっと早く来てほしかったとしか言いようがない。

_____

働いて、税金を払って、あくせくあくせく・・・

そういう日常の中で、どうして神さまとお話する時間があるのか不思議。

わからないなぁ・・・

でも、短歌ってそういう世界の代物。

ごく日常の中で眺める風景が、ふと透明になり、記憶の中で風になる。

昔は、短歌は写実、と言われて嫌だったけど、今はそんなものかもしれないと思うようになった。

そのうち、納税のことも詠んでやろー。

転んでもタダで起きない。

いや、支払わされたものはいつか取り返そう。

まあ、いいや。もともとは私のお金じゃないし・・・

当の本人はまるで他人事のよう。

世の中ってそういうものなのかも。

税金を取り戻すには、病気にでもなって長期入院でもすればいいかも。そうすれば、元は取れるかもしれないけど、ありがたくないね。

さよなら、税金。

(コリント二 10. 1-6)

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June 24, 2015

売春婦、ひまわりにして夏の空神父の腕を止まり木にして

売春婦、ひまわりにして夏の空神父の腕を止まり木にして

侮蔑とは目をそらしたる聖職の十字架の下、眺むる吾にか

バカバカしああバカバカし老婆の園のバラの木の枝

神さまに礼状書けと自慢げに懐を背に誰に渡すぞ

飛行機代 出せば受け取り 少ないね そのひとことにけだるさの牛

<福島>

ガイガーの数字の向こうに群れなすは飼い主のない牛、ひだまりぬ

中学に熊がいるとのアナウンス無人となりし駅舎の空に

爪痕も無人となれば劇場のセットのような駅前通り

住宅地 なだらかな丘ひそひそと身をひそめたるカフェで飲むお茶

窓あけて窓しめて外流れゆく景色の中に昔みた店

町役場 立派になりて気がつかず消えた百足家城のようなり

歳月の流れゆくまにふくしまは世界の人の知るぞ田畑も

(歴代誌上 3. 1-9)

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June 23, 2015

神父様、若い とつぶやくあなたこそ華やぎて春真珠のごとし

梅雨の月釈然とせずホスチアのウエハスを食み、飲み干す夜空

詩篇8 首に纏いた吾を見し 姉の首にぞ小粒の真珠

ハンドル名 ふたつ並べてシンクロのゆかしき謎の多き吾には

刹那かな 死せと言うのか喩ゆともあゆむがごとく花の下にぞ

イエスさま あなたは月で人となりみ心のまま見し神のかげなる、

イエスさま あなたは仰せになりました 語らずとも黙せとも言わず

神父様、若い とつぶやくあなたこそ華やぎて春真珠のごとし

司祭たる月のそのまた月として輝くあなたは誰そ イエズス

華やぎを春とみたてしそのひとは春の花より寄り添いて閉す

殉教の司教のために祈りても風吹くや笑み吹きて止まらず

すっぴんを閉すがごとく白化粧 遠き三日月眺むるが空

背をまるめ胸をはり背をのばし切れた弦の届くのを待つ

(使徒 12. 9-10)

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June 22, 2015

裏切られても・・・

先日、久しぶりに義理の叔母に電話した。以前から外国人の就職活動を支援するボランティアをしていたことを思い出したので。

でも、うちの教会などとはまったく違う。

神戸市が支援している活動で、地元のセレブが集まって、日本で働きたいという神戸大学の留学生の就職斡旋や、ちらし寿司や手巻き寿司などを皆で作ったりするといった感じ。相手にしているのは政府から毎月20万円ずつ奨学金が出ているような学生。オーバーステイで仮釈放になっているような人たちとはまるで状況が違う。

にもかかわらず、叔母が言うには、裏切られてばかり、らしい。

裏切られるというのは、一生懸命に推薦状を書き、やっと就職が決まったのに、遅刻が多いとの理由でクビなったり、相手先の企業からクレームを言われたり、ボランティアなのに責任を背負わされたり。

そのたびに、もう辞めようかと思うらしいけど、一生懸命にやっている方がいて、誘われるままに続けている。でも、その方がご病気になってしまったので、そろそろ潮時かも。

____

今日、役員会があって、外国人を含めた生活困窮者の支援についての指針を話し合った。

他の教会で行われた研修会に出席した人たちの話を聞くと、支援をめぐって教会内が2つに分裂している等、暗い話題が多い。結論としては、経済的な支援はやらないほうがよい、ということらしい。

その他にも、厚意で支援してきた家族がようやく国に帰ったと思ったら、国際電話がかかってきて、仕事が見つからないからお金を送ってほしいと言われたとか・・・ 国際電話をかけるお金があるのなら自分で何とかしろ、と思うほうが普通で、その時になって、何やら釈然としないことに気が付いた、とかね。

でも、私、思うのだけど、こういうのって裏切られながら、それでも続けているというか、裏切られるほうが普通のような気がするけど。(私が変なのだろうか・・・)

経済的な支援をするというのはそういうことで、日本だって生活保護者を見れば、自分で働けよ、と思う人たちのほうがずっと多い。外国人といえども、ずっと支援をしてもらっていたら、それが当たり前になってしまい、自分で働こうとしなくなる、というのはごく普通のことのような気がする。それがバカバカしくなって、支援を辞めたいというのであれば、辞めたらよいだけのことであって、教会は役所ではない。

そういう状況でも、自分たちが異国で暮らして苦労しているのに、まだ他人の世話をしている方たちはいるわけで、大変ではないかと訊いたら、神さまへのご奉仕だから、と言われた。

そうなんだよね・・・

神さまへのご奉仕だから、裏切られても騙されても続けていられる。そして、お金が欲しいわけではなく、日ごとの糧が必要なだけ、状況が改善されれば、お祈りください、というだけのこと。

生活困窮者というと、すぐにお金を渡そうとするのは、日本人の良いところでもあるし、悪いところでもある。

でも、こういうことにマニュアルは作れない。私たちは役所ではないし、私たちが決めたからといって法的な効力があるわけでもない。やりたかったらやればよいし、やりたくなければ無視すればよいし、ルールなんてないんだよ、ってね、私は思う。

とは言いながら、教会として信者から寄付を集めたりすることはしないことになった。

つまりは、状況に応じて皆で話し合おう、勝手にやりたいならやれ、というアバウトな結論。

ケースバイケース。

やりたい、と思うことがすでにみこころなので、やりたくなかったらやらんでもよいでしょう。(たぶん)

(ガラテヤ 3. 1-3)

投稿者 Blue Wind : 12:22 AM | コメント (0) | トラックバック

June 20, 2015

ハープの弦が切れる季節

ハープの弦がものすごい音を立てて切れた。

昼寝がパア・・・

在庫を確認したけど、スペアがない。弦も意外と高いために、全部を揃えてはおけない。

梅雨の季節は、弦が切れやすくなる。私はハープをする前は、弦は緩みやすく、調弦しないと音が下がるものだとばかり思っていたが、ハープの場合は湿度によって逆転する。湿度の低い冬は音は下がるが弦は切れにくい。逆に、湿度の高い梅雨の時期は、調弦しないと音が半音くらい高くなっていき、放っておくと3本くらい立て続けに切れたこともある。

こんなに手間のかかる楽器は初めて。練習前にいちいち調弦しなければならないし、しかも47弦ある。慣れてきてはいるが、弦を取り換えたばかりだと、ちょっと弾いているうちに下がってくるし、弾かなくても1音以上下がってしまう。持ち運びには向かないし、移動のためにハープを運べる車に買い替えようかと思っているが、今のところ面倒なのでそのまま。

それでも、こんなに面白い楽器はないかも。

47弦もあると、音のバリエーションとグラデーションがたくさんあり、しかも、音が空気中に拡散するせいか、音が重なり合ってもうるさくない。和音が豊富で美しい。音の強弱がつけやすい。

なんて表情の豊かな楽器なのだろう・・・

しかも、甘ったるい。

____

私の使っているのは、ペダルハープの中でもそんなに大きくないタイプ。セミグランド。これより大きいとコンサートタイプになるが、家の中で弾く分には場所をとらないセミのほうがよいと思ったのと、楽器というのもご縁もので、買おうと思った日にちょうど調整が終わったばかりでアトリエ(工房)のほうに置いてあったのが、アリオンだった。

電話で問い合わせたときに、自分のイメージを伝えたら、ドンピシャで在庫があると言われた。ゴールドの装飾が入っているので、予算的にはオーバーだったが、それを逃すとイタリア製なので半年後の納品になってしまう。しかも、届いて現物を見たら、自分のイメージしていたものと違っていたり?

ちなみに、ラップトップと言われる型のサウルハープでさえ、何故か今は在庫切れで、国産なのに納品に3か月かかるらしい。私の場合、たまたま展示のために作られたハープがメーカーにあったので、ヤマハに頼んでそれを取り寄せてもらった。世界に一つだけのハープ。なんかいいよね・・・(でも、こちらはあまり使っていません。待っている皆さまごめんなさい。)

サウルハープは、仕事が忙しくてグランドハープを練習する気力がないときに、先生に勧められて買った。弦が少ないし、軽い。指も傷つかない。(ちなみに絆創膏も厚手のものを先生に教えてもらって使っています。)

ハープを始めたきっかけは、教会のチャリティコンサートで生まれて初めてハープを触らせてもらった時に、直感的に自分がこの楽器を弾けると思ったから。何なんだろう、この感覚は。

インスパイアされた、と先生に言ったら笑われたが、教会にいると、そういうことは珍しくない。

やりたいと思ったのではない。

弾ける、と思ったのだ。

前世があるなら、前世で自分はハープを弾いていた、と思ったような感じ。

まあ、クリスチャンなので、前世のことは考えないようにしてるけどね。

とりあえず、聖霊のお導き、ということにしておきませう。

(シラ書 37. 16)

投稿者 Blue Wind : 11:32 PM | コメント (0) | トラックバック

June 18, 2015

筋肉痛

筋肉痛・・・

昨日までは、大胸筋。今日は腕。

大したトレーニングはしていないのに、すぐに筋肉痛になる。


怠け者の私が、どういう風の吹き回しかと言えば、この前のハープのレッスンで、

「しらいしさん、意外と腕力ないわね」と先生に言われたから。


そろそろハープを始めてから1年半以上経ち、気がつけば中級レベルの練習をしているのかな・・・

目標だったマックスウェルの「引き潮」も練習させられている。これが10年後に弾けたら、ハープのレッスンを辞めるつもりだったのだが、2年くらいもすれば楽に弾けるようになるのかも。


1年前、先生に左利きかと訊かれ、その時になってようやく私は自分の右手の親指が動かないことに気づく。若い頃に脱臼し、途中までしか曲がらないし、左右に動かせない。当然、ハープの主旋律を弾く力が足りない。


そのことを先生に告げた時の、なんとも言えない表情・・・


それまではキャロルスとか、ライトな曲を好きなように弾かせてくれていたが、私の右手に障害があると知るや、ボクサなどの練習曲で、弦を弾く練習がメインになった。私も、親指を動かすトレーニング?を意識的にやるようになり、今では指が曲がるし動くし、リハビリ成功。


もともとが器用なので、今まで「障害がある」とまで感じたことはない。ただ、瓶の蓋を回すとき、蓋を右手で固定し左手で瓶を回さないと蓋が開かないとか、日常的にはその程度の苦労。大したことはない。


でも、楽器の演奏となると別。

むしろ、演奏家としては致命傷だろう。


でも、しょせん、素人でございまして、今から芸大へ行くとか、プロのハーピストになろうとか、そういうわけではない。にもかかわらず、せっせとリハビリをしていた私・・・


それから1年、先生の褒め言葉、

「あら、しらいしさん、私と同じ音が出るわね」

だって・・・


ぜんぜん褒められてる気がしないのだけど・・・

もう少し別の褒め方があるのではないかと思って顔を見たが、へいちゃら。さすが芸大出身。


で、次のセリフが、

「しらいしさん、意外と腕力がないわね」

だって・・・


ちょっとムッとして、それ以来、キッチンのシンクを相手に腕立てふせのマネなどしていたら、腕ではなく大胸筋が痛くなってきた。床を相手に腕立てふせするような根性はない。基本的に疲れるのは嫌いだし・・・

無理はしない。


次から次へと課題を出されることを喜ぼう。まだ上達する見込みがあるってことでしょ?

悪い気はしない。


(マタイ 27. 27-31)


栄光あれ。

投稿者 Blue Wind : 10:13 PM | コメント (0) | トラックバック

June 16, 2015

マリアさまといっしょに

昨日は突然、巡礼の歌のような「マリアさまへの祈り」が頭の中でぐるぐる回り、せっかくだから忘れないように五線譜と受験用の太字の鉛筆を買いに行った。

買ったのはよいけど、いざ頭の中をぐるぐる回っている歌を譜面におこそうとすると、意外と難しいことに気づく。しかも、巡礼の歌風なので、なおさらかも。日頃は、渡された譜面が読めないということはないのに、自分で書くとなるとめんどくさい。

もっと面倒なのは、祈りの言葉を優先するか、歌のイメージを優先するかで、曲が微妙に変化してしまうので、素人の私にはその判断すら難しい。

でも、考えたら、自分の気分で変えても誰にも文句を言われないことに気づく。

エフェスのマリアさまの家のある山の中腹に、急に見晴らしのよくなる場所があり、マリアさまの時代にはエフェスの周辺は海だったことを想像すると、つまりマリアさまが見ていた景色を想い浮かべると、エーゲ海に続くその景色はとても美しく、この場所で昇天したのではないかと思うくらい。

そんなことを考えていたら、頭の中に巡礼の歌がぐるぐる・・・

____

マリアさま? はて?

神さまとお話する時には聖書を開くが、マリアさまとお話することはない。

マリアさまとお話するとすれば、マリアさまへの祈りだけ。

ただし、歌がたくさんあるので、うれしい時悲しい時、その時々で、マリアさまの歌がずっと鳴りっぱなしのこともある。ラテン語だろうと日本語だろうと、たいていはマリアさまへの祈りの文句は同じなので、深く考えたことはない。

心の中の問題。

気持ちや気分の問題。

一緒に歌うという感じかもしれない。

いつも一緒に歌ってくださる、という感じ。

感情に支配されているとき。

ニコチン中毒で、慢性的にのどが炎症を起こしているような私が歌えるのは、もしかするとマリアさまのおかげなのかもしれないなぁ・・・

(マリアさまのお話なので、聖書は開かない)

聖書を持って、マリアさまの歌を歌いながら巡礼へ行く。そんな想像をしながらドライブしていたら、やたらとハッピーな気分になった。

投稿者 Blue Wind : 11:37 PM | コメント (0) | トラックバック

June 15, 2015

絵画展

芸大美術館に、ヘレン・シャルフベック の絵を観に行く。

タダ券をいただいたので行っただけだけど、とてもよかった。


中でも、「教会へ行く人々(復活祭の朝)」という絵があり、ずっしりきてしまった。


背景もない絵で、4人が描かれているだけ。手前に後ろ向きの子ども、左にぼけーっとして正面を向いた若い娘、中央にその母親、一番右に老婆。


母親は、顔を十字架を見上げるかのように上に向けているが、視線はうつむき、生活の重さを感じる表情。老婆は背中のまるみに合わせたように視線を下方に向けてはいるが、その視線の高さはまるで棺桶を眺めているときのよう。


娘が、「復活祭なのに黒服を着ていくのか」と尋ねてきたが、そんなことは知らん。

「ボケっとした顔をしているのはマホで、その隣の母親は私で、その隣の老婆も私」と言ってやったら、黙って絵を眺めていた。(正確には、映写場に置いてあった解説書の絵だが・・・)


昔、母が、映画や小説は3回、と言っていた意味がわかる。

年齢によって感じ方がまるで違うから。


娘がその絵を観て、何を感じたかわからないけど、めずらしく別れるときにずっとこちらを見ていたので、娘も少し大人になったのかも、と思った。


(ヨハネ 14. 16)

投稿者 Blue Wind : 12:44 AM | コメント (0) | トラックバック

June 13, 2015

自分の土台

やっとブログが書ける気がする。忙しかったこともあるけど、書きたくても書けないことってある、ということを学んだ。

いや、自分の言いたいことをあっさり書けば自分が楽になるけど、それによって誰もハッピーにはなれない。自分のことは自分ではわからないと言われてしまえばそれまでだし、実際のところ、それもまた事実なのかも・・・

他人からどう思われようと気にならないが、他人からあれこれ言われることには違和感を覚える。どうしてそんなことを言われるのか謎だから。

自分の見えないところで何かがあって言われたのだろうか?

それともそういう風に見えるからそう言われたのだろうか?

わからないなぁ・・・・

もう少し時間が経過したら、誰かに訊いてみよう。

果たして、どの程度、正直に教えてくれるのかわからないけど。あるいは年寄りが多いから、訊きたい頃には誰もいないかもしれないし、ボケてる可能性も高いし、そうなると真相は闇の中。

それが教会という気がする。

そして、狭い世界の中で、いつしか風化していき、どうでもよくなっていくだけなのだろう。

良いものが残り、悪いところは消える。

良いところは神さまが与えてくださったところだし、悪いところとは黒いところ。黒いところとは、周囲に迷惑をかけたところ。別に自然な感情の流れなのかもしれないけど、それによって私がどれほどダメージを受けたかわかっていないところが嫌だ。

そこで、ウジウジ言いたくなってしまう。

でも、ウジウジ言っていること自体がすでに自分にとっては新たなダメージなので、何とかストップせねば。でも、言いたくなってしまう。甘えてるのかな・・・

そういう甘えたようなところがあるからいかんのか?

が、しかし、基本的に甘やかされて育ってしまったため、なかなか卒業できない。甘やかされて育ったとなれば、結局、父にたどりつき、そこからまた話がややこしくなる。

いかんわ・・・

やっぱり、私が悪いのかもしれない。

自分が悪かったとしても、誰にも迷惑をかけないのであれば、どうということもない。でも、迷惑をかけるというのはどういうことなのだろう?

まあ、どうでもいいや。

自由人たちは風のようなもので、風を想い、ハープの練習をし、そのうちまた短歌をうたい、詩篇を詠む。

こんなに優雅な生活のはずなのに、どうして税務署がやってくるのか謎だ。仕事溜まっているし、忙しいし、優雅なことも言っていられない。バランスなんだろうな・・・ふわふわしているだけでも退屈だし、忙しすぎるのも殺伐としてしまうし、そのバランスが崩れると物忘れが激しくなるとか?

いい加減、ビシッとしようと思って美容院に行ったら、美容師に、「もう少し頑張りましょう」と言われた。

何を頑張るのかよくわからないけど、流行のスタイルで行けるところまで頑張るという意味らしい。なんかせつないね。高齢者予備軍。要するに、彼が言いたいのは高齢者にはなっていないのだから、年齢不詳で頑張れるところまで行くべきだ、ということ。「もー、おばさん、頑張れないよ」と言いたいのを我慢しながら、素直に髪にウエーブを施す。

娘時代に父親のつくってくれた土台は根強いらしい。私って、クールな気がするし、頭も悪くないような気がするのに、そっちはすぐに崩れ去りそうになる。

しょせん、自分なんてないのかもしれないな。

(民数記 24. 15)

古代から父親の名前がついてまわるのは、こーいうことなのかも。

投稿者 Blue Wind : 12:57 AM | コメント (0) | トラックバック