やっとブログが書ける気がする。忙しかったこともあるけど、書きたくても書けないことってある、ということを学んだ。
いや、自分の言いたいことをあっさり書けば自分が楽になるけど、それによって誰もハッピーにはなれない。自分のことは自分ではわからないと言われてしまえばそれまでだし、実際のところ、それもまた事実なのかも・・・
他人からどう思われようと気にならないが、他人からあれこれ言われることには違和感を覚える。どうしてそんなことを言われるのか謎だから。
自分の見えないところで何かがあって言われたのだろうか?
それともそういう風に見えるからそう言われたのだろうか?
わからないなぁ・・・・
もう少し時間が経過したら、誰かに訊いてみよう。
果たして、どの程度、正直に教えてくれるのかわからないけど。あるいは年寄りが多いから、訊きたい頃には誰もいないかもしれないし、ボケてる可能性も高いし、そうなると真相は闇の中。
それが教会という気がする。
そして、狭い世界の中で、いつしか風化していき、どうでもよくなっていくだけなのだろう。
良いものが残り、悪いところは消える。
良いところは神さまが与えてくださったところだし、悪いところとは黒いところ。黒いところとは、周囲に迷惑をかけたところ。別に自然な感情の流れなのかもしれないけど、それによって私がどれほどダメージを受けたかわかっていないところが嫌だ。
そこで、ウジウジ言いたくなってしまう。
でも、ウジウジ言っていること自体がすでに自分にとっては新たなダメージなので、何とかストップせねば。でも、言いたくなってしまう。甘えてるのかな・・・
そういう甘えたようなところがあるからいかんのか?
が、しかし、基本的に甘やかされて育ってしまったため、なかなか卒業できない。甘やかされて育ったとなれば、結局、父にたどりつき、そこからまた話がややこしくなる。
いかんわ・・・
やっぱり、私が悪いのかもしれない。
自分が悪かったとしても、誰にも迷惑をかけないのであれば、どうということもない。でも、迷惑をかけるというのはどういうことなのだろう?
まあ、どうでもいいや。
自由人たちは風のようなもので、風を想い、ハープの練習をし、そのうちまた短歌をうたい、詩篇を詠む。
こんなに優雅な生活のはずなのに、どうして税務署がやってくるのか謎だ。仕事溜まっているし、忙しいし、優雅なことも言っていられない。バランスなんだろうな・・・ふわふわしているだけでも退屈だし、忙しすぎるのも殺伐としてしまうし、そのバランスが崩れると物忘れが激しくなるとか?
いい加減、ビシッとしようと思って美容院に行ったら、美容師に、「もう少し頑張りましょう」と言われた。
何を頑張るのかよくわからないけど、流行のスタイルで行けるところまで頑張るという意味らしい。なんかせつないね。高齢者予備軍。要するに、彼が言いたいのは高齢者にはなっていないのだから、年齢不詳で頑張れるところまで行くべきだ、ということ。「もー、おばさん、頑張れないよ」と言いたいのを我慢しながら、素直に髪にウエーブを施す。
娘時代に父親のつくってくれた土台は根強いらしい。私って、クールな気がするし、頭も悪くないような気がするのに、そっちはすぐに崩れ去りそうになる。
しょせん、自分なんてないのかもしれないな。
(民数記 24. 15)
古代から父親の名前がついてまわるのは、こーいうことなのかも。