昨日は突然、巡礼の歌のような「マリアさまへの祈り」が頭の中でぐるぐる回り、せっかくだから忘れないように五線譜と受験用の太字の鉛筆を買いに行った。
買ったのはよいけど、いざ頭の中をぐるぐる回っている歌を譜面におこそうとすると、意外と難しいことに気づく。しかも、巡礼の歌風なので、なおさらかも。日頃は、渡された譜面が読めないということはないのに、自分で書くとなるとめんどくさい。
もっと面倒なのは、祈りの言葉を優先するか、歌のイメージを優先するかで、曲が微妙に変化してしまうので、素人の私にはその判断すら難しい。
でも、考えたら、自分の気分で変えても誰にも文句を言われないことに気づく。
エフェスのマリアさまの家のある山の中腹に、急に見晴らしのよくなる場所があり、マリアさまの時代にはエフェスの周辺は海だったことを想像すると、つまりマリアさまが見ていた景色を想い浮かべると、エーゲ海に続くその景色はとても美しく、この場所で昇天したのではないかと思うくらい。
そんなことを考えていたら、頭の中に巡礼の歌がぐるぐる・・・
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マリアさま? はて?
神さまとお話する時には聖書を開くが、マリアさまとお話することはない。
マリアさまとお話するとすれば、マリアさまへの祈りだけ。
ただし、歌がたくさんあるので、うれしい時悲しい時、その時々で、マリアさまの歌がずっと鳴りっぱなしのこともある。ラテン語だろうと日本語だろうと、たいていはマリアさまへの祈りの文句は同じなので、深く考えたことはない。
心の中の問題。
気持ちや気分の問題。
一緒に歌うという感じかもしれない。
いつも一緒に歌ってくださる、という感じ。
感情に支配されているとき。
ニコチン中毒で、慢性的にのどが炎症を起こしているような私が歌えるのは、もしかするとマリアさまのおかげなのかもしれないなぁ・・・
(マリアさまのお話なので、聖書は開かない)
聖書を持って、マリアさまの歌を歌いながら巡礼へ行く。そんな想像をしながらドライブしていたら、やたらとハッピーな気分になった。